第二幕〜俺の屍を越えて行け・A〜  
 
ずんずんと短く繰り返すような地響きがする、と思って頂きたい。  
人ひとり分の足音というものは、地響きと比較すれば話にならぬ程小さい。例外があるとすれば、  
それは「おすもうさん」の四股ぐらいの物だろうか。おすもうさんの四股踏みには退魔の力が宿ると  
いわれるが、残念ながら現実には魔も出てこなければ、高校の体育館におすもうさんが登場する  
状況という物もぶっちゃけ有り得ない。  
その話は一先置いといて――  
虎馬高校の体育館に、足音が響き渡る。  
一人一人の足音は小さくとも、何人もの人間が揃って足踏みを行なえば、当然それは大きな振動と  
音とを発生する。さらに加えて体育館には講堂や舞台などの機能が付加されており、その目的を  
果たすべく、内部で発生した音が反響する構造に造られている。したがって生徒たちの足音は増幅  
され、地響きと呼んでも良い大きさにまで成長するのである。  
――それにしてもこの足音は  
煩さ過ぎる。虎馬高校の近隣には病院まであると云うのに、苦情が来はしないだろうか。  
小柄な二年生、坪内地丹は足元の踏み台を見つめながら、誰に言うでもなく文句を呟いた。どうやら  
自分自身が件の足音を発生させている事実など、すっかり棚に上げてしまっているらしい。  
地丹の右側には、虎馬高校の校章が入った体操着の少年。左側にも体操着の少年。地丹を含めた皆が  
足を揃え、メトロノームが刻むリズムに合わせてベンチの上で乗り降りを繰り返している。  
 
終了を告げる笛の音が鳴ると、体育館を支配していた地響きも止んだ。  
地丹は踏み台に腰掛けて左手首の脈を探る。  
掌を表側に向け、手首の親指側に右手の指先を宛がう。ピクピクとした脈拍を見つけ出した時、  
彼は頭の後方から耳慣れた声に呼びかけられた。  
――そっくりだな  
「はぁ?」  
面倒臭そうに返事をしながら、地丹は振り返る。振り返れば奴がいる。  
シャギーヘアで決めた、眼付きの鋭い細身の少年。  
勝改蔵。地丹にとって、大変厄介なクラスメートであった。  
 
改蔵はイケメン面で話題も幅広く深く、口も悪魔的に達者である。地丹とはまるで好対照な少年だ。  
正直な話、地丹は彼の存在を快く思っていない。自分もオタクだと云う自覚はあるのだが、改蔵の  
それは常人の範疇を大きく逸脱しており、「電波」と呼ばれて然るべき領域にまで達している。  
改蔵はある意味天才なのだろう。幼い頃は神童と呼ばれていた位だから、その才能が漫画・アニメ・  
ゲーム方面に開花した結果、現在の彼が誕生したのかも知れない。  
地丹ですら彼の広範な知識に対して『だけは』尊敬を抱いている。たとえ彼が常日頃から  
自分を馬鹿にしようとも。  
問題は彼が筋金入りのオタクであるにも関わらず、自分を虚仮にする言動を皆の前で  
行なっているにも関わらず、彼が自分とは違って他人からの好感を得られる点にあった。  
寒いギャグを言ってもウケる、女にもモテる、それが気に食わない。  
理不尽極まりないが、これが現実だろう。豪邸漫画家も言っているではないか、現実は辛い物だと。  
「何がそっくりなんだよ」  
地丹はぶっきらぼうな物言いで改蔵に返した。話題の掴みみたいなモノだろうが、改蔵の言い方では  
余りにも対象がぼやけていて意味が分からない。面倒な話題は御免だが、かと言って分からないのは  
もっと御免だ。  
改蔵が不敵な笑みを浮かべる。しまった、と地丹は後悔するが時既に遅し。  
地丹の考える事など、この悪魔にはお見通しなのだ。分からないものを分からないまま放って置けない  
という人間心理を突いて、思考経路に誘導を掛けられたのだと地丹は気付いた。  
こうなればもう改蔵のペースだ。地丹は生まれ変わる事なくその場で貝になる。  
改蔵はゆっくりと右腕を上げ、地丹を指差した。  
「お前が」  
ぴんと腕を伸ばしたまま、彼の指先が円弧を描く。地丹の視線が、吸い込まれるように指先の運動を  
追う。それは地丹の座っているベンチを差して  
「踏み台そっくりだな、って言う意味だ」  
 
改蔵が言った途端、地丹は奇声を発しながら脱兎の速度で彼に飛び掛り、体操服の襟を両手で掴む。  
「誰が踏み台そっくりだって、あぁ?!」  
小心者は得てして、キレると凶暴になる。スモールハートは得てして強すぎる自己防衛本能が  
発露したものである事が多いが、地丹もその例には漏れない。顔中の皺を眉間に集めつつ、  
彼は死に物狂いの力で改蔵の首を締め上げた。  
――殺してやる殺してやる殺してやる殺してやるころしてやるコロシテヤル……  
 
「あんたじゃん」  
悪魔の顔が紫に変色するほど首を締め上げていると、女子の声が地丹の傍らに聞こえた。  
「あんたって、踏み台そっくりじゃん。てゆーか踏み台そのものじゃん」  
容赦のない、改蔵そっくりなこの無慈悲な言い草は――  
腕の力を緩めて、地丹は改蔵の後方右寄りに視線を移した。改蔵は喉をさすりながら軽く咳き込む。  
改蔵に代わって、地丹の正面には髪をお団子に纏め上げた駄乳少女が立っていた。体操服にブルマー  
姿であるにも関わらず、全く色気を感じさせない辺りが、彼女が非ヒロイン系と呼ばれる所以だろう。  
厄介者その二こと名取羽美である。  
勝改蔵を悪魔に例えるなら、彼女には悪鬼羅刹の称号が相応しい。  
この駄乳少女は比較的可愛らしい容貌の持ち主なのだが、多重人格の上に破壊と殺戮、血と炎と呪いが  
大好きという、正にナチュラル・ボーン・キラーなのだ。今までに何人の人間が彼女によって  
冥府に飲み込まれた事か。  
改蔵と羽美、厄介者二人を同時に制御出来るのは科特部部長の彩園すず位のものだろう。もっとも地丹は  
そんな力を持った人間が、現実にはもう一人いる事実を知らないのだが――  
せめてこの場に彼女が居てくれたら。そう思いつつ地丹は、容赦ない羽美の台詞に対して激しい口調で  
反論を開始した。  
「だからどうしてオレが踏み台なんだよ、羽美ちゃん!」  
地丹が言うと、羽美は馬鹿にするような目付きで彼を見下ろす。地丹の身長が極端に低いため、  
こんな立ち位置が可能になるのだ。  
「言わなくても分かるでしょ、もう言ってる間に時間だし」  
羽美は言って、ステージの方向を目で指した。  
 
