青年の返り血を浴びて、真理は呆然と立ちすくんでいた。  
(私が…この手で人を…透を殺した……!)  
「うあああああっ!!」  
 泣き叫びながら震える手でストックを離そうとするが、指が硬直してしまって開かない。  
 もがく真理を、もう永遠に動かない透が静かに見ている。  
 彼の最期の意識が真理への気遣いだったことを、誰も知らない。  
「みっ、見ないで!私を見ないでよおぉ…っ」  
 血の滴るストックを抱えたまま、真理はその場にうずくまってしまった。  
 その時、真理は自分に向けられたもう一つの視線を感じ緊張した。  
(まさか。ここには、もう誰も…)  
 恐る恐る視線の方を見ると、死んだはずの美樹本がポケットに手を入れたまま、壁に寄り掛かるようにして立っていた。  
「み、美樹本さん?!」  
 震える声を出す真理に美樹本はゆっくりと近づき、不安そうな表情で真理に聞いた。  
「キミは、何をしているのかな」  
 血にまみれたストックと自分とをじっと見ながら様子を伺うような美樹本に、真理ははっとして叫んだ。  
「ちっ、違うの!!透が…!信じられないけど、私見てしまったの!透が可奈子ちゃんを!わっ、私、恐くなって、透を。でもっ、でも透が犯人だったなんてっ!私…私…っ」  
 美樹本が一瞬、安堵の表情を浮かべたように見えたのは、真理の錯覚かも知れない。  
 物言わぬ透は、二人の様子を悲しげに見つめていた。  
 
 美樹本はポケットに入れたままだった手を出すと、真理の腕を掴み、慎重にストックを抜き取った。  
 さっきまで手のひらに張り付いているようだった凶器がすんなりと離れていくのを見て、真理は長い間自分を縛っていた恐怖と絶望から解放されたように感じた。  
 美樹本にすがりついて、大声で泣きたくなる衝動を抑えながら、真理はその場にじっと座っていた。  
「こんな物をいつまでも握っていちゃ、危ないじゃないか」  
 美樹本はストックを啓子達が横たわる部屋の中に放り投げると、透のそばにしゃがんで脈をとり、真理の方を振り向いて言った。  
「まさか彼が犯人だったとはね。僕には何が何だか分からないが、もう安心って事だな」  
 それは、こんな凄惨な場にそぐわないのんびりした声だったが、今の真理にはかえって頼もしく聞こえていた。  
「わ、私…これからどうしたらいいのかわからない…」  
 思わず、涙と一緒に弱音が漏れる。  
 美樹本は腕時計をちらっと見て言った。  
「そうだな。まずは…顔でも洗ってきたら?」  
 優しげに返されたその言葉に、真理は勢い良く立ち上がり、自分の部屋に向かいながら叫んだ。  
「うん!そうします!」  
 真理は、自分の身の置き所を、いま唯一信頼のおける人物に託しているつもりだった。  
 真理は何も考えたくなかった。  
 しかしそう願うほど、真理を見つめる透の顔がちらつき、ストックを突き出した時の鈍い感触が両手に甦ってしまう。  
 透の血は、真理の全身に飛び散っていた。  
(シャワー!シャワー!私はシャワーを浴びるのよ!他の事は考えちゃ駄目!)  
 真理はバスタブに熱い湯を思い切り出しながら、汚れた服を手早く脱いだ。  
 真理が自分の部屋に入るのを確認し、ドアに鍵が掛かる音を聞きながら、美樹本は階段を下りて行った。  
 やがて階下から恐ろしい高笑いが響いたが、シャワーの水音に消されて、真理の耳にその声は届かなかった。  
 
