ドドドド……  
 走る。そこへ到達するという目的に向けて、碧髪の青年はひたすら公園の中を爆走していた。  
いつもは人が散歩しているような遊歩道も、この天候のためか非常に閑散としている。ケロロの  
行く手を遮るものは、あたかもその必死な激走を嘲笑うかのように吹き付けてくる冷たい風だけだ。  
「マズイでありますっ! こうしている間にもモア殿は――」  
 走りながら吐き出す息が濃い白色となって目に映る。モアの身を案じて今どうしているのかと  
何度も何度も想像するが、回を重ねるごとに到達する結果は悪化し、不安は余計に高まるばかり  
であった。  
「はぁっ、はぁっ。この辺りのはず……」  
 そうして息を切らしながら待ち合わせ場所の辺りまで奥に進んでいく。キョロキョロと辺りを見渡して  
モアを捜すが、本当に人の気配がしない。やはり普段よりは大分捜しやすいはずだ。  
「むっ、あれは……」  
 少女が仰向けにした身体をこちら向きに傾けるようにして、木のベンチに瞼を閉じて横たわっている。  
人気が無いというのもあるが、金色の髪と褐色の肌が冬の景色と対照的で、遠目でもハッキリと  
待たせている娘であることが特定できた。  
 ケロロは疲れた身体の力を振り絞り、ヨロヨロのペースでその場へ駆け寄る。近くで改めて少女を  
見るが、その見慣れた顔に間違いはなかった。ケロロはふうっと一息ついて、ガックリと前のめりになり  
両膝に手をやる。しばらく疲れた呼吸をしていたが、それなりに音を立てて接近した自分にもまるで  
気付いていないのか、少女は微動だにしない。  
 
 自然が彩る公園のベンチで横たわる美少女。急いできたことを忘れ、どことなく引き寄せ  
られてしまうような魅力がそこにはあった。これが春の木漏れ日が差し込むような季節で  
あれば、額に入れて飾れる一枚の絵のように見えて感動できたのかもしれない。しかし  
そんな芸術的な心境も、冬の寒さが現実へと引き戻させる。しばらくそこで突っ立っていた  
ケロロはハッとして、静まりかえった少女の顔を覗き込み、その名を呼んだ。  
「モア殿っ! 大丈夫でありますかっ、モア殿――ッッ!!」  
 しかし、呼び掛けるだけでは簡単に応じないようだ。本格的に焦ってきたケロロは、モアの  
肩を両手で揺すりながらその名をもう一度呼ぶ。  
「ぉ……さま……」  
 モアは消え入りそうなほどの小さな声で、ケロロのことを呼んだような気がした。ケロロは  
モアが無事であったことを知って、ホッと気を緩める。  
「お子ちゃまで悪かったわね――――っっ!!」  
「ひえぇぇっっ!?」  
 気持ちを落ち着けたと思った瞬間に突然モアが大声を上げ、ケロロはビクゥッと身体を  
震わせた。心臓をバクバクと鳴らしながら少女の様子を確認すると、どうやら何かの寝言  
だったらしく、今も時折「うーんうーん」と唸っている。夢の中で何か大きな展開があったの  
かもしれない。  
「あー、ビックリしたー……。まあしかし……」  
 胸に手を当てて気持ちを落ち着かせながら改めて注視するが、短いスカートの影から伸びて  
いる生脚がとても寒々しい。普段であれば目を惹きそうな異国を思わせるキャラメル色の内腿も、  
この寒冷な空気の下では見ているだけで鳥肌が立ちそうなものだ。  
 やはりこのまま寝かせておくのはよくないだろうと思い、ケロロは引き続きモアを起こそうと  
肩を揺する。今度は驚くことがないようにと、少女の様子に注意しながら。  
 
