「あけましておめでとうございます。昨年のクリスマスは散々でしたね」  
 
弁護士は頬を幾度と指差す。  
応えの代わりに、目を細め口を両端に開く様にぎこちなく歪めた。痛みで引き攣ったのもあるけれど。  
数日前のクリスマス、取調室で散々僕を殴打した刑事は、休暇を出されたと聞いていた。  
同僚が止めるのも聞かず、さすがに残虐非道な犯罪者とは言え、無抵抗の相手に再三過剰な暴力を行使したのが問題になったのだろう。  
正常な価値観で、僕の様なキチガイと正面から会話しようと思うから、齟齬をきたしおかしくなってしまうのだ。  
彼自身の矜持が弄ばれた気がしたのだろうがね。  
狂人は狂人を生産する、とは誰の言葉だっただろう。  
しこたま殴られたので、未だ体中に痛みや軋みが訴えかけるのだけど、これで”僕が狂っている”という認識を確かにさせれば、安いものだ。  
現在、僕は接見室にて強化ガラス越しに弁護士と相対している。  
その弁護士はどんな残虐非道な依頼者であれ、ただ自分の仕事を忠実にこなす。  
反感を買おうが、傷ついた被害者の心情なぞお構いなしに。  
淡々とデジタル的に勝数を稼ぐに任せる主義志向は、冷徹なビジネスマンそのものであり、  
『シュプール』で十一人もの人間を殺害し、最早死刑は確実であろう冷酷無比な殺人鬼たる僕にとっては心強い味方であった。  
憎悪の視線と舌打ちを隠そうともしない国選弁護士から入れ替わる形で、彼が僕の弁護に付いたのはつい数ヶ月前の事だ。  
さぞかし弁護料が嵩むだろうなと身構えていたのだが、何とどこぞの酔狂な人が肩代わりしているのだと言う。  
 
「心神耕弱の線で無罪を勝ち取るつもりです」  
 
初めての接見時に彼はそう言った。  
その一語を読み取れば、以降、僕は心神喪失者を装い殊更自然に振るまえとの忠告に違いない。  
曖昧に笑みを浮かべてゆらゆらと頭を揺らせると、相手は満足そうに幾度と頷いた。  
死刑の回避は僕の望む事であったのだから、双方の利益が一致した訳だ。  
実際、事件後の数ヶ月は未だ興奮状態で感情が錯綜していた事もあって演技せずとも、頭のおかしい人間以外の何物にも見えなかったろうが。  
しかし省みるにつれ、あの事件に置ける僕の暴走的な殺人衝動は不思議としか言い様が無い。  
今でも憤りや哀しみ、絶望を呈した複雑な感情は僕の胸の奥底にあるけれども。  
それが全員を巻き込むまでの殺意に昇華したのは、検証的には存在しない筈の殺人因子を生得的に持ち合わせていたからだろうか。  
真理や美樹本以外の僕の凶刃に倒れた九名には、いやはや申し訳無い限りだ。  
考える時間だけがたっぷりある安穏とした環境ゆえに、暇に任せて様々な可能性を頭でシミュレーションしていたりする。  
真理と美樹本の情事を目の当たりにした時を、思い出して。  
心理学的に自己分析してみれば、二人を殺害せしめた衝動は、すなわち眼前の世界の否定を意味している。  
認められない、認めたくない思いで、現実の光景を無かった事にしようとする幼児じみた癇癪での破壊。  
それだけ僕は信頼していたのだろう。  
真理が時折見せる優しさは僕に対する愛だと。世界は美しいものなのだと。  
 
ああ、僕に刺される直前の彼女の悲鳴は今でも耳に残っている。  
時折その残響を再生しては、彼女の感情を想像してみたりする。  
表層的な恐怖、理不尽な状況に対する疑問的な感情。  
瞬間的な情報量の膨大さに表現しきれなかった絶望。  
僕が十一名を殺害せしめた衝動と同量の。  
世界の否定――ああ例えば、これにはもう一つの手段があったじゃないか。  
目の前で殊更印象的な手段――二人の目の前で首をかっ切って血飛沫を上げながら自殺してみせるのだ。  
僕の死に対する責任能力を付与し、将来への禍根、トラウマを残す目的で。  
こっちの方が良かったかもしれないなあ。  
だが、何しろ、衝動とは瞬間的に切り取られた生の感情そのものが物理的に具現化する訳で。  
一片の空白無く、一直線の殺意以外あるまい。  
他の可能性――ベクトルを変えてみよう。  
無言で立ち去り、階下へ下りひとしきり泣き、他の女の子達の同情を飼う。  
そうなのだ、別に女は真理だけでは無いのだから。  
三人もの女性との出会いがあったじゃないか――だが、即座に僕はこの可能性に首を振る。  
考えてみれば、三人は明らかに真理に比肩し得ない。  
啓子は堕落の象徴と言うべきぶくぶくと太った豚、  
亜紀はいかにも身持ちが固そうで面白みの無さそうな眼鏡猿、  
可奈子は衣装からして派手好きで軽薄な印象がある、エリマキトカゲ。  
しかも、思い出してみろ。  
三名の美樹本に対する熱情的な視線を。  
真理の見せた、あの視線と同様の。  
心中で舌打ちした。  
ふん、やはりこの三名は殺害して正解だった。  
あんな男を肯定するような、腐った駄女共なぞ存在する価値は無し。  
僕は悪くない!  
駄目だ駄目だ。可能性を模索し思考を追い進める度、あれは避け得れない事態だったのだと思えてくる。  
回避手段はただ一つだったんだ。  
見なければ済んだ話。それだけ。  
溜息が漏れる。  
弁護士が何やら口頭で説明をしたが、僕はお構いなしで現実から意識を剥離させていた。  
どうせ、あくまで主導権は弁護士であり、僕はただ闇雲に阿呆を装えば良いだけ。  
やがて、僕は思考を飛翔させ、あの忌まわしき過去という名の地に足を着けた――  
 
 
 
僕は眼前の光景に膝を掴みながら苛々としていた。  
遅れて到着した、髭面の顔にスキーウェアを羽織った立派な体格の男――美樹本。  
友好的な笑顔に、快活な大声、シュプールに置ける動的存在感を一心に集めた。  
この男の登場から、僕の深謀遠慮に立案された計画の歯車は狂ったと言って過言ではない。  
それまでは僕が一方的に喋り、真理は欠伸をしながらも相槌を打ちながら聞いていたと言うのに。  
僕の存在は放置され、蜜蜂が花の蜜を求めるが如く、美樹本の方へふらふらと寄っていった。  
そしてまるで何年もの付き合いを見せる風に、親しげに会話を楽しんでいる。  
僕とのあまりの対応の差に傷つく思いだ。  
その内、美樹本を囲み一つの輪が出来る。  
美樹本は身振り手振りを交え、面白おかしく語りだす。  
明らかな反意を持ち合わせ身構えている僕ですらふっと敵意を忘れ聞き入ってしまうのだから、彼女達の関心たるや相当の物であろう。  
 
やがて夕食の時間となる。  
今夜はクリスマスという事もあって、ジングルベルのBGMが流れる中、  
小林さんお手製の豪華な夕食の後、デザートとしてクリスマスケーキが振舞われた。  
さぞ美味しいに違いなかった筈なのに、僕の舌はまともに味覚が反応せず、むしろ苦々しく口に広がっていた。  
食事時でも主役は美樹本だったのだ。  
気が気でない僕が味のしない食事をしているというのに、美味い美味いと連呼し、食欲旺盛に平らげていく。  
皆が和やかな表情で、見守るようにしていた。  
真理はちゃっかりと、そんな美樹本の隣席を確保し熱い視線を向けていた。  
焦燥感を抱く僕が同じテーブルに相席したのを、時折目障りな風に視線を反らしながら。  
ああ、胃が痛い。  
 
