「神様ありがとうございます!」  
 
遠くからエルシィの声が、かすかに聞こえたような気がした。  
美生からそっと唇を離し、荒い息をつく。最中は気づかなかった香水の匂いをかすかに感じる。  
これにいつか慣れる日なんてくるのか。  
胸元には抱きしめているというよりも、顔を埋めているような美生の姿。  
ボクの息が多少落ち着いてくる頃に、目じりをこすってからゆっくりと見あげた。  
 
「遅いから、帰ろう。送るから」  
「……うん」  
 
うなづいた頭がボクの胸に当たる。そのまま、頭越しにエルシィの姿を探した。  
あいつはうまくやったんだろうか。  
 
噴水の奥の、暗い木の影。闇に滲むようにエルシィの倒れた姿がそこに見えた。  
 
「エルシィ!」  
 
美生を残し、その場所へと駆け寄る。はきなれない革靴がもどかしい。  
徐々に近づくその姿を見る限り、血などの外傷を思わせるものはない。  
 
「エルシィ。おい、エルシィ」  
 
身体は温かいし、呼吸も荒くはない。いびきもない。  
だが、ぺしぺしと軽く頬をはたいても反応をする気配もない。  
近くには、空の小さなビンがある。  
駆け魂を回収するときになにか失敗でもしたのか?  
 
病院……はまずい。こいつの正体がばれる恐れがある。  
 
ビンをポケットに入れ、頭をボクの肩にあてるようにエルシィを抱え上げた。  
そばには、不安そうな顔の美生が待っている。  
 
「美生、一度家に行く」  
「うっ、うん。大丈夫?」  
「多分」  
 
ボクらの服装に驚いているタクシーの運転手を急がせて、自宅へ戻る。エルシィに変化はない。  
 
「すいません、彼女を家までお願いします。  
 美生、また学校で。ごめん」  
「桂木!」  
 
運転手に一万円札を渡して家の中へ向かう。美生の呼ぶ声にも振り向かなかった。  
 
母さんに見つからないようにエルシィの部屋へと運び込む。  
複雑な構造の、羽衣でつくられているとは思えないメイド服をひとつひとつ脱がせていく。  
圧迫されていると良くないだろう。  
ヘッドレストを外すときに頭もよく確認したが、こぶのようなものもない。  
下着だけを残してすべて取り去り、とりあえずボクの寝巻きを着せる。  
 
ベッドの上のエルシィはただ寝ているようにしか思えない。  
熱もない。頭を冷やそうかとも思ったが、その必要もないようだ。  
 
「はあ……」  
 
ずるずると足を滑らせてベッドを背に座り込んだ。後はボクにできることはない。  
メイド服もボクのスーツも羽衣に戻る気配もないということは、きっと美生のもそうだろう。  
明日、ドレスをみて不思議がりはするだろうけど、エルシィが気づき次第回収させよう。  
幸い、明日は日曜日だ。  
 
 
「……神様」  
「神様!」  
 
肩を揺り動かされた。  
──エルシィの声。あのまま寝ちゃったのか。  
窓からはすでに明るい光が差し込んでいる。  
ふう。一息ついてから、ベッドに向き直った。  
 
「おはよう」  
「おはようございます、神様。うー、それで、どうして私は神様のパジャマを着て、  
 神様は私の部屋で寝てるんですか?」  
 
混乱した表情でボクを見る。とくに変わりはないように、感じる。  
人騒がせなヤツだ。  
 
「お前が、あの屋敷で倒れたからボクがわざわざ連れてきたんだよ。  
 身体はなんともないのか」  
「た、倒れたんですか、私?」  
 
袖の余った手をぐるぐるまわしたり、ベッドの中で足を曲げたり伸ばしたり。  
 
「あーあー、あめんぼ赤いなあいうえおー」  
 
発声練習の必要はどこにあるのか。  
 
「とくになんともないみたいです」  
「ふん」  
 
だったらこんなところにいる必要もない。とっととこのちゃらちゃらしたスーツを着替えて  
ゲームをしよう。  
立ち上がろうとして、ふくらんだポケットに気づいた。  
ああ、あのビンか。  
 
「あー!!」  
 
ポケットから出したそれを見てエルシィが騒ぎ出す。  
 
「拘留ビンの中に駆け魂がいません!」  
「拘留? 駆け魂ってのはこんな小さなビンの中に入るものなんだな。  
 昨日、お前のそばに転がっていたときから何も入ってなかったぞ」  
「うぅー! 駆け魂が逃げちゃいました……」  
 
