4月。春の朝日が障子越しにやわらかく寝室に射し込む。  
桜子は寝返りをしようとして、首の下にいつもと違う感覚をおぼえ目を覚ました。  
自分の肩を包むように抱きしめる腕。  
目の前には・・・安らかな寝息を立てる達彦の顔。  
 (そっか・・・もう夫婦なんだね・・・私達・・・)  
初めての朝。  
桜子は達彦の寝顔を愛しげに見つめた。  
 (ずっとこうして抱いとってくれたんだ・・・)  
だんだんと・・・昨日の結婚式や、達彦に抱かれた夕べの記憶が鮮明に戻ってくる。  
達彦の少し肌蹴た浴衣の襟元から、鎖骨のほくろと・・・胸板が覗いていて・・・  
夜明けの明るさの中で見たせいなのか・・・桜子は少し動揺する。  
腕の中にいると、ぬくもりが生々しくて、鼓動が早まってくる。  
桜子がときめきを抑えるように小さく息をつき、達彦を起こさないように腕の中からすり抜けようとした時  
「う・・ん・・・」達彦がピクリと顔をしかめ、ゆっくりと目を開けた・・・。  
 
「ごめん、起こしちゃったね・・・」桜子は眉間にしわを寄せ謝る。  
「いやっ、いいんだ。・・・おはよう、桜子」  
達彦は急に我に返ったように何度か瞬きをして、桜子に照れたような笑顔を向けた。  
「うん・・おはよう」桜子も恥ずかしそうに笑う。  
桜子は半身を少し起こすと、腕枕をしてくれていた達彦を気遣い、  
「腕、しびれちゃった?ゆっくり眠れなかっただら?」と言ってそっと腕を擦った。  
「そんなことないよ。平気だ」達彦は何度か腕を曲げ伸ばしし、  
「それより・・・桜子・・・体・・大丈夫か?」心配そうに桜子を見つめた。  
「え?・・・あっ、うん・・・もう大丈夫・・・」  
桜子はまた夕べの事を思い返して、頬を染め俯いた・・・。  
 
朝日に照らされた桜子の顔。  
なんだか透きとおるように美しくて、達彦は少し怖々と・・・その頬に手を伸ばす。  
触れてみても・・・消えたりはしない・・・。  
 (夢じゃなかったんだな・・・)  
昨日の・・・輝くような花嫁姿。  
そして・・・強く抱きしめた華奢な体・・・柔らかな肌・・・震える唇・・・。  
達彦は思い返しながら、確かめるように、桜子の唇を親指でそっとなぞった。  
 (俺・・・帰ってきたんだな・・・本当に・・・お前の所に・・・)  
指先から伝わる桜子の柔らかさと体温が・・・これが現実なんだと教えてくれる・・・。  
恥ずかしそうに俯いていた桜子が、そんな達彦を優しく見つめる。  
思いがけず涙が込み上げてきて、達彦は悟られまいと桜子を抱き寄せた。  
抱き返す桜子の手が、そっと背中をさする・・・。  
「桜子・・・愛しとる・・・愛しとるよ・・・」震える声で囁くと、熱いものが溢れ零れた。  
「うん・・・うん・・・」胸の中で頷く桜子の声もまた震えている。  
二人はその確かなぬくもりを感じながら、きつく抱きしめ合った・・・。  
 
頬を伝った涙の跡も乾き、達彦は小さく鼻をすすると腕の力を緩めた。  
自分を見上げる桜子に微笑みかける。  
そっと顔を近づけると、桜子は瞳を閉じた。  
達彦も目を閉じ・・・唇が重なる・・・。  
ゆっくりと食むように口を動かしながら、桜子の柔らかな唇の感触を味わう達彦。  
さっきから・・・本能的に反応している下半身が、いっそうこわばりを増していくのが解る。  
桜子の背中に回した手が・・・腰の辺りをもどかしげに擦り、桜子は少し体を固くする。  
このまま・・・昨日の夜のように桜子を体を駆け抜けたい・・・。  
が、ふと・・・自分が入っていった時の、桜子の苦しげな顔が脳裏に浮かんだ。  
夕べ初めて男の体を受け入れた桜子の事を思うと、とてもそんなことは出来ない。  
達彦が唇を離し、気持ちを抑えるように体を起こそうとしたとき、電話の呼び鈴が店から響いてきた・・・。  
 
