神戸屈指のホテルのレストランから眺める夜景は素晴らしい。  
 万俵銀平は、先程給仕が運んできた食後のコーヒーに手を付けようともせずに、眼下に  
広がる夜景を眺めていた。  
 そんな銀平をただ見つめる事しかできない万樹子の気持ちはもどかしく、婚約までした  
仲なのに、未だ自分に心を開いてくれない様に見える銀平をどう扱っていいのか当惑して  
いた。並の男、いやそれ以上の上流に属する男でさえ、自分の美貌や家柄に目を背けるは  
ず等なく、この不可解な銀平の態度は理解の外にあった。  
 それなのに、万樹子は銀平に対して怒ることすらできずにいる。今の自分には、ただ虚  
しく銀平の横顔を見つめる事しかできない。  
 銀平を求めている――万樹子は、それに気づかずにいた。  
 
 そんな万樹子の思惑など全く気づいていないであろう銀平は、いきなり椅子から立ち上  
がり、万樹子をテーブルに残したまま足早に出口に向って歩き出した。  
「銀平さん!」  
 突然の銀平の行動に驚いた万樹子は銀平の背中に向って声をかけたが、銀平は万樹子の  
声が聞こえていないかの様に後ろさえ振り返らない。  
「ま、待って! 銀平さんっ!」  
 万樹子は急いで立ち上がり、銀平の後を追った。動揺した万樹子は、ヒールの踵を椅子  
の足に引っ掛け危うく床に転倒しかけたが、その場にいた若い男性客が抱きとめてくれた。  
「大丈夫ですか? お嬢さん」  
「え、ええ。有難うございます」  
 抱きとめられた腕の中で万樹子が顔を上げ男を見つめると、男は一瞬、万樹子の顔を見  
つめた。男の瞳は明らかに万樹子の美貌に驚き、その驚きは無言の賞賛へと変わっていた。  
「失礼します……助かりましたわ……」  
 万樹子は男の腕を離れると、ゆっくりと出口を目指して歩き出した。  
 まだ、自分を見つめているであろう見知らぬ男の視線は、万樹子の背中に痛い程伝わって  
くる。男なら当然の反応だ。自分の美貌に見とれない者などいるはずが無いと万樹子は思っ  
ていた。  
 だが、自分の美貌を唯一人無視する男“万俵銀平”の所為で不様な醜態を晒してしまった。  
 銀平なら自分に相応しい家柄の男だと思っていたが、銀平はそうは思っていないらしい。  
 恥を掻いてもこの婚約を白紙に戻してしまおうかとさえ思えてくる。  
 この薄情な男を見捨てても、求婚する男などいくらでもいるのだから……。それができな  
い今の自分に「何故?」と問いかけながら、万樹子は銀平の後を追った。  
 
 既に支払いを終えた銀平は、ホテルの玄関ではなく、何故か奥へ奥へと進んで行く  
 後を追う万樹子は、先程の様な醜態を晒さぬ様にゆっくりと、しかし足早に歩いて行く。  
 銀平はエレベーターの前で止まると、当然の様に上階を示すボタンを押した。  
「銀平さん、どちらへ?」  
 漸く銀平に追いついた万樹子が声をかけたが、銀平は、やはり万樹子の声を無視した。  
 チンという到着の合図と共にエレベーターの扉が開くと、銀平はさっさとエレベーター  
にひとり乗り込んでしまった。  
 どうしようかと一瞬迷った万樹子は、辛うじてエレベーターの扉が閉まる寸前に中へ入  
った。  
 
