からくりサーカス  

興行地に到着した仲町サーカスの団員達は、テントの設営作業に追われていた。  
「みなサーン、そろそろ一休みしませんカー?」  
リーゼとエレオノールがコーヒーを運んできた。  
「よーし、みんな、休憩するぞー!」   
仲町の声に、団員達はそれぞれトレイからカップを受け取った。  
エレオノールは鳴海にそっとカップを差し出す。  
「はい、どうぞ。」  
鳴海は無言でそれを受け取ると、彼女に背を向け、人の輪から外れた場所に腰を下ろした。  
取りつく島も無いその態度に、エレオノールはしゅんとうなだれる。  
「相変わらずだねぇ、彼氏。」  
タバコをふかしながら、ヴィルマが話しかけてきた。  
団員達は円になって雑談に興じているので、2人の会話を聞かれる心配は無い。  
「ええ、必要な時以外は何も喋ってはくれないわ・・・。」  
入団以来、数日経っても鳴海はろくに彼女と会話をしようとせず  
素っ気無い態度をとり続けていた。  
かといってエレオノールの存在を無視しているわけではない。  
顔を向けずとも、鳴海は常に神経を研ぎ澄ませ、彼女の行動を監視していた。  
こうしている間にも、自分に向けられた獲物を狙う野生の獣の殺気を  
ヒシヒシと感じている。  
「どうしたら前みたいに、優しく笑ってくれるようになるのかしら・・・。」  

「は〜〜〜やれやれ。あんたってこういう事に関しちゃ、本当に奥手なんだからねえ。」  
ヴィルマは大袈裟に肩をすくめてみせた。  
「だって私は・・・、ずっと人形のようだったから。こんな時どうしたらいいのかわからない。」  
今では他人との付き合いにもかなり慣れてきたが、それでも相手から話しかけられ  
答える、受身の会話がほとんどだ。  
ましてや男性に自分の思いの丈を伝えたいと思ったのも、生まれて初めてなのだ。  
「バッカだねえ。男と女に会話なんて必要ないの。彼氏の前で服脱いで  
一言『抱いて』って言えばいいのさ。」  
ヴィルマは悪戯っぽい目で笑いながら言った。  
「ヴィ、ヴィルマ!そ、そ、そんなこと・・・。」  
エレオノールは顔を赤らめ、あたふたとうろたえる。  
「真っ赤になっちゃって、まぁ。可愛いね〜〜〜。」  
「で、でも、そんなこと言っても、あの人が受け入れてくれるはずない・・・。」  
それどころかエレオノールを付け狙う自分を  
色仕掛けで篭絡しようとしていると怒り出すかもしれないのだ。  
むろんヴィルマは、そんな事情を知らない。  
鳴海を只の堅物だと思っているようだ。  
男の事で右往左往するエレオノールが面白くて仕方ないらしく  
無責任に焚きつける。  

「男の生理ってもんを分かってないね。ゲイでもなけりゃ、女に迫られて  
若い男が何もしないわけないっての。あんただったらイチコロさ。」  
普通なら「おいおい」と突っ込むところだが、そこは世間知らずなエレオノールである。  
「ほんとに?」と、ヴィルマの暴論にも素直に耳を傾ける。  
「ほんと、ほんと。男と女なんてのはね、100回のお喋りより1回抱き合ったほうが  
互いの事が分かるもんなの。男なんて単純なんだから、コロッと態度も変わっちまうさ。」  
自分と違い、経験豊富なヴィルマの言うことなら間違いはないのだろうと  
エレオノールは真に受けて、おずおずと尋ねる。  
「本当にナルミは私に優しくなってくれる?」  
「もち。あの兄さん、明日っからもう、あんたにメロメロよ。」  
「わ、私に上手く出来るかしら・・・。」  
じれったいとばかりにヴィルマはエレオノールの背中を叩いた。  
「黙って待ってたって何も進展しないよ。いい?女だったら勝負しな!」  
勢いに乗せられ、エレオノールは夜這い決行の約束をさせられてしまった。  

みんなが寝静まった頃、エレオノールはそっとトレーラーを脱け出した。  
ヴィルマだけは狸寝入りで、(がんばりな)と目くばせで合図を送ってきた。  
トレーラーの運転席は団長の仲町と三牛が、カーテンで仕切られた荷台の中は  
それぞれ男女に分かれて眠っている。  
鳴海は三輪トラックの運転席をあてがわれていた。  
エレオノールは足音を忍ばせ、トラックにそっと近づいた。  

