二人が家族や店の従業員に祝福され結婚式を挙げてから2ヶ月が過ぎた6月。  
岡崎も入梅しジメジメした日が続いた。  
入浴を済ませた達彦は、今だ風呂に入っている桜子にやり残した仕事が  
あるからと言い残し一人誰もいない静まり返った帳場に座り右手に握っ  
ていた小瓶を眺めていた。  
達彦が右手に握り締めている小瓶。  
日中、岡崎に帰って来ていたキヨシから土産と言って貰った物だった。  
 
話はさかのぼり日中。  
雨は降っていないもののどんよりとした梅雨空が広がっていた。  
達彦は、仙吉と共に味噌蔵でたった今、国から支給され入って来たばか  
りの麻袋に入った大豆を手にとり見ていた。  
今だ大豆の統制経済が解除される見通しがつかず八丁味噌を仕込む事が  
出来ずにいた。  
「大将、仙吉さん。元気にしとりましたか?」  
黒い皮靴を履き縦じまの黒っぽいスーツに身を包み白い帽子を片手に味  
噌蔵にキヨシが入って来た。  
「キヨシ!」  
大豆を麻袋に戻し味噌蔵に入って来たキヨシの名前を呼び見る達彦。  
「大将、桜ちゃんと上手くやっとるんですか?」と不気味な笑みを浮か  
べながら達彦と仙吉の側にやって来た。  
「桜ちゃんを幸せにしんかったら何時でも奪いに来ますからね。」  
「それは、心配無用だ!キヨシ」  
「ほうですか?夜の夫婦の秘め事も上手くいっとられるんですか?」  
とキヨシは声のトーンを押さえヒソヒソ話へと変わっていった。  
達彦は、一瞬目を大きく見開き驚いた表情を浮かべたが皆が蔵に居る手前、  
冷静を装い「勿論」と即答したが、何処かキヨシには歯切れの悪い様に聞こえた。  
「ほうですか。大将、ちょっと俺の後を付いて来て下さい。」と言ってキヨシは  
蔵を出た。  
「仙吉さん、ちょっとキヨシと行ってきます」  
と言い残し達彦はキヨシの後を追った。  
 
今は人気のない水洗い場にキヨシは一人立っていた。  
「キヨシ、なんだ?」  
達彦がキヨシに声を掛けるとキヨシは振り向きスーツの右ポケットに手を入れたまま  
達彦に近づき左手で達彦の右手を持つとスーツの右ポケットから手を出し達彦の右手に  
小瓶を握らせた。  
「キヨシ!」  
達彦は自分の手に握らせた小瓶を見た。  
小瓶には、何か液体の様な物が入っていた。  
「大将が手にしとります小瓶の中には媚薬が入っとります。」  
「媚薬?」  
「はい。媚薬と言っても中身は、ジャスミンの香油ですけどね・・・」  
「ジャスミンの香油?」  
「大将、知っとられますか?ジャスミンは、愛の薬として古来から使われとりまして、  
通称、子宝の香油とも言われ・・・媚薬の効果もあれば・・・桜ちゃんの気持ちを  
和らげる効果の他に女ん人の体にも良いと言われとります。このジャスミンの香油を  
寝具に少し付けてもいいですし、風呂の中に少し垂らし入るだけで桜ちゃんだけじゃ  
なく、大将も疲れた体を癒せる効果があるそうです。」  
真剣な眼差しでキヨシの話に耳を傾け聞いていた達彦だが、心の中では桜子を妻に娶り  
桜子がつきのものの日以外は殆ど毎日の様に肌を合わせ愛し合う様になり3ケ月。  
初夜の晩と比べると大部、硬さと緊張が和らいで来たものの今だ受け身の桜子に達彦は  
共に肌を合わせ一つになる喜びを味わって貰いたい。  
桜子から自分を求めて欲しい。  
自分が施する愛撫に乱れ歓喜の歌声を聞いてみたいと思っていた所に、キヨシが媚薬を  
持ち自分の前に現れた。  
キヨシから遠慮せず香油を頂き試し、これを切っ掛けに桜子も変わってくれるのではないか?  
と思う自分と桜子を騙してまで媚薬を試していいのか?  
媚薬を使わずもっと時間を掛けて桜子の心と体を愛し開いていけば良いと思う自分の二人がいた。  
 
