悪女篇
透は、ハッキリと犯人の名前をあげた。
「犯人は……真理だ」
「みどりさんを殺しに行く時間なんて全くなかったわよ」
即座に真理が言った。
「いや、そうとも限らないよ。ぼくは気絶してたんだ。君がずっとぼくのそばにいたかど
うかは、わからない」
透は、理屈としては正しいが、言ってはいけないことを言ってしまったらしい。
乾いた音と共に、真理の平手が、透の頬に紅葉を描く。
「じょ、冗談だってば」
応接室に集まったみんなはバカバカしいとばかりに呆れ顔になり、自分の部屋に戻って
いった。
もう船はハーバーに着いている頃だった。
荷造りも終わり、今でも馴染むことが出来ない元監獄の自分の部屋を見渡して、透はベ
ッドに腰掛けた。
一息つく。とんでもない旅行だったと思う。
恐るべき連続殺人によって五人が殺され、犯人は未だにわかっていない。それでも、も
うどうでもよかった。迎えの船が来たら、こんな島はとっととおさらばしてしまうことだ。
しかし、犯人はいったい誰なのだろうか。
どうでもいいと思いつつも、やはりどうしても気になってしまう。
殺されたのは、正岡、美樹本、夏美、キヨ、みどりの五人。
まず最初に殺されたのは正岡で、鍵のかかった部屋の中で死んでいた密室殺人。その後
みんなでロビーに集まり、状況の整理とアリバイを洗ったが、誰でも犯人になりえるいう
ことを確認した後、解散になった。
その次に美樹本。朝食の時になっても部屋から出てこなかったので、キヨが呼びに行く
と反応は無いし、鍵もかかっている。様子がおかしいということでみんなが集まり、体当
たりでドアを破ると、正岡のときと同様に殺されていた。血の乾き具合から昨晩遅くに殺
されたものだと推定された。つまり正岡殺しの件でみんながロビーに集まったときはそこ
にいたのだから、解散して部屋に戻った後ということになる。
その後、陰鬱な雰囲気の中、朝食を終え、透と真理が気分転換に散歩に出かけて帰って
くると第三の殺人が起きていた。犠牲者は夏美。凶器は狐の襟巻きだった。彼女の握って
いた緑のマニキュアがダイイングメッセージとなり、みどりが容疑者として疑われた。香
山は烈火の如き怒りをみどりに向けたが、俊夫は彼女をかばうようにして二人は部屋に閉
じこもってしまった。
第四の犠牲者はキヨ。昼食後、監視塔に吊るされているのが発見された。
そして透がキヨをおろそうとして梯子から落下し、気絶している間にみどりが部屋で死
んでいるのが発見された。みどりは一人になりたいと言い、俊夫は応接室にいた。俊夫が
一人で応接室にいるのは小林などに目撃されているから、この連続殺人のミステリーがま
すます高まった結果となった。
透の回想はノックの音で中断された。
ドアが開くと真理が立っていた。
「入ってもいい?」
「もちろん。もう荷造りは終わったの?」
真理は、透の隣に腰掛けて答えた。「ええ。透は?」
「終わったよ。もうハーバーに行こうか。絶対に第一便に乗ろうね」
「どうして?」
「だって、五人を殺した犯人は捕まっていないし、誰であるかもわかってないじゃないか。
そんなやつらと島に残されたくはないだろ」
「それもそうね。……ところで、透」
「うん?」
「さっきの話だけどさ」
「さっきの話?」
「ほら。応接室で言ってた、私が犯人かもしれないって話よ」
「ああ、あれか。ごめん。冗談のつもりだったんだけど、なんか急に閃いちゃって思わず」
「ううん、いいのよ。でも……私、もし、自分が犯人だったとしたら、どうやってみんな
を殺したのかを考えてみたのよ。おもしろい遊びでしょ」
「う……うん……」
「正岡さんの殺しは簡単よ。あの人、閉所恐怖症だから鍵を掛けてなかったし」
「でもさ、あの部屋には鍵が掛かっていたじゃないか。ぼくも調べたよ」
「スライド式の鍵なんて簡単に掛けられるわよ。テレビドラマで糸を使って扉の外から引
っ張ったりするの見たことない? あれは本当のことなの。鍵に糸が付いていたかどうか、
確認した?」
「い、いや……」
「それが盲点だったのよ」
真理はそう言って微笑んだ。
「同じ方法で美樹本さんも殺したの。今度は正岡さんの時の反省を活かして声を上げられ
ないように」
「な……夏美さんは?」
「夏美さんはマニキュアを握って死んでいたわ。あのマニキュア、みどりさんが使ってい
るものだということで、みどりさんに疑いがかかったわ」
「そうだったね」
「でも、みどりさんは、『人に勧められた』と言っていたでしょう? その『勧めた人』
というのは、私なの」
「えっ!」
「うふふ……ほら、すぐ本気にする。たとえば、そういう解釈もありうるということよ」
おかしそうに笑う真理に、透はホッと胸を撫でおろした。
「だいたい、夏美さんが殺された時、ぼくは君と海岸にいたじゃないか。アリバイが完全
に成立してるよ」
「そうかしら」
真理はいたずらっぽく笑った。
「夏美さんを殺したのは、あなたと海岸に行くより前のことだったとしたらどうかしら」
「えっ?」
「散歩の前にトイレに行くふりをして、夏美さんを殺し、死体をあの部屋に引っ張り込ん
で、何食わぬ顔であなたと海岸に行った……というのはどう?」
「どうって言われても……動機もないし……」
「そんなものいくらでもでっちあげられるわ。私、実は正岡さんとは初対面じゃないの。
ちょっと前に北海道で会ったことがあるわ。その時、あの人は、女性雑誌にコネがある、
君なら一流モデルになれる、と言って、私を抱いたわ」
「ええっ!?」
「確かに雑誌には載ったけど、それは私と正岡さんのプレイの様子を載せたSM雑誌だっ
たの。モデルはM奴隷として。一応、目隠しはされてたけど、それ以外の全ては雑誌に載
ってしまったわ」
「???」
真理の口から出るはずのない言葉が出て、透の頭脳にエラーが出た。
真理と正岡がSMプレイ? M奴隷?
