ついに地球はケロン軍に降伏した。多くの地方では戦前と同じような光景が  
広がっている。しばらくは従来の産業構造も維持されるという。地球の半分の  
占領管理区を担うようになった日本。侵略、占領によって、奇しくも多星間関  
係の渦中に放り込まれた地球ことポコペン。ここはもう、新たなるケロン星植  
民地。  
 屈んで台所のシンクを磨きながら、日向夏美はふと弟のことを思い出した。  
見上げれば窓の外には気持ちのいい朝の晴れ空が広がっている。こことは違う  
空の下で、今頃どうしているのだろう。気づいた時にはボケガエルたちの様子  
が変で、侵攻方針が変えられていたらしい。あっという間に国々、地域が制圧  
されていった。惑星を焦土にするのが目的ではなく、資源と労働力保全のため  
に死者はあまり出さない方針だったようで被害はまちまちだったが、敗戦はと  
ても嫌なものだった。あれから多くの関係が変わってしまった。今、私は親し  
んだ家族と離れ、男性と暮らしている。みんな自分で選んで、選ばざるを得な  
かった道だ。地球陥落後、敗戦のどさくさの中で、私は前から私に想いを寄せ  
ていたケロン軍のギロロ伍長と一緒に暮らすようになり、それに乗じて義兄の  
ようなものになったガルル中尉に無理やり頼み込んで身元引受人になってもら  
い、冬樹を地球外に「留学」させることを承諾させた。冬樹は家族と離れるこ  
とを泣いて嫌がったが、私は暴君と化して弟の頬を張り、ケロン人との交渉に  
もっとも長けていた弟を母星から追い出した。冬樹も最後には分かったようで、  
決意した男の顔をして去っていったが、わたしたちの狙いが達成されるまでに  
は長い時間がかかることだろう。地球のあまたの国々の歴史の中で、独立を求  
めて戦った人たちの話がいくつか頭に蘇る。いつもラジオで声を聴くのを楽し  
みにしていたあの人が、勝ち目の薄いゲームを続けているのは意外だけれども。  
もっとも、もう少し危機感と戦力があったところで、宇宙からやってきた相手  
の侵略をあそこまで引き伸ばすことはできなかっただろう。私たちの家庭は偉  
大だったのだ。  
 一緒に暮らすようになったギロロとわたしを、かつてのケロロ小隊の面々と  
私を知る人々、前から親交のあった異星人以外は、ケロン人も地球人もみんな  
笑っていた。ギロロは大真面目に軍の役所の役割をするところに行って、私と  
の正式な結婚を申し出たそうだけど、占領下のポコペン人との婚姻は駐留軍の  
法に想定されておらず、私は実質的に「お手伝い兼愛人」として、同室してい  
るだけらしい。そうポコペン人の占領協力スタッフが噂しているのを聞いた。  
生理前だったので帰って泣いた。これからわたし、どうなるんだろう。買い物  
があるけど、出かけたくなかった。ここはケロン軍占領管理区の下士官用住居  
の一室。  
 
 同じ日の夜。東京の片隅に、三代続けて細々と商いを続けてきた小さな花屋  
がある。今日も休むことなく、蛍のような生活の光を灯している。電力会社を  
ケロン軍に接収されていなければ、蛍光灯の光の筈だった。人間たちよりも植  
物に優しく整えられた店内で、老いた店主は一人夜食のことを考えていた。早  
春はまだまだ日が短いので、四時過ぎには表から花を運び入れ、ガラス戸を閉  
めていた。夜食はラーメンか、おにぎりか。ガラス戸の向こうに赤い影が映っ  
た。がらりと戸が開く。初めての客だ。今や大手を振って通りを闊歩している、  
ケロン軍の兵士の顔があった。一見体格のがっちりした赤毛の男で地球人によ  
く似ているが、近くに来るとどこか違う。ぬめりというか水に濡れたような違  
和感があった。左頬には大きな傷跡がある。大分昔のもののようだ。制服や階  
級章からして、下士官あたりだろうか。  
「いらっしゃいませ」  
花屋の主人は普通の声音で客を迎える。  
「…花を、探している」  
「はい」  
自分で言っていて、自分の言っていることが「要領を得ない」と感じた顔を  
した客に、主人はまた声をかける。  
「贈り物ですか?」  
「そうだ。その…できれば夏の花がいい。名前がよく分からんのだが、黄色い  
花弁に囲まれていて、中が黒い」  
「向日葵、でしょうか」  
