彼――坪内地丹――はゴミの山と化した自室で写真雑誌を読んでいた。  
無論「鉄スピ」や「鉄道○ャーナル」といった彼の趣味に沿うものも  
彼の傍らに山と積まれている。  
しかし、今彼が手に取って見ている写真雑誌は――  
「おっぱい」だった。  
それをベッドの上で寝そべって眺める彼はしかし、ため息を付いていた。  
 
――おっぱいは宇宙だ――  
 
自らの念が生み出したような、それでいて自らの物にあらざる声によって  
地丹の意識は覚醒させられた。辺りを見渡し、そして本来自分しか  
居なかった筈の室内に、招かれざるクラスメートの姿を発見する。  
小作りな頭に中性的なマスク、頭身の均整を持つ美少年――勝改蔵だ。  
「どっから入って来たんだ?!」  
至極真っ当な部屋の主が問うが、改蔵に動じる気配はない。  
「門のチャイムを押して、『失礼します』と断ってから上がったのだ。  
 文句を言われる筋合いはない。」  
改蔵はもっともな答えを返す。地丹に取っては理不尽極まりないものだったが。  
「オレは返事をしなかったぞ、もし誰も居なかったらどうするんだ!」  
「郵便受けは空だったし、電気もガスも動いてた。オマエもう少し  
 地球に優しく生きた方がいいそ。」  
余計なお世話だ、と云いかけて地丹は踏み止まった。この悪魔と  
勝てない論戦を続ける事は、藻掻く程に死を招く底無し沼に  
自分から嵌るようなものだ。  
 
だんまりを決め込んだまま寝そべっている地丹を、改蔵は見下ろしていた。  
「勃ってしまったのか。」  
地丹は寝そべったまま、ちがう、と反論する。だが改蔵は信用しなかった。  
「そうやって部屋で悶々としているからオマエはドー○ーなんだ。来い!」  
片手で股間を押さえた地丹のもう片手を引きながら、改蔵は家を飛び出て街を疾走して行った。  
 
少学館の小倉○子、飽田書店の優○、トリックの○間由紀恵。そういった看板が  
今日はやたらと目に付く。仲間外れはどれだろう。  
やはり先刻から眺めていた「おっぱい」の所為だろうか。  
それとも自分の本性が、それを渇望しているのだろうか――  
 
「着いたぞ。」  
手を引いていたクラスメートの声で、地丹は我に帰った。ここは  
「漫画喫茶じゃないか? これがおっぱいとどういう関係があるんだ?」  
「いいから入れ!」  
入れば解るさ、とでも言いたげな様子で改蔵は言い、地丹は渋々漫画喫茶  
『DNA』へと入って行った。  
店内に流れる『哀愁の黒乳首』のBGM。真剣な表情で写真集を品定めしている某漫画家。  
いらっしゃい、という声の方向には体格の良い少年の姿があった。その顔に二人とも  
見覚えがある。  
「――君は、」  
「アニメすもう部の部員です。ここのバイト、学校には内緒ですよ。」  
無論地丹にも改蔵にも、口外するつもりなど毛頭なかった。頷いた彼らは  
相撲体質の店員に案内され、座席を宛がわれた。  
 