達彦は、迷いを消し去るかの用にキヨシの手に媚薬を返した。  
「お前の気持ちは嬉しいが、これを貰うわけにはいかん。それに・・・この問題は俺達夫婦の問題だ。」  
「夫婦の問題ちゅう事は、やっぱり桜ちゃんと夫婦の秘め事が上手くいっとらんですね。」  
真剣な眼差して達彦を見るキヨシ。  
「お前には関係ないだら。」  
「関係なくないですよ!大将と桜ちゃんとの夫婦の秘め事が上手くいっとらんちゅう事は、この山長の  
将来にも関わるちゅう事です。」  
キヨシは再び達彦に近づくと達彦の右手を取り手の平に小瓶をのせ握らせた。  
「確かに媚薬と言えばいかにもちゅう感じで響きが悪いかもしれんませんが、外国では良く疲れた心と  
体を癒したり心を落着かせる為にジャスミンの香油を寝具等に垂らし匂いを楽しんだりまた、ジャスミン  
の花を乾燥させた物をお茶にして匂いを楽しみながら飲んどるらしいですよ。これは、俺から大将への  
ご結婚祝いだと思って受け取って下さい。」  
「キヨシ・・・」  
「あと、それと・・・桜ちゃんに俺から土産だと言って渡しとって下さい。」と言ってキヨシはポケットの  
中に入れていた袋を取り出し達彦に渡した。  
「桜ちゃんには、ジャスミン茶の葉っぱです。気持ちを楽にしてくれたり、胃腸の働きを手助けしたり・・  
肩こり、二日酔いにも効くそうですよ!それと・・・大将、勿論媚薬効果もね」と語尾を小さくし達彦の耳元で  
ヒソヒソ話する様に言うと笑いながら通用門を出て行った。  
 
すると・・・  
「達彦さーん、達彦さーん。」  
通用門から職人達が店に出入りする入り口から桜子が出て来て達彦の名前を呼びながら達彦を探していた。  
達彦は、桜子が自分の名前を呼ぶ声に気づき慌てて手にしていた小瓶を袖下に隠し、手にはキヨシから貰った  
ジャスミン茶の葉だけを持っていた。  
「達彦さん、ここに居ったの?」  
水洗い場に居た達彦に気づいた桜子は、達彦の側に近寄った。  
「あっ!うん。」  
「何?達彦さんが手に持っとるの」  
達彦の手元を見ながら言う桜子。  
「あっ!これか・・・キヨシがお前に土産だと言って渡してくれって頼まれた。」  
達彦は桜子の目の前にキヨシから預かった袋の包みを桜子に渡した。  
桜子は達彦から袋の包みを受け取った。  
「キヨシ君が?キヨシ君、うちに来とったの?」  
「うん。さっき・・・フラっと味噌蔵に顔を出したと思ったら、すぐ帰っていった。」  
「ほう。それより、キヨシ君からのお土産ってなんだろう」桜子が達彦から受け取った袋の包みに目をやった。  
「ジャスミンのお茶だそうだ!」  
「ジャスミンのお茶?」  
「うん。キヨシの話では、飲みながらジャスミンの花の香りを楽しんどるだけで、心が落着いたりするそうだ。」  
「ほう。早速、今夜飲んでみよう。達彦さん。」  
「それより・・・桜子。俺を探しとったみたいだけど何かようか?」桜子との話をそらす達彦。  
「あっ!ほうほう。森山味噌さんがお見えになられたで、応接間にお通ししただら。」  
「ほうか。ありがとう。桜子」  
 