そう言って、花屋は冷蔵ケースの中を指差す。果たして指差す先に、小ぶりの  
向日葵が一群れあった。  
「そうだ。それをくれ」  
花屋は小ぶりの、傷の無い向日葵を取り出す。  
「女の方へのプレゼントですか?」  
「…ああ」  
まだ若いと見える男の顔に、遊び歩いてやろうというてかりは見えない。とも  
かく花屋は花を売るのが仕事だった。サービスで赤いリボンを結ぶ。  
「いいですねぇ」  
使い込んだフォルダのような財布から、季節はずれの花の代金が支払われる。  
しわの寄った紙幣は、ケロンの始祖たる両生人類が描かれた軍票だった。  
 
 思ったとおり、夏の日の花がよく似合っていた。  
「あら、向日葵? ありがとう、季節外れなのに高くなかった?」  
「なあに。安かった」  
いくつも同じ間取りの部屋がある下士官用の居住区の一室に帰り着き、決めら  
れた合図のノックをする。紺色の戸を開けて出迎えてくれた少女は、買ってき  
た花に似た笑顔を見せてくれた。向日葵の鮮やかな花弁を眼に写し、夏美は本  
当に、久々に少女らしい屈託のない喜びを感じてくれたらしい。水に挿すと言  
って奥に入っていく。中学生の頃より大分伸びた髪、伸びた手足、儚さと女で  
あることを知った表情。ふるいつきたくなるような若さが後姿にまで溢れてい  
るのに、近づくのを戸惑う憂鬱さが、薄い肩に残っていた。食卓の明るい色の  
テーブルクロスが眩しい。とろみのある一汁一菜に、小鍋に入ったポトフ。  
白いごはん。大分ケロン風の味付けになってきた夕食を終える。夏美は苦笑し  
ながら「これで美味しいの?」と聞いてくる。デザートはチョコレートフォン  
デュだった。心臓がどくどくと脈打った。酒は飲めない。煙草はやめていた。  
人差し指ほどの長さの竹串で小さなイチゴやバナナの切ったのをカカオ色で包  
み、お互いの口に運ぶ。風邪をひいた白猫のことを中心とした会話が一旦途切  
れて、静かになる。テレビはつけていなかった。竹の骨の上で、軽く唇が合わ  
される。がたと椅子から立ち上がり、身体と身体が近づいていく。俺の背中に  
小さな手と細い腕が回る。俺はただ圧迫を加える。チョコレートも悪くない。  
食後、俺は明日の準備を、夏美は片付けを行う。その後の一戦が習慣だった。  
シングルのベッドの上で、仰向けのままの俺のすべてを受け入れる夏美と、  
大分きつめのそこに、心底陶酔する。身体の一つ一つを愛したいと思うのに、  
いつもこちらだけが愛されているような気がする。愛情を口戯と俯いた顔で  
表現している夏美を見下ろし、守り続けてきてよかったと思う。愛し足りな  
いという想いはあるのだと、この歳になって知った。  
まとめてシャワーを浴び、まとめて寝る。熱いシャワーで一時覚醒した頭を  
硬い枕に押し付けると、刈り込んだ髪がちくちく当たる。目が冴えていた。  
すると、いつも抑え込んでいる不安が頭をもたげてくる。それは、自分亡き後  
の夏美の運命だった。ぽつんと独りになった夏美を想像するだけで頭が狂いそ  
うになった。正式な婚姻関係ではない夏美に遺族年金などが支給されることは  
ないだろう。仮に自分が突然死んで無一文で放り出されたら、占領者と一緒に  
いた女としてポコペン人の間でどんな目に遭わされるか知れない。ただでさえ  
人の足を引っ張りたがるところのある連中だった。冬樹の学費は日向家の財産  
の一部に加えて俺が大分前借して払い続けているから、実のところかつかつで  
暮らしている。兄の顔を思い出し、それを振り払った。俺は腹の底で人生をど  
う使うか決意する。ある応募を決めた。  
 ギロロは泊まりがけや、数日をかけた任務が多くなった。仕事だから仕方無  
いが、できればもっと側に居て欲しいと夏美は思った。帰ってきても疲れきっ  
ていて、やたらと怒りっぽくなっていて諍いも多くなる。ただ、ある日寝に帰  
ってきたようなギロロの口から迷った末に出た「北条睦実はまだ生きている」  
という言葉を聞いて、ギロロの考えていること、していることを察知し、密か  
に涙した。その任務のうちには、工作を狙う敵性宇宙人の排除や、降伏を認め  
ない地球人との戦いも含まれているのだろう。それぐらいのことは分かるよう  
