「ハハ‥‥会議で遅くなっちゃったな」  
 
吉祥学園の玄関で慣れたスニーカーを履きながら、冬樹はぽつりと呟いた。  
木枯らしが身を切るこの時期、既に日は落ちようとしている。  
冬樹は懐から手編みの手袋を取り出すと、それを有り難そうに両手に通した。  
 
「わぁ、あったかい」  
 
かじかんだ指の先まで、ほんのりと優しい暖かさで包まれていく。  
最高級の毛糸で編み込まれたそれは、西澤桃華からのプレゼントだった。  
明るいピンク色をしており、甲の部分には可愛らしい桃のマークが刺繍されている。  
冬樹はクスッと笑い、愛情のこもった目でそれを見ると、玄関を抜け、入り口の階段を降りていった。  
 
桃華とは後でまた会う事になっている。  
第xx回オカルト研究会の会議で、今夜は特別野外授業をする、と  
半ば強引な意見が通った。  
冬樹は二度目の海洋調査に行きたいと言ったのだが、何故か桃華の激烈な反対に遭ってしまい、  
結局却下された。  
 
そして野外活動が決まるや否や、桃華は冬樹に手製の手袋を渡し、飛ぶ様に帰ってしまったのである。  
「準備をする為」と言っていたが、  
オカルト調査の準備をするのでは無さそうだ。  
 
とにかくその日、日向冬樹はいつもより少しだけ帰りが遅かった。  
そしていくつかの偶然が、彼を思いもしない修羅場に引きずり込んで行くのである。  
 
冬樹は薄暗い校舎の陰を背負いながら、一人帰り道に着こうとしていた。  
校門まであと少し、10メートルを切ろうとしたあたり。  
 
妙な物音が聞こえたのはその時だった。  
物音と言うよりは声、それも不気味な声だった。  
男とも女とも区別がつかない、誰かが呻くような、それでいて切ない声。  
オカルト好きの少年は、たちまち好奇心を激しくそそられた。  
 
(何だろう、こんな声聞いた事ない‥‥)  
 
耳を澄ましてみる。しかしもう声は聞こえなかった。  
勘違い?いや、違う。  
冬樹は既に足取りも軽く、声の聞こえた校舎裏へと走り出していた。  
 
辺りはもうかなり暗い。辛うじて西の空が群青色を保っていた。  
そんな中、校舎裏で妖しい声が聞こえるとなれば、色んな意味でいい気はしない。  
しかし冬樹はそういった気分が悪くなるような事でも、  
とにかく自分の目で確かめたいと思う性格の持ち主だった。  
 
そして彼は見てしまったのである。彼にとっては辛く、衝撃的な場面を。  
 
不思議な声を追って校舎裏へとやって来た冬樹は、背の高い木立群の中にたどり着いた。  
 
 
鬱蒼と茂る草木の奥に、微かに人の気配が感じられる。  
 
(人?)  
 
そう、そこにいたのは宇宙人でもなければ幽霊でもない、ただの二人の人間だった。  
薄暗くてシルエットしか判別できないが、  
茂みの奥で、何やら小さな声で話し合っている。どうやら男女の様だ。  
 
冬樹は失望した。  
生身の人間なら、自分の期待していたオカルトとは無関係。  
お取り込み中ならなおさら構うべきではない。  
冬樹は軽いため息を漏らすと、くるりと茂みに背を向け、静かにその場を立ち去ろうとした。  
 
校舎の角まで抜き足で歩き、正面玄関に回り込もうとしたその時、そこで冬樹の足が止まった。  
彼を引き止めたもの、それはまたしても「声」だった。  
それは、先刻まで冬樹を突き動かしていた  
オカルトに対する好奇心とは別の力で、彼の行動に働きかけたのである。  
 
朧気に耳に入ってくる男女の会話。 聞き覚えがある―知っている声だ。  
冬樹は俯いていた顔を上げると、再び茂みの奥へと目を凝らした。  
よく見えない。何となく知っている人影の様な気がする。その時、地平線の向こうに太陽が完全に没した。  
空は濃い紫色に染まり、街灯の明かりがその闇を切り裂いた。  
校舎裏、今まで隠されていた二つの影が、外からの光を浴び、フワリとその姿を現した。  
 