帳場に灯りをともし静まり返った店内に一人座り日中、キヨシから貰った小瓶を眺めていた。  
達彦の心は今だ迷っていた。  
桜子を騙してまで媚薬を使い抱いていいのか?  
媚薬を切っ掛けに桜子にも一つになる喜びを知って貰いたいと言う二つの気持ちが今だ拭いきれずにいた。  
「達彦さん。手伝う?」  
風呂に入っていた桜子が帳場に顔を覗かせた。  
達彦は、手にしていた媚薬を握り締め振り向き桜子を見た。  
「あっ。いや・・・今、終わった所だ。片付けたら直ぐ行くで、桜子、悪いが先に行っとってくれないか?」  
「うん。分かった。ねぇ、達彦さん」  
「うん?」  
「キヨシ君から貰ったジャスミンのお茶、飲ままい?」  
「ほうだな。」(おい、桜子・・・本当にキヨシから貰ったお茶を飲むのか?)躊躇いがちに言う達彦。  
「もしかして・・・達彦さん、キヨシ君から貰ったお茶を飲むの嫌?」  
(飲むのが嫌ちゅう訳じゃないが・・・お前、このお茶がどんなお茶か知っとるのか?知らないから言っとる  
んだよな!後で、知ったら偉く怒るよな!絶対に怒る。)  
「ほんな事ないよ!せっかくキヨシが珍しいお茶を持って来てくれたんだ・・・飲んでみんとなぁ。」と心の  
中で呟いてから言う達彦。  
「じゃ・・・私、ジャスミンのお茶を淹れに台所に行くで、達彦さん、居間に居って」  
「分かった。」  
桜子は、達彦の顔を見て微笑むと帳場を出た。  
そんな桜子の後ろ姿を見えなくなるまで達彦は見ていた。  
再び達彦は、右手に硬く握り締めていた手を開き小瓶を見た。  
達彦の心は既に決まっていた。  
桜子が今夜、キヨシから貰ったジャスミンのお茶を飲むと言うなら共にお茶を飲み効果をみてからジャスミンの  
香油を試してみようと思った。  
達彦は、再び右手に小瓶を握り立ち上がると帳場の灯りを消し、嘗て自分が使っていた部屋の机の中に小瓶を入れると  
真っ直ぐ居間に入り何時もの場所に腰を下ろした。  
 
一方台所に立つ桜子。  
薬缶に水を入れお湯を沸かしながらキヨシから貰ったジャスミン茶の葉が入っている袋を開けていた  
袋を開けた瞬間、甘い香りが桜子の鼻を擽った。  
「良い匂い。」  
不思議にジャスミン茶の葉から漂う甘い匂いを嗅いでいるだけで不思議に気持ちが落着いて来た。  
ジャスミン茶の葉か漂う香りに桜子が酔いしれている間にシュンシュンと湯気を放ちお湯が沸いていた。  
慌てで桜子は薬缶を持ち上げ鍋敷きの上に置くと茶箪笥から紅茶用のカップを取り出した。  
急須にジャスミンの葉を入れお湯を注ぐとなおも一層、湯気と共に甘い匂いが桜子を包んだ。  
「お花畑に居るみたい」  
桜子は、紅茶用のカップにお茶を注ぐとまた一段とジャスミンの甘い香りが強くなり桜子をつつんだ。  
 