山田さんが天井の梁に挟まったボールを取るべく、  
人間離れした垂直跳びを見せているが、いつもの事であるから誰も歓声を上げない。  
ステージ脇の時計を一瞥して羽美は、11時か、と軽く呟いた。  
「まだちょっと早かったか」  
「だから何の時間なんだよ、説明しないと分かんないだろ?!」  
羽美は振り返って地丹を見下ろすと、思わせぶりな笑みを口元に浮かべる。  
「分かるわよ、もうじき昼休みでしょ。あんた毎日毎日みんなのパシリやらされているじゃない。  
あれを踏み台と呼ばずして、何を踏み台って呼ぶのかしらね」  
 
果たして時計が昼休みの時刻を指す頃、彼女の云った通りになった。  
 
羽美は昼休み、昼食が終わると何の前触れもなく校舎の屋上へと呼び出された。身体測定が  
午前中で終わったので、体操服ではなく制服姿に変わっている。お団子に纏めていた髪も  
下ろしており、チャームポイントの真っ直ぐ伸びた綺麗な長い黒髪に、映した陽光を流している。  
廊下を歩くと、普段通り使い走りをさせられている地丹と擦れ違う。何も言わずに先へ行く。  
数人の男子生徒と並んで階段を登る。彼らの前を歩いていたセーラー服教師のよし子が、  
短いスカートの後ろを女子学生よろしく両手で押さえ、男子学生たちをからかい気味に嗜めた。  
それを横目にさらに階段を上へと進み、行き止まりの先にあった重い扉を開くと――  
「わっ」  
屋内へ吹き込む突風と外の眩しい陽光に、羽美は一瞬顔を正面から背けた。  
目が光に慣れる。羽美は扉の外を再び視界に捉える。  
校舎への出入り口から見渡す屋上は、実際のそれよりも広く感じられるのではないだろうか。  
見回せば彼女から二十歩ほど先、灰白色のコンクリートと透き通る秋空の狭間に――  
呼び出した当の改蔵が、一人後手に腕を組みながら手摺に背を凭れ掛けさせていた。  
 
羽美にとって、柔らかな質感の前髪や、襟元の開いた半袖シャツを風に棚引かせる改蔵の姿ほど  
格好良いと思える物は、広い世界のこの刹那には存在しないように思われた。  
地丹のように無理やり似合わないポーズを決めようと意識する事なく、ただ在るが侭に振舞って  
いるからこそ、彼は傍目にも格好良い姿勢が決まるんじゃないだろうか。  
クラスメイトに留まらず、街中の女が彼を放って置かない気持ちが、少しだけ判るような気がした。  
――こんなカッコ良い奴と一つ屋根の下で暮らしてたんだ、私って  
そんな風に考えた羽美の鼓動が、とくとくと小さく短いリズムを刻み出す。頬と耳朶が熱を帯び始め、  
ほんのりと赤味が差している。一つ屋根の下どころか同じ部屋で寝起きしているにも関わらず、  
彼女は未だに改蔵から好きだと告白して貰った経験は無い。  
だからこの瞬間改蔵から「付き合ってくれ」などと言い寄られたら、雰囲気に呑まれてしまって  
一も二も無くその場で承諾してしまうのではないか。  
校舎の屋上に二人きりと云う、ラブコメには定番のこんなあざとい状況にあっては。  
――そうやって恋人になって行くのもアリなのかな  
長い黒髪とスカートの裾を風に流しながら、羽美はコンクリートを踏み締めて待ち人に近付く。  
一歩、二歩。心の中で歩数を数える彼女の表情は、紅潮しながらもどこかぎこちなく固かった。  
十歩、十五歩、二十歩――  
「来たか」  
改蔵が羽美の姿に気付き、顔を上げて彼女を眺めた。時折突風が吹く中で、二人は互いに向かい合って  
相手の目を見つめる。気恥ずかしさに耐えられなくなったのか、羽美が先に口を開いた。  
「私忙しいんだから、気安く呼び出さないでよ。で、何の用なの」  
そう言って、ぷいと顔を背ける。目は怒っているようにも見えたが、彼女の口元には一瞬微かに嬉びの  
笑みを湛えていた。わざわざ一人で呼び出されたのだから、何かを期待して当然だったろう。  
胸の高鳴りが止まらない。  
だが改蔵が次に放った言葉は、そんな羽美の予感を裏切る内容だった。  
 