食後も美樹本の独壇場であった。  
みどりさんと俊夫さんとはスキーの話で盛り上がり、  
香山さんは是非うちの会社に来て欲しいと惚れこんだ様子で、  
美樹本を囲む四名の女性は何故かそれを自分の事の様に誇らしそうな顔でいた。  
僕だけが一人蚊帳の外に置かれていた。  
真理と話す機会すら与えられずに。  
一人離れて観察していたから気が付いたのだろうか、美樹本は鳩時計をちらちらと気にしていた。  
何か用事でもあるのだろうか、どちらにしろ好都合だと思い、僕は声を掛ける。  
 
「どうしました、美樹本さん。時間を気にしている様ですけど――」  
 
そうだ、そのまま立ち去ってしまえと怨嵯を込めて祈っていた。  
半分苦笑した風に  
 
「ん――僕は寝るのが早くてね。そろそろ眠る時間だなあと」  
「えぇ〜、勿体無ぁい。もっとお話しましょうよぅ」  
「そうだ! これからナイター行きません?」  
 
女性達が気を惹こうと色々提案するが、  
 
「いや、せっかくだけどもう休む事にするよ」  
 
女性達はそれからもねばっていたが、その都度あっさりとかわされて、不平不満を言いながら引き下がって行った。  
僕はここで安堵の溜息を付いた。  
懸念が自ら引き上げてくれるのならばありがたい。  
しめしめと考えながらふと見れば、引き上げていく女性陣の最後尾を歩いていた真理を、美樹本が呼び掛けているではないか。  
そして、そっと耳傍まで近付き何事かをぼそぼそと呟く。  
耳打ちする様子は親しげな恋人そのものであり、僕は嫉妬心に駆られた。  
畜生、離れやがれ!  
詰まらなそうな真理の顔が一転して瞬間的に沸騰して、頬を赤らめ華やかな笑顔で頷く。  
 
「じゃあ」  
 
美樹本は肩を軽く叩き部屋へ戻って行った。  
潤んだ瞳でその背を見つめる真理。  
まさに少女漫画に置ける理想の男性に漠然とした憧れ。一過性の熱病といったアイドルに対する憧憬だ。  
もっとも、顔を髭で覆い隠したあの熊の様な風貌が、アイドルとは片腹痛いが。  
女性にとって、恵まれた体格に裏付けられた自信から来る、精悍な顔付きの美樹本は魅力的に映るのだろうけれど。  
だからどうした、と僕は鼻を鳴らす。  
付き合いは僕の方が長いのだ。  
同学年で毎日机を並べて勉学に取り組んだり、昼食を一緒にしたり、この旅行に誘われたりする間柄なんだ。  
彼女は気の強い性格だけれども、その語調にはいたわりと優しさが同居しているのを僕は知っている。  
だから。ぽっと出の山男に奪われる訳にはいかないんだ!  
まだぼうっと手を交差させた格好の真理に咳払いをしつつ僕は切り出す。  
 
「ま、真理っ! 良かったらこれから僕の部屋で――」  
「ごめんなさい、疲れてるの。もう部屋で休むわ」  
 
すげなく、美樹本と同じ様な捨て科白で、僕の顔も見ずにさ足早に部屋へ引き上げていった。  
僕はと言うと、ただ茫然自失で足早に去っていく彼女の背を見送るしか出来ない。  
思考力が回復すると、憂鬱の余り、肩を落とした。  
結局今日一日、まともな会話一つ出来ずにいた自分の不甲斐なさに対する自己嫌悪が、僕の足を硬直させていたのだ。  
 
 
【真理視点】  
 
眠るにはまだ早い時間に切り上げたのには理由がある。  
私はベッドの上で膝元を掴み緊張の面持ちで彼を待ち続けていたからだ。  
つい先程まで全身を丁寧に磨き上げ、泡を洗い流すシャワーの余熱が消えかけた午後十時頃。  
とんとん、と遠慮がちなノックが聞こえると、私の心音がどくん、と飛び上がった。  
来た。  
恐る恐るドア越しに、問い掛ける。  
すぐに期待通りの解答が戻ってきたので、友人から評判の良い笑顔を努めて満面に浮かべて、ドアを開く。  
眼前には美樹本さんが先程とは違う、Tシャツとジーンズといった軽装――恐らく寝間着だろうが――に着替えて立っていた。  
私は、廊下に人の往来が無い事を目を左右に動かして確認し、そっと迎え入れた。  
ぱたんと背にドアを閉め終えて、安堵の溜息が漏れる。  
私の様子に美樹本さんは含み笑いをする。  
 
「緊張してるの?」  
「それはもう――あっ」  
 
近付くなり体を軽く抱き寄せてきた。  
ごつごつとした感触が実に男性的で包容力を点した安堵感と緊張感を相互に作用させる。  
優しい目でベッドへ促され、私は軽く頷く。  
ベッドのシーツはおじさんが清潔さを保持する為毎日洗濯しているので、これからの事を考えれば申し訳ないなと思う反面、  
このベッドの上にどんな情事の跡を残せるかとの悪戯じみた思いもあった。  
早速ベッドに腰掛けて着衣を脱ごうとすると、ちょっと待ったと、制する。  
 
「脱がせる楽しみも欲しい」  
 
何やら子供っぽく目をらんらんと輝かせるのがおかしく、つい噴出してしまう。  
くすくすと笑っていると、ふわりと軽く押し倒された。  
ぽん、と柔らかい布団に包まれて私はベッドに寝かされる。  
上には美樹本さんがのっそりと見下ろすような体勢に移動していて、目が合う。  
人の良さそうな顔で首筋や顎にキスの雨を降らせる。  
それが実にくすぐったくて、終始私は、くすくす笑いを止められずにいた。  
ぷちぷち、と服のボタンが外されていく。  
彼の唇は私の肌が露出された場所を寸分逃さず意志を示すように、移動していく。  
 
「真理ちゃん――」  
 
彼は私の顎を掴むと顔をゆっくりと近づけていく。  
私は理解してそっと目蓋を閉じて、唇を突き出すようにして待った。  
重なる。零距離となる。  
彼と私の口唇の接点から熱が広がり、胸を熱く燃え滾らせた。  
 
彼の舌先が私の上下唇を抉じ開けるように、とんとんとノックをする。  
唾液が紅を引くように塗されていくのが溜まらず、薄く隙間を開けた。  
間隙を逃さず、ずずずと差し入れられていく。第一の関門は陥落され、舌の侵入を許した。  
だが。第二の関門――嬌声の必要無しと歯医者に太鼓判を押された並びが良く欠けの無い純白なる上下歯の門がある。  
さあ、どうする?と私が挑戦的な視線を向けると、受けて立つ、と彼は片目をつぶる。  
彼は丹念に慎重に一枚一枚の歯を上下左右と交互に舌で擦りはじめたのだ。さながら歯磨きみたいに。  
しかも。不規則に歯茎を刺激する事も忘れない。ぐいぐいと押し込む。  
駄目だ。私は白旗を上げる――欠伸をする仕草で上顎を上げ、歯の接点を無くす。  
あたかも、ようやく待ち焦がれた恋人に出会えた歓びを、舌で大胆に巻きつける行為で表現した。  
舌先をちょんちょんとキスさせたり、舌の上下を順々に撫で上げたり、左右を摩する事で刺激したり、した。  
にゅるりにゅるりと、舌根を乾かせる暇も無く(冗談の意は無い)、舌を絡ませ合った。  
ようやく、ちゅぽんと音をさせて、私の口内から舌を退去させる。  
舌と舌を繋ぐ唾液の糸が名残を示していた。  
私の思考は完全に陶然としていて、顔面に熱が集中していた。  
長い長い口接行為が、私の思考を鈍磨させ、恍惚の領域へと追いやっていた。  
左右の目蓋にちょいちょい、と軽く唇を触れさせたのを合図に、  
再び美樹本さんは私の全身を制覇せんと、唇を肌に這わせ、私の衣服を次々に脱がせていく。  
やがて上着が全て脱がされ、私は下着姿になっていた。  
つまり、その部位だけが、彼の唇が触れていていない場所、となる。  
 
