「ねえ改蔵君。私アレが来ないんだけど。」  
 
昼休みの教室、その娘は、弁当を食べている俺のところに来てだしぬけに言った。  
「どうしたらいいと思う?」  
と言いながら首を少しかしげる。それにつれて、房毛の髪がふぁさっと揺れる。  
「…アレって…。」  
「生理よ。ね、どうしようか?」  
俺はちらと羽美のほうを見る。箸をとめて、蛇のような目つきでこちらの様子を伺っている。  
珍しく羽美と比較的親しい(あくまで「比較的」だが)クラスメートのこの娘が、羽美にわざと聞こえ  
る声で喋っているのに理由があるのは明らかだ。  
「羽美に聞こえるような声で喋っているということをクラス全体に知らせようとしている」と言ったほ  
うが正しいのかもしれないが。それが意図することはいろいろありそうだ。宣戦布告。交際宣言。カン  
パ要請。その他。  
表情は特に俺を非難するようでもない。普通の相談事をしているっぽい、困っているが平静な態度。  
 
彼女の生理が遅れていることに関しては…もちろん、身に覚えはいっぱいある。  
「医者に、行ったら、どうかな?」  
「行っても良いけど。検査して出来ちゃってたら?産んでいい?」  
羽美はガタンと大きな音を立てて席を立つ。食べかけの弁当箱を持って教室を出た。おそらく屋上に行  
くのだろう。教室がざわめきだす。何人かの女の子が、目に涙をためてこっちを見ている。…身に覚え  
のある女の子達だ。  
 
検査薬を持ってた娘がいたので、使わせてもらった。陰性。でも、6日遅れてる。どう判断するか…。  
あくる日カンパが始まった。神崎さんがカンパ箱を持ってあちこち回る。  
「ね、これこれこういうわけなんだけど…。カンパしてくんない?」  
一日で結構集まった。この調子なら何とかなりそうだ。  
とりあえず次の日医者に行くことになった。もちろん俺は付きそって行かなければならない。  
 
よし子先生が体調を崩して休んでいたので、職員室まで別の先生に、その娘と二人して休みを貰いに行  
くことにした。途中で羽美とすれ違った。女の子二人の視線が絡み合う。無言。  
羽美が見えなくなった後、彼女がぼそっと呟いた。  
「…羽美ちゃんに悪いことしたかな?」  
妙に乾いた口調だ。もちろん彼女は俺が羽美とも肉体関係があるのは知っている。高みから見下ろした  
余裕の同情。そんな考えが俺に浮かんだとき、彼女は急におなかを抱えてうずくまった。  
「なんだ?羽美がなんかしかけたのか?」  
額に脂汗をかいている。子宮外妊娠とか、あまり知識の無い色々な症状が思い浮かぶ。職員室に行く前  
に、保健室に行かなければならなかった。  
その日の担当は幸い女医だった。48歳。  
「あの…まさか、命にかかわったりとか…」  
診察を終えた保険医に俺は訊いた。ところが保険医ははぁ?という顔をして答えた。  
「なにそれ?あれはね、単なる生理痛よ。生理痛。遅れたら重くなるタイプね。」  
今度は俺がはぁ?という顔をする番だった。  
 
あの娘が落ち込んだのは可哀想だが、俺としては一安心していたら、翌日の昼休みに別な娘が来た。  
「勝センパイ、あたし、アレが遅れてるんですけどぉ…。」  
結局、蛇のような目でそれを睨みつける女が、羽美一人から二人に増えただけだ。  
そんなことがその日のうちに2件あった。週末までに7件になった。色々ややこしいことになってくる。  
 
「とにかく改蔵君の所に行って『生理が遅れている』と宣言すれば、何か自分が改蔵君獲得レースで優  
位に立てるんじゃないかっていう認識が、女の子達の間に確立しちゃったみたいね。」  
最初の爆弾発言から8日経っていた。部室でげんなりしていると、博士がそう解説する。  
「でも、身に覚えの無い子もいるんですよ。」  
「真実はどうでもいいのよ。噂を広まらせるのが重要なの、こういうことはね。ま、地道に一件ずつ噂  
の火を消していくしかないわね。」  
 
地丹がいい気味だと言う表情で言う。  
「身から出た錆って、こういうことを言うんですよね、部長。」  
「おまえからは錆も鯖も出そうに無いがな。」  
地丹がしゃーっと蛇の威嚇音のような声を上げる。と、羽美が部室に入ってきた。  
部室内に緊張が走る。  
羽美は、無言で入ってきて、無言でロッカーを探し、無言でバインダーを見つけて持ち去った。  
緊張が解ける。地丹はくひひと笑いながら羽美の後を追いかけるように出て行った。  
博士が尋ねた。  
「改蔵君、羽美ちゃんにきちんとケアしてあげてるの?夜、エッチのほうは手を抜いたりしてない?」  
「ていうか、最近はあいつ、俺が『しよう』って言っても拒否するんですよ。かれこれ一ヶ月。まあ、  
俺の女関係に勘づいていたっぽいんですよね、そのころから。抗議のつもりなのかなあと。」  
「…深刻ね。こりゃ時間かかるわよ。覚悟しといた方が良いわね。でも、キレたり逆上して実力行使に  
出ないのは何故なのかしら。『本妻』としての余裕なのかな?」  
「本妻って。実力行使はしてると思いますよ。最近帰りが早いのは、妊娠の話の出た女の子に呪いでも  
かけてるんじゃないかって噂が…最初の娘だって、俺は一瞬、羽美がなんかしかけてきたのかと」  
そこに地丹が急に戻ってきた。喜色満面だ。  
「改蔵君。ぐふふ。よし子先生がお呼びですよ。例の件だそうで。いよいよ退学かなぁ?」  
 