「来てもらったのは他でもない、踏み台についてなんだが」  
「は?!」  
目を点にして羽美は言った。  
この男はまだ体育館での話題を引き摺っていたのだ。ラブコメもへったくれもあった物ではない。  
すっかり少女マンガ調の世界に入り込んでいた羽美は、熱に潤んでいた瞳を冷たく光らせ、  
改蔵に詰め寄っって言った。  
「あんたまだその話題引きずってたの?! てゆーかそんな事の為に私を呼び出したっていうの?!」  
大声を上げて詰る。こくりと首を縦に振る改蔵を前に、羽美は言葉を失って立ち尽くす。  
彼女があんぐりと口を開ける姿を晒す前で、改蔵は続けた。  
「他人を踏み台にした経験って云うのは、誰にでもあるんじゃないだろうか。例えば……」  
改蔵はそう言って、後ろに組んでいた手を解く。右手には週刊誌の「SPO!」。  
どこかの頁に人差し指を栞代わりに挟んでいる。直前まで読んでいたのであろうか。  
高校生が読む雑誌じゃないな、と羽美は眉を軽く顰める。  
SPO!と云えば風俗と年金の話しか乗ってない、どう見てもおっさんに片足を突っ込んだ男を読者  
対象とした雑誌ではないか。  
現実の事件を題材に扱った一ページ連載は、ものすごく面白いと聞いているけれど。あれは確か  
豪邸漫画家が書いていたんじゃなかったっけ――  
改蔵は指を挟み込んだ頁を開いて、そんな事を考えていた羽美に見せ付けた。  
「何よ、風俗情報とかそんなんじゃないでしょうね。言っとくけど私、そんなの見せられても  
平気だからね。大体女の子にそんな物見せるなんて、デリカシーに欠けるんじゃない?」  
「違うぞ羽美。ここに踏み台の事が書いてあるんだ」  
改蔵はそう言うとSPO!を手元に戻し、風に飛ばされぬようしっかりと両手で見開きながら、  
声を出して文字列を追った。  
 
SPO!  
特集・サバイバル時代を生き抜く!!〜ボクたちはこんなモノを踏み台にしてきた〜  
 
――人を踏み台にした事ありますか  
 
T・Uさん(大学生)談  
高校時代の話ですけど、ボクは本当にサエない生徒でした。  
双子の弟が居ましたけど、これがスポーツは出来るし人気もある、野球部員で甲子園にも出られ  
るほどのピッチャーで、ボクも知ってる幼馴染のカワいい彼女持ち、という具合にボクと全然違  
いました。なまじ双子なだけに、家でも学校でも事あるごとに何かと比較されましたよ。ボクは  
見た目普通に振舞ってましたけど、内心キツかったですね。  
でも世の中分らないものです。ボクのコンプレックスの元凶だった弟が、ある日突然交通事故で  
死んでしまったんです。その後ですよ、例の彼女がボクに向かって、「私を甲子園に連れてって」  
って言ったんです。  
観に行こうって意味じゃないですよ。「お前が弟の代わりにピッチャーやって、甲子園に出場し  
ろ」って意味です。野球やった事ない人間にはムチャな話ですけど。  
それで野球部に入ったんですけど、監督が入院しちゃったんでその代行が来たんです。鬼みたい  
なヤツでしたけど、ヤツのシゴキが良かったのか、まあ最後は何とか甲子園に出て優勝まで行き  
ました。幼馴染もボクの彼女になってくれましたし。弟が死んでなければ、今でもボクはサエな  
い大学生やってたかも知れませんね。何の話でしたっけ。え、踏み台? う〜んどうだろう。  
確かに弟を踏み台にして彼女を手に入れたようなモンだって、傍からは見えるんでしょうね……  
 
――踏み台にした事ありますか  
 
K・Sさん(大手電器メーカー役員)談  
今からもう20年くらい前にもなりますか。私がまだ30代の課長だった頃の話です。  
上司の不正を発見して、問い糾したんですよ。当時は右も左も分からなかった若造の癖に、妙に  
粋がっていましたからね。浪花節です。結局はクビを宣告されてしまったんです。当然ですね。  
ええ、管理職ですから労働組合からも離れますし、不当解雇だって泣き付く事も出来ません。か  
と言って転職も出来ない。何で俺の方が会社を辞めなきゃならないんだって気持ちもありました  
から。そうです。今でも正しかったと思っています。上司は会社と商取引のルール違反を犯して  
いた訳ですからね。理不尽といえば理不尽な仕打ちです。組合に泣き付く事が出来ないからって、  
黙って泣き寝入りなど断じて出来ませんでした。  
そこで私は、上司の派閥と対抗していた別の派閥の専務に、上司がウチの製品の不当廉売に関わ  
っているという話を証拠付きで流したんです。効果てきめんでしたね、あれは。結果上司は追放、  
対抗派閥の専務は副社長に収まって、私の解雇通告もうやむやの内に消えてしまいました。  
普通ならここで、新しい副社長の派閥に収まる所でしょうが、私は副社長から来た誘いも丁寧に  
断りました。私は会社ではどこの派閥にも属さないと決めてましたからね。結果だけ見れば、私  
は副社長の派閥も踏み台にした事になります。でも、あの時自分の会社の派閥争いを踏み台にし  
ていなかったら、私は今頃取締役になって上海で活躍する事もなく、下手をすれば路頭に迷って  
いたかも知れません。そう考えると自分の取った行動は、正しかったように思います。  
人間、清く正しく生きたいと思っていても、時には他のものを踏み台にしなければならない時が  
あるんでしょうね。  
 
――フミダイニシタコト、アリマスカ――  
 
――こんな風に  
急に朗読を止めて地の調子で語り始めたのに気付き、羽美ははっとして現実に帰る。  
相変わらず彼女の目の前に立っていた改蔵は、SPO!を畳んで下ろすと、羽美の顔を覗き込む  
ように首を突き出して言った。  
「こんな風に他人を踏み台にする例など、世間には幾らでもあるんだぞ」  
力強く自説を述べる改蔵の姿を、羽美は呆れ顔で眺めていた。  
確かに世の中には他人を踏み台にする、或いは他人の踏み台にされると云った関係性で説明出来る  
事象もかなり多い。改蔵がたった今挙げた例も、見ようによってはかなり酷い犠牲を他人に強いて  
いるのかも知れない。残酷な話だが、犠牲者は正に踏み台なのだ。  
それは判らなくもない、ないのだが――   
一見正しそうな改蔵の言い方に、何か引っ掛かりを感じる。なぜだろうか。  
唸る羽美の前で、改蔵はさらに続けた。  
「世の中は他人を踏み台にする事を考える奴ばっかり!ある意味『世界は一つ』!」  
――それよ、改蔵の論旨には瑕があったんだわ  
羽美は直ちに反撃を開始した。  
彼女なりにグローバルで、彼女なりにラヴに溢れた言葉を一気に浴びせ掛ける。元々  
「あのね改蔵、それはちょっと強引過ぎない? 何でもかんでも一つのドグマで説明できるって  
考え、今時古すぎるわよ。自由と正義を掲げる某大国がその旗の下で何をやったか覚えてるの?  
一国の自由、一国の正義を推し進める狭い考えが世界に広まると――」  
――地球が、危ない  
羽美は瞳を大きく見開いて、楽園の鍵として生まれた少女の如くそう言った。  
世界中の刻が羽美で止まる。彼女の背後には暗黒の虚空、闇に浮かんだ蒼く眠る水の星に――  
羽美は愛(ラヴ・発音が難しい)を力いっぱい込め、あざとく澄んだ瞳で改蔵を見つめた。  
 