 自分の手のひらから流れ落ちる血液を見ながら、真理は考えていた。  
(美樹本さんに私が犯人だと勘違いされなくて良かった)  
(だけど、私が人を殺したのは事実だ。早く警察に行って全てを告白したい)  
(…透…。まさかあなたが…。でも、もう死んでしまった…。私がこの手で…)  
(死ぬ…?)  
(美樹本さんは死んだとばかり思っていたのに、なぜ…?)  
 真理はシャワーを浴びながら、混沌とした頭で事態を整理しようとしたが、考えれば考えるほど、思考は空回りしてしまう。  
(おかしい。何か変だ)  
 そう思っても、何がどう変なのかわからない。  
 そして考えるのをやめてしまった。  
 朦朧としてシャワーの栓を閉める事にすら気づかずに、バスタオルを掴みバスルームから出た真理の目の前に、ベッドに座ってこちらを見ている美樹本がいた。  
 慌ててバスルームのドアに隠れバスタオルをきつく体に巻き付けて、声を震わせながらも、真理は扉の向こうの美樹本を睨みつけるようにして言った。  
「ど、どうやって、ここに入ったの…」  
「鍵がかかってなかった」  
 悪びれる様子もなく答える声に、真理は認めたくない後悔をしながら叫んだ。  
「嘘よっ!合い鍵ね?!い、今すぐ出ていって!」  
「一人じゃ心細いかと思って来てやったんだ」  
 男が近づく気配に、怯えと、それよりも強い怒りを覚えながら、真理は怒鳴りつけた。  
「こっちに来ないで!早く出て行ってよ!」  
「下から食い物を持ってきた。一緒にどうだい?」  
 抑揚のない声がドア越しにバスルームの中を響き、真理が両手で押さえるノブが僅かに動く。  
 
「こっ、こんな時によく…」  
 そう言いかけた真理は、食べ物と聞いて一階のキッチンを思い出してしまった。今もそこにいるはずの人の死に様が脳裏に浮かび、真理は吐き気と同時に深い悲しみが込み上げてきた。  
(お…叔父さん…っ)  
 嗚咽する真理の手からふと力が抜け、すかさず開いたドアから美樹本の腕が伸びてきた。  
「いやっ!触らないで!」  
 避けようとする真理の二の腕を素早く掴んだ手は、シャワーの雫が流れる体を引きずるようにして部屋の中に引き入れた。  
「痛いっ!離してよ!あっちに行って!」  
 美樹本はわめき散らす真理の口を大きな掌で押さえ付け、そのまま小さな頭を壁に叩き込むように押し付けると、急に低い声になって言った。  
「ギャアギャアうるさいんだよ。俺にこれを使わせたいのか」  
 いつの間にか取り出していたナイフを目の前にかざされて、痛みと目眩を感じながらも真理は息を飲んだ。  
 濡れた陰毛から内股に流れる雫を、冷水のように感じる。  
 しかしその直後、激しく沸き上がった怒りに、真理は美樹本を殴りつけていた。  
 ぱしぱしと当たる真理の拳を平然と受けながら、美樹本は薄笑いを浮かべて言った。  
「それで抵抗しているつもりかい?お嬢ちゃん。いっそ俺も殺してみたらどうだ」  
 その言葉に真理が一瞬ひるんだ隙を逃さず、美樹本は真理の髪を掴むと思い切り床に引きずり倒した。  
「きゃ…っ!」  
 真理の体から濡れたタオルが解け、健康的に引き締まった肢体が、長い髪と一緒に弾けたように揺れながら転がった。  
 真理は反射的にバスタオルを掻き集め胸と腹に押し当てたが、起き上がろうとしても、いきなりの衝撃にその動きはふらついていた。  
 
 それでも必死で廊下へのドアに向かおうとする真理に美樹本は覆い被さり、バスタオルを掴んだままバタバタと振り回される二本の細い腕を易々と押さえつけた。  
 腕と一緒に掴まれたナイフがそこを浅く傷つけ、ジンジンと痛みを感じる頃には真理の血液がタオルを汚していた。  
 仰向けにされた真理は、僅かの水滴を残して輝くように白い肌を男の前にさらけ出してしまった。  
 真理は咄嗟に相手を蹴り上げようとしたが、それより早く、男は女の太股に膝蹴りを入れていた。  
「うああああっ!」  
 美樹本はナイフを口にくわえると、悲鳴を上げる真理の手からバスタオルを引き剥がし、その両手をきつく縛った。  
 そして、もがく真理の腕を片手で押さえつけながら、彼女の鼻先に再びナイフをちらつかせて言った。  
「こいつにビビらないのは大した物だが、諦めの悪さはいただけないな」  
 得体の知れないその笑顔と、両腕にかかる強い力のアンバランスさに、真理は改めて恐怖を感じ身震いした。  
 怯えて息を乱し、不規則に大きく波打つ白い乳房に、美樹本は舌を這わせていった。  
「う…うぅ…」  
 屈辱感に真理は顔を背ける。  
 男の腕から逃げ出そうとしても、まるで岩に挟まれたように腕が動かせない。それが片手の力とは、信じられない程だった。  
 腰から下にはどっしりとまたがった男の体重がかかって、膝を上げるのもままならなかった。  
 