になっていた。夏美はギロロのこと以外気にしないことにして、中学生の頃の  
ようにどこでも元気で振る舞い、誰にでも笑顔で接することに決めた。買い物  
に行くために紺色の戸を開ける。ケロン人と出くわす。相手が顔をしかめるよ  
りも先に、心からの笑顔で挨拶した。  
「おはようございまーす!」  
 
 どうしてこんな目に遭うんだろう。夏美は息切れしそうになりつつ走ってい  
た。明るく振舞っていると、はじめは戸惑っていたものの、挨拶を返したりす  
る者もでてきた。ケロン人地球人問わずにだ。こうして日々を楽しくしていこ  
うとしていた。しかし、一部の人間の目には気に入らないと映ったらしい。夕  
暮れの裏路地をケロンの愛人、淫売という言葉をぶつけられて酔漢らに追われ  
る夏美がいた。だが幸運なことに、かつて日向家に居候していたクルル曹長が  
偶然現れ、あの特徴的な含み笑いをすると、それだけで慌てて汚い男たちは 
去っていく。「金髪のケロン人がポコペン人を大っぴらに実験材料にしている」 
という噂は本当だろうか。  
「く〜っくっくっくっ」  
細いフレームの眼鏡の奥から夏美を見て陰気に笑うと、太陽に飽いたような  
金髪のクルル曹長は人差し指と中指を揃えて夏美に挨拶した。  
「奥さん、も大変だねぇ」  
弱々しく微笑んで頷くだけで精一杯だった。クルルが少し眉をひそめる。  
「…送っていってやろうか」  
「ありがと」  
「肩でも組んでスキップするかい。ク〜ックック」  
「…ちょっと離れて歩いて」  
「ちょっと見ない間に、大人になったもんだな」  
「あんたたちは変わらないわね」  
 
 小声で、一つ屋根の下に暮らしていた時のように、軽口のような悪態をつき  
あう。何だかあの不愉快だったクルルがいいやつに見えた。しかし、彼の口か  
ら睦実という名を聞いて、夏美はぎくりとした。月が「陥落(満月にケロン軍  
のマークがくっきりと浮かび上がった)」して、地球人の多くが初めて自分た  
ちが異星人に侵食されていたことに気づき、呆然騒然とした日。地球が地球人  
のものだった最後の日の記憶が蘇る。まだ信じられないような顔をして通いな  
れた場所に向う人々の中に、澱まない星があった。気がついたら声をかけられ  
ていた。あの時も寒かったっけ。  
「お早う。夏美ちゃん」  
少し背が伸びたようだ。相変わらず目が綺麗だ。  
「あ、623さん。おはようございますっ」  
耳まで毛糸の帽子を被っていて寒そうだ。  
「今から学校?」  
平日なのに、どこかに行く様子もない。  
「あ、はい」  
とりとめもない話をしているだけなのに、あがっていた。顔は紅潮していただ  
ろう。とにかく、掴みどころがなくて魅力的なこの人から目を離すと、もう知  
らない場所に行ってしまっている気がした。その時だけは完全にケロン、惑星  
間戦争云々のことを忘れて話をしていた。  
「どうやらハジマッタみたいだね。今度は面白そーって言うより、やりにくく  
なりそーなんだけど」  
占領後のことを話しているらしい。イラストとポエムを職業にしている芸能人  
は、弾圧されたりするんだろうか。  
「ボケガエルたちも、何だか変なんですよ。まあ、いつものことだから、どう  
せ私たちが何とかしちゃうんですけどっ…」  
二日間の自宅監禁からやっと解放されたばかりだった。睦実は本心ではないこ  
とを聞いて夏美から目を逸らし、遠いビルの隙間の空を見ながら笑いを形作った。  
「まあ、お互い頑張ろうよ」  
餞別に睦実は持っていたメモ用紙にさらさらと「くりくりうさぎ by623」と  
でも描こうとしてくれたようだったが、夏美は途中で黙って睦実の手を止めた。  
そして足を上げて、睦実のバイクの助手席に跨る。十五秒経ってから、睦実は  
新たな紙に「ヘルメット(ポップなデザインのメット)by623」を描いて夏美に  
手渡した。夏美は受け取って623デザインを一瞥すると、目深にかぶった。  
いつだったかの雑誌のインタビューでいっそ耽美に若者の性について語った睦  
実に対し、夏美は同等の言葉を持たなかった。夏美は処女だった。それから二  
回ほど睦実のマンションに行った。ある時睦実はパソコンのディスプレイを見  