よし子先生は職員室ではなく進路指導室にいた。ここなら一対一で話が出来る。  
「改蔵君、座って。」  
「はあ。」  
「いろいろ噂は聞いたわよ。妊娠騒動。あれどこまで本当なの?」  
「一部本当なのもあるし、まるっきりのでまかせもありますよ。妊娠確定したのは一件もないです。」  
「…そう。大変ね、改蔵君も。モテると面倒なことが多いのね…。」  
机をとんとんとんと叩きながら彼女は窓を見ている。この癖は、なにか迷ってるときの彼女の癖だ。  
「…でね、改蔵君…。大変な所、面倒を増やして申し訳ないんだけど…私も、アレが、遅れてるの。」  
もちろん、身に覚えが、あったりするのだ。  
 
俺はなぜかマーフィーの法則などを思い浮かべていた。  
「ごめんね。カンパとか慰謝料とかじゃないのよ。教師が生徒にそんなこと要求しないわ。そうじゃな  
いの、ただ、知っておいてもらいたいの…あと、医者に付いて来て欲しいんだけど。駄目かな?」  
駄目も何も無いだろう。えらいことになったと思いながら、その日の放課後、皆に気づかれないように  
とらうま町から遠く離れた病院の婦人科を訪ねた。  
さしものよし子先生もこのときばかりはセーラー服は着ていかなかった。随分と長い待ち時間で、待合  
の場所に男一人でいるのは大変目立ったが、やがて先生は検査を終えて出てきた。  
「どうでした?」  
俺は心配した。先生の表情が変なのだ。安堵でもなければ落胆でもない、怒りのようなの失望ような表  
情。いったい何があったのか?重ねて訊くと、彼女は何かぼそぼそっと呟いた。  
「…ですって。」  
聞き取れなかった。  
「はい?」  
「更年期ですって。こ、う、ね、ん、き!」  
先生がキレた。涙声になっている。両手を白くなるほど握り締めてプルプル震えている。  
「藪医者!更年期って何よ!私、私…まだ26なのよ!そりゃ生活は荒れてるし、不摂生だけど…。」  
こないだ27になったじゃないかという突っ込みはやめた。先生は俺に抱きついて泣き出した。  
「あーん、くやしいー!もーやだー。ビールもパチンコも止めるー。だから私に若さを返してー!」  
病院の待合室は、何事かと見物人で一杯になった。  
 
二日後。今日は女の子とのトラブルもなく、平和な一日だった。羽美が学校を休んでるせいもあるが。  
どうも羽美が今日学校を休んだのはサバトの儀式を行ってるせいだとの噂だ。困ったもんだ。  
「それも原因は改蔵君。だいたい、私の予想を遥かに越えていたわ、改蔵君の『交際範囲』は。」  
放課後、部室で博士が珍しく俺に長々と文句を言っている。  
「それにさぁ。」  
博士は急に顔を近づける。俺の目の奥をじっと見つめる。  
「私とするときだけ、『必ず毎回』ゴムつけていたって、どういう事?」  
文句の原因はそれか。たまたま、って言っても信じてくれないだろう。  
 
「…さて、そろそろ帰るかな。羽美のサバトの儀式を止めないといけないし。」  
俺は見え透いたごまかしをした。博士は判った上でそれ以上追求しない。大人だ。  
「羽美ちゃんとちゃんと仲直りしなさいよ。後引くと、大変よ。」  
「そーですね。わかってます。じゃ。」  
俺は部室を出て、帰途につく。途中の道で、  
「改蔵君、じゃーねー。」  
と、自転車で追い抜ぬく影があった。後姿、房毛が風になびく。あれから彼女は俺と面と向かっては口  
をきいていない。やはり気まずいのだろう。  
よし子先生が駅前で待っていた。周りを見回して確認してから耳元で囁く。  
「アレ、来たから。もう心配しないで。じゃね。」  
セーラー服を翻してパタパタ駆けてゆく。なんか随分と若返ったようだ。  
 
帰り道、なんか大変な10日間だったなーと考えた。結局、実際に妊娠していた女の子は一人もいなか  
ったわけだが。でもトラブルは終息していない。一番気になるのは、今朝、羽美とうちの母親が何か俺  
に秘密で相談していたことだ。二人共謀して、女の子達を呪い殺す式神符でも作ってるんじゃないか。  
まさかサバトの儀式はあるまい…。  
 
寄り道をしてからうちに帰った。母親が台所から顔を出す。  
「おかえり。もう御飯よ、部屋に行くのは食べてからにしなさい。」  
ダイニングには羽美がいた。式神符は作っていない。お帰りの挨拶もそこそこに話を切り出す。  
「あのね、今日学校休んだのはね、病院と区役所に行ってきたせいなの。」  
「病院?やっぱどっか悪いのか?」  
「ううん、病気じゃないんだけど…ほら。」  
というと、羽美は検査結果用紙と超音波写真を両手に持ちひらひらさせた。  
「7週目、ですって。昔風に言えば、妊娠2ヶ月。」  
ふと脇を見ると、区役所からの書類。その中に「母子健康手帳」の文字が。  
わが母親が御飯を盛って食卓に並べ始める。赤飯だ。羽美は幸せそうに微笑み、俺の手を取る。  
 
「これからもよろしくね、改蔵パパ。」 −完−  
 

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