*
「ほ、本当に…ン、コネなんて…アンっ…ある、の…」
「もちろんだよ」
後背位で責めていた正岡が軽薄そうな笑みを浮かべながら真理に覆い被さり、ぷるぷる
と揺れる乳房を揉みしだく。
「これだけナイスバディなら一流間違いなしだ」
「あ、あ、あ、あんあんあんっ! ぁん、あん、ほ、ほんとぉ?」
「ああ。君なら一流になれる。だから、おれの言うことに従うんだぞっ!」
「は、はい…あん、あ、ああん…ん、し、従いますっ! 何でも言うこと聞きますっ!」
正岡は、真理の腰を掴み、勢いを増して叩きつけた。
隅々まで膣腔をまさぐるようにペニスが暴れ、溢れる愛液が泡立ちぐちゅぐちゅといや
らしい音を立てる。
正岡の乱暴なピストンに快感で背が反り、いつしか自分から腰を動かしていた。肉棒を
しゃぶるように陰唇がきゅっと締まり、様々な体液が混ざり合った淫汁がモモを伝って滴
り落ちていく。
真理はベッドのシーツを握り、髪を振り乱しながら、快感を噛み締めるように身悶えた。
「あっあっあっあっああん、はぁ…も、もうダ、メ…あぁん、イ、イク、イっちゃう…」
「イキたいか? イキたかったら『正岡様』と呼んでおねだりしろ」
「あ、ああ、そ、そんなぁ…あんっ」
正岡はぴたりと動きを止め、自分の腰と真理の尻を密着させたまま焦らすように言う。
「ほら、どうした。モデルの話も全部なかったことにしてもいいんだぞ」
「あっ! いや、動いて。突いてください、正岡様っ!」
真理の尻肉の感触を味わうように腰でゆっくりと『の』の字を描き、見下すような目で
正岡が笑う。
「どこに、何が欲しいのか、ハッキリ言ってごらん」
真理は下唇を噛んで、羞恥に耐えた。止まっていると、胎内にある正岡のペニスの脈動
を余計に強く感じて、意思とは関係なく腰を動いてしまう。
「ま…真理の、お、おまんこに……正岡様のペニスをください」
「もうパックリくわえ込んでるじゃないか。どうしてほしいのかな」
「うう……ぐちゃぐちゃにしてくださいっ! めちゃめちゃに突きまくってイカせてくだ
さいぃ!」
正岡はニヤリと笑うと、物を扱うように乱暴にピストンを再開した。肉と肉がぶつかり
合う音と、真理の悲鳴のような嬌声がホテルの一室に満ちていく。
「約束通り、一流モデルとして雑誌に載っただろ」
ベッドに横になった正岡は、自分の下半身に顔を埋めて奉仕する真理に、見ていた雑誌
を放った。開かれたページには、目隠しはされているが一目で真理とわかる女性の赤裸々
な写真で埋め尽くされていた。
……どこかの公園の茂みで、排泄している真理。
……田んぼだらけの道の真ん中で、コートをはだけた全裸の真理。
……お風呂場で便所のようにおしっこをかけられている真理。
……高々と上げたお尻にバイブを突き刺してうつ伏せになっている真理。
……ローションでどろどろになっている真理。
……ボールギャグを噛まされ、胸も性器も丸出しのボンテージ姿で、首輪の鎖を引っ張
られながら奴隷のように犯される真理。
……赤ん坊がおしめを取り替えるような格好で、自分の手でから広げた膣内の奥から、
たっぷり注がれた精液を垂れ流している真理。
目隠しはされているが、間違いなく真理だとわかる。そして、目隠しされていてもが、
全ての写真で、嫌がることなく悦びの表情をしているのもわかった。
*
「透、なにかいやらしい想像してない?」
真理が毛虫を見るような目を自分に向けているのに気づいて、透は慌てて首を振った。
「だから、本気にしないでってば。そのあと何の音沙汰もないし、私が悶々としていたら、
この島でばったり再会した。もちろん、どちらも罪悪感があるから、みんなの手前、初対
面のふりをするわ。あの人は、性懲りもなく、モデルの話をネタに可奈子ちゃんを誘った。
でも、それを美樹本さんにやりこめられているのを聞いて、私、その時、だまされたこと
にはじめて気づいたの」
冗談なのだろうが、すごく真実味のある話し方で、透は内心どきどきしていた。
「そ、それじゃあ美樹本さん殺しは? 正岡さんのときは鍵がかかってなかったから簡単
だったけど、美樹本さんはちゃんと鍵をかけたはずだよ。正岡さんのこともあるから、相
当警戒してたはずだし」
「美樹本さんの部屋に侵入するまでもなかったわ。だって、彼のほうから今夜は一緒にい
ないかって誘ってきたんだから」
「え?」
「応接室で、みんなで殺された正岡さんの話をして解散した後よ。こっそり誘われたの」
透は笑った。
「ははは、正岡さんじゃあるまいし、美樹本さんはそんなナンパな人じゃないよ。それに
あれだけみんなを疑ってたのに、自分から誘うなんて」
笑う透を、さらに真理は笑った。
「あなたって鈍いのね。正岡さんにはあんなこと言っておきながら、美樹本さんもけっこ
