「騙された事ってありませんか?」科特部の部室でオレは皆に呼びかけていた。
怪訝そうにオレを見る面々に向かって、オレはもう一度呼びかけた。
「名前に騙された事ってありませんか?」
「おそらく何かあったのね、改蔵くん」
最初に口を開いたのは博士だった。勿論オレだけが彼女をそう呼び、他のメンバー、
羽美と地丹は彼女を部長と呼ぶ。
彼女は聡明だから、すぐにオレの言いたい事を理解してくれる。
「何かを買って、期待した内容と全然違ったとかいう話じゃないの?」
「そうなんですよ。たとえば銀行、UF○って何ですか?三○銀行と○海銀行じゃないですか。
新製品の牛乳が出たと思ったら中身アレですし。引○天功なんて名前だけ見たら
男だと思い込んでしまいますよ!」
呆れ顔であさっての方角を見ながら、地丹が呟いた。
「それって改蔵くんが社会情勢に疎いって事では…」
それを無視して話を続けようとするオレに、今度は博士が口を挟んだ。
「確かにそうね。ところで改蔵くんが騙された物って一体何なの?」
さすが博士だ。話の持って行きかたが抜群にうまい。場の空気を読む能力に長けているのだろうか。
こういう点は羽美にも見習って欲しいものだ。
オレは鞄から、一冊の漫画本を取り出した。羽美がそれを手に取り、表題を眺めて言う。
「何よ、某漫画家が描いてたアイスホッケー漫画じゃないの。あ、分かった。
アイスホッケー部なのにアイスホッケーやってないから騙されたって言うんでしょ。」
オレ達は羽美を冷たい目で見る。普段オレ達が馬鹿にしている地丹までもが同じ目になっていた。
その意味を理解しかねたようで、羽美は見当違いの弁解を始めた。
「何よ、サンデーで10年描いている漫画家を馬鹿にするなって事?」
違うよ羽美、もう一度そのタイトルを良く見てみろ。
暫くすると羽美は驚嘆の叫び声を上げた。気付くのが遅いよ。
オレが買った漫画のタイトルは『"喜国"アイスホッケー部』だった。
「何よこの絵柄。某漫画家と全然違うじゃない!」
中身を見ながら羽美が感想を述べる。そりゃそうだろう、作者が違うのだから。
「オレも最初、某漫画家の作品と思って買ったのだ。ところがどっこい、YSの先生だったって訳だ。」
「へー、でもこれ物凄く面白いわね。」
漫画に没頭する羽美を尻目に、博士が喋り出した。
「なるほど、ややこしい名前に騙される事ってよくあるわよね。たとえば土産物屋のマグカップとか…」
マグカップと言うのは有名な飲料缶のデザインを模ったものの事だが、よく見ると名前の綴りが
微妙にオリジナルと違っている事が多い。
(例:B0SS→BUSS、Cok@Col@→CokeCol@、等)
「ねえ、有名企業に喧嘩売るような真似は止めなよ。」
地丹が言う。気の小さい奴だ、それにしても何故オレの考えが分かるのだろう。もしやオレはサトラレ?
「まあ他にも温泉とかそうね。源泉を1%でも混ぜれば、ハッキリ言ってただのお湯でも温泉を名乗っていいし。」
それだ、羊頭狗肉、あるいは名前負けという奴だ。やはり博士はオレの言いたい事を先取りしてくれる。
「それですよ。名前負けは無自覚に人を名前で騙します。」
そう言うとオレは先程から所在なさそうにしている地丹に向かって声を掛けた。
「お前、名前負けしてるよな。」
「なにぃ?!」
地丹をアルファベットに直すとTITAN。ギリシャ神話に出てくる巨人族の名である。つまり
「名前だけなら巨人を連想するけど、オマエ小さい人だもんな。」
それを聞くと地丹は白目を剥き、奇声を発しながらどこかへと去って行った。
何時の間にか漫画を読み終えた羽美がその様子を見てぷっと吹き出す。
「なっさけな〜。」人の事は言えないだろう、お前は。
「お前だって『羽美』って名前で人を騙しているだろう。『美』って全然美しくないし。」
「なんですってぇ!!」彼女はオレの首を両手で掴み、思い切り締め上げた。
「いいわよ!どうせ私は"美しく"ないもん!改蔵のバカッ!!」
そう叫び目に涙を溜めて走り去る羽美の姿を、オレは回復しつつある意識の中で確かめた。
「あんまり羽美ちゃん苛めちゃダメよ。」目の前にいる部長がオレを嗜める。
起き上がり、呼吸を整える。まだ喉が少々痛む。
「あいつなら大丈夫ですよ。何だかんだ言っても立ち直りは早いですし。
