何故、ここだったのだろう。
すっかり酩酊した頭で、万俵銀平は考えている。泣かせてしまった妻のところへ帰れないのは分かるが、この夜更けに、
年頃の妹を訪ねるなど、正気の沙汰ではない。
「しっかりなさって、お兄様」
ひどく心配そうに水を差し出してくれた二子に、銀平は苦笑しながら礼を言った。酔って正体を失っていても、ちゃっかりと
この妹の優しさをあてにしていたのかもしれない。
こんな状況で、精神的に頼れる家族といえば、二子だけだ。姉は冷酷な男に嫁いでしまったし、兄は高炉建設の人員確保のため
走り回っている。父は愛人に溺れ、母はこれ以上心配事を抱えるには弱すぎる。そして妻は、もはや自分に優しさを注いでくれる
ことはないだろう。それだけのことを、自分は言ったのだ。
「万樹子さんと、喧嘩でもなさったの?」
銀平が冷水を飲み干すと、二子がぽつりと尋ねた。
相変わらず心配そうに眉を寄せ、垂れ気味の目尻をますます下げている二子に、銀平は優しく笑った。
「別に。お前が心配するほどのことはない」
「でも、お帰りになれないなんて、よほどのことなんじゃ」
二子は目を伏せて、言いづらそうに言葉を繋いだ。
「それに、いつもの銀平お兄様なら、どこかにホテルでもとるはずだわ。一人じゃ眠れなくなるような、酷いことが
おありになったのではなくて?」
銀平は眉を上げた。末っ子なせいか、鷹揚な性格だとばかり思っていたが、なかなかどうして、勘が良い。
見つめてくる瞳の優しさに、母に似たものを感じ、銀平はふっと心を和らげた。
「あれに、子どもができた……堕ろせと、言ったんだ」
さっと、二子の顔色が変わった。
「お兄様のお子ではないの?」
「まさか。そうなら産めと勧めるさ。俺の子だから―――万俵家の血を引く人間だから、殺せと言ったんだ」
「何をおっしゃってるの、お兄様」
二子は半ば怒鳴るような声でソファから立ち上がり、膝をついて銀平の手をとった。
しまった、面倒なことになってしまった。銀平は悔いたが、もはや遅い。外見はほんの少し母に似ていても、
中身は兄の鉄平と同じ、理想主義のお節介だ。妹の本質を忘れた己の迂闊さに、銀平は歯噛みした。
「どんな家に生まれても、近くにいる大人がしっかりしていれば、子どもは真っ直ぐに育つわ。お兄様が
お手本になってあげればいいじゃない。きっと良い子になるわ、万樹子さんに似て綺麗な」
「僕はお父さんに逆らえない、お父さんのようにしか生きられない。僕が父親になることは、僕のような人間が
もう一人できるってことだ。冗談じゃない、寒気がする」
本心だった。多感な時期に父と高須相子の関係を目の当たりにした銀平には、『家族』や『子ども』に少しも
憧憬を抱けない。むしろ忌むべきものとさえ思っている。
この家を呪いながら、この家の掟の通りにしか生きられない銀平にとって、自分のような人間を増やさないことだけが、
唯一の抵抗だった。
「銀平お兄様は卑屈だわ」
二子はきっぱりと言い捨て、立ち上がってソファを離れた。彼女が見据える窓の向こうには、阪神特殊製鋼の煙突が
堂々とそびえ立っている。
「少しは鉄平お兄様を見習ったら?政略結婚がお嫌なら、ご自分でお相手を見つけて、お好きな方と結婚なされば
よかったのよ。それを今更」
「僕は兄さんみたいに強くない」
ここへ来る前、工場の前で鉢合わせた鉄平の、疲弊しつつも充足感に溢れた表情を思い出しながら、銀平は呟いた。
あの人は何故、この泥沼に生を受けながら、あんなにも真っ直ぐと誇らかに生きられるのだろう。
銀平が内心で思っていても、決して口に出せないことを、鉄平は当たり前のように言葉にしてみせる。
