「あー、もう」
呆れ顔のハーヴェイの視線が突き刺さるのを感じながら、ベッドの上のキーリは顔を赤らめた。
流れ落ちる汗で張り付く前髪が鬱陶しいのに、掌で横へ薙ぎ払うこともできない。
身体が石でも括り付けられたように重くて、少し上半身を持ち上げるだけでもひどく億劫だ。
「だから言ったのに。そんな薄着じゃ風邪引くって」
「……だっ……てっ」
ハーヴェイの面倒くさそうな言葉に反論しようとするものの、喉から漏れるのは間断なく続く咳としゃがれて聞き取りがたい声だけだ。
それでも何とか喋ろうとするキーリの頭をぽんぽんと軽くはたいたハーヴェイは、予想以上に高かったらしい熱に対して「あちぃ」とだけぼそりと呟く。
「なんか欲しいもんあるの」
「……ん、水……」
そう尋ねられて傍らのテーブルに置かれた水差しを力なく指差す。
ハーヴェイは小さく頷くと、重そうなそれをひょいと手にとって中身をガラスのコップに注いだ。
「はい」
仏頂面の彼に手渡されたコップをぼうっと見つめていたキーリが、ぼうっとしたあまり生気の感じられない声でハーヴェイに向き直る。水を
キーリが水を飲むのを大人しく見守ろうとしていたハーヴェイは、次に彼女が口にした台詞に面食らった。
「……ハーヴェイが飲ませて」
「は?」
「くち……口移し、で」
ねだる様な上目遣いでこちらを見つめるキーリに、ハーヴェイの心臓がとくんと跳ね上がる。
むんと立ち上る汗の匂いが妙に琥惑的だ。
馬鹿。何言ってるか分かってんのかてめぇは。
奮いつきたくなる獣の心を抑え込むハーヴェイに、しかし一方のキーリは追い討ちをかける。
「ハー……ヴェイっ……」
弱弱しく呟く声は発熱のせいか熱い吐息に塗れていて、聞いているこちらの方がどうにかなってしまいそうだった。
欲望に飲まれそうになる想いを全力で押しとどめ、水を飲むのを手伝ってやろうとコップを持つ指先に手を伸ばす。
そっと触れた彼女の掌はひどく温かくて、その上じんわりと汗ばんでいた。
砂のようにかさかさとした己の手とはまったく違うその感触を感じながらキーリの顔を見れば、潤んだ瞳が訴えるように自分を見上げている。
「おね、がい……」
予期していなかったその台詞に、心臓を鷲掴みにされたような衝撃が総身を打つ。
細い肩を抱き寄せたい衝動に駆られるのを必死で我慢して、できるかぎり冷静を装った声音でキーリに声をかけた。
「……馬鹿なことやってんじゃねぇよ」
人工的に冷たい視線を作って睨む様に彼女を見据える。
視線の先の少女が怯えているような顔つきなのは、たぶん俺の気のせいではないだろう。
「冷たいもんでも買ってくるから。帰るまで大人しくそこで寝てろ」
「ハーヴェ……」
苛立ち混じりの吐き捨てに対する答えは最後まで聞かぬまま、駆け足で部屋から飛び出す。
ばたんと耳障りな音を立ててドアを閉めると、そのまま後ろは振り返らずに人気のない通りまで走った。
その間も彼女の姿が頭から離れることはなくて、ハーヴェイは憎憎しげに下唇を歯で噛み締める。
……やばかった。
誰も居ないのを確認して立ち止まり、ぐしゃぐしゃと苛立ちに任せて赤銅色の髪を掻き毟る。
抜け落ちた髪が路面にはらりと舞ったのを何とはなしに見つめながら、舌打ちして足元の小石を蹴り捨てた。
言いようのない空しさに思わず足を折って、ひんやりと硬い地面に腰を下ろす。
――先刻のキーリの表情を思い出し、また身体に熱が篭る。
下半身が芯を持っていくのを感じて、自分の最低さ加減に吐き気がするほど苦笑した。
……よりにもよって病気で苦しんでいる相手に対して興奮するなんて。
けれど、濡れて惚けた瞳で自分の名を呼ぶ彼女はひどく官能的で、一歩間違えば本当にあのまま身体を重ねてしまいそうだった。
働いてくれた自制心に心から感謝しながら、タバコを一本懐から取り出して口に加える。
己の半分の年齢もないあんな少女に性欲を抱いている自分は、きっと死んだほうがいいのだと思った。
俺のことを無条件で信頼してくれているキーリが、この頭の中を知ったら一体どう思うことだろう?
