「ありがとうございましたー」
コンビニの店員の挨拶を背に、自動ドアを出る。少し離れたところで待っていた歩美は、
近づいてきて横に並んでくる。
「何、買ったの?」
「……」
すでに鞄にしまってはいたけれど、わかっていると言わんばかりの表情には何も返してやる気は
しなくて、ボクは無言でいた。
歩美もそれ以上は追及してこず、暮れはじめた道を歩く。
歩きなれている上に歩速の早い歩美に比べ、ペースが遅くなりがちなボクは無言で後ろについていた。
一般的な一戸建て。高原という表札には三人の名前が書かれている。
「誰もいないから、気にしないでいいよ」
「……おじゃまします」
知らない家の匂い。誰かの家に行くことも久しぶりで、少しくらりとする。
学校に比べ傾斜のきつい階段を上る。目の前にある太ももから視線をちらしながら。
画面上では何回見たかわからない女の子の一人部屋。
三次元のそれはそのどれにも似ているようで似ていなかった。
「今、飲み物もってくる」
小さな本棚。陸上の用具。意外にパソコンも備えている。
出窓のスペースには、ぬいぐるみと一緒に飾られている、ぴかぴかのスパイク。
綺麗に磨き上げられて宝物のように置かれていた。
これが原因なのか。消えない物を贈るのがいけなかったのか?
「それ、気になる?」
開いたままのドアから、2Lのペットボトルとグラスをもってきた歩美の声。
自分で淹れた紅茶とかお茶でないのがなんだかこいつらしい。
「いや」
「ふーん」
追求はしてこず、グラスに注意深く注いでいる。注ぎ終わるまで、待った。
「家族の方は?」
「お父さんもお母さんも帰り遅いよ、いつも。さっきメール入ったし」
「弟はどうした」
「そんなのいないよ。ひとりっこだから」
嘘だろうとは思っていたが、まったく悪びれもしない。
まったく、現実の女って奴は。
グラスに注がれたブレンド茶を飲みながら、そう思った。
「……あのさ」
「なに?」
「私から、無理にお願いしたんだけど」
「うん」
「もし、桂馬が、本当に嫌なら……」
「それはない。
ボクも、高原としたくないわけじゃないから」
顔が赤くなった。面白い。さっきまで平気な顔をしていたくせに。
「だって、さっきからなんだか違うから。
静かだし、なんだかはっきりしないし」
「そうか?」
「普段は、もっときつい言い方する」
「多分困ってるんだろう。どうすればいいのか」
「……それは、私も初めてだけど」
なんだか勘違いをされたようだった。
黙ってしまった歩美から目をそらし、自分の考えに戻る。
……たしかに、いつものボクじゃない。なんでこんなにふんぎれないんだ。
許しを得てからなんて、みっともないとでも思ってるのか。
それとも、拒否されることでも怖がってるのか。
他のヤツからボクがどう見えるかなんて、今まで気にしたこともなかったのに。
どっちにせよ、もうタイムリミットだ。
一息ついて、精神を整えてからボクは首もとのスカーフに手を伸ばした。
少しそれを押し下げてから、目を丸くしている歩美へ近づく。
ボクのそれが良く見えるように。
「ちょ、ちょっと待って……そんな急に」
お約束なネタに付き合う気はせず、ボクの首にはまっているものに指を指した。
不思議そうな顔をして、その指された首輪に目をやった。
「これ……チョーカー?」
「それは呪いみたいなものなんだ。ボクの過ちの」
「呪い?」
「まず、最初にはっきりさせておく。
そのスパイクを贈ったのは、ボクだ。
でも、そのことを、キミは、覚えてない。忘れてしまっている」
「……やっぱり、そうなんだ」
「それと、昨日からのボクとキミの出来事は、もう忘れない。
昨日のことも、今日のことも、明日のことも、忘れることはない」
「本当?」
