昔々、ドイツはプラハと言う処に、二人の錬金術師の兄弟が居りました。
弟の錬金術師はその町で、それはそれは美しい娘に恋をしました。
処が、娘は兄の錬金術師と結ばれ、それに怒った弟の錬金術師は、娘を拐い、フランスはキュベロンのクローグ村と言う小さな村へと逃げてしまいます。
ですが、娘は自ら命を絶ってしまい、最期迄彼を愛してはくれませんでした。
彼は、村の人達が娘を殺したと思い込み、娘そっくりの人形を造り、彼女を笑わせようと、
自分で動ける人形を造り、村を滅ぼしてしまいます。
そして、それでも彼女が笑わない事に諦めた彼が人形達に別れを告げた後も、人形達は自ら仲間を増やし、
世界中の人々を恐怖に陥れました。
親しい人や愛しい人を人形に殺された者達は怒り、自分の人生を擲って迄、人形達に復讐しようと誓いました。
これは、そんな中の一人と一頭のお話。
ある処に、お爺さんとお婆さんが住んでいました。
お爺さんは髪の毛こそ真っ白でしたが、まだまだ元気で、良く笑う明るい人柄は村中に好かれていました。
お婆さんはとても優しい人で、若い頃は村一番の器量良し。今でもその面影は失われていません。
そんな二人には長年仲良く暮らして来ましたが、子どもが居りませんでした。
ある日お爺さんが、母犬に見捨てられた、掌に乗ってしまいそうな位に小さな子犬を拾って来ました。
子どもの居ない二人は、その犬にジョニーと名付け、息子の様に可愛がりました。
「ジョニーや、ダニエルさんのお店で卵を買って来とくれ」
今日もお婆さんがジョニーにお遣いを頼みます。
お爺さんに拾われてから一年、成長したジョニーはとても賢く、
自分を可愛がってくれているお爺さんとお婆さんが大好きだったので、二人の言う事を良く聞きました。
「あっ!ジョニーがお遣いしてる」
首からお金を入れた籠を誇らしげに下げたジョニーに子ども達が駆け寄って来て、彼の体を撫でたり、抱き締めたり。
利口なジョニーは村中の人に愛され、お爺さんとお婆さんの誇りでした。
「今日は、ジョニー。今日は何のお遣いだい?」
ジョニーは「ワン!」と一つ吠えて挨拶し、ダニエルさんにお婆さんの書いた紙を渡します。
「はい、卵。1£だよ」
ダニエルさんから卵を受け取ったジョニーは、お婆さんの待つお家へと帰ろうとしました。
その帰り道、さっきの子ども達が村の広場で何やら騒いでいます。
「大道芸人だって!」
「僕、見るの初めて!」
ジョニーが子ども達が集まっている足の隙間から覗くと、珍しい格好をした男の人が三人と女の人が二人。
ですが、ジョニーは彼等が気に入りませんでした。
彼等からは人間の匂いがしなかったからです。ジョニーは彼等を
「何て油臭い奴等だ」
と思いました。
やがて、村の人々が広場に集まって来ます。その中にはお爺さんやお婆さんも居ました。
お婆さんはジョニーを膝の上に乗せ、頭を撫でながらこう言いました。
「大道芸人なんて珍しいねえ。あたしも初めて見るよ。ジョニーも一緒に見ましょうね」
ですが、ジョニーは一刻も早く、みんなでこの油臭い奴等から離れたいと思いました。
村の人々が集まり終ると、いよいよショーの始まりです。芸人達が一人一人挨拶を始めました。
「ドットーレです。お手玉をやります。だけど、私はボールを持っていません」
「楽士のアルレッキーノです。ですが、私のリュートだけでは楽器が足りません」
「綱渡りのコロンビーヌです。だけど、ここには綱が在りません」
「パンタローネと言います。玉乗りをやりたいのですが、玉が在りません」
「座長のフランシーヌです。今日はこの者達が、私を笑わせる為にショーを披露してくれます。皆様にはそれのお手伝いをお願いします」
何とも変な前口上ですが、村の人々は初めての芸人を心から歓迎し、歓声を上げました。
次の瞬間、ジョニーの嫌な予感は当たりました。
ドットーレの帽子がジョニーの頭上を掠めて大きく振られると、彼を抱いているお婆さんを含めた数人の村人の首が胴体から離れ、
それを掴んだドットーレは村の人達の首でお手玉を始めました。
お婆さんが抱えていた卵がジョニーの目の前に落ち、グシャリと音を立てて潰れます。
周囲の村の人々は悲鳴を上げながら逃げ出し、アルレッキーノがそれに合わせてリュートを爪弾くと、リュートから銀色の煙が立ち上り、
人々を包み込みました。逃げようとした人々は急に蹲り、息を切らせてアルレッキーノの伴奏を手伝います。
ここで我に帰ったまだ動ける村の人々は、家族を殺されてなるものかと、お爺さんを先頭に芸人達に立ち向かいます。
ジョニーもその後に続きした。
ですが、パンタローネが大きく伸ばした腕を閉じると、向かって来る村人達は一塊の肉の玉に押し潰され、