それを考えると無性におかしくて「ははっ」と乾いた笑い声が喉の奥から漏れ出たのだけれど、
タバコを吸っていた最中だったのが災いして、逆流した紫煙でごほごほとむせ込んだ。
気づくと瞳からは一筋の涙が流れていたけれど、これは煙が目に入ったからなのだと自分で自分に言い訳した。
――だって、他に理由なんてないから。あるとしたって、泣くのは俺じゃなくてキーリの方であるはずだから。
夜毎彼女の裸を想像しては、性欲の捌け口として下劣な妄想を繰り返している。
もう数え切れないくらい、何度も何度も脳内でキーリを犯した。
嫌がる彼女を無理にベッドに押さえつけ、縛り付けて。
泣き喚く唇をキスで塞いで、濡れそぼった秘奥へと猛った物を突き立てる。
精液に塗れたキーリの全身を頭に描いて、俺は一人闇のように暗い満足の湖に浸るのだ。
本当にそうする前に、自殺でもしたほうがいいのかもしれない。
彼女を泣かせる前に。裏切る前に。
けれど、今更彼女と離れることも、最早できそうにない。
――ああ。
せめて同い年で、同じ人間としてごく普通にお前と出会っていたら、こんなには悩まなかっただろうに。
もみ消したタバコをぽいと地面に投げ捨てると、苛立ちをぶつける様にぐりぐりと踏みつけた。
タバコはすぐによれよれのゴミ屑へと姿を変え、直後に吹いた風に飛ばされていったけれど、
それより遥かにでかい赤い髪をしたゴミ屑は、まるで死体のようにそこから動こうとせず、頑なにその場に座り込んでいるのだった。
声をかけるまもなく出て行ってしまったハーヴェイの後姿に途方にくれながら、キーリはぼうっと閉ざされた扉を見つめていた。
何も、あんなに怒ることないのに。ちょっとふざけただけなのにああも本気にしなくたって。
先刻の彼が向けた冷たい視線を思い出し、キーリはぷいと目を逸らした。
少々苛立ちながら、頭の中のハーヴェイの姿を掻き消そうと毛布を頭まで被って無理やり目を閉じる。
眠ってしまえばこの心中の靄も晴れるだろうと思うものの、こんなときに限って一向に眠気はやって来てはくれなかった。
身体その物はひどくだるく全身から噴き出すように汗が流れている一方で、頭は綺麗に冴え渡っている。
その脳内を占めるのは先ほどから変わらずハーヴェイただ一人で、その事態が更にキーリを苛つかせた。
――ハーヴェイ。
小さな呼び声に応えるように後ろを振り向く彼の姿が、恐ろしいほどの鮮明さで脳裏をよぎる。
瞑った目蓋の裏に映し出される映像の彼は常時ではありえない笑顔をキーリに向けて、こちらに手を伸ばしてくれる。
そっと抱きしめる腕は機械的な冷たさに満ちていて、けれど何故か触れている箇所はじんわりと心を安堵させるように温かい。
そんな想像は所詮幻影でしかないけれど、それでも傍にいてくれるハーヴェイを思い浮かべるだけで重い身体が楽になる気がした。
もっとも、それが決して実現し得ない馬鹿な妄想でしかないのは分かりきっているのだけれど。
ハーヴェイが好きだ。
誰よりも誰よりも、彼のことが好きだ。
たぶん私は今後どんなに素敵な男性に出会っても、その人をハーヴェイ以上に想うことは不可能なのだろう。
自分勝手だし無愛想だし無表情だし無気力だし無計画だし、そのくせ時々変な理由で怒り出して無茶するし。
彼について思い返せば挙がるのは欠点ばかりだというのに、それでも何故か嫌いにはなれない。
それほどまでに彼が好きな私は、きっともうどうしようもないのだ。
たくましい彼の腕の中にいる自分を想像すると、それだけで脚の間がじんわりと濡れた。
股間が熱くなる感覚に羞恥を覚えながらも、キーリはそこに手を伸ばすのを止められなかった。
ハーヴェイに抱かれているのを思って自分を慰めるなんて、あまりに虚しい行為だとは自分でもよく分かっている。
けれどせめてこうでもしなければ、毎夜のように溢れ出る彼への情欲に心が壊されてしまいそうだった。
既にとろりと湿って熱く蕩けているそこに伸ばした自分の指を、ハーヴェイの武骨な機械仕掛けのそれに脳内で変換する。
金属特有の冷たい感触に攻められるのを想像して、硬く尖った秘芯に指を這わせた。
己の粘液でぬるりとするそこをぬちゃぬちゃと嫌らしい音がするほどに摘んで指の腹で転がすと、気持ちよさにぞくりと背中が総毛だった。
そのまま包皮の剥かれたそこを親指と人差し指との二本でくりくりと刺激する。
思わずはぁはぁと熱い吐息が口から漏れ、それと同時にねだる様にして想い人の名を連呼してしまう。
「……っ、ハー……ヴェイ、ハーヴェイぃ……」
恥ずかしいと頭では理解しているのに、嬌声を抑えることもできない。
