〜 Remember LOVE 〜  
 
 
「はぁ……」  
 ベッドの上で寝転び、天井を見上げる少女 −高原歩美− は、もはや何度目かわから  
ぬ回数のため息の後、机の上に視線を移す。  
「……なーんか最近……なんていうか、イマイチすっきりしないんだよねぇ……大会では  
勝てたし、タイムも伸びてるし、別に不満なんか無いはずなんだけどなぁ……」  
 はぁ、とさらに一つため息を付くと、歩美は机の上に視線を移す。  
 
 − 机の上 − の鞄……その横に置かれたピンク色の袋。  
 
「……どうしてかな……胸……なんか苦しい……」  
 
 ごろん、と落ちる勢いでベッドから降りると、歩美は机に歩み寄り、袋に手をかける。  
 しゅるりと紐を解き、袋の中を覗きこむと、中にはまださほど使い込んでいない陸上用  
のスパイクシューズ。  
 
「……やっぱり……なんでこれが私の手元にあったのかも関係してるのかなぁ……」  
 
 見覚えのない、シューズ。  
 大会の前日。なぜか夜の学校のグラウンドでたたずんでいた歩美が持っていたシューズ。  
 誰のものかもわからないそれを歩美はなぜか手放す気になれず、そのまま持ち帰り、そ  
して普通で考えればありえないことに、慣らし込みもしないまま着用して大会に挑んだ。  
 結果は見事に優勝。それ以降、片時も離さず持ち歩いている。  
 
 どうしても、どうしても手放すことができずに。  
 
 普通の「新しい物を使用した時の高揚感」とは明らかに異なる何かがこのシューズから  
は感じ取れる。  
 歩美がそう思い始めたのは、大会で優勝したその日の夜のことだった……  
 
 
 − * − * − * −  
 
 
「ん〜〜〜〜〜っ! 私優勝しちゃったよぉ〜〜〜〜〜〜っ! 信じられな〜〜〜いっ!」  
 
 パジャマ姿でベッドに寝転んだ歩美が、両手でスパイクシューズを高々と掲げ、未だ冷  
めやらぬ興奮に酔いしれている。  
「以外と君のおかげだったりするのかなぁ、もしかして君って幸運の靴とかだったりする?  
 ってー! あははっ! そーんなわけないかぁ! あーははははーーっ!」  
 答えるはずのないシューズ相手にそんな馬鹿な問答をしながら、それでも大会前日の夜  
に突然現れた謎のシューズ。もしかたら、などという考えも浮かんでしまう。  
 
「でーも、ホント、誰がくれたのかなぁ、これ。お礼しないといけないよねぇ。普通履き  
慣らしもしないシューズで大会なんて自殺行為もいいとこなのに、まさか優勝だなんて……」  
 
 ごろんと横向きになると、歩美は一瞬ためらった後、シューズを枕の横に置いた。  
 一瞬のためらいは、履物を枕元に置くことに対する抵抗だったが、別段土のグラウンド  
で使用したわけではないし、それに何より(多分)幸運のシューズだ、身近に置いてバチ  
は当たらないだろう。  
 
「んふふ〜……ん〜……」  
 すりすりとシューズに頬擦りすると、お礼のようにシューズのつま先にキスを一つ。  
「あれ?……」  
 
 違和感。  
 
 歩美の右手が不意に口元に伸び、人差し指と中指でそっと唇をなぞる。  
「……キス、って……こんな固いものだったっけ?……」  
 
 対象がシューズなのだからその感触は当然のものである、だがしかし、  
 『歩美の持つ記憶』の中のキスと何かが違うことに気付き、記憶の中からそれを呼び起  
こそうとした瞬間。不意に歩美の上体が跳ね起きる。  
 
「……私……なんでキスの感触なんか知ってるの?」  
 
 キスの経験などない……はずである。  
 なのに、なぜ自分はキスの感触に違和感を感じたのか、歩美は視線をシューズに移し、  
呆然とそれを眺める。  
 
「したことないのに……でも…………あの時のキスはすごく温かかった……ちょっとだけ、  
乾いてるみたいな感じで、でもすごく温かかった……温かくて、熱くて、優しくて、すご  
く気持ちよくて……」  
 