それより世に蔓延る名前で騙す諸々を探しに行きましょう。」
「そう、じゃあついて行ってみようかな。」
この人はいつも、面白そうなものがあると目を輝かせてついて来る。裏でかなり悪どい事にも
手を染めている様だが、好奇心旺盛な彼女はこんな時少女のように(実際少女なのだが)可愛らしく見える。
オレと博士は連れ立って町に出掛けた。
公園で会話している高校生らしきカップルにオレ達は注目した。どうって事ない平凡なものだったが
何かがオレの直感に引っ掛かる。そのまま会話の内容に注目する事にした。
「ねえ、あんたまた追試なんだって?さとし。」
「うっせーよ。それを言うなとしこ。」
「それだ!」オレは物陰から飛び出し、カップルの前に立った。
「頭の悪い聡!口の悪い淑子!オマエら名前で騙してるだろう!」
高らかに宣言するオレを背にして、カップルは走り去って行った。
電器店のテレビが、国会中継をやっている。学校の放課後にしては珍しい光景だ。
確か重要法案の可否を巡って、与党と野党が対立したまま開催期限を過ぎようとしているらしい。
眼鏡をかけたずんぐりとした議員が、質問に答えるべく席を立つ様子が映った。
字幕が出る。オレはその名に注目しつつ、彼の言動を観察した。彼の答弁は矢鱈滅多らうるさい。
「それだ!うるさく騒ぐしずか、オマエ名前で人を騙してるだろう!」
距離を置いて追いて来る博士を背に、オレは意気揚々とその場を立ち去った。
ガリガリに痩せた猫背の男が歩いている。それだけでも異様な風体だが、彼はさらに先の丸い
アンテナを頭に生やしていた。
どうやら知り合いらしき学ランの少年が彼に呼びかける。
「探しましたよ、つよしさん。」
「それだ!」オレは物陰から飛び出し、アンテナ男の前に立った。
「貧弱なつよし、オマエ名前で騙してるだろう!」
だがアンテナ男はオレを鼻で笑い飛ばすと、ポケットから何やら紙包みを取り出した。
そして中身を一気に飲み干す。おいおい、粉薬を水なしで飲んでるよコイツ。
男の眼に怪しげな光が宿った。何だか細い腕が心なしか太くなっているような…
次にアンテナ男が呟いた一言は、色々な意味でヤバいものを含んでいた。
「オ○レにいさ〜ん…」
「分かった!分かったから!オレが悪かったから!」
先刻とは打って変わって筋骨隆々とした肉体に変化した男から、オレは命からがら逃げ出した。
物陰から様子を窺っていた博士が、息を切らしたオレに向かって言う。
「危ないじゃない、他の漫画の登場人物をいじくったら。」
確かにそうだ。それに名前と人物が一致しないケースを挙げるのにも飽きて来た。
博士はそんなオレの様子を見て、学校へと足を向け始めた。
「今日はここまでのようね。楽しみは後に取っておきましょう。」
ちょうどその時、書店の紙袋を持った地丹が通りがかった。
「あら地丹くん、ちょうどいい所に。」
博士にとって何がちょうど良かったのかオレには分からなかった。博士を見ると彼女は
ゴミ捨て場を指差している。そこには大量の鞄が山と積まれていた。
「まだ新品同然よ、あれ。売れば幾らかにはなると思うけど、地丹くんが持って行っていいわよ。」
「本当ですか?売れたら何かご馳走しますね!」
地丹はすぐさま台車をどこからか持って来て、どこかへと鞄を運んで行った。
その姿を見て微笑む博士にオレは恐る恐る問う。
「博士、あれって名前で騙す鞄じゃないですか…」
「何の事かしら。」
これ以上突っ込んだ質問をしても答えてくれる博士ではないとオレは知っている。
「それじゃあ私は帰るけど、気をつけてね。
そうそう、地丹くんが本を持っていた事だし、話を続けたかったら書店にでも向かえば?」
彼女はオレに別れの挨拶をし、再び学校へと足を向けた。
書店か。何か面白い物が見つかるかも知れないな。オレは勝手知ったる某書店へと歩いて行った。
閑話。
最強伝説○沢って、主人公滅茶苦茶弱いよな。
"少年"漫画なのに、最近は婦女子狙いの作品が多い。テニ○リ、ヒ○ルの碁
×ファイルって、どう見ても解決している事件多すぎ。理屈まで一般人に説明できるのもあるし。
一体どこが『1stのリメイク』なんだよ。MSをガ○ダムって呼んでるの一人だけだろ。
閑話休題。