 胸の上の舌は、柔らかい弾力をえぐるようになぞっていった。  
 形のいい丘が、震えながら舌の動きに合わせるようにしてこぼれていく。  
 美樹本はナイフを器用に背中のベルトに挟むと、その手でもう片方の乳房を強く掴み上げた。  
「いッ…!」  
 短い悲鳴が狭い部屋に響く。  
 大きな掌から溢れそうな片胸は、乱暴に扱われる度にほんのりと赤い痣を増やしながら、ゴム鞠の如く僅かにその手を弾き返していた。  
 その感触を味わうように、無骨な五本の指が滑らかな皮膚に食い込まれていく様は、痛々しいというより健気にすら見えた。  
「はっ、離してっ!いやっ!いやああっ!!」  
 真理は、唯一自由に動かせる頭を激しく振りながら、叫び続けた。  
 喉から血が出そうなほど、己の耳にわんわんと耳鳴りがするほど、叫び続けた。  
 しかし、いくら叫んでも、美樹本の振る舞いを阻止する事など出来るはずもなかった。  
 やがて舌は淡いベージュの乳首を押しつけるように撫でまわし、濃い髭に囲まれた口がそれを大きく含んで吸い上げると、真理は思わず息を詰めて身を仰け反らせた。  
「ハァ…ッ!」  
 タオルの中で痺れた両手に、今までと違う力が入る。  
 漏れてしまった自分の声に、羞恥心と戸惑いで真理の頭の中は熱く混乱し始め、もう二度とその声をあげるまいと唇をかたく結んだ。  
 だが。  
 「ンッ!…んンッ…」  
 美樹本の舌と唇が、真理の乳首を離れ、そのまま這うように首筋へと流れるのを、更に敏感に感じ取ってしまう。  
 
「感じた?」  
 そう囁かれて、真理は悔し涙が溢れてきた。  
「我慢してるだろ」  
 美樹本は可笑しそうに真理の顔を見下ろす。  
「離して」  
 真理は気丈に睨み返しながら言ったが、流れ落ちる涙が、両目の横に空しく光っていた。  
 美樹本は再び真理の肩に口を這わせる。  
「…っは…あぁァ…」  
 ついさっきまでは痛みしか感じなかった胸までが、男の手の中で悦びに躍ろうとしていた。  
「ほら。感じてんだろ」  
(嫌だ嫌だ嫌だっ!)  
 必死で否定しようとする真理の心とは裏腹に、身体の底から卑猥な衝動が沸き上がり、心臓は切なく高鳴っていった。  
「ンッ!ぅくうう…」  
 甘噛みされて固くなった乳首が、真理の身体の淫らな本音を美樹本に教える。  
 美樹本は「フン」と鼻で笑うと、胸から離した手を真理の股間に伸ばした。  
 恥じらいの緊張で固く閉ざされた太股の間に茂る陰毛を探るように撫でながら、指先を割り込ませていく。  
 真理は上気した頬を更に染めながら叫んだ。  
「や…やめ!…あッ」  
「なんだよ。ぐちょぐちょじゃないか」  
「は、離してよっ!」  
 そう叫んだ自分ですら白々しさを感じていた。  
 いつのまにそうなっていたのか、真理は自分でも気がつかなかった。  
 しかし、そこは確かに美樹本を求めて溢れかえっている。  
「こんなに欲しがってるとは光栄だね」  
「もう止めて…お、お願いだか、アッ、ァああっ!」  
「もっとしてー、の間違いだろ」  
 
 美樹本の指に真理の恥毛が絡みつくのは、シャワーの水滴のせいではなかった。  
 自分の股下を巧みに這い回る指が余りにも滑らかに動く事が、真理の恥じらいと興奮を高めていく。  
 粘液にまみれた中指と薬指でクリトリスを擦り上げられ、真理は耐えられずに声をあげた。  
「あんっ!あァアアっ!」  
 美樹本は満足そうに言う。  
「そういう声を出す女だったんだなぁ」  
「だっ!だって!…ンッ…こ、これは…あ、なた、が…っ!」  
 熱風が渦を巻いているような耳の奥で、真理は確かに美樹本の声を聞いた。  
「可愛い…」  
 今までの凶行から一転した甘い囁きに対して、真理は疑いを持つどころか、蹂躙されている事を愛されているかのような錯覚まで起こしてしまう。  
(流されちゃ駄目!)  
 …詰まらない忠告をする誰かは、消えてしまえ・・・・  
 真理の抵抗は、美樹本を拒絶するものから、快感を待ちわびる自分への怯えに変わっていった。  
 美樹本はそれを鋭く察知すると、真理の瞼に軽くキスをしてみた。  
 一瞬ビクリと跳ねた二本の腕が静かに床に伸び、見上げる大きな瞳が切なそうに潤んでいるのを確認して、腕を押さえていた手をゆっくりと下になぞらせていく。  
 真理の二の腕に鳥肌が立ち、身をよじって「くぅぅ」と小さく唸るのが聞こえた。  
 そのまま長い髪と一緒に熱い頬を柔らかく包み口づけをする。  
 今の真理に少しでも理性が残っていたら、自分の下半身をまさぐっていた片手が不自然に離れ、真理の太股を撫でる振りをしながら、背中のナイフを手の届く場所にそっと置き直した、この男の用心深さに気がついただろう。  
 しかし、この哀れな処女は、もはや身も心も狡猾な犯罪者の思うがままだった。  
 
