地球人・日向夏美は悩んでいた。
ある日の午後。
日向家の捕虜・ケロロ軍曹の父親が、アポなしで青い地球にやってきた。
元・伝説の鬼軍曹。ケロン軍の英雄。眠そうだが鋭い眼差しの持ち主である彼の発するケロン訛りは、地球の熊本弁に似ている。
そんなケロロの父(以下・ケロ父)は、久々に会った息子に、見合い写真を突きつけた。
「どや、べっぴんさんやろ」
息子の緑色の顔がさっと蒼ざめた(一見分かりづらいが)。
冗談ではない。相手がべっぴんでもなんでも、どこの誰であろうと、結婚などとんでもなかった。
なぜなら、結婚したケロン人男子は子宝祈願のため、オモチャに触ることを禁じられるのだ。
なんのこっちゃというなかれ。確かに玩具と子宝の因果関係は現代にしてみれば科学的根拠を欠くが、ケロ父の世代の多くが重んじている風習なのである。ケロロとて無下にはできない。
しかしケロロにとってオモチャ…プラモ作りを断たれることは、死ね! と言われているのと同義だ。
そこで。
「実は我輩、恥ずかしながら敵であるペコポンの女性と!」
ケロロは咄嗟に、偽の婚約者を仕立てて父に紹介したのだった。そのアイディアはまあ、夏美も納得の範疇だ。地球の昔のマンガでも見かける手だ。こういう場合の行動は全宇宙共通らしい。
だが。
「そう、ここにいる日向夏美殿と将来を誓ったのであります!」
――その、偽の婚約者がどうして私なのか!
突然指名された夏美は仰天した。
もちろん、周囲も目を回した。弟・冬樹は慌てるし、タママは荒れるし、クルルは面白がるし……夏美には理由は分からねど、ギロロも自分を見失ってるようだけど……それより何より、モアの「てゆーか自暴自棄〜!」を鎮めるのは一苦労だった。
……だが本人にしてみれば残念なことに、夏美は義侠心に篤かった。
少なくとも、窮地に陥ったケロロを放置できないほどには。
仕方なく彼女は「一日婚約者」として、ケロ父の前に出た。その後は共鳴したり体操したり、早口言葉だのプラモの作り溜めだの、婚約者としてひととおり「ケロン人新妻」のシミュレーションにつき合わされたのだった。
「はーー……」
心身ともに疲れ果て、ようやくひとまず解放された夏美は、自室のベッドの淵に腰掛けて『きょうのおかず』をパラパラめくりながら、一人悩んでいた。
バタン。
突然、夏美の部屋のドアが開き、ピコピコと聞きなれた足音が乱入してきた。
「なっつみっどの〜!」
夏美が疲弊し、今悩んでいる元凶、ケロロである。片手を挙げて、足取りも軽く夏美のテリトリーへ入ってくる。
いつもなら、ノックくらいしなさいよこのボケガエル! と乙女としてしばき倒すところだが、今日は事情が違った。
「あ、ボケガエル。ちょうどよかったわ。晩御飯何にしようか?」
「ビーフシチューがいいでありまーす!」
ケロロは即答しながら、ぴょん、とベッドに乗り上げて、ちゃっかり夏美の隣に座った。
「アンタの好物は聞いてないの! そんな手の込んだもの今から作ったんじゃ遅くなっちゃうでしょ」
「ゲ、ゲロ……」
父親のいない日向姉弟は、ケロ父くらいの歳の男性に馴染みがない。母は家では飲まない。故に夏美には”食事の前に酒と肴”という発想はないのだった。
「カレーとかコロッケとか食べないよねぇ、お父さんは」
「ねえ、夏美殿ぉ〜」
「うーん、あと、すぐできる物っていうと……」
「夏美殿ー、そんなことよりお願いが」
ケロロはベッドにうつぶせになり、足をばたつかせて泳ぐようにして夏美の関心を引こうとする。ある意味、カエルらしい仕草ではあるのだが。
「夏美殿ってば〜聞いて聞いてぇ〜」
「あーもう、うるっさい! 何なのよ!」
見降ろして夏美が問いかけると、ケロロはピョコンと音を立ててベッドから飛び降りた。そして夏美の真正面に立ち、こう言い放った。
「我輩と一緒にお風呂に入って欲しいであります!!」
JET!
