その日の和麻が機嫌が悪かった。  
 原因は、目の前で戦闘を繰り広げている少女にあった。緋色の刃を振りかぶり、火炎を撒き散らしていた。  
 年の頃、十六、七。長い黒髪と白い肌。華奢な体型だがそれなりの肉付きはある。顔立ちは恐ろしく整っていて、万人受けするような美少女だった。  
 おまけに文武両道で気さくな優等生。まさに非の打ち所がない。  
 
 ──神凪綾乃  
 
 それが、彼女の名前だった。  
 
 
 綾乃が学校の男共からマドンナ扱いされているらしいと、和麻は彼女の友人から聞かされていた。春になると初めて綾乃を見た男が、告白しようと長蛇の列を作ると聞いていたが、まさか目の前でその現場を見させられるとは思っていなかった。  
 校門前で綾乃を待って、声をかけようとしたところで、その男子生徒は綾乃に告白した。『好きです、神凪さん。付き合って下さい』とはテンプレートですらある台詞である。  
 和麻はその様子を面白がって見ていた。──最初は。  
 お前が欲しがった女は俺のもんなんだよ、と子供じみた独占欲すら満たされていた。  
 綾乃は黙って一瞬だけ和麻を見た後、『ごめんなさい』とただ一言告げて、告白シーンは終わった。  
 恋人がいると言うとばかりに思っていた和麻にとって、面白くない結末だった。  
 ただ一言──恋人がいるんです、とだけ言ってくれればよかったのに。  
 そんな拗ねたような思いが胸中を巡っていて、まったくもって面白くない。  
「和麻、あんた何ぼけーっとしてんのよ」  
 散らばるコンクリート片の中で、綾乃は炎雷覇を片手に眉をひそめていた。  
 今日の仕事は廃墟にいる悪霊退治だった。だが、先ほどの一撃で仕事は完遂したようだった。  
 外はすでに薄暗く、廃墟の中には月明かりだけが差し込んでいた。  
「──ああ、終わったのか」  
「せめて見てなさいよ。あんた、あたしの護衛でしょ!」  
 ぶちぶちと文句を言いながら、綾乃は和麻に近寄った。そして、びしっと指をつきつける。  
「──そーだな」  
 いつもと変わらず元気の良い綾乃に、和麻は平坦な声で答えた。そんな和麻の様子を疑問に思ったのか、綾乃は首を傾げる。  
「……どうしたの?」  
「何がだ」  
「何がって……機嫌悪そうっていうか、怒ってない? 仕事ちゃんとできてなかった?」  
 いつもなら、綾乃はこんなことは言わずに、和麻に対して罵詈雑言を吐き捨てる。  
 和麻のただならぬ様子をようやく勘付き始めたようである。しかし、時は既に遅く、ストレスで和麻は完全にスイッチが入ってしまっていた。  
「いや、ちゃんとできてる」  
「じゃあ、何が不満なのよ。言わなきゃわかんないわよ、そんなの」  
 綾乃はむくれたようにそう言った。対する和麻は無表情で口を尖らせる綾乃を見下ろす。  
 言わなきゃわからないだなんて、鈍いにも程がある。そろそろ、ちゃんと分からせてやるべきなのかもしれないと思った。  
 一度は言ったことだが、お前が思っているより、俺はずっと我が侭で強欲だって。  
 素直じゃないことも、意地っ張りなことも、全部含めた上で好きになったのは確かだが、たまには意地を張らずに素直になってほしい。  
 