「シンプルなのが好みなの?」  
 
言われるなり、失敗したな、と思った。  
こんな時に鍵って、私は普段日常的に着用している、何の変哲も無い白の下着だった。  
透という間違っても性的な対象から除外される相手もあって、旅行には幾分地味目な物ばかり用意してきていたのだ。  
出会いを期待していないと言えば嘘になるけれど、まさか自分が会って一日の相手に大胆な恋慕を抱くとは想像がつかなかったのだから仕方ない。  
美樹本さんは特に気にした風も無く、逆に自然体で新鮮だ、と慰めとも本心とも分からぬ科白を吐く。  
手を差し入れると器用にも一度でホックを外す。こうした行為に慣れているのだろうか。  
私が少し背を浮かせて協力をして、接合させていた肩紐を解き放つ。  
次は下――ブラと合わせた白のショーツの左右に指が掛けられる。  
両端を細いこよりの様に包めて少しずつずらしていき、太股の抵抗に遭いながらも、ずるりと足から抜け落ちた。  
そのまま両下着は床に投げ捨てられる。  
美樹本さんは、ベッドの上に立位すると、生まれたままの姿となった私の全てををまじまじと見下ろした。  
ほお、と感心の声を上げたのは、過去のそうした相手と比べてのことか。私の胸に見知らぬ相手に対しての嫉妬の炎が芽生えた。  
私のそんな様子に気付かずに、  
 
「経験は?」  
「はじめて――です」  
 
口にして、面倒臭そうだと嫌がられるだろうかと瞬時に不安に駆られたが、逆に嬉しそうにそうかそうか、と頷いた。  
 
美樹本さんは見る間に、その風貌に似合う豪快さで服を脱ぎ捨て始める。  
現れた肉体は、実践的に育まれた躍動感のある筋肉質な体型で、自然の風雨による削られた中国の岩山を髣髴させた。  
私がその芸術的な体に見蕩れていると、美樹本さんは照れくさそうに、低く笑った。  
ゆったりと余裕あるジーンズを丁重に床へ置くのが視野に収まるや、後ろポケットに収まりきらないでいる物騒な膨らみに私は眉を潜めた。  
 
「――美樹本さん、それは」  
 
ああ、と悪さを見咎められた悪戯っ子の面持ちで美樹本さんは語る。  
 
「スイスの有名メーカー、ビクトリノックス製のサバイバルナイフだよ」  
「何故、そんなものを――?」  
「先程話してなかったっけ。僕の仕事」  
 
思い出した。  
彼の職業は自然風景を中心とした写真家である為、人の手の入らない険しい場所にも足を運ぶのだという。  
安全確保の為、装備防備は常に怠らないのだそうだ。  
 
「まあ、今回はただ雪山の風景を撮りに来ただけだから必要ないとは思うけどね」  
 
ああ、もしかしてと言葉を紡ぐ。  
 
「テレビで頻繁に謳われるサバイバルナイフの所持者に対する悪感情かい」  
「いえ――」  
「少し印象操作のきらいがある様に僕は思えるね。  
 ああいった番組で取り上げられる犯罪者は、武器をポケットに忍ばせる事で他者との優位性を保っている。  
 自己顕示欲の塊なんだよ。実際の用途も考えず、ただ弱者に対し憂さを晴らすだけの莫迦さ」  
 
何か妙に言い繕っている様な気がしないでもなかったが、迷惑そうな心情は理解は出来た。  
 
「すみません」  
「いやいや――それより続けよう」  
 
 
【透視点】  
 
僕は暗い表情で皆が引き上げた居間で一人寂しく佇んでいた。  
気分は最悪に落ち込んでいた。  
終始美樹本にイニシアチブを取られたおかげで、真理との会話が皆無に等しかった。  
しかも。  
去り際の、僕への無関心振りといったら無い。酷い。あんまりだ。  
大学での彼女の顔とは違う冷徹な面が浮かび上がって、厭になる。  
いや。きっと、彼女は普段とは違う環境にいるがゆえ、浮かれ切って感情が不安定になっているのだ。  
そうだ、そうに違いない。  
僕がしっかりと監視していないと、あの美樹本の軽薄なお世辞に騙されて、痛い目に遭いかねない。  
それだけは防がないと。  
彼女を守るのは僕しかいないのだから。  
ナイトになるのだ、僕が。  
拳を振り上げ決意を込めて、僕は裏口方面に回り、足を忍ばせる。  
小林さん夫婦がキッチンで明日の仕込みを行っているのを確認し、そのまま事務室へ足を踏み入れた。  
音を立てぬ様慎重に移動しながら、マスターキーを確保した。  
悪い事をしている自覚はあるけれど、真理の為だと自分に言い聞かせる。  
クリスマスという事もあって皆が皆、自分の時間を持っているか、それぞれのパートナーとしけこんでいる様で、階段には僕以外見当たらない。  
好都合だ。忍び足で目的地へ足を進ませる。場所は再三、口にしていたので記憶済みだ。  
どうする、つもりだ? 自分自身に問い掛ける。  
今僕は勝手に人の部屋に上がりこもうとしている。  
手は僕の理性を黙殺するや、あっさりと部屋の鍵を開けた。  
真理の部屋では無く、美樹本の部屋に――奴に近付かない様、半ば暴力的な行為も辞さない覚悟で注意を呼びかける為に。  
階下で雑談に興じていた時の、美樹本の休むと告げた言葉を信用すれば、丁度ベッドで横になっている頃だろう。  
だが、その当ては外れた。  
部屋には大掛かりな武装の背負い鞄に、いくばくか中身を散らばらせているだけだった。  
トイレに行っているのかも知れない、無駄足だったか。  
突然、かたんと何かが落ちる音が耳に届く。  
面食らって首を左右に動かして、先の音の在処に目を巡らせる。  
心臓がばくばくと痛い程に主張し始める。  
 
「……落ち着けよ、僕」  
 
深呼吸を数度繰り返し、慎重に部屋内の事物全てを視野に納めようと試みて――  
ベッドの隅に立てかけられてあったらしい、黒のビニール袋で何重にも巻きつけてある細長い物を目に留める。  
先程の音は、これがずれて床に落ちた際、生じたものだろう。  
 
「びびらせるなよ……」  
 
ぶつぶつと愚痴りながら、忌まわしき音の原因へと近寄る。  
むんずと掴んでみると、予想以上に重量があり、且つ分厚く剣呑な感触に少々動揺してしまう。  
厳重な梱包にも関わらず、漏れ出る錆び臭い臭いが妙に不快だった。  
しかも。ビニール袋にこびり付いている、赤黒い、あるいは赤と肌色が混ざったようなコレは……?  
得体の知れない感情に、どく、どく、どく、と再び心臓の鼓動が厭なぐらいに早鳴り出す。ごくりと唾を嚥下する。  
ぐるぐる巻きにされていたビニール袋を取外せば、  
それは、確実に最初に感じた錆び臭さの原因であり、否応にも一つの想像が頭に浮かぶ。  
恐る恐る、へばりついている紙を慎重に剥がしていくと、現れた物は――  
刃に満遍なく赤黒い液体と脂で塗れた、ぎらぎらと暴力的なまでに妖しく輝く、”鉈”があった。  
は――  
息が詰まりそうになる。  
美樹本――、お前は一体何者なんだ!?  
 
