子供っていうのは、自分とは違った物に惹かれる。  
 いや、人間っていうのは基本的にそうなのかもしれない。自分とは違った物を持つ人に惹かれるから、恋をしたりするんだろう。  
 私が彼に惹かれたのは、多分彼の持っている『強さ』が羨ましかったんだと思う。  
 
 ▽  
 
 IFの話だけど、もし私に彼の強さが有れば、この状況もどうにかなったのかな?  
 あの時の彼の強さが有れば、嫌な事を無視して自分を通す強さが有ればどうにかなったのかな?  
 あかね丸の甲板の上、水面に映るディアナと会話している時だった。  
 彼らはいきなり現れて何だか訳の解らない事を言った後、私を羽交い絞めにした。  
 ノーラというらしい女の人と、亮というらしい男の人の二人組み。  
 身体に包まった何かは、私には離せない。もしかしたらディアナなら何とかなるかもしれないけど、今この状況で出すのは危険だ。  
 ただ、唯一解ったのは。彼らはこう言ったのだ。  
 私の願いを叶えてくれる、と。  
   
 「あなた、この男嫌いなの?」  
 無遠慮に私の心を探った後、ノーラがそう言った。  
 私は首を横に振る。  
 「じゃ、好きなの?」  
 私は…………首を、縦に振ってしまった。  
 「わかったわ、じゃあ仕事は簡単ね」  
 にんまりと彼女が笑った。何だろう、凄く気味の悪い笑み。  
 「この男と付き合わせてあげる」  
 「……え」  
 一瞬、自分が何を言われたのか解らなかった。  
 私の中で湧いた疑問をまるで代弁するかの様に、空かさず亮がノーラに質問した。  
 「でも、ノーラさん。付き合わせて上げるって言ったって、一体どうするのさ?」  
 「別に難しい事じゃないわ。どうせこの年頃の恋愛なんて、下半身と直結してる物よ。既成事実一つ作れば後はどうにでもなるわ」  
 既成事実って、一体何を言ってるんだろう?  
 いや、意味は解る。解るけれども解りたくない。  
 そんな私の胸中など知らず、彼女は何処からとも無く有る物を取り出した。  
 銀色の注射器が、彼女の手の中で踊っている。  
   
 注射器の針が、私の首元に刺さる。  
 
 「ま、こうやって背を押せば終了よ」  
 針が突き刺さる痛みの後、中の液体が入っていく感覚がした。    
 押し出されていく液体。注射器の中にたっぷり有ったソレが空になった後、ようやく針が抜かれる。  
 じんじんする痛みが徐々に熱へ変わっていく。  
 耳と目が急速にぼやけてく。   
 身体が熱い。彼らは私に何を打ったんだろうか?  
 察しは付くけど、出来ればそれは正解で有って欲しく無い。  
 『はい終了。後は事が成るのを待ちましょう』  
 『ノーラさん、あの子に何を注射したの?』  
 『あの手の女が崖っぷちに立つ薬。あの手合いは自分の命がかからないと、世界の終わりまであのままよ』  
 感覚が遠い。でも、感情は近い。  
 吐き気にも似た熱さの中、その言葉が意味する物は、それでも解ってしまった……。  
 