 まどろむような口づけの後も、頬や顎や耳元にゾクゾクとくすぐったいキスを浴びながら、男がズボンを降ろす仕種に緊張する気持ちはあっても、不安や疑問などさほど起きない。  
 ここに人間は二人いるはずのに、自分の荒い呼吸しか聞こえて来ないような気がして、劣等感のような焦りさえ湧いてきそうだ。  
 両腿の間に割り込もうとするざらついた膝の動きに、戸惑いながらも自ら徐々に足を広げていく。  
 もどかし気に太股の下に滑り込んできた手が、膝の裏辺りをぐんと持ち上げ、いきなり大きく足を開かされた真理は驚いて身を縮めた。  
「どうした?」  
 汗で張り付いた真理の前髪を撫で上げながら静かに聞いてくる美樹本に、真理は目を伏せながら答えた。  
「あ、あの…。私まだ、こういう…」  
(…!)  
 美樹本は心の中で舌打ちをした。  
 あるいは、とは思っていたが、これだけの美貌を持つ女が男と二人きりで泊まりがけの旅行をするのだから、未経験のはずはない…  
 真理とオーナーの関係を知らない美樹本は、そう決めつけていたのだ。  
(ナイフなど使わなくとも、容易に落とせた獲物だったのかも知れない…)  
 美樹本は真理の太股から尻を撫でさすりながら、素早く思案を巡らせている。  
 凶器を出したのが逆効果になることを、美樹本は危惧した。  
 濡れた隠唇を再びまさぐり、真理の様子を伺う。  
「…ハッ!アぁぁ…っ」  
 目を瞑って身を委ね喘ぐ真理を見て、美樹本はそこに中指をめり込ませていった。  
 
「ゥンッ!」  
 覚悟したように息を詰まらせる表情が、ひどく劣情をそそる。  
 美樹本は汗で滑る乳房を揉みしだきながら策略を反芻する。  
(今更後戻りは出来ない)  
 何よりも、僅かな時間で多くの命を奪った疲労感から火の付いた高ぶりが、出口を求めて咆哮している。  
 それはすでに女の内股にねっとりと寄り添い、すぐ側の肉口から漂う淫香を嗅ぎつけて、忌まわしく脈打っていた。  
 中指をずぶずぶと根元まで突き刺しながら、美樹本はタイミングを計る。  
 数回出し入れしては指を増やしていった。  
 人差し指は慎重に…  
 薬指は遠慮なく…  
 恥ずかしさで緊張している感触が、痛みによる萎縮に変わりそうになると、手の動きを速めてわざと音が大きく出るようにする。  
 真理は嫌でも聞こえてくる生臭い音が、美樹本の手の中からくちゃくちゃと響いてくるのを堪らなく恥ずかしく思い、そして、それ以上に欲情していった。  
「ッア!ハアァ…あぁん!あァァァんッ!」  
 真理は自分がこんな声を出すなどとは、思いもよらなかった。  
 奇妙に高いその裏声は、まるで盛った動物のようだ。  
 美樹本はしばらく三本の指で膣内を馴染ませてから、それをじんわりと抜き取り、その数倍のペニスを入り口に押し当てた。  
 真理は小さく息を吸い込み、ゆっくりと吐き出しながら、緊張感を払おうとする。  
 だが、先端を挿入されただけで、さっきとは比べものにならない程の痛みが襲ってきた。  
「んぅっ!うう…、ぅああああーー!!」  
 壮絶な悲鳴にかまわず、美樹本は一気に押し込めていった。  
 
