からくりサーカス  

ぼうっとしている美しい銀髪の横顔を見つめて、作業の終った鳴海が声をかけた。  
「どした、しろがね。ぼーっとしてよ」  
「え?」  
はっと顔をあげたしろがね―本名はエレオノールという―が、鳴海をきょとんと見返す。  
買い出し・学校・アルバイト等々で仲町サーカスはほとんど全員が出払っており、  
皿洗いをしているしろがねと、器具の片づけをしている鳴海だけが  
車の側でせっせと動き回っていた。  
ギイがまだ車内で寝こけているが、毎晩どなりんじじいのいびきで眠れない夜を  
過ごしているのでこれはしょうがないといえばしょうがない。  

「あ、その・・・・」  
身体を重ねたこともあるとは言え、彼女にとってはすべてが初めての恋だ。  
想い人にじっと見つめられるという経験は未だに彼女にとって  
慣れないものであるらしく、しろがねは白い頬をかすかに染める。  
「なんでもないから、気にしないで。」  
しかし鳴海は疑わしい目つきのまま、視線を外さなかった。  
「おいしろがね、指」  
「・・は?」  
「指、血ぃ出てるだろーが」  
「えっ?あ、あぁ、気付かなかった。」  

細い指先は、どこで切ったのか、割と派手に血が流れて手首まで赤が滴っていた。  
そういえば、先ほど皿を一枚割ったような気もする。  
「おまえ、本当になんでもねぇのかよ。」  
鳴海がやれやれと近くにやって来て怪我をしていた方の手を取ったので、  
しろがねは慌てて手を引こうとしたが、鳴海の力強い手で抑えられて身動きが取れなくなった。。  
心は無心から動揺へと急激に変化し、どうしていいのか分からない。  
思わず黙っていようと思ったのに心より先に声を出してしまった。  
「カトウ、」  
「あのなーおまえ、"しろがね"だから、って無茶して良いってもんじゃねえんだぞ?」  
傷を診ている鳴海を見上げて、しろがねは首を振った。  
「あの、カトウ、聞きたいことがあるの」  

いまさらこんなことを言っては、叱られるだろうか。  

鳴海が手を診るのをやめて、しろがねの顔を見返した。  
黙って続きを促す黒い瞳から思わず視線を逸らして、しろがねは下を向いた。  

「私は、まだ、人形のようだろうか・・・」  

とても発端は些細なことだったのだが、彼女はここ数日そのことばかりが  
気になって、他にもコップ一個、茶碗を一個割ってしまっているのだ。  
加藤鳴海という、初めて恋心を抱いた男に言われた大事な言葉を忘れた日はない。  
目の前の男は、ほとんど事情も知らない状態だったにも関わらず、  
彼女を見下ろしてはっきりと『おまえは人形なんかじゃねえよ』と言ってくれたのだ。  
それでも、気になってしまう。  
ほんの些細な一言を聞いただけなのに。  

鳴海が、溜め息をついた。  
びくりと肩を震わせたしろがねの左手を柔らかく掴んだまま、男は声を漏らした。  
「ったく、おまえはまた・・・」  
「カ・・!」  
静止する前に、赤い血を流し続けるしろがねの指先を、鳴海が口に含み、  
ゆっくりと、なぞるように傷跡を舐めあげた。  
「んっ・・・ぁ」  
突然、ぞくりと背筋を快感が這いあがり、しろがねは小さく喘いだ。  
血のついた唇を舐めると、鳴海はしろがねの耳元にその唇をゆっくりと寄せた。  
熱い息がかかって、急な事態に対処しきれないでいる彼女の呼吸は、  
驚きと快感に蕩けて急速に乱れを生じはじめる。  
―たった、これだけで。  
指を舐められて、耳元で囁かれるだけで。  

「ちゃぁんと人間の、血の味がするぜ・・?」  
耳元に叩き込まれる愛する男の一言一言が、心臓をあっけなく震わせて、  
至高の快感を与える代わりに、彼女の体から力を抜き取っていく。  
「カト、も・・、・・だから、放して・・・!」  
意識とは無関係に涙が溢れ、溢れる何かからから逃れようとふるふると首を振る。  
だがその細腕はすでに彼女の支配下にはなかった。  
「あっ・・・ああ、や、」  
ちゅ・・ともう一度鳴海は指先に唇を落として、今度は手首の方まで流れた血を  
すべて拭き取ろうとするかのように、左手のそこかしこに唇を落としては、  
彼の唾液と彼女の血を音をたてて混ぜ合わせていった。  
「あ、あぁ・・ふ、だめ、カト、もぉ・・んぁあ」  
ガクガクと膝の力が抜け、しろがねは必死で鳴海の左腕にしがみつく。  
かつては彼女の操る人形のものだった腕に顔を押し付け、右手で握りしめた。  
だがそれすらも、すっかり勃ってしまった胸の先端を服越しに刺激する。  
彼女の身体が、もどかしい刺激を受けるたびに大きく痙攣した。  
「ふあぁ、ん!ナルミ、・・っナルミ、も、もうやぁああっ・・・あ、あ、、!」  
屋外で、午前中から、たったこれだけのことでこんなにも身体の熱くなる  
自分自身に激しい罪悪感を感じながらも、それがまた快感に変わってしまう。  
涙の滲んだ顔を腕に押しつけて声を殺そうとするが、  
片腕だけでしがみついているので身体が震えるのを止められない。  

と、鳴海の舌が、不意に彼女の指を開放した。  
「・・う・・・」  
息も荒く肩を上下させ、しろがねがしがみついていた腕は彼女の  
背中にゆっくりと回され崩れかかる身体を抱きとめた。  
鳴海が血をすっかり舐め取った腕から手を離す。  
手の甲で唇を拭うと、彼はしろがねを見下ろして大事な女の名前を呼んだ。  
「・・しろがね」  
「あ・・・え?」  
身体中を上気させて見上げてくるしろがねに、意地悪そうに笑みを向ける。  

「で、おまえがなんだって?」  

正直、今となっては恥ずかしくて、それもこんな風に見下ろされてしまっては絶対に言えない。  
・・・買い出し先で「人形みたいにキレイだ」と言われただけのことだ。  
心身ともに脱力した彼女は、気にすることすらあまりにばかばかしく思われて、  
抱きつきがてら鳴海の胸に顔を埋めて黙秘権を行使した。  

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