からくりの君  

うら寂しい山道から仰ぐ太陽が傾きを緩やかに下げていく刻になって、  
のどか、としか言えないようなぽかぽかとした陽気もゆったりと色を薄めはじめていた。  
木々の影法師が少しずつ伸びてゆくそんな山の中を、二人のおかしな道連れが行く。  
行李を背負った一見物売り風にも見える妙な男が前に立ち、  
後ろから素直な顔立ちの少女がとてとてと小走りにそれに追いつこうとしているのである。  

「加当様!加当様、どうしていつもそう仰るんですか?」  

落ちついた高めの声が、熱を帯びて夕暮れの冷え込みに響き渡る。  
黒い髪の少女は息を弾ませて男に追いつくと、今度は横に並ぼうとしながら一生懸命呼びかけた。  
「加当様っ」  
縋るように袖を掴まれかけたのを、無礼は承知で男はかわした。  
少女の手が空を掴み、バランスを崩した彼女はそのまま足をもつれさせて  
転びかけ・・・たが、奇跡的につま先で数歩土をつっかけてから持ちなおした。  
が、今度は細くて軽い身体が後ろへ引っくり返りそうになる。  
その背中を、加当と呼ばれた男がひょいと抱えるようにして支えた。  
「っと…」  
「ああ!す、すみませぬ」  
「上様、お怪我は」  
主君のしなやかな肢体が着物越しに掌に伝わり、内心は非常に非常に非常に動揺しながらも  
そこは流石に一流の忍び、加当段蔵・別名睚 弥三郎はあくまで冷静な顔で答えた。  
(・・・実は少しは顔に出ているのだが、彼の「上様」はそういうことにはからっきしなので  
 たいした問題ではない・・いや今はまさにそれこそが問題なのかもしれなかったが)  

恐縮しながら立たせてもらった蘭菊姫は、たった一人の忍にしきりに頭を下げてから、  
はっと顔を引き締めて弥三郎の袖を今度こそ握り締めた。  
「加当様、あの、私頑張りますから、今度こそ約束を!」  
「あ〜〜〜〜ありゃぁもう、いいんですって言ってるでしょうが!」  
忠実な部下とは思えぬ口調で焦りまくる弥三郎とは正反対の  
真剣そのものの顔で、蘭菊は激しく首を左右に振る。  
「いけません!」  
(いけません、じゃねぇ〜〜)  
脱力している男をふと心配そうに見上げて、蘭菊は小首を傾げた。  
「ではせめて、何をなさりたいのかだけでも教えていただきたいのですが・・・」  
「・・・・・・」  
それを言えというのは、命を懸けて仕えようとしている忍に対しての最大の拷問であった。  
「滝での約束」というのは(これを思うたび弥三郎は羞恥心で死にそうになるのだが)、  
簡潔に言えば「戦いが終わったら蘭菊にしたいことをする」ということなのである。  
しかし蘭菊は約束をした時弥三郎がしたかったことを分かっていない。  
明らかに分かっていない。  
したくない、と言えば嘘になるが、だからといって主君に手を出せるわけもない。  

 

そして滝での約束を思い出すことは、蘭菊への忠義を改めて思い出すことにもなるのだった。  

すらりとした白い肢体。  
清浄な水面に浸かった足首から腰への線へと視線を上げていけば、  
そこには痛々しい細く長い凄惨な傷跡。  

「上様。」  
「はい?」  
期待に目を輝かせて顔を覗きこまれると、途端に決心が緩むのが分かる。  
「あー・・日が暮れまする。先を急ぐとしましょうや。」  
「まなじら様!!」  
「ま・な・じ・り・じゃ!」  
ぶっきらぼうに訂正してすたこらさっさと先をゆく。  
小さき姫は、また小走りに男の後を追いかけた。  
数ヶ月ひたすら側にいて手を出さずにいたのは自分でも驚嘆するが、  
あと数日持つ自信すら今の男には欠片もなかった。  

山の上空を雁が渡り、日はもうゆるゆると暮れはじめておったそうな。  
さァて、いつまで下忍の忍耐とやらは、持つのであろうかね。  

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