泊まるところを探してしばらく経った。  
旅館、ホテル、ホテル、旅館・・・・・・  
もうかれこれ五件はまわったはず  
だが不思議なのはテンコは中に入らず「ここはダメ。」とか言いながら次の泊まるところを探していること  
なんで中に入って泊まれるかどうかすら聞かないんだろう。  
すると突然テンコの足が止まった。  
「あ、佐間太郎。ここに泊まろう。」  
「ここって、えーと『旅館美楽』か。ここに泊まるのか?」  
「うん。」  
「じゃあ泊まれるかどうか聞いてこようか。」  
「あ、佐間太郎。そんなことしなくていいよ。私が話をつけるから。」  
「お前が?」  
「だからちょっと待ってて、すぐに終わるから。」  
そうテンコが言うと急に黙り込んだ。  
「おーい、テン・・・コ・・・」  
テンコは笑っている。しかし、目はまったく笑っていない。まるで氷だ。  
俺はそんなテンコを見ていると寒気を感じた。  
そして俺はすぐに気づいた。テンコが誰と話しているのかを。  
親父だ。テンコは心の声で親父と話しているに違いない。  
おそらく、この旅館に泊まれるようにお願い・・・いや命令しているだろう。  
「もう大丈夫だよ。じゃあ行こうか。」  
「はい・・・。」  
もう大丈夫と言うことは親父はどうなったのか。  
心の声で話そうかとも考えたが・・・やめた。もう想像つくしな。  
 
俺とテンコが旅館に入るや否や、沸き起こる拍手。  
「おめでとうございます。あなた方は当旅館の1万人目のお客様です。付きましては当旅館の宿泊代は全て無料にさせていただきます。」  
やっぱり親父の奇跡か・・・  
テンコを見るとさっきの様な氷の笑顔はなかった。  
そこにいたのは一人のかわいらしい少女だった。  
「それではお部屋のほうに案内していただきます。」  
仲居さんの言葉に俺はテンコを見つめていたことに気づいた。  
「佐間太郎どうしたの?顔赤いよ。」  
「な、なんでもねぇよ。」  
「そう?じゃあ早く行こ。」  
仲居さんに連れられ、俺達は部屋に案内された。  
部屋は広く、おそらく五人くらい泊まっても大丈夫かもしれない。  
「広いね。佐間太郎。」  
「あぁ、そうだな。」  
想像以上の部屋の良さに圧倒される。  
「では、何か不都合がありましたら声を掛けてくださいませ。」  
「はーい。わかりました。」  
「では、ごゆっくり。」  
「あ、仲居さん!ちょっと待って下さい!」  
仲居さんが部屋を後をしようとするとテンコが大きな声で呼び止めた。  
「はい、何でしょう?」  
「あの、この旅館って混浴ってあるのでしょうか。」  
「テ、テンコ!!な、何聞いてんだ。」  
「申し訳ございません。当旅館では露天風呂はございますが、混浴はございません。」  
さすが仲居さん、表情を変えずに対応してくれる。  
「そうですか・・・」  
「だから混浴なんてあっても入らないって言っただろう。」  
少し寂しそうなテンコを尻目に俺は安堵の表情を浮かべた。  
が、その後仲居さんが一言付け加えてきた。  
「でも、このお部屋にはこちらにお風呂が備え付けてありますのでそちらをご利用ください。」  
「え!」「そうなんですか・・・」  
「はい、ではごゆっくりと。すぐに料理をご用意させていただきますのでそれまでお待ちください。」  
と、仲居さんは俺らに言い残して帰っていった。  
一方残された俺らはと言うと、  
「ほ、本当にあ、あったんだね。混浴・・・」  
「そ、そうだな。まさか本当にあるなんてな・・・・・・」  
「そうだよね・・・」  
受け答えだけの会話を繰り返し、互いに顔も恥ずかしくて見れなくなっている。  
テンコなんてさっきから湯気が出っ放しだ。  
こうして俺らは永遠とも思える時間を過ごした。  
 
