ボクの名前は桂木桂馬。
舞島学園高校二年男子。
好きなものは・・・女子だ。
ただし、こっち側のじゃない。
ゲームの中の完璧な女の子だ。
だいたい、現実の女子っていうのはいつもいつもボクの邪魔ばかりする。
ちょうど今、エルシィが新作料理のお披露目に来たところだ。積みゲになってしまった大量のゲームの攻略中だというのに。
彼女曰く、チキンのグリル・地獄風、ということらしいが、どうみても人間の食べ物には見えない。というより、地獄風、の意味が、文字通り「地獄」の流儀に則ったものなのだ。
つまり、エルシィはいわゆる「悪魔」っ娘であり、彼女は悪人の魂、すなわち「駆け魂」を狩りに人間界に来た、駆け魂討伐隊の隊員、通称「駆け魂隊」の一人なのだ。
ん、今、なんのこっちゃ?とか、悪魔なんて非現実的な事いって・・・頭がおかしいんじゃない?って思ったかな。
ボクもそう思ったよ。
実際に、駆け魂狩りに強制参加させられるまでは。
駆け魂は、女子の心の隙間に寄生し、その心の負の感情を栄養として育ち、やがてその女性の子供として転生する、らしい。そして、再び悪人として生きることになる。
エルシィ達、駆け魂隊は、人間の協力者(バディ)とともに、そういった悪人達の再生を阻止するために駆け魂を狩っているのだ。
ジャック・ザ・リッパーやバネ脚ジャックが復活するとでもいうのだろうか?
だからボクは、好きでもない現実女子を恋に落としては心の隙間から駆け魂を追い出し続けてきた。
唯一、ギャルゲの攻略手法を武器として。
ちなみに攻略した女子からは駆け魂に憑かれていた間の記憶を操作して、ボクの記憶を消してくれる、らしい。
もし、記憶が残ったままだとしたら、どれだけ平行して爆弾処理をしないといけないのだろうか。下手したら刺し殺されかねない。
もっとも、ゲームの出来損ないの現実でも、ボクなら上手くできる自信はあるが、面倒は少ないに越したことはないのだ。
それにしてもエルシィを見る度に、設定と実態のギャップに常に苛まれることになる。
「えへへー、にーさま、食べてみてください!
ずっと前にお姉さまにすっごくおいしい、って褒めてもらったこともある自信作です!」
満面の笑みでボクに語り掛けてくる少女は、エリュシア・デ・ルート・イーマ。通称エルシィ。
帰宅してそのままキッチンに直行したらしく、舞高の制服に駆け魂隊の証でもある羽衣を纏った姿で、手にはバイオハザード以外に見えない料理を載せたトレーを持ち、ボクに勧めてくる。
その姿はごく普通の少女にしか見えない。
悪魔と言えば、もっとおどろおどろしいものを想像するものだが、実態はといえば実にエルシィはポンコツもいいところで、料理とお掃除しか取り柄のないバグ魔なのだ。
たぶん、それ食べたら、ボクは死ぬ思いをするんだろうな・・・
「いらん。ボクは今、ゲームで忙しい」
「うー、でも、にーさま、現実の腹ごしらえも必要です。この前も空腹で倒れたじゃないですか」
「正確に言うと、おまえの料理を食べたから、なんだが」
「うー、にーさまは意地悪です」
ふてくされて、拗ねるエルシィ。
まったく、子供か。これで300歳を越えているというのだから、現実というのはどうかしている。
そんなやり取りの最中に、ボクのPFPに一通のメールが届いた。
拝啓
落とし神様
いつもサイトの素晴らしい攻略とレビューを拝見させていただいています。
実は、あるゲームの攻略に困っています。
どうか、お力添え願えないでしょうか?
e-mail:ai@zumcities.co.jp
簡潔な文面のメールは、ボクのやっているサイト、「落とし神」への、ゲーム攻略指南を依頼するものだった。
ふっ、造作もない。
ボクに攻略できないゲームなど、この世に存在しない!
ボクのサイトには、頻繁にこの手の依頼が来るのだが、大概が重要なメッセージを読み落とし、選択肢を間違えているものばかりだ。
ただ、今回の依頼は、このままでは無理だ。
何故って、ゲームのタイトルすら、知らされていないからだ。まったく、現実ってのは不条理だ。
というより、これはボクに対する挑戦、なのか?