ジャスミン茶が入った二つのカップをお盆にのせ居間に入る桜子。  
達彦は、何時もの場所に座り新聞を広げ読んでいた。  
「達彦さん、淹れて来たよ!お待たせ・・・どうぞ!」  
達彦の前に淹れて来たジャスミンのお茶が入ったカップを桜子が置いた瞬間、ジャスミンの甘い香りが達彦の  
鼻を擽った。  
「ありがとう。良い香りだなーっ。」  
新聞を折たたみ畳の上に置く達彦。  
「うん。お茶の香りを嗅いどるだけでお花畑に居るみたいで・・・気持ちが癒される。」  
ジャスミンが茶が入ったカップを両手に持ち匂いを楽しんだあと、コクンとお茶を一口飲んだ。  
そんな桜子を達彦は、じーと見つめていた。  
達彦の視線に気づいた桜子は『なに?』と言う感じに首を傾げると達彦は『何でもない』と言う様に首を小さく  
横に振った。  
「どうだ?味は」  
「うん。美味しい。」  
「ほうか?」  
「うん。達彦さん、まだ飲んでないじゃん。美味しいから早く飲んでみて」  
(本当に美味しいのか?仮にもお前が飲んどるのは媚薬だぞ!桜子!お前、何ともないのか?)と心の中で呟いた。  
意を決した様に達彦もカップに手を差し伸べ持つとコクリと一口飲んだ。  
達彦の口内甘ったるい匂いが広がると同時に桜子が言う様に満開に咲いた花の中にいる様な錯覚に囚われ不思議に  
気持ちが安らぎホットした気分になって来た。  
(何だ!キヨシ・・・媚薬なんて俺に言っときながら・・・嘘じゃないか)と思いながら飲んだ。  
「どう?」  
お茶を飲む達彦を見つめていた桜子が言う。  
「うん。本当に美味しい。でも、不思議なお茶だなっ!こうやって飲んどるだけで、気持ちが落ち着きホットした気持ちに  
なる。」  
「うん。」  
「キヨシの話では、このお茶は、気持ちを落着かせる効果や胃腸の調子を整えてくれる作用もあれば肩こり、二日酔いにも  
良いって言っとった。」  
「ほう。じゃ・・・これからは、会合等でお酒の席が続いた時に達彦さんと一緒にこのお茶を飲めば良いねぇ。」  
「桜子。」  
そんな桜子の思いやりが達彦は嬉しかった。  
二人は、他愛もない話をしながらお茶を楽しんだ。  
 
後片付けを終え桜子が寝室に入ると既に達彦は、横になり静かな寝息を立て既に眠っていた。  
「達彦さん、眠っちゃったんだ!ここ数日会合続きで疲れとるもんね!」  
何も掛けず眠る達彦にそっと布団を掛け部屋の電気を消した桜子だが、自分の布団の中に入らず  
達彦が眠る布団の中に滑り入ると達彦に寄り添うように横になった。  
「達彦さん・・・明日からまた会合で2日程、一緒に居られんねぇ。私・・・とっても寂しいよ」  
小さな声で呟く桜子。  
達彦の温もりと鼓動を感じその夜は、そのまま二人は眠りに付いた。  
 
翌朝、達彦は、2日後の昼までには戻ると言い残し東京へ出掛けて行った。  
岡崎に残った桜子は、達彦が不在の二日間。  
不在の達彦に代わり店を切り盛りし中は、忙しく働くも夜になると誰もいない母屋に一人取り残された  
桜子は、残り香が残った達彦の浴衣を抱き締めながら寂しい夜を過ごしていた。  
いよいよ明日、達彦が東京かから帰って来る夜。  
桜子は、先程達彦からの電話で頼まれた物を探しに嘗て達彦が使っていた部屋に入った。  
主を失った嘗ての達彦の部屋。  
今は殆ど使われていない達彦の部屋は、いずれ生まれて来るであろう二人の子供の部屋にしようと  
二人で話し合い決めてあった。  
今は、達彦の書斎として使われていた。  
桜子は、椅子に座り電話で達彦に言われ様に机の真ん中の引き出しを開けた。  
引き出しの中には、達彦の父、拓司が残した形見のノート等、きちんと整理され置かれてあった。  
桜子は、机の真ん中の引き出しの手前に置かれてある達彦に”出しといてくれ”と頼まれた小さな手帳を  
取り出しだした。  
すると、机の置くに布に包まれてある物を発見した桜子は、机の奥に手をやり布に包まれてある物を手にした。  
手にした布に包まれてある物を開け開くと中には、何か液体が入っている小瓶が入っていた。  
「何だろう」  
布に包まれてある物を静かに開けた。  
布の中からは、何か液体が入った小瓶が出て来た。  
桜子は机の上に包んであった布を置き小瓶の蓋を開けた。  
小瓶の蓋を開けると同時に甘い香りが広がり桜子の鼻を擽った。  
「良い匂い!」  
桜子は、小瓶を鼻の近くまで近づけ匂いを嗅いだ。  
「ジャスミンのお茶と同じ香りだ!何で達彦さん、ジャスミンの香りがする香油を持っとるのかな?」  
何故達彦がジャスミンの香油を持っているのか不思議に思いつつも桜子は、小瓶の蓋を締め小瓶を布に包む  
と小瓶をあった場所に戻した。  
 