「御夕食の用意が出来ましたので、御座敷の方へお越しください。」  
さっきとは違う仲居さんが俺らを呼びに来たときには部屋は湯気で充満していた。  
仲居さんは何も言わずに俺らを御座敷まで案内してくれた。これも親父の奇跡の影響なのか。  
「御二方のお席はあちらになります。」  
と俺達が案内された席には見るからにおいしそうな料理が並べられていた。  
「では、ごゆっくりどうぞ。」  
御座敷には家族連れが多くいる。どの家族も楽しそうに会話しながら食事をしている。  
しかし俺達はと言うと・・・  
「・・・・・・」「・・・・・・・・・・」  
先ほどの気まずい雰囲気を払えずに、もうお互いの顔すら見られない状態だ。  
 
無言で料理を口に運ぶ、そんな作業みたいな食事の中  
「これおいしいね。」  
先に沈黙を破ったのはテンコだった。  
「え?」  
俺は完全に虚を突かれる。  
「だから、おいしいよね。」  
「え?どれが?」  
「この鯛だよ。すっごくおいしい。」  
そうテンコに言われ、食べてみる。  
「あ、うまい。」  
「でしょ?おいしいよね。お料理はおいしいし、旅館の雰囲気は素敵だし、本当に良い所に泊まれたよね。」  
「そうだな。」  
俺達はいつの間にかいつもの様に喋りあっていた。まるでさっきの気まずさなんて無かったかのように。  
 
「おいしかったね。」  
「そうだな。家じゃ味わえない料理ばかりだったもんな。」  
「そうだね。そう言えば、美佐さん達はちゃんと晩ごはん食べてるかなぁ。」  
「大丈夫だろ。ちゃんと二人とも食べてるって。」  
「そうだよね。」  
「なぁテンコ。今日は色んな事があったよな。」  
「そうだね。朝から美佐さん達の食事用意したり、昨日用意した荷物を確認したり。」  
「家を出て、電車に乗って、いきなりテンコが目の前で変な本を読み始めようとするしな。」  
「だってあれは美佐さんが・・・」  
テンコの声が急に大きくなる。  
「わかってるよ。それから箱根に着いて。」  
「二人で町をブラブラしてたんだよね。」  
「そして、やっと泊まるとまるを探し始めたんだよな。」  
「もう、佐間太郎が何処も予約を取ってなかった時はびっくりしたよ。」  
「ごめん、ごめん。」  
俺は頭を下げながら謝る。  
「でもこうやって今はちゃんと泊まれてる。」  
「朝から大変な一日だったよな。」  
「そうだよ。朝から佐間太郎は起きてこないし。」  
「けどテンコがあんな冗談言うから驚いて起きただろ。」  
「―――ないよ。」  
それは蚊の鳴くような声  
「え?」  
「冗談じゃ、ない。よ。」  
その声はすぐに消えてしまいそうな小さな声だったがちゃんと俺には届いていた。  
「冗談じゃないから、すくなくとも私はそう思ってるから。」  
俺の目の前にいる少女がうつむきながら言った。  
いや、それは今思うと俺の気のせいだったのかもしれない。  
「そ、それは俺―――」  
「も!もうご飯も食べ終わったことだし、部屋に戻ろう?」  
「あ、あぁ。」  
俺の言葉は遮られたのかもしれない。  
けど俺の言葉はちゃんと目の前の少女に届いたと思う。  
それと同時に俺は姉ちゃんの言っていた言葉を思い出した。  
 
料理を食べ終えた俺達は自分たちの部屋に向かっていた。  
そんなに会話も交わさず俺達は歩いていた。  
手を繋いでいた訳じゃない、腕を組んでいた訳じゃない。  
けど、ただ二人で並んで歩いている間俺はなんだか嬉しかった。  
おそらくテンコにとっても・・・  
しかし、そんな時間はいつも以上に早く過ぎていく訳で・・・  
部屋に入ると俺たちを待ち構えていたのは二組の布団だった。  
ボフッ!!!!  
テンコが湯気を出した音で俺はテンコの方を振り向いた。  
テンコは俺の目を見ているが湯気は一向に止む気配もなく、顔は真っ赤に染まっている。  
もちろん俺だって恥ずかしくておかしくなりそうだ。  
俺達は無言で見詰め合っていた。  
「あ、あの!さ、さま、佐間太郎!!」  
テンコの声が裏返る。  
「なんですか!?テ、テンコさん!!?」  
「あの、その・・・」  
口ごもるテンコ  
「私!お、お風呂!!はい、入ってくるか、ら!」  
そう言うとテンコはすぐに着替えと浴衣を持って部屋を出て、浴場へ向かっていった。  
残された俺はというと  
「ふぅ。」  
俺はため息を吐いてその場にへたり込んでしまった。  
ほんの数分のことだったが何時間も経ったかのように感じられた。  
「やっぱり、離しておいたほうがいいよな。一様。」  
俺は二組の布団を離し、恥ずかしさでどうにかなる前に俺も浴場へ向かった。  
 