 視線を正面に戻し、まばたき一つ。  
 
「なんで……私、そんなこと知ってるの?……あの時、って……何?」  
 自分の口から出た言葉の意図が掴めず、歩美はただ部屋の中に視線をさ迷わせる。  
 そして今一度、唇に触れる。  
 
 まず指先の冷たさが唇に伝わる。  
 そして時間差をおいて、唇の温もりと自らの吐息が指先に伝わる。  
(ううん、違う、こんなんじゃない、もっともっと温かかったよ……あの時は……)  
 
 唇から離した指先に、歩美は視線を移す。  
 近い距離に、自分の指紋の形までもがはっきり見て取れる。  
 
 頬に朱が差し、その高揚感に歩美は両手で頬を覆う。  
 手のひらで一瞬だけ温度は下がるものの、その程度で収まるはずも無く、火照りはます  
ます歩美の頬を焼く。  
 どうにもならないと悟った歩美は両手を頬から離し、その片手で、シューズを見もせず  
に探る。  
 指先のコツンとした感触に、歩美はシューズを掴むと眼前にかざす。  
 
 目を閉じ、シューズを胸に抱く。  
 
(誰……なんだろ…………私、誰と……キスなんか……)  
 
 顔が、頬が熱い。  
 その熱がじわりじわりと他の部分へと伝わっていく。  
 シューズに押しつぶされている胸へ、そして下腹の一点へと。  
 普段聞こえるはずのない鼓動が速く、大きく、頭の中に響いてくる。  
   
「…………んっ……」  
 
 下腹の熱に、思わず歩美の太ももに力が入る。  
 頬の朱は顔全体に広がり、吐息が熱を持ち始める。  
 
 歩美は袋に入れたままのスパイクのつま先の部分を −スパイクピンで肌を傷つけぬよ  
う注意しながら− パジャマ越しに胸の先端付近に押し付け、円を描くように刺激しはじ  
める。  
 
「……はぁ、ぁ……」  
 
 ぴりぴりと、まだ起立していない乳首から電気に似た刺激が走る。  
「ん、くっ……んあぁぁっ……」  
 乳首がむくむくと隆起するに比例し、歩美の手の動きが早くなり、びくびくと上体が振  
るえ始める。  
「んぁっ、はぁっ!」  
 びくんと大きく一度身体を痙攣させ、スパイクを持ったまま歩美はどさりとベッドに倒  
れ込む。  
 右手でもどかしくパジャマのボタンを上から外し始め、−左手はしっかりとシューズを  
握ったまま− ようやく一番下までボタンを外し終えた歩美は、左手に持つスパイクに視  
線を移し、それを自分の頭の横にそっと置いた。  
 
 自由になった両手でパジャマの前をはだけると、歩美は寝転んだまま僅かに頭を起こし、  
外気に晒された2つの乳房を見下ろす。  
 発育途中の、それでも手のひらには余る大きさのそれが、ふるんと震えるのを確認した  
歩美は、ゆっくりと左手を左の胸に移す。  
 
 ふわ、と、乳房の下から抱え上げるように胸を包み込み、やわやわと揉み始めると、す  
ぐに歩美の喉の奥から艶声が漏れ出す。  
「んはぁぁっ、ふっ、んぁっ、んふっ……」  
 胸の先端には触れず、あえて右手も使わず、左胸「だけ」を歩美は揉み続ける。わざと  
単調な動きで。  
 ゆっくりゆっくりと手を動かすにつれ、時折ひくんひくんと上体が振るえ、触れられて  
いない右胸が小さくふるふると揺れる。  
 触れられていない乳首や右胸や股間がどんどん熱を帯び、右手でそれらを一気に攻めた  
い衝動を必死に抑え、歩美は自分を昂ぶらせるだけ昂ぶらせる。  
 