羽美が渾身の力で作り出したあざとい雰囲気は、しかしながら改蔵には通用しなかった。  
いくらあざとい状況に置かれた所で、言っている当の本人はワガママで、空気が読めなくて、  
すぐキレる人間ではないか。そんな奴が愛――ラヴ・やっぱり発音が難しい――を唱えた  
ところで、どうして説得力が生まれると言うのか。  
――それはもっと他人を思い遣る心の余裕を持った人間の言う事だろう  
第一彼女の挙げた例には穴がある。  
電波人間を見るような呆れ顔で、溜息を一つ。暗黒の宇宙空間ならぬ風薫る学校の屋上で、  
彼は投げ遣りに返した。  
「お前が今言ったケースだって、某大国が国一つを踏み台にして、国内世論をまとめて石油を  
手に入れようとしてたって話じゃないか。結局世の中が踏み台で説明できるってオレの話に、  
何の影響も与えてないぞ」  
しくじった、と羽美は内心で舌打ちした。改蔵を相手に中途半端に妙な例えを持ち出すと、  
その例えを逆用して論破されてしまう。彼の得意技ではないか。  
放って置けば改蔵が畳み掛けて来て、一切の反撃ができなくなってしまう。何か言わねば――  
「だけど」  
続きを言おうとして、羽美はそのまま黙り込んだ。反例を挙げたいが思い付かない。  
「だけど何だ?」  
羽美は何も言えないまま首を捻り、眉を寄せてうーんと唸る。そんな彼女をしばらく眺め回した後、  
改蔵はいきなり彼女の手を取り、力強く握り締めて言った。  
「まだ何か言うつもりか! ならば論より証拠百聞は一見に如かず、来い!」  
「え、あ? ちょっと改蔵、どこに行くっていうのよ!」  
校舎への出入り口へと改蔵が走り出す。羽美も腕を引かれて、足を縺れさせながら走る。  
開け放しの暗く小さな出入り口が、二人の目に大きく飛び込んで来る。  
羽美は己の意志で走っていた訳でもなく、況してや自分が何処へ向かうのかも知らない。それでも  
風に流れる長い髪の隙間からは、満更でも無さそうな微笑を湛えた彼女の横顔が垣間見えた。  
 
改蔵に引き摺られ、人通りの少ない四階の廊下を走っていた羽美は、ふと窓の外に異様な気配が  
存在する事を感じ取った。ほぼ同時に、改蔵の足が止まる。  
勢い余って改蔵の肩甲骨辺りにどんと顔を打付け、羽美は蛙の潰れたような声を出して、  
仰け反った姿勢で床へと倒れ込んだ。  
尻餅を付き、両膝を開いた状態で立てる。スカート丈の短さも手伝って、脚の間からは淡く日に  
焼けた内股の肌とブラウスの裾、それから薄暗いスカートの中で白さの強調されたパンティーが窺える。  
彼女の姿勢はまるで滑り台から降りたばかりの、幼稚園児のように無防備であった。  
羽美が改蔵の視線に気付く。  
――パンツ視られた。絶っっ対視られた  
幾らなんでも人前で下着を見られるのは恥ずかしい。そう思って羽美は顔を赤らめながら改蔵、と  
非難めいた声で呼びかけたが、案に反して彼は窓の外を向いていた。ほっと息を吐く。  
視線とは存外『視る線』ではなく『視られる線』なのかも知れない。  
「いいから外を見てみろ。早く」  
羽美はよいしょと床に手を付き、起き上がって改蔵の隣に立った。グラウンドを見下ろす。  
 
――屍屍累累。  
 
倒れた人間が折り重なって、三階の高さはある山が出来ている。屍の頂上には、山田さんが  
息絶えるでもなく飄然と立っていた。  
羽美が叫ぶ。  
「一体何があったって言うのよ! ねえ改蔵」  
彼女が改蔵の肩を掴む。脳震盪を起こすほど激しく揺さ振っていると、羽美の背後で女の声が聞こえた。  
「天才塾の刺客から学園の平和を守ってたのよ。いつもの事じゃない。でもこれも今回の  
テーマにぴったりした話なのよね」  
振り返ればすずがいる。改蔵が彼女を向いて、博士こんにちは、と挨拶した。  
今回のテーマってどういう事ですか、と羽美は訊く。その答えはすずではなく、改蔵から齎された。  
「決まってるだろ、踏み台じゃないか」  
 