ていて、夏美はその後ろで座って本を読んでいた。しばらく一緒に過ごしてい  
ると、お互いの空気に慣れてくる。睦実はいかにも悪戯を思いついた子どもの  
ような顔と声音で、突然夏美に向き直って言った。  
 
「俺が地球のために戦うってどう? すごく面白い人生になると思うケド」  
その頃家庭内の喧嘩が絶えなかった夏美は、睦実の目を正面から見ずにこくん  
と頷くことしかできなかった。  
「あっそう」  
相槌のような反応に、睦実はまたディスプレイに視線を移す。伸び盛りの骨格  
に乗ったなめらかな肩がすくめられた。  
「俺、しばらく前からケロン軍にシツコク勧誘されてるんだよね」  
夏美が目を見開いて623の背中を見る。  
「宣撫放送の宣伝塔に、ケロンを持ち上げる詩を作れってさ」  
ふう、と睦実は溜息をついた。テレビでは明らかにケロン人の高官然とした人  
物が、日夜宣撫放送を繰り返している。曰く「我々はポコペン人の殺戮が目的  
ではない」「逆らったら全滅あるのみ」「地球上の資源はみんな征服者たるケ  
ロンのものとなる」「ケロン人は偉大で公明正大である」といったことを荘厳  
な言い回しで全世界に流しているのだが、視聴率は悪そうだ。  
「明るい星の海から来た異星人に身を任せてみよう。きっとシアワセになれる  
よ♪ とか書けって言うんだ…冗談じゃないんだよね」  
宣撫放送のアナウンサーの睦実など想像できなかった。断ればどうなるのかの  
想像もつかないが。  
「…クルルに相談するとか」  
「もう一切連絡とかしてないんだよ。この頃」  
それはそうだろう。とにかく連中はばたばたと忙しそうだ。異星人との奇妙な  
同居生活は、まるで前世の出来事だったような気分にさせられた。季節だけが  
動いていく。最後に623は冬樹宛の餞別を描いてくれた。実体化ペンが、姉と  
友の想いを空に描く。実体化したそれは、天へと上っていった。睦実は姿を  
消した。間もなく夏美はギロロ伍長と暮らし始めた。  
 
 あの頃の記憶が一気に頭の中に噴出し、曹長に訊いてしまっていた。魔獣の  
前に柔らかい腹を見せて寝転がるような失態だった。  
「睦実さんって今どうしてるか知ってるの?」  
クルルなら大抵の情報は集めてしまうことは知っている。純粋に安否が気に  
なった。  
「教えて欲しいのか。だったら…」  
そこでクルルの上着の胸ポケットからアラーム音が鳴る。ケロン軍の通信のよ  
うだった。  
 このボケガエル。狂いガエル。信じたのが大間違いだった。夏美はさっき  
クルルを見直しかけたことを心から後悔していた。大分ケロン占領スタッフの  
生活エリアに近づきつつあった時、無線で部下の接近を知ったクルルの行動は、  
とても常識では考えられないものだった。突然「隠れるぞ」と言い、思わず物  
陰についていった夏美をしゃがませると、ちくりの一針で動きを封じた。夏美  
のほぼ全身の筋肉が硬直する。道からは少々見えにくいところに夏美は屈んだ  
まま固まり、クルルは立っている。  
「よし、そこから来な」  
クルルが通信機で部下を呼んでいるらしい。夏美の目の前には、スパッツに似  
た不思議なズボンの股間部分がある。ケロン軍の中でも毀誉褒貶の毀と貶が激  
しすぎることで知られているというクルル曹長だ。何も怖くはないだろう。  
これ以上ないほど嫌な予感がした。苦い唾が口の中に湧き、これ以上のことを  
強いられれば舌を噛むか相手を噛もうと覚悟を固めた。クルルは一切合切を意  
に介さず、双眸に怒りを燃やしている夏美を見下ろして、歯を見せにやりと笑う。  
「本当に美人になったもんだな」  
夏美は動けない。不随意のパーツから体液が落ちる。  
「泣くな。危ないところを助けたんだ。このくらいはいいだろ?」  
ケロロ小隊の中でも頂点を争ったこいつの奇行の数々を思い出す。  
「喋るなよ。もし一言でも意味のある言葉を吐いたら、一生頭に毛が生えない  
ようにしてやるぜ」  
く〜っくっくっ。  
横隔膜が上下し、腹筋がぴくぴくと波打っている。感情に反応するのか、有機  
蛍光色のシャツが波打つように色を変えた。軍靴の靴音を響かせて、占領スタ  
ッフと思しき若いケロン人兵士が近づいてきたようだ。クルルの部下らしい。  