翌日。達彦が東京から帰る日。  
何時もの様に桜子は、帳場に立ち女将として達彦の代理を務めていた。  
ただ、何時もと違うのは、昨夜偶然、嘗て達彦が使っていた部屋にある机の中から見つけたジャスミンの香油を  
数滴、ハンカチにジャスミンの香油を垂らし身に付けていた。  
店に味噌を買い求めに来たお客さん等が”女将さん、良い匂いがしますね”と言われる度に桜子は「ほう」とニコニコ  
していた。  
午後になり達彦が帰って来た。  
「ただいま。」  
「達彦さん、お帰りなさい。」  
帳場に座り仕事をしていた桜子が達彦の側に近寄ると達彦は桜子に持っていた鞄を渡した。  
すると達彦は、桜子の体か漂う甘ったるい匂いに気づき桜子の顔を見た。  
(うん?何だ?この甘ったるい匂いは?)  
「何?」  
「桜子、着替える」と言って、二人の住いとなる母屋へ向かった。  
桜子は、達彦の後を追った。  
「東京での会議はどうだったん?」と桜子は、達彦に話掛けるが達彦は、無言のまま真っ直ぐ夫婦の部屋に先に入ると  
達彦の後を追う様に歩いて来た桜子を突然抱きすくめ桜子の首筋に顔を埋めた。  
「達彦さん?」  
「桜子、お前・・・俺が留守にしとった間、何処に行っとつた?」  
「何処に行っとったって・・・私は、何処にも行っとらんよ!ずーと家に居ったよ。」  
「嘘だ!」  
「嘘じゃないよ!私は、ずーと一人でこの家で達彦さんの帰りを待っとった。」  
「なら、どうして・・・お前から・・・何時もと違う・・・甘ったるい匂いがするんだ?」  
「達彦さん、ごめんなさい。実は・・・昨夜、達彦さんの頼まれ物を探しに達彦さんが使っとった部屋の机の中にあった  
小瓶を開けたらとても、良い匂いがしたで・・・ハンケチに垂らして持っとるんよ。勝手に達彦さんの物を開けて使ってしまって  
ごめんなさい。」  
達彦から離れ謝る桜子  
(机の中にあった小瓶?あーっ!お前・・・もしかして、キヨシから貰ったあの小瓶に入っていた媚薬をハンカチに垂らしたのか?)  
「本当にごめんなさい。」  
深く頭を下げ申し訳なさそうに達彦に謝る桜子。  
(媚薬と言っても、あのお茶と同じジャスミンの香油だから、桜子に上げても大丈夫か)  
 
達彦は「ふっ〜」と深く息を吐くと桜子の両肩に手を添えた。  
「桜子、ごめんな。疑ったりして・・・頭、上げてくれるか?」  
下げていた頭をあげ達彦を見た。  
「達彦さん。」  
「お前に見つかっちゃったか。あの机の中に入っとった小瓶はなぁ・・・キヨシから貰ったんだ!」  
「キヨシ君から?」  
「うん。キヨシがジャスミンの香油をお前に渡してくれって頼まれ、俺が預かっとって・・・お前に渡しそびれてしまったんだ。  
この香油もジャスミン茶と同じ効用があり、その香油を風呂に数滴入れて入るのも良いし、今、お前がやっとる様にハンカチに数滴垂らし  
持ち歩くのも良いし・・・枕元に忍びこませるのも良いそうだ。」  
「キヨシ君にお礼言わんといけんね。」  
「ほうだな。でも・・・俺は・・・素のお前の匂いが大好きだ」  
再び達彦は桜子を抱き締めた。  
 