 びくびくと痙攣する内部にペニスの殆どを埋め込んでから、美樹本は仰け反る真理の肩を抱いて言った。  
「すぐ済ませる…っ」  
 乳房に押し付けられた美樹本の胸から伝わる鼓動を感じながら、真理は激痛の中にあっても狂おしい程の切ない気持ちで思った。  
(目の前にある逞しい背中に腕を回したい)  
(この人が私にしているように、私もこの人を抱きしめたい)  
「み、きも…」  
 真理はひきつった喉から懸命に声を出した。  
「ん…?」  
「タ…タオルを…とっ、て…」  
 真理の細い声に、美樹本の表情が一瞬強ばり躊躇する。  
 男はその願いを受け入れぬまま、囁き返した。  
「すきだ。初めて会った時から…」  
 その一言が、真理に冷静さを取り戻させてしまった。  
 美樹本は真理を見くびり過ぎていた。  
 あるいは、余りにも計画通りに事が運んだせいで、気が緩んでいたのかも知れない。  
 真理の中で男への疑問は不信感に変わり、「騙された」という確信が、あっと言う間に憤怒の炎を燃え上がらせる。  
 真理は振り上げた両手を、頭上の頬に思い切り叩きつけた。  
 
「痛ッ!」  
 バスタオルに張り付いている異様な髭と、目の前に半分だけ現れた顎の輪郭に、真理は我が目を疑った。  
「ここまで来てバレちまうとは」  
 美樹本は苦笑しながら、自ら残った髭をむしり取って呟く。  
 こうなってしまったらもう、この女に無自覚な偽証をさせるどころか、自分の代わりに宅配便を受け取らせる事すら困難だろう。  
 美樹本は自身の詰めの甘さを少しだけ悔やんだ。  
「ど、どういうこと…?あ、あなたは…誰…?」  
 真理は膣の痛みが何倍にも増したように感じながら、自分にのしかかっている男に聞いた。  
「まだ分からないのか?それとも認めたくないってヤツかな」  
 さっきまでの甘い声とは程遠い、開き直った口調で言われて、真理は全身の血が床に吸い取られていくような寒気を感じながら叫んだ。  
「ま、まさかあなたが…?!じゃ、じゃあ、透はっ!」  
 美樹本はあからさまに苛ついた目を向けて、吐き捨てるように言った。  
「誰にでも間違いはあるって事さ。彼にも。あんたにも」  
「な、なにが、どうなっ…わ、分から…ない…」  
「今更あんたに聞かせる話は無いな。そんな事より」  
 美樹本はいきなり激しく腰を打ちつけながら嘲笑った。  
「愛してるよ。真理ちゃん」  
 真理の絶叫が止めどなくペンションに響き渡るなか、男はその腹の中に悠然と射精した。  
 
 放心した真理は、下半身の痛みに身を縮めながら、ぐったりと床に転がっていた。  
 美樹本は抗う気力も無くした真理を抱きかかえ、シャワーから出る湯が溢れ続けるバスタブに降ろすと、その手からバスタオルを外した。  
「スケベな真理ちゃんに、俺から最初で最後のプレゼントだ」  
 美樹本が差し出した手には、ここに備え付けの剃刀があった。  
「透君が待ってるよ。彼は優しい男だろうから、俺との事も笑って許してくれるさ」  
 虚ろな目で見上げる真理を覗き込むようにしてそう言うと、美樹本は真理の手を取り細い指に剃刀を握らせて、そのまま両手を湯の中に沈めた。  
「出来るよな?」  
 冷たい笑顔で促す美樹本を弱々しく睨みつけながら、絞り出すようにして真理は言った。  
「あなたは人間のクズだわ。いえ、人間じゃない。最低のケダモノよ。こんな事をしてただで済むと…」  
 いきなり真理の目の前に、赤い湯が広がった。  
 美樹本に握らされた真理の手の中の剃刀が、もう一本の手首を深く走ったのだ。  
 せめて相手を斬りつけようと腕を振り上げたが、すぐさまバスタブに押し戻され、薄められた血液が飛び散る中、小さな刃物は喉の横をも流れた。  
 己の血液の中を漂いながら、真理は本物の絶望を思い知らされていた。  
 遠ざかる意識の中で、真理の悔し涙はやがて謝罪の涙に変わっていった。  
(ごめんね、透。あなたを疑うなんて、私、バカだった。ごめんね…)  
 
 __翌日。  
 気持ちよく晴れわたった雪景色の中、<シュプール>から走り去る一台の車の音が響き、そして消えていった。  
 

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