 素直にさせてみたい。  
 
「知りたいのか?」  
「そりゃ……あたしが悪いなら、直さないとって思うし」  
 綾乃は心細そうな声音でそう答えた。  
「──ん、わかった」  
 
 頷くなり、和麻は綾乃に頭突きをするような勢いでキスをした。勢い余って、綾乃を背後の壁に押し込んだが、後頭部は打たずに済んだようだった。  
 完全な不意打ちだったので、抵抗する隙もない。最初は触れるだけで、口角から舌を差し込むと、簡単に侵入できた。  
「ん、んぅ……っ」  
 綾乃は驚いて目を瞠り、和麻の肩を叩いて抗議した。痛くはないが、鬱陶しいので手首を掴んで押さえる。再び押し返してきたが、だんだんとその力は弱まっていった。  
「んんっ」  
 舌を絡ませて、唾液を送り込むと綾乃は苦しそうに嚥下した。征服感が背筋を駆け抜けた。  
 しかし、何度絡ませても、綾乃は決して自分から絡ませようとはしなかった。  
「ん、ふっ、……あ」  
 口腔内を思う存分に犯すと、和麻は顔を離した。息切れしたような呼吸音が互いの唇から漏れ、結ぶ糸が月明かりに照らされる。  
 薄暗いのに、綾乃の顔が怒りと羞恥心で赤く染まっているのがわかった。  
「はぁ……な、何してんのよ……あんた」  
「知りたいって言ったのはお前だろ」  
「そっ…それと、これとは、関係な……ひ、やぁっ、あ」  
 抗議を続ける綾乃を無視して、耳の中に舌を這わす。何度もしている内に覚えた綾乃の弱い部分である。  
 耳たぶを甘噛みすると、綾乃は解放された手で和麻の腕を掴んだ。耐えるように唇を噛むが、綾乃の意志に反して喘ぎが漏れる。  
「や、やめ…ぁ、んんッ、あぁ」  
 すっかり脱力した綾乃は、和麻の腕に掴まるのに精一杯で、抵抗できなくなっていた。  
 その間、和麻は制服のブレザーを肩が出るぐらいに下ろし、ブラウスの上から胸を揉む。  
 折れそうなほど華奢なくせに、胸は平均以上はあるらしく、それなりの質量を持つ感触が伝わってくる。  
 鼓動が早鐘のように打ち鳴らされているのを感じた。  
「ちょ、ダメッ、こんな……はぁ、とこじゃ…っ」  
 瞳を潤ませながら、綾乃は和麻を睨んだ。だが、眉根を寄せて睨んでくる様は、逆に和麻の嗜虐心をそそられた。もっと乱れさせてやりたいという思いが浮かぶ。  
 ブラウスの下から手を入れると、綾乃はうっすらと汗をかいていた。滑らかな肌が余計に手に吸い付いて、気持ちがいい。  
 片手で器用にブラジャーのホックを外して、直に揉み始める。  
「あっ、や、ぁ、あああっ!」  
 綾乃はぴくんと痙攣して、先ほどより大きく啼いた。固くなった乳首をつまんだり、こねたりしながら、耳元で囁く。  
「やめて欲しいのか?」  
「はぁ……お、お願いッ、もぅ……あぁ、んッ」  
 綾乃は懇願するように喘ぎながら、頷いた。  
「こんな硬くしてるのに?」  
「や、やっ、言わ、ないでぇ、ふぁ…ッ」  
「やめて欲しそうに見えないな」  
「はぁ、あ、ぁ、んんぅッ」  
 耳穴に息を吹きかけると、ビクビクと震える。泣きそうな顔で嫌々するように首を左右に振る。  
 和麻は片手で胸を愛撫しながら、制服のブレザーを全部脱がし、邪魔なブラウスのボタンを外した。青いリボンはかろうじて襟の部分に引っかかっている状態だった。  
 片手で脱がすには苦労したが、おかげで肌に手を触れさせやすくなった。首筋や鎖骨に痕を残しながら、胸の間に舌を這わすと、綾乃は小さく喘いだ。  
「お、願い、んッ、家で、あぅ」  
 硬くなった乳首を舌で弄びながら、和麻は答える。  
「ああ、そうだな」  
 その答えに、綾乃は一瞬だけほっとしたように笑みを浮かべるが、  
「家でもしてやるよ」  
「ち、ちがっ、やぁ、あああぁあ!」  
 太ももを撫でていた手で薄い布越しにソコを強めに押すと、綾乃は顎を仰け反らせて軽い絶頂に達した。  
 