う女性を泣かせてるみたいよ」
「まっさか〜」
「本当よ。みんなでシュプールに泊まった日のこと覚えてる? あの時も私、美樹本さん
に抱かれてるのよ」
思わず驚きの声を上げそうになるのを透はこらえた。
大丈夫。これはもしもの話だ。もしもの。
真理は相変わらずニコニコしている。
「そ、そんなわけないよ。真理にも美樹本さんにもそんな素振りなかったよ」
「だから、あなたは鈍いのよ。透がちょっとを目を離した隙に私の太ももを撫でたりして
たし、透がトイレに行っている間にわたし口説かれてたんだから」
透は恐ろしい事実を思い出す。
――そ、そういえば、真理と美樹本さんは…
*
思い出した? 透。
私と美樹本さん、ナイターのゲレンデに行ったわよね。私は透にも行こうって誘ったの
に、透ったら『疲れてるから』なんて言うんだもの。
透にも責任があるのよ。あなたがもうちょっと積極的だったら、美樹本さんの誘惑にも
乗らなかったのに。
美樹本さんと二人で車に乗ったときは、私も覚悟を決めたわ。
外は吹雪でナイターなんてやってなかったのに、私たちが帰ってくるのに何時間かかっ
たか覚えてる? 美樹本さんはわざとっぽく『すごい吹雪で前も見えなかったから迷って
しまったよ』なんて言ってたけど、前が見えなくなって一本道なんだから迷いようがない
わ。
本当は私と楽しんでたんだから。外は吹雪だったけど、車の中はちょっと熱いくらいだ
ったわ。美樹本さんと二人で、裸になって汗だくよ。
その後はみんなで談話室に集まって、話をしたりゲームをしたりして過ごしたわね。お
開きになったのは、一二時すぎだったかしら? 透ったら、『また明日ね。おやすみ』な
んて言ってすぐ部屋に戻っちゃうんだもの。誘ってくれればよかったの。
え、何分か経った後、私の部屋をノックしたの? それで反応がないから、もう寝たと
思ったのね。
ああ、じゃあ入れ違いになったのね。そのとき私、美樹本さんの部屋にいたのよ。だか
ら美樹本さんの部屋をノックすればよかったのにね。うふふ。
美樹本さんの部屋で何をしてたかですって?
そんなの……セックスに決まってるじゃない。とってもよかったわ。
朝、美樹本さんの部屋から自分の部屋に戻るときに、あなたが部屋から出てきたからび
っくりしたわ。
透が『やあ、真理。おはよう』って言うなら、私も何事もなく『おはよう』って返した
の覚えてる?
あのホンの数分前まで、美樹本さんと裸で抱き合ってたんだから。
美樹本さんは『また連絡する』って言ったけど、けっきょく何の音沙汰もなし。美樹本
さんにとっては、ただのつまみ食いだったのよ。それを理解したとき、私すごく後悔した
わ。本当はもっと透と仲良くなりたかったのに、一時の感情に流されて自分を安売りした
ことをすごく後悔した。
でもそれは自分が悪いだけで、別に美樹本さんを憎んではいなかったわ。高い授業料だ
と思って、割り切ってた。
なのに今日、再会して、急にあのときの後悔と殺意が沸いたの。
美樹本さんはちっとも変わってなかった。あの時のまま。透は気づいてなかったでしょ
うけど、隙あらば私を口説いて、お尻をさわったりしたのよ。
それなのに正岡さんにあんな説教しちゃって。滑稽よ。何様って感じ。自分だって大し
て変わらないのに。
だから殺そうと決心したの。美樹本さんから誘ってきたときは好都合だと思ったわ。応
接室での様子では、誘っても乗ってきそうになかったし、逆に疑われそうだったから。
あとは簡単よ。
美樹本さんが絶頂に上りつめたのと同時に、天国まで送ってやったというわけ。
*
「そ、そうだね。それなら立派な動機だね……」
透は、かろうじて声を絞り出した。
「そうでしょ」
対して真理は、おもしろおかしそうに笑みを浮かべている。
「な、夏美さんを殺した動機は? 彼女とは昨日が初対面だろ。いくらなんでも夏美さん
とも面識があったなんて、想像でも強引過ぎるよ」
「そうね。夏美さんとは確かに昨日が初対面だわ」
「そうだろ」
「でも香山さんに原因があったとしたらどう?」
真理の言葉の意図が理解できずに、透は首をひねった。
「実は私、香山さんの愛人だったときがあるの。ちょうど私の家の近くの会社に出張に来
てて、シュプールでの思い出話をしてたら意気投合しちゃってそのまま愛人に」
「ま、真理と香山さんが意気投合って、相当無理があると思うけど……」
「そんなことないわよ。シュプールではほとんど会話はしなかったけど、香山さんって大
学時代は国文学科を専攻してたんですって。私は民俗学。よく博物館に二人でデートに行
ったわよ」
「デート……」
真理と香山がデートしてる姿が、どうしても想像出来ない。
「香山さんとは趣味もあったし、アッチのほうも大きくて相性がぴったりだったの。顔に