店内を見渡して見ると、「東大物語」、「ふたなりH」といった如何にもな漫画が揃っている。  
目立たない場所に注目すれば、さりげなく「南国」や「ポカポカ」、「育って」。  
それから、矢鱈と目に付く古い漫画雑誌のバックナンバー。  
座席で疑問を抱いていた地丹の下へ、古雑誌を山と抱えた改蔵が戻ってきた。  
「さあ、やるぞ。」  
「やるって何を…」  
改蔵は地丹を無視するように雑誌を開いた。そして往年の名シーンが再現される。  
仰向けに倒れている女。ライダースーツの開かれた胸元に見える滑らかな曲線。  
何処から取り出したのか赤いボールペンを手に、改蔵は真剣な眼差しで  
そのページに小さな赤丸を注意深く描いていく。  
「そ、その作業は…」  
「乳首を描いているのだ。」  
雑誌から顔も上げずに改蔵が答えた。  
「オレが期待したのはこんな地道な作業じゃねぇ!」  
地丹は目を吊り上げ、奇声を発して改蔵に飛び掛かる。改蔵はあくまで冷静だった。  
「楽しいか? 乳首の描いてないおっぱいを眺めてオマエは楽しいのか?」  
たった一言で地丹は平静を取り戻した。改蔵はさらに問いかける。  
「昔のジャ○プには乳首が描いてない女人ばかりだった。当時の健全な青少年が  
 どれほど苦悶したと思ってるんだ?」  
地丹はその場に膝を着き項垂れた。改蔵は遠い目をしている。  
「最近の少年漫画もそうだ。サンデーのヒロインが見せた乳首で記憶に残っているのは  
 最近じゃ春日野みどりぐらいなものだ。」  
その場は静寂な、そして荘厳な雰囲気に包まれた。  
 
「そうよ。乳首と言うものは重要なもの。」  
静かな足取りでやって来た女性が、重苦しい雰囲気を破壊する。  
「博士」「部長」  
二人が叫んだのは、ほぼ同時だった。胸に店長の名札を付けた外ハネの女性だった。  
店長こと科特部部長である彩園すずは、膝を着く地丹に向かって優しく話し掛ける。  
「さっきの乳首だって、某漫画家の人生を決定したようなものよ。  
 乳首にはそれだけの力があるの。」  
「そうだったのか…」  
小柄な少年は、悪魔のようなクラスメートよりも美の化身のようなこの女性の言う事を  
素直に聞く。改蔵はそれを知っているのか、苦笑いを浮かべている。  
「もちろん女性にとっても、乳首は重要なものよ。敏感になりすぎていたり  
 分泌物があったりしたら体の変調がわかるもの。病気とか体調不良とか…」  
裸身のすずが自身の乳首を確かめるという妄想に、地丹の心は旅立って行った。  
「博士、やっぱり貴女のお話は勉強になります。」  
落ち着いて話を聞いていた改蔵は、拍手をしながら嬉しそうにすずへと歩み寄って行った。  
本来知的好奇心の強い彼にとって、この手の話は大変興味を引くのだ。  
すずは半ば意識を失った地丹から、改蔵へと視線を移した。  
「真剣に聞いてくれたのね、ありがと改蔵くん。女性は出来れば何時までも  
 美しい乳首であって欲しいものよ。」  
「博士の乳首は綺麗ですよ。ええもう、今まで見た中で一番です。」  
――見たのか。  
飛び起きた地丹が再び奇声を上げ踊り狂ったが、すずは注射器を取り出して  
手早く半狂乱となった少年の首筋に突き立てた。地丹の体から力が抜け、その場に倒れ込む。  
「何時も持ち歩いているんですか、博士。」  
改蔵が発した問いに、すずが答える事はなかった。  
 
「だから乳首専用の美容整形手術ってものがあるんだけど…」  
すずは強引に話を戻した。改蔵はそれに合わせて相槌を打つ。  
「そう言えば『乳首返して』って言ってた某有名人がいましたねぇ。  
 WAREPONで元気な姿を見て安心しましたけど。」  
――観てるのかよ、まあ確かにあの人まりこさんやアキコさんより強そうだけど。  
蹲っていた地丹は混濁した意識の中で呟いていた。  
すずが唐突に話題を変える。彼女はうつ伏せになっていた地丹を起こし、  
ぺちぺちと頬を叩く。  
「地丹くん、乳首は金も産むのよ。」  
「それってどういう…」  
見知らぬ男に身体を許すすずの姿を頭から振り払うように地丹は言った。  
「今からその例が店の前を通り掛かるけど、見たい?」  
「見たいッス!」  
叫んだのは地丹ではなく改蔵だった。  
 
