「完全に足止め喰らっちまったなぁ」  
「…すみませぬ。私の足が遅いばかりに」  
 
 
 
 旅の道での急な豪雨。雨脚から逃げるようにこの古びた山小屋に逃げ込んだはいいが、  
二人をこの小屋に追いやった途端、ますます激しくなる雨音と雷の光の為、  
わずかにカビ臭い小屋での待機を余儀なくされていた。  
 
 小屋の屋根をうちつける激しい雨音に呆れ吐き出した言葉は、  
部屋の隅で小さくなっている君主に聞こえてしまったようだ。  
長く垂れ下がった眉をぴくりとあげ、睚弥三郎こと加当段蔵は複雑そうに顔をしかめた。  
 
 狩又の城に討ち行ってふた月。  
半ば成り行きで結んでしまった主従関係は未だに続いていた。  
あれから事あるごとに「滝での約束」を持ち出し迫ってくる蘭菊の扱いに困ることはあったが、  
それでもこの奇妙な君主との旅は不快なものではなかった。  
 
 蘭菊の持っていた金銭は、当てもなくさまよう旅路を支えるには十分すぎる額ではあったが、  
加当はあえて狩又との戦いで壊れた人形を作り直す資金に当てる事を提案した。  
 しかし、蘭菊は未だにその提案を飲もうとはしない。  
それならと加当は時折冗談めかしたように(だが割と本気で)蘭菊へお家再建をふってみたが、  
当の蘭菊は困ったように笑い、その話題を濁し続けた。  
人形を直す事も、この先の事を考えるのも、もう少しだけ時間が欲しかった。  
 
 
父の愛した人形を壊す事が目的だった蘭菊は、狩又の城へ討ち入り死ぬつもりだった。  
その目的を果たした今、自分がたどるべき道を見失ってしまった。  
 
 
「…それを遂げてしまった今何をしていいのかわからないのです。」  
囲炉裏の炭を転がす加当の手が、視界の端に映り込んでくるのをみて、蘭菊は切なくなった。  
答えを早く出さねばならない。鳶加当とうたわれ、自分の後ろを守ってくれる忍びの為にも。  
 
蘭菊が決断を渋っている理由をわかっていながらも、加当の不満は募った。  
下忍とはいえ、蘭菊を己の主と決めてついてきたというのに、これでは面白くない。  
いらぬ疑心に捕われず、せっかく己の全てをかけて使える事が出来る主人を見つけたと言うのに  
手腕を振るう機会すら与えてもらえないのでは。  
「あーあ、姫さんのせいで腕も訛っちまう」  
「すみませぬ…」  
「…まあ、めんどくさい事をしなくていいってのはあるかもなぁ」  
 
 囲炉裏の灯りがぼんやりとふたりを照らした。  
雨音はいっそう激しく屋根を打つばかりだ。  
 
「まなじる様、あの壊れた人形をどこで直すつもりなのですか?」  
「西の土地にからくり人形作りの名人がいると聞きました。  
直した所で以前のような動きが出来るとは限らないですがこの状態よりはマシでしょう。  
なんせ二人だけでの旅ですからねえ。  
いざとなったら上様ご自身で身を守っていただかないといけない場合もあります」  
 
 まあ、出来るだけそんな事にはならないようにしたいんですがね、と付け加えると蘭菊は微笑んだ。  
「私としては、もうあの人形を行李の中から出したくはないのですが…」  
「確かに上様にとっては面白くないかもしれませんが、俺に出会うまで女ひとりで旅を続けられたのもこの人形のお陰でしょう」  
「はい、女の私ひとりではとても生きていけませんでした…」  
 
 
 
「…羨ましいですねぇ」  
「あん?」  
 ぽつりともらした言葉は当の蘭菊でさえも予想外だったようで。  
 あたふたと自分の指で小さな口元を押さえる。  
しかし加当はその言葉がどうにも引っかかった。これは、濁してはいけない言葉だった。  
 
「何が羨ましいんじゃ」  
加当のまっすぐな視線に耐えられず濁す事が出来ないとわかった蘭菊は、  
長いまつ毛を伏せながらもう一度つぶやいた。  
「私は、父の愛した人形にはなれませんでした…」  
 
 
*****  
 
「父はいつもからくり人形達の置かれた部屋に閉じこもり、  
食事をしているときも新しいからくりの案が出てはそれすらも後にして工房に入り浸りました。  
秘密裏に集めた人形を作る為の文献を触った者を父は自らの手で斬った事さえあります。  
人形を作る父は、他の者を人形によせる事も許さなかった…まさに鬼だったのです」  
 