クルルを探していたらしく、真っ直ぐに二人のほうに近づいてくる。やがて近  
くに来ると、上官にあたるクルル曹長にケロン軍式の折り目正しい敬礼をした  
が、クルル曹長の下腹部の不自然さに気がついて、明らかに動揺した。  
 
「ご苦労」  
軽く答礼したケロン軍きってのマッドサイエンティスト、クルル曹長は時間を  
惜しむように、ある程度予想がついているらしい話の続きを促したが、若い  
兵士は呆気にとられて飄々としたクルルの表情と、彼のジャケットの広い裾に  
顔を突っ込んだ若いポコペン人女子の姿を目だけを動かして交互に見ている。  
クルルの服の裾に頭を入れている女はあろうことか、下半身を被う短いスカー  
トを腿の付け根までまくり上げ、膣口に大人の玩具を嵌めていた。ケロンの  
収縮ベルトで抜けないように固定されたそれはヒルを思わせる動きで蠢き、  
露出した花弁から地面に粘っこい雫を雨のように落としている。しかし身体は  
石膏の像のように不動であり、色づいていくだけだ。  
「ま、また後ほど」  
変態。今は軍務の時間だ。礼儀知らず。人を人とも思っていない。原住民虐  
待? 売春? あまりのことに、若い兵士はその場から離れようとした。  
その反応にクルルが口元を苦々しげに歪め、若い兵士を止めた。  
「待ちな。今話していけ。俺は忙しいんだ」  
「はっ、ですがっ」  
「こいつには何も分かりゃしないだろ。あの件はもう考えてあるんだぜ?」  
「いえっ。また後ほど出直します」  
「そうか。じゃあ、最敬礼していきな」  
理不尽ともとれるが困難ではない命令に、若い兵士はまさに目を白黒させた。  
クルルはおもむろに裾から覗く髪を掴んで、衣服の埃でも払うように強くが  
くがくと揺さぶる。ポコペンの少女は人形のように反応しない。  
「どうした、早くしな」  
その光景を見ていた兵士は軍律に染まったばかりの青さで、そのまま上官と、  
被占領者の少女に最敬礼をする。五秒、十秒、十五秒が過ぎてから、クルルは  
下がったままの頭に二言、三言告げた。上意下達が成り、兵士の肩の緊張が少  
し解けた。  
「分かったな。よし、帰って続けてな」  
兵士は顔を上げた。顔のない少女が激しく腰を振っていた。地面には小さな水  
溜りができていた。  
 程なくして、夏美は一応衣服を整えられたもののその場に一人取り残された。  
若い兵士は逃げるように去っていき、クルルは以外なほどあっさりと夏美を  
解放して、自分がいたすべての証拠を隠滅して消えた。服の裾に顔を入れられ、  
ずっと縫い目のないズボンの股間を見せられたものの、ほぼ目隠しされていた  
だけのようなものだった。麻痺は身体から取れつつあるが、感覚を一部遮断さ  
れながら性的刺激を与えられて、がくがくと頭を揺さぶられた十五秒ほどの間  
に淫夢を見た。走馬灯のように、一番強く記憶に刻み付けられた性的記憶が蘇  
った。さっきの薬は身体を麻痺させる他に催淫剤と幻覚剤も兼ねていたのだろ  
うか。まったくろくなことをしない。しかし夏美はそれほどショックを感じて  
いなかった。初めての時のことを思い出したからかもしれなかった。  
 
 地球の先住民たる地球人の諸族と、彼の敵性種族に対してケロンが圧倒的  
優位に立ったことが誰の目にも明らかになった時、夏美はギロロ伍長のもとを  
訪れていた。ギロロ伍長は状況が激変してから日向家とは距離を置こうとして  
いたようだったが、夏美は初めて自らケロンの下に赴いた。何ともいえない  
顔で自分を見て、それでも待っているギロロに夏美は目標達成を密かに確信  
する。二人の間の距離を縮めていく。夏美が真下から目の上を走る顔の傷を見  
上げた時、少しだけギロロの顔は赤らんだ。少しの間だけ623といた時に言わ  
れたことが夏美の頭をよぎる。  
ケロンの肌はどんな感触なんだろう。  
「夏美ちゃん、どうしてそんなにがっつくの?」  
623の匂いしかしないベッドの上で、半ばは察しているという表情で623は尋ねた。  
「俺で練習してるの? まだ急ぐ必要ないと思うけど」  
無防備な姿を晒しながら、それでも世間話のような口調で623は男の体のことを  
教えてくれた。  