そういえばエルシィと契約を結んだときも挑発のアロマ漂うメールがきっかけだった覚えが。
同じ雰囲気をこのメールから感じるのだが・・・
ボクの横でエルシィが不穏な表情をしている。
そんなにボクに会心の料理を断られたことを不満に思っているのか?仕方がない、少しくらいは・・・いや、やめておこう。というか、何でエルシィ相手に選択肢が浮かんでくるんだ?
ともあれ、この依頼を断ることは、落とし神の名に掛けてできることではない。
即座に、依頼を受諾する旨と、ゲームのタイトル、現在の状況を報告するよう、依頼者に返信をする。
驚くほど早く、依頼者から返信があった。
現在の状況は簡単だ。フラグが複雑に絡まってはいるが、よくある選択肢分岐でヒロインの本心をつけばいいだけのものだ。条件はクリアだ。
しかし、肝心のゲームのタイトルが、まったくもって聞いたことがない。少なくとも、国内海外を問わず一般の流通に載っているギャルゲでボクの知らない作品は、無い。
最近よくある同人ゲームというものだろうか。
さすがにそのすべてを把握するのは容易ではないが、それでもある程度の知識はある。
当面の攻略方針を依頼者に指示し、エルシィをなだめる作業に入る。
「仕方ない、エルシィ、味見くらいならしてやる」
「にーさま、違うんです、そうじゃなくて・・・」
間髪入れず、次の指示を求めるメールが届く。
どういうつもりなのだ?こいつは?
ともあれ、相手もかなりのゲーマーなのか、異常な速さで適切な状況報告を送ってくる。
今回の選択肢はミスリードを誘っている様に見せかけてはいるが、正解選択肢なので、その通りに行動すればいいと、回答する。
何のことはない、例えボクが知らないゲームだったとしても、そのゲームが依頼者の手元に存在するならば、指示を出して攻略させればいいだけだ。そういう舞台仕立てのゲームもあったはずだ。ボイスコマンドのクソゲーだったけど。
エルシィと会話しながら、平行してものすごい速さで何度も送られてくるメールに対し即座に攻略指示を出しつづける。
「で、なんだっていうんだ、エルシィ?」
「それが、その・・・」
エルシィが彼女の身につけた髪留め型の駆け魂センサーを指さす。
わずかにセンサーが反応している、らしい。
どういうことだ?
今この場には、ボクとエルシィしか居ない。
にもかかわらず、センサーが反応しているということは、ボクかエルシィが駆け魂に憑かれている、ということになるのだが、どちらも可能性は限りなくゼロに近い。
通常、駆け魂は取り憑いた相手に超常的な影響を与える。
しかし、エルシィがバカなのは元々のことで、彼女に変化があったとして、普段から一緒にいるボクが見落とすはずがない。また、ボクは男なので駆け魂は憑かない。
「あの、にーさま、私は機械のことは詳しくないのですが・・・」
エルシィは言い難そうにしているが、それでまず間違いはないだろう。
「つまり、このメールから駆け魂の反応がする、と、おまえは言いたいのだろう」
「そうなんです」
「ふむ・・・」
確かに、ギャルゲにどっぷりハマっているような女子であれば、どこかしら心に隙間があるのかもしれない。事実、ボクの思考にリアルタイムに付いてこられるこのメールの返信速度も異常だ。駆け魂の気配がメール越しに伝わってきている、ということか。
そうこうしているうちにゲームの選択肢はエンディングにさしかかる。エンディングの見えたボクは依頼者に最後の選択肢の回答をメールし、ついでに揺さぶりをかけてみた。
『これが最後の選択肢だな。正解はYESだ。
それにしても、いったい何のつもりだ?
ボクの知らないゲームにさえ精通している女の子がこの程度のゲームのエンディングが見えないなんて。』
即座に返信が来る。
『すごい、どうして私が女子ってわかったんですか?』
やはりな。
性別不詳の文面ではあったが、選択肢の詰まり方に過去に何度か質問をしてきた女子ゲーマーらしさが見て取れていたからだ。さらに、エルシィからの情報も決定的だった。
『簡単なことだ。ボクにクリアできないゲームはない。
現実だってクソゲーなだけでゲームには違いない。
ところで、君は?』
『さすが神様です!わたしは愛。わたし、落とし神様と一度お話してみたかったんです!』
ボクの知らないゲームを持ち出して攻略指南を求めてきたのは、意図的にボクに接触してきた、というところだろうか。彼女に駆け魂が憑いているのであれば、攻略せざるを得ない。
何度かメールで会話を交わし、彼女が新舞島近郊に住んでいること、実際にボクと会ってみたいらしいことがわかった。
『いいだろう、実際に会ってみようじゃないか』
そうして次の日曜に、ボクは彼女とあうことにした。
遅い!
