この所困っている事がある。
無事に摩央姉ちゃんと両想いになれた事とか、平均的だったテストの点数が摩央姉ちゃんとの勉強にて
上昇した事などは嬉しい事だけど、横に置いておく事にする。
と、家のチャイムがなった。その原因を作り出している人物で僕の幼馴染――摩央姉ちゃんが来たみたい。
「はーい」
「もうっ、私が来るって分かっているんだから、玄関の前で待ってなさいよ」
インターホンの向こうで笑顔のまま怒った振りをしている顔が頭に浮かんだ。
玄関を開けると肩かけ鞄を手に持った摩央姉ちゃんが仁王立ちしていた。
眉を顰めて猫目がちな瞳で睨みつけてくる。
「最悪だわ」
そんな事をぼやきながら僕の横を通って勝手知ったる我が家のようにずかずかと入っていく。
僕はリビングに入って行く後をいつもの様に追いかけていくだけだ。
「そんなに怒ってどうしたの?」僕はソファーに腰掛けた摩央姉ちゃんの横を素通りしてキッチンに向かった。
「ねぇ聞いてよぉー光一」
僕が不機嫌な理由を尋ねてくるのを前提にしていたようで、話し始めた摩央姉ちゃんの顔は
先程とうってかわって顔をキラキラと輝かせている。二つのコーヒーカップを持って横に座ると、
すぐに僕の片方の腕をとって話し出そうとした。
「私、あなたと付き合ってるって……隠してないわよね」
「そりゃあ、あれだけ校内でいちゃついていれば皆分かってると思うけど」
「今日も手紙貰っちゃった。出してくれた相手には悪いけど、ほんっと困るのよねー」
あなたもそう思うでしょ、と言いたげな摩央姉ちゃんが顔を寄せてくる。
くせっ毛が頬にかかっているのを全く気にしてない姉ちゃんは、それだけが言いたかった様で
鞄の中からファッション雑誌を取り出し始めた――
「――って、今日は勉強だとか言ってなかった?」
「もうっ、これも勉強のうちよ。真面目にやったって受験に落ちる時は落ちるし、受かる時は受かるものなの」
「そ、それは……そう……なのかな?」
中学受験をインフルエンザでふいにしてそのトラウマから教科書アレルギーになってしまった
摩央姉ちゃんが言うと説得力があって、僕は一瞬だけ懐柔されそうになったけれど
「あったり前よっ」そう言いながらぺらぺらと雑誌をめくる姉ちゃんに言っても仕方なかった。
早い話、僕は早くも摩央姉ちゃんの尻に敷かれているのだ。
「ねぇねぇ光一」
「何……ん? それ、男向けの雑誌じゃん」
「最近テスト勉強が忙しくて摩央チェックができなかったけど、あなたってば
その間に元に戻り始めてるじゃない。もうちょっとシュッとして欲しいのよ、私としては」
指で僕の額を突付くと僕の目の前に開いた雑誌を突き出してくる。
そこには同世代か少し上ぐらいのオシャレな男が載っていて、僕は身を引いてソファーに背を付けた。
「そんな事言ったって……ユニクロとかGAPとかで十分だって」
「またそんな事言って! 普段着ならともかく、オシャレ着までそこで調達してどうするのよ」
摩央姉ちゃんが僕の胸に手を置いて迫ってくる。中途半端に背をつけていたからずり落ちた僕は
摩央姉ちゃんからソファーに押し倒されたようになってしまった。
「いい? 光一は私の彼なんだから、素敵な男になって欲しいと思うのはいけない事かしら」
「そんな事はない……けど……」
「……ん?」
口ごもった僕の態度からようやく僕等がどんな体勢でいるのか理解したようで、
摩央姉ちゃんは目を丸めて固まってしまう。しんとした部屋には外からの騒音と互いの息遣いしかない。
「……あっ」
「え……何?」
「唇、乾燥してる。言ったでしょ? ちゃんと身だしなみを整えなさいって」
摩央姉ちゃんの細い指の腹が僕の唇を撫でている。どくんどくんと僕の胸がなっているのに