似合わすテクニックもすごいから、私、どんどん香山さんにのめり込んでいったわ」
なんだか話がまたすごい方向へ進んでいくぞ。
「で、でも、それは真理が北海道に行く以前の話だろ。その頃はほぼ毎日、大学で僕と会
ってるし、デートにも行ってたじゃないか」
「そうよ。香山さんの部屋からデートの待ち合わせ場所に行ったこともあるし、あなたと
別れた後に香山さんの部屋に行って抱かれたこともあるわ」
「……」
*
大学以外では学術的な話ができる友人がいなかったし、香山さんと話が合うなんて意外
だったから、すごく会話が盛り上がったの。
偶然再会した日から何日か経った後に、香山さんから電話があったわ。博物館のチケッ
トがあるから一緒に見に行かないかって。
私はすぐにOKしたわ。
そのときは、香山さんとまた話がしたいなってそう思っただけだったの。
シュプールでは大きな声で饒舌だった香山さんも、博物館では物静かだったわ。なんだ
かそれが凛々しく見えた。
その後、ホテルでディナーをとって、部屋に誘われたわ。そのときはお酒も飲んでたし、
勢いに任せてついていったの。
最初はちょっと後悔したわ。香山さんってお腹出てるし、ちょっと毛深いし、脂ぎって
るでしょ。私の好みのタイプとは正反対ですもの。
でも、すごかったわ。人は見かけによらないの。
すごく情熱的な夜だった。私と香山さんって話も相性も体の相性もぴったりだったの。
香山さんのアソコって堅くて大きいのよ。テクニックも最高。気持ちいいトコロを的確
に狙って、凶器みたいペニスで何度も子宮を突き上げるんだから。ホントに、死んじゃう
かと思ったわ。一晩で何度もイっちゃったわ。愛撫も上手なの。終わった後、香山さんに
愛撫されてると、疲れてるのにまたシたくなっちゃうの。二回目からは恥を捨てて、自分
からおねだりしたわ。
『ください! 香山さんのおちんちん入れてくださいっ!』
『ま、真理は…淫乱な女です。いやらしいおまんこに香山さんのが欲しくてたまりません』
『香山さん…しゃぶってたらまた欲しくなっちゃった。ちょうだい…』
『子宮がうずくの…膣内に、一番奥に香山さんの熱いのをかけて静めて』
って。
一晩かけて散々骨抜きにされた後、ホテルをチェックアウトしたわ。帰りのタクシーの
中で、香山さんが出張中に寝泊りしてるマンションの部屋の住所を教えてもらって合鍵も
貰ったわ。その日、大学が終わると、私はごく自然に夕飯の買い物をして香山さんの部屋
に向かったわ。それで夕飯の支度をして、香山さんが帰ってくると出迎えて、二人で食べ
て、それからセックスしたわ。それが私の愛人生活の始まり。
そのうち自分の家に変えるのも面倒になって、香山さんの部屋で一緒に暮らすようにな
ったわ。
大学から香山さんの部屋に帰ってきたら夕飯やお風呂の準備をして、私は香山さんの帰
りを待つの。香山さんはたいてい夕飯を先にするわね。食べ終わったら、一緒にお風呂に
入って、私が香山さんの体を洗ってあげるのよ。私の体を使ってね。うふふ。
あがった後は二人とも朝まで裸のままなの。それが暗黙の決まり。そのままベッドに直
行することがほとんどだけど、そうでない場合も裸なの。二人で裸のままソファに座って
テレビを見たり、お酒を飲んだり、仕事や大学の話しをしたり。最後はいつもベッドの中
で愛し合ったわ。
朝になったら朝食をとって、香山さんは仕事の準備を、私は大学の準備をする。いつも
香山さんのほうが先に出るから、出勤するときはいつも玄関先で行ってらっしゃいのキス
をしたわ。
透。
この話聞いてどう思った。
まるで夫婦みたいだって、そう思ったでしょ。
そうよ。私、香山さんが出張の間でずっと奥さんの役をやってたの。香山さんの部屋を
掃除して、香山さんの服や下着を洗濯して、一日の食事の準備をして、お風呂で香山さん
の体を洗って、日曜日にはデートに出かけて、夜は一緒のベッドで寝るの。
完全に夫婦よね。
マンションの近所の人もそう思ってたみたい。
香山さんったら、悪ふざけで隣のご夫婦に「家内の真理です」なんて紹介するから、私
も「妻の香山真理です」って言ったんだから。
二人で温泉に旅行へ行ったときも、夫婦として予約したわ。向こうの人にバレないよう
に本当の夫婦になりきるために、香山さんは私を『真理』か『おまえ』って呼んで、私は
『誠一さん』か『あなた』って呼び合ってたの。
夫婦ごっこだけど、悪い気分じゃなかったわ。香山さんの奥さんでいるの。私も結婚し
たこんな風になるのかなあって思った。
シュプールで会ったときは、あれだけ生理的に嫌いだと思ってた突き出たお腹も、大き
な声の関西弁も、脂ぎった顔も、一緒に暮らすようになるとぜんぜん気にならないの。む
しろ愛せるようになったわ。不思議よね。
え?