嬉しそうにする。その表情を見て、ボクもどうしてか少しだけ嬉しくなった。
ゆるんでしまった表情を整えて、大事な部分を続ける。
「キミと、友達以上の関係になったとして。
それでも、呪いのために、ボクは定期的に、決められた女の子と仲良くなる必要がある」
「は?」
「その女の子と仲良くなって、呪いみたいなものを解除したら。
その子の記憶も、周りの人たちの記憶も消去される仕組みだ。
これでわかっただろうけど、キミもその一人だった」
「……」
理解しているのだろうか。歩美はボクをただ見ている。
「どうしてキミだけに記憶が残ったのか。そのスパイクのせいかもしれないけど、
詳しくはわからない」
「これから、他の女の子に手を出すボクを見て、そういう関係だったら、キミは傷つくだろう。
ボクを責めるか、別れるか。それはしょうがない。
ただ、問題は、それもまた忘れてしまうことだ。
そうすれば、ボクとキミは、また同じ関係になる。
当然だ。他の女の子がボクのそばにいたことなんて、初めからなかったんだから。
……だけど、その失われる記憶の中で、キミが傷ついてるのは確かだ。
忘れてしまうとしても、悲しむ時間があるのはかわりない。
それが一度だけじゃない。これから何回も続いていく」
乾いてしまった喉を潤すために、グラスに残っていた茶を飲んだ。
小さくなった氷がカラリと音を立てた。
「だから、それが嫌だったら、断ってくれ。
最初から言わなくて、ごめん」
歩美の反応を待つ。荒唐無稽な、どこかのゲームの話だと思うだろうか。
そうだったら、良かったのに。
歩美は頭の中で内容を整理しているらしい。嘘やジョークや浮気したいためのでまかせとは
思っていないようだ。まぁ、自分が一度経験してしまっているからな。
「一つ、気になるんだけど」
「なんだ?」
「桂馬は記憶を忘れないんだよね」
「ああ」
「じゃあ、桂馬は、何度も何度も、あらかじめいっておくけど、嫉妬する私から
責められるってことだ」
「うん」
「じゃあ、一番傷つくのは桂馬じゃないの?
桂馬じゃなくて、呪いのせいなのに」
「……」
「その呪いは解けないの?」
「いつか解ける。そのいつかはわからないけど」
「女の子に手を出す、っていうのは止められないの?」
「そうするとボクが死んでしまう」
ついでに、あいつも。
「それに、嫌だったら断ってくれ、って言ったけど。
私が、嫌じゃないっていったら、友達かそれ以上の関係を続けてくれるの?」
「うん」
「私が、そんな関係を求めなかったら元々そんなことにならなかったのに?」
「まあ、うん」
「どうして、まだ好きでもない私のために、そんなことするの?
さっき、無理矢理にでも断ればよかったのに……」
「絶対諦めないって言ったくせに」
「そ、そうだけど」
メガネを外す。
泣いてしまいそうな歩美を慰めるために。
「理由は、ボクにもわからないよ」
唇を寄せる。歯に舌を触れさせる。唇を甘くくわえたり。
自分からしたキスは、また違う趣がある。ボクは、そんなことを初めて知った。
抱き寄せた身体は小さくて、細い。
服越しに胸に手を伸ばした。ふわりとした感触。
屋上でのそれよりも、よりなまめかしく感じられる。
直接触ったときは、どう感じられるのか。彼女の制服のボタンに手を伸ばした。
「ま、待って!」
強引に口を離し、絶え絶えな息の下、歩美は言葉を漏らした。
「本当にごめん。だけど、どうしても。
……シャワー、浴びさせてください」
「お待たせしました……」
仕切りなおし。
力が少し抜けて、なんだかボクも普通に戻れたように思う。
「ボクは入らなくて良いのか?」
「うん、大丈夫」
そんなやりとりの後、背中合わせで服を脱ぎ始めた。
カーテンの隙間から射す夕暮れの光はボクたちの影を映し出し、