 エレベーターの中に他の客の姿はなく、磨きぬかれた鏡の様な壁は、無言でいる二人の  
姿を虚しく映し出していた。  
 銀平が最上階のボタンを押すと、エレベーターはゆっくりと上階を目指し動き始めた。  
「ねえ、銀平さん……どちらへ?」  
「……」  
「何故、何も仰らないの? 私、何かあなたの気に障るような事でも?」  
「嫌なら一緒に来なくてもいいんですよ。何も僕の方から頼んだ訳じゃない」  
「行き先を仰って下さらないと、どうしていいのか解らないわ」  
「子供じゃないんでしょ? 上へ行くという事は泊るつもりだと解るはずです」  
「そんな……」  
「嫌なら来なくてもいいと言ったでしょう。解らない人だな……」  
「銀平さん。私の事がお嫌い?」  
「別に……」そう言い掛けた銀平は、行き成り万樹子の方を向くと、その体を抱きしめ  
エレベーターの壁に押し付けた。  
「あっ! 銀平さんっ!」  
 銀平は万樹子の唇を自分の唇で塞ぐと、舌を差し入れ万樹子の唇を強く吸った。  
「あっ! ……う、うっ」  
 万樹子は少し抵抗する仕草を見せたが、直ぐに銀平の舌を受け入れ自らの舌をねっとり  
と銀平の舌に絡ませていった。  
 銀平は万樹子と舌を絡ませながら、その右手は万樹子の着ていた薄紫のドレスの裾を捲  
り上げショーツの隙間を割る様に指を滑り込ませていった。  
「あっ、ああっ! ダメよ! 誰か他の人が来たら……」  
 抵抗する万樹子の秘所は濡れている――。  
 その部分が早くも濡れている事に気づいた銀平は、なんとなくやる気を失って万樹子の  
体から離れた。  
「ぎ、銀平さん?」  
 銀平は何も答えず、スーツのポケットに手を突っ込みエレベーターの壁に背中をつけた。  
 それっきり、下を向いたまま万樹子の方を二度と見ようとはしなかった。  
 万樹子は、再び自分に無関心になった銀平にとるべき態度が解らず、銀平と同じ様に壁  
を背にし俯いてしまった。  
 無言の二人を乗せてエレベーターは先程と変わる事なく上階を目指していたが、既に火  
照りを感じていた万樹子は、帰るとも言い出せずにいた。  
 そして銀平は、女なんて誰もが高須相子と同じだ。あの淫乱な売女と何も変わらないと  
怒りを覚え無口になっていた。  
   
 遠い昔、銀平はまだ高校生だった頃を思い出していた。  
 あの日は確か頭痛で早退した時だ。  
 玄関先に銀行の公用車が停まっていた。朝出たはずの大介の車だ。  
 昼間なのに珍しいなと思いながら屋敷の中に入った。出迎えてくれた家政婦に、母は  
どうしたと尋ねると、奥様は外出中だと答えが返ってきた。  
 それなら父は戻っているのかとか尋ねると、何故か家政婦は言葉を濁し、銀平を残し  
てその場から奥へと姿を消してしまった。  
 銀平は家政婦の態度に当惑したが、早く休もうと思い階段をゆっくりと上った。  
 何故あの時、直ぐに部屋へ戻らなかったのか――  
 銀平は、今でもあの時の事を思い出すと後悔する。  
 ふとした気紛れだったのか、銀平は部屋へと戻らず、その歩みは自然と大介の書斎へ  
向っていた。  
 