ほぼ毎日大学で会ってた自分がぜんぜん気がつかなかったのはおかしいですって?
あなたまだ自分の鈍さに気づいてないの? 透、あなたは私が髪を切ったって、それに
気づかないような人よ。私が香山さんと同棲してたって、気づいているはずないわ。
実際、私が香山さんから買ってもらったワンピースを着て、お腹いっぱいに精液を溜め
込んだままデートしても、まったく気づいてなかったじゃない。
え? 香山さんと同棲してたなら、何で自分とデートしたのかって?
う〜ん……怒らないで聞いてほしいんだけど、透とデートしたあとって、香山さんとの
セックスがすっごく盛り上がるの。
香山さんってすごく嫉妬深いのよ。私が透とのデートから帰ってくると、私のアソコを
広げて、透とセックスしてないかどうかチェックするのよ。まだキスもしたことないのに
ね。それなのに香山さんたら、しつこく聞いてくるのよ。『透くんとキスしたんかあ』と
か『透くんとはもうヤったんかあ』とか。
それから一晩中ヤリまくりよ。透とデートした翌日って、私いつも大学休んでたのって
覚えてない? あれは腰が抜けて動けないからなの。だからデートの翌日は、一日中ベッ
ドの上で香山さんとイチャイチャしてるの。
幸せだったけど、同時にみじめでもあったわ。
どんなに夫婦らしい生活をしたって、所詮はただの不倫であり、私は愛人だって、頭の
どこかでわかってたから。
だからあるとき言ったの。
いつも通り夕食をとって、お風呂に入って、ベッドに入ったときに話したわ。
『あなた……いえ、香山さん、私、明日この部屋を出て行くわ』
『なっ、なんでや真理! なんでそんなこと急に……!』
私は胸のうちを話したわ。私と香山さんは所詮はただの不倫関係にあること、私は香山
さん妻ではなく愛人であること、これ以上一緒の生活を続けていると別れるときが辛くな
ることを。
話しながら私は、涙がこぼれるのを抑えられなかったわ。
香山さんは深くうなづくと、私を肩をつかんで言ってくれた。
「よっしゃ! わしも男や。春子とはきっぱり別れる! せやから真理、わしと一緒に大
阪に来てくれ」
私は、嬉し泣きして思わず香山さんに抱きついたわ。
「いいの? 本当にいいの? ずっと一緒にいてくれるの?」
「あたりまえや。わしにとって真理は、もうなくてはならん存在や。正式にわしと結婚し
て妻になってくれ」
「誠一さん……」
そして私たちはキスをしたわ。
今までで一番甘いキス。結婚式のときに神父の前でするような、誓いのキスよ。
「明日、指輪買いに行こ。ごっついダイヤの指輪買ったるわ」
「……それより、今すぐ欲しいものがあるの」
「ん? なんや。なんでも言うてみい」
「実はね……私、今日、危険日なの。香山さんから貰ったピル飲んでないの」
香山さんは目を見開いた後、まっすぐ私を見つめてくれたわ。
「真理……ええんやな」
「はい。あなたの……誠一さんの赤ちゃんを産みたい。本当の夫婦になりましょ」
香山さんはベッドに私を押し倒したわ。
「よーし、真理! 今夜は寝かさへんでぇ。大阪に戻るときは、わしらの子供と三人一緒
や!」
「あん! 三人って、一人だけでいいの? 私はもっとにぎやかなほうが好きよ。それに
寝かしてくれないのはいつもでしょ」
「ぐふふっ、今夜はハメっぱなしや。抜かずの種付けセックスきめたるからな」
その晩、香山さんったら、本当に一度も抜かなかったんだから。
香山さんの精液って濃くて量が多い上に絶倫なのよ。それを朝までずっと入れっぱなし
のまま出し続けたんだから。下半身が香山さんとひとつになったみたいだったわ。
それからの一週間は、もうセックス漬けよ。私も香山さんも休みをとって、部屋に篭っ
てずっと子作りに励んでたわ。香山さんったら、今まで私に飲ませたりかけたりするのが
好きだったのに、子作りに意気込んで全部中出しよ。香山さんの精液で私の子宮はいつも
パンパンだった。食事をするときもお風呂に入ってるときも、寝てるときだって精液がこ
ぼれないように繋がったままだったんだから。
徹底してるでしょ。
それくらい私と香山さんは愛し合ってたの。
透、一回、私の携帯に電話したでしょ。『しばらく大学に来てないけどどうしたのか?』
って。電話に出たとき、私、本当に風邪引いたみたいに苦しそうだったでしょ。あの時も