スカートに手を伸ばす仕草を引き伸ばす。
下着だけになったボクの前に、純白の下着をつけた歩美が立っている。
毎日の練習にさらされていない箇所の肌は、見ただけで滑らかに白い。
それを指摘する前に、先に言われてしまった。
「色白だね」
「そうか?」
「肌も綺麗だし」
「外に出ないからな」
「細くて、いいな。私、筋肉あるから」
腕をあげて力瘤を出そうとする。下着姿での違和感がボクの目を奪う。
ボクが見る限り、彼女は十分に細い身体だが、優勝するくらいだ。
きっとしなやかに筋肉などがついているのだろう。
同じ部活の中で皆と比べたりしているのかもしれない。
不意に近づいていって、抱きしめた。細い首筋に唇をつけるように。
人の肌は暖かい。直接触れて、それがボクにもよくわかった。
遭難したときのイベントは、本当に意味があるんだな。
「桂馬」
耳元で名前を呼ばれる。肌の匂いをかいでいて、反応が遅れた。
抱きしめた腕を少し強めることで先を促す。
「名前、呼んで?」
そんなことを言ってくる。
「多分……桂馬は絶対覚えてると思うんだけど」
そういわれたって困る。残念ながら、高原の名前なんか覚えてない。
「呼んで?」
互いに支えあっていた頭を起こす。匂いが遠くなってしまう。
下から見上げる視線。胸元の下着がボクの視線を吸い寄せる。
そっちじゃないというように、ほんの少し揺り動かされるボクの腕。
ちょっと怒ったような表情の、視線の無言の圧力がかかってくる。
それに耐えきれずに、ボクは口を開いた。
「あ……」
「うん」
「……あゆちゃん」
……ボクのこと、やっぱり忘れて下さい。
ごまかしに抗議しようとする歩美に唇をかぶせて、ベッドへ押し倒した。
胸元に手を伸ばし、さっきは止められてしまったそこへと手を伸ばす。
隙間から手を差し込み、滑らかに柔らかい全体に触れる。
比較するすべもないが、意外と、大きいほうなのか。
キスを止めた口から、熱い息を漏らしながら、歩美は言葉を漏らした。
「けち。……脱ぐからちょっと待って」
下着から開放されたそれが、ボクを誘っている。
手のひらで全体をおしあげるようにし、指の腹で乳首を撫ぜる。
部分部分で違う弾力が、ボクの手を不規則に押し返す。
「その、怖いから、強くしないで」
「うん」
小さな声に、緊張の度合いを知った。
それを和らげるためには、なんといえばいいのか。とりあえず笑っておこう。
しかし、見つめるそばから歩美の顔が紅潮を続けていくのはどうしてなのか。
「……っ」
声を出すのを恥ずかしがるのか、ちろちろと舌先で転がしたりした時などの反応のたびに
唇を強く閉ざし、ボクに聞かせてはくれない。ぴくんぴくんと震える身体だけが正直だ。
それが少し不満ではあるが、ボクはその柔らかさと感触に、没頭した。
おなかをわかりやすく手のひらで撫でながら、指先をおへその先にすすめようとした。
慌てて歩美がそれを手で止める。
ボクの下から抜け出し、立ち上がり、息を整える。
それを見つめるベッドに座ったままのボクは、上下する胸元を観察していた。
「はじめてだから、痛かったら、言って」
膝をつき、ボクのトランクスのボタンを外そうとする。
今さらボクが恥ずかしがるわけにもいかない。
右止めのボタンに苦労しながら、反り上がるそれが歩美の目の前で揺れた。
赤い顔のまま、観察されている。やっぱり、これは恥ずかしい。
「な、なに?」
「あの、思ったより、小さいなって」
……
心が痛い。
心の底からボクは傷ついた。久しぶりの出来事だ。
そうか。ボクも、こんな小さな事でここまで傷つくというのか。
やっぱり二次元で生きていこう。もうこんなことに耐えられそうにない。
わかりやすくしおれていくそれを前に、歩美は慌てて声を大きくする。
「ちっ、違うよ!