 
【真理視点】  
 
今、白いシーツの上で私たちは全てを曝け出していた。  
美樹本さんは先程まで私の全体を縦断並びに蹂躙せしめた細長く燃えさかる火の様な舌や、  
撮影機器にて、優美な風景を切り取る際に使用される指を、私の秘部に這わせていた。  
記憶のある限りでは他者の触れた事の無い秘奥へと。  
前戯と呼ばれる行為はすなわち、膣内を刺激し分泌液を露漏させて、  
本番行為を効率化並びに活性化させる前行動、どの位置角度が気持ち良く敏感に刺激されるかを探る調査活動の側面を備えている。  
その都度、つい、口の隙間から自分の物とは思えない嬌声が漏れ出たり、体の端々がびくびくと微細な痙攣をする。  
美樹本さんはさながら貴重な実験の観測結果を頂く表情で、逐一、反応を見逃さぬ様、全てを視界に納めているらしかった。  
ねちゃり、と粘着質な音を鳴らし、三指がわたしの中から引きぬけられる。  
水飴を髣髴させる長い長い糸を私の眼前へ見せ付ける。  
その分泌液はすなわち快楽の象徴であり、羞恥を助長させるツールだ。  
頬は加速度的に熱を生じさせて、おでこが沸騰するのを実感しながら横を向く。  
ふふ、と篭った笑い方をし、彼は私の耳元へ唇を近づける。  
 
「次は――僕のを頼む」  
 
私の右手を彼の男性性の象徴を優しく添えさせる。  
熱く猛々しく、いつ暴発をするか予測できない危うさ。  
どくん、どくんと、掌に情欲の塊が力強く脈動する。  
ただ、触れているだけだと言うのに、掌はエネルギーの塊に直截触れた影響で汗に濡れていた。  
決意。掌から、それを開放した。  
私はゆっくり横たえていた体を起こすと、美樹本さんはその動きに従い、軽く足を開いた直立姿勢となった。  
私の顔の前に、衝動と情欲に構成された赤黒い”肉の柱”が屹立している。  
長く、太い。その上、生半可な手段では全て跳ね返しかねないぐらいに、硬そうな。  
日本男性の平均は知らないけれども、確実に上回っているだろうとは予想できた。  
何せ目の前のそれは、裕に二十センチは超え、三十に届こうかという勢いだったからだ。  
あらゆる敵を殲滅、駆逐せんばかりの凶器――だが、味方にすれば心強い、そうした感情が芽生えた。  
私はしばし、凶器を弄んでいた。  
指で摘み、軽く上下に動かしてみたり、中央に中指を強く押し当てて、離した反動で揺らせてみたり。  
うう、とまるでおあずけを喰らった犬を思わせる、哀れでか細い悲鳴が美樹本さんの口から漏れる。  
私は上目目線で、どうして欲しい?と訊ねる。  
 
「真理ちゃんの――好きに」  
 
この凶器の処遇は私に委ねられた。  
 
とは言うものの、生憎と私は処女であり、そうした経験にすこぶる疎い。耳年増、ですらない。  
ふと、透の顔が思い浮かぶ。  
彼の様なうぶな子供のまま成長した男が童貞なのは確実だ。  
もし、彼とこうした行為を行えば?  
二人首を傾げながら、えっちらおっちらおっかなびっくり行っているのではないだろうか、と想像した所でおかしくなる。  
そもそも前提があり得ない。あの、透、と?  
美樹本さんはくくくと怪しげな笑い声を上げる私を見て不安が誘った様で、少しレクチャー気味に口を開ける。  
 
「最初は手で擦ってくれないか」  
 
経験者、玄人に従容するのが賢明な手段だと私は悟る。  
成長とは、模倣と研鑽の反復。  
私は先にファーストコンタクトを果たした右手にまず、先鋒役を任せた。  
血管の浮き出るその黒い茎の直径を確かめる様に、すいっと撫で上げる。  
軽く揺れるが、びくともしない。  
耐震構造に揺れた建築業界も見習うべきだと、駄洒落の様な思考に苦笑しつつ。  
思い直して、親指と人差し指と中指で添えると、ゆっくり上下移動させた。  
美樹本さんのやり方を真似て、どの部位が、どうしたやり方が、より効率的かつ刺激的な反応を示すのか、一つ一つ確かめながら。  
仮定と実践を繰り返す内に、頂きに当たる赤銅色の半円柱――亀頭と呼ばれる部位を摩擦すれば、気持ち良いらしい、と学んだ。  
美樹本さんは私が漏らした生の声を出す反応は示さないものの、時折吐息に熱がを篭らせるのだ。  
彼が、”感じている”、記号だ。  
熱の温度を上げてやれ。  
圧力の強弱や、速度の高低、角度の無作為性。時に両手を用いて。  
それはある種の真剣勝負があった。  
相手の予想し得ない部位へ進撃し、甚大なる影響を与える。  
は、は、は、と彼は荒い息を立てる。  
は、は、は、と私も荒い息を立てる。  
双方共に行為に興奮していた。  
興奮が頂点に達しようかという時に、私はふと、手を止める。  
美樹本さんのやり方を思い出せ。  
手だけで終わらせてはならない。もう一つ、私の口との邂逅がまだだ。  
右手は添えたまま、口とその凶器と平行になるまで。深く身を屈めた。  
ここまで間近になると、その凶悪性は否応無く理解出来た。  
漏れ出る分泌液はまるで人間を切った脂の様に思え、本体の赤銅色は返り血を浴びて染め上げられた様な、歴戦の勇士もしくは連続殺人犯の凶器。  
恐れるな。  
自分を叱咤して、そろそろと唇を近づけていく。  
ちゅ、と優しく親愛を込めて挨拶をした。  
唇で触れて分かったが、熱はいよいよ高まっていた。  
ちろちろと”笠の窪みに”舌を這わせると、溜まらず美樹本さんが悶える。  
その反応が面映く、ますます調子に乗った私は大胆に舌を絡ませたり、舌先で弾いたりした。  
 
「口で――」  
 
目礼する。  
右手で方向を整えると、ずぶずぶと口内へそれを侵入させた。  
最適な形――性器を擬似的に模倣した形へと頬をすぼめる。  
そして、美樹本さんの両太股にしがみ付いて、性器の挿出を繰り返した。  
熱心に。執拗に。深く。私がそいつを喰らい尽くす勢いで。  
時折、勢い余って口蓋垂に亀頭が接触し、咳き込みそうになる。  
だが、彼の心地良さそうな表情を見て、私は涙目で耐えた。  
美樹本さんを歓ばせてあげたい、その一心で、ストロークを継続させる――  
ふと。  
誰かに見られているような気がした。  
美樹本さんでは無く、誰か別の――陰鬱な視線を。  
そっと口に含んでいた陰茎を離し、私はきょろきょろと目を動かす。  
突然私が口唇による愛撫を停止させたのを不思議そうに美樹本さんが見下ろしている。  
部屋は二人が絡み合う事によって上昇した熱と、汗の芳香以外は、特に代わり映えのしない様相に見えた。  
……気のせいか。  
気を取り直して再開すべく、私は所定の位置へと唇を寄せていこうとした。  
だが。美樹本さんの手により、軽く押し留められる。  
 