冬樹は愕然とした。  
その中に冬樹の知っている者は確かにいた。  
 
でもまさか、思いもしていなかった  
―それが東谷小雪だとは。  
 
(東谷さ―)  
危うく声を出す所だった。冬樹は慌てて開いた口を閉じると、  
自らも街灯の明かりに照らされないよう、近くの草むらに身を沈めた。  
高まる関心と混乱。  
冬樹は胸のうずきを何とか自制しつつ、目の前に広がる光景をもう一度よく確認した。  
 
以前より少しだけはっきり声が聞こえてくる。  
「今度はいつ会えるの?」  
「その時に連絡します」  
男の方は声も顔も知らなかった。黒のスーツに身を包んだスラリとした体型の若い男で、齢は30前後といった所か。  
脇にはありがちなビジネスバッグが置かれている。  
典型的なサラリーマンタイプだと冬樹は思った。  
 
そしてもう一人の女―いや少女は、明らかに冬樹の知る人物、くのいち少女の東谷小雪だった。  
特徴的な声の抑揚、青緑色の後ろ髪を長く一本に束ね、背丈は155p位と小さい。  
何より全身からあふれ出す独特の忍のオーラが、小雪である事を証明していた。  
 
(何で‥‥?)  
冬樹の頭に、いくつかの疑問符が浮かんだ。  
何故彼女がこんな場所にいるのか、見知らぬ男と一体何を話しているのか。  
できれば飛び出していって、直接本人に聞いてみたい。でも何故かそうし難い雰囲気があった。  
理由は解らないが、冬樹にとっては生理的に不愉快な空気だった。  
 
「小雪ちゃん可愛いから、またすぐ会いたいな」  
男が下卑た笑いを浮かべ呟いた。  
 
「できれば学校以外の場所でお願いします」  
 
答える小雪の声はどことなく冷たい。少なくとも冬樹の知る生気と明るさに満ちた声では無かった。  
「こんな時間じゃ、誰かに見つかるかもしれませんし」  
感情のこもらない小雪の言葉に、男は曲がった口端をさらに歪めて答えた。  
「ごめんね、でも学校ですると興奮するんだよ‥‥小雪ちゃんの制服姿も見たかったし」  
 
男の声は冷静だが甘ったるく、鼻につく声色だった。まるで自分の玩具を弄ぶ子供が変声期だけを迎えて喋っている―そんな感じだ。  
「はい、じゃあお小遣いね」  
男は上着の内ポケットから財布を取り出すと、何枚か札束を引き抜き、それを小雪に手渡した。  
小雪の表情は相変わらず冷めたままだ。  
 
「家まで送ろうか?」  
男が帰り支度を整えながら提案する。結構です、と小雪は相手の顔を見ずにきっぱりと答えた。  
男は少し残念そうな色を浮かべると、小雪に惜別の言葉を残し、裏門の方角へと消えていった。  
 
(そんな‥‥)  
冬樹は向こう側の闇に溶け込んでいく黒い影と、それをチラリとも見ずに報酬を確認する小雪の姿を見て  
胃が締め付けられる思いだった。  
この余りにも淡泊な関係。ニュースで何度か見たことがある。  
信じられない、そして信じたくはない。でもあの会話、現金の受け渡し、そして微妙に乱れた小雪の服装‥‥  
否定できない。むしろその可能性が高かった。  
彼女は―援助交際をしている。  
 
(援助交際‥‥)  
そんな事あるのか。いつも無邪気に笑うあの東谷さんが。  
冬樹の思考は、自分が思っていた小雪のイメージと目の前で怒った不愉快な事実との衝突で  
均衡を失い、不安定に中空を漂っていた。  
 