気が付いているだろうか。こんな時に限って摩央姉ちゃんは鈍いんだ。
「……そういえば」
「そう言えば……って?」
「テスト期間中は一緒にいても勉強の事しか話さなかったなって」
「うん。摩央姉ちゃん、元は凄いガリ勉でどんどん問題こなしていっちゃうから」
「結構喋っていたと思ってたけど、そうなんだ」
「もくもくと問題を解いているから親も奈々も何も言わなかったんだと思う。
僕の部屋で二人っきりだっていうのに奈々も遊びに来なかっただろ?」
ちょっと考え込んだ摩央姉ちゃんの僕を押し倒したままでいるから、
私服から覗ける胸の谷間とかに目がいってしまうわけで。
……大きいな、やっぱり。
「そういうの駄目だって言ったでしょ? 女の子、そういう視線って結構分かっちゃうものなんだからっ」
めっ、とデコピンされてしまった。
「ホント、エッチなんだから……」
「しょうがないよ。摩央姉ちゃんって大きいから」
「友達からもよく言われるわ。んと……触って……みたい?」
「――っ!! ごほっ、ごほっ。きゅっ、急に何を言いだすんだよ!」
「光一なら触ってもらってもいいかなって。他の男の子なんかにはぜぇーったいに触って欲しくないんだけどね」
摩央姉ちゃんの顔が心なしか近づいてきてるように見える――って、確実に近づいてきていた。
互いの息が感じられるほど近づいた摩央姉ちゃんは目を閉じて更に迫ってくる。
唇全体に拡がる柔らかい感触と、僕の世界全てが良い匂いで包まれたかのような摩央姉ちゃんの体温。
何となくだけど、これが幸せなのかなって思ってしまった。
「触って……みる?」
僕の手が摩央姉ちゃんの手に導かれて私服の胸部を押し上げている双丘へと向かう。
僕の視線も摩央姉ちゃんの視線も互いの重なった手の動きを追っていた。
「私が価値のあるキスしかしたくないの知ってるでしょ」
「う、うん……」
「じゃあ……価値が出るように頑張りなさいよね、光一」
摩央姉ちゃんの胸に手が届く前に僕はソファーから起き上がり、息を整えてからキスをした。
互いの背に手を回して、でも抱きあうまではいかない。微妙な遠慮と恥ずかしさ。
僕は一歩踏み出していいものか迷っていた。
「キス……してくれないの?」
切ない摩央姉ちゃんの表情。
「キス、したい」
「ふふっ。私も……」
ゆっくりと近づく僕らの顔。ふんわりとした感触。ほんのり香ってくる摩央姉ちゃんの髪の匂い。
その数秒の間の出来事が忘れられなくて、僕も摩央姉ちゃんも思わず笑ってしまった。
「やっぱりキスっていいわね」
「ん……そうだね」
「もう一回、しよっか」
僕の返事を待たずに摩央姉ちゃんの顔が迫ってくる。なんかとろんとした摩央姉ちゃんの顔が
どんどんアップになってくる。これってキス以上を求めてもいいんだよね?
文化祭の後さらにレベルを上げてから随分経つけど、これ以上の行為は出来なかったんだ。
「ただいまーっ! お兄ちゃーんっ、お母さんと買い物に行ったらケーキ買って貰っちゃったー」
――と、こんな風にね。
摩央姉ちゃんを見るとすっかり猫かぶりモードに入っていて、僕と反対側のソファーに座っていた。
奈々が母さんと一緒にリビングに入ってきて摩央姉ちゃんに挨拶している。神のイタズラか会話の選択肢のミスか、
まさにここぞという時に邪魔が入ってしまうのだ。その度に摩央姉ちゃんとのイベントが中断してしまう。
「どうしたのお兄ちゃん。チェリーのジャム嫌いだったっけ? そのタルトすっごく人気があるのに」
摩央姉ちゃんがクスっと小さく笑った。チェリーなんて嫌いだ! そう叫べばどれだけ楽になるだろう。
僕は近所のおばさんとの集まりに出かける母さんを見送った後、
摩央姉ちゃんと奈々のお守りをする事になったのだった……。
END