すずが無言で肯く。改蔵とすずの顔を交互に見渡して、羽美は湧き上がった疑問を口にした。  
「何が踏み台なのよ改蔵」  
改蔵の目には涙が溜まっていた。腕で零れ落ちそうな涙を拭いて、改蔵が天を仰いで叫ぶ。  
「そう、学校の平和を守っていても、動物の世話をしても、校舎の修繕をこまめにしても……」  
改蔵の話は涙声で延々と続く。校庭の草刈り、学校へのエネルギー供給、山田さんの働きは  
広く重要で、学校になくてはならない存在だったのだ。  
それほど重要な役割を負っているにも関わらず――改蔵の話は続く。  
「誰も気付いてくれなければ、みんなにとってただの下働き! なまじ下っぱより遥かに  
役に立っている分、踏み台にされる様子の悲惨さはケタ違い!」  
あんまりだと小声で呟いて、改蔵は顔を伏せた。泣いているのだろうか。  
すずが羽美の機を制して、宥めるような声で語る。  
「確かに改蔵くんの言う通りなのよね。でもこのケースはちょっと重たいから、巷にあるもっと  
色々な踏み台の例を探した方がいいんじゃない」  
「…そうですよね」  
改蔵が顔を上げた。平生を取り戻した彼の顔からは、涙の跡も消えている。  
険しかった表情が徐々に緩み、余裕めいた明るさが戻って、  
「そうですよ! 今からそれを探しに出かけましょう!」  
元気な声で断言し、改蔵は身を翻して再び力強く駆け出した。  
羽美はぽかんとその様子を眺めていた。幼馴染だから長い付き合いではあるが、彼女は正直な話、  
改蔵の心の動きには付いて行けない物を感じていた。  
――気持ちの切り替え早すぎっ!!  
もっとも改蔵に言わせれば、羽美の方が心の振幅が激しいのだが。否彼だけではなく、  
クラスメートも、それからこの場にいたすずでさえも思っていた。  
――そんな羽美が、改蔵の動きに付いて行けない筈がないじゃない  
「何してるの羽美ちゃん。付いて行った方がいいんじゃないの」  
「え?」  
すずに呼び掛けられ、羽美は周りを見渡して状況の変化を確かめる。  
羽美が半ば呆れるように内心で突っ込みを入れる間に、改蔵の姿は既に廊下の遥か先へと進んでいた。  
 
改蔵が走って行った先は、しがらみ駅の裏通りにある書店だった。  
「モー」の最新号を発売日に入手できなかった場合でも、ここに来ればその場で買うことも出来るし、  
バックナンバーも揃っている。店内奥の科学雑誌コーナーに、ニュートンと並んで置かれているのだ。  
要はその手の客を相手にする書店なのだが、一見した限り店内は清潔で明るく広く、注意しなければ  
所謂「オタク向け」の店である事に普通は気付かない。  
だが空気の読めない筈の羽美は、その事実を真っ先に嗅ぎ当てた。  
身繕いに無頓着な店内の客が、酸っぱい臭いに混じって改蔵と同じ匂いを発していたのである。  
社会性に欠ける性格を、本能と感覚で補う彼女独自の妙技とも言えるだろう。  
それはともかく――  
他にもさる漫画家がイラストを描いた去年発売のホビージャパンとか、週刊誌や月刊誌ならばお馴染みの  
SPO!やサイゾウ、パララッチもあるし、小コミやチイズは紐閉じされておらず、誰でも立ち読みできる  
有様である。事実小学生がチイズを見開いて、最近乳首が出なくなったなぁとぼやいていた。  
すずと並んで入り口に立っていた羽美は、店内に入ってあちこち物色する改蔵の背中に、どう声を掛けて  
良いのか判らない。改蔵の意図が読めないのだ。  
そもそもは巷に跋扈る踏み台の例を探しに出掛けたと云うのに、どうして本屋をその舞台に選んだのだろうか。  
彼女は仕方なしに、セブンや自身など週刊誌の見出しを目で追う。  
『TAWARAの明るい家族計画』と書かれた見出しから、羽美はすっと目を背けた。  
――うわ生々しい、見なかった事にしよう。それより何なんだ腰元ダンサーズって  
「どうやらお目当てのものを見つけて来たみたいね」  
羽美の流れを断ち切ってすずが云う。顔を上げると、店奥の漫画コーナーで二人を手招きする改蔵の姿が見えた。  
 
平積みにされた漫画本を前に、すずは既に何か得心した様子で頷いている。もう展開は読めているんだと  
云わんばかりの表情であるが、一方の羽美は漫画本と改蔵の顔とを交互に見比べて言った。  
「何よこれ、漫画じゃないの。漫画と踏み台の間に、どんな関係があるって云うのよ」  
漫画本を一冊手に取る。NARUTOではない、昔の忍者漫画だ。羽美はこれを目にした瞬間、  
懐かしさと知らぬ間に出ていた新装版への驚きを抱いたので手にしてみたのだが、改蔵は冷静な  
口調で言い放った。  
「今それを取ろうとしたんだよ羽美。その漫画、思いっきり踏み台にしてるじゃないか」  
「どこが」  
「その漫画は忍者ものだけど、霊界探偵ものを踏み台にしてるじゃないか!」  
 
聞いた途端、羽美の顔から血の気がすうっと引いた。他人の漫画を貶める発言は禁句じゃないのか。  
確かに敵の本陣に乗り込んで死亡遊戯を展開する所とか、その後に続くトーナメント式の  
武道大会とか、類似点はかなり多く見られるが。  
何とか話題を転換しないと、そう思って羽美は平積みの上を見渡す。一冊の漫画本が目に付いた。  
「じゃあこれは」  
昔の魔法使い漫画を手に取った。  
女体化とか危ない水着とか、下手をすれば昨今のイチゴやりりむよりも危険な内容らしい。  
この作品がアニメ化されて豪邸漫画家は出世したらしいのだが――  
「その魔法使い、かのフニャコ先生が生み出した国民的キャラを踏み台にしてるじゃないか!」  
「しかも設定を利用しておいて、『あれは教育上良くないから』って言って巧妙な客寄せにも使ってるわよね」  
絶妙なタイミングで、すずが脇から口を挟んだ。豊富な知識が脳内でネットワークを展開しているが故に、  
彼女にとってはどんな話題でもお茶の子歳々なのだ。  
「そうですよ博士! 一粒で二度美味しい踏み台――性質が悪い!」  
途中で区切ると改蔵は、今のはお菓子の謳い文句を踏み台にした訳ではありませんよ、と小声で言い訳した。  
そんな事誰も聞いていないだろうに、と心中突込みを入れて、羽美はもう一冊手に取る。  
今の話も長く続けると危険だ。何か別の作品、できれば絵柄の全く違う物が――あった。  
今度の本は少年と少女のツーショットが表紙だ。よく休載しているが、作者はオヤマの人と同じ様に  
病弱なのだろうか。  
 