新舞島駅前のショッピングモールで待ち合わせをしたものの、肝心の愛が約束の時間になっても現れないのだ。
これだから現実は・・・
物陰に隠れたエルシィが、不安そうにボクの様子を伺っている。今のところ、彼女のセンサーにも反応がないようだ。
もっとも、この程度の展開は折り込み済みなので、ベンチに座り、PFPを取り出して、攻略中のゲームを再開する。
直後に、PFPを持った女の子がボクに声をかけてきた。
「落とし神、様ですか?」
「君が、愛?」
女子でPFPを持っている子はそうそう居ないし、視界の端でエルシィが駆け魂センサーを指さす仕草をしているのが見えたため、まず間違いはない。
ボクは立ち上がり、にこ、っと、優しい笑顔を作って、彼女に語り掛ける。
「はじめまして、というのも変かな。
ボクは桂馬。桂木桂馬。サイト落とし神の管理人だよ」
まずは彼女に右手を差しだし、反応を見る。
「愛です!はじめまして!ほんとに神様だ!」
ボクの手を両手でしっかりとつかみ、満面の笑みで彼女は答えた。
何故か、ボクは彼女に、デジャビュを感じた。
よっきゅん!?
もちろん、現実によっきゅんが存在するわけがない。
かぶりを振って、もう一度彼女を見る。
今時の女子らしいライトブラウンの髪、ブルーのストライプのワンピに白のカーディを重ね着し、白のヒールのサンダル。そこに素敵な笑顔が加わって、全体に上品ながらも活発なイメージの子で、よっきゅんのイメージとはまるで違う。
ただ、瞳の奥に笑顔に隠したほんのわずかな憂いの表情や、正統派ヒロインにのみ許された長髪、僅かに垣間見せる儚さ、そういったものがボクに杉本四葉を思わせたのだろうか。
「ふふ。こうやって、神様とお話できるなんて、私、幸せ・・・」
心からうれしそうな彼女の笑顔に引き込まれそうになる。
落ち着け、これは現実だ。
「神様、っていうのは、やめてくれないかな?」
「そ、そうですよね、ごめんなさい。
桂馬くん、で、いいかな?」
「構わないよ」
「じゃあ、桂馬くん、桂馬くんだ。ふふ」
そう言って、彼女は勝手にボクの腕を組んできた。
何だ、この女は?
現実女子にひっつかれるのは勘弁して欲しいところなのだが、何故か彼女には不思議とそういった感覚を感じなかった。
とりあえず喫茶店で話でもしようと、彼女を誘った。
もう少し、様子を見よう。
窓際の席に愛と対面で座り、オーダーをする。
「ホットラテを。君は?」
「あ、私は、その・・・」
何故か戸惑っている。ここはボクがリードすべきか。
「じゃあ、同じものでいいかな?」
「うん、桂馬くんが選んでくれるものなら、なんでもいいよ」
「じゃ、ラテを二つ」
かしこまりました、と、返答を残して、ウェイターがバックヤードに向かう。
二人きりになったところでお互いに簡単に自己紹介をして、それから共通の趣味、すなわちギャルゲの話をしつつ、彼女の様子を探る。
ウェイターがラテを運んできたタイミングで、一つの質問を試みた。
「ところで、この間のゲームだけど、あれは一体なんだったんだ?
ありがちな恋愛シミュレーションだったけど、どう調べても見つからないんだ」
「あ、えっと」
愛が返答に窮した一瞬、その瞳に憂いの色が浮かび、消えた。
「ごめんなさい、実は、あれは今開発中のゲームなの。
私、デバッガーをやってて、展開に詰まっちゃって。
それでね、せっかくだからこの機会に神さ・・・桂馬くんとお話できたらな、って思って」
なるほど、それならボクが知らないのも説明が付く。
「デバッガー、か。高校生のアルバイトにしては、珍しいね」
「うん、実家がゲームの開発をしてて、それで」
彼女から聞いた社名には覚えがある。有名なゲームの開発会社だ。淀み無く答えてくるあたり、彼女の言葉に嘘はないだろう。
「だから自然とデバッグを手伝う様になって。
それでね、スケジュールが押してきたりすると、よく、桂馬くんのサイトの話になるの。
すっごくヒロインに対する愛情にあふれてて・・・
あのサイトで取り上げられるような、いいゲームにしたいね、って」
「ボクに会ったのは、サイトでいい評価をしてもらいたいから?」
「違うよ。純粋に、どんな人か興味あったからだよ。
思ったよりいい人でよかったよ。桂馬くん、かわいいし」
愛は一瞬拗ねた表情を浮かべた後、本当にうれしそうに笑った。
どきりとした。
何度も繰り返すが、所詮これは現実だ。
騙されてはいけない。
「変なことを言って悪かったな」
ボクは失礼をわびた後、それからしばらく、また、最近発売されたいくつかのゲームの話に戻った。
彼女はオーダーしたラテに手を着けることも忘れ、桂馬に匹敵する知識と熱意でゲームのことを語り続けた。
桂馬は冷めつつあるラテをすすりながら、彼女の様子をじっと観察するのだが、彼女の心の隙間が見えてこない。
「そうだ!ねえ、お願いがあるの」
唐突に愛が言った。彼女の心の隙間が見えない以上、慎重に対応しなくては。
「ん、なに?」
「ねえ、水族館に行きたいの。臨海公園にあるでしょ、あそこに行きたいな」
なぜ、水族館なんだ?