今号の『モー』はまだ発売されていなかったので、オレは同人誌のコーナーへ足を運んだ。
同人作家は星の数ほどこの世にいるので、もしかしたら自分の好みに合った作品が見つかるかも知れない。
ある意味、宝探しだ。そう思っていた所、オレはある同人誌に注目した。
絵が、どこかで見たようなタッチだったのだ。オレはタイトルと、作者を確認した。
『哭きの○カル 〜神崎さとる〜』
オレはその本を手に取り会計を済ませると、一目散にクラスメートの家に走った。
直感に訴えるそれを頼りに、オレは『神崎』と書かれた表札の前に立った。
呼び鈴を鳴らすとその女、神崎美智子がオレを出迎えた。
「ダメよ改蔵くん、今日は両親が早く帰って来るから…」
「ゴメン、今日はその用事じゃない。上がってもいいか?」
「変な事しなかったらいいけど…」
オレは返答を聞くや否や、彼女の部屋に上がりこんだ。意外と片付いており、本棚にも
漫画やアニメサントラの類は見受けられない。だがオレには分かるぞ。
「なぁ、この漫画の作者って美智子だろ?」
背後霊と少年が目を伏せ、将棋盤を前にして座っている構図の絵が紙袋から出て来た時、
彼女の顔がみるみる青ざめて行く様子がはっきりと分かった。
「そ、その神崎さとるって言う人、私じゃないもん!」
面白い程動揺している。オレはさらに話を続けた。
「名前で人を騙してるよな。『さとる』なんて男の名前だろ。」
「…ち…違うもん、私『さとる』なんてペンネーム使った事ないもん!」
語るに落ちたな。お前は自分で、ペンネームを使った経験があると白状したようなもんだ。
オレはその事をわざと追求せず、起動している彼女のデスクトップに手を触れる。
メールソフトを起動させると、新着メールの表示があった。一件開いてみる。
こんにちは、そして初めまして。私はマンガ大好きな中二女子です。
神崎先生の『哭きのヒカ○』、すっごく面白いです。采がカッコイイ!!
それから「あンた、背中に何か居るぜ」ってセリフ、もう感激〜〜!
「違うもん、それ間違いメールよ!」
見苦しく開き直る美智子に向かって、オレは意地悪く聞き返した。
「ほう、これがメグ=ライアンからのメールだとでも言うつもりか、それなら…」
ブラウザを立ち上げ、"神崎さとる 同人 哭きのヒ○ル"と入力し、検索結果を待つ。
掲示板を暫く眺めた後、オレは適当なページのファイル名を保存し、彼女のHDからそのファイルを検索した。
ビンゴだ。日付がWeb上のページよりも新しいドキュメントだった。おそらく更新用のページだろう。
青ざめた様子でオレの行動を見守っていた美智子が、その場にへたり込んだ。
オレは穏やかな笑みを浮かべて美智子に語りかける。
「お前18禁作品も描いていたんだな、未成年のクセに。」
彼女は懇願するようにオレの足へとしがみ付いた。
「お願い…この事は誰にも言わないで…」
後はもう、面白いように美智子はオレの言いなりになっていた。
彼女自身で服を脱いでもらい、オレの着衣も彼女の手で脱がせる。
彼女は進んでオレに奉仕してくれる。お返しにオレが彼女の鋭敏な箇所を触ると、その度に甘い声を漏らす。
口でオレの欲望を受け止めた所で、親が帰って来るからと打ち止めにしようとする美智子の脚を開き、
中へと肉を割って入っていった。
オレの動きに随分いい反応を示して、肌を重ねると抱き締めてくれる。それはそうだろう。
家の門に立つオレの姿を見て、本来オレがここに来た目的を自分との情事だと早とちりした位だ。
今、お前の飢えを満たしてやるからな。
全身を戦慄かせ、弓なりに身体を曲げる美智子の奥深くでオレは達した。
「約束だよ、絶対人には言わないでね。」
念を押す美智子の唇を、オレは自分の口で塞いだ。
家人が帰ってきた神崎家からそそくさと退散した後、オレはまだ街をぶらついていた。
時計と風景が、日没を知らせてくれた。家路を急ぐサラリーマンの姿が目立つようになる。
背の低いクラスメートを乗せたパトカーがオレの傍を通り過ぎて行く。
鞄は人を騙す事が出来ても、あいつは人を騙せる器じゃない。
美智子との情事が余韻を楽しむ暇もなく終わったからか、オレの中で燻るものが残っていた。
ふとオレはこちらを見ていると思しき視線を感じる。その先には女が一人立っていた。