漫画の表紙を改蔵に向け、羽美はその少年と少女を指差して言った。  
「じゃあこれは?」  
「それは同人時代から他作品を踏み台にしている達人たち!登場人物が少女漫画を踏み台にしてるじゃないか!」  
言って改蔵は首を捻る。羽美は一瞬おや、と思い、改蔵と同じ仕草で首を捻った。  
一緒に暮らしていると相手の仕草や言動が伝染ると言われているが、彼らをその例として第三者に  
見せたならば、ああなるほどと納得して貰えるに違いない。それほど二人の仕草は似ていたのだが、  
考えている中身は見た目よりももっと複雑に絡み合っていた。  
改蔵はこの後羽美に対してどう話を続けて行けば良いのか分からず、羽美は改蔵が次に何を  
言いたかったのかが分からない。  
逡巡の後、先に口を開いたのは改蔵の方だった。ただ声の調子は、どこか投げ遣りである。  
「…まぁこれは自分の漫画だから仕方ないか」  
今回は改蔵の調子が悪いのか、あまり乗りの良い会話が続かない。彼らの遣り取りを見守っていたすずは  
そう判断して、引き際をそれとなく教えようと口を開いた。  
「そうね。そんな事言い出したらスターシステムのキャラは全部踏み台扱いだもの。開発した  
漫画の神様まで言い出したらキリがないわ。BS漫画夜噺じゃないんだから」  
すずが言い終わると、改蔵は何か考え込むように俯く。再び顔を上げた時、改蔵の表情は一転して  
晴れ渡っていた。何かを考え付いたのだろう。  
「スターシステムもそうですけどね、ジャンプシステムは随分多くの漫画家が踏み台にしてますよね!」  
システムつながりで強引に話を続けたらしい。  
「ジャンプシステムって何なのよ」  
何だ知らないのかと改蔵は舌打ちした。  
「天下一武道会の事だよ。ほら一昔前のジャンプだと、どんなマンガにもバトルフェスタみたいな  
大会があっただろう。あれの事だよ羽美」  
ああ、と羽美は納得したように頷いた。  
羽美はシステムの名前を知らなかっただけで、存在自体は知っていた。と言うよりこのシステムの  
話は、漫画オタクに限らず人口に膾炙した有名な物である。  
 
かの名作ドラゴンボールでは、天下一武道会の話になった途端に人気が沸騰したのだという。  
その後ジャンプに掲載された他のマンガでも団体柔道や剣道式の勝ち抜き戦、トーナメント戦を  
採用した事で、ジャンプの売上は飛躍的に向上し、アニメ化作品も数多く登場したのである。  
無論、霊界探偵マンガや先程登場した魔法使いマンガもこの例に漏れない。  
結局不殺の剣士が登場した頃から、このシステムは徐々に衰退して行った。それでもおよそ十年近く  
ジャンプの売上を支えた功績は限りなく大きい。システムを開発したとりやま御大に対して、  
●英社は今でも足を向けて寝られない事だろう。  
閑話休題。  
そう、アレですら――改蔵は目に涙を溜めて叫ぶ。  
「ジャンプシステムに乗っかった結果、アレですらアニメ化ですよ! 絵も話も小学生の描いた  
ようなアレですら! ラッキー以外の何者でもありませんよアレ!」  
アレとは何なのか。羽美が質問しそうな素振りを見せたので、改蔵は先んじて一喝した。  
「具体例は挙げるな! アレが腫れ物だったら、後で悔やむ結果になるぞ!」  
ふーん教えてくれないんだ、と羽美は拗ねたように言った。唇を軽く尖らせており、実に  
つまらなさそうな様子である。  
大人気ない女だなと改蔵が思っていると、羽美は突然あっと短く叫んで口を切った。  
「どうしたんだ羽美?」  
「漫画と踏み台なら、私だってちょっとぐらい知ってるわよ。ジャ○プの某冒険マンガはどうなのよ?  
アレかなり踏み台が多そうだと思わない? てゆーかどうしてネタにしなかったの?」  
どうだ、と言わんばかりに、羽美は踏ん反り返って言う。  
改蔵は困り果てた目を彼女に向けながら、肩を落として言い捨てた。  
「アレは――もういいや、確信犯だし。今日はもう帰ろうかな」  
改蔵は言い終わって、やる気なさそうに店を出ようと踵を返す。そんな彼に羽美が随おうとした時  
 
どんがらがっしゃん  
 
改蔵と羽美、それからすずは、突如店内に鳴り響いた漫画のような物音に向かって、一斉に首を向けた。  
 
アニメ情報誌コーナーの床に倒れていたのは改蔵たちの同級生、神崎美智子だった。  
彼女は起き上がると、四つん這いになって床に散らばった紙切れを拾い集め出した。と言ってもその  
紙切れは店の商品ではなく、彼女が持参していたA4の上質紙であった。  
もう一人その場にいた、虎馬高校の制服に身を包んだ少女は、隣のPC書籍コーナーまで飛んだ  
A4の紙切れを拾っていた。近付いた三人の姿に気付き、彼女は紙拾いを中断して言った。  
「あ、改蔵に羽美ちゃん。それに部長も。どうしたのこんな所で」  
「それはこっちのセリフよ!亜留美ちゃんこそどうしてこんなと…」  
そこまで言って、羽美の口は改蔵の掌に塞がれた。うーと唸る羽美を素早く小脇に抱え、  
改蔵は腰を30度に曲げてお辞儀をする。  
「泊センパイ、ちーす!!」  
「ウス改蔵、受験の参考書探してうろうろしてたら、さっきそこで神崎と打付かっちゃったんだよ」  
亜留美は典型的な甲高いアニメ声でありながら、喋る口調はえらい体育会系のノリである。この  
落差が、おっきなお兄さん連中に「萌え」とか云って受けるタイプに違いない。三年生になっても、  
漫画的な擬音でしか表現し得ないようなドジが似合う事でもあるし。  
「それで亜留美ちゃん。この紙を拾ってたんじゃないの?」  
すずが手に持った紙を眺めて言うと、ああそれそれ、それだよと言って亜留美は後ろ頭を掻いた。  
「床にばら撒いちゃったから、改蔵オマエ拾うの手伝ってくれない?」  
ウス泊センパイ、と言って改蔵は身を翻し敬礼する。体育会系だから、上下関係は堪らなくシビアなのだ。  
先輩の命令は絶対である。例え誕生日の関係で、しばらく同い年が続くとしても。  
平積みにされたゲエムラボやアイピーの上に、美智子のA4が数枚落ちていた。  
彼が一枚手に取った所で、パンダを初めて見た子供が上げるような、驚きと喜びを含んだ羽美の声が、  
改蔵の背中越しに聞こえた。  
「何これ、マンガじゃないの?! へーマンガの原稿って初めて見たけど、これ何のマンガなの?」  
紛れも無く同人漫画の原稿であるのだが、改蔵はそれを教えない。世の中には知らない方が  
幸せな代物もあるのだ、彼は心の中でそう羽美に呟いた。  
 