車道を赤いフェラーリが疾走する。制限速度なぞ、この車には似合わない。  
車の列を縫うように走るフェラーリが科特部の三人に最も接近した時、  
運転手の顔がはっきりと確認出来た。  
短髪の女。若々しい作りの顔。胸元を強調するような服。  
周囲なぞまるで気にする事もなく、その車はビルの谷間へと滑り込んで行った。  
「あの車はどういう…?」  
不思議そうに自分を伺いながら訊ねた地丹へ目を向ける事もなく  
すずは端正な顔を崩さずに言った。  
「今の運転手ね、乳首で豪邸とフェラーリを買ったのよ。」  
「一体乳首をどうやってそんな金作ったんですか?!」  
怯えるような地丹の問いにすずが答える事はなかった。  
 
「すげェ。乳首って本当にすげェ…」  
しばらく経って乳首の持つ潜在力に気付かされたような地丹の表情は、  
すずを満足させるのに充分だったようだ。  
僅かに喜色を浮かばせたすずは、地丹に話し掛ける。  
「そうよ。乳首って凄いでしょう?」  
そこで一呼吸置いてすずは発した。  
「そこで、いい物があるの。」  
徐に胸元からハンドクリームの瓶と思しきものを取り出すと、すずが続ける。  
「これはね、乳首の色を美しくするクリームよ。」  
すずが全と告げ終わる前に地丹はクリームの瓶をを奪い取り、走り去ってしまった。  
「亜留美ちゃんにプレゼントするのだ!」  
 
「博士。今のクリーム、ラベルに『カリヨン化学』って書いてありませんでした?  
 まさか人体実験の末に…」  
地丹が去った後の沈黙を破ったのは改蔵だった。  
「さぁ。それより話が続かなくなっちゃったわね。」  
「どうするんですか、後は二人で乳首の話を進めようって事ですか?」  
改蔵の言い分は尤もだった。すずは少し小首を傾げて思案したが、  
やがて思いついたようにどこからか縦笛を取り出して言った。  
「博士、それは」  
「羽美ちゃんだけに聞こえる高周波が出せる笛よ。大体半径2kmまでなら反応するはずだわ。」  
差し出された笛を半ば呆れるようにすずから受け取って、改蔵は呟いた。  
「ケータイかメールの方が早そうなのに…」  
笛の穴を適当に押さえながら改蔵が笛に呼気を送り込むと、近くに在った街路樹から  
何か巨大な影が落ちてきた。  
それは――彼らが呼び出そうとしていた名取羽美その人だった。  
 
「痛いなぁ、ビックリしたじゃない!」  
強かに打った後頭部を摩りながら羽美が立ち上がった。  
「ホントに来たよ…。」  
「だってさっきからずっと私達の事、陰から見ていたんだものね。」  
羽美が目を白黒させて驚き部長に食って掛かる。すずはそれを軽く往なして羽美に語り掛ける。  
「羽美ちゃん、私達と一緒に来ない? 私達も少し淋しかったから…」  
淋しがり屋の羽美を理解したすずの言葉は、あっさりと羽美の琴線に触れた。  
「行きます。」  
「すげぇ、博士ってホントにすげぇ。」  
改蔵は一瞬、連れ立って歩き出した女二人に放置されかけた。  
 
目岩電機やらイレブンPMやらの入ったビルに三人は辿り着き、  
先日まで空きテナントだったフロアに上がる。  
そこは、真新しい青畳が敷かれた道場だった。  
「淫魔の乱舞 あずま」という掛け軸の下、体格の良い屈強な男達が互いに組み合い寝転び  
相手の道着の胸元をはだけて、毛先の柔らかい筆で乳首を弄くっている。  
はしゃぐ改蔵、脱力する羽美とは裏腹に、すずは涼やかな表情を崩さなかった。  
「ようこそ、我が道場へ。」  
貫禄のある道着姿の男が、三人に近付いて来た。  
「ここは乳首道の道場です。御覧の通り乳首を使った勝負が、主要な種目です。」  
それまではしゃいでいた改蔵だったが、男の姿を見ると急に高圧的な態度に変わった。  
「ふ、ふん。あれが乳首道ですか?ただの柔書道じゃないですか。」  
すずが彼を嗜め、男は動じる事もなく無礼な質問に答える。  
「乳首さえ使えば勿論他の勝負もできます、それが乳首道です。あれを御覧なさい。」  
男が指差した部屋の一角には、何やら人だかりが出来ていた。  
 