「いや、もういい」  
 
美樹本さんの気を損ねてしまったか。  
私の不安な表情を見て取ったのか、殊更安心させる様に快活な笑顔を浮かべた。  
 
「このままだと本番の前に暴発させてしまいそうだからね」  
 
だから、そろそろ。  
美樹本さんは私の体をそっと抱き寄せて耳元に呟いた。  
私はおずおずと頷いた。  
 
私達は互いに見つめあう――正常位の体勢となっていた。  
左手で私の腰の窪みから性器を押し開き、右手に陰茎を添え、狙いを定めていた。  
避妊具は私の希望も合って必要無しとの結論が出ていた。  
妊娠の危険性はあるが、私はなったらなるまでだと楽観的で軽薄な意識すらあった。  
初めての相手だからこそ最高の思い出にしたい――美樹本さんの全存在を受け止めたい。そう思った。  
とうとう亀頭が入り口の取っ掛かりに照準を合わさった。  
いよいよ、私はこの人に処女を捧げるのだ、との実感がわく。  
思う都度に感慨のような、憧憬のような、表面張力を保ったコップ一杯の水が如き、名残惜しく名状し難い複雑な感情が零れそうになる。  
 
「いくよ」  
 
緊張交じりに私が頷くと、ずぶずぶと陰茎を私の膣内へ埋め込んでいく。  
一つの体に溶け合う様により深く腰を密着させる。  
陰茎が挿入されるにつれ、股の間から出でる激痛が脳髄まで達せられ、痺れにも似た感覚が微細な痙攣を引き起こす。  
私は目蓋をつぶり強く奥歯を噛み締め、彼に心配させたくない一心で悲鳴一つ漏らすものかと耐え続けた。  
中央まで押し分けてられていく最中で停止し、ほう、と一息。  
大きく息を吸って、との彼の忠告に従い、背筋を意識し深く腹に息を溜め込んでいく。  
腹筋が空気で膨らみきるのを確認して、美樹本さんは進行を再開させた。  
ずぶりぞぶりと、人の手が成されていない狭苦しい未開地を整備していくかのごとく切り開かれていく。  
もうこれ以上奥は無理だと思えるぐらい、腰を進ませて、やがて先端が到達する。  
最期の関門に先端が圧迫されて、ふん、とそれを力強く突き破りにかかる。  
 
「んう……ううぅ……うぁあああッッッ!!!!?」  
 
ぶちりと貫かれる感触が全身を揺さ振った。  
長く守り通してきた処女の喪失――大人のおんなになった証だった。  
性器の重なり合う狭間からぽつぽつと垂れ落ち、シーツに目を引くような紅色を染める。  
深呼吸をさせた意味を理解する。  
あまりの激痛で、目尻から滂沱の涙が流れ落ち、息も出来ずに口をぱくぱくと動かせながら、未曾有の異物感が体に順応するのを待ち続けた。  
じわりじわりと激痛が鈍く解け落ちるのを待ち、やがては波の様に引いていき、残滓として断続的な鈍痛だけが残った。  
ようやく、私は溜まっていた息を全て吐き出せた。  
 
「――大丈夫?」  
 
疲労困憊といった風にゆらゆらと幽鬼の様な振る舞いで頷き返すや、ぎゅっと優しく抱きしめられた。  
 
「もう少しこのままでいるよ?」  
 
美樹本さんの体温を感じていると、辛い断続的な痛みが全て吸い寄せられる様な心地良さがあった。  
しばらく繋がったまま抱き合いようやく異物感にも慣れた頃、美樹本さんは恐る恐る伺う様に  
 
「……そろそろ動いていいかい?」  
「はい、お願いします」  
 
存外、はっきりとした返事が口から出た。  
答えを聞くが早いや、ようしと満足げに唇を歪め美樹本さんは緩慢に腰を動かせ始めた。  
彼が腰を振る都度に、相変わらず胎内に鈍痛が生じていたが、腹の辺りにまで打ち響くような爽快な感触で上書きされる。  
いや。痛みすら愛する男性との初体験の証――女性としての歓び、誇らしさを与えてくれる。  
両眼から延々と流れ落ちる涙は、そうした複雑に交じり合った意味合いがあるのだ。  
美樹本さんの男性自身をぎゅう、ぎゅうと包み締め付ける感覚――私の意志的な行動で無く、無意識的な肉体反応。  
締める事による快楽と、広げられる事による快楽。  
男性は鍵であり、女性は鍵穴――。  
心理的目的として、達成感から来る安堵が存在する。  
性器を繋ぎ合わせた部分が新たに熱を生み出し、破瓜の血以外に粘着質で透過性のある液体を放出させ、滑りを良くする。  
ぬちゃり、ぬちゃりという音が、いやらしく興奮を助長させ、欲望を叩きつける速度を効便化させる。  
美樹本さんは相当に慣れているらしく、単直に突くだけでなく、  
軽く乳首を甘噛みしたり、手で陰核をはねたり弄られたり、先端を子宮口に小突いたり環状的に動き押し潰す様にしたり。  
先ほどまで処女だった私の肉体は、とうに美樹本さんの存在を許容し、より効率的に改造されていった。  
右肩上がりの曲線を描き、累積された  
それを理解してか、美樹本さんの腰の速度はかなり速いものに変わっていた。  
そして、私も叩き付ける様な彼の動きに合わせて、そしてその快楽を刻みつけようと美樹本さんの体にしがみつく。  
羞恥だと思い耐えていた喘ぎ声を如何なく発し、惜しげも無く歓喜のままに発露させる。  
 
「はあっ、はあっ、ああっっ!!! す、好きぃぃっっ!!!!」  
 
美樹本さんの無軌道なピストン運動は子宮をも深く削り取ろうと、加速度的にピッチを上げる。  
回転運動を成して抽送を繰り返し、ペンション内に響き渡るかのような嬌声を高らかに。  
 
「うあああ、んああああっっ!!!!!!」  
 
最早性器の擦り合わせという児戯の段階を越えて、美樹本さんは私の子宮内を押し潰すかの強勢で全てを征服に掛かる。  
暴力的に、無作為に、自分勝手に、相手に対する配慮は一片も無く――  
だが、それゆえに私を強烈なまでに絶頂へ高みへ上らせる……。  
 
「あっあっあっあっあっあっあっ!!!!!!!!!」  
「はあはあ、真理ちゃん――出すよ」  
「はいっ! 全部っ、受け止めますからっ!!! お願いだから出して! 膣内に全部出してくださいっっ!!!!」  
 
うおおおおおお、と獣の様な唸り声を上げながら、はクライマックスに向かい間断無く突き上げていく。  
体がばらばらに解体されかねない暴力的な動きに翻弄されるがまま、私は歓喜の悲鳴で受け止める。  
汗や、分泌液や、破瓜の血や、色々混ざり合った物が飛沫となって、シーツを汚し室内に飛散した。  
そして――  
美樹本さんは私の腰のくびれの部位を掴み自分の腹へ引き入れるや、膨大な量の弾丸を膣内へ迸らせた。  
 
「んああああああああああっっっっっっ!!!!!!!!!」  
 
注ぎ込まれる情動の奔流に、私が未だ味わった事の無い絶頂へと。  
光が、見えた。思考が、視界が、一瞬途切れた。  
そして、全身に鳥肌が立ち、脊髄を至幸感が貫き、恍惚の領域へ私の意識を導く――  
 
「はああああああああっっっっっっっっ!!!!!!!!!!!!!!」  
 
一際大きく叫び声を上げる間も、びくんびくんと陰茎は最奥を突き、先端から発せられる精液が私の体内へ侵食していく。  
一度注ぎ込まれる度に、断続的な絶頂と同期して私の体を痙攣させる。  
やがて、全てが出しつくした後、ゆっくりと美樹本さんは体を離し、そして、どさりと横に寝転んだ。  
双方、はあはあ、と荒い息を立てながら、達成的な感情を共有して――  
鮮烈な初体験に私の思考は真っ白だけれど、無意識下にあるであろう情動が先走り胸の動悸が治まる様子は無かった。  
美樹本さんの手が私の方に回された。  
意図を悟り、ゆっくりと美樹本さんの方に顔を向ける。  
しばし潤んだ目で見つめあい、いつしか私たちは深く口付けを交わしていた――  
 