父の重圧に捉われず、思いのままに言動を積み上げる兄が、銀平には眩しくてならなかった。
「私は、鉄平お兄様のように生きたいわ。生まれたことを悔いながら生きるなんて、絶対に嫌」
「お前が?」
銀平は鼻を鳴らし、幼い妹を嘲笑した。何の能力も才覚もないただの小娘が、この家の呪縛から逃れられるものか。
「お前はもう、総理の甥との結婚が決まってるじゃないか。高須相子の決めた縁談からは逃げられない。諦めるんだな」
「……私、好きな人がいるの」
突然の妹の告白に、銀平は目を上げた。見返してくる二子の表情は、真剣そのものである。
「銀平お兄様に話すのは、初めてね。去年からずっと、お付き合いをしてる人なの。その人もうちの会社の人だし、
家族のことだって大切だから、阪神銀行のために、縁談を受け入れるべきかもしれないって、思ってたわ。
でも、今日銀平お兄様とお話して、決心がつきました。何としても、私は相子さんのお話をお断りします。自分の人生を悔いないために」
夜闇を見据えながら言い切った、妹の凛とした横顔に、銀平は打ちのめされた。
小さいもの、弱いものとばかり思っていた妹が、いつしか軽々と自分を飛び越えていこうとしている。
銀平がどれほど焦がれても手を伸ばせなかった、自由という名の光の中へと。
銀平はぎりりと唇を噛み、拳を握った。己より年若く優れた血族に対する、身を焼くような嫉妬。
それが彼の憎む万俵家の血の宿業であることに、銀平は気付いていない。窓辺に立つ二子を睨みつける銀平の相貌は、父・大介が鉄平に
向けるそれと瓜二つであった。
「おいで、二子」
この上なく優しい声音で呼びかけてやると、二子は驚いたように振り返った。
「良いことを教えてあげよう。お前が幸せになるための方法だ」
二子の顔に、微笑が広がる。駆け落ちの算段でも考えてくれたと思ったのだろう。妹の浅慮を内心でせせら笑いながら、
銀平は妹と間近に向き合った。
「嬉しい。銀平お兄様、協力して下さるの?」
答えずに、二子の手をとる。やはり、母の子だ。透き通るように白く華奢な、小さな手。大柄な万樹子のそれとは
正反対の風情に、銀平は思いがけず欲情した。口元に引き寄せ、手の甲に接吻してやると、二子は驚いて身を引こうとした。
許さずに身体ごと捉え、後ろから唇を塞ぐ形で、数尺先の寝台まで引き摺っていく。
「何をなさっ……?!」
覆い被さったとき、初めて二子は声をあげた。噛み付くように口付け、その儚い悲鳴を遮る。小さな身体いっぱいの抵抗を
難なく押さえつけ、銀平は二子の夜着から帯を奪い去った。
「嫌っ!」
「大人しくしていろ。教えてやると言ったろう」
最早少しも酔ってはいない銀平の表情に、二子は凍りついた。酒の上での乱行と思っていたらしい。
「好きでもない男に抱かれて、平気でいるための練習だ。もう数月もすれば、それがお前の一生の仕事になるんだからな」
二子は、嘘だとでもいうように、ゆっくりと首を横に振った。鉄平ほどではないにせよ、銀平のことも十分に尊敬し慕っていた
二子には、目の前の事態が悪い夢としか思えなかった。
露出したシュミーズを乱暴にたくし上げ、現れた乳房に吸い付く。現実に引き戻されたらしい二子が、半泣きの体で
悲鳴を上げた。
「誰かっ!お兄様が……!!」
「『誰か』に見られてもいいのか?こんな姿を」
銀平は冷笑し、二子の無防備な太腿を割って内側を撫でた。既に夜着は肌蹴て、二子は下着姿も同然になっている。
「お前が誘ったんだと言ってやるぞ。お前の好きな男も、社内の人間なら噂ぐらい聞くかもしれないな」
「そんな……」
「覚えておけ。夜更けに男を部屋にあげるというのは、こういうことだ」