そう、正に彼は一瞬「うわの空」だったのである。  
だから空想を断ち切ってぼやけた視界が元に戻った時、今まで見えていた小雪の姿が消えた事に気付かなかった。  
「何奴っ!!」  
鋭い声が闇夜に響き渡る。  
バサバサと枝葉が切れ落ちる音がして、冬樹の目前の空間が一気に開けた。  
どこかで金属製の何かがぶつかり、弾け、地面に突き刺さった感触がする。  
 
小雪は気付いていた。  
先ほどから遠く、木陰に潜んでいた人間の気配に。  
怪しい相手には所構わず飛び道具を見舞う。それがこの少女の悪癖だった。  
 
「冬樹、くん?」  
切り払われた茂みの中から、一人の少年が驚愕で目を瞬かせながら小雪を見上げていた。  
 
 
「‥‥‥‥」  
しばらくの間二人はただその場で立ち尽くし、お互いの瞳を覗き合っていた。  
☆      ☆      ☆      ☆   
「じゃあやっぱり見ちゃったんだ‥‥」  
小雪は諦めた様な調子で切り出した。  
二人は既に学校から移動し、近くの公園のベンチに並んで腰を下ろしている。  
雨風にさらされた古い公園で、辺りにはもう人気がなかった。  
 
冬樹は両手にはまったピンク色の手袋に目をやると、ふと桃華のことを思った。  
 
(たぶん、まだ時間はあるけど‥‥)  
まさかこんな事になるなんて。悲痛な気持ちは抑えきれなかった。  
それでも冬樹は口を開いた。黙っていてもこの重い空気は消えない。  
 
「でもどうして‥‥?」  
真っ直ぐに質問してくる冬樹の視線を横顔で受けとめながら、小雪は少しだけ笑ってみせた。  
「自分の為です」  
冬樹の表情は冴えなかった。そんな返事じゃ納得できない。  
小雪は一呼吸置いてから、丁寧に言葉を継ぎ足していった。  
「忍びは現代ではもう生きていけない‥‥だから私たちは普通に生きていく事を決めた」  
 
小雪の目は微動だにする事なく、正面の虚空を見つめている。  
冬樹はこれまで、こんなに寂しい小雪の顔を見た事がなかった。  
「でも普通に生きていく為には、どうしてもお金が必要なの」  
「それって学校とか?」  
「うん‥それに夏美さんとのデートにも」  
「でもそれなら他にもっと良い方法が‥‥」  
 
そこまで話が進んだ時、小雪は冬樹に体を向かい合わせてはっきりと言い放った。  
「これが一番効率がいいんです、身を売る術はくのいちの得意技ですから」  
「‥‥‥」  
冬樹は小雪の目を食い入る様に見つめた。  
その瞳の奥には吹っ切れた人間だけが放つ、一種独特の光が湛えられている。  
忍のプライド―自分の問題は自分で解決する―情けは無用。  
冬樹にはそんなメッセージが込められている様に思えた。  
 
それじゃあ姉ちゃんや僕、それにドロロ達は東谷さんの力になれないっていうのか。  
やりきれない思いに、冬樹の胸は痛んだ。  
友達が困ってる時に何もできないなんて。それじゃあ何の為に―  
「冬樹くん」  
不意に小雪の言葉が思考を遮った。  
 
「分かってるとは思うけど、この事は夏美さんには内緒にしておいて欲しいの」  
「え?」  
それは冬樹が予想していなかった要求だった。  
「夏美さんには私の汚い所、知られたくないから‥‥」  
 
冬樹は丁度、姉のことを考えていた。小雪にとって姉は大切な友達ではないのか。  
「姉ちゃんはそんな事で東谷さんを嫌いになったりしないよ」  
明暗を分けたのはその台詞だった。なぜ素直に「うん」と言わなかったのか。冬樹自身にも分からない。  
ただ反射的にそう答えてしまったのである。  
 
小雪の顔つきが変化した。  
全身を硬直させ、何かを警戒するかの様に押し黙っている。  
「いつかは話さなくちゃいけないと思う。きっと話せば楽になるよ。辛いことだからこそ、大切な人には話すべき。それが‥‥本当の友達だよ」  
 