「誰だろう?こんな早くに・・・」  
二人は怪訝な表情で顔を見合わせたが、達彦はすぐに立ち上がり急ぎ店へ向かった。  
桜子も後を追おう。  
「はい、山長でございます。・・・あ、冬吾さん・・・・・え!?・・・」  
電話に出てすぐに・・・達彦の表情が驚きに変わる。  
「はい・・・はい・・・解りました。とにかくすぐに伺います」  
険しい表情で受け答えする達彦を不安そうに見つめる桜子。  
受話器を置いた達彦が、辛そうに桜子を見つめる。  
「何?・・・冬吾さん、何て?」  
訊ねる桜子の肩に手を置き、達彦が言いにくそうに話し始めた。  
「桜子・・・落ち着いて聞いてくれ。徳治郎さんが・・・」  
それは桜子の幸せを見届けた徳治郎の『旅立ち』を知らせる電話だった・・・。  
 
徳治郎の突然の死に皆が驚きを隠せなかったが、結婚式での幸せそうな笑顔を見た直後であったため  
有森の家族にも、山長の面々にも悲壮感は無かった。  
皆は口々に結婚式で、はしゃぎ踊る徳治郎の話をし、そして寂しそうに笑った。  
山長の元職人頭であり、現女将の祖父である徳治郎の葬儀は、達彦や野木山の差配もあって滞りなく済まされた。  
葬儀が終わっ夜。  
有森家の居間で明日の初七日の段取りを話し合う面々。  
「まさか結婚式の夜に亡くなるなんて・・・おじいちゃんにはビックリさせられたけど  
 ほいでもみんなが集まっとる時で良かったのかもしれんね。  
 こうして身内として、達彦さんや山長の皆さんにも見送ってもらえて・・・」  
ほっとした顔で微笑む笛子。傍にいた杏子も頷きながら  
「ほうだね・・・私達の心配ばっかしとったから、最後まで私達の事考えてくれたんかもしれんね。  
 幸せそうな顔しとったもん・・・一番いい時に亡くなって・・・  
 きっと今頃お父さんやお母さんと、桜ちゃんの結婚式の話で盛り上がっとるよ」  
隣にいる桜子の肩を抱く。  
家族は皆、兄弟の中でも一番徳治郎に可愛がられていた桜子を気遣った。  
桜子は目を潤ませながら微笑み、そんな桜子を達彦が心配そうに見つめた・・・。  
 
「さてとっ。あたしはそろそろ帰るとするかね」磯が風呂敷包みを手に腰を上げる。  
「おばさん、ほんとに今日帰るん?夜行じゃ疲れるでしょう?」笛子がそんな磯を心配した。  
「そうだよ〜。明日俺と一緒でもいいじゃんか」勇太郎も引き止めた。  
「そういう訳にもいかんのよ〜。ま、あんた達の所にはまた顔を出すからさっ」  
そう言って笛子の肩をポンと叩く磯。  
「あの・・・僕、駅まで送って行きます。僕もそろそろ失礼しますから・・・」達彦も立ち上がる。  
桜子も二人を見送ろうと立ち上がった。  
桜子は通夜の晩から、葬儀の後の片付けが終わるまで、有森家に泊まる事になっていた。  
「いや〜、だめだめ!いいのいいの、達彦さんはまーだ桜ちゃんの傍におってあげて。ねっ、はいっ」  
磯は達彦の肩を押し、桜子の傍に寄り添わせた。  
見送ろうとする皆を(いいからいいから)と玄関先で抑え、磯は一足早く東京に帰って行った・・・。  
 
「達彦さん、もう店に戻らんといかんよね?」桜子がそっと達彦に話しかける。  
その少し寂しそうな顔を、杏子は見逃さなかった。  
「達彦さん!達彦さんも、今日うちに泊まって行けば?  
 笛姉ちゃん達は私達と二階に泊まってもらって・・・ねぇ?」笛子に目配せをする。  
「そっ、そうだね〜!もう家族なんだし、明日の事もあるし・・・ねぇ〜」  
笛子は冬吾の腕を肘でこずく。  
「俺は、どこで寝たって、構わね〜よぉ〜」冬吾はゴロリと横になる。  
「俺は?・・・まぁあの部屋、3枚くらい布団敷けるよなっ」  
桜子たちと同じ部屋に寝れると思う勇太郎。すかさず笛子に頭をはたかれる。  
「あんたも、二階の隅っこに布団敷いてあげるからっ」笛子にこずかれ、睨まれる勇太郎。  
「達彦さん、店、気になるだら?私は大丈夫だで・・・気にしんでいいよ」  
達彦を気遣う桜子。達彦は暫く思案していたが  
「ほんとに・・・こちらに泊まっても大丈夫なんでしょうか?」杏子に訊ねる。  
店の事も気にはなったが、それは後で野木山に電話をすればなんとかなる。  
それよりも、葬儀のごたごたでゆっくり話す時間も無かった桜子の様子が、達彦は心配でならなかった。  
「そうして下さい」杏子はそう言って、二人に優しく微笑みかけた・・・。  
 