浴場に行くともう温泉の熱気が漏れていた。  
男湯の奥には女湯があるようだ。  
たぶん、テンコは今頃・・・駄目だ!いったい何を考えているんだ俺は!  
俺は自分の馬鹿なイメージを払拭させ脱衣所に入っていった。  
さっさと服を脱ぎ、浴場に入る。  
まだ時間が早いせいか入っている人も少なく、もはや貸切に近い状態だった。  
俺は体を洗い、湯船に浸かる。  
自然と声が出てしまうのは本当に疲れていたんだろうな。決して親父に近づいた訳じゃない。  
湯船の中で何か考えようとするが頭がボーっとしすぎて何も考えれない。  
けど今はこれでいいかもしれない。頭の中に駆け巡る血液は俺の考える力を無くすようだ。  
周りを見てみると少しだけ人が増えたようだ。  
だがやっぱり貸切に近い状態は変わらない。  
俺は仲居さんの言っていた露天風呂に行ってみることにした。  
せっかく温泉にきたんだから入るべきだよな。  
 
露天風呂に行ってみると辺りには誰もいなく、まさにここは貸切だった。  
露天風呂は広い岩風呂で、夜空が良く見えていた。  
あいにく今日は星はないが、星がある日ならばとても綺麗なんだろうな。  
「こんな広い露天風呂に一人で入れるなんてまるで夢みたいだな。」  
 
―――ろー  
 
ん、なにか聞こえたか。  
辺りには誰もいない。  
気のせいだろうと思っていたが  
 
――またろー  
 
やっぱり何か聞こえる。  
どうやら壁向こうから聞こえてくる。  
たしか壁の向こう側は・・・  
「女湯?と言うことは・・・」  
 
おーい、さまたろーいるんでしょー  
 
「やっぱりテンコ!おまえか!」  
 
あ!やっぱりいた!佐間太郎!さっき佐間太郎の声が聞こえたんだよねー!  
 
「聞こえたからって・・・そっちには誰もいないのか!?」  
 
誰もいないよー!そっちはどーなのー。  
 
「こっちも誰もいないぞ。だから貸切に近いかな。」  
 
えー!?じゃあ佐間太郎、そこに行っていい?  
 
「『そこ』って?男湯に?」  
 
うん!  
 
「ちょっと待て!そんなの駄目だ!絶対駄目!」  
 
あはは!じょーだんだよ。じょーだん!  
 
「お前、冗談でもそんなこと言うなよ。」  
 
ごめん、ごめん!あ!誰かはいってくる。じゃあ佐間太郎、私先に上がるからね。  
 
「あぁ、わかった。」  
 
 
「ふぅ。」  
テンコが出て行くと、辺りは急に静かになったような気がした。  
空を見上げると先ほどは見えなかった星が少しだけ見えていた。  
手を空に向かって伸ばす、血管が透けて見える。  
俺とアイツはこの星空を一緒に見上げていたんだろうか  
俺は長い間この星空を眺めていた。  
 
 
風呂から上がった俺は少しのぼせてしまったようだ。  
頭がクラクラする。  
そのせいで体が火照っているように感じられる。  
おぼつかないような足取りで部屋に向かう。  
部屋ではテンコが待ってるだろう、そう考えると嬉しい反面恥ずかしい気がする。  
そんなことを考えているともう部屋の前まで着いてしまった。  
俺の体が一瞬にして緊張し、思わず息が止まる。  
どうやら体が火照っているのは温泉のせいだけじゃないようだ。  
 
部屋の戸を手を掛ける、同時に俺の心臓が脈打つ。  
辺りの音は聞こえなくなり、心臓を打つ音がどんどん大きくなってくる。  
視線はもう一枚戸を隔てた部屋に集中し、周りなんて見えなかった。  
一度大きく息を吸い、吐く。  
よし。  
決意は固まった。俺はゆっくりと戸を開ける。  
 