愛がわざわざ水族館を選ぶ理由が何かあるのか?
しかしここは断る理由が無い。
「構わないけど?」
「じゃあ、決まり!行こうよ!」
手をつけないままのラテを残して、愛が席を立つ。
お会計を済ませた後、喫茶店の外で様子を伺っていたエルシィに、後をついてくるように目線で指示を送る。
こくり、と、うなずくエルシィ。
そうしてボクと愛は新舞島駅から二駅の臨海公園に向かった。
「うわぁ!すごいすごい!」
水槽の中で泳ぐ熱帯魚達。トパーズやエメラルド、アクアマリンやルビーのように鮮やかな輝きに彩られたそれらは確かに美しい。たまにエビやカニといった類の水槽もあり、それはそれで趣がある。
さらに奥にいくと巨大なマグロの水槽もあるらしく、きっと相当な迫力だことだろう。
「ねえねえ、桂馬君、こっちこっち!はやくきなよ!」
水族館の中で、子供のようにはしゃぐ愛に、羽衣で隠れて後を付けてきたエルシィに思わずぼやく。
「これじゃあ、おまえがもう一人居るみたいじゃないか」
「うー、にーさまこそ、デレデレしちゃって。デートじゃないんですから!」
エルシィのやっかみに、そんなつもりはないのだと思いつつも、確かにこれじゃあただのデートだ。
「桂馬くん、すごいよ、お魚がいっぱい!」
「水族館だから、そりゃそうだろう。でも、なんでここなんだ?」
愛が何故水族館に来たかったのか?それがおそらくこの攻略の鍵になるはずだ。
「んー。秘密」
悪戯っぽく笑うと、愛は階段を駆け上がり、外への扉を開く。
暗がりから、一気に明るい太陽の光の下に出る。
一転、そこはペンギンの楽園だった。
もちろん、大型のペンギン類は日本の環境になじめるものでは無い。
そのためここにはイワトビペンギンやフェアリーペンギン、フンボルトペンギンなど南洋の小型のペンギン達が何羽も居る。
「うわー、かわいいねえ。
ね、桂馬くん、この子、抱っこできないかな?」
「流石にそれはダメじゃないか・・・って、おい!」
愛はボクの静止も聞かずに、飼育員さんにぺこぺことお願いをしている。溜息をついてその様子を見守っていたが、ちょっとだけなら、と、どうやらOKが出たようだ。
「ね、いっしょに撮ろうよ!
ほら、桂馬君もこっちにきて!」
「仕方ないな・・・」
愛のやることは何故か全てが許せるような気分になる。
彼女は本当に、そういう子なのだ。
『たまたま通りかかった』エルシィに、羽衣で作ったインスタントカメラで撮影を頼む。
ひくついた表情で請け負った彼女ではあったが、それでもペンギン達の群れを背にイワトビペンギンを抱きしめた愛とボクの写真を撮り、愛に渡してくれた。
その写真を見て、一瞬、愛の表情が曇る。
なにか、あるのか?
「写真、ボクにも見せてくれないか?」
え?と、一瞬ためらいと戸惑いの表情を浮かべた後、ボクの頼みを無視して、ぱっと明るい表情で、愛は言った。
「ね、桂馬くん、つぎはアクアシアターに行こうよ!
すっごい大きな水槽なんだって!」
カツン、カツン、カツン!