「はんんんんんんっっ! だめっ! もだめっ! もうだめえぇぇぇっ!」  
 
 焦らすだけ焦らし、耐えるだけ耐えてから、歩美は一気に両手の親指と人差し指でそれ  
ぞれ左右の乳首を捻り上げる。  
 
「んぐっっ! はぁぁあぁぁぁぁぁっ!」  
 
 押さえ込まれるだけ押さえ込まれた快感が、一気に歩美の脳に雪崩れ込む。  
 乳首に引っ張られるかのように、全身がびくんと振るえ、乳首だけで軽い絶頂を迎えた  
歩美は、そのまま休まず、右手をパジャマの、そしてその下の下着の中に滑り込ませる。  
 
「んはぁっ……熱いよぉ……もおっ、こんなになっ、んぅっ!」  
 
 大陰唇を割っただけで、ぬるりとした液体がこぼれ出し、たちまち歩美の右手の指に絡  
みつく。そのまま勢いでちゅぷりと音を立て、中指の第一関節が、秘唇の中に潜り込む。  
 
「あああああっ! やぁっ、あんっ! そ、そんな、いきなり入ってっ!」  
 
 指の関節1つ分のストロークで出し入れし、秘唇の入り口を歩美は自ら攻める。  
 ちゅぷちゅぷと股間からの卑猥な音に、歩美はぎゅっと目を閉じ、イヤイヤと頭を振り  
乱しながら、それでも指の動きは衰えるどころかその速さを増していく。  
 身体の奥から愛液がこんこんと湧き出し、指の動きで巻き起こる艶音も、じゅぶじゅぶ  
とより卑猥さを増していく。  
 
「はっ、あんっ! ふぁっ! はぁっ! んんっ、くふぅっ!」  
 指の動きとシンクロした自分自身の声。その卑猥さに、 固く閉じたまぶたの隙間から  
じわりと涙がにじみ、みるみる大きな粒になっていく。  
「んぁっ! やぁっ、こっ、声っ! 恥ずかしっ、んぁあぁっ!」  
 声だけは否定するものの、歩美の指の動きはますます勢いを増す。  
 乳首に触れていた左手が離れ、右手と同じ場所へとゆっくり移動する。  
「んんっ! はっ! んあぁっ! 恥ずかしいっ、よぉっ! 止まんなっ、いっ!」  
 
 下着の中に潜り込み、右手のすぐ間際まで近づいた左手が、右手の指が潜り込む秘唇の  
そのすぐ上。わずかに包皮から顔を覗かせた陰核に迫る。  
「はぁっ、はぁっ、んっ! やぁっ、さ、さわっちゃ、んあっ、だめ、ぇ……」  
 やはり声だけは否定する。敏感すぎるその部分に触れることを。  
 それでも実質な強制力のない「声」では、何がどうなるわけではない。どうにも、ならない。  
 
 歩美の左手の人差し指は、  
 勢いよく、包皮ごとめくり上げるように、クリトリスを弾き上げた。  
 
「うあああああああああああっっっっ!!」  
 
 見開かれた目。その弾みで目の淵に粒になっていた涙がこぼれ落ちる。  
「ああああっ! あっ! あっ! やっ! いやっ! だめぇっ! だめなのぉぉっ!!  
きちゃぁうぅぅっ! きちゃうよぉぉぉっ!!」  
 左手の親指と人差し指がクリトリスの上でのたくる。  
 膣口に差し込まれる右手の指のストロークと速さが増す。  
 閉じられることのない口から出る喘ぎ声を止めるすべがない。  
 腰がびくんびくんと跳ね、膝がばたばたと暴れる。  
「だめっ! んぁっ! はぁっ! きもちっ、いいよぉっ! もぉっ! んああぁっ!!  
だめぇっ! もぉだめぇっっ!!  
 