想像してたのとか、お父さんの持ってたHなゲームに比べると!」
──こいつはアホか。いったい何をしてるんだ。
深呼吸をして、心を元の状態に戻そうとした。すぐにはうまくいかなかったけど。
「……お父さんには、決して気づかれないように返してあげろよ。
そしてボクをあんな連中と比べないでくれ。
あんなのとはりあえる日本人はシ○モダカゲキぐらいのものだ」
「そんな、お父さんだなんて、気が早いよ」
「……」
くいつくのはそこか。典型的だ。
「昨日、ほとんど寝ないで、桂馬のサイトにある中で、あんたが好きって書いてる
女の子のゲームをしてみたんだ。みんなPFPじゃなくて、パソコンのゲームだったけど」
ギャルゲーじゃないからな。
それにしても、なんだ。なんだか妙に恥ずかしくなってきた。
歩美はそこで言葉を切って、あらためて股間に顔を埋めていった。
先端の部分を舌先でちゅくちゅくと舐められる。
突然のことにわずかに腰が引けてしまう。
カリだけを唇で噛むようにして、舌で触れられた。
右手が弱くボクをしごいている。
「っ……」
かすれ声だけが漏れてしまう。気持ちいい。ただ、気持ちが良かった。
舌の動きは止まらない。涎をまぶし、ぬるぬるにして敏感なところ全体を
触れつづけている。それに耐えるのに精一杯だ。
「すごく、かわいい顔だった」
一息ついた歩美は、そんな感想を聞かせてくれる。
何もそれに言い返せない。
嬉しそうに歩美は今度は全体を大きくくわえこもうとする。
ボクの性器は彼女の小さな口にほとんど隠れてしまった。
その中で、舌がからみついている。いやらしい音をわずかに漏らしながら、吸われている。
どういったらいいのか。何も言葉が出てこない。
腰の奥深くから引き出されていくように、ボクは限界を迎えた。
「出ちゃうから……口から離して」
いやいやをするように首を振る歩美。
しょうがなく、彼女の肩を抑えて、歩美の口の中から抜き取るようにした。
けれど、すぐに目の前で上下するそれを捕まえて、そのまま手で先端をくすぐってくる。
それに何の対処もできなかったボクは、歩美の手の中に、大量の精を撒き散らした。
手を掃除するインターバルの後。ボクのターン。
残った最後の一枚。歩美は横たえた身体から両脚をたかく上げられ、ボクと視線を合わせようとしない。
わずかに濡れた下着を、そのままで下着越しにすりすりとこする。
染み出した液体がくちょりと移り、その光景が、ボクを戸惑わせる。
「濡れてる」
「……口で言っちゃうんだ」
腰に手を伸ばし、するりと綺麗な脚からそれを取り去った。
薄い体毛がほとんどを隠すことなくボクへと晒す。
それは、凡百のCGをはるか遠く越えてボクの胸をむやみに打つ。
綺麗だ、と言おうとしたボクの口から、違う言葉が出た。
「ふうん」
「……ふうん、ってなに?」
「いや、意味なんてないけど」
さっきの仕返しというわけではないが。
「へ、変なのかな……」
「そんなことはない。すごく、綺麗だ」
膝を閉じてしまう。隠れてしまったそれをもう一度見るために、こじ開ける。
まだ大事な部分は微妙に閉じているから。
「い、息かけないで」
近づかなきゃいけないからそうもいかない。
「あんまり見ないで」
見ないと何もできない。それに、今のままじゃ足りない。
きっと痛いに決まっているんだ。
それには、慣れていないボクだけでは攻撃の手が不足している。
「自分の手で開いて」
ボクの台詞に、ぷるぷると顔を俯けながら横に振る。
なぜか、どこかしら嬉しそうに見えるのは気のせいか。
「開いて」
ほんの少し口調を強くすると、おずおずと手を伸ばし、ボクの前に彼女のそれが花開く。
さきほどのお返しのように、舌先でくすぐる。
きらきらと光る糸をまとめて、クリトリスにかぶせるように。
「ひゃくっ」
縮んで奥へ行ってしまいそうなそれを鞘からかきだすように追いかける。
その間に指も中に忍ばせる。
「ずっ、ずっとしちゃダメっ」
止める気はまったくない。もう一本の手でくにくにと優しく鞘からも追い込んで逃がさない。
歩美のそれが充分に潤うまで。
泣きそうになるまで、ボクはそれを許すことはなかった。