「洗濯バサミを使ぅて、乳首ずも〜〜っ!」  
小柄な面長の、目の小さいの男がマイクを持って宣言する。  
ゴマ塩頭の50男と上背のある若者が向かい合い、晒された互いの乳首を糸で結ばれた  
洗濯バサミで挟む。身なりから判断する限り、その二人は咄家の師匠と弟子に見えた。  
互いに洗濯バサミに結ばれた糸を体で引く。表情が歪む。  
決着はあっけなく訪れた。師匠の乳首から洗濯バサミが取れる。弟子の勝ちであった。  
 
「ね。」  
「成る程。ねぇ羽美ちゃん、あなたもアレやってみない?」  
すずからいきなり話題を振られた羽美が慌てふためく。  
「な、何で私が! てゆーか改蔵、そんな目で私を見ないでよ!」  
含み笑いを見せる改蔵を非難する羽美。頬を赤らめて両手をぶんぶんと振る彼女に、すずは近寄った。  
「大丈夫よ。勝負するのは私ではないし、ご褒美もあるから。」  
 
「で、何で私がこんな下らない勝負を受けるわけ?」  
道場に白髪を首筋で切り揃えた少女がやって来た。無論呼び出した人物はすずである。  
「私だって納得してないわよ、しえちゃん。てゆーか改蔵、何期待してんのよ!」  
改蔵の後頭部を張った羽美が、しえちゃんと呼ばれた少女共々すずを睨む。  
すずやかな表情はそれでも崩れる事がなかった。  
「ご褒美の内容を聞いてもそんな事言ってられる?」  
「もったいぶらないで教えて下さい!」この瞬間二人のいたいけな少女は共振していた。  
すずがゆっくりと口を開くと、羽美としえの目の色がみるみる変わって行く。  
 
――メインヒロインの座。最終回、バージンロードの先で待つ改蔵くん。  
 
――くだらぬっ・・・実にくだらぬ意地の張り合い・・・くだらぬ勝負っ・・・!  
だがっ・・・その勝負に自分の夢が掛かっているとなると・・・話は別っ・・・!  
メインヒロインとしてっ・・・幸せを掴むっ・・・!  
そあらもっ・・・こよみもっ・・・うららでさえ劇中ではっ・・・掴めなかった幸せをっ・・・!  
 
・・・私が・・・この手で掴むっ!  
 
「やりますっっ!!!」  
羽美としえはこの瞬間、世界で最も利害が一致する人間同士だった。  
 
すずの提案で、勝負の場には改蔵を直接同席させない運びとなった。  
文句を言う改蔵。すずは妥協案として彼に、衝立の布越しに映った影を通じて観戦する事を許した。  
「ごめんね改蔵くん。乳首見たかったでしょうに。」  
「いいですよ別に。二人とも見た事あるし...。」  
承諾した改蔵の様子は、それでもまだ不満げであった。  
「まぁ…この場にいる男で残っていいのはオレだけですし。」  
 
向かい合って――礼。それぞれが上着を、ブラウスを、そして果実を包む下着を取って  
上半身を曝け出す。乳房と、若々しい小さな乳首が姿を見せる。  
「ねぇしえちゃん、この布の向こうには改蔵がいるのよ。少しは恥らったら?」  
「羽美ちゃんこそ、そんな貧弱なおっぱいで恥ずかしくないの?」  
空気が張り詰める。浮かぶ笑みはどちらも不敵。竜虎の激突。  
AAカップ対Bカップの戦い。しかし今日は胸の大きさを競う場ではない。  
「洗濯バサミ使ったら痛いし、二人とも可哀相だからね。これを代わりに使うわ。」  
すずは懐から、空になった香○養楽多の容器を取り出した。それらは糸で結ばれている。  
「中の空気を抜いて乳首に当てるの。それでお互いに容器についた糸を胸だけで引っ張って、  
 相手の容器を胸から取った方の勝ち。自分のが取れたら負け。簡単でしょう?」  
「いいですけど、それどこの製品なんですか?見た事ないけど…」  
呆れ顔で、しえが言った。  
 