 ぎゅっと左手の指がクリトリスを摘み上げ、歩美の頭の中で光が弾ける。  
 
 その光の中に、逆光で輪郭しかわからぬ『誰か』が、歩美に手を差し伸べる。  
 
「んあぁっ! あああああぁあぁぁぁっっっっっっっっ!!」  
 
 どさぁっと腰がベッドに落ち、ひくひくと歩美の身体が痙攣する。  
 がくりと頭から力が落ち、歩美の身体はひくん、と最後に振るえ、動かなくなる。  
 
 意識が遠のく寸前。歩美の口から小さく「誰?」と呟きが漏れた。  
 
 
 − * − * − * −  
 
 
 袋の中のシューズを見つめていた歩美が、はっと頭を上げる。  
 わすかに朱が差した顔をぶんぶんと振り、必死に胸の内の「うずき」を振り払う。  
 
 別段、歩美に自慰の経験がないわけではなかった。  
 回数にしてみれば、一月に数回。生理前に幾度かもやもやして行う程度ではあったが。  
 それがあの日、シューズを手にしたあの時の自慰以来、しない日の比率の方が遥かに少  
なく……いや、ほぼ毎日のような頻度となってしまった。  
 家に帰り、寝る前にシューズの袋を見ていると、どうしても手が恥ずかしい箇所に伸び  
てしまう。一晩のうちに複数回の情事を行ってしまったことも一度や二度ではなかった。  
 
 今だって実のところ乳首の先がパジャマを突き破らんばかりに張り出している。  
 シューズを眺めていただけでこれである。おそらく今触ってしまえば、一度の行為では  
収まらないだろう。  
 
 そんな変化を見せる胸元に落としていた視線のまま、はぁ、と深くため息をつき、歩美  
はシューズを袋から取り出す。  
 袋を机に置き、両手でシューズを抱えると、歩美はじっとシューズを見つめる。  
「……もう、寝よう……」  
 必死に追いやろうとしても、胸や股間のうずきは消えるどころか、じくじくと歩美を攻  
め続けている。寝よう、とは言ったものの、また今日もしてしまうんだろうな、などと思  
いながら、ため息と共に、シューズを袋にしまおうと、机の上に手を伸ばしかけた歩美に、声。  
 
 
《オシエテ ヤロウカ?》  
 
 
「えっ?!」  
 自分のものではない声に、歩美は慌ててスパイクから顔を上げ、辺りを見渡す。  
 
 が、無論部屋の中には歩美1人。  
「えっ? えっ? な、何? 今の声……」  
 
《オマエノマエニ イルダロ》  
 
 びくりと歩美は正面の窓に顔を向ける。  
 が、やはりそこにも誰も居ない……が、  
 いつも見慣れた窓からの風景に何か違和感を感じ、歩美は1歩窓に向け、足を踏み出す。  
「……だ、誰……」  
 窓に薄く映る自分の姿に歩美が目を凝らすと、次第にその自分の姿がもやもやと揺らぎ  
始め、本来なら見えるはずの街の光が色を失っていく。  
 
《オマエガ モッテル「ソレ」。オレノ オカゲデ テニイレラレタンダゾ》  
 
「何……何なの……誰なの……」  
 
 既に窓には何も見えない。ただ煙のようなものが、窓一面にもやもやと揺らぎ、歩美を  
誘っている。  
 声は、いつの間にか耳からではなく、直接頭の中に響いてきている。  
 