荒い息の横で、裏面の説明書を見ながら、コンドームを装着した。
多分、これで、大丈夫だと、思う。手先は器用だし。
「いくよ」
「う、うん」
いまさら意思は確認する気はない。止める気もないし。
先端をあわせる。多少スムーズだったのは最初だけだった。
それ以上はきつく、緩慢な速度で抽送を繰り返し、受けいれてくれるのを待つしかない。
ボクはいい。正直、たまらなく気持ちがいい。腰に早くも重圧がのしかかってくるようだ。
歩美はひどく痛がっている。
歩美がそんな状況の中、無理矢理先を進めるのに罪悪感を持つ。
前後に動かす。ボクは気持ちがいい。すごく、気持ちがいい。
痛みに泣きそうな女の子がいて、快感を追いそうになる中を、
ゆっくりと、ゆっくりとかき回し、最後まで追い込んでいく。
わずかに柔らかくなっただろうか。
グラインドを混ぜながら、歩美につきこんでいった。
「……っっ!」
腰と腰とが触れ合い、最後まで埋まったことを知らせた。
ボクももう、我慢の限界に近い。
そのままもう何回か、奥まで突くように前後する。
歩美はまだ歯をかみしめながらも、押し寄せる痛みにただ耐えているだけでなく、
わずかだが自分も腰を動かしてボクの動きにあわせようとしてくれている。
動きを止める。歩美は気を抜くように、一息声を漏らした。
おわり? と問うように、子どもみたいに首をかしげてボクを見る。
「──歩美」
おかしい。こんな状態なのに、どうして実際に名前を呼ぶだけでこんなに顔が熱くなるんだろう。
心の中やエルシィの前では何度だって口に出していたはずなのに。
それもこれも、目の前で馬鹿みたいに嬉しそうにしているこの現実の女のせいだ。
ああ、ちくしょう。悔しい。悔しいな。
なんで、ボクは自分が現実の世界の男であることを、嬉しがってなんかいるんだ。
「桂馬、好き」
なんだ、その単純な台詞。もうちょっと趣向を凝らせよ。そんなんじゃ、ボクは納得しないぞ。
「好き」
繰り返された言葉の後に唇を塞いだ。
どくん、どくんと、音を立てるかと思うほど歩美の身体へと放出する。
歩美の爪がボクの背に立つ。その痛みを覚えながら、避妊具が外れてしまったりはしないだろうかと
わずかに心配したりもする。
まったく、本当に。
ただ黙って抱きしめてもいられないなんて。現実はなんてクソゲーなんだ。
シャツのボタンをとめていると、
ベッドの中で裸のまま見ていた歩美の声が聞こえる。
「メガネ、他の人の前で、はずしたらダメだよ」
「どうして」
「どうしても」
「メガネなんだから、そうもいかないだろ。約束なんかできない」
「むう」
むうってなんだ。むうって。かわいいな。
「代わりになるかわからないけど。
外したところを見た女の子は、キミが初めてだ」
「ただいま」
物音もしない。家の中の電気はついているのに。
母さんはまだ喫茶店のはずだ。
「エルシィ?」
二階にあがりながら呼びかけた。ドアの前に立って張り紙を見る。
『エッチなお兄様立ち入り禁止』
思い切り破り捨てて中に入った。
エルシィが部屋の隅っこに座っている。
「……お前、まさか見てたんじゃないだろうな」
「みっ、見てません」
ぶんぶんと顔を振る。赤いランプを振るみたいに残像が残った。
「……それはもういい。
そんなことより、歩美っ、は、やっぱりかすかだが記憶が残ってるぞ」
「歩美って言ったときに顔が赤くなりました」
「うるさい! 部屋にボクが贈ったスパイクがあったんだ。
物が残ってしまっているからとか、それが原因か?」
じと目でボクを眺めながら、机の上においてあった資料を持ち出す。
「たぶん、関係ないと思います。この新しくなったマニュアルを見ても」
エルシィの、バージョンアップになった時にもらったという書類なのだろう。
結構な量だが、日本語だ。どういう地獄なんだ、そこは。
その中に、何枚かの紙を綴じたぺらぺらの資料があった。
目を落とした1ページ目の表記を見て、それをボクは奪い取った。
*****************************************************************
法治省