 ――モアは夢を見ていた。自分の姿を外から見るという夢ならではの不思議な視点で、  
そこに映っている自分を見つめている。地球の1999年という時を待ちながら、ジッと一人で  
佇んでいる時だろうか。恐怖の大王に課せられた宿命とはいえ、遠い故郷やそこにいる  
者たちのことなどが霞んでしまいそうな、気の遠くなる孤独である。  
 正直、あまりいい夢ではない。目の前の自分は眠っているから気付かないが、これを  
客観的に見てみると非常に寂しく映る。  
(何だかとても寂しい……。てゆーか孤立無援?)  
 少女の顔を見つめていると、まるで鏡を見ているかのような不思議な気持ちになる。だが  
さらに目を凝らしていくと、どうもその娘は自分と何かが違うように見える。姿形ではない。  
例えて言うなら――、それは雰囲気だろうか。  
 そもそも自分は、幾多もの星を破壊してきた恐怖の大王、アンゴル=モアである。今いる  
地球ですら破壊しにやってきたのだ。しかしどうだろうか? いざそのことを考えた時に、  
今の自分はそう簡単にこの地球という星を真っ二つに出来るだろうかと疑念が浮かぶ。  
少なくとも――  
(目の前にいるこの頃の私なら、何の躊躇いもなく出来るはず――)  
「…ぁ…どの……、モア殿……」  
「この声……」  
 そうやって解決しそうにない苦悩に悶えている中、声が聞こえてくる。どこからか――、  
そう自分の名を呼ぶ声は、耳に入ると凄く嬉しいケロロの声だ。  
 想い人の影響は偉大なのか、物寂しい夢の光景はあっという間に夏の日が差し込んだ  
かのように明るく彩られ、夢の淵へと落ちた意識を現実へと覚醒させていく。  
 孤独感が支配する状況でのケロロの呼び掛けは、渇いた心に強い感慨を与える。しかし、  
それを考えに入れても、この時のモアは普通の「嬉しい」という感情を超えた何かが湧き  
上がっていた。  
 長い時を経て再開を果たしたケロロの心を掴みたい。そして離したくない。どんなことを  
してでも――。未知とも言える強い感情と共に、モアは夢の中から登っていく。  
 
「ん……」  
「おおっ、モア殿! ようやく目を覚ましたでありますな。吾輩、心配で心配で……」  
 モアはうっすらと目を開けていく。心配したケロロが気持ちを抑えきれなかったのか、  
モアに手を回して抱き付いている。モアはしばらく寝起きの思考を働かせようとし、その  
うちに事の成り行きを把握した。  
「すいません。ご心配をお掛けしてしまって……」  
 そうやってモアが謝った後、ケロロはゆっくりと身体を離そうとする。しかし離れない。  
なぜかと思ってグイグイと力を込めて気付いたが、モアが身体をギュッと掴んだまま  
離そうとしないのだ。  
「どうかしたでありますか?」  
 ケロロがそう呼び掛けると、モアは我に返ったようにしてビックリした表情になる。  
「あ、私…? すっ、すいません」  
 そして自分自身の行動に驚いたようにいきなり身体の拘束を解くが、その表情はいつも  
より赤い。風邪でもひいたのではないか――。不安になったケロロは、掌をモアの額に  
押し当てて熱を確かめる。  
「ふーむ。ちょっと熱いでありますな」  
「あっ、あのっ。私、別に熱があるわけじゃありません、多分……。てゆーか心配無用?」  
 なぜかモアはその行為を避けるようにして後ずさる。ケロロは不思議に思いながらも、  
心配そうに少女の顔をジッと見つめていた。だがケロロは気付いた。少なくともそう言った  
今ですら、どんどんとその面の熱は上がっていることに。  
 なぜなら、そのプニプニとしていそうな頬を中心として、顔全体が赤らんでいったからだ。  
病気による熱ではなく羞恥によるものかとも考える所だが、別に目を合わせることくらいは  
普段からよくあることで、その可能性は低いだろう。  
 ケロロはそう推理していくが、今のモアが人見知りをする子供のように、逆手にした両の  
手を困ったようにしながら口元に当てているのは事実なのだ。だとすれば、その可能性の  
高そうな方――、モアが身体に何らかの変調を来しているのではないかと考えるのも別に  
おかしいことではない。  
 