言いながら、銀平は再び二子の肌に唇を寄せた。我ながら無茶な言い分だと思ったが、ねんねの二子には効いたらしい。
この程度のことも撥ね付けられないで、何が鉄平お兄様のように生きたい、だ。身の程を知るがいい。
小刻みに震えながら、すっかり大人しくなった二子の身体を、銀平は思いのままに蹂躙した。
舌や手で触れてやるだけで、男を知らぬ二子の痩躯は大げさに痙攣する。
「やめて……」
下着に手をかけられ、二子はとうとう、さめざめと泣き出した。
「どうしてこんなことなさるの?こんなのは嫌。私、銀平お兄様を憎みたくない」
「憎む?」
銀平は口の端に暗い笑みを浮かべ、その言葉を繰り返した。
憎む。上等じゃないか。交わってはならぬ者同士が交わり、愛し合うべき者同士が憎み合う。
正しく、万俵家の人間の姿だ。
「お前こそ、どうしてそんなことを言う?僕は、お前が可愛いからこうしているんだよ」
猫なで声で、銀平は二子に微笑みかけた。二子の表情が複雑に歪む。ひたすら憎しみをぶつけ合うよりも、ときに愛情を手向けてやったほうが、
よほど深い心の傷を負わせてやれる。大介が鉄平に、『お前を一番に考えている』などとしゃあしゃあと言ってのけた意味が、
銀平にはうっすらと分かった。
「可愛い妹が、どこの馬の骨とも分からない男と過ちを犯す前に、鎖で繋いでやるんだ。お前はそこらの娘とは違う。
この万俵家の一員なんだ。それを思い知らせてやる」
純白の下着を引き裂かれ、二子は息を飲んだ。
「何だ。濡れているじゃないか」
銀平になじられ、二子は涙で溶けた頬を枕に押し付けた。恥ずかしくてたまらないらしいその様に、銀平はますます嗜虐心を煽られた。
誰も目にしたことのない彼女の中心に分け入り、指先を前後させる。嬌声をこらえているらしい二子のくぐもった声を楽しみながら、
銀平はわざとらしく水音をたてた。
「いやらしい娘だ、お前は。実の兄に触れられてこんなになるのか。この分なら、佐橋総理の甥ともさぞ楽しめるだろう」
「私……私は……」
「政略結婚なんか致しません、か?」
べろりと陰核を舐められ、二子はひっと喉を鳴らした。
「諦めろ。僕一人拒めないお前が、お父さんやあの女に逆らえるはずないだろう」
吸い付き、舌の上で転がすと、二子のそれは恐れ戦くようにびくびくと震えた。罪の深さに怯えながら、耐え切れないように蜜を零す。
その甘さに酔いながら、銀平は10年前の夜を思い出していた。父と相子が見たかったのはきっと、母のこんな様だったのだろう。
「お許し下さい。こんな恐ろしいこと」
銀平が唇を離すと、二子は消え入るような声で哀願した。
「実の兄妹でこんなこと……お父様やお母様が知ったら、どんなにお嘆きになるか」
「あの二人が?」
銀平は妹の無知を鼻で笑った。
「妻と愛人を同じ寝室に囲っているお父さんがか?」
二子の瞳が、驚愕に見開かれた。
「それとも、舅に犯されて大人しく子どもを産んだお母さんがか」
「何をおっしゃってるの……?」
「鉄平兄さんは、お祖父様の子だ。この家で、知らないのはお前だけさ」
吐き捨てるや、銀平は脱力していた二子の両脚を割ってのしかかった。衝撃に言葉もない二子の唇を啄ばみ、乱れた黒髪を
優しく撫でる。
「分かったろう?この家は狂っているんだ、僕らが生まれるずっと前から」
二子の愛らしい大きな瞳に、じわじわと絶望が広がる。やっと自分と同じ呪縛に捉われ始めたらしい二子を、銀平は心から
愛しいと思った。
「さあ、戻っておいで二子」
お前を満たした光を忘れ、禁忌に淀んだ泥沼の中へ―――お前が生まれた場所へ。
穢れを知らぬ二子の身体へ、銀平は肉の楔を打ち込んだ。