――私とあなたの間に恋なんてありえない。  
いつだったか彼女はそう言った。  
王子であるあなたと女王である私の未来なんて考えようがないじゃないの。  
ではあなたが女王でなければ、あるいは私が王子でなければ――普通の男女として  
出会っていたならばあなたは私を愛してくれただろうか。  
だが考えても仕方がない。私たちは王族にしか生まれつかなかったのだから。  
あなたは一生私を許さず、私とあなたの間に恋が芽生えることもないだろう。  
 
パーマーとカルバニア近隣諸国の連合軍がカルバニア軍を打ち破りカルバニアの  
王宮に攻め込んだのはつい半日前のことだ。女王はすでに王宮を逃れ東の離宮、通称  
ココアタワーに身を潜めていたが、離宮もパーマーの精鋭を中心とした部隊に攻め  
落とされるのは時間の問題だった。そして、たった今、女王のいる最上階の部屋を取り囲んだとの連絡 
が私の下に届いた。  
「部屋の中には兵を進めるな。女王は私が丁重にお迎えする。くれぐれも失礼のない  
よう伝えて置け」  
兵を数人伴い、私は一度だけ訪れたことのある離宮の中へと進む。かつて女王に案内され  
た広間を通り、見覚えのある彫刻の前を通り過ぎる。  
(前にここに来たときは兵を引き連れ鎧に身を包んで再び訪れることになるなど想像もしなかったが)  
私は壁を見やった。かつて女王が微笑を浮かべて立っていたそこには、赤黒い血が染み  
こんでいる。壁だけでない。敷き詰められたじゅうたんに、床に、彼女のいた全ての場所  
に血の黒い染みが広がっている。  
塔の最上階に続く階段の入り口で将軍が私を迎えた。  
階段には兵士の死体が敵味方入り乱れ折り重なっている。  
 
「女王の様子は?」  
「今のところ全く静かです」  
部下に命じ死体を片付けさせ、自らも死人を足で蹴り私のために路を開きながら  
将軍が言った。  
「・・・・・・女王は自殺しているかもしれませんな」  
「大丈夫だ。カルバニアの女王は国の行く末を見届けず死ぬような女性ではない」  
将軍がひげ面をわずかに潜めた。私のカルバニアの女王に対する片恋はパーマー中に知れ渡っている。 
将軍のような誠実だが無骨な男も例外ではない。  
(恋する相手の国に対してよくもこんなに残酷になれたものだ)  
古風な将軍の心の内が手にとるように分かったが私は無視して階段に足を踏み入れた。  
タニア。美しいカルバニアの女王。  
始めて会ったときからどのくらい時が過ぎたのだろう。どのくらい彼女に恋をしているのだろう。  
長い階段を上り最上階に着くと、女王のいる部屋を取り囲む兵士たちが何やら動揺して騒いでいた。  
「何をしている?」  
「女官たちが・・・・・」  
見れば数人の女官たちが女王のいる部屋のドアの前に両手を広げて立ちふさがっていた。  
女官たちの中には見慣れた顔がいくつかある。かつてカルバニアの王宮で私の世話をして  
くれたものたちだ。彼女たちは自分たちの仕える女主人の貞節のため、剣を携えよろいに  
身を包んだ他兵士たちの前に勇敢にも身一つで立ちはだかっている。そのけなげな姿に打  
たれ、兵士たちは動くことができなかったらしい。少し胸が痛んだが、私はそばにいた兵  
士に彼女たちを捕らえるように命令した。  
「どうか」  
手首をつかまれながら女官のひとりが声を張り上げた。  
「どうかタニア様に手荒なことはしないで・・・・・お願い!」  
遠くなっていく彼女の声を聞きながら、誰も入るなと指示をして、私はドアに手をかけた。  
 
ドアには鍵はかかっていなかった。  
明かりを消した部屋の奥に彼女は立っていた。その姿を見て私は息を飲んだ。  
カルバニアの最初にして最後の女王は、追い詰められてもなお美しかった。蒼い月に喩え  
られたタニアの頬は暗闇の中で更に白く、黒曜石のような瞳は闇の色を映しさらに黒い。  
平易なつくりの白いゴルゴン織りのドレスは今まで私が見た中で一番よく彼女に似合い、  
まるで花嫁の婚礼衣装のようだった。  
私は自分の立場を忘れ彼女に見とれていたが、やがてタニアが口を開いた。  
「許さない」  
タニアの口から漏れる鈴のような声に私は我に返った。  
「私はあなたを永遠に許さない」  
「私は忠告したはずです。もっと勉強しなさいと」  
私は平淡に言った。  
「これは王たるあなたの力量のなさが引き起こしたことです、タニア」  
「知っているわ。そんなことは百も承知よ・・・・・・!」  
タニアは声を張り上げた。怒りのせいだろう、その声は震えている。  
「たしかに何も見えていなかった私のおろかさが招いたことだわ。だけど・・・・・・  
だけど私一人を手に入れるためにあなたはこの国を蹂躙し民を犠牲にしたというの!?」  
「ずいぶんな自惚れですね」  
私の言葉にタニアは怒りで耳まで赤くなる。  
「な・・・・・・!」  
 
「だが」  
私は言葉を付け加えた。  
「だがそのとおりですよ、タニア。この戦の勝敗はわが国にかかっていた・・・・・・  
パーマーが動かなければ、あるいはカルバニアに組していればこんなことにはならなか  
ったでしょう」  
私はタニアに歩みよりながら説明する。こんなことはもうとっくに知っているだろうが、  
私は敢えて言葉にする――彼女に思い知らすために。一歩、二歩、私が歩み寄るたびに  
タニアは後さずる。  
「パーマーとしてはカルバニアと近隣諸国の連合軍・・・・・・どちらに組しても国益を  
量ればそんなに違いはない。カルバニアについてもよかったし、また高みの見物を決め込  
んでもよかった」  
彼女を壁際へと追い込み、閉じ込めるように彼女の胸の高さに壁に手をつくと、私は言った。  
「それをしなかったのは、あなたを手に入れるためです」  
自分が女王である限り、王子である私とは恋など考えられないと彼女は言った。  
ならば彼女を手に入れるには彼女を王位から引き摺り下ろすしかない。  
「あなたというほんのわずかな重りが、私の中の秤を動かした」  
タニアの目から涙が溢れ出した。次々と頬を流れていく透き通った液体を、  
私は初めて美しいと思った。  
 

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