「ぁぁっ…そんな…。私、見られて……」  
 やがて、少女は落ち着かない様子で視線を右往左往させる。言葉を小さく刻むように発すると、  
両腕を胸の前で交差させ寒さに耐えるような格好で震え始めた。何かを恐れるような表情の中で  
怯えた瞳を見せられたケロロは、モアの両肩を掴み目を合わせて語り掛ける。  
「モア殿っ、やはり吾輩が待たせてしまったせいで体調が良くないようであります。今日の所は  
家に帰って――」  
 そうやって呼び掛けるが、モアは目を合わそうとしない。むしろ、それを恐れるようにして目を  
瞑って首を横に振る。しかしケロロは、駄々をこねる子供のようなモアの両頬を手で押さえて、  
やや強引に自分の方へと振り向かせた。  
 紅潮していた顔にさらなる赤みが掛かり、褐色の肌をいつもとは全く違った様相へと染め上げて  
いく。感情の起伏を表象するように目を大きく見開かせ、眉を苦しげにひそめている。その辛そうな  
表情にも比例した呻くような声で、少女はこう弱音を吐いた。  
「あぁっ…、もう…ダ…メ……。てゆーか絶体絶命……?」  
「んおっ!?」  
 突然だった。ケロロはモアにグイッと引き寄せられ、モアがケロロの胸に顔を埋める形となる。  
 少女が小さく震えながら熱い吐息を漏らしているのが感じ取れる。何がそうさせているのかは  
わからなかったが、モアの様子がいつもと違うのはケロロの目には明らかだった。  
「えーと…、モア殿?」  
 どう切り出していいのかわからず、取り敢えず名前を呼び掛けるケロロだった。モアはそう呼ばれ  
るとギュッとケロロを抱き締めて、色付いた声で切り返す。  
「ダメぇ…。離したくないんです、おじさまのこと……」  
 少女は涙で目を潤ませ、綺麗に揃った睫毛を栄えさせている。様子、雰囲気などから演技とは  
思えなかった。そのまま――取り上げられそうな玩具にしがみつく子供のように、モアはどんどんと  
きつい抱擁を求めてくる。  
 
「痛っ!?」  
 ケロロは手首と肘の間辺りで突如痛みを感じ、表情を歪ませた。自分が強く抱き付いていた  
ことがケロロに痛みを与えてしまっていることに気付くと、モアもさすがに我に返ったのか身体を  
密着状態から解放する。  
「おじさま、見せてください…。てゆーか異常発見?」  
 今のモアの方が余程異常なのではと突っ込みたくなる所だが、モアはそんな狼狽えている  
ケロロなどお構いなしにコートと上着の袖をスルスルと捲っていく。徐々にケロロの地肌が晒さ  
れていくと、その痛みを感じた所に濃い青痣が出来ていた。おそらくは、さっきこたつにぶつけた  
せいで出来たものだろう。  
「ふぉぉっ!?」  
 気の抜けるような間抜けな声がケロロの口をついて出る。その青なじみを見て若干血の気が  
引いていた所に、突然モアがその場を舌で捕らえ始めたのである。  
「こっ、これはどういう事でありますかっ!?」  
「おじさま、私知ってます。こういう傷には舐めると治癒効果があるって。だから……」  
「そっ、それは外傷についてなのでは? って、はぅ……」  
 少女の柔らかな舌が、唾液の水音混じりに内出血をした患部を優しくなぞり上げる。変わり身の  
慣れない肌のせいか、そうやって軽く舐められるだけでも甘い痺れのような感覚が鋭敏に伝わって  
いった。  
「あむ…ん…、んっ、ふぁっ……。すいません……」  
 ケロロの押し出されるような籠声を聞くと少女は舌先を一端離し、申し訳なさそうな顔をして謝罪した。  
急な刺激にケロロが痛みを感じないようにと、舌と患部との接合力を微妙に調節する。  
 今度は先程よりも優しく慎重に、主人にじゃれつく子犬のようにペロペロと…。そのくすぐるような  
微細な刺激が、変わり身の青年を襲っていく。  
 