   
 『ほら天理!! 桂馬くんよ!!』  
 『桂馬、小学校の時、一緒のクラスだったでしょ!! 天理ちゃん!!』  
 
 彼の事を忘れた事は一度も無い。  
 けど。  
 
 『桂馬、おぼえてるでしょ?』  
 『あんまり憶えていない…』  
 
 けど。  
 けど。  
 
 『誰…だっけ…』  
   
 ……その呟きは、どうしようも無く悲しかった事を憶えている。  
 
 ▽  
 
 『天理、大丈夫です。息を大きく吸って下さい』   
 鏡面に映るディアナが私を励ます。  
 ディアナ。あの時から私の中に居る、私の友達。けれどその声すらぼんやりとしか聞こえない。  
 何とか力を振り絞って、震える足を一歩一歩踏み締める。息は荒い。辺りの空気が生温く感じ、それが身体の熱を一層熱くしてる気がする。  
 下が熱い。何処か濡れている気がするのは、多分気のせいだ。  
 霞む視界をそれでも堪え、前を見据えて歩いていると。  
 そこに、見覚えの有る後姿を見た。  
 「桂馬くんだ」  
 言葉は思いよりも速かった。  
 桂馬くん。  
 桂馬くんだったら、こんな時どうするんだろう? こんな時でもあの時の様に自分を通す事が出来るんだろうか?   
 IFの話だけど、もし私に彼の強さが有れば、この状況もどうにかなったのかな?  
 あの時の彼の強さが有れば、嫌な事を無視して自分を通す強さが有ればどうにかなったのかな?  
 IFは無限に広がっていく。過去のアレコレが胸一杯に膨らませて、そして内側から押し潰していこうとする。  
 最近気付いたけど、IFが生まれる時はただ一つ。  
 それは人が、自分に無い物を求める時だ。  
 『天理!』  
 名前を呼ばれている事に気付いたのは、叫び声が混じり始めてからだった。  
 「何……ディアナ?」  
 『天理。……その、不本意ですが』  
 あぁ、そういう事か。  
 解ってる。桂馬くんに助けて貰おうって言いたいんでしょ。  
 そうだよね、確かにこの状況はそうするしか無いもの。そうすれば全部丸く収まるもの。  
 けど。  
 けど――  
 「ディアナ」  
 『……何ですか?』  
 「私の」  
 私の。  
 私が――  
 そう言いかけて、やっぱり止めた。言って、どうこうなる物じゃない。  
 「……ごめん、何でも無い」  
 それでも察してしまったのだろうか。ディアナは沈黙を返答にした。  
 解ってる。解ってるよ。こういう風に寄り掛かる事が一番良い方法なんだもん。あのノーラが言ったように、このままじゃ私は世界の終わりが来たって今のままだ。  
 心を決めてゆっくりと足を進ませる。足を歩ませる心はどうしようも無い程重かった。  
 
   
 彼は強くて、私は弱かった。  
 幼い頃から私は誰かに流される事しか出来なかった。自分を通す力なんて今も昔も持った例が無い。  
 幼い頃、彼は強かった。  
 何時だってゲームをしていた。何時如何なる時でも。授業中でさえも。ただの一度もその手が休まる事は無かった。  
 学校という集団生活の中で『自分を通す』という事がどれ程難しい事であるか、それは十数年間の中で嫌という程思い知っている。  
 誰かに合わせないという事は簡単に見える様でいて、誰かに合わせるという事より難しい。  
 彼は強かった。  
 私は弱かった。  
 そんな彼に、私は憧れていた。  
 だから、ディアナを私の中に入れた時。私は彼みたいに強くなろうと思った。  
 けど。  
 けど――  
 