絵のタッチから、この原稿が誰によって描かれたかは一目瞭然だった。神崎美智子その人である。  
美智子がオタクである事はクラスでは公然の秘密であり、同人マンガを描いている事も皆に知られていた。  
もっとも羽美や地丹のように、その事実を知らない例外も居るには居たが。  
原稿の上部を見ると、作者あとがきと題してある。各コマではSEEDデスティニーのシンとアスランの  
二人が、作者である神崎美智子と対談しているではないか。  
まだ本放送も始まっていないのに、同人誌を描いてしまう辺りは流石と言えるのだが――  
改蔵は黙って、その原稿に目を落とした。  
 
作者あとがき  
美智子 「という訳で、無事種デス本が出来上がりました? 」  
アスラン「ミッチー。これじゃあシンがあまり活躍できてないんじゃないか?」  
シン  「そうですよ。何で主人公なのに扱いが小さいんですか」  
ミッチー「まだ本放送が始まってないんだから、私が自分で話を作らなきゃしょうがないじゃない。  
     あなた達が活躍するシーンをもう一回見たかったのよ!」  
アスラン「全くもう、俺達が架空のキャラだからって、好き放題描いてたらバチが当たるぞ」  
美智子 「アスラン、別に好き放題って訳でもないわよ。あなた達SEEDのキャラがいたからこそ、  
     私はこのマンガを描いたんだから。むしろ私があなた達の下僕みたいなものよ」  
シン  「いきなり何言い出すんですかミッチー、話が難しくなりすぎですよ。  
     こんなメタな後書きを読まされる身になったら、まだアスランハァハァ(;´Д`).  
     とか言ってる方が安心して読めるんじゃぁ…」  
美智子 「うるさいわね、君そんな事言うならキラと同じ扱いにするぞ( ゚Д゚)ノゴルァ!!!」  
 
改蔵はここまで読んで後書き原稿から目を逸らした。痛々しいまでにテンションの高いやり取りに  
加えて、セリフの雲にアスキーアートまで使われている。正直な話正視に堪えない。  
床に散らばった最後の原稿を取り、手に持った茶封筒に収めていた美智子に向かって、  
改蔵は普段の羽美に対して送るような憐憫の眼差しで見つめながら言った。  
「神崎さん、君は未放送のアニメを踏み台に……」  
 
美智子が素早く立ち上がり、物凄い剣幕で改蔵の手からあとがきの原稿を奪い取る。脱兎の如く  
彼女が動く間、改蔵は声を発するどころか息を継く事も侭ならなかった。  
左手に持っていた茶封筒の中に、美智子はそれを滑り込ませる。開いた鞄の中に茶封筒を  
仕舞い込んで、彼女は一気に捲し立てた。  
「こっこれは友達から預かったものだから私が描いたものじゃないの私マンガなんて読まないし  
ましてや描いた事もないからこれは私のものじゃないの作者私に似てるけど私じゃないの……」  
「スゴイ上手いじゃない、私この人にカイジとかゲンさん描いて欲しいな」  
改蔵と美智子は同時に横を向いて、感激した様子で叫ぶ羽美の姿を同時に見た。  
可哀想に。幾ら羽美が好きなマンガだからって、その絵柄を要求するのは神崎さんに酷ではないか。  
同じYMのマンガなら、まめがいD辺りをリクエストすれば良かったものを。  
改蔵がそう思っていると、案の定美智子は露骨に嫌がっている顔で羽美を怒鳴り付けた。  
「私そんなの描きません!」  
語るに落ちるとは神崎さんの為にある諺だろう、と改蔵は思った。  
羽美はSEEDマンガの描き手に感嘆して叫んだだけで、美智子が作者だと知らなかった事は  
火を見るより明らかだ。黙っていれば少なくとも羽美には知られなかったものを、彼女の反応では  
『そのマンガを描いたのは私です』と白状したようなものではないか。  
大体どうして、女子高生が福本伸行の絵柄を知ってるんだろうか。あれは傑作だが、婦女子ならば  
読み飛ばしてしまう内容のマンガである。したがって婦女子の記憶には、絵柄が残らないはずなのだが。  
――このマニアめ  
意地の悪そうな笑みを浮かべつつ、改蔵は見下したような視線を美智子に向けて言った。  
「やっぱりそのマンガは神埼さんが」  
言われた瞬間、美智子の表情が引き攣る。  
徐々に眉と目尻が下がり、涙で瞳が潤んで――  
「違います、私オタクじゃありません!!」  
わああと泣き叫びながら、美智子は書店を飛び出て行った。  
 