二日ぶりに午後から夫婦揃い店の仕事をした。  
店の仕事を終え二人っきりで夕食を済ませ暫く居間で寛いでいた。  
「達彦さん、お風呂沸いたよ!」  
「あっ!うん。」  
風呂の湯加減を見に行った桜子が戻って来ると達彦は立ち上がった。  
「着替え、後で持っていくね。」  
「うん。」  
達彦は、真っ直ぐ風呂場へ向かった。  
脱衣所で着物を脱ぎ風呂に入る引き戸を開けると浴槽から湧き上がる湯気と一緒に甘ったるいジャスミンの匂いが達彦の鼻をついた。  
(桜子、浴槽にジャスミンの香油を入れたなぁ!あいつ・・・あの香油がどんな効果をもたらすか知っとるのか?知っとらんから風呂の  
中に入れるんだよなぁ!どうなったって知らんぞ!)  
心の中で呟くと達彦は大きく息を吐いた。  
覚悟を決め洗い場に置かれてある椅子に座り桶で浴槽に溜まったお湯をすくい体にかけた。  
汗で少し濡れた体に暖かな湯がかかると同時にジャスミンの甘ったるい香りがふわぁ〜と達彦の鼻を擽った。  
達彦はそのまま、洗い場で体を洗い流すと浴槽に入った。  
「は〜。」  
すると・・  
脱衣所の方から桜子の影が見えたと思ったら、珍しく、遠慮がちに風呂場の戸を開け少しだけ顔を覗かせた。  
覗かせたとしても決して達彦が入る浴槽に目をやらなかった。  
「達彦さん、着替え、何時もの所に置いとくね。」  
「あっ、うん。ありがとう。」  
「どう?」  
「どうって?・・・・あーっ!風呂の香りかっ?」  
「うん。達彦さん・・・嫌だった?ジャスミンの香りって・・・疲れた体と心を癒す効果があるって言っとったじゃん。二日間東京に行って  
疲れとるんじゃないかな?と思って・・・試しに数滴入れてみたんよ。」  
「ほうか。(お前は、優しいなーっ。でも・・・お前が風呂の中に入れた液体は、媚薬なんだぞ!)通りで風呂に入った瞬間、良い匂いが  
漂っとったんだなーっ。」  
「気持ちが良い?」  
「気持ちが良いよ。お前も一緒に入るか?(入る訳ないか!ないよなぁ。)夫婦なんだし・・・」  
桜子は戸惑っていた。  
 
結婚してから今まで何度か達彦から一緒に入ろうと誘って来たが、誘う度に桜子は「何、言っとるの?」等と言い偉い剣幕で怒って  
いたのだが、今日の桜子は違う。  
「うん・・・でも・・・達彦さん、もうあがるだら?」遠慮がちに言う桜子。  
(お前が入ってくるちゅうなら、まだ上がらんよ!あがるわけないだろ)  
「まだ、あがらんよ・・・頭も洗っとらんし・・・一緒に入るか?」  
「うん・・・じゃ・・・用意してくる」と言って桜子は、顔を真っ赤にしたま風呂の戸を閉め脱衣所を後にした。  
(今日の私、どうかしとる・・・達彦さんと一緒にお風呂に入る何て・・・・でも・・・達彦さんが言う通り、私達は夫婦なんだし・・・  
組合長さんの奥さんや他の味噌屋の女将さん達も皆、一緒に入っとるって言うし・・・私だけ入らないちゅうわけにはいかないもんね。)  
心の中で呟きながらお風呂に入る準備をしていた。  
一方、風呂場に残された達彦。  
湯船につかりながら予想もしていなかった言葉に驚きも一人、桜子が風呂の中に入って来るのを楽しみにしていた。  
(桜子が、俺と一緒に風呂に入るって・・・入るって言うのなら・・・最初から誘えば良かったなーっ!桜子が風呂に入って来たら  
あいつの体を綺麗に洗ってやらんとなぁ!早く来んかな?桜子。)  
「ごめん・・・待たせたね。」  
体にバスタオルをキツク巻き付け恥ずかしそうに桜子が風呂場に入って来た。  
「あっ・・・いや。」  
達彦は桜子を見た。  
湯気の中からバスタオルを体に巻き付けた桜子の姿が目に映った。  
(おい、おい桜子。そんなにバスタオルを体に巻き付けなくても良いんじゃないか?俺達は夫婦なんだぞ!)  
桜子は、胸元を手で押さえ近くにあった桶を片手に取り達彦がつかる湯船の前に膝を付き浴槽から桶でお湯をすくいとり  
体にかけた。  
桜子の体にキツク巻き付けられたバスタオルは、桜子の体につき桜子の体のラインが露になった。  
達彦はそんな桜子をジーと見つめていると桜子と目があった。  
「何、見とるん?体を洗うんだから・・・達彦さん、私が良いよって言うまで目を閉じとってくれる?」  
「目?(何で、目を閉じなきゃいけないんだよ!)」  
「早く閉じて(達彦さん、お願い・・・恥ずかしいんよ)」  
キツク言う桜子。  
「分かったよ(何で俺が目を閉じなきゃいけないんだよ!)」  
渋々、桜子に言われた通り目を閉じる達彦。  
 