蘭菊の小さな手が、着物を握りしめる。当時の父の姿を思い出した蘭菊の顔は蒼白で、  
恐怖と人形への嫌悪感で歪んでいた。その様子を、加当はじっと見つめる。  
 
 
「最初は簡単なつくりの人形でした。盆に茶をのせれば動き出したり、  
ねじをまけばそれがきれるまで歩き続ける、小さな人形。  
でも父の人形はすごかった。何度も思考を重ね、ついに人形の背丈は人を超えてしまった。  
めなじり様と出会った時見た、あの懸糸傀儡です」  
 
「私は父の娘の中でも一番幼かった。  
姉達が涙を流し敵地へ次々と嫁いでいく中、父は何の関係もないように  
私の指に糸輪をはめさせて言いました。」  
 
 
 
 
”蘭菊や、この人形はお前なしでは動けぬ。可哀想だろう?なあ…”  
 
 
*****  
 
「初めて、父の目に私が映った瞬間でした。  
…いえ、父は私の目を覗き込みながら、実はその奥にある優雅に動く人形の姿を見つめていたのですね」  
 
その言葉を言った瞬間、きっちりと握り込んだ着物の裾を離した。  
灯りで浮き彫りにされた美しく整った顔は、何もかも諦めたように虚ろだった。  
 
「それを幼いながらに私も感じていました。でも…、  
敵地へ送り出される姉にも、母にさえも出来なかった、父の理想を手伝う事が出来るのは自分だけなのだと」  
 
 そんな感情がどれほど歪んで醜いのかも、当時の蘭菊にはわからなくなっていた。  
この独白が目の前の従者に軽蔑されるとわかっていても、それでも曝け出したかった。   
 
 
「私は、父の人形になりたかったのですね」  
 
「お前さんはこの間の狩又の件でふっきたんじゃねえのか」  
 蘭菊はただ囲炉裏の火を見つめている。  
加当の問いに答えた今も、寄せられた眉は戻らない。  
 
 加当は蘭菊の言いたい事はわかっていた。  
 からくりの歯車に巻き込まれ息絶える狩又の凄惨な最期に目をそらす事無く、  
しっかりと見据えた蘭菊の目は、過去を断ち切った一片の迷いも無い澄んだ瞳だった。  
それに嘘はない。  
 
 だが、目的を遂げたあと自分と共に穏やかに過ごして来たこの時間の中で、  
少女は十分すぎる程考える時を得てしまったのではないか。  
 
 
 
ーーもし。  
もし自分があの時貞義を倒した後この君主である少女を連れ出さなかったら?  
父親の残した人形と一緒に城の中で朽ち果てるつもりが無かったと、本気で言い切れるのか。  
 
「大丈夫です。まなじろ様、もうずいぶん昔の事ですから」  
 
ーー本当にここで、この君主の気持ちを燻らせたままでいいのか。  
 
 ぱちりと、囲炉裏の炭がはじける。  
 
 
蘭菊の絞り出すような告白が終わったあと、加当は何も喋らなくなってしまった。  
ただ自分と同じように囲炉裏の灯りを見据えているだけだ。  
(お怒りになっているのでしょうか…)  
 当然だ。今言った言葉はあの時の約束も信頼も揺らいだという情けない告白だったのだ。  
呆れられているのかもしれない。  
 
伝説の鳶加当の君主となる為に必要な事はひとつだけ。  
父の人形の呪縛を断ち切る、ただそれだけの条件で、この忍は十分すぎる程仕えてくれた。  
それを、今更過去の父への思いで揺らいでいるなどと、どうして言ってしまったのか。  
蘭菊は自分がつぶやいた言葉に、深く後悔していた。  
 
 
「良いんじゃないでしょうかね」  
「ーーえ?」  
加当が言った言葉は、蘭菊に取って思いがけない物だった。  
 
「良いんじゃないでしょうか?一度人形になるってのも。  
…上様は先程の話をあの時の顔で話しているのにお気づきですか」  
 
 あの時ーー加当と出会って初めての晩。  
何故自ら仇討ちをしようとするのかと加当に問われたときの顔を、自分はしていたと言うのか。  
 
加当の言葉は形だけは自分の言葉を肯定する物ではあったが、  
その言葉ひとつひとつに含んだ怒りが滲んでいるのを感じ、蘭菊は体を強ばらせた。  
 
「一度やってみないと気が済まないと見える」  
火鉢から手を離した加当は、方へ体を向けたかと思うと、蘭菊の肩を押した。  
バランスを崩した蘭菊は小さく悲鳴を上げ床に倒れた。  
 
 
「誰かの手によって体の自由が利かなくなるってのは案外人間にでも出来るんでね。  
ーーあんたを操ってやるって言ってるんだよ。上様」  
 
 倒れた蘭菊の肢体を跨いだ加当は、その小さな体に覆いかぶさった。  
火の番を無くした灯りは小さくなりやがて音も無く消えてると、  
まるで男の黒装束が部屋の闇と混じるように蘭菊の身体を隠していった。  
 

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