部屋に入る。すぐに静寂が俺の耳を刺す。  
部屋の明かりはまだ点いている。  
しかし、どうやらテンコは寝ているようだ。  
ほら、その証拠に静寂の後に響く小さな寝息  
静かに俺は歩く。  
一つ、俺は気づいたことがあった。  
部屋を出る前は離してあった布団が今では隙間もないほどにくっついている。  
これがテンコの精一杯の気持ちの表し方なのかもしれない、とおれは思った。  
電気を消す。辺りは真っ暗。けど俺にはテンコだけは見えていた。  
俺はテンコを起こさないように出来るだけ静かに布団に潜り込む。  
 
俺とテンコの距離は60cmくらいだろうか。  
テンコの寝顔は唇が少し膨らんでいる。  
きっと楽しい夢でも見ているのだろう。  
テンコの顔の前で手を振る。  
反応はない。本当に寝ているようだ。  
「普通、起きて待ってるもんだよな。」  
呆れる。  
小さな声で目の前の幸せそうな寝顔に言う。  
「なぁテンコ、俺はお前に言いたいことがあるんだ。」  
じっとテンコを見つめる。  
「本当はずっと言いたかった、けど俺は臆病だから・・・。」  
俺は言葉を続ける。  
「臆病だから俺は自分の気持ちに背を向けるし、嘘をつく。  
本当はこうやってテンコと旅行に行けることが・・・  
いや、テンコと一緒に入れることが嬉しかったんだ。」  
テンコの寝顔はさっきと変わっていない。  
「でも俺はもう逃げることは止めた。俺は・・・。」  
言葉が止まる。  
この先は明日、明日テンコに言おう。そう俺は決めた。  
真っ暗な天井を見上げる。  
こんな時きっと姉ちゃんなら俺にこう言うだろう。  
『まったくアンタ本当に明日テンコに言えるの?今、言いなさいよ。だからアンタはヘ・タ・レなのよ。』  
たしかにそうかもしれない。  
このままテンコの寝顔を見ていたいなんて、理由にはならないだろう。  
 
テンコの寝顔は相変わらずの幸せいっぱいの顔、いったいどんな夢でも見てるんだか・・・  
「・・・ふふ・・・。」  
テンコが小さく笑う。本当に眠っているのか。こいつ。  
俺はそんな幸せそうな寝顔のテンコにキスでもしてやろうかでも考えたが、やめた。  
そんなのは俺がしたいことじゃない。  
もう一度テンコの顔を見ると、俺は布団をかぶった。  
 
 
おやすみ、テンコ  
 
 
 
 
 
これで俺とテンコの旅行の一日目は終わりなんだけど・・・  
その夜俺は夢を見たんだ。  
 
 
 
俺とテンコがどこかの夜の街を歩いている。  
静まり返った街を並んで歩いていく。  
不思議と辺りの音はなく、自分達の足音が聞こえるだけ。  
星の光が俺を、俺たちを束の間の青に染め、  
静寂が真夜中に音楽を奏でる。  
その音楽が世界を駆け抜けていく。その中で俺は自由を感じる、そんな夢だ。  
 
いつしか二人の足音は重なり、一つの足音となる。  
テンコが足を止める。俺は振り返る。  
テンコが何かを言う。聞こえない。けど何を言っているかはわかる。  
俺は答える、「俺もお前と同じ気持ちだよ。」  
するとテンコが泣き出す。俺はテンコに駆け寄り涙を拭く。  
泣いているテンコの顔は子供みたいな顔。かわいらしい。  
そんな子供を俺は弱く抱きしめる。  
 
誰かが“おやすみ”を告げる。その時俺はテンコを強く抱きしめる。  
誰かが“おやすみ”を告げる。その時テンコは俺を強く抱きしめる。  
青い光が降って来て、辺りは光に満ち溢れる。  
その光の中、俺は口を開いた。弱く小さな言葉を――。  
「テンコ、・・・好きだ。」  
その時光はさらに輝き、俺らを包んでいった。  
 
 
 
そして俺達は二人とも光の中に溶けていった。  
 
 
 
 

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