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落とし神へ
私から連絡をとるのはイレギュラーなのだが、緊急時なので許してほしい。
エルシィからの連絡が、そちらの時間の土曜20:34から途絶えている。
こちらからの連絡もできない状態だ。
エルシィに万一のことがあっても、連絡だけは取れるはずなのだ。
このままいくと、エルシィが自分の意思で連絡を拒否しているととられる。
そうすると、まずいことが起きる。
詳しくは協力者である落とし神へもいえないが、エルシィにとっては
まずいことだ。そちらで何が起きているのかわからないが、明日の20:33までに、
なんとかして連絡を取るようにしてくれ。
すまないが、よろしく頼む。
ドクロウ・スカール
ふざけたメールアドレスからのメール。
メールヘッダーを見るとまったく関係のないドメインを経由されている。
返信は無理みたいだ。
もう一度文面をよく読む。
明日の20:33。連絡が途切れてからの72時間の1分前。
駆け魂うんぬんの前にあと一日と何時間かしかない。
それに、ボクに言えないまずいことってのはなんなんだ。
エルシィにとってということは、逃亡とか、そういうことと捉えられるのか?
駆け魂を捕まえるのに失敗すると、ボクらの首が飛ぶというくらいだ。
そのへんの危険視はしておいたほうがいいだろう。
PFPを鞄にほうりこむ。溜息をハンドルに吹きかけながらペダルを回した。
「エルシィ! おい、エルシィ!」
玄関からそのままエルシィの部屋へ向かう。ああ、くそ、汗が気持ち悪い。
拳がドアを叩く音にも反応はない。
こっちは、靴があったのを確かめてるんだぞ。
「エルシィ、昨日のことはいったんおいて、ボクの話を聞け。
最初にボクにメールをよこしたドクロウ・スカールとかいう奴から
さっきメールが来たんだ。
その話をさせろ」
もう一発ドアを叩く。あいかわらず返事がない。
「おい! こんな部屋のカギなんて、外から簡単に開くんだぞ!」
その声に反応して、ドタドタという音とともにドアノブを向こうから握った音が聞こえた。
「へ、部屋はダメです……
もう少し、待ってください」
かすれ声がドアから漏れる。
そんなにボクを部屋に入れたくないのか。
「……わかった、居間に下りて来い」
母さんは喫茶店のようだ。ボクは着替えもせずにエルシィが降りてくるのを待つ。
少ししてから、制服姿のままのエルシィが降りてきた。目が赤く、顔も赤い。
泣いてたのか、こいつ。
ボクから最も離れた位置のソファに座り、視線をあわせようとしない。
なんとなくむかっ腹が立つが、時間がない。
PFPにメッセージを表示して、テーブルの向こうへと押しやった。
それをおずおずと受け取り、慣れていなさそうにメールを読んだ。
さっきからなんだかいらいらする。
別にこいつが普段と違う表情や態度をとったからってボクはどうだっていいのに。
不安そうな目で、画面から目を離してやっとボクを見た。
「72時間ってことは、3日だ。何のことだ。何か覚えてるか?」
「3日。3日……」
「どうだ?」
「覚えてません……」
「……はぁ」
聞こえるように盛大に溜息をついてやる。ごめんなさいの言葉も、ずいぶん小さく聞こえた。
なんとか気を取り直して、メールの説明に戻る。
「まず、7日目に町が火の海になるかもしれないという件に触れていないことについてだが、
これはボクに内緒にしているのかもしれない。
それよりも、このメールにはお前にとっての記載が多いし、この書いてるやつが
お前をかばおうとしているように見える」
「室長はいい悪魔です」
「お前を助けようとしてるんだ」
「……はい」
「だったら協力しろ」
その言葉にエルシィの体がこわばった。膝の上に置かれた手がスカートを掴む。
無視して話を続けた。
「さっきまではお前の様子を見てから今後を考えようと思ってたけど、
いくらなんでも時間がない。
ルートはいくつか考えられるけど、お前に、歩美や美生のときのように
やったとしても、からくりを知っているお前に行動や会話を一度でも
裏に取られたら時間的におしまいだ。
リアルに興味のないボクがなにかいっても、今のお前は信じられないだろう」
返す返すも昨日の行動が悔やまれる。
「回りくどいことは抜きだ。
……お前の、心のスキマっていうのは、なんなんだ」
少し考えた後、エルシィはボクを見るともなく声を出した。
「逆に言うと、明日の夜にはあちらと何か連絡が取れるんですね」
「あ? ああ。いや、簡単に言うな。それこそ、お前を駆りにくるかもしれないんだぞ」
「でも、神様が言われたとおり、私にとってです。この町が焼けるわけじゃないです」
ボクの質問に答えず、違う回答を返してくる。
その点を責めてもよかったはずが、口からは別の言葉が漏れていた。
「……別に、お前なんてどうなろうが構わないが。
いや、お前がもし殺されるような事態になったら、この首輪のせいで
ボクもどうなるかわからないだろう」
エルシィがボクを見ようとする。視線は絡まずに、テーブルの上のPFPへとボクが逃げた。
ドクロウとかいう奴め。曖昧な言葉ばっかりだ。
だからエルシィが真面目になんとかしようとしないんだ。
「だから! そもそも明日までに、お前を攻略することができれば、
ボクも、この町も、お前も問題ないんだ。
最初の質問に答えろ」
エルシィと向かい合う。目だけがまだ赤いままだった。