薄暗がりで顔が良く見えないが、どうもベレー帽の娘が気になって仕方ない。
「オレに何か用か?そんな所に突っ立ってないで、こっちに来いよ。」
声を掛けると、その女はゆっくりとオレの前に歩み寄って来た。
眼鏡を掛けていて大人びた雰囲気に色香が漂い、既に雰囲気が只者ではない。
「ええ、そうよ。何となくだけど、あなた私が欲しい物を持ってそうな気がしたから。」
大人しい物腰に落ち着いた口調。だが実年齢はオレと同じ位だろう。
「名前、教えてくれよ。」
「…マニコ…って呼ばれてるわ。あなたは?」
「オレか?オレは勝改蔵。よろしく。」
オレはマニコさんと連れ立って、街を歩いていた。聞くところによると、
彼女は女子高の学生らしい。俺は彼女に、何故ついて来る気になったのか尋ねてみた。
「ここで私があなたと出逢ったのも、何かの縁。その出会いを大切にしたいとは思わない?」
ほう、そう来たか。オレは一つ、質問をぶつけてみた。
「その縁が例えば一夜限りのものだったとしても、君は後悔しないのか?」
オレの言いたい事を察知したらしく、彼女はウィンクしながら切り出した。
「いい所にでも連れて行ってくれる訳?」
「いい所って言うか、いい事なんだがな。」
オレ達は数あるホテル群の中から一軒を選び、中へと入って行った。
オレの記憶が確かなら、そこの名前は『ブラックホークダウン』だったと思う。
とにかくマニコさんは積極的だった。
博士を除く大抵の女の子だったらオレの為すが侭になる所を、彼女はオレの胸板を触るとか
耳朶を甘噛みするとか、オレのものを扱きながら鎖骨に舌を這わす等
オレを責め続けるような、情熱的な動きで行為を楽しんでいるようだった。
こんな女人は随分久し振りだ。体型が若干幼かったが、全然気にならなかった。
暖かいマニコさんの膣で、オレは果てた。
彼女は上に乗り、まるで締め付けるようにオレを咥え込んで動いていたのだが
最後の方でスタミナが尽き、オレの手助けで昇天した。
腰は楽だったが、彼女を満足させる前に放出してしまわないか、それだけが心配だった。
マニコさんはオレに体重を預け、喘ぎ声とともに耳元で甘ったるく囁いてくる。
「…ねえ…君、…彼女とか…いる?」
あれだけの激しい行為を遂げたと言うのに、彼女は眼鏡を掛けたままである。
「いないよ」
素っ気無くオレは答えた。一瞬マニコさんが寂しそうに微笑んだ気がした。
「マニコさんは?」
「…いるよ。」意外な返事だった。何か言おうとするオレの意図を挫くかのように、
彼女は立ち上がった。
「シャワー…浴びてくるね。」
全裸のまま、彼女は浴室へと消えて行った。
どうも気になる。マニコさんの彼ってどんな奴なんだろう。
浴室から水音が聞こえて来た事を幸いに、オレは彼女の身分を確かめるべく、鞄の中を
覗き込んで見た。それほど物を持っている訳でもなさそうだったが、あるものがオレの目に留まった。
--携帯電話だ。
オレはその着歴を見てみた。最新のものでも2ヶ月前、古いのでは半年以上経過している。
背筋が凍った。オレは確か、こんな哀れなケータイを何処かで見た記憶がある。
疑念を抱きつつ、オレはメモリー登録を開いてみる。
疑惑は確信に変わった。
あおやま
小GLAY
貞子
小夜子
玉川
チクロ
………
原
よしえ
………
J子
「知ったな。」
聞き覚えのある声がオレを驚かせた。その方向へと、恐る恐る顔を向ける。
バスローブを身に纏い包丁を握り締めた羽美が、鬼の形相でオレを睨みつけている。
「彼女、いないんだって?…私、あんたの一体何なの?!」
もっと早くマニコさんの正体に気付くべきだったと悔やまれる。何故分からなかったのか。
そう、オレは――
「な…名前に騙されたぁぁぁぁっ!!!」
オレの視界に、羽美が殺意を持って飛び込んでくる様子がスローモーションのように映った。
「あーあ、可哀想に。騙す人に付け込む人間もまた、騙されるって訳ね。」
惨劇をホテルの一室でモニターしていたすずは、そこで画面を切った。
「それにしても、地丹くん私の名前をゲロしちゃってないかなぁ。
ヘマ打たないように、言葉には気を付けたつもりだったけど。」
すずは救急車の手配を済ませると、誰にも気付かれないようにホテルの裏口から去って行った。
(終)