「そーそー。あんまり力入れないで。痛いから。夏美ちゃんのここ、綺麗だね。  
ちょっといい?」  
嬌声。  
「…ケロン人も、これでいいのかな」  
ぐにぐにと手加減しながら力を加えると、623もそれに合わせて反応する。  
口の中に入ってくると、何だか生臭くて酸っぱい味が滲んでくる。  
「いいんじゃないの?」  
「本当にありがとう。623さん。あとちょっとだけいい?」  
「別に俺はいいけど。…伍長のことが好きなんだ?」  
「…とっても。侵略されそうだったから今まで言い出せなかっただけ」  
「そう。夏美ちゃんって凄いね」  
地球人の皮膚がうっすら汗ばんだような手は、やはりしっとりした感触だった。  
「はしたない真似をするな!」  
 
 ギロロは最初夏美を拒絶した。欲し続けていたものが、今やほとんど一存で  
自由にできる状況になったが故の拒否だった。侵略作戦が一応完了した時に改  
めて自分と夏美の今後を考えたとき、生殺与奪を握る立場で想い人に迫る、あ  
まつさえものにするなど、見下げ果てた所業に思えた。しかし会えば自分でも  
何をしてしまうか分からないと思ったのも事実だった。だから距離を取った。  
一時はこのまま、永遠に会うことを諦めるべきかとさえ思った。ところが、  
こんな時になって夏美は会いに来た。最後に見たときよりももっと綺麗に  
なっていた。それに違和感を感じた。  
「ケロンの侵略が上手くいったから媚びに来たのか!?」  
俺は何を言っているんだ。何故もっと穏やかに追い返せない。本心とかけ離れ  
た言葉にギロロは愕然とする。だが、意外にも夏美の双眸は自分を捉えたまま  
決して揺れない。  
「そんなんじゃないわ」  
「だったら、帰れ。ポコペン人」  
「嫌よ」  
やがてギロロは陥落した。つぼみの多い花束を受け取らされた、と思ったのは  
誤解だったのかもしれぬ。  
 十代後半の少女の服が辺りに寄せられ、侵略軍の軍人の肌は熱い滑りを帯び  
て少女の前に晒される。  
「夏美…」  
一抱えもある骨格と筋肉に恵まれた腰に腕と足を回し、夏美は足を締め、ギロ  
ロが離れないようにした。やおらギロロは夏美の尻の方から中に手を入れる。  
夏美は身をすくめた。いつもとは違う、充満するような熱さがギロロの身体か  
ら噴出している。汗ばんだような肉体がきらきら光っていた。興奮状態で体温  
と水分を噴出してしまう種族の本質に接し、夏美は何だかおかしかった。後ろ  
から忍び込んでくるトリガーを探す動きのそれは、夏美が知らないギロロの手  
だ。その手指もぬるついていて、自分から溢れてくるものと混じって、分から  
なくなる。膣口を被う襞を指の腹で濡らし滑らせ掻き分け、入り口を探り当て  
ようとしている。夏美の秘蜜が指に触れ、ギロロの頭は沸騰した。きつい肉穴  
に人差し指が進入していく。人差し指を最奥まで差し入れ、子宮に続く壁を突  
いてしまうと、夏美が背中を仰け反らせて震えた。抱きしめる力が強くなる。  
人差し指を第一関節まで抜き、また差し入れる。沼で暴れるかのような水音が  
響き渡る。気がつくと、コンクリートの壁が目の前に、夏美の体が下にあった。  
夏美と交わるのは初めてだった。そんなことを頭の隅で思い、ギロロは地球人  
の少女に中心を押し開く重圧を与える。愛を扇情行動に変えるくらいに大人に  
なっていた少女に密かに驚く。細い足首を掴んで開き、その中心に位置した。  
夏美は唇を細く開け、その重圧に耐えようとしていた。一センチ沈むたびに唇  
が開いていく。根元まで沈みきってしまう前に、口を大きく開けて息を弾ませ  
ていた。ギロロは想い人の内面に沈殿しているだろう滓を掻き出すため、深く  
深く抉った。一深五浅など考える間もなく溺れる。赤黒い怒張が足の間の狭い  
入り口に強引と思えるような勢いで潜り込み、引き出される。未だにギロロと  
夏美の全身から分泌される体液で、辺りには一種淫靡な空気が満ち満ちていた。  
二人ともお互いを覚えようという気持ちで、互いを見合い、互いに交わる。  
夏美にあまり負担をかけないように入ってくる膨張は、しばらく夏美の心中を  
行き来していたが、ある時ある場所を擦り上げた感触で背中と足首が同時に震  