 耐えるように、胸に顔を埋める和麻の頭をぎゅっと抱きしめる。  
 和麻は、壁に寄りかかりながら崩れ落ちそうになる綾乃を支えた。その顔はぼうっととしており、目の前に誰がいるのか認識していないようである。  
「イッたのか。そんな気持ちよかったか?」  
 意地の悪い笑みを浮かべながら尋ねると、綾乃は力のない目で睨んできた。  
「はぁ、はぁ…この、ヘンタイ……」  
 綾乃の目尻から堪えられなかった涙が流れる。  
 いつもなら、この泣き顔で罪悪感が募るが、独占欲の暴走した和麻にとっては、そそられるものでしかなかった。  
「そのヘンタイが好きなのはどこのどいつだよ」  
「あ、あんたなんか……好き、じゃない…ッ。大っ嫌いッ……!」  
 未だ体内を焦がす快感の波を押さえながら、息も絶え絶えに気丈に振舞う。  
 綾乃にとっては普段の憎まれ口と大差なかったが、和麻はそう受け取らなかった。  
「へえ、俺が嫌いか?」  
「嫌いっ。こ、こんなことして……絶対、許さないんだからぁ!」  
「──ふーん」  
 和麻の瞳に冷たいものが光る。崩れる綾乃の体をしっかりと抱き直し、下着に手を入れる。溢れた蜜がクチュと卑猥な音を立て、指に絡みついた。  
「ああッ!」  
 熱く潤んだソコに指を入れると、綾乃の体が震える。  
 軽くとは言え、一度絶頂を迎えた体は、刺激に敏感になっていた。トロトロと蜜が再び溢れてくる。  
 和麻は中の指で内壁を擦り上げ、入り口を親指で引っかいた。溢れた蜜のおかげで、出し入れは滑るように簡単だった。  
「や、やっ、んッ、あぁ、やめ、てぇ、ああ、ん、やぁ」  
 再び、綾乃が喘ぎ始める。悶えながらも、指から逃れようと体を動かすが、和麻に支えられているのでうまくいかない。  
「へえ、嫌いな奴に指入れられてるのに感じてるのか」  
 中に入れる度に、きゅっと膣が指をくわえ込んでいることに気づくと、和麻は皮肉そうな笑みを浮かべた。  
 綾乃は快楽に耽った顔を泣きそうな顔に変えた。  
「ち、ちがっ、ふ、ああぁ、やぁっ」  
「俺のこと、許さないんじゃなかったのか? 綾乃」  
「ゆっ、許さ、なッ、ん、あ、やぁ、ああン」  
「そうか。許されないなら、謝ってもやめても意味ないな。このまま続けても同じだよな?」  
「んん、うぁ、ひ、ひきょう、も、の…!」  
 溢れた蜜が綾乃の太ももを伝わって、糸のように流れ落ちる。太もものひんやりとした感触に、綾乃は泣きたくなってきた。  
 こんな悪霊が棲むような廃墟で、無理やり犯されて、はしたなく喘いで──  
 和麻は善人ではないし、自分に正直だ。今までも半ば強引に抱かれることはあった。だが、こんな乱暴に外でされるのは初めてである。  
 綾乃は快楽に耽った表情に、『何故』という疑問符を浮かべた。  
「ふ、ああぁぁ、んッ! だ、ダメッ、そこっ、ン、やっ」  
 和麻が中を引っかくように指を曲げて擦ると、綾乃は震えを大きくした。耐え切れなくなって、和麻に縋るように首に手を引っ掛ける。  
 意地でも頼らないと決めていたが、押し寄せる快感には抗えない。まして、和麻はこういった事に関しては、綾乃の身体を熟知していると言ってもよかった。  
「あぁっ!」  
 敏感な一点を親指で押され、綾乃は背中を反らす。  
「敏感だな」  
「う、るさ…ッ。あ、あ、あ、んッ、ふああ、あぁぁっ」  
 陰核の包皮を剥かれて、今までと段違いの快楽にむせび泣く。目の前を真っ白な光が何度も煌き、視界を揺する。  
 だんだんと何も考えられなくなっていき、下半身から伝わる快感に打ち震えた。  
「ああああぁぁぁ……っ!!」  
 和麻の指が陰核を引っ掻いた時、綾乃は絶頂を迎え、ビクビクと痙攣した。  
 