《オレヲ オイダシタヤツノ セイデ マタ オマエノ ココロニ スキマガ デキルトハナ。  
マァ コッチニハ アリガタイコトダガ》  
 
「な、何言ってる……のよ……あなた、何なのよ……」  
 
《シリタク ナイノカ?》  
 
「えっ?」  
 
 応じる必要などないはずの問いかけに、思わず歩美は返事をしてしまう。  
 
《オマエノ ココロノスキマ ソノ イミ。ソシテ ソノ「クツ」ノ コト》  
 
「……心の……スキマ?」  
 
《シリタケレバ ココロヲ ヒラケ。オレヲ ウケイレロ》  
 
「受け入れ……る?」  
 
《コワガルコトハ ナイ。オレガ アタラシイイノチヲエルマデ オマエノココロノナカ  
ニ ハイラセテクレレバ イイダケダ》  
 
「……い、意味わかんないよ……何言ってるか全然わかんないよ……」  
 
 頭の中に響く見えぬ何かの声に脅え、歩美はぎゅうと胸元にスパイクを抱きしめる。  
 それでも、 −胸に靴底のスパイクピンが刺さる痛みでも− 恐怖は拭えない。  
 
《シリタイノダロウ? オマエガ イマオモッテイル フアン ノ リユウヲ》  
 
「……あ、あなた、知ってるの? この……痛くて苦しいのが何か」  
 
 スパイク越しに胸を押さえ、歩美は声に問う。  
 
《シリタイナラ オレヲ ウケイレロ》  
 
「……どうすれば、いいの?」  
 
《ナニモ シナクテイイ タダ オレヲ オマエノナカニ ハイラセるダケデ……》  
 
 窓に映る靄が、もぞり、と部屋の中に這い出してくる。  
「ひっ!」  
 スパイクを抱え、恐怖で硬直する歩美。  
 灰色の煙の塊のようなもの −掻け魂− が、目にも止まらぬ速さで歩美に飛び掛る。  
 
「きゃぁっ…………」  
 
 悲鳴半ばで、歩美はばたりと床に倒れ伏した。  
 
 
 − * − * − * −  
 
 
「大変です神様ぁぁぁっ!!」  
「ぬぉぁっ!」  
 鍵のかかっているドアをその鍵ごと粉砕し、エルシィが桂馬の部屋に飛び込んでくる。  
 
「大変です神様! 大変です神様! 大変です神様! 大変です神様! 変態です神様は!」  
「うるせぇえええええええええええええええっ!」  
 
 入ってくるなり騒ぎ立てるエルシィを一喝……のついでに、桂馬はエルシィのおでこに  
チョップを叩き込む。  
「うにゃぁぁっ!」  
 飛び込んだ勢いそのまま、あらぬ方向にすっ飛び、未開封のゲームの山にもんどりうっ  
て飛び込み、桂馬の側にお尻を突き出してゲームのパッケージに埋もれるエルシィ。  
 
「ノックもしないで部屋に飛び込んできやがって! おまけに人の大事なゲームに飛び込  
むとはどういう了見だ! 限定版に付いてるフィギュアが壊れたらどうする!」  
「後半は神様のせいですぅ〜……」  
 煙を吹いて伸びているエルシィ(のパンツ。ちなみに青と白の縞々)に、ふむ、パンツ  
だけは妹として合格だな。などと呟き、それでも現物(リアル)には興味なし、と埋まっ  
たままのエルシィに声をかける。  
 
「ところでお前今どさくさに紛れて妙なこと言わなかったか?」  
「へ? は? 妙なこと……ですか?」  
 がらがらと身体からゲームのパッケージを雪崩させながら、エルシィが頭をふらつかせ  
て身を起こす。  
「大変だか変態だか、何かそういうの」  
「え? 大変だ、とは言いましたけど……私何か他に言いましたか?」  
「む……そうか、なら、まぁいいんだが……疲れてるのかな……さっきまで神モードだっ  
たからか……」  
 
 ぶつぶつと呟く桂馬に首をかしげていたエルシィだが、一転して声を荒げる。  
「そ、それより大変なんです神様! この前捕まえた駆け魂が!」  
「駆け魂が?」  
 
「逃げ出しちゃったんですぅっ!!」  
 
「……」  
「……」  
 
「……あの、神様?……」  
 予定ではここで「何ぃっ!」とか叫ぶ予定であるはずが、意図せぬ沈黙の桂馬にエルシィ  
は恐る恐る声かかける。  
 
「……一つ聞こう」  
「……はい」  
「捕まえた駆け魂、と言ったな?」  
「は、はい」  
「それはつまり『俺達が』捕まえた、という意味か?」  
「そうです」  
 これまで二人が捕まえた駆け魂の −どれも相応の苦労(主に桂馬の)をもってして捕  
まえた− 記憶を、桂馬は頭の中で思い起こす。  
 捕まえる、と言っても桂馬は対象者の中に隠れた駆け魂を追い出す係。実際の拘留は全  
てエルシィが行っている。  
 駆け魂が人の心から抜け出した瞬間というのは、桂馬にしてみれば対象者との口付けの  
最中であるわけで、じっくりゆっくりそれが捕まる様を見ているどころではない。  
 ゆえに、肝心のその「捕まえる」瞬間の記憶というのは、桂馬にしてみれば一番曖昧な  
部分である。  
 それでも毎回視界の隅に微かに留めていられる光景があった。  
 