えた時、夏美の体は完全に力を抜いてギロロを受け入れた。奥を突かれる度に  
声が出て、辺りで何が起こっているか気にならなくなる。足を開き、受け入れ  
ているものを締め上げると、ますますどうでもよくなってくる。豊かに揺れる  
乳房の先に尖った乳首の脇にいくつも残った唇の跡を見るだけで、秘部が痺れ、  
その奥が痺れた。胸を掴まれ首筋に顔を埋められたまま角度を変えて貫かれる  
と、独りでに腰が動いて音を立ててギロロを愛し、達していた。食い付いたま  
ま、気だるげに横たわる。  
 ケロン軍による地球占領が宣言され、占領計画通りに東京にケロン軍占領管  
理区本部、占領スタッフ生活エリアが出現した。そこに近づく地球人は極めて  
稀だったが、夏美はそのうちの一人だった。しかも下士官の部屋に住むように  
なっていた。  
 
 人通りのない路地裏で、二人の男が対面していた。追う者と追われる者は、  
しかし逆の立場の目をしていた。  
「北城睦実だな」  
血の通わない声色で、ケロンの赤い下士官は追い詰めた地球人を誰何した。  
ありあわせのようなダスティな色の衣料を着込んでいるにも関わらず、垢抜け  
た空気をまとった青年がギロロの顔を、発砲可能な状態の銃を見ながらポケッ  
トに手を入れる。  
「動いたら射殺する」  
「久しぶりじゃん。伍長」  
こいつの目は変わっていない。データによれば、北城睦実、詩人、絵描き。  
占領当初、その才能に目をつけた占領軍本部に勧誘されるも失踪。今や定期的  
な「映像テロ」や「地下詩集」も順調に出している指名手配の「テロリスト」  
だが、自分は以前の睦実を知っていた。まったく変わっていない。こいつは  
こいつのままだ。宣撫教育の歯車になっていれば、特別優遇されたものを。  
それを思ってどこかでほっとしている自分がいた。そんな自分に、ギロロを  
ギロロたらしめる部分が唾を吐いていた。  
「やはり貴様か」  
ギロロはまだ少女だった夏美が男の身体についてある程度知っていたことは  
薄々気づいていたが、何も言わなかった。相手は察しがついていた。  
「全然変わってないね。でも夏美ちゃんはシアワセだろうね」  
透明な睦実に対し、ギロロの目は怒りと嫉妬に濁り、表情も露骨に苦々しくな  
っていく。追い求めた獲物を目前にした狩人のそれに、ギロロの全身が変質す  
る。しかし駐留軍の法に従い、一度だけ任意同行を求めた。  
「大人しく実体化ペンを渡して一緒に来い。そうすれば手荒なまねはせんと  
約束する」  
「イヤだね。占領地で捕まったネズミの運命なんて、檻に入れられてこれだろ?」  
睦実は耳のところで人差し指をくるくると回す。逃亡生活の緊張感や身の回り  
に構うことのできない実態は一目瞭然なのに、眼は数年前と変わらず、憎らし  
いほど何処までも澄んでいる。表情はむしろ生き生きしていた。ギロロは恋敵  
を見る眼で応えた。  
「どうだか。最近は経費削減が叫ばれていてな」  
「夏美ちゃんは元気にしてる?」  
ギロロの顔が強張った。  
「貴様っ」  
 
 ギロロは射るような視線を睦実に向けていたが、反射的に背後にいた誰かを  
殴っていた。もんどりうって倒れ伏した、まだ少年の睦実の仲間がいた。とこ  
ろが顔を見ると、それは小洒落た服を着込み、自由を謳歌していた数年前の姿  
の睦実だった。唇が切れ、ギロロの殴打を受けて吹っ飛んだ。一瞬ギロロは目  
を見開いた。その隙を見逃さず、ややくたびれた方の睦実の手が青い粗布の上  
着から滑り出す0.1秒であやしき筆が宙を走り、この世ならざる幻想が壁となっ  
て現出する。それは昔の日向家の匂いがした。遠ざかりつつある睦実に、ギロ  
ロは叫んでいた。  
「お前が軍本部から勧誘されていた時、一緒にいたという女は誰だ?」  
答えはない。  
「お前か!?」  
幻想の壁の向こうで、睦実がバイクのエンジンを吹かした。そしてあっという  
間に逃げさってしまった。ギロロはその方向に向って銃を構えたが、やめた。  
倒れ伏した少年は一枚の紙に戻ってしまっていた。クルル曹長を一生許せそう  
にもないが、ギロロの胸からは睦実に対する嫉妬や憎悪といった感情が消えて  