有森家の二階・・・二部屋にぎっしり布団を並べ寝ている笛子と杏子家族。  
勇太郎は姪や甥に囲まれて、窮屈そうな顔をしながらも眠りに就いていた。  
布団の上に横になる達彦。  
一階の奥の部屋・・・かつて笛子夫婦が新婚時代を過ごした部屋に、桜子達の床が用意された。  
物置になってはいるが、一階には他に部屋もあるのに・・・  
二人以外は全員二階に寝るなんて、新婚の自分達に気を使ったのだろう。  
 (やっぱりご迷惑だったかな・・・)  
有森の姉達の言葉に甘えてしまったものの、達彦は少し気恥ずかしさも感じていた。  
布団に体を横たえていると、疲れた体に睡魔が襲ってくる。  
 (桜子が来るまで起きとかんと・・・ほいでもさすがに疲れたな・・・)  
結婚初夜の翌日が通夜。  
連日ちゃんと睡眠を取れていない達彦は、いつのまにかウトウトと眠ってしまった・・・。  
 
風呂から上がった桜子が部屋へ入ると、達彦は眠っていた。  
自分を待っている間に寝てしまったのだろう。明かりをつけたまま布団も掛けずにいる。  
「達彦さん・・・達彦さん、寝ちゃった?」  
遠慮がちに声を掛ける桜子。達彦は起きる気配が無い。  
 (達彦さん・・・疲れとるんだね。有森の家のためにいろいろ動いてくれて・・・)  
桜子は明かりを消すと、達彦に布団を掛けてやり、自分の床に潜り込んだ。  
疲れているはずなのに、めまぐるしい気持ちの変化に付いていけていないようで  
頭が冴えて眠れそうも無い。  
隣で眠る達彦をジッと見つめる桜子。  
起こすつもりはないのに、なんだか達彦に触れたくて、腕を伸ばす。  
布団から出ている達彦の手を取り、そっと口付けると・・・その手がゆっくりと動き桜子の頬を撫でた・・・。  
 
「あ・・・」桜子は申し訳なさそな顔をして、達彦を見つめた。  
「俺、眠ってしまっとったんだな・・・お前を待っとったのに・・・」  
達彦は(気にしんでいいよ)というように首を振って、苦笑いをした。  
「ううん、もう休んで。達彦さん疲れとるんだよ・・・」  
桜子は手を離そうとするが、達彦はぎゅっと握り離そうとしない。  
「桜子・・・お前・・大丈夫か?」達彦が優しく問いかけると、桜子の瞳がみるみる潤んでいった。  
「こっち・・・来んか?」達彦は自分の床に桜子を誘う。  
引き寄せられるように、達彦の布団に潜り込む桜子。  
達彦の胸に顔をうずめると、堰を切ったように涙が溢れた・・・。  
 