Bug-ID 6434927
(日本語表記のため、用語、文章の翻訳が正確でないことがあります。
詳細は原文を参照してください)
駆け魂感知時から攻略終了時までの記憶を消去する際に、
対象者の協力者への好感度の値が駆け魂感知時に戻っていませんでした。
また、このために、その好感度を維持するための
重要な記憶の一部の消去にも失敗していました。
この問題は特定のロットのみに発生します。
対象者の好感度の値を駆け魂感知時に戻す処理を追加しました。
この問題の回避策はありません。
交換するか、バージョンアップにより対応してください。
また、この問題がすでに発生した場合の回避策もありません。
協力者による運用対処にて対応してください。
*****************************************************************
がっくりと膝を落とす。
エルシィのドクロのロットナンバーを見るまでもない。
……まさかこんなところでもバグに悩まされようとは思わなかった。
だいたい、運用対処って、直らないからそっちでなんとかしてくれってことじゃないか。
なんだこのひどい対応は。
ボクの手元から落ちた資料を見たエルシィは恐縮してひたすらぺこぺこと頭を下げる。
「……やっぱり、私、何をやっても駄目なんです」
自分を責めるエルシィ。昨日、地獄から戻ってくれた時に気づいてくれたら、
何かが変わっていたかもしれない。
けれど、そんなことをいえば、昨日、ボクがメールに返信しなければ。
そもそも、一番最初のメールに返信なんてしなければ。
きっと今の状態にはなっていなかった。
メソメソしている妹の頭を撫でてやる。
「これは、お前が悪いわけじゃない。悪かったな。何度も疑って」
「……か、神様」
今更エルシィを責めたところで何が変わるというわけじゃない。
そう。
内容を見る限り、歩美だけじゃないってことだ。
……冗談じゃない。
いやいやながら、歩美の部屋で電源を切ったPFPを立ち上げた。何件かの新着メールがある。
はじめまして。落とし神さん。ブルマンといいます。
あるゲームで、見ていると胸がざわざわする庶民の女が、
屋上で、知らない男の子と、二人で親しそうに食事をしていました。
しかもオムそばパンを。
さらにその上、2日連続で。
主人公はずっと見ていたのですが、なんだかすごくいらいらしていました。
もし明日もそんなことになったら、割り込んでいく主人公が目に見えるようです。
その庶民の女を奪うには、どのような攻略が良いでしょうか。
教えて下さい。
見なかったことにした。明日は、エルシィも含めて教室で食べよう。
よし、次のメール。
淡い初恋消えた日はと申します。以後よろしくお願いします。
主人公が男性教師のゲームなんですが、授業中にまでゲームをしていた女生徒がいます。
友達もいなかったはずの彼女が、男子生徒と食事をとりはじめました。
それ自体は良いことだと思うのですが、主人公の気持ちがひどくもやもやしています。
このままでは生徒指導室で
ボクは何も見ていない。
その後の何通かのメールも飛ばす。
落とし神様。LCといいます。
こいつは隠す気すらないのか。
私には血の繋がらない兄がいるんですが、ダメな人なんです。
たった一日、目を離しただけでもう攻略されています。
私に人間の女に興味がないといってから、ほんの一日です。
落とし神だなんてうたっていますが、落とされた神なんてかっこ悪すぎます。
落とされた神、ということは、堕天使ならぬ堕神です。
言葉の響きもかっこ悪いです。
堕ちた神なら素直に悪魔とでもくっついてろと思います。
逃げ出そうとするエルシィの羽衣を掴み、その場に留め置く。
最後に残った短い一通を読んだ。
落とし神様。ポーンです。
エンディングはまだですが、一度メールします。
ゲームと違って現実は先が長いです。
バッドかハッピーかは人によって色々と違うと思いますが。
とりあえずはこれからも、よろしくお願いします。
明日はお弁当作るよ、頑張っていこう、落とし神様!!