痛々しい程の理想論。何もかも理解し合える夢の様な関係を、この少年は本気で信じていた。  
ただ、純粋であるが故に。  
「ダメです!夏美さんには‥‥夏美さんには、こんな事知らせる必要なんてない!」  
少女の言う事は正しかった。誰もが深い関係を望むワケではない。  
小雪にとっては夏美と他愛もないおしゃべりをして、意味もなくじゃれ合う事ができればそれでいい。  
そしてそれが何よりの心の支えになっていた。  
 
「‥‥‥‥」  
珍しく取り乱した小雪を見て、冬樹もさすがに閉口した。  
ただそれでも、自分の考えが間違っているとは思わなかった。  
 
小雪は勢いのあまり、いつのまにか身を乗り出してしまっている。  
両手をベンチの上に突き出し、上半身をしなやかに折り曲げ、顔は冬樹に触れる程近くまで寄せられていた。  
しかし、そこまで大胆に迫り懇願しながらも、小雪は既にある算段を整えていた。  
(口止めするしかない―)  
 
自分にとって何より恐ろしいのは、夏美に援交の事実がバレる事だ。  
夏美さんが私の事を嫌いにならないなんて保障がどこにある?どこにもない。冬樹くんは甘い。  
小雪はすぐ前で白い息を吐きながら呼吸している冬樹を、チラリと上目で伺った。  
 
(この子は夏美さんに報告するかもしれない‥‥いや、きっとする)  
クサイと感じたら先に手を打っておく。忍びの基本だった。  
口封じするしかない。問題はその方法だった。  
冬樹に論理でかかっても適いそうにない。何か弱みを突ければいいのだが、果たしてそれが何なのか。  
 
その時、小雪に顔を向けていた冬樹の視線、が妙な動きを見せた。  
一瞬、何かを捉えたかの様に立ち止まり、それから急に目を逸らしたのである。  
まるで見るべきものではなかったものを見てしまったかの様な―。  
 
小雪はなぜか微笑していた。その動きが何を意味するのか、小雪にはすぐに分かったのである。  
そうだった。どんなに無頓着に見えても、冬樹は『男』である。男ならほぼ全員に共通の弱点がある。  
年頃からしても異性に興味が無いハズはない。  
 
小雪は制服の裏地に隠してあるポケットの中をそっと手で探ってみた。  
(よし―)  
材料は調っている。後は自分がうまくやるだけだ。  
小雪は今晩、もう一度だけ『お付き合い』をする事に決めた。  
 
夜空に、ちらちらと小さな粉雪が降り始めている。  
奥東京の街の明かりに照らされて空中を優雅に舞いながら、いくつもの結晶が冬樹達のいる公園へと注がれていった。  
 
(雪‥‥)  
 
冬樹はすっと頭上を仰いでみた。ここに来たときと比べ、月の位置がかなり移動している。  
きっともう、あまり時間は残されていない。  
(行かなくちゃ)  
 
冬樹は桃華とも約束を小雪に伝えようとした。  
しかし、ほんの少しの差で小雪に先を越され、冬樹は聞き手に回らざるを得なくなった。  
 
 
「ねぇ、冬樹くん‥‥」  
声のトーンがさっきまでと違う。落ち着いてはいるものの、その響きには妖しい含みが感じ取れた。  
冬樹はその声の主を直視した。目前に佇む少女は姿形こそ小雪だが、何かがおかしい。  
 
 
異様に優しげな目付き、口元に携えた悪戯っぽい笑みが特に不自然だった。  
「取引きしませんか?」  
「取引き‥‥?」  
 
園内には絶え間なく雪が降り注いでいる。しばらくの間、沈黙がその場を支配した。  
 
「うん‥‥もし冬樹くんがこの事を誰にも言わないって約束してくれたら―私、冬樹くんとエッチしてあげてもいいよ」  
「な、何言ってるの‥‥」  
冬樹は驚きで目を丸くしたまま、瞬時に小雪に問いただした。  
 
「冬樹くんだって私とエッチしたいんでしょ‥‥隠さなくてもいいんだよ」  
「どうしちゃったの東谷さん‥‥意味が分からないよ」  
困惑した表情で対応する冬樹。それを見て小雪の笑みが少しだけ横に広がった。  
 