一瞬にしてやられてしまいました。
パンタローネはその玉の上に乗り、、逃げ惑う人々を追い回します。
ジョニーは今、産まれて初めての感情を抱いていました。彼はこの人形達が憎くてなりません。
彼は人々の足を掻い潜ってパンタローネへと向かって行き、その腕に牙を立てました。
処がパンタローネは痛がる様子も無く、ジョニーを払い除けると、その玉で彼を押し潰そうと追い掛けました。
玉の中から顔を出したお爺さんがジョニーに叫びます。
「ジョニー、逃げろ!歯向かっても仕方が無い!」
そう言われても、ジョニーの気持は治まりません。彼は初めて主人の命令に叛いて、芸人に立ち向かって行きます。
ジョニーは大好きなお爺さんやお婆さん、自分を可愛がってくれた村の人々をこんな非道い目に遭わせる芸人達が許せなかったのです。
もう、何度パンタローネに払い除けられたでしょうか。コロンビーヌは動けなくなった村の人達の手足を互いに縛り付けて綱を作り、
それを家の屋根に括り付けて綱渡りをしています。
今、村の中で動いているのは、芸人達とジョニーだけでした。
何度傷付いても彼等に立ち向かって行ったジョニーですが、彼もとうとう痛みで動けなくなってしまいました。
芸人達は動く物の無くなった村を後にしようと、ショーを終わらせ、荷物を纏め始めました。
パンタローネは気絶したジョニーを睨み付け、
「この犬、儂がフランシーヌ様から頂戴した服に穴を開けおった」
と、ジョニーを殺してしまおうと彼の首に手を掛けます。
そこをアルレッキーノが止めました。
「パンタローネ、下らぬ事は止めておけ。我々の対象は人で在って犬では無い。その犬も放っておけば野山に帰るだろう」
パンタローネは手を放し、既に歩き始めている彼等の後を追いました。
ジョニーは動けませんでしたが、彼等に対する憎しみは消えず、しっかりとその匂いを記憶に刻み込みました。
クローグ村の生き残りに、イザベル・ギャルと言う若い女性が居ました。
彼女もまた、ジョニーの村と同じ様に人形に家族を殺された生き残りです。
彼女は人形に復讐を誓い、"生命の水"と言う魔法の薬で"しろがね"と呼ばれる強い人間になり、彼等を追っていました。
彼女は道化人形を相手にする為に曲馬師の下で動物を操る芸を習い覚えましたが、他のしろがねと違い、
自分で動く自動人形を倒す為の武器である操り人形を使うのは苦手でした。
そんな落ち零れの彼女も、10年後にはやっとの事で操り人形が操れる様になり、
滅ぼされた町村の跡を辿って今日も自動人形達を追っていました。
彼女がそんな滅んだ村の一つに辿り着いた時の事です。誰も動く筈の無い村に、唸り声が響きました。
イザベルは自動人形かと思って身構えましたが、声の主を良く見ると、それは蹲って動けなくなっているジョニーでした。
「村の生き残りは貴方一人なの?」
彼女はジョニーに手を差し伸べますが、彼はその手に噛み付きました。
彼は彼女の持つ人形の潤滑油の匂いが許せなかったのです。
ですが、その力は弱々しく、今にも力尽きてしまいそうです。
「人形の匂いが嫌いなのね……賢い子」
イザベルは彼の目を見て全てを悟り、人形を村の倉庫へと仕舞いました。
彼女は自動人形を壊す際邪魔にならぬ様、感情を抑える教育をされて来ましたが、何故かジョニーが他人には思えませんでした。
「えぇと……名前は?」
ジョニーの許へと戻って来たイザベルは、彼の首輪にお爺さんが彫った名前を見付けます。
「ジョニー、人形達が憎いでしょう?命に代えても彼等に仕返ししたい?」
「ワン!」
ジョニーは彼女が敵では無いと分かり、彼女に真っ直ぐな目を向けて大きな声で吠えました。
「本当は人間以外には禁止されてるんだけど……ジョニー、口を開けて」
イザベルは小瓶を取り出し、ジョニーの口へと流し込みます。
それは、彼女と同じ様な目に遭わされた人を助け、復讐する為にしろがねにする"生命の水"でした。
"しろがね"は皆、一人に一つずつこれを持ち歩いているのです。
そして、それを飲んだジョニーは見る間に元気を取り戻し、彼女の周りを駆け回りました。
利口なジョニーは彼女が命の恩人だと解っているのです。
「良ーい、ジョニー?私が今日から貴方の新しい主人よ。私の言う事、聞いてくれる?」
そんな事は訊かなくても解っていました。
ジョニーは彼女の足をペロペロと舐め、彼女を自動人形の向かった方角へと導こうとします。
ですが、彼女はそんなジョニーを静止し、彼に言い聞かせます。
「駄目!人形を倒す為には貴方はまだ弱いわ。だから、今日から特訓よ!」
村の倉庫に仕舞われた人形は、その後誰の目にも触れる事は在りませんでした。