「細かい事はいいじゃない。じゃ…始めっ!」  
審判の合図で、両者互いに香○養楽多の容器を引っ張った。  
 
中の空気をライターで炙って追い出しただけの香○養楽多の容器が、  
これほど乳房を、そして乳首を強烈に吸引すると誰が予測しえたであろうか。  
香○養楽多の容器が羽美としえの柔らかい乳房を飲み込み、その先端に血流を引きずり込む。  
見た目よりずっと強い刺激が、二人の乳首を蹂躙する。  
潤った改蔵の唇に乳房を吸われる時よりもずっと強い刺激。乾いた刺激。  
少し痛い。とても切ない。そんな思いが流入し、乳首の感覚はさらに強まって行く。  
涙が滲む。相手も同じ。相手も必死に耐えている。  
負けられない。傍目には例え下らない勝負だったとしても。  
――改蔵が、  
――改蔵くんが、  
好き。世界で一番大好き。だから譲れない、絶対に。  
改蔵(くん)、貴方は私をどう見てるの…  
 
紅潮した面持ちと真剣な眼差しを湛え、改蔵は衝立の影に写る羽美としえの乳房を眺めていた。  
――影越しっていうのも、中々乙なものだ。  
 
上半身裸のまま、愕然とする羽美。同じく上半身裸のまま、涙を拭いて彼女を見下ろすしえ。  
わなわなと羽美の唇が震えたと思うと、彼女はブラジャーもろくに纏わぬままブラウスを乱暴に  
引き寄せ、上着を羽織り辛うじて乳首を隠す。  
すずの制止をも振り切り、羽美は溢れ出る涙さえ拭おうともせずに大声で泣き喚きながら  
乳首道場を飛び出して行った。  
 
「あーあ羽美ちゃん、可哀相に…」  
少しだけ同情を寄せたすずだったが、改蔵の意見は違っていた。  
「勝負を受けたのはアイツですよ博士。勝負を受けた以上、その結果は絶対です。  
 アイツ昔からワガママだったから、丁度いい薬です。」  
いつの間にやら改蔵は衝立のこちら側に移動している。まだ乳房を曝け出したままだったしえが  
両腕で胸を隠そうとするより早く、改蔵は彼女の背後に歩み寄り、愛らしい胸を掌中に収めた。  
「それにしても、やっぱり直接見たかったな…。」  
そのまま指先で激闘を勝ち抜いたしえの乳首を摘み、軽く捻ってみる。  
「影越しでも見られたんだからいいじゃない。テキストでしか見られなかった人たちはもっと可哀相よ。」  
「それもそうです。情景を目で見られなくて残念ですよね、テキストじゃ。」  
しえが痛みの為か顔を顰めたので、改蔵は手を反対の乳首に持ち替える。  
それはすぐに硬直し、しえの頬に赤みが差し、甘ったるい吐息が漏れる。  
「駄目…よ…。部長…さん…が…見てる…あんっ!」  
まだ痛みの残る方の乳首を掌で優しく包まれ、刺激と痺れを同時に受け止めたしえが鳴く。  
目の前で繰り広げられる睦み合いすら、すずの表情を微塵も動じさせない。  
「改蔵くん、あっちの医務室のベッドが空いてるわよ。何故か避妊具もあるけど。」  
「いい、よ…。今日は…改蔵くんと私…特別な日に…なりそう…だから…」  
潤んだ瞳で吐息混じりに自身を見つめるしえを抱え上げ、改蔵は医務室の扉の向こう側へと消えて行く。  
そして――  
少女の啜り泣きと、絶頂の叫びと、暫し訪れる静寂の終わらないワルツが薄い壁を隔てて鳴り響いた。  
 