「あぁっ!!アーッ!――」  
 その声の主が高須相子である事を銀平は直ぐに理解した。  
 書斎から洩れ聞こえる相子の声は、誰もいない廊下の壁を伝わり書斎の中で何が行われ  
ているのかを想像させた。  
 相子の喘ぎ声を耳にした銀平は、足音を忍ばせおそるおそる書斎の扉に近づいた。  
 ドアノブに手を掛けゆっくりと回すと、少しだけドアに隙間を作り中を覗いた。  
 入り口正面から一間おいて向う側に大介の机がある。  
 大介は、スーツを身に付けたまま椅子に座り、体は入り口正面を向いていた。  
 そしてその大介に馬乗りに跨った相子は、大きく足を開き、両腕を大介の首に絡ませ、  
激しく腰を振っていた。ドレスの裾は腰の辺りまで捲りあげられ、白い太腿が銀平の目の  
前で激しく揺れていた。  
「あぁっ!!あっ――!アァーッ!!」  
「どうだ……こうか?」  
 大介は相子の腰を抱き、自らも下から上へと激しく相子の体を突いていた。  
「あぁ――っ!!もう、もう……いくわ……アアッ!!」  
「フフッ、仕方のない女だな……昼間から……」  
「あ、あなた……もっと、奥まで…嗚呼ッ!!」  
 相子は秘所を大介の股間に擦り付け、その動きは激しく淫らになっていった。  
 その様子を凝視していた銀平は、すぐにその場を離れようとしたが、体は硬直したまま  
全く身動き一つできずに大介と相子の行為を見つめていた。  
 相子が絶頂の声を上げると、その声を聞いた銀平は漸く憑きものが落ちたかの様にふら  
ふらと自室に戻り、持っていた鞄を床に落とすとベッドに崩れ落ちた。  
 尊敬する父と優しく美しい家庭教師の痴態――昨日までは憧れていた二人が、今は唯の  
虚しい雄と雌でしかなかった。  
 母は、使用人は、とっくにこの二人の情事に気づいていたのだろうか? 何も知らなか  
ったのは自分と妹達と留学中の兄だけ……。  
 銀平は、部屋の中がぐるぐると回る様な錯覚に襲われ吐き気をもよおした。  
 そして、父と相子を許せないと思いながら、己の股間は熱くそそり立っている事に気づ  
き自己嫌悪に陥った。  
 あの光景を目にして以来、銀平は女性に対して体以外は何の興味も感じなくなっていた。  
 心から親しみを感じるのは、妹達と誰よりも愛する母以外に無く、何度万樹子と体を重ね  
ようとも愛情の欠片すら感じていなかった。  
 万樹子も相子も、そして他人の女の総てが銀平にとっては何の違いもない“モノ”でしか  
なかった。  
 