「っく…、モア殿っ……。しかし、無理にここまでする必要は――」  
 間接的ではあるが、この行為への抵抗をモアに伝える。しかし、それを聞いたモアはキョトンと  
するだけで、その本心まではわからなかったらしい。  
「私なら平気です。おじさまのためなら何だって…、何だって出来ますから。てゆーか粉骨砕身?」  
 それが本意であることを証明するように、モアは心底嬉しそうに微笑んだ。そして一端離した顔を  
再度近付けると、患部をいたわるように舌戯を繰り返す。  
「はぅっ…、はぁ…ぺろ、んむぅっ…れろっ……ちゅ、ぴちゃ……」  
 薄くなぞったかと思うと、表皮の毛に触れるか触れないかといった距離でいじらしく往復させるなど、  
そのあまりにも繊細な刺激に、ケロロは拷問のようなもどかしさを感じていた。  
「もっ、もう大丈夫! モア殿のお陰でもう痛くないでありますから、さあっ」  
「んぅっ!?」  
 堪えきれなくなったケロロは、熱心にケロロの痛みを和らげようとするモアからなかば強引に腕を  
引き離した。が、モアはそれに驚いたのもつかの間、すぐにケロロの背へと両手を回していって  
自分から包み込まれるように抱き付いてくる。どうしてもケロロを離そうとはしないらしい。  
(モア殿…、本当にどうしてしまったのでありますかっ?)  
 ここまでくると、まるで困るほどに甘えてくる子供のように見える。その事が昔の本当に小さかった  
頃のモアの姿をフラッシュバックさせるが、強い視線を感じて考えは打ち消された。思いの中とは  
変わって大分成長を遂げた少女は、長身と化したケロロを上目に覗き込むようにして瞳の先を向けて  
きている。  
 興奮の熱がこもった甘美な吐息を漏らす普段は純真なはずの少女。そのはずなのだが、今現実と  
して目の前に存在するのは、ウルウルとした切なげな瞳で自分を見据える、女としての雰囲気を前面  
に押し出した一人の異性であった。  
 
「ぁ…っ……!」  
 目を合わそうとしているのかと思って視線を向けると、驚いたように顔を赤くしてプイッと  
横を向いてしまう。それでも目を逸らすと不安になるのか、また怖ず怖ずとケロロの方を  
向いてくる。大胆に抱き付いてきながらも、その自らが為している状況を少し恥じらうように  
した様子もいじらしい。  
 自分に甘える少女の体温を感じながら、ケロロは首を振って否定したいほど苛烈に、その  
内なる衝動を駆り立てられていった。  
「おじさまぁ……♪」  
 淫らなほどに澱んだ情熱的な瞳。そこから放たれる熱視線が、快楽に耽っているような  
退廃的な妖声と混じりながらケロロに降り注がれる。モアは密着した身体を摩擦させながら  
ジワジワと這い上がるようにして、自分とケロロの顔とを近寄らせていった。  
(あ、抗えねぇッッ!!)  
 ケロロはその焦る心とは裏腹に、まるで妖艶な魔力に身を拘束されたが如く何の抵抗も  
出来ない。そのことに気付いた頃にはモアの赤らんだ顔がすぐ眼前まで接近していて、  
心の中で悲鳴を上げるしかなかったのである。  
「はぁぁ……」  
 二人の顔がかなり近付いていった刹那、今一度バッチリと目が合う。瞬間、少女は顔を  
一層切なくさせ、男を靡かせるような熱のこもった甘い息を吐き出した。そしてついには思い  
切った行動に出ようとする。  
 羞恥かそれとも喜悦か、顔を赤らめた少女は高鳴る鼓動と震える身体をグッと堪えるように  
して目を薄める。そして想いを噛み締めるようにひとつふたつと上下の唇を擦らせ合い、その  
麗しい唇を意識しながら背を伸ばしていった。目標は疑いなくケロロの口部――、口付けを  
求めようとしているのは明らかである。  
「えええええ!? ヤバイッ、それはヤバイですって奥さん!!」  
「私の…、初めて……」  
 モアの意図に気付いたケロロが悲鳴を上げるが、暴走するモアの耳にはわずかに入るだけ  
だ。その制止も届く様子はなく、どんなにここから足掻こうとしても蟻地獄に陥れられたかの  
如く這い出すことは出来ない。ケロロは最早、そんな世界へと完全に引き込まれていたのだ。  
(も、もうダメかもであります……)  
 ケロロがそう覚悟して身体をグッと強張らせた時、背後の空間が裂けた。  
 

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