「やるわね改蔵くん、結婚なんかするつもりもないのに…」  
道場に一人立つその女彩園すずは、鳴り続ける三拍子を耳にしてもあくまで無表情だった。  
 
 
――憎い。辛い。悲しい。この世界で、私はとうとう独りぼっち。  
  自分が傷つく位なら、いっそ他人を傷つけて――  
 
「あ〜あ、結局今日も会えなかった…。」  
地丹は薄暗い夜道を一人歩いていた。通り魔注意の張り紙を横目でちらと眺める。  
カリヨン化学謹製の乳首クリームをすずから強奪した地丹だったが、彼は結局愛しの君である  
泊亜留美嬢に直接手渡しする事が出来なかった。当然であろう。  
仮に「これは乳首の色をキレイにするクリームだよ」などと言って物を送りつける男性が居たとして、  
その人物に好意を抱く女性など存在するであろうか。  
それは主観的にも客観的にも、変態行為の誹りを免れまい。  
地丹少年の取った行動は、勝手知ったる亜留美嬢の留守を見計らって部屋に侵入し、  
置き書きと共にクリームを彼女の勉強机に残すという、ごく平凡な手法だった。  
今は誰も居ない自宅へ戻る途中である。  
予算不足のせいか古くなった街灯が、所々で切れかけていた。  
 
――…はいかが…  
地丹の足が止まる。声が聞こえたようである。幻聴か?  
いや、例え幻聴だったとしても、それは徐々にハッキリと聞こえるようになって来る。  
――ァスは如何?  
おかしい。街灯が何時の間にやら殆ど消えている。今、残った最後の明りも…。  
何かが居た。が、街灯が全て消え、その影も闇に溶け込んでしまった。  
闇。闇。闇。太古の記憶に刻まれた本能を呼び覚まし、表層の意識も、理性をも溶かし込む闇。  
自分の手足すら、はっきりとは視覚できない。普段からそこに「ある」ように錯覚しているだけだ。  
包み込む闇の何処からか響く声が、ようやく聞き取れた。  
「ピアスはいかが?」  
 
長い黒髪の、線の細い女。闇の中でさえ黒く渦巻くその形状から、聞き覚えのある声が呼びかけて来る。  
闇に浮かんだ女の顔。能面のように白く、此岸と彼岸の境界に位置するその表情。  
「乳首にピアスは、い〜か〜が〜か〜し〜ら〜?」  
雲が晴れ、月光が彼女の全身を照らす。上着の前をはだけ、右手にカッター、左手には千枚通し。  
そんな羽美が目を細め口元を歪めると、唇が耳近くまで  
ぱっくりと  
裂ける。笑う。響き渡る。地丹の服が裂かれ、胸元を露出させる。  
「ひぃっ!! かきはらですか?!」  
「あ〜け〜る〜の〜! ちくび刺〜す〜の〜!!」  
「うわーっ!! 助けてイチ〜〜〜っ!!!」  
走る。逃げる。追いかける。追いついて、向き合って――  
断末魔の絶叫。月光に照らされた舗装道路に、粘り気のある暗い液体が滴った。  
 
 
翌日の部室で。  
改蔵とすずは放課後、取り留めのない話をしていた。  
「ねぇ改蔵くん、寺Oの乳首ってキレイだと思わない?」  
雑誌『モー』から目を上げた改蔵は、やや食傷気味にすずの話を受ける。  
「すもう取りですか? プロレスラーもキレイですよ、O川良成とか。でも…」  
「でも?」  
さり気なく身を乗り出したすずに、改蔵は『モー』を畳んで答えた。  
「男の乳首だと、何で全然嬉しくないんでしょうね。女人でも嬉しがる者はいませんよ。」  
もっともな改蔵の意見。すずはしばらく唸ったが、やがて爽やかに答えた。  
「MHK大河ドラマの脚本家、彼女を忘れてない?改蔵くん。」  
 
<終>  
 

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