エレオノールは運転席の窓から、中を覗き込んだ。  
鳴海はシートにもたれ掛かり、腕を組んで眠っている。  
だが安眠中とは言い難い様子だ。  
悪夢にうなされているのか、油汗を浮かべ苦悶に顔を歪ませている。  
「・・・ッケンフィー・・・さん、駄目だ・・・。」  
あまりに苦しそうな様子に、エレオノールは車内に入り、  
揺り起こしてやろうと手を伸ばした。  
が、その気配に目を覚ました鳴海は、彼女の手を荒々しく払いのけた。  
「何しやがる!」  
「あの・・・、うなされていたから。それで・・・。」  
鋭い眼光に射竦められ、エレオノールは思わず体を震わせた。  
「何しに来た?」  
彼女に敵意がないことを悟って、鳴海は多少警戒をゆるめながら言った。  
「あ、あなたと話がしたくて・・・。」  
声を震わせながら、エレオノールは何とかそれだけは答えた。  
「俺がお前から聞きたいのはゾナハ病の治療法だけだ。それ以外に話すことなどない。」  
鳴海はきっぱりと拒絶した。  
しかし彼女もそれなりの覚悟でここに来たのだから、簡単には引き下がらない。  
「でも・・・、でも私はあなたの事が知りたい。あんな風にうなされるほど辛い目に遭ったのでしょう?  
あなたの身に何が起こったのか知りたいの。」  
エレオノールは必死に訴えかけた。  
「うるせぇ!それがおまえに何の関係がある!」  
鳴海は声を荒げ、彼女を睨み付ける。  
「今更そんなことを知ってどうするつもりだ?俺に何があったのか、しろがねや自動人形がどうなったのか、  
手下どもを見捨てて、こんな所でのうのうと暮らしてやがったおまえにはどうでもいい事だろう!」  
「ち、違います!私はフランシーヌ人形では・・・。」  
「いいか!俺は絶対におまえを逃がさねぇ。いつでもおまえを見張っているからな。逃げられると思うなよ。  
例え逃げたとしても追い詰めて、何処までも追い詰めて必ず捕まえてやる。」  
反論の隙を与えず、それだけ言うと、鳴海は彼女から顔を背け、  
再びシートに体を沈めた。  
エレオノールは、彼のフランシーヌ人形に対する憎悪の深さを、改めて思い知らされた。  
彼を苦しめているのは過去の悪夢ばかりではない。  
フランシーヌ人形への火のような怒りに縛られ、一時も心が安らぐことはないのだ。  
彼の心の傷が癒えるよう、安らぎを与えてやりたいと、エレオノールは思った。  
せめて眠っている間だけでも、何もかも忘れてほしい。  
苦しみ、うなされる姿は見たくなかった。  

エレオノールは両腕を伸ばし、鳴海の頭を引き寄せる。  
そしてそのまま、自分の胸に掻き抱いた。  
「な、何しやがる!」  
彼女の柔らかな胸のふくらみに顔を埋める形となり、鳴海は慌てて振り解こうとする。  
だがエレオノールはさらに力を込め、鳴海を胸に抱きしめた。  
「ほら、私はこうして此処にいます。何処にも逃げたりしません。」  
エレオノールは優しく諭すように囁いた。  
「私はずっと此処にいるから、一晩中こうしているから。  
だから安心して眠ってください。」  
この人の心を救いたい。その為なら殺されてもかまわない。  
さっきまではそう思っていた。  
だが死んでみせたところで、ゾナハ病が無くなるわけではない。  
彼の苦しみを救うことなどできないのだ。  
それならば自分がすべき事は只ひとつ、彼と共にゾナハ病の治療法を探すことだ。  
どんなに拒絶されても、必要とされなくても、この人の傍を離れない。  
何処までも付いていって、苦しみを共に分かち合いたい。  
鳴海の為に死ぬのではなく、鳴海の為に生きる道を選ぼう。  
彼女はそう決意した。  

鳴海はいつしか抗うのを止め、彼女の胸に静かに体を預けている。  
エレオノールは胸の中の愛しい存在を、さらに強く抱きしめた。  
 「かわいいぼうや 愛するぼうや  
 風に葉っぱが舞うように 坊やのベッドはひいらひらり  
 天にまします神様よ この子にひとつ みんなにひとつ  
 いつかは恵みをくださいますよう・・・」  
彼女は囁くように子守唄を口ずさんだ。  

「やれやれ。全然帰ってこないから、さぞよろしくやってるかと思いきや  
健康的に肩を並べておねんねとはね。」  
呆れたようにヴィルマは言った。  
明け方、他の者に気付かれないうちに呼び戻しに来たヴィルマが見たのは  
互いの体にもたれ掛かり、シートで寝息をたてている2人の姿だった。  
「でも、まんざらでもない雰囲気だったようだし、まあよしとするか。」  
「ええ、もう焦らない事にしたわ。私たちはまだこれからなんだから。」  
エレオノールは久しぶりに晴々とした表情をしている。  
彼のいない日々を思えば、今の心の傷みなど、どれ程のものだろう。  
永遠に会えないと思っていた人と、再び巡り逢った。  
夢見ていた事が現実に叶ったのだ。  
だからいつか、鳴海と心を通わせる日も訪れるのかもしれない。  
自分はその日を待つことが出来る。   
エレオノールはそう思った。  

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