改蔵が神崎美智子の後ろ姿を見送っていると、彼の肩にいきなり手が置かれた。  
振り向くとヘッドロック。頭頂部を拳骨でぐりぐりと弄られながらも、改蔵は密かに亜留美の  
たぷんとした隠れ巨乳を制服越しに味わっていた。亜留美の方から仕掛けてきたのだから、  
これはセクハラには当たらない。亜留美の方もテンションが上がれば、平気で男の子に自分の胸を  
揉ませたりするような女傑だから、改蔵の様子に気付いても別段恥じらう仕草を見せなかった。  
尤も彼女は誰とでも寝るような性格ではない。彼女にとっては胸を揉まれる程度までがスキンシップの  
許容範囲だったというだけで、悪巫山戯けが過ぎて一線を越えようとする相手には、  
待ったも容赦ない必殺技『亜留美パンチ』が待ち構えていた。  
その辺は改蔵も心得たもので、亜留美のさせるがままに任せている。  
「なんだ改蔵、また女の子泣かせたの? あんまり調子こいてると今に痛い目見るぞコノヤロ」  
亜留美は振り返ると改蔵を離して、おーこわと呟いた。二人の遣り取りを見ていた羽美の、蛇のような  
視線を感じ取ったのだ。改蔵は少し痛そうに頭を摩りながら亜留美に訊ねた。  
「亜留美センパイこそ今までどこに行ってたんスか? 結構大変だったんスよ、神崎さんの落し物拾い」  
あんた何もしてなかったじゃん、という羽美の突込みを、改蔵は聞かなかった事にした。亜留美が言う。  
「後輩がカワイイ先輩の手伝いをするのは当然じゃん。私そろそろ受験だろ、参考書買ってたんだよ」  
「もえたんとかじゃないでしょうね」  
「煩い!」  
亜留美は叫ぶと店を出て、ガラス張りの正面に駐めてあったスクーターに跨る。  
三人はその様子をただぼうっと眺めていたが、スクーターが一度後退して道路に向かった時、  
小さな黒い人影が彼らの後ろから横切り、店外へと飛び出した。  
羽美の目はその影を見逃さない。彼女は狩猟動物特有の勘と優れた動体視力で、覚醒した魔獣の如く  
高速で移動していた影の姿形を一瞬で見切る。  
 
頭が大きい、ブリーフ一丁の少年。頭からすっぽりと被っているのは、黒や肌色のパンストではなく、  
寧ろダンサーが穿くような白いタイツだ。行く先は、スクーターの後ろだろう。  
タイツの脚を長い耳よろしく風に靡かせるその姿はまるで、少女を不思議の国へと誘う――  
白兎<<ホワイトラビット>>そのものではないか。  
 
「待って、うさぎさん!」  
スクーターの後ろを走り出した白兎<<ホワイトラビット>>を追って、羽美が店を飛び出す。  
改蔵も彼女を追いながら店の出口に走る。出入り口を走り抜け様に、彼は後方に立って事の成り行きを  
見守っていたすずに向かって大声で告げた。  
「不思議さんがうさぎを追いかけてる! 付いて行けば話が繋がるかも知れませんよ、行きましょう!」  
頷いたすずは、羽美や改蔵が駆け出した方向にゆっくりと歩を進めた。  
 
白兎<<ホワイトラビット>>こと坪内地丹は、しがらみ駅前にあるTATSUYAの前に立っていた。  
『祝☆明青学園』と書かれたポスターの前で、白兎は周囲を窺う。折角書店まで追跡していた亜留美の姿は、  
既に雑踏の中へと消えてしまった。如何に高速で走ろうとも、スクーターを人間の足で追う事は矢張り  
無謀が過ぎた。自分がARMSではない事ぐらい、判っていた筈なのに。  
――なのに何故、走って追い駆けてしまったのか。  
自分も原チャリの免許を持っていたのだから、それで追い掛けたら亜留美を見失う事は無かったかも知れない。  
後悔先に立たず、という諺を頭に思い浮かべた時、地丹は頭を急に引き上げられた事に気付いた。  
身体が浮くが、レビテーションではない。白タイツの脚を誰かに掴まれ、首吊りにされたのだ。  
「うさぎさん、つかまえた」  
楽しそうな少女の声。幼女のごとく無邪気な調子で喋った彼女の正体は、悪鬼羅刹こと名取羽美であった。  
声の奥に恐るべき嗜虐心が渦巻いている事を、地丹は十分過ぎる程に知っていた。何とか逃げ出したいが、  
身体が宙に浮いて走り去る事も出来ない。  
 
――カッターナイフで切り刻まれるか、腸を抉り出されて貪り食われるか  
想像しただけで身の毛が弥立つ。映画のような悪夢だが、このサイコ少女ならば現実にやりかねない。  
小動物並に気が小さい為、地丹は叫びたくとも恐怖で声が出なかった。もっともそれ以前に首を  
締め付けられて、声どころか呼吸も侭ならない状態にあったのだが。  
「死ーぬのはどーっちだ、死ーぬのはどーっちだ。転落死? 窒息死?」  
首吊りになった地丹を、時計の振り子よろしくぶらぶらと揺らしながら、羽美は楽しげに歌う。  
蜻蛉の羽を毟ったり蛙をコンクリートの壁に叩き付けたり、或いは蟻を虫眼鏡で焼いたりと、小動物の命を  
弄んで楽しむ子供は、虐待の最中おおかた彼女のように歌っているものだろう。  
 
地丹の口から泡が零れる。意識に白い靄が掛って、目に浮かぶ風景も現実か幻覚か区別が付かない。  
チキチキという無機質な音は、羽美がカッターナイフの刃を出す音だろう。  
「やめろ羽美、こんな所で惨劇を引き起こすな!」  
「羽美ちゃん何してるの、その辺で止めとかないと後が大変よ」  
ようやく事件の起きている現場に到着した改蔵とすずが、TATSUYA入り口の前に立った  
羽美を、東西から挟み込む形でほぼ同時に呼ぶ。  
自分を呼ぶ改蔵とすずの声に、羽美は肩をびくりと震わせた。困惑しながら右手に掴んだ白い  
タイツの脚と、それからタイルの布越しに苦悶の表情を浮かべる地丹の順に視線を移す。  
本屋から出た辺りで、彼女の記憶は完全に飛んでしまっていた。  
――何で地丹くんなんか持ってるんだろう  
羽美は手を離す。地丹の身体が舗装道路に打ち付けられ、鈍い音がする。横たわった地丹の耳元に、  
すずと改蔵の足音が近付いて来る。  
――助かった  
直前まで迫っていた死の危険が、取り敢えず去った事に気が緩んで――  
 
そのまま地丹は  
 
舗道の上で卒倒した。  
 
<第二幕・bへ続く>  

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