「ふふっ‥‥じゃあなんでさっき、私の胸見たんですか?」  
 
心臓を針でつつかれた様な感覚が冬樹を襲った。  
でも―あれはわざとじゃない。  
 
物憂げに肩を落としていた小雪の表情が気になり、ふと目線を落とした時、たまたま目に入ってしまったのだ。  
小雪の胸元ははだけていた。セーラー服の上着の下には下着さえまともにつけておらず、  
 
その隙間からは雪の様に白い肌が覗いている。  
上から見れば無防備な双丘が露わであり、角度によってはその先の蕾まで見えてしまうのだった。  
 
(違う、あれは関係ない)  
 
冬樹は自分に言い聞かせた。実際その通りだし、そんな事を恥じる必要もない。  
 
「そんなの―んっ」  
次の瞬間、小雪はまるで当たり前のように―不自然な位自然な動作で冬樹の唇を奪い取っていた。  
あまりに突然だったので、等の冬樹も一瞬なにが起きたのか分からなかった程だ。  
小雪は冬樹に唇をおしつけたまま首を傾げると、素早く口内に舌を這わせていった。  
 
予期せぬ不意打ちに慌てふためく冬樹。  
と、数秒も経たない内に小雪の舌が冬樹のそれを絡め取った。  
「んぅっ」  
冬樹の焦りはいよいよ高まる。  
小雪の舌技はいくつかの経験を経て、既に熟練とも言える域に達していた。  
たとえ冬樹にキスの経験がなくとも、快感に誘うのは容易い。  
「ん、む‥‥」  
少年の目が僅かに微睡む。  
しかし冬樹はそれに呑まれるワケにはいかなかた。  
たとえ理不尽な状況でも、身を任せてしまえば自分の負けだ、だから絶対に―  
「!?」  
冬樹の喉に、何か球状の固形物が押し込まれた。  
何とかしてそれを追い出そうとするものの、小雪に口を塞がれ吐き出すこともできない。  
 
 
息が苦しい。駄目だ。冬樹はそれを飲み込むしかなかった。  
「んっ‥‥んっ‥‥」  
小雪の舌はまるでそれ自体が生きているかの様だった。  
時に舌先でくすぐる様に愛撫し、時に奥までその身を差し入れ、冬樹の舌を弄んだ。  
 
そうしてお互いの口内に十分に液体が染み渡った所で、小雪はゆっくりと唇を引き離し、絡めていた舌を引き抜いた。  
キラキラと光る唾液の糸が、まるでアメ細工の様に伸びながら二人の口元を結んでいく。  
 
 
「何をしたの‥‥?」  
冬樹は高まる動悸を抑えながら小雪に尋ねた。  
しかし小雪はそれには答えない。妖艶な笑みを浮かべたまま立ち上がり、冬樹の正面へと回り込んだ。  
 
小雪の両手がスカートの中へと差し込まれる。  
その手が腰の辺りまで持ち上がるにつれ、細めの白い太股が露出していった。  
 
冬樹は異常を感じていた。  
それは雰囲気がおかしいという意味だけではない。それとは全く別の、新しい異常が冬樹を襲っていたのである。  
―身体が動かない。  
それだけではない。全身が火照り、声さえまともに出せなくなってきていた。  
しかも何故か、下半身に奇妙な疼きを感じる。  
 
もちろんそれは、今し方小雪が口移しした『秘薬』が原因だった。  
ただ、その秘薬に一体どんな効能が備わっているのか、そんな事は冬樹に知る由もない。  
 
挑発するかの様な小雪の動作は続く。  
緩慢な動作で下着を脱ぎ終えると、ゆったりとした足取りで冬樹に近づき、腿の上に座りまたがった。  
「交渉成立‥‥だよね」  
冬樹の股間に、いつの間にか小雪の繊細な指先が伸びている。  
ズボンの上から優しくなで回すその動きは、明らかに冬樹を誘惑させるものだった。  
 