「わかった気がします」
「なんだ。それはなんだ」
「……言えません」
首を振る。コンプレックスや悩みの発露をためらうのは当然だ。
だけど、今はそんな時じゃないのをこいつはまだわかってない。
「お前の問題だけじゃない。それがわかれば、ボクもお前に協力してやれる。
だから教えろ」
「言うのは嫌です。
どっちを選ぶのも、嫌です。
だから、キスするなら、神様から無理矢理してください。
きっとそれで大丈夫です」
無理矢理ってなんだ。口を開こうとするボクを遮るように、
エルシィは表情も変えずに続ける。
「今日も、神様は美生様とキスをしたんですよね」
「……」
言葉に詰まる。それがもう回答だ。今さら、嘘は意味がない。
「した」
「だからイヤです」
エルシィに押されている。こんなポンコツ悪魔に。
「神様から、無理矢理してください。
私からは、どうしてもしたくないんです」
勾留ビンを差し出してきた。思わず受け取ったボクの手のそれを見て、
すぐ泣くこいつの、瞳がわずかに潤む。わけがわからない。
逆に、ボクの心にはイライラを通り越した負の感情が急速に溜まっていく。
ボクにスキマを話すことが、そんなに嫌なのか。
こいつにキスをして、駆け魂を捕らえることができたとしたら。
そんなことも忘れて、明日からまたかみさまーかみにーさまーとまとわりついてくるのか。
──とてもつきあってられない。
こいつがどんなことになろうともう知ったことか。
ボクだってこんな現実に未練なんて元々ない。
「……ふざけるな。ああ、そんなに嫌なら好きにしろ。
昨日の言葉をそのままお前に返してやる。
ボクだって、お前のことなんてだいっキライだ!」
あいつと会った初日に作ったメモが役に立った。
実質1日じゃたいした数はこなせないが、厳選したソフトだけを再プレイするための
抽出の時間が短くなって助かった。
ああリカは可愛いなあ。
あれから寝ずに部屋でプレイし続けた。しかたなく来た学校も、バーチャルPFPの
おかげで授業も休み時間も無視できる。
ああゴミ子は可愛いなあ。
「痛っ!」
突然後頭部をはたかれた。
バーチャルPFPを外しても、近くには誰もいず、クラスの連中が昼を食べているだけだ。
机の上に、あまりうまくない字でノートの切れ端がおいてある。
『女の子が、屋上で待ってるって、伝言』
なんだ…… こっちにくるのなら、断れたのに。
無視してやろうか。
南校舎屋上には今日も人っ子一人いない。ボクと、階段で会ったこいつ以外には。
ドアを閉めると、あいかわらずのオムそばパンを出してきた。
ついでに牛乳も。
「お前の分も、買っておいたから」
それで、なにも言わずにボクをここまで引っ張ってきたのか。
おかげで断るタイミングを逃した。
「3種類、使った。100円と50円と10円」
「ああ、ありがとう」
なにげなしに受け取ろうとしたそれを引かれてしまう。
「3種類、使えた」
睨みながら、後を続けてくる。
「……昨日みたいのでなければ。
褒めても、いいわよ」
小さな頭を撫でる。ちょっと不服そうに、顔を赤くする。
ボクの手に、パンと飲み物をおしつけ、自分はベンチへと向かった。
あいつと一緒に帰ったことを話された。
キスをしたことを話したのは、その時か。
面倒なことを言ってくれる。
牛乳で流し込みながら空を見る。
あいつがわかったという、スキマというのはなんなんだろう。
正直、ありすぎる気もする。バカだし、いつもべたべたひっついてくるし、
そういえば姉さんのようになりたいといっていたな。
だが、この仕事はあいつが役にたつかはともかくやる気はあるようだ。
ボクが嫌いだから? 帰りたいから?
誰か、姉などへの嫉妬?
それとも、美生への嫉妬? 駆け魂を出すためにしたことだってわかってるはずのあいつが?
……わからん。現実女の考えることは。
もういい。今日の夜には、あいつか、あいつとボクの二人がどうなるかわかる。
美生が食べ終わるのと同じ頃、ボクの手の中のパンも姿を消した。
美生の話を聞く。PFPは出さない。
時折、楽しそうに笑っている。森田というその運転手も色々大変だったろうな。
こいつが真性のツンデレなのは変わらないだろうが。
きっと家族やその人はじめ、何人かにはこういう笑顔をみせていたはずだ。
クソゲーにセーブ&リロードはない。
万が一、本当にボクが死ぬことになったとしたら。
駆け魂は消え、こいつはボクのことを忘れてくれるだろうか。
それとも、こいつは、ボクがずっと好きだと思ったままでいるということだろうか。
そんなことはボクの知ったことじゃない。
それを乗り越えるのは本当はこいつの仕事なんだ。
そのスキマに入り込んだ駆け魂。
こいつを慈しんでいた父親の死。
あの日に、全てが終わっていれば、こいつはボクのことも忘れて前に進むことが
できたかもしれないのに。
──こいつは、二回目のそれに、耐えられるのかな。
「美生」
驚いたように隣のボクを見る。怒っているのか、顔を赤くして返してくる。
「……土曜の夜以来ね。私の名前を呼んだの」
「そうか?」
「いつも、お前とか、ばっかり。だいたい、そんな呼び方」
一呼吸置く。
「桂馬に、許可なんてしてないのに」
そらしてしまった顔に、声を大きくしてボクは続けた。
「聞いてくれ」
身体を美生へと向ける。その拍子に、まだ残っていたコンクリートの上の飴玉が、
ボクの足ですりつぶされた。
「ボクが、お前のことを、好きだっていったのは、演技なんだ」