いた。自分はあんな子どもの、過去の行為に執着していたのだと知った。これ  
からは冷静に追いかけられそうだった。  
 そこからさほど離れていない場所。やや上気した顔で、そろそろと夏美は立  
ち上がり、歩き出した。もう、早く帰ろう。散々だったけれど、一番印象に残  
っている初めての時のことを思い出した。クルルが言い残したところによると、  
現在の睦実は一説には謎の武器実体化ペンと己のイマジネーションのみを武器  
に侵略者に抗戦している勇士として祭り上げられているらしいが、それは勝手  
に創造されたイメージだろう。  
「最近ラジオもイラストも検閲とか厳しくてさ。参ってるんだよ。折角、どっ  
ちにとってもおもしろくしようと思ってんのに」  
案外、追われるようになった今を楽しんでいるのかもしれない。つかみ所のな  
い言動と涼しい眼差しを思い出す。じっと顔を見つめていることしかできなか  
ったけれども。あの時もデニムのジャケットを無造作に着ていた。  
「あ、お久しぶり」  
「ど、どうも」  
青年になった睦実が走りすぎて行った。後には排気ガスだけだ。たった一瞬の  
邂逅だった。睦実はそれきり見えなくなった。  
 
 ギロロと夏美は、口外厳禁の日を過ごして別々に帰宅した。いつもどおりに  
笑顔の夏美がギロロを出迎える。ほとんど同時に、ギロロの兄のガルル中尉が  
来訪した。三人で夕食をともにする。タイミングよく、夏美はおかずを一品多  
く作れるだけの材料を買ってきていた。ガルルは透明な寒天の中にヤドクガエ  
ルのような色とりどりの蛙が遊ぶ、ケロン人にも人気の和菓子を手土産に持っ  
てきていた。今度ケロン星に一時帰還することが決まったので、土産は何が  
いいかなどとギロロに聞いているようだ。ケロンは湿原の星らしい。ケロン人  
の存亡に関わるケロン星乾燥化など、環境問題も大変なようだ。お茶を出しな  
がら、耳をそばだててみる。今は冬樹の話題になったようだ。元気にはしてい  
るらしい。帰り際、玄関先で挨拶をした時にはこう言った。  
「冬樹君だがね、身元引受人としても、彼が成長するのが楽しみだな」  
本当の目的は分かっていないのかとっくにばれているのか。ありがとうと礼を  
述べるしかなかった。  
「賢い子だな、と思っていたよ」  
ギロロは、まるで我が子が褒められているような顔をした。最後にガルルは  
地球全体のあらゆる媒体による通信が検閲を受けている現状において、懐中か  
ら取り出した包みを残し、何かを聞かれる前に退出した。二人は包みを手にし 
て取り残される。宛名はギロロ伍長様宛だった。  
「ファン?」  
「さあな」  
沈黙が夜の食卓に満ちる。ギロロは夏美を下がらせ、無言のまま包みを解く。  
 
 手に乗るほどの直方体。機械の感触はない。ずっと軽い。包み紙を剥がすと、  
また和菓子が現れた。その練り菓子には、金太郎飴のように人の顔が形作られ  
ている。赤い生地の中心に、笑顔の地球人四人と、顔に傷のあるケロン人男性  
の、デフォルメされているもののよく特徴を捉えた似顔がはめ込まれていた。  
ギロロは両手にそれらを乗せ、黙って夏美に見せた。それらの顔には二人とも  
覚えがあった。秋、秋奈、冬樹、夏美、ギロロ。二人で一しきり笑った後、  
夏美は秋の菓子を手に乗せて嗚咽した。無論食べてしまえば消化される。ギロ  
ロのところに行く日、抱き合って以来の匂いがかすかに残っていた。あの日も  
ギロロは私たちと一緒だった。  
「ママ…」  
その母に似て、日向夏美は強く美しかった。ギロロは目頭が熱くなるのを感じ  
る。視界がぼやけると、長い付き合いの白猫が静かに二人の間に来た。  
「今度、会いに行くか」  
夏美はマフラーに顔を埋めたまま、首を横に振る。  
「俺たちは、家族だ」  
ギロロは夏美を抱きしめた。  
ある年の初夏に、ギロロ伍長は休暇を一日取り、二人だけの旅行に出かけた。  
軽い足取りは日向姉弟の母の実家のある山奥に向かった。二人だけの懐かしい  
道中に二人は声を出して笑い、破天荒だった思い出を話し、腕を組んで弾むよ  
うに歩いていった。  
 

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