「はぁ、はぁ、はぁ……」  
 和麻に抱きつきながら、綾乃は荒い息を吐いていた。  
「はあ、な、何で……んッ」  
 ぬるりとした感触と共に下着が下ろされる。力の入らない足を上げさせられ、片足だけ下着を脱がした。下着は膝のあたりで止まって、陰部から糸を垂らしては途切れた。  
「何で、こんな……」  
 ぼんやりとした頭に、ベルトの外す音が響く。これから起こる快感と恐怖に、綾乃は打ち震えた。  
 抵抗する気力も体力も既にない。それに、絶頂を迎えたとは言え、くすぶる身体の疼きはとても抑えられそうにない。  
「こんなこと、するの?」  
「……さっき言ったろ」  
「え?」  
「不満があるなら言えって」  
「それとこれと、どーゆう関係が……」  
「それは──」  
 ぐいっと綾乃の片足を持ち上げ、和麻は綾乃を見つめた。綾乃も和麻を見つめ返すが、視点はまだ少し揺らいでいるようだった。  
「教えてやらん」  
「なっ──ゃあああぁっ!」  
 一瞬、表情に怒りを浮かばせたが、一気に貫くと綾乃は啼いた。快感で膣が締り、和麻は入れた体勢で動きを止めた。  
「……あんま、締めんな」  
「そ、そんなの、んぅ、知らな」  
「自覚なしってのは怖いよな。ホント。いい加減にしてくれ」  
「なに、言って」  
「さてね」  
 またも答えをはぐらかし、動き始める。グチュグチュと水音が響き、綾乃の快感を呼び起こす。  
「あっ、や、ンあっ、あっ、ああ、んッ…!」  
 奥にぶつかる度に綾乃は喘いだ。腕に抱え込んだ足が、時たま思い出したように跳ねる。  
「んっ、あっ、ンぅ、あッ、あ、あッ、や、あぁ、んッ」  
 もう抗議も拒絶の声も出ないらしく、綾乃は下からくる衝動に耐えた。  
 惚けた顔を見られているのは恥ずかしいが、抑えられないのだ。外でするという行為に、背徳的なものを感じ、いつもより敏感になっている。  
 ただ受け止めることに精一杯で、何も考えられない。──いや、違う。胸の奥から衝動が湧き上がる。  
 ずっと伏せて、押さえこんでいた気持ちだった。いつもは恥ずかしいとか言っても馬鹿にされるとか思っていたことだ。  
 だが、理性を取り払っている今は、恥ずかしさもあまり感じなくなっていた。躊躇いも感じない。  
 
(キス、したい)  
 
 綾乃は力の入らない腕を伸ばして、和麻の首に巻きつけ、引き寄せた。和麻はわずかに驚いた顔をしたが、構わずに抱き寄せる。  
 その間も動きは止まらずに、綾乃を下から打ち焦がす。  
 
「はっ、んぁ、ね、ねえ、あっ」  
「……なんだ?」  
「あッ、んっ、キス、し、てッ…?」  
 互いの吐息を感じるほどに顔を近づけ、綾乃はおねだりした。  
 今まで綾乃からキスを迫ったことはない。和麻は予想外な反応に驚いたようだが、首に巻かれた腕にぎゅっと力が込められたことに気づくと、噛み付くようにキスをした。  
「んぅ…」  
 今度は一切抵抗されず、すんなりと舌は入り込めた。迎え入れるように、綾乃の舌が待っていた。  
 受け入れた綾乃は、和麻と似たような動きで舌を絡めた。和麻としかしたことがないから、それ以外の方法を知らないのだ。  
 自分そっくりに舌を絡めてくる綾乃に、和麻は愛しさを感じた。  
 