「銀平さん?」銀平のただならぬ様子に気づいた万樹子が声を掛けた時、エレベーターは最  
上階に到着し二人の目の前でゆっくりと扉の開く音がした。  
 
 銀平はむっつりと口を閉じたままエレベーターから廊下へ出ると、ゆっくりとベージュ  
色の絨毯の上を歩き出した。  
 万樹子は銀平の後について行く外なく、前を歩く銀平のスーツの背中を見つめていた。  
 銀平は最上階のスイートルームの前に来ると、キーを差込みドアノブを回した。  
 先に万樹子を中に案内する気づかいも見せずに、万樹子が俯き部屋の中に入った事を確  
かめるとドアを閉め錠を回した。そしてクロークの前でスーツを脱ぎ捨てると、部屋の中  
で立ち尽くす万樹子と少しも視線を合わせずに几帳面にスーツをハンガーに通した。  
 そして、下着だけの姿になると、良家の令嬢の前では些か無礼とも思える格好で万樹子  
の前に立った。  
「何してるんですか? 早く脱いで」  
「えっ? 銀平さん……」  
「早く……万樹子さん、あなたも早く抱いて欲しいんでしょ? さっきエレベーターの中  
で、あんなに感じてたじゃないですか」  
「そ、そんな……銀平さん……私、帰ります。いくら婚約しても外泊は……母が知ったら  
なんと……」  
「初めてでもないクセに? フフフ……」  
「あっ……帰ります! 耐えられません、こんな仕打ち!」  
 銀平は扉に向って歩き出した万樹子の腕を掴むと、そのままダブルサイズのベッドの上  
に万樹子を突き飛ばした。そして、直ぐに万樹子の上に体を重ねた。  
「いやぁぁ! 銀平さん、乱暴はやめて下さいっ!」  
 銀平は万樹子のドレスを引き剥がし、万樹子は体を捩り銀平に抵抗しようとした。しか  
し、簡単に服を剥がされ男の力の前に屈服するしかなかった。  
 銀平は万樹子の唇を先程のエレベーターの中での出来事を再現する様に激しく吸い、心  
の中では抵抗できずにいた万樹子は、直ぐにその行為に反応し始めた。  
「ぅ………うっ……」  
 銀平は万樹子の下着の肩紐を外し、背中に手を回しブラジャーの留め金を器用に外した。  
 露わになった万樹子の乳房は白い産毛をルームライトの灯りの下に晒しながら、廊下に  
敷かれていた絨毯の毛足の様にきらきらと輝いている。  
 銀平はその白い乳房に吸い付き、万樹子の乳首を口の中で転がした。  
「だめ……ああっ……銀平さん……私、家に戻らなければ……」  
 ここまできても、今更言葉で抵抗する万樹子に、銀平は小さく舌打ちをし乳房から離れ  
た。  
「解りました。連絡すればいいんですね……」  
 銀平は、ベッドサイドにある電話に手を伸ばすと外線のボタンを押した。  
「ああ、相子さん? 銀平です。ええ、ええ、そうです。万樹子さんと一緒です。ええ、  
相子さんの予約してくれたレストラン、素敵でしたよ……はい、そうです。それで相子さ  
ん、安田家に電話をいれてくれませんか……ええ、今日は万樹子さんは万俵家に泊るとそ  
う伝言を……だから、あなたも解らない人だな……どこにいるのかって?」  
 そこまで話すと、銀平は受話器を手にしたまま行き成り万樹子に挿入し、激しく万樹子  
の秘所を突いた。  
「イヤッ! 銀平さん……声が……ああっ!アアッー!!」  
「聞こえてるでしょ……だから、帰れません……それがあなたの役目でしょ……この婚約  
を纏めたのはあなたなんだから……えっ……常識が無いって? あなたにそんな事言われ  
たくないですね、相子さん。それじゃ、切りますよ」  
 銀平は受話器を元に戻し、相変わらず万樹子を攻め立てていた。  
   
「酷いわ……酷い……高須さんに聞かれて……ああっ!!ああーっ!!」  
 酷いと何度も口にしながら、万樹子は激しく身悶えしていた。  
 そんな万樹子の痴態を激しい呼吸を繰返しながら銀平は見つめていた。  
 荒い息を吐き万樹子を攻めて立てる行為を繰返しても、銀平の瞳はどこまでも冷たく、  
万樹子の乱れた姿を冷静に眺めていた。  
 万樹子が絶頂に達し一際大きな叫びを上げると、銀平は万樹子の体に熱い液体を放出し  
た。  
 総てを出し尽くした銀平は、さっさと体を離すと、まだ熱い乱れた息を吐く万樹子をひ  
とりベッドに置き去りにし、シャワールームへと向って行った。  
 
 コックを捻り流れる熱い湯の下に裸身を晒した銀平は、汗にまみれた皮膚の隅々を洗い、  
体に染み付いた行為の残滓を落としていった。  
 流れ落ちる垢も、万樹子の臭いも、そして自らの忌まわしい思い出も総てこのまま一緒  
に何処かへ行ってはくれないだろうかと銀平は思った。  
 愛のない結婚も、妻妾同居という事実も、それは万俵家に生まれた者ならば受け入れな  
ければならない。  
 たとえ万俵の家に生まれなくとも、あの狡猾な美馬がそうであった様に、この家の一員  
になれば受け入れる事を強要される。他所から嫁ぐ万樹子も何れは知る事になるだろう。  
 自分が苦しむ様に、万樹子も苦しむ様になるだろう……。  
 万樹子の事を憐れだと思いながらも、何故か万樹子を……女性という者を愛せない。  
 シャワーを浴びながら銀平は呟いた。   
「お母さん……」  
 いつも控えめに目を伏せる母寧子の姿を思い出した時、銀平は少しだけ涙を流した。  
 
                                ――END――  
 

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