香山さんとセックスしながら電話に出てたのよ。私は無視しようとしたんだけど、香山さ
んが出ろって。うふっ、意地悪な人よね。
さすがに一週間も経ったら元の生活に戻ったけど、それでもちゃんと毎日ヤったわ。
そして一ヵ月後、産婦人科に行って、私は妊娠したことを告げられたわ。
香山さんは大喜びしたわ。まだ膨らんでもいない私のお腹に耳を当てたりしたんだから。
私も嬉しかったわ。本当に幸せだった。
香山さんと今後のいろいろ相談して、まず一度大阪に戻って春子さんと離婚することが
先決だと言うことになったわ。そのあとで、私は両親に香山さんを紹介するつもりだった
の。
そして何日か経って香山さんが帰ってくると、彼は私に土下座してこう言ったわ。
『すまん、真理! 結婚の話はなかったことにしてくれ!』
私はショックで、香山さんを問い正す気力もなかった。
続けて香山さんは、
『春子とはやっぱ別れられんのや。腹の子は、真理が産みたいんやったら産んでもええ。
認知したる。金は全部わしが出す。せやから、それで勘弁してくれ』
私は香山さんと別れ、両親にすべてを話したわ。
香山さんの名前は出さずに、会社員と不倫して妊娠し、そして捨てられたことを。親は
何も言わずに、私を抱きしめてくれた。
それから私は子供を堕ろして、北海道へ行ったわ。
*
「どう? こんなエピソードがあったんなら、十分な殺害動機になるんじゃない?」
真理は、何がそんなに楽しいのかわからないくらい笑顔で言った。
だんだん頭が麻痺してきた透は、それでも何とか声を絞り出す。
「でも、それなら真理は、まず香山さんを恨むはずだろ。そりゃあ、いきなり香山さんと
再婚した夏美さんも憎いだろうけど。殺すなら香山さんのほうが自然だと思うけど。少な
くとも今の話しに、夏美さんは出てこなかったわけだし」
真理は嬉しそうにうなづいた。
「なかなか鋭い考察ね。透」
真理が褒めてくれたのにぜんぜん嬉しくなかった。
「でもこの話にはまだ続きがあってね。香山さんが私に結婚できないと言ったのは、余命
幾ばくもない春子さんのためだったの」
「え? 余命?」
「春子さんは元々、体がそんなに強くなかったの。離婚のために大阪に戻った香山さんは
驚いたわ。出張の前はなんともなかった春子さんが入院していて、医者からはもう余命幾
ばくもないと告げられたから。その時になってはじめて後悔したの。出張中、私に夢中に
なって春子さんをないがしろにしたことを」
「春子さんとは離婚したって言ってなかったっけ?」
「まぁ、聞いて。後悔した香山さんは、残りの人生を春子さんのために捧げることを誓っ
たの。だから私に別れを告げた。私に春子さんの病気のことを言わなかったのは、言えば
私が大阪まで強引についてくると思ったからよ」
言いたいことを全部言えたからか、真理は満足そうに頷いた。
とりあえず透は「なるほどねえ」と気のないことを言った。
「昨日、春子さんとは離婚したって言ったのは、みんなに気を使ったからよ。みんなバカ
ンスに来てるわけだし。それに香山さんにとっては苦い記憶だしね。それはね……だから
いいのよ。問題はあの人の存在」
真理は相変わらずニコニコ話している。しかし笑っているのは表情だけで、その瞳の奥
は別の感情で鋭い光を放っているのに、透は気づいた。
「あの人は……夏美さんは、春子さんと死別して悲しみにくれている香山さんに財産目当
てで近づいて再婚までした。私のところに戻ってこないで。香山さんはだまされたのよ、
あの女に。もっとも、私もその頃は香山さんとのことを引きずってて自暴自棄になってた
から、あっさり正岡さんみたいな人にだまされてたんだけどね」
真理は、透に壮絶な笑みを浮かべて言った。
「どう? なかなか筋が通ってるとは思わない?」
「そ、そうだね……」
筋が通ってるとかいないとか、透にはもう判断つかなかった。真理と二人きりだという
のに、なんだか言い知れぬ居心地の悪さを覚えていた。
そんな透にかまわず、真理は饒舌に続きを話した。
「キヨさんを殺したのは、夏美さんを殺すところを見られたからよ。ずっとチャンスを狙
っていたんだけど、やっと殺せてほっとしたわ」
「キヨさんはスープを出したあとで失踪して、そのまま死体で見つかったんだ。今度こそ、
君にアリバイがあるよ」