 だいじょうぶ。  
 素直じゃないだけ。意地っ張りなだけ。  
 
 だいじょうぶ。  
 嫌われてなんかない。  
 
 満たされなかったものが満たされていく。  
 不器用に、自分と同じように、一生懸命絡めてくるものを信じればいい。  
 
 和麻はペースを少し落として、キスに熱中した。嚥下できなかった唾液が唇から零れて、顎を濡らしていく。  
 ようやく唇を離すと、綾乃は微笑んでいた。  
「はあっ、あっ、ありが、とっ」  
 正直、頭を殴られたような衝撃だった。キスのおねだりも、屈託のない笑みも、何もかもが初めてだ。  
 こんな素直に気持ちを表す綾乃を、和麻は知らなかった。  
「……お前」  
「な、なにっ?」  
「それは反則だろ」  
「え」  
 きょとんとする綾乃に向かって、意地の悪い笑みを浮かべる。  
「痛くはしないから、安心しろ」  
「何の、はな、し、を──あっ、ンっ、あぁ、やぁ、ひんッ」  
 再び、ペースを早めて動くと綾乃は腕を絡めながら、喘ぎを漏らす。奥まで叩くと、喘ぎは悲鳴に変わった。  
 だが、敏感になった身体はどんな感覚も快楽へと変えてしまう。  
「あ、あぁ、んっ、も、だ、ダメ、んッ、あぁ」  
 ぎゅううとしがみつくように、身体を寄せてくる。自然と和麻は前傾姿勢になる。  
 目の前に半裸の身体が飛び込んでくる。はだけた制服の間から見えるのは、揺れる胸やヘソだった。鎖骨のあたりは点々と朱を咲かせながら、一度触れたところは月明かりに照らされ、妖しく光っていた。  
 朱に唇を寄せて強く吸う。  
「あ、やッ、か、かずまぁ…!」  
 耳元で名前を呼ばれて、ゾクゾクとしたものを感じる。もう一度キスして、舌を貪りながら、ペースを早めていく。  
「ん、ふっ、んん、ぅ」  
 くぐもった喘ぎが漏れ、綾乃の身体が震える。綾乃も、和麻も限界が近かった。震えが一瞬止まり、きゅっと膣が締まる。  
「んんんぅぅ…!」  
「……くっ」  
 再び訪れた絶頂に綾乃は身を委ね、和麻は胎内で果てた。  
 
 
 
「信じられないっ、バカっ、ヘンタイっ、レイパー!」  
「合意だからレイプじゃない」  
 喚き散らす綾乃に、和麻は飄々とした顔で答える。二人とも後始末を終えて、身支度を整えていた。  
 乱れた服と髪を直しながら、綾乃は顔を真っ赤にして怒る。  
「絶対、許さないんだから! 次やったらもう別れる! 別れてやる!」  
「わかった、もうしない」  
 降参するように手を上げて、和麻は宣言した。綾乃は未だに不機嫌そうな顔をしていたが、喚くのをやめる。  
「……何で、こんなことしたのよ?」  
 打って変わって、静かな声でたずねる。  
「──別に」  
 まさか、彼氏だと明言してくれないから拗ねていたとは言えなかった。  
「別にで済むか、この性犯罪者!」  
「合意だから違う」  
 頑なに言い張ると、綾乃は顔を伏せて、ぽつりと、  
「……怖かったんだから」  
「……もうしない」  
 優しく頭を撫でると、綾乃は素直にそれを受け入れた。『子供扱いするな!』と怒鳴ることもなく、黙ってされるがままになっている。  
 綾乃は視線を落としたまま、和麻のジャケットの裾を握った。たぶん、これが彼女にとって精一杯の甘え方なんだろう。  
 和麻は小さく苦笑を浮かべた。  
「そういえば、お前、学校で彼氏がいるって言ってないのか?」  
「え? そ、それは──」  
「……言ってないのか」  
 やっぱりなと思うと、綾乃は顔を上げて反論した。  
「ち、違うわよ。由香里が大騒ぎしたから、学園中に知れ渡ってるわよ」  
「──なるほど」  
 由香里という少女には聞き覚えがある。確かにあの少女なら、広める役目を果たしてくれるかもしれない。  
「じゃ、あの告白は?」  
「あれは……記念みたいなもんだったんだって。彼氏いるのは知ってるけど、言っておきたいからって言われたの」  
 本当に告白シーンしか見てなかった和麻は、そんなやりとりがあったとは全く知らなかった。彼氏がいるから無理だと言わなかったのは、綾乃なりの優しさだったのだろう。  
「そうか」  
「……ねえ、そろそろ帰らない? 寒くなってきたんだけど」  
 日が落ちてから随分経つ。一度は火照ったとは言え、汗をかいたなら、すぐに身体は冷える。  
「そうだな。じゃ、俺ん家行くか」  
「な、何でそーなるのよ!」  
 綾乃の腰に腕を回し、和麻は風の精霊たちを喚んだ。  
「んー? だって、さっき家でならいいって言ってただろ」  
「あ、あれは、そーゆう意味じゃ……」  
「まーまー。今度は優しくするから」  
「そーゆう問題じゃないわよ、和麻のバカああああぁぁぁぁっ!!」  
 
 綾乃の悲鳴が、廃ビルにこだました。  
 
 
 
おわり  
 
 

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