「上様、折り入ってお話させていただきたいことがございまする」  
山に穿たれた洞窟内で夜を明かす。  
はぜる火に赤く照らされた顔で、蘭菊は目をぱちくりとした。  
2人旅のお相手である彼女の忍が、この上もなく深刻な顔で幼い君主を見据えている。  
姫はつられてすぐに真面目な顔になり、大きな瞳で彼を見返した。  
「何でございましょう。お約束でしたらいつでも果た…むー!」  
"約束"とう単語を聞いた途端、加当段蔵はばっと姫の口を塞いで言葉を遮った。  
「そ、それはもう忘れろと言ったじゃろうが…」  
忍びの大きな手の下から、姫が抗議しているらしい声がくぐもって聞こえるが、  
それらはむーむーというよく分からない呻き声にしかならない。  
しかし加当の方もそんなことには構っていられない。  
早くあの怖ろしい約束を忘れてほしい。  
いや…忘れられると多少淋しいのだが、とりあえず蒸し返さないでほしい。  
「んー、ひゃほうははは…ぷあっ!」  
酸欠になる直前でようやく加当は手を離した。  
「ご無礼申し訳ありません上様。しかしお話というのはそのことではありませぬ」  
「はぁ、はぁ…ぅ?」  
「だ、大丈夫ですか」  
ちょっとやりすぎたか。  
 
流石に反省して恐る恐る手を伸ばしかけると、蘭菊がタイミングよく顔を上げて指先に頭突きした。  
「あっ!す、すみませぬ!そ、それでお話、というのは」  
「はァ…とりあえず、ご覧いただいた方がいいですかな」  
相変わらずやりづれえなと半分脱力しながらも、加当はささやかな  
布袋を広げ、中身を岩の上にばらばらと空けた。  
蘭菊が彼を雇いに来たときの報酬のほんの一部だけがきらりと光り、  
他はすべて薬や薬草、非常食等の携帯雑貨である。  
たった一つ残った玉のかけらが、焚き火の赤に照らされて生白く反射する。  
蘭菊は、加当とともにそれを黙って数十秒見つめた。  
「………あ、の…加当様?」  
「はい」  
「これが何か…」  
流石は箱入り姫!  
加当は岩が落ちてきたように突っ伏し、それからがばりと起き上がって玉のかけらを勢いよく指差した。  
「これ!これしかないんじゃ、路銀が!!」  
「え、え!?」  
「…路銀くらいはお分かりですな、上様?」  
念のため聞く。  
蘭菊は物凄い形相の加当にまったく堪えていない様子で首をこくこくと縦に振った。  
加当が安堵の息をつく。  
「ですから…残り少なくなった路銀をどうにかしてまた増やす必要があるわけですな。  
 上様にあっては、どうなされるおつもりですかね」  
「はァ」  
 
蘭菊が実に頼りのない返事をする。  
黒髪が肩に落ちかかって、身じろぎのたびにさらさらと揺れた。  
加当はそれから無理矢理目を逸らして口をひん曲げた。  
「ま、いざとなったらおれがどこかでまた下忍でも…」  
君主がいるのにそんなことをやってられるかよと思いつつも、それしかないかと嘆息する。  
「上様?お許しをいただければ、それで…」  
「ああ!思いつきました!!」  
「は!?」  
突然の明るい声に、今度は加当が目を丸くする。  
蘭菊はそんな忍びの様子も構わず、いそいそと加当ににじり寄ってぱんと胸の前で手を叩いた。  
「加当様の幻術!」  
「……」  
にこにこと嬉しそうな顔に一瞬ほだされたが、すぐに彼は正気に戻った。  
「はァ!!?」  
「加当様ほどの達人の作られる幻、珍しきものときっとみなも喜びます。  
さすればろ…ろじん?」  
「路銀」  
「そう、路銀を増やすことができませぬか?」  
 
箱入り姫にしては随分と抜け目の無い提案だ。  
仮にも高貴な一国の姫、恵まれることに屈辱を感じないのかと果てしなく疑問ではあるが。  
しかし加当はあっさりとそれを拒絶した。  
「だめじゃ」  
「え…なにゆえでございますか?」  
「忍びの術を人前で堂々と見せるわけにはいかんじゃろう」  
「ああ!そうですね、気付きませなんだ」  
がくりと頭を垂れた加当に相変わらず邪気の無い顔で向き合い、蘭菊が頷く。  
「いや、もういいですよ、おれがそこらでちいっと下忍のあてでも探して」  
「加当様」  
「…まだ何か?」  
「にんぎょう…では、いけませんか」  
加当段蔵は、口をつぐんで姫を見下ろした。  
彼女が執着しつつも憎み、破壊しながらも愛してやまない、桑折の中のからくり人形。  
それを積極的に使わせることが加当にできるわけも無い。  
「この辺りに、血縁の城主はおらんのですか」  
「おりませぬ」  
「どこかの城から必要な分だけいただいてくるという手もございますが」  
「そ、それはなりません!」  
本当に真っ直ぐで、芯の通った上様だ、と加当は思う。  
もっともそんな上様でなければ今更新しく君主を持とうなどと考えもしなかっただろう。  
 
「…でしたら仕方ありませぬ。上様」  
弱くなりかけた火に無造作に薪を数本放り入れながら、加当段蔵は溜息をついた。  
では、と高い声がすぐ隣で期待を持って響いた。  
どうせ他の城主に使える気もなく、失うものなどこの姫くらいしかないのだ。  
「人形はともかく、幻術で舞いのひとつふたつ見せれば、ある程度の金は稼げるでしょうな。  
まあそれくらいなら、構わんでしょう。」  
「めなじる様―」  
「眦じゃ!」  
眉を吊り上げて振り返ると、蘭菊の顔が異様に近くにあった。  
「……!!」  
「あの、まなじら様」  
「は、はははい」  
「そうと決まれば計画を練りましょう」  
 
姫は結構やる気だった。  
加当は少しだけ、前の城主が恋しくなった。  
 
 
 
完  

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