夏美の右拳が、人の目には映らぬほどのスピードでケロロの顎を撃ち抜いた。
「ゲローーーーー!」
「アンタ、今、なんつった……? エロガエルに改名してあげようか?」
怒りのあまり平静より低くなっている夏美の声も、ケロロには届いていなかった。何故なら彼の首から上は天井にめりこんでいたから。
「姉ちゃん、待って!」
扉を開けて飛び込んできた弟・冬樹は、夏美の形相と固められた右拳を見ただけで全てを悟った。そして、頭上でじたばたしているカエルの足を見上げる。
「軍曹! ああ、遅かったかぁ……」
「何なのよ!」
「実はね、さっき軍曹のお父さんが……」
話は数分前に遡る。
婚約者の真似をひとしきりこなした夏美。もともと芝居の才能はない彼女だ。これ以上ケロ父の前にいたら絶対、ぼろが出る。夏美は、最後の演技力を振り絞った。
「ねえ、ボケガ……じゃない、け、ケロ…ちゃん」
うわあぁぁああ! ケロちゃんって! このボケガエルがケロちゃん! 自分で言ってて胃がひっくり返りそう!
だが夏美は全身を覆う鳥肌にも、流れる脂汗にも耐え、ガラスの仮面を被り続けたのだった。
「ゲロ? なんでありますか?」
一方、こちらはいつものごとくマイペースである。しかも、小芝居は得意な方だ。
「え、ええと、久しぶりなんでしょ、お父さんと会うの。私、邪魔じゃない?」
「全っ然そんなことないであります!」
ちゃぶ台の対面では、ケロ父が眠そうでいて鋭い視線でもって二人を見ている。
ぎりっ。きつく握った手に、爪が刺さる。それでも引き攣った笑顔で夏美は続けた。
「でも、父子水入らずで積もる話もあるでしょ。ね?」
「水入らずって言われましても、我輩たち水が入らないとどうにも調子が」
こっそりこめかみに怒りマークを浮かべながら、夏美はケロロを傍らに引き寄せ、その丸い頭を撫ではじめた。ヤケクソである。
「ゲ、ゲロ? 夏美殿?」
「バカ言ってないで、遠慮しないでお父さんに甘えなさいよ。ね、ケロちゃ〜ん?」
「ゲロ……? あ、あの、ちょっと痛いのでありますが」
ぐりぐり。ぐりぐりぐり。夏美の撫でる手はいつのまにかゲンコツになっていた。幸い、ケロ父には気づかれていなかったらしい。その証拠に、
「わっはっはっは、ケロロはワシなんぞより、夏美さんに甘える方がええんじゃろ」
彼は突然、こんなセリフを発して夏美を更に引き攣らせたのである。
そんなこんなで、どうにか二人を「父子水入らず」状態にすることに成功し
よろめきながらも夏美は自分の部屋へ一時退却。一息つきながらも、夕食を何にしようかと今度は頭を疲れさせていた。
婚約者ごっこは疲れるが、遠い星からやってきた、「うちのカエル」の父親をもてなしたい気持ちはそれとは別だ。
そしてここからは、客間での父と子の会話を盗み聞きしていた冬樹の言である。
いかにも『伝説の軍曹』らしく、ケロ父は実の息子に対しても、比較的重々しく接していた。だが、「水入らず」にされては彼とて人(カエル)の親。作戦進行中の兵士にかけるには相応しくない、"父親の言"がつい、漏れる。
「夏美さんか……ええ娘さんじゃなかか」
「怒ると怖いんでありますよ〜」
ぐりぐりされた頭を撫でながら、ケロロは反論した。彼は事実しか言っていないのだが、この状況ではどう聞いても惚気だった。