「……あの変なビンの中に閉じ込めた奴が逃げ出した、ということか?」  
「そうなります……」  
 
 無論「違います」という返事を期待したわけではないが、それでももしかしたら何かの  
間違いであってほしいという桂馬の祈りは一言で一蹴された。  
(……オーケー、落ち着け。おそらく毎度のこいつのポカだとは思うがまぁ落ち着くんだ  
ボク。とりあえず状況の確認が最優先だな……)  
 
「そんな簡単に逃げられたんじゃ捕まえる意味がないと思うのだが……」  
「あ、いえ、もちろん普通ならありえないんですが……」  
「ですが?」  
「その、あの……えと……今回は特殊でして……」  
 特殊、という言葉に桂馬はふむ、と腕組みし、エルシィの顔を覗きこむ。  
 
「まぁ、一応理由は聞こう。僕が想像しているような事じゃないことを祈ってな」  
「う……」  
 
 ずい、と詰め寄る桂馬に思わず逃げ腰になりながらも、エルシィは必死に言葉を選ぶ。  
 
「え、えと、その、実はですね……」  
「……と、ちょっとまて、そういえばボクは捕まえた駆け魂がその後どうなるかを知らな  
いぞ? ついでにそこのとこも加えて説明しろ」  
「え、あ、え、ええっと、は、はい。えと、つ、捕まえた駆け魂はですね」  
「ふむふむ」  
「まず、地獄に送ります」  
「まぁ、そうだろうな。ちなみにどうやって送ってるんだ? お前が地獄に持っていくの  
か? 特にそんなそぶりがあったようには見えなかったが、今まで」  
 何だかんだいいながらほぼ四六時中一緒な二人。風呂やトイレや就寝や掃除以外でエル  
シィが自分の前から姿を消した記憶が桂馬にはほとんど無かった。  
「あ、えっと。宅魂便を使うんです」  
 
「……たったまびん?」  
 桂馬の言葉にエルシィはごそごそと懐から拘留ビン(縮小状態)を取り出す。  
「えーと、そのー、こちらの世界で言うなら宅急便のようなものです。拘留ビンに駆け魂  
を封じて、ここのとこにサインするんです。そうするとビンが自動的に地獄の魂管理係の  
ところに届くようになっているんです」  
 ここですここ、とビンに付いているタグ……のようなものを指差すエルシィ。その手元  
を覗き込んだ桂馬は、確かにそこに黒縁の小さな札を見つける。  
 
「その後は魂の管理係の仕事になりますので、私にはよくわかりませんが……最終的には  
生前の罪に応じた罰を地獄で受け、罪が浄化されればまた新しい命として生を受け……と  
聞いています」  
「ほぉ……ま、よくいう地獄での罰というやつだな……ちなみに送ったビンっていうのは  
どれくらいで向こうに届くんだ?」  
「いわゆる魔術のたぐいですから、多分一瞬で届くはずですが……」  
「つまり搬送中の事故とかではないわけか」  
「はい」  
「……ふむ……」  
 
 拘留したものを搬送する際の事故ではない、ということは、意外ではあるがエルシィの  
落ち度ではないらしい。  
 では地獄のその管理係とやらがヘマをやらかした、ということになる。  
 地獄の悪魔にも不平不満とかストレスとか人間並みの問題がありそうだな、などと考え  
ながら、桂馬はエルシィに改めて問う。  
 