 
 結果を言えば、ディアナは全部話してしまった。私達に何が有ったのか、全部が全部洗いざらい。  
 全部。  
 だから、私が彼の事を好きな事も……全部伝わってしまった。  
 他の、別の、誰かの口から。  
 そう思うとじくりと、心の片隅が酷く痛んだ。  
 けれど、身体は限界だった。不気味な程身体は高揚し、感覚は今までに無い程鋭敏に、意識は時折遠くなってしまう。  
 ディアナも苦渋の決断だったのだろう。本来なら彼女はこんな事絶対にしない。私の身体を慮っての事だった。  
 今、私は彼の部屋に居る。もっと詳しく言えば彼のベッドの上に。ゲームソフトの山が幾つも築かれた部屋の中、私と彼の二人っきりだった。  
 話を聞いた後、彼が招いてくれたのだ。下にはおばさんが居たけど、今は妹さんに連れられて外へ出かけた。  
 だから、今この場には三人しかいない。  
 桂馬くんと、私と、ディアナしか。  
 「お前、本当にいいのか?」  
 戸惑うような視線を湛え、彼はそう尋ねて来た。  
 良いのか、というのは私を……抱くという事についてだ。ディアナが頼み込んだのだ。  
 彼は、戸惑い躊躇いながら了承してくれた。  
 私も、首を縦に振る。  
 「……」  
 「……」  
 気まずい沈黙が流れる。  
 すると――  
 「桂木、さん」  
 例えるならそれはコイントスだ。裏と表が有って、私が反転する。  
 私の面が反転して、代わりにディアナの面になる。  
 「……天理を、どうかよろしくお願いします」  
 ディアナが丁寧におじぎをした後、また私が表になる。入れ替わる刹那、彼女はその最中でこう言った。  
 ごめんなさい、と。  
 けして声にならない彼女の言葉は、痛切な重さが宿っていた。  
 「その、するぞ……」  
 その言葉に私はまた首を振る。今度も縦だ。すると、桂馬くんの目がどんどん近付いてくる。  
 吸い込まれそうな茶色い瞳。  
 それがどんどん近付いていき、やがて距離がゼロになる。  
 唇が合わさっていた。そして、そのままベッドへと倒れ込む。華奢な様に見えて、彼の身体は意外と重かった。  
 彼の舌が首筋を這う。ぬらぬらとした睡液が糸を引き、心臓は早鐘を打つ。  
 ぼんやりとした頭と、徐々に熱っぽくなる意識。それでも心の何処か一部は醒めていて、それが冷たくこう言い続けている。  
 ――本当にそれで良いの、と。  
 
 「ふぁ、……ぅ」  
 漏れた声がその思いを掻き消す。理性と本能のバランスが徐々に崩れていく。  
 上着が捲くられ、ブラジャーのホックが外され、胸が露わになる。  
 もう戻れない所に来たんだと、そう思った。  
 「くぅ……」  
 胸の上を舌が這う。時折睡液が含まれ、時折甘噛みされ、時折空っぽなのに吸われる。  
 背筋に怖気が走る。ただ純粋に怖かった。けれど、それでもどうする事も出来ず、震えそうな身体を必死で堪える。  
 けれどそんな心と反して、身体は反応する。反応してしまう。  
 本当にそれでいいの?  
 ――良いわけ、無いよ。  
   
 昔、タンポポの蕾を無理矢理開かせた事が有る。  
 コレは、それに似ていた。ノーラって人はカケタマというのを求めて、それを人の中から出す事を目的にしていた。きっと彼らが行っている事の本質はソレだ。  
 彼らは無理矢理開かせるのだ。その開かれる人の事を一切無視して。  
 そこに何が有るのか、何を求めているのか、見ようとも知ろうともせず。  
 
 「やめるか?」  
 桂馬くんが見ていた。瞳の中には涙を浮かべかけた私がいて、彼は心配そうな顔を浮かべて私を見てる。  
 その言葉に首を振る。涙を堪え、声を振り絞ってこう言った。  
 「……名前」  
 「うん?」  
 「……一回だけで良いの。ほんの一回で良いから、名前を……呼んで」  
 別に付き合うなんて考えた事無い。憶えていて欲しかった訳じゃない。  
 元気な姿を見れただけで嬉しかった。変わらぬ彼でいて嬉しかった。  
 ただ、彼は会ってから一度も名前を呼んでくれなかった。  
 それだけが悲しかった。  
 だから。  
 だから――  
 ただ一度、名前を呼んでくれれば、それで……良かったのだ。  
 それで満足出来たのだ。  
 こんなのが、欲しかった訳じゃないのに。  
 
 「――」  
 ぽつり、と。堪え切れなかった涙が一筋落ちる。  
 それはシーツの上に落ちた後、雪の様に消えた。  
   
 「天理」  
 その三文字は、音となって空気を震わせる。  
 それは、私が欲しかった物で。  
 ……それで、結局手に入れる事が出来なかった物だった。  
 嬉しくて、そして悲しかった。  
 
