パンッ  
 
 
空気の割れるような音がした  
何をされたかまったく分からなかった  
 
「さいっっってい!!」  
 
その言葉の後に、やっと俺は理解した。  
テンコにビンタされた事を…  
 
まだ頬がジンジンする。  
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「もうこんな家出ていってやる!!」  
 
そう叫ぶアイツ  
頬に手を添い、俺は言った  
「あぁ出てけよ!俺は止めないからな!!」  
どうせ、この家を出ていってもすぐに帰ってくるさ。  
テンコが帰る場所なんてこの家以外無いんだからな…  
 
最初はそう思っていた。  
そうなるに決まっていると当たり前のように感じていた。  
けど、俺は気付いてなかった。  
アイツの意思を、俺の言葉を聞いた後のアイツの悲しそうな表情を…  
 
それから1時間も経ったくらいだろうか  
俺の部屋にノックの音が響いた  
もちろん俺はアイツが帰ってきたと思っていた。  
 
「入るよー。」  
そう言って部屋に入って来たのは姉ちゃんだった。  
「なんだ…。」  
俺の第一声  
「『なんだ』とは何よ!せっかく美佐さんが部屋にわざわざ来てあげたのに!それとも何?他の誰かさんでも来たと思ったの?」  
ドキリ  
「で?何かよう?」  
「あれ?意外!もっと動揺すると思ったのにな〜」  
「だから用件は?」  
勿論、動揺はしていた。  
けど、この心臓の痛みが何故起こるかが分かっていなかった。  
「あの子…まだ帰って来てないよ。」  
「……そうなんだ?」  
「………ま、あんたがそれでいいならこの美佐さんは止めないわよ。」  
それじゃ、そう言い残して姉ちゃんは部屋を後にした。  
時計を見ると時刻は『PM9:48』と表示している。  
俺はおもむろに窓を開け、外を見た。  
 
 
「…いるわけないか……」  
誰にも聞き取れない独り言をこぼしながら音がない住宅街を眺める。  
閑静な住宅街は部屋一つ一つに電気を灯しながらも何処か生気を感じられない。  
そして、静寂を包んだこの空間にはアイツの姿はない。  
ハァ、溜め息を漏らしベットに倒れ込む。  
天井を見上げても白い壁紙と蛍光灯の明かりしか見えない。  
 
 
「……何やってんだろ…」  
 
 
気がつくと俺は隣の部屋、アイツの部屋の前に立っていた。  
 
コンコン  
 
ノックをしても返事はない。  
ドアを開け、電気を点ける。  
蛍光灯が何度か点滅しながら部屋を照らす。  
「やっぱり…いないよな…」分かっていたつもりだった、アイツがいないことは…  
けど何処かで信じていた。  
だから俺は外を眺めたり、だから俺はアイツの部屋にいる。  
アイツがいる、そう信じ込んで…  
 
アイツのいない部屋は時間が止まったようだった…  
書きかけのノート、シワがよったシーツ、開いたままのカーテン  
それら一つ一つにアイツの姿が重なるような…  
そんな気がした…  
 
俺は一つの決意を胸に、慌ただしく着替えていた。  
部屋の時計は『PM10:22』と光っている。  
寝巻であるジャージを脱ぎ  
財布をズボンのケツに突っ込んで俺は部屋を出た。  
 
部屋を出て、階段を静かにゆっくり下りる。  
そして暗い玄関で目を懲らして自分の靴を探す。  
これは姉ちゃんの靴、これはお袋の、これは…  
「お兄ちゃん」  
「うっひぁぁあぁ!!!」  
思わず出てしまった裏返った叫び声  
直ぐさま振り返ると  
「お兄ちゃん」  
メメが立っていたが辺りは暗く、そのうえ錯乱していた俺は  
「にゃぁはぁあぁぁ!!!」  
叫んだ。  
 
 
数分後  
落ち着いた俺はようやくメメと話した。  
それにしてもあれだけ叫んだのに誰も起きないとは…  
その御蔭で今があるのだが…  
「なんでここにいるんだ?メメ?」  
「トイレ、お兄ちゃんは?」「え!?俺?俺は……」  
本当のことを言えば後々面倒なことになりそうな気がする。  
「…俺は…コンビニ!コンビニに行くんだよ!」  
「こんな時間に?」  
「…し、深夜に行くことで人間の事を知るんだよ!!」  
神様が嘘をついていいか分からないがまだ俺は候補だし親父も大目に見てくれるだろ  
「…そう」  
「お袋や姉ちゃんには黙ってくれよ、何か買ってきてやるから」  
「うん、じゃあ」  
たこわさ、って…コンビニに売っているのか?  
ともかく俺は家を出た。  
家族にバレないように…  
「いってらっしゃい」  
手を振るメメ。  
 