初体験の極限的な疲労感から来る全身を漂う気怠さで、私はうつ伏せになり息を整えていた。  
隣には美樹本さんが、そんな私の髪を面白げに梳き弄んでいる。  
 
「しかし悪かったかな」  
「はあはあ……何の話です?」  
「君の彼氏の事さ」  
 
一瞬何の事を言っているのだろうと頭を捻った。誰が? 彼氏って?  
……あ、まさか。  
同行者の存在を思い出すにつれ、美樹本さんの誤解がつぼに入って、腹を抱えて大笑いした。  
あまりにおかしいので目尻に涙が溜まる。  
 
「ふふふ……冗談きついですよ。あんなヘタレ男が彼氏だなんて死んだ方がマシです」  
「うわあ、言うねえ」  
「本当のことですから。世間知らずというかお人好しというか、基本的にお坊ちゃんなんですよ、あいつは。  
 見れば分かるでしょう、あの子供っぽい間抜けな表情」  
「ははは、愛されて育ったって感じだな」  
 
よっこらせと私は体勢を入れ直し、美樹本さんに甘えるようにもたれかかった。  
くすくすと笑いを堪えきれずにいた。  
 
「あんなでも頭は良いんですよ。そして人の頼みは断らない――あるいは断れないのかな? 本当にお人良しなんです。  
 だから、私や同じ学部の子がレポートや課題を作成する際は重宝する存在ですよ。まあ所謂、便利屋扱いですね」  
「便利屋ねえ」  
「影で皆の笑い者になっているのに、ホントどうして気付かないのかしら、あの莫迦」  
 
ふんふんと相槌を打ちながらにやにやと笑っている。  
 
「そうだ、こんなエピソードがあるんですよ――」  
 
私が以前透から受け取った、童貞臭いたどたどしい文章で書かれたラブレターの内容を披露するや、  
美樹本さんはベッドの上をパンパン叩きながら爆笑した。  
目尻の涙を拭いながら  
 
「君は微笑む女神の様――か。女神様としては、どういう対応を取ったのかな」  
「笑いを堪えるのに必死でしたね。しおらしい顔して受け取った後、コピー機に直行しましたよ。  
 自宅にいるであろう透が期待と不安に胸膨らませてベッドで眠っている間、私達は居酒屋で回し読みしてげらげら笑ってましたからね」  
「鬼畜だなあ、君らは」  
「いやいや、私達は良心的ですって。むしろ、あの純粋さ天然記念物級なんですよ。  
 あんな奴、騙されて当然だわ、本当に」  
 
 
【透視点】  
 
――何だこれは。  
僕は自分の脚ががくがくと震えるのが分かった。  
――何だ、このいきものは。  
ぎりぎりぎりぎり、と爪が肉に刺さり血が滲むほどにきつく固く握り締める。  
美樹本の帰りを待つ僕はあまりの遅さに、もしかすると真理の部屋にいるのでは無いかと懸念を抱いた。  
浮ついているであろう真理の前に本性を現した美樹本が凶行を断行しているのでは、と最悪の展開を想像していた。  
赤黒く変色した鉈の存在は暢気な僕に警鐘を与えるには充分すぎる程の代物だったのだ。  
幸い――いや、不幸中の幸いか。マスターキーが僕の手許にある。  
僕は真理の部屋へ急いだ。  
案の定。真理の部屋からは苦しげに声が部屋外に小さくではあるが漏れていた。  
一刻の猶予は無いが、慌てて反撃を食らっては元も子もない。  
開錠するや、小さく扉を開けてそっと様子を覗うと――そこには想像外の光景が映っていた。  
真理が仁王立ちする美樹本の股間に顔を埋めていたのだ。  
そして、自然に連関的な性行為へ進むのを、僕は茫洋とした頭でただ見守るしかなかった。  
喉がからからと渇き、しかし、目は口は鼻からはだらしなく液体が床下に水溜りを作っていた。  
性行為が終わるに従い、僕の思考力も回復を果たす。  
ああ、嘘だ――嘘だ、嘘だぁッ!!  
真理があんな男に体を許すなんて、僕は認めないッッ!!!  
それに、それに、それにッッ!!  
あれだけ厳しい事を言いながらも、二人きりでは包み込むような優しさを見せる真理が。  
僕を嘲け笑うなんてある筈が無い。そうだとも、あるものかぁッ!?  
だったら、ならば。今僕が耳にしているこの嘲弄は何だと言うんだ?  
ずっと――僕を笑い者にしていたんだと?  
足元の世界が崩れ落ちる感覚に、僕は目が眩みそうになる。  
胸に覚えの無い巨大な感情の奔流が、体外に溢れ出そうになる。  
押し留めなければ、最悪の事態になる無自覚的な予感があった。  
そっと押すと、抵抗無く、扉は開いた。  
ベッドの上の真理が目を大きく開いて、闖入者である僕を一直線に見ている。  
美樹本は最初こそ驚いていたものの、すぐに余裕ある大人の微笑を湛えていた。  
現実の光景を信じたくない僕の言語野はまともに働かない。  
 
「真理――真理ぃ、な、何を、何を、なにをやって――」  
 
「な、何って……見れば分かるでしょ? おままごとでもしていると思ったの?」  
 
シーツで体を隠しふてぶてしい態度で言葉を継ぐ。  
 
「それより早く出て行ってよ。勝手に女性の部屋に上がりこんでくるなんて警察を呼ばれても仕方無いわよ」  
 
おじさんに報告しておこうかしらと語尾を震わせて。  
 
「な、何でこんな男とッ!!?」  
「こんな男とは心外だな。お前に言われたくは無いが」  
 
苦笑する美樹本の言葉を真理が継ぐ。  
 
「その無根拠な自信はどこから来るのか不思議でならないわ。本気で、あなた如きが私と釣りあうとでも思っているの?」  
「ま、真理……?」  
「教えてあげましょうか、何故ここに連れて来たのか。宅急便の送料が勿体無いから、荷物持ちとして、よ」  
「う、嘘だ――」  
「ははは。その程度の価値でしか見られていないんだな。本当駄目な奴だな、お前」  
 
口々に嘲弄する二人。  
真理が、真理がそんな事を口にするはずが――  
 
「お莫迦さんね。まあ、丁度良いわ。結構重宝するから大目に見ていたけど、いい加減目障りなのよ、あなた」  
「や、やめてくれ。そんな事口にしないで――」  
「あ、そうそう。大変熱意溢れる時代錯誤な恋文の返事がまだだったわね。せっかくだけど――ごめんなさーい。  
 と言うか分を弁えてよね」  
「う、嘘だ嘘だ……」  
 
彼女の逐一心臓を抉る罵詈を聞きたくない僕は耳を押さえる。だが、隙間から、そして無意識的に、内容は全て入ってくるのだ。  
 
「君は微笑む女神の様――そんな童貞臭い気持ち悪い表現、ははははははは」  
「うわああああああああああああああ」  
 
ひとしきり笑い終わった後、鬱陶しげに苛立ちを交えて  
 
「いつまでそこで莫迦面晒しているつもり? さっさと部屋から出て行ってよ!」  
 
違う。違う。違う。  
真理は女神なんだ。僕を優しく包み込んでくれるんだ――  
ならばここに居るのは誰だ?  
相も変わらず真理の顔が似たいきものは、その口から下卑た科白を垂れ流している。垂れ流し続けている。  
うんざりだった。許せなかった。泣きそうだった。怒りたかった。  
 