冬樹は薬の影響で無意識に興奮させられ、息を荒げている。  
しかしその目はまだ完全に屈してはいなかった。  
いや、むしろ体が自由に動き、声さえ出せるものならば、彼は確実に拒絶していただろう。  
そう感じさせるだけの輝きが、まだ冬樹の目には宿っていた。  
 
(意地っ張りだね‥‥でもそういう所、何となく夏美さんに似てるかも)  
 
小雪の良心が少しだけ痛み、欲望が僅かに危険な喜びを孕んだ。  
どちらにしろ、彼女のやるべき事は決まっていた。  
小雪はついと身を冬樹の方へ寄せると、膨れ上がったズボンのファスナーに手を掛けた。  
 
「や、め‥‥」  
耐え難い暴挙。冬樹は全身が痺れる中、懸命に喉から声を絞り出した。  
しかし小雪はあっさりとそれを聞き流した。  
か細すぎたその声は、無視されても少しも違和感が感じられなかった。  
 
冬樹は震えていた。  
それは初めて接する女への恐怖心かもしれず、飲まされた薬の影響によるものかもしれなかった。  
あるいは先程から降ってきた雪のせいで、気温が急激に落ちたせいかもしれない。  
 
「寒いね冬樹くん‥‥」  
ベルトを外し、下着を脱がせながら小雪が囁く。  
そうこうする内に、冬樹の下半身が簡単に外へと曝け出された。  
 
未成熟な男性器は勃起しているにも関わらず、まだ包皮が剥け切れていない。  
先端に桃色の鈴口を覗かせながら、ピクピクと活魚の様な脈動を続けていた。  
「ん‥‥」  
小雪は俯き、手の平で自分の口を覆うと、そこに唾液を垂らしていった。  
そうしていくらかの量が溜まると、小雪はそれを零さないように冬樹の股間へ持って行き、全体を包む様にして肉幹に塗りたくった。  
「っ‥‥!」  
自慰の経験すらない冬樹に、媚薬で危険な程強さを増した刺激が襲う。  
しばらくして小雪は手を休めると、両腕で冬樹を抱き寄せ、耳元に優しく声をかけた。  
 
 
「寒い時は‥‥お互いの身体で暖め合うといいんだよ‥‥」  
冬樹の震えは止まらない。  
 
小雪は軽く腰を浮かすと、熱く硬化した冬樹の竿を再び指で捉え、それをゆっくりと自分の股に招いていった。。  
幼い陰茎はやがてスカートに隠れて見えなくなり、しばらくして『クチュ』、という濡れた音が響いた。  
 
「ハァ―」  
小雪はやや息を乱すと、そのままその手を前後に動かし始めた。  
『クチュッ、クチュクチュッ、クチュクチュクチュ』  
小雪の花唇が粘液で濡れた冬樹の鈴口に弾かれ、規則的な連続音を奏でる。  
冬樹はできるだけ何も考えないようにした。  
しかし下半身を襲う刺激の波は、冬樹に思考を停止する事を許さない。  
『クチュ―』  
音が止み、小雪の表情が一層真剣さを増した。  
 
「特別、だよ‥‥」  
小雪は今まで男性と行為する際、いわゆる『生』でした事は一度も無かった。  
もちろんそれは無駄なリスクを避ける為であったのだが、今回はいつもと違う事情があった。  
理由はどうあれ冬樹に罪悪感を植え付けるには、やはりきちんとした形でした方が良いと考えたのである。  
(ふふ‥‥)  
小雪は自分で自分がおかしくなり、心の中で自らを嘲笑した。  
 
『グ‥‥プッ』  
小雪の腰が慎重な動きで下ろされていく。  
紺色のヴェールの中では、鉄の様に硬くなった冬樹の先端が狭い入り口を押し分ける様にして  
通路の奥へと導かれていった。  
 
「‥‥ちょっ‥‥」  
冬樹は身を捩り、必死になって緊縛から逃れようとした。  
しかしその抵抗は空しく、脳からの信号は決して冬樹の身体に反応しない。  
気がつけばその時にはもう、二人の身体は一つに重なっていた。  
 