 
………こうして俺はメメに見送られ家を出た。  
 
宛てが無い。  
いったい何処に行けばいいのか…  
 
「どうしたものか……」  
 
とりあえず歩き回っても見つかる訳でなく…  
公園、自宅の周辺、時には民家の庭先すら覗いた  
が、アイツは見つからない…  
 
 
人通りの多い道に出た。  
夜も十一時をまわっていたが、人の波はまだまだ上げ潮だ。  
何処かに大量発生したクラゲのような酔っ払い、ゆらゆらと波を作っている。  
赤橙黄緑のネオンサイン。遠くからはきれいだが近づくと臭うやつもある。  
誰かはこれをむなしいとかうつろだと思うだろう。  
俺はそうは思わない。  
あの光は人間の欲望を表している。  
みんなその光を浴びて個を保っている。  
きれいはきたない、きたないはきれい。  
そんなこと何処かの誰かが言っていたような気がする。  
 
光を見ていると、なんだか泣きたくなる。  
 
アイツも…テンコもこの光の中にいるのだろうか  
こんな人の波の中、一人で…  
それは俺も同じことだけど…  
 
周りの白い目が痛い  
確かにこんな時間にこんな所をうろついているけど、  
人の家の庭にも入ってズボンには泥も付いているけど、  
一人だけど…  
 
白い目が気になり、脇道に入った。  
脇道は街灯が均一の距離に設置され、まるで俺を誘っているようだった。  
 
街灯と街灯の間から見える空はとても暗い。  
宛てを失った足は俺の意思を汲まずにゆっくり歩いていった。  
 
さっきから何処かで見たような場所を歩いているような気がする。  
それもそのはずだ。  
俺はいつの間にか学校へ向かう道に出ていた。  
 
「ここは…」  
 
そのことに気付いた俺は学校に向かって歩を進めていた。  
理由は特にない。  
登校、下校中に目に入る住宅街はいつもと違う表情を見せている。  
各家にポツポツと電気が点いているだけである。  
時刻はもう十二時をすぎている。  
 
しばらく歩いていると自販機が目に入った。  
空が闇に染まり、各家々も闇に溶け込んでいるので  
自販機の明るさが一層際立っている。  
 
自販機ってこんなに明るかったのか…  
 
さらに歩を進めると学校までの坂道のふもとに俺は立っていた。  
俺はポケットに手を突っ込んで、坂の上にある学校を見た。  
たぶん…本当にたぶんだけど…  
あそこに…テンコがいるような気がする。  
自信がある訳じゃない、何となく、勘と言ったほうがいいだろうか…  
 
気がつくと俺は坂を駆け上がっていた。  
ハアハア、息が切れる。  
少しずつ頭の中が一つの記憶に縮小していく。  
ところでアンタ“運命”って言葉知ってる?  
 
その言葉を聞いたのは俺がまだ幼稚園に入ったばっかりの時だった。  
「せんせいがぼくのうんめいのひとです」  
一つ上の年中がその時の担任に告白していた。  
結果はもうわかっているだろうが…  
そう、社交辞令だ。  
そんなことはどうでもいい。  
俺はその時聞いた“うんめい”と言う言葉が気になっていた。  
家に帰ると、お袋が俺を抱きしめて卒倒しそうになりながら、  
俺はその足で親父の部屋に行った、  
そして親父に聞いたんだ。  
「“うんめい”って何?」って  
すると親父はこう答えた。  
「佐間太郎、パパが神様ってことはなんとなくわかるよね?」  
「うん!かみさまえらい!かかりちょうより!!」  
そう言った俺を親父は何も言わず頭をくしゃくしゃに撫でた。  
「じゃあ神様は何のお仕事をするかわかるかな?」  
「えーと、・・・うーん・・・わかりません!!」  
「神様はね、人間の背を押してあげる仕事なんだよ。」  
わかる?、親父は続けた。  
「何かに迷ったり、絶望したり、悲しくなっちゃた人たちはそこで歩みを止めちゃうんだ。  
そういう人たちの背中を押してあげてなるべく良い方向に進ましてあげることを『奇跡』といってそれがパパのお仕事なんだよ。」  
「うーん、きせきがわかりません!!!」  
「でもね“運命”はパパがどうやっても動かすことは出来ないんだ。運命はその人自身で変えることしか出来ないんだ。」  
よくわかっていなかった俺は、うんめいすごーい!とはしゃいでいた。  
「そういう人の想いが自分自身の背中を押す『奇跡』なんだよ。まだ佐間太郎には早いかもしれないけどそのうち分かる日がくるよ。」  
そう言って親父はニッコリ笑ってまた俺の頭を撫でた。  
その笑顔に答えるように俺も大きく笑った。  
 
 
 
 
“運命”  
こんなことなんで思い出したか分からない。  
でも俺は走り続けた。  
心臓の音も自分の息遣いも地面をける音も汗が流れる感触も全てを忘れるくらい俺は走った。  
けど唯一つ忘れられないことがある、それはウチのおせっかいな奴、俺の大切な家族、そして俺の―――  
 
 
俺は息を切らし地面に倒れこんだ。  
息も整い、顔を上げると顔が濡れていることに気が付いた。  
まだ汗が、と思ったが学校の門扉がぼやけて見える  
なんだか情けないような気がしたが、別にいいか。  
学校の門扉はがっちりしまっていて開かない、それは当たり前なんだが・・・  
 

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