「――?」  
 
真理が首を傾げる。  
黙り込んだ僕に不審の様子だ。  
散々僕を嘲笑うのに執心、僕の左手に禍々しい凶器が握られているのに気付かなかったらしい。  
美樹本の部屋から発見した”鉈”――美樹本を問い詰める為の証拠物件として、或いは美樹本の凶刃から真理を守る為の武器として  
 
「ちょ――ちょっと、それ……」  
 
しかし、この時、僕はその用途を自分の使命的ともいえる衝動に限定させた。  
真理が言葉を成すが早いか僕はずんずんと二人の許へ足を進めていく。  
僕は歌う。喉や鼻に詰まった液体が阻害して鼻声になりながらも。  
まっかなおーはーなーのー♪  
僕の鼻は散々に泣き喚き刺激されたせいで”真っ赤”に染まっている。まさにその歌の登場人物と同じく。  
剣呑な空気を纏う僕は、謳いながら、走り出す。走りながら、獲物を振るう。  
とーなかーいさーんはー♪  
右腕がぎゅんとしなり、全裸が幸いして(美樹本にとっては不幸な事実だが)、易々と刃は肌に食い込み、且つ肉を抉り取る。  
 
「うぎゃあああああああッッッッッッ!!!!!!!!!!!」  
「な、なに! いや、ちょっと――いや!」  
 
力任せに返す刀で肉を裂きながら斜めに動かし、凶器を開放した。  
血飛沫がぱっと舞散るや、僕の服に点々と付着し、収まりきらない膨大な量の赤がシーツを汚す。  
いっつもみーんなーのー♪  
美樹本は、ぐぶぉと悲鳴を篭らせて、真理を巻き込みながら赤いシーツに倒れ伏した。  
 
「やめて、やめて!」  
 
真理の劈くような悲鳴は逆に僕の耳に心地良く、ますます被虐的な感情を助長させた。  
包丁の様な鋭利さは無いものの、無骨な切れ味がより暴力的に、そして甚大な被害を与えるのだ。  
わーらーいーもーのー♪  
鉈を振り下ろせば、背当然頭を庇おうとする姿勢となるが、運の悪い事に倒れた美樹本が障害となって後に逃げられない真理は、もろにその狂刃を受け止めてしまい――  
結果、びしゃり、と真理の胸に血の花が咲いた。  
 
「ぎゃあああああああああああッッッッッ!!」  
 
でもーそのーとーきーのー♪  
血の臭いが僕の思考を鈍磨させ、殺戮衝動に酔わせる。一撃では足りぬ、もっともっと! そんな飢餓感が。  
くりすますーのーひー♪  
闇雲に凶器を振り回し、真理と美樹本の体を切り裂き削ぎ叩き折り割り殴り蹴りあらゆる暴力を加える。  
さんたのおーじーさんはー♪  
勢い余って凶器がすっぽ抜け、壁に音をなしてぶち当たり、床へ転がり落ちた。  
いーいーまーしたー♪  
心臓が爆発するようにどくどくどくどくどくと心音を早鳴らせだす。  
くっらいーよーみーちーにー♪  
僕は腰を曲げて凶器を拾い上げようとして、鉈と比較すれば簡易ではあるが凶悪な代物を発見する。  
ぴっかぴかーのー♪  
それは僕の衝動の切っ先を示すように、鈍く暴力的に輝いて、理性を通過し本能の手綱を引っ張っていく。  
おまえのーはーなーがー♪  
それをしっかりと丁重大事に握り締め、僕は部屋から飛び出す。  
やーくーにーたーつのーさー♪  
この暑苦しい渇望を潤すべく、次の獲物を狙って。  
いっつもなーいーてーたー♪  
ああ、首が。  
となかいーさーんはー♪  
うねる  
こーよいこーそーはーとー♪  
うねるうねるうねる  
よろこびまーしーたー♪  
うねるうねるうねるうねるうねるうねるうねるうねる…………  
 
 
全身血化粧となった僕は鳩時計が十二時の鐘を鳴らした時に、正気へ戻った。  
いや、正気というよりは落ち着いた、と言うのが正しいか。  
自分の犯した行為に罪悪感で打ち震える事も無く、淡々としていたのだから。  
付着した血はべとべとになり糊の役割を果たし、ナイフと掌が同化していた。  
一つ一つ慎重に指を剥がし、ナイフを取り払おうとすれば、べりべりと個気味良い音が鳴る。  
血糊。お芝居では無く、本物の。  
そのまま、床に捨て置けば、からんと音が鳴った。  
ちりちりと電流が頭に弾いている様な感覚があった。  
肉袋血袋と化した、彼らには関心が向かず、ただ虚無感だけが僕を突き動かしていた。  
そんな茫洋とした頭でも、このまま放置するわけには行かない事ぐらいは理解出来た。  
一気にこれらを処理する方法はあるだろうか、とねちゃねちゃと気持ちの悪い粘着質な音を立てる靴を動かせながら、考えていた。  
キッチンに差し掛かり血の池に沈みこむ小林さん夫婦には関心を示さず、僕の視線はコンロに注がれていた。  
火――だ。  
確か裏の倉庫に原油が保管されていると、小林さんが漏らしていたのを思い出す。  
さぞかし大きなクリスマスツリーが出来上がるであろう、と幻想的な光景を想像するだに、何かしら郷愁的にわくわくする様な思いが募る。  
赤鼻のトナカイを口笛で吹きつつ、玄関のハンガーキットに掛けてあったコートを羽織り、壁の端に置かれていた懐中電灯を手に、僕は裏口から出た。  
倉庫はどこだったろうか、と頭の中で方角と地図を作りながら、降りしきる雪を受け止めながら。  
地面は雪で埋れ、シュプールと現在地を足跡で繋いでいる。  
振り返れば、時折赤い斑点がぽつぽつと汚しているのが、少し滑稽な前衛的描写に見えて面白かった。  
現実的な赤だからこそ滑稽な感情を抱くのだ。  
全て夢にしてしまえばいい、マッチ売りの少女が一振りの火に抱いた願望の様に。  
ならば、僕は。  
炎が全てを包み込み、夢を喰らい尽くせば、物語の役割に従い、雪に埋れ殉じるとでもいうのか。  
つらつらと思考を垂れ流しながら、僕は倉庫へ急ぐ。  
粉雪はしんしんと散逸的に振り続け、静謐な空間に一役買っていた。  
 
(Fade out)  
 
 
 
 
「――それでは、来週又来ますから」  
 
がたん、と椅子から離れる音で僕はようやく気が付いた。  
いつの間にか弁護士の話は終わっていたらしい。  
今まで夢心地でいた(気分は最悪だが)僕は、慌てて頭を深々と下げた。  
弁護士が退室するのを待たずに、監視役である二名の警察官が無表情に僕に近寄り、脇に腕を回す。  
無抵抗のまま連れて行く最中、僕はあの日、結局見られなかったクリスマスツリーに思いを馳せていた。  
何故か。  
それは裏の倉庫に入るなり、気が緩んでたせいか、僕が意識を失った為だ。  
気がつけば、厳しい顔付きの警察官に取り抑えられていた。  
事実は小説より奇なりと言うが、まさに僕の体験がそうだ。  
しかし、あの時の警察の行動の早さに僕は今更ながら舌を巻く思いだ。  
雪の降り頻る中、不便な場所まで強行してきたのだから。  
もしかすると、シュプールには防犯会社に直通のアラームが存在していて、僕に殺害される前に”誰か”が知らぬ内に押していたのかもしれない。  
いや、その前に悲鳴を聞きつけた誰かが電話で――いや、そんな暇があるだろうか……。  
――待てよ。  
 