足音高く、愛は巨大な水槽の近くに駆け寄った。
マグロやカツオといった、大型の魚群が回遊している。
暗いアクアシアターの中のライトに照らされて美しく逞しく泳ぐ彼らは、泳ぎ続けないと死んでしまう、らしい。
はは、駆け魂狩りを止められないボクみたいだな。
そう自嘲気味な考えにとりつかれたボクを、愛の元気な声が引き戻す。
「うわー!すごいねえ・・・ねえ、桂馬くん、みてよ。すっごいおおきいよ!」
愛は目を輝かせて巨大な魚群を見てはしゃぐ。
休むことなく泳ぎ続ける巨大な魚群。
本当に、彼女は不思議な子だ。
そう、不思議なくらい、純粋なのだ。
それもまた、魅力的でもある。
ふいに、寂しげな表情を浮かべ、彼女は振り返り、ボクに言った。
「ねえ、桂馬くん、この子達さ、やっぱり外にでられないのはかわいそうだと思わない?」
「そうかな?補食される危険性が無いわけだから、必ずしも悪いことばかりじゃないよ。
それに狭いことには違いないけど、いつもこの中ってわけじゃないよ。ストレスで弱るから。だから実際には裏にもっと広い水槽があって・・・」
愛の後を追うように、ボクもまた、水槽に歩み寄る。
愛は水槽の傍の手すりに手を添え、ボクと魚達を見ながら、きゅ、っと口元を結んでいる。
そして、ボクの言葉を遮るように、彼女の思いを伝えるように、愛は言った。
「でも・・・でも、かわいそうだよ!
この子達だって本当はもっと外の世界に出たいと思ってるはずだよ!私だって・・・私・・・」
愛は何かに囚われているのか?水槽の魚達に自分を投影しているかのようだ。
ボクは愛に言葉をかけようと、彼女に近づいた。
そして、次の瞬間、水槽の強化アクリル板に映った彼女の姿をみて愕然とした。
そうか、そういうことだったのか。
「ふあー、堪能したぁ!」
水族館から出て、愛は軽く伸びをした。
既に水族館は閉館時間を迎え、海辺の公園は茜色に染まっていた。
桜並木が今もっとも美しい時期で、その下をボクと愛は二人で歩く。
海風にわずかに散る桜の花びら。
消えてゆく、雪のように。
「そうか、それはなによりだ」
「えへへ、桂馬くんのおかげだよ。ありがとう」
愛くるしい笑顔で、そう、微笑んだ。
「もう、外の世界は満足した?」
「え?」
「もっと早く気づくべきだったよ。
キミがボクに攻略の相談をしてきたゲーム、ヒロインの名前を教えてくれなかったよね?」
急に彼女は立ち止まり、押し黙ってしまう。
「ヒロインの名前は、キミと同じ、愛、だろう」
暫くの沈黙の後、愛は小さくうなずいた。
先ほどまでの天真爛漫さはそこには無く、ただ、終ってしまった時間を懐かしむような表情を浮かべていた。
「すごいね、桂馬くんには何でもわかっちゃうんだね。
そうだよ、多分、桂馬くんが想像してるとおりだよ。
だから私はね、たぶんもうこれ以上はここには居られないんだよ」
笑顔をつくろうとして、それでも溢れる涙は抑えられなくて。
夕日の影に浮かぶ彼女の表情をうかがい知ることは出来なかったけど、それでも彼女の気持ちは痛いほど伝わってきた。
ボクは彼女の背を抱きしめ、彼女の髪に頬をつけ、言葉を続けた。
「愛、うまれてきてくれてありがとう」
そうしてボク達はキスをした。
夕日に浮かぶ二人の影。
この時間がいつまでも、いつまでも、続けばいいと思った。
そして、日が落ちる頃、愛の姿は消えていた。
辺りは暗くなり、ボクは一人その場に残った。
自分の表情は見えないが、ほんの少しだけ、切なそうな表情をしていたのかもしれない。
頬に残った彼女の髪の香りが、ほんの少しだけ時間を戻してくれる。
愛の駆け魂を捕らえたエルシィが、心配そうにおずおずと歩み寄る。
「にーさま・・・」
「なんだ、エルシィか」
どっと力が抜け、ベンチに座り込んだ。
ぽて、っと、その隣にエルシィが座り、ボクにくっつく様にする。
彼女なりにボクのことを気遣っているのだろうか。
「愛さんって・・・」
「うん、そういうことだよ」
つまり、愛は開発中のギャルゲのヒロインで、どうやら駆け魂に憑かれて実体化してしまったらしい。
だからこそ、ボクは彼女に心動かされたのだろうか。
心配そうにボクを見るエルシィの頭に、ぽん、と手を置き、ボクは続けた。
「きっとボクは彼女と再会することになるんだろうね」
ゲームの中で。
そのとき、彼女は今日の日のことを覚えているのだろうか。