桜子は、達彦が目を閉じたのを確認すると体に巻きつけたバスタオルをとり椅子に座ると体を洗いはじめた。  
(これじゃ・・・一緒に風呂に入っている意味ないじゃんかっ!俺は・・・お前の全てを知っているんだぞ!俺達は夫婦だ・・・  
何で俺が目を閉じながら風呂に入らなきゃいけないんだ!絶対に可笑しい。うん・・・可笑しい)  
達彦は、桜子に怒られるのを覚悟で目を開け湯船から出ると桜子が持つ泡が付いた手拭を取り桜子の背後に来た。  
「キャーッ!達彦さん、私が良いよって言うまで目・・・閉じとってって言ったじゃん。何で開けるん。早く、湯船に戻って  
目を閉じとって!」  
顔を真っ赤にし近くに置いておいたバスタオルで体を隠し怒る桜子。  
「(キャーと言う悲鳴はないだろう?)そんなに怒る事ないだろ!俺達は夫婦なんだ・・・何で俺が目を閉じて妻のお前と  
風呂に入んなきゃいけないんだよ!」  
膨れ顔をしながら桜子の背中を洗う達彦。  
「そんなに怒らんで・・・恥ずかしいんよ・・・」と声をだんだん小さくして呟いた。  
「恥ずかしがる事ないじゃないか・・・俺は、お前の全てを知っとるんだぞ。」  
「ほうだけど・・・」  
達彦は、桜子の背中を洗うと桜子の前にあったお湯が入った桶に泡がついた手をいれ泡を落とすとお湯を捨て  
浴槽からお湯をすくい桜子の体に付いた泡を洗い流すと達彦は突然桜子を抱き上げた。  
「キャーっ!達彦さん、何処触っとるんよ!離して」  
顔を真っ赤にし片手で達彦の胸を軽く叩いた。  
達彦は、無言のまま桜子を抱き上げたまま浴槽につかった。  
桜子は、達彦の前に座る形に浴槽につかった。  
「桜子、そんなに体に力を入れとったら・・・ますます疲れるだら。大丈夫だから体の力を抜いて俺の胸に背中を預けて  
ご覧。」  
(恥ずかしいよーっ!)  
桜子の肩に手を添えた。  
「ほらっ!遠慮しんで力を抜いてご覧。」  
「うん。」  
渋々、遠慮がちにゆっくり達彦の胸に背中を預ける桜子。  
完全に桜子の背中が達彦の胸に寄りかかって来るのを確認すると達彦は、桜子の腰に腕を回した。  
「た・・・達彦さん」  
「良い湯だなーっ桜子。」  
「うん。」  
「こうしとるとお前と一緒に花畑の中に居るみたいだなーっ」  
「うん。」  
「なーっ!桜子。今度の休みに二人で紫陽花でも見に出掛けないか?」  
「本当?」  
先程もで達彦と共に風呂に入る事に恥じらい俯いていた桜子だ振り向き達彦の顔を見た。  
「うん。」と達彦が首を縦に振ると桜子は「嬉ーっ」と言ってそのまま達彦の首に抱きつくと  
桜子の胸が達彦の熱い胸板に押し付けられた。  
達彦は、そのまま桜子の背中に腕をまわし抱き締めた。  
 
続く  
 

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