「ねえ、おまわりさん」  
 
強引に連れて行く警官に、馴れ馴れしく呼びかけるが黙殺された。  
 
「お願いがあるんですけど――」  
「五月蝿い黙ってろ」  
 
苛立たしげに返されて少し残念に思いながらも、僕は怯まず続けた。  
 
「何、難しい事じゃないんです。たった一つだけ質問に答えてくれればいいんです」  
「ああ!?」  
「まあまあ、落ち着いて。あのですね」  
 
一息ついて訊ねる。  
 
「僕が殺した人数って本当に十一名なんですか?」  
 
 
【?】  
 
「遅くなってすみません」  
 
執筆活動と平行して行っている選択式アドベンチャーゲームの製作が難航した為に、約束の時間を随分遅らせてしまった。  
 
「気にしていませんよ、お忙しい仕事柄なのは委細承知ですしね。  
 先進気鋭の作家、我孫子武丸先生」  
「先生は止めてくださいよ」  
 
気恥ずかしく誤魔化すように語尾を笑い声で塗れさせた。  
大体デビューから間もないと言うのに、本以外で有名になって良いのだろうかと気にしているのに。  
 
「それより、本題は――」  
「ああ、はい。特に問題は無いようです。  
 ”多少”尋問中にいざこざがあったそうですが、本人は問題なく元気にやってましたよ」  
 
煙草よろしいですか、と覗ってきたので私はどうぞ、と促す。  
ふうう、と紫煙を吐き出しながら  
 
「血も涙も無いと揶揄される私が言うのも何ですが――本当に良いのですか?   
 彼の弁護をこのまま続けるのは我孫子先生にデメリットしか無いと思うのですが」  
 
デメリット? とんでもないと思った。  
何しろ、矢島透、彼の存在のおかげで今の私があるのだから。  
 
「ましてや、あなたは――」  
 
私は人差し指を立てて唇の先に当てると、弁護士は押し黙った。  
 
「出すぎた真似でしたね」  
「心配心から出た言葉でしょう? 私には勿体無い限りです」  
 
その後、ニ三の連絡事項を交わした後、私達は別れた。  
仕事はまだまだ山積みだが、少し気晴らしがしたいと思い、しばし散歩を楽しむことにした。  
ずりずりずり、と右足を引き摺るようにして歩くのは、ここ一年のスタイルだった。  
左目の角膜が傷つけられてほぼ失明寸前だし、服を脱げば醜い傷が斜線を引いている。  
全て一年前の残滓だ。  
そう、私は容疑者を除き、あの事件唯一の生き残りなのだ。  
となるとおかしい事が起こると、感じる人も少なくは無いだろう。  
何故なら、矢島透は十一名殺害した、とされている。ならば一人足りない。  
疑問を解凍する一つのヒントを出そう。  
奥の部屋では村上というコート服の怪しい男が全身をバラバラに解体されていて転がっていた。  
恐らく、”事前に矢島透によって殺害された”というのが、警察の見解だ。  
こうなると、自分の懸想する相手が他の男と同衾していた故に、衝動的に館内の人間を皆殺しにしたという動機が怪しくなる。  
旅行前に矢島透は美樹本の到来を知る由も無かったのだし。  
彼は最初から、ただ単純に皆殺しを目的としていたのではないか?  
それに彼は全ての事後、シュプールに火を付けようとしていたらしいのだから。  
気曲は気を失って倉庫に倒れていた所を御用となった訳だが。  
まあ、そうした経緯を考慮すれば、計画的行動と言えないだろうか。  
さて、ならば。  
誰が警察を呼んだと言うのだ?  
勿論一人しかいない、生き残りの私だ。  
思えば、私が小説家として覚醒したのは、あの事件なのだ。  
鮮烈な体験により私の前頭前野が創作欲求を発露させたのだろう。  
あるいは暇だと読み替えてもいいが、とにかく、私は病院のベッドで、  
親に頼んで持ってきてもらったノートパソコンを用いて、一つのミステリ小説を書き上げた。  
幾度かの推敲と修正を行った後、それは大手出版社のK社に投函された。  
数日後、編集者から私に会いたいとの電話が掛かった。  
幾分粗や訂正すべき箇所はある物の、全体としてはレベルの高い作品であり、是非、うちでデビューして欲しいと言われた。  
経歴の点は秘匿する事を条件とし、私はミステリ作家『我孫子武丸』となった。  
私が作品の生みの親ならば、矢島透は我孫子武丸の生みの親である。  
破壊と創造は愛僧と同じく表面一体で、殺人が殺人描写を生業とする私を生み出したのだと言える。  
親を殺せる者がいるか? オイディプスは親殺しという深刻なテーマを謳いあげ、その異常さを訴えているではないか。  
 
――冗談だ。  
正直に言おう。正確には違う。  
私には矢島透に対して恩なんてさらさら無い。  
それは共犯的な関係――もう一段悪い、真犯人が私だからだ。結果的にではあるが。  
彼を操ったのが――皆殺しに仕向けたのは他ならぬ私だからだ。  
軽率な一連の会話を、そしてそれらを誤魔化す様に悪し様に罵ったのだから。  
子供の潔癖さや純粋さを失わずにいた、矢島透だから、彼は一つの形に染まってしまった。  
最早、もう戻れない形へ歪み動いてしまった。  
生み出された膨大な殺意は、言い換えれば私に対する巨大な愛だったのだろう。  
私の胸の傷跡の深さがそれを証明している。  
 
殺人錬度は一人殺害する毎に驚異的な速度で熟達し、最期の香山さんになると、あっさりと一刃で殺害せしめたらしい。  
回数を経る内に、日常的には不必要な才能を開花させたのだ。  
逆に言えば、最初は未熟だった。  
それを裏付ける様に、ベッドの上の私達は辛うじて生きていたのだから。  
半刻気を失っていた私の右目に、血塗られた歪なナイフが床に転がっていたのが見えた。  
ああ、私は殺意に影響され侵食され、怒りに満ちていた。理不尽さを抱きしめ。  
近年、テレビ等で取りざたにされる、より弱い者へと向う暴力衝動。  
私の怒りは責任転嫁として、目前の弱い者――半死半生の、男に向けられた。  
床からナイフを拾い上げるや、両手で持って胸目掛けて勢い良く突き立てて――。  
一切問題にならなかったのは、ナイフに私の指紋が残っているのは、  
矢島透によって、突き刺されたナイフを引っこ抜こうとしていた、とそう証言すれば良い話だった。  
まさに二重の責任転嫁ともいえる行為だ。  
 
矢島透がこの事実を知ればさぞ不本意だろう  
何せ、消し去りたいと思った張本人の二人の殺害が叶わず、  
殺人衝動に押される形で無為な連続殺人に手を染めたに過ぎなかったのだから。  
結局は、矢島透が変貌した様に、私もまた変貌した訳だ。  
殺人を犯した意味に置いては同属。仲間意識すらある。  
私が雇った優秀な弁護士は、完璧な資料を揃えて矢島透に責任判断能力の欠如を訴え、無罪を勝ち取ってくれるに違いない。  
彼が精神病院を退院後、私は偶然を装った再会を演出するつもりだ。  
その時の矢島透の表情を見たい。そして、どんな行動を起こすか。  
それが楽しみで楽しみで仕方が無いのだ。  
その頃にはゲームも完成している事だろう。  
是非、彼に手渡してプレイしてもらいたい所だ。その時、私が生きているかどうかは定かでは無いが。  
 
あの事件を下地に書いたプロットが、現在の私の担当者の手を経て、ゲーム会社の目に留まり、  
様々な脚色と展開を含めたそれらは一つの形となって世に登場する予定となっているのだ。  
タイトルは『かまいたちの夜』という。  
 
END  
 
 

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