……つまりアレか。捕らえるのに失敗して、空中から落ちたか何かで  
気を失ってたってことか。  
とことん役にたたないヤツだ。  
 
「……すいません。神様」  
「もういい。とっとと逃げた先か別のでも探しとけ。ボクはゲームをする」  
 
頭を下げるエルシィを尻目に、ドアへ向かう。  
なんのためにあれだけ苦労して美生を攻略したんだか。  
 
「あれ?」  
 
ドアを開けようとするその後ろで間の抜けた声が上がる。  
メイド服に向けて左手を伸ばしている。  
 
「……羽衣さんが、元に戻りません」  
 
「美生のドレスがまだないからじゃないか。昨日あいつが着て帰ったから」  
「いえ、別々にしたらそれごとに元に戻したりもできるんです」  
 
うんうんうなりながら手を何度もメイド服に伸ばす。  
……なんとなく、いやな予感がした。こういうパターンは、あれだ。  
 
「ほうきを操ってみるか、空を飛んでみろ」  
「は、はい」  
 
当然のように、ほうきはただのほうきとなり、空も飛べない。どうせ、  
 
「地獄との連絡も取れません!」  
 
だろうな。  
ああ、よくあるシチュエーションだ。現実になると非常に迷惑だが。  
 
たまったゲームから泣く泣く意識を切り替え、エルシィの前にあぐらで座りなおした。  
早く二次元に帰りたいなぁ。  
 
「昨日、最後にあったことを思い出してみろ」  
「……ええと、駆け魂が美生様から飛び出しました。その時に、  
 拘留ビンをつかおうとしたはずなんですが、それから記憶がないんです」  
「駆け魂がお前に攻撃をしかけて、その力を乗っ取ったって事か?」  
「いえ、そんな力はありません。駆け魂にできることは、人の女性の心のスキマに潜むことだけです」  
「でも、お前は悪魔なんだろう。人間の女、だけじゃないってことか?」  
「私も聞いたことはないです……」  
 
人間の女。悪魔の力を失ったエルシィ。  
 
「……とりつかれたら人間と同じになるからってことなのか?」  
「うー……」  
 
「……まぁ、わからないならそれは今はいい。  
 それで、悪魔であるお前にとりついたんだとしたら、どうなるんだ。  
 人間と同じく、転生しようとすると考えればいいのか」  
「ごめんなさい、それもわからないです。  
 ただ」  
「ただ?」  
「関係あるのかわかりませんが、以前にお姉様に聞いたことがあります。  
 『7日以内に捕まえないと、地獄から駆け魂を狩りに来て、その町自体が火の海になる』  
 という話を」  
「この舞島市が、ってことか?」  
「はい、おそらく。人間ではそんなことにならないので。何か別のルールだと思います」  
「何が起きるのか知らないが、そこまでして滅ぼす必要があるってことか。  
 はた迷惑な……」  
「ううー、神様、どうしましょう!?」  
 
どうしましょうも何も、そんなことをされたらボクの大切なゲームも燃えてしまう。  
しかも、地獄との連絡がとれない以上、こいつのあやふやな記憶でもそれを前提として  
対応しておくしかない。  
 
「拘留ビンっていったな。それも使えないのか? それならお手上げだ」  
「これは悪魔の力を使うわけではないので、人間でもできます。  
 駆け魂が空中に出たらふたをあけて、勝手に吸い込んだらまたふたをするだけです。  
 でも」  
「また、でもか」  
「悪魔の力が使えないので、駆け魂が見えません……」  
 
天を仰ぐ。  
 
「心のスキマを埋めて、キスをして駆け魂が出た瞬間に、勘だけで誰かにふたをあけて、  
 またふたをしめてもらわなきゃいけないってこと、か」  
   
曲芸みたいな真似だ。しかも、それを第三者に任せる必要がある。  
 
「ハードル高いな……」  
 
その言葉で歩美のことを思いだしたが、関係のないあいつに頼む筋合いじゃない。  
やってもらうとしたら母さんだが、  
 
(母さん、エルシィとキスをするから、その時にこのふたをあけて、少ししたら閉めてくれ)  
 
笑いながら轢かれそうだ。  
 
「困ったな……。こんなことを頼めるヤツなんていないぞ」  
 
すぐに思い浮かぶ相手がいない。誰か、頼めそうな人間。  
 
「……あの、神様。私が言うのも大変申し訳ないんですけど。  
 前提をひとつ忘れてませんか?」  
 
喋らないと思っていたら、もじもじと指の先をこすりあわせながらそっぽを向いて言う。  
 
「……私が、神様を好きにならないと、いけないんですよ」  
 
そんなことはわかってる。  
すでに解決の道筋が立っているから後回しにしただけだ。  
こいつの心のスキマがなんだかなんて今はわからないが、  
押しかけ同居人で見かけ上妹で共通の秘密をもっていて共闘していて  
駆け魂狩りを続けるためになんでもするとかとも言っていた。  
多数の生死にかかわるという状況ですらある。  
イベントはもう充分だ。  
問題は、それをこいつも知っているということだが、こいつは粗忽だから  
なんとかなるだろう。  
 
「……なんだ、お前はボクのことを好きじゃなかったのか」  
「そ、それは……」  
「じゃあしょうがないな。攻略する方法を考え」  
 
台詞の途中に、玄関のインターホンが重なった。なんだ、こんな早くに。  
少しして、ボクの部屋のインターホンも鳴りだす。  
 
「はい?」  
「桂馬、お友達。玄関にいってあげなさい。早く」  
 
……友達?  
 
そんなのはいない。聞きなおしたかったがすでに切られている。面倒くさいな。  
 
「ちょっと出てくる」  
 
顔を赤くしたまま、うなづいたエルシィを背に、玄関へ向かった。  
途中の姿見でまだ昨日のスーツ姿だったことにきづいたが、しょうがない。  
 
玄関を開けた。そのまま少し視線を下げる。  
少し顔を赤くした、青山美生が、そこにいた。  
 
 

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