「わっはっは、ぬしみたいなのには、あのくらいしっかり者の嫁さんがちょうどええ」
「ゲ、ゲロ……」
「でかしたぞケロロ。ええお嬢さんを捕まえたもんや」
「捕まったのは我輩なのでありますが……あ、いやいや」
鷹揚に笑うケロ父。川に流れるカエルのように、状況に流されているケロロ。
そんな二人を、衾の向こうで耳をそばだてながら、見守っていた者たちがいた。ギロロ・クルル・タママ・モア、そして夏美の実弟・冬樹。
衾の向こうは、息を呑む音とギロロの歯軋りが聞こえるほどに、しんとしていた。
「そうなると祝言の日取りを決めんといかんばいなあ」
「しゅうげん……でありますか? 」
「結婚式ちゅうのは、やることがこれでもか! と出てくるからのう。ぬしも、招待する友達のリストアップくらいは早々にやっとくがええぞ」
軍曹の中の軍曹・ケロ父。その勘のよさ・先見の明・決断の確かさなどから、「先読みの軍曹」と呼ばれたこともあったという。加えて、やると決めたことはちゃっちゃとやるタイプだ。このままケロ父の好きにさせておいたら、一週間後には夏美と結婚しているかもしれない。
(冗談デショッ! 夏美殿に偽婚約者になってもらった意味がパーでありますッ!)
これ以上、ケロ父の話を続けさせるわけにはいかない。
その頃、赤の彩度と明度を極限まで上げ、宇宙空間から見た太陽みたいになっているギロロをよそに、タママが衾に手をかけた。
パァン! 景気のいい音を立てて衾が開いた。
「失礼するですぅうぅぅ〜〜! 軍曹さんのお父さん〜、お風呂どうぞですぅ〜〜!」
タママにしてみれば「婚約者ごっこ」は実現しないから黙認できた。しかし実現する可能性が僅かでも出てきた以上、全力で潰しにかかる。それがタママクオリティ。
しかしすっかり裏になっているタママに怯むこともなく、ケロ父はふむ、と頷いた。
「あ……ホントに、どうぞ。長旅でお疲れでしょう?」
「てゆーか、浮世風呂?」
「クーックックック」
いつのまにか全員客間に入ってきていることには頓着せず、ケロ父はケロロに向かって言った。
「ぬし、夏美さんと仲ようやってるんやな?」
「も、もちろんであります!」
「だったらちょうどええ、ぬしどん、夏美さんと風呂ば一緒に入れ」
客間が静寂に包まれた。
ケロン人にとって、「一緒に水に入る」ことは、地球で言うところの「同じ釜の飯を食う」に相当する行為らしい。この場合同性・異性は関係ない。共風呂は、何よりの親しみの表れであるのだ。――少なくとも、ケロ父の世代では。
実は今、若いケロン人たちは、その習慣を悪習と思って迷惑している。それはまあ、混浴を強要され、なおかつそれが肝胆合い照らした証明になるなんて、確かにめちゃくちゃだ。非論理的だ。
しかし、ケロ父はケロ父だった。ケロンの風習を大切にしていた。若者の繊細な心とは、残念ながら相容れなかった。息子たちも自分の若い頃と同じようにやっておれば間違いはないと信じていた。
「どや、愛し合っちょるならできよーもん」
そして、ケロロは基本的にお父さんっ子だった。
「もちろんであります!」
そして今ケロロは、夏美を誘いに来て天井にめり込み、足だけばたばたさせながら冬樹のフォローを受けている。しかし、夏美は当然ながら納得しそうに無い。
「ちょっとぉ、だからって私が、ボケガエルとお風呂……って!」
冗談じゃないわよーーーーー!!!