ハーヴェイがいつ帰ってくるかわからないと知っていながらも、一度火のついた身体は貪欲に快感を追い求めた。
つんと硬くなっている肉芽にわざと思い切り爪を立てると、瞬間びくびくと身体が小さく痙攣する。
ひどく痛いはずのその行為にすら、機械的な金属の指を連想して壮絶に感じてしまう自分が情けなかった。
爪先で捻る様にして何度も上下に引っ掻く度に、狭い室内にキーリの喘ぎ声が響き渡る。
その声は素直に快楽を叫びつつも、どこか寂しげな空虚さに満ちていた。
「……ぁっ、……もっと、もっとして……?」
くちゃくちゃと動かす指は次第に奥を目指し、膣内へとその動きを進めていく。
キーリはふぅっと細く息を吐きながら、細い指を一本愛液でぐっしょりと濡れたそこにゆっくりと押し込んでいった。
根元までしっかり銜え込ませたままぐちゅぐちゅと中を掻き回すと、全身を襲う快感に最早何も考えられなくなってしまう。
いや、違う。正確には『ハーヴェイのこと以外』何も。
もしこれが本当にハーヴェイ相手だったら、きっといつもの無表情を崩さないまま心底呆れた口調で
「……感じてんの、恥ずかしい奴」とでも言われるのだろう。
その冷たい口ぶりを容易に彼の声音で想像して、思わず胸をどきりとときめかせてしまう。
馬鹿にされるような台詞を言われて身体を熱くするなんて、私の神経はどこかおかしいのだろう。
そう思いながら、けれど湧き上がってしまう興奮に突き動かせるように、挿れたままだった指を大きく前後に抽挿する。
膣壁をかりかりと爪で掻くと、あまりの衝撃にキーリは激しく声を上げて全身を震わせた。
「あ……ふ、っ……」
薄っすらと涙まで瞳に湛えたまま叫んで、キーリは更に指の動きを早くする。
空いている左手はいつのまにか自然と胸に向かい、コリコリと尖った突起を押し潰すようにして弄んでいる。
薄桃色のそこを指先で嬲りながらも、両脚の間を陵辱する手は決して止まらない。
指が前後する都度に溢れ出る粘液が太腿を伝って垂れ下がり、清潔なシーツをべっとりと汚した。
「……んっ、…ぁ、あぁっ……」
肩までの髪を振り乱しながら、身も世も忘れて絶叫するキーリ。
その声に、ドアの向こう側でぴくりと硬直した者がいた。
……何だよ、今の声は。
買い物を終え戻ってきたハーヴェイは、そう嘆息するとノブを手にしたままどうしたものかと頭を抱え立ち呆ける。
聞こえてきた少女の甘い声に小さく表情を変え、はやる鼓動を無理に押さえ込む。
中を見てはいけないと察しながらも自身を襲う誘惑に勝つことはできず、握ったドアノブに力を込めてほんの僅かに扉を開く。
同時に目に飛び込んできたあまりにも官能的な光景はハーヴェイの理解能力をはるかに飛び越えていて、思わず自身の目を疑わずにはいられなかった。
開かれた隙間からもう一度そっと覗いて見るものの、そこにある現実は当然変わっていたりはしない。
幾度目をこらそうとも、その場に存在するのは己で己の身体を慰めているキーリの姿だった。
ごくりと喉が鳴る。
理性は見るなと命令しているのに身体が言う事を聞かず、見開いた目が微塵も逸らせない。
膨らんだ乳房とその中央にある桃色の二つの乳首。薄っすらと骨の浮き出た痩せ気味の脇腹から腰までのライン。
その下に控えめに生えた黒々とした茂みと、今は彼女の指が飲み込まれているそこ――。
眼前で繰り広げられる淫らな光景に、下半身がさっきとは比べ物にならないほど熱くなった。
いまだ少女の面影を残すキーリが既に女として成長していたことに、今更ながら気づく。
彼女はもう、出会ったころのガキではないのだ。
それを身につまされながら、扉の奥の彼女の痴態を呆然と注視し続ける。
彼女の繊細な細身の指が脚の間を何度となく出入りし、その度にそこからぬらぬらとした液が内股を流れる。
快楽に身を打ち震わせているキーリの身体は妖艶な大人の女そのもので、子供っぽい表情とのギャップにひどくそそられた。
心臓が割れてしまいそうなほどに早鐘を打つ。
轟く鼓動は雷鳴のように大きくて、キーリに聞こえてしまうんじゃないかと無意味に心配になった。
それほどにキーリは美しくて可愛くて愛しくて。
――そして俺はそんなキーリを今すぐにでも犯したい衝動に駆られていて。
自分にそんな資格も度胸もないことは分かっていたけれど、それでも俺はキーリを啼かせたくて堪らなかった。
こつりとわざとらしく鳴らされた足音にキーリがはっとしたときには遅く、ハーヴェイは室内に足を踏み入れていた。
「……ただいま」
いつもならしないような挨拶をわざわざ口にするハーヴェイの声はひどく冷静で、けれどどこか普段以上に強張っていた。