「んっ‥‥ふふっ‥‥全部、入っちゃったね‥‥」  
下の口で冬樹を呑み込んだ小雪は、わざと直接的な表現を口にした。  
長く付き合うつもりはない。要は既成事実を作ってしまえばいいのだ。  
その為ならどんなはしたない言葉も吐くし、手段は選ばないつもりだった。  
「ハァ‥‥ハァ‥‥」  
冬樹はほとんど肩で息をしていた。  
顔は俯き、目はまともに景色を捉えていない。残された意地だけで何とか迫り来る快楽に堪え忍んでいた。  
(結構頑張るんだね‥‥)  
小雪は内心舌を巻いた。忍びの里に伝わる秘伝の丸薬を飲んで、ここまで耐えた初心者は記憶にない。  
「んっ、ん‥‥‥」  
小雪の腰が激しく動き始めた。ぐいぐいと下腹部を相手に押しつける様ないやらしいくねりだ。  
「ふっ‥‥」  
冬樹の喉から細く、甲高い声が上がる。  
高められた性感に、無理矢理変な声を出させられた。  
小雪は構わず動き続ける。愛蜜に満たされた小さな秘腔は、容赦なく冬樹を責め立てた。  
 
 
しかし―それでも冬樹は果てない。  
(‥‥‥)  
小雪は両手を冬樹の肩に置き、なおも反復運動を続けながら、ふと冬樹の顔を見下ろした。  
頭を垂れ、目の色は前髪の陰となり伺えない。  
相変わらず熱に浮かされた様な呼吸を続けている。  
その凄絶な表情が、どういう訳か小雪にある人物を連想させた。  
(なんか‥‥)  
小雪の思考回路がどこかでショートした。  
(夏美さんと、してるみたい‥‥)  
冬樹の背中にガバッと両腕が回され、冬樹は顔ごと小雪の肩に吸い寄せられた。  
「んっ‥‥あぁっ‥‥!」  
聞き慣れたハズの自分の喘ぎ声。  
しかしそれは小雪が生まれて初めて出す、本物の悦びの声だった。  
「う‥‥あっ‥‥」  
冬樹は頂点に達しようとしていた。  
朦朧とした意識の中で性感を誤魔化し続けるのは、もうとっくに限界だった。  
「あた、し‥‥おか、しく‥‥なっちゃ、う‥‥‥」  
赤ん坊の様に冬樹にしがみつき腰を動かしながら、小雪もまた尽き果てようとしていた。  
 
 
背筋にゾクゾクとした衝撃が走る。  
「あぁぁっ、イッちゃうぅぅ‥‥な、つみ、さ‥‥あんっ!!」  
小雪の秘腔がキュウと狭まり、冬樹の若竿を締め上げた。  
鈴口の先端から堪りかねたように白い樹液が飛び出し、乙女の身体を奥深くまで汚していく。  
「はぁっ‥‥んっ‥‥」  
しばらくの間、小雪は快楽の余韻に痺れながら冬樹をきつく抱きしめていた。  
冬樹の意識は消えかけている。  
射精後の虚脱感と身を寄せている小雪の温もりのせいで、途方もない眠気を感じていた。  
 
 
そんな眠気に対抗できるほど、今の冬樹に力は残されていなかった。  
☆      ☆      ☆      ☆  
時が経ち、少年は薄目で意識を取り戻した。  
辺りは真っ暗だが、いつのまにか雪は止んでいる。少しだけ眠ってしまったのだ。  
まだ頭が重く、体もうまく動かせない。このままではまた‥‥‥  
胸にポッカリと穴が開いてしまった様な感覚の中、冬樹は再び瞼を下ろしていった。  
閉じていく視界の中で最後に見たもの、それは一人の少女だった。  
目の前で健康的な笑顔を湛え、楽しそうにこちらを見つめている。  
そして彼女は冬樹がいつも聞き知っている、明朗快活な声で言い残した。  
「これにて一件落着っ、忍びの契りは絶対ですよ、冬樹くん―ふふっ♪」  
 
(終わり)  
 

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