「それじゃぁ、今回の事件の原因は何なんだ?」  
「う……その……えっと……は、話せば長くなると申しましょうか、その……」  
 
 待て、なぜそこで言葉に詰まる、と桂馬は内心焦る。  
 今までの分析からすればエルシィに落ち度はないはず。なぜ言葉につまる必要があるの  
か、と。  
 
「……い、いいから言ってみろ、まさかお前が原因なのか?」  
「い、いえ、原因といいますか、そうなような、そうではないような……」  
「だ、だから言えって」  
「え、えと、その、き、聞いた話しによりますとですね、その、管理係の人がですね、そ、  
その、駆け魂、というか拘留ビンの陳列棚から、誤ってビンを落としてしまったらしいん  
です」  
「落として割ったっていうのか?! なんだそのベタな設定はっ!」  
「いっいえ、違うんです! 拘留ビンは70万Gの衝撃にも耐えられるよう設計されてい  
るので、物理的な手段で破壊することは不可能なんです。落としたくらいじゃ傷どころか  
曇り一つ付きません」  
「じ、じゃぁなんでだよ」  
 傷が付かないからといって曇らないとは別問題だろうと突っ込みたかったが、結論がま  
だだ、と言い聞かせ、桂馬はエルシィを煽る。  
 
「え、えと……ビ、ビンは壊れなかったんですが……その…………開いてしまったみたい  
なんです…………た……が……」  
「な、何? 何が開いたって?」  
 ごにょごにょと急激に尻すぼみになり、聞き取れなかった確信である語尾を導き出すた  
め、桂馬はエルシィの肩を掴み、がくがくと揺する。  
「あ、あぅぅ、そそそ、その、ふ、蓋が、ですぅ!」  
 
「……」  
「……」  
 
「ふた?」  
「……はい」  
 
「……」  
「……」  
 
「ふた、というと容器の中身が出ないように被せるあの「蓋」か?」  
「そ、そうですぅ……」  
 
「……」  
「……」  
 
「……あのビンの蓋は落としたくらいで開くようなものなのか?」  
「……いえ、本来ならそんなことはありえません。蓋もビンと同じように物理的な衝撃で  
は壊すことはできませんし、一度閉めたら地獄でもごく決められた死神や悪魔にしか開け  
ることはできません……」  
「……じゃぁなぜ開いた?」  
「……そ、その…」  
「その?」  
「あの……」  
「あの?」  
 ちらちらとこちらを窺うエルシィの眼差しにどんよりするほどイヤな予感を感じながら、  
桂馬は精一杯平静を装い、エルシィの言葉を待つ。  
「い、言っても怒りませんか? 神様」  
「……内容による。というかお前に選択肢はない、言え」  
「はうっ! ……そ、その……し、閉めていなかったんです……」  
「は?」  
 
「……だ、だから蓋を閉めていなかったんですぅっ!!」  
 
「……」  
「……あれ? お、怒らないんですか、神様?」  
 先ほど同様、予定ではここでも「何ぃっ!」とか叫ばれる予定であるはずが、再び意図  
せぬ沈黙の桂馬に、意を決して事実を告白したエルシィは、やはり恐る恐る声をかける。  
「……いや、お前蓋閉めてたじゃないか、確か。ちゃんと見てはいないけど」  
 
 桂馬が垣間見た記憶によれば、駆け魂がビンに入った後、エルシィが被せるようにビン  
に蓋をしていたはず。その後ビンが収縮し、手のひらに収まるほどの −今エルシィが手  
に持っているそのものの− 大きさになっていたはず。  
 蓋をしていなかった、という事実はないはずだ。  
 
「え、えと、そ、それが、ですね……その……こ、このビンの蓋って……閉めるだけじゃ  
なくて、その……」  
「っ?! ま、まさか……」  
 
 エルシィの手がくにくにと動く。  
 その動きは左手にビンを持ち、右手で蓋を掴み、捻る動き。  
 
「……まさか……蓋を被せただけで……」  
 首を縮こませながら、エルシィは、おそるおそる頷く。  
 
「ひ、捻って閉めてませんでした……」  
 
「やはり貴様のせいじゃないかぁぁぁっ!!」  
「うにゃああああああっ! ごめんなさいいぃぃっ!!」  
 
 叫びと共に烈火の勢いで叩き込まれた桂馬の蹴りに、エルシィはまたもゲームの山の中  
に頭から突っ込んだ。  
 
 本日2回目の、ちょっとだけずり下がった縞々パンツの披露と共に。  
 
 
      … … … To Be Continue … … …  
 

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