「何か勘違いしてるんじゃないの? 私がキヨさんを殺したのは、たった今よ。ホンの数
分前。キヨさんに見える人形を塔からつるしておいて、みんなの注意をそこに引きつけ、
キヨさんは死んだものと思わせておいたってわけ。キヨさんは、その間、ずっと地下室に
閉じこめておいたわ……さっきまでね」
「どうやって閉じこめたのさ」
「スープを出したあと、厨房に戻ったキヨさんは、私が書いたメモを見つけた。食事の前
にこっそり置いておいたのよ。『地下室から変な音がするので、至急、調べてください』
と書いてね。キヨさんはまじめな人だから、あわてて地下室に飛んでいったわ。中に入っ
た途端……上からブロックが落ちてくるように仕掛けをしておいたんだけど、ああまでう
まくいくとは思わなかったわ」
透はいい加減、息苦しくなってきていた。
「なんだか、本当にあったできごとみたいだね。話題を変えないか」
真理はにやりと笑い、
「もう少しだからがまんして聞いて。キヨさんは、大ケガして、地下室に横たわっていた。
私はあとから行って、キヨさんに猿ぐつわをはめ、手足を縛り上げておいたのよ。いつで
も、殺せるようにね」
透は率直な感想を述べた。
「真理……いままでの殺人は、確かに納得できる動機があるよ。ぼくの知ってる真理だっ
て……いや、真理に限らず、誰だってそんなことがあったら人を殺してしまうかもしれな
い。でも今のキヨさんの説明は、どうしても納得できないよ。キヨさんに殺人を見られて
も、それまでぼくと一緒にいた君は、慌てたり焦ったり挙動不審な様子はなかったじゃな
いか」
真理は黙って透の話を聞いている。なんだかその姿勢が気味悪くさえ思ったが、透は話
を続けた。
「はじめて人を殺したのに、そこまで冷静だったり計算高かったり、見られてしまったか
らついでもう一人殺してしまえ、みたいなこと、真理はするはずないと思うけど」
真理はくすくす笑った。
「それじゃあ、私はどうすると思うの?」
「う〜ん……まずは後悔するんじゃないかな。感情に任せて人を殺してしまったことを。
あと罪悪感で苦しむとか。それを見られてしまったんだから、やっぱり焦ったり慌てたり
するもんだよ。なのに、いきなり飛び掛るようなこともせず、冷静にキヨさんを殺してる。
まるでベテランの殺人者みたいじゃないか。それじゃあ漫画かドラマだよ。いや、真理を
知らない人なら納得するかもしれないけど、真理のことを知ってるぼくはちょっと納得で
きないな」
真理は透の説明を笑いながら聞いていた。
本当に、おかしそうに。
「なにがおかしいのさ」
「ごめんなさい。透、私に言わせれば、いま言った透の反応のほうが漫画かドラマよ」
「え?」
「そうね。確かに今までの私なら、思わず人を殺してしまったら慌てもするし、焦りもす
る。キヨさん殺しももっと雑だったでしょうね。でもね、透。人間、三人も人を殺せば変
わるものよ」
そういう真理には、なんだか異様な貫禄があった。
「正直に言うとね、正岡さんを殺したときは、さすがにちょっとやりすぎかもって思った
わ。でも美樹本さんに部屋に誘われて、この人も殺してやろうと思ったとき、私の中で何
かが変わったわ」
「な、なにか?」
「だって、よく考えて見れば美樹本さんも正岡さんもひどい人間だもの。殺したってそも
そも全然問題ないわ。それにね、憎いやつを殺すのってすっごい快感なのよ。こればっか
りは、透にはわかってもらえないでしょうね。美樹本さんを殺したときはセックスしなが
らだったから、もしかしたら殺人と性的快感が結びついてしまったのかもしれないわね」
透は唖然と聞いている。
「そういうわけでね。私はちっとも後悔してないし、罪悪感も感じてないわ。夏美さんを
殺すときはむしろ楽しかったくらいよ。あの女が、醜い心のままに顔まで醜く歪んでいく
様子は最高だったわ。だからキヨさんに見られて、この人も殺さなきゃって思ったとき、
私はワクワクしたわ。どんな方法で殺してやろうかって」
「そ……そうなの……?」
「そうよ。キヨさん殺しの説明はちょっと言葉が足りなかったわね。透の疑問ももっとも
よ。ごめんなさい」
「い、いや……だって、ただの遊びなんだろ」
「ん?」
「『もし真理が犯人だったら』っていう、遊びなんだろ」
、
「そうよ。もちろんじゃない」
――今の間は……?