 「桂馬くん」   
 目を閉じる。  
 彼はそのまま静かに情事を続けた。  
 彼の舌が胸から腹を伝い、臍の下まで行くと、彼はスカートもショーツも脱がしてしまった。  
 普段人目に露わにする事など無い秘所が露わになり、思わず顔が赤面してしまう。  
 「……ひゃう」  
 舌でなぞられると、高い声を上げてしまった。  
 ぞくぞくした。身体は熱いのに、インフルエンザにかかった時の様に震えが止まらない。  
 指を入れられた。  
 舌とは比べ物にならない刺激が走る。感じられる感覚は、痛みが半分で快楽が半分。そのまま中で指を動かされると、意に反して腰が上下する。  
 秘所が濡れていくと同時に、目蓋の裏が白く眩んでいく。  
 白い。  
 白い。  
 白い。  
 真っ白。  
   
 快楽が、理性を越える。  
 それは下から上へ。潮の満ち干きの様に。  
 強張っていく身体は強張りを越えて、脱力していき。  
 荒れていく息は徐々に収束していき、そして再び荒れ始めていく。  
    
 「……」   
 薄らと目を開けると、ベルトが外す姿が映った。  
 金具を鳴らし、何もかもが取り外されると彼のソレが露わとなった。それはまさしく肉の棒だった。血の通った体の一部。それが大きく膨張している。  
 保健体育の授業で男女の仕組みは習った事が有る。けれど、実際に目の当たりにするのは初めてだ。  
 それでも、驚きは一切生まれなかった。感覚も感情も遠く、現実味が薄かった。  
 秘所にソレが宛がわれ、――入る。  
 ぶちり、という何かが破れる音と痛み。驚きは無かったけど、それでもその痛みから私は忘我郷から帰還した。  
 「ッ」  
 奥歯を噛み締め、声を堪える。  
 痛かった。痛くてまた涙が出そうだった。  
 「……動くけど、大丈夫か?」  
 言葉じゃなくて首で返答する。言葉は出なかった。  
 彼がゆっくりと腰を動かす。水音と痛みを伴って、肉の棒は杭の様に奥を小突く。  
 私は、彼の首元に手を回し、そして抱き締めた。  
 肌と肌が密接に重なり合い、桂馬くんはまた私に唇を合わせてきた。  
 彼の舌が、私の舌を嬲っていく。  
 「――」  
 突いて、引いて。また突いて、引いて。  
 私の内壁はゆっくりと彼を絞り込み、射精を促そうとする。  
 その中で痛みは徐々に快楽へと変わって行った。  
 痛みが、甘い。  
 「て、天理……」  
 出し入れのスピードはどんどん速くなっていく。熱の籠もった頭の中、何となく終わりが近付いてる事に察しが付いた。  
 「外に、出すか?」  
 私は……首を横に振った。  
   
 終わりは、思いの他静かに訪れた。  
 彼の筒先から迸った精液は、私の中へと漏れていく。  
 ……長い射精の後、引き抜かれたそれには薄らと朱が混じってる。  
 浮かされていた熱は醒めていき、荒い呼吸も徐々に平静さを取り戻していく。  
 理性を取り戻した頭の中、一つの思いが生まれた。  
 それは、最早何の意味を持たない事だ。最早伝わってしまった事だ。  
 でも。  
 これだけは、他でも無い自分の口から言わなければならない。  
 例え、もう言われた言葉だとしても。  
 自分の中に、勇気が有る事を信じて言葉を紡ぐ。  
 「桂馬くん」  
 「なんだ?」  
 「私、桂馬くんの事が好き」  
 その言葉。それを言う勇気。  
 それが、私が幼い頃求めた彼の強さなのか、別物なのかは解らない。  
 けれど、そこには『自分を通す』強さが確かに有った気がする。  
 

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