透は死霊のようにまとわりついてくる疑念を振り払り、この話に最後まで付き合う覚悟
を決めた。
「それじゃあ、みどりさんはどうなのさ? 夏美さんの死体にみどりさんが疑われるよう
なマニキュアを残しておいたんなら、その時点でみどりさんを殺すつもりだったんだろ。
真理にどんな動機があるのさ?」
「ああ、それはついでよ」
事も無げに真理は言った。
「夏美さんを殺したときに、借りがあることを思い出したから。ついでに殺しちゃおうと
思ったの」
「借りって何さ?」
「俊夫さんのことよ。俊夫さんは私の初恋の人なのよ」
さすがに透も、もう驚かなかった。
「はじめて聞いたよ」
「私がまだ高校生の頃の話よ。開店したばかりのシュプールを手伝いに行ったときに、お
客さんとしてきていた俊夫さんと出会ったの。当時は受験を控えてたから、勉強を見ても
らったりスキーを教えてもらったりしたのよ。そんなことしているうちに恋に落ちたわ。
ファーストキスもバージンも彼に捧げたのよ。なのに受験が終わったら、あっさり別れを
告げられたわ。そして透とシュプールに行ったとき、俊夫さんは何食わぬ顔でみどりさん
と付き合ってた。私が受験でしばらく連絡がとれないときに二人は出会ったみたい。思え
ば、私の男運の悪さはここから始まってたのね」
自分は? と透は思ったが、あえてそこには触れずに疑問を言った。
「でも、みどりさんは悪い人には見えないけど」
「そうよ。みどりさんはいい人よ」
「え?」
「私のターゲットは俊夫さんよ。あの人に、最愛の人を失う悲しみを味合わせるためにみ
どりさんを殺したの。マニキュアはただの嫌がらせよ。いい気味だったわ」
「じゃあ、どうやってみどりさんを殺したのさ? みどりさんを殺す機会なんてなかった
はずだ。だって、君は……ずっとぼくの看病をしていてくれたんだから」
もう動機なんてどうでもよかった。真理の話しの真実味に呑まれそうな透は、彼女を論
破しようと必死になっていた。
真理は、透の言葉を聞くと、白い喉を見せてころころと笑い、
「あなたが自分で言ったんじゃないの。ぼくは気絶していたから、君がずっとそばにいた
かどうかわからないって。もう忘れたの?」
透は、手のひらにびっしょり汗をかいていた。
「みどりさんは都合よく部屋に一人でいたわ。私は『マニキュアは私が勧めたものだって
みんなに弁解してあげる』と言って、彼女にドアを開けさせる。あとは簡単よ。他の四人
と同じ要領で……ね」
真理が殺人犯なのか、それとも冗談なのか。
透は、真理の目を見つめた。
何も読み取れない。
透は、真理の一番近しい人間でありたいと思っていた。真理の考えていることなら、何
でもわかるような人間に。
だが。
今、透は真理が何を考えているのか、まるでわからなかった。
二人はしばらく見つめ合った。
透は真理の心を探ろうとし、真理は透がどこまでわかっているか探ろうとしているよう
だった。
突然、真理が笑い出した。
いつものような明るい、ほがらかな笑いだった。
「びっくりした? 透ってすぐにひっかかるわね。私が犯人のわけないじゃない」
一気に緊張が解けて、全身の力が抜けた。
「あー、驚いた。どっきりカメラより驚いたよ。心臓がばくばくいってる。一時は、本当
に君がやったのかと……」
「そういう可能性もあるってことよ。もし、私が犯人だとしたら、透はどう思うかな……
なんて」
「もちろん、君を守り抜くよ。君が殺人犯だろうが何だろうが、ぼくは君を……愛してる」
透は迷いもなく言った。今までずっと言いたくて言えなかった言葉なのに、不思議と自
分の背中を押す強い力のようなものを感じた。
「ありがとう……透……その言葉が聞きたかったの」
今度の旅行にはいろいろあったけど、最後に真理との愛が確かめられた。
大収穫だ。
透と真理が荷物を持って玄関まで下りると、すでに館内に人の気配はなかった。
「話に夢中になってる間に、みんな先に行ってしまったみたいね」
「小林さんも声をかけてくれればよかったのに」
「それじゃあ波止場に行きましょうか」
真理と二人で三日月館を出て、しばらく歩いたところで透は振り返った。
昨日と変わらず、元監獄だった異様な雰囲気の建物がそこにあった。
――なんだろう……この胸騒ぎは。
「どうしたの、透?」
「いや、なんでもないよ」
真理に追いついた透は、少しだけ大胆になって彼女の手を握った。真理は透の手を握り
返し、寄り添って二人は歩いた。
もう終わったんだ。不安は何もない。真理とも気持ちを通じ合えた。すべてはうまくい
ってる。
道中、透は何度も自分にそう言い聞かせた。
丘を下りて波止場に着くと、すでに桟橋には船が止まっていた。船も船長も昨日と同じ
だった。
透と真理が船に近づくと、二人を見て船長が言った。
「おー、やっと来たか。時間が経っても誰も来ないから、心配したぞ」
「え? ぼくたちが最初ですか?」
思わず透は疑問を口にしていた。
「ちょうどよかったじゃない。第一便がよかったんでしょ。乗りましょ」
真理は、有無を言わさず透の手を引っ張って船に乗り込んだ。
たんたんたんたんたんたんたん。
船は、快調そうなエンジン音を響かせながら、波を蹴立てて進む。
たんたんたんたんたんたんたん。
何はともあれ、もうどうでもよかった。
波の揺らぎ、潮の香り、琥珀色の夕日が、わずらわしい邪念をすべて洗い流してくれる
ようだった。
いま生きていて、隣には真理がいる。
それだけでもう十分ではないか。
「ねえ……」
真理が少し甘えた声で言った。
「向こうに着くまでまだ時間があるから……ちょっとゲームしない?」
「ゲーム?」
真理は甘えるように透に抱きつくと、その耳元で官能的に囁いた。
「透が帰りの荷物をまとめている間に、
私が他の全員を殺した
としたら、どうする?」
いいんだ。わかってる。
それが冗談であろうが本気であろうが、どこまでも真理についていく。
「いったい私にどんな動機があって、どんな方法で殺したと思う?」
夕日に照らされた真理の笑顔はどこまでも美しく、無邪気だった。
この笑顔のために生きようと、透は誓った。
例え、言いがかりのような動機で、何の罪もない人でも、躊躇なく命を奪って満足する
ような、とんでもない悪女であろうとも……
〜終〜