泣いている桜子を抱きしめ、子供をあやすようにポンポンと頭を撫でる達彦。  
その表情は、どこか安心したように見える。  
桜子はひとしきり涙を流すと、気を取り直すように呼吸を整え、達彦を見上げた。  
「・・・大丈夫かん?」優しく涙を拭ってくれる達彦に  
「うん・・・ありがとう。なんか・・・スッキリした」と言って桜子は笑いかけた。  
「急だったし・・・やっぱり・・・寂しいよな・・・」心配そうに桜子を見つめる達彦。  
「うん・・・もっともっと長生きして欲しかったけど・・・  
 ほいでも杏姉ちゃんも言っとったように、一番いい時に亡くなったんだって・・・私も思うよ。  
 戦争中・・・無念な亡くなり方をした人を沢山見てきた・・・。  
 山長のお母さんだって、どんなに達彦さんに会いたかったか・・・。  
 そんな人達の事を思ったら、おじいちゃんは幸せな亡くなり方をしたんだって思える・・・」  
桜子は遠い目をして、しみじみと話した。  
頷きながら聞いていた達彦が、静かに語りかける。  
「俺も・・・そう思うよ。  
 俺・・・徳治郎さんには本当に感謝しとるんだ。  
 仙吉さんが言っとった。俺がおらん間・・・八丁味噌が作れなくなった職人達を  
 よく励まして下さったそうだ。  
 ほんとうに山長の八丁味噌を愛して下さった方だった。  
 これからは、俺が頑張って、その味を守らんといかん」  
達彦の目は決意に満ちていた。  
「それに・・・不謹慎かもしれんが、今俺・・・嬉しいんだ・・・  
 今回の事で、これまでご迷惑をかけた有森の皆さんの力に、少しはなれたのかなって・・・  
 なんだか・・・この人達の家族になれたんだって、実感したんだ。  
 それから桜子・・・こうやってお前が辛い時に傍にいてやれた・・・  
 その事が嬉しいんだよ。・・・徳治郎さんのお陰だな・・・」  
達彦の言葉が桜子の心を癒していく・・・。  
「達彦さんがいてくれて本当に良かった。  
 さっき・・・泣いとる時・・・もう一人じゃないんだって思った。・・・私も・・・嬉しい・・・」  
桜子の瞳にまた涙が溜まっていく。  
そんな桜子を包むように抱きしめる達彦。  
「桜子・・・ごめんな。今まで・・・寂しい時・・きつい時・・傍に居てやれなくて・・・  
 これからは俺が守るよ。いつだってお前の傍におるから・・・」  
達彦の胸の中で、桜子はまた涙を流した。  
お互いがお互いの居場所であるということ・・・  
そこにずっと居られるという喜びを・・・二人は噛み締めていた・・・。  
 
やがて二人は見つめ合うと・・・どちらからともなく唇を寄せた。  
いたわるような甘く優しい口付けに酔いしれる桜子。  
達彦の脳裏には・・・初夜の桜子の白い肌が浮かんでくる・・・。  
口付けながら桜子の頬に手をやる達彦。  
指が首からうなじ・・・肩へと這っていき・・・  
浴衣の上からそっと乳房を撫でると、桜子の唇からフッと吐息が漏れた。  
が・・・達彦の手はそのまま背中に回り、名残惜しげに動きを止めた。  
ゆっくりと唇を離した達彦は、俯きフーッと息をつく。  
「何も・・せんよ・・・」瞳を閉じたまま低い声で呟く。  
「こうして傍におりたいだけなんだ・・・」そう言って桜子に少し困ったように微笑んだ。  
さっきから太ももに・・・達彦の熱く固いものを感じる・・・。  
桜子は暫くじっとしていたが、ゆっくりと体を離し起き上がった。  
布団の上に座ったまま、大きく息を吸うと、浴衣の帯に手を掛け、解き始めた・・・。  
 
達彦も起き上がり、そんな桜子の手を止める。  
「ダメだよ」少し焦ったように囁くと  
「いいんだ・・・そんなつもりでここに泊まったんじゃないんだ。  
 お前も疲れとるだら?今日はもう寝た方がいいよ・・・」優しく桜子気持ちを抑える。  
桜子は緊張した顔で俯きながらも、首を振り「平気・・・」と小さく答える。  
達彦が少し驚いたように瞬きをしながら  
「それに・・・上で皆さんも休んどるし、お前も・・・気を使うだら・・・?」  
と言って桜子の顔を覗き込む。  
桜子はおずおずと達彦の手を取り、自分の胸にあてた。  
「大丈夫・・・ここの音・・・二階には聞こえんから・・・」  
桜子が達彦を見上げ、二人の視線が合うと、達彦はたまらず桜子を抱き寄せた。  
ためらうように何も言えずにいる達彦に、桜子がさらに続ける。  
「達彦さんがそうしたいっち思うなら・・・私は応えたい・・・いいよ・・・そうして・・・」  
達彦に目がくらむような激情が込み上げ、二人はそのまま抱き合いながら布団の上に倒れこんだ・・・。  
 
「・・・桜子っ・・・」  
桜子の言葉で、達彦の抑え込もうとしていた欲情は決壊した。  
桜子の上に覆いかぶさると、貪る様に唇に吸い付く。  
浴衣の上から乳房を鷲掴みにすると、桜子は小さく叫んだ。  
その少し開かれた唇に舌を割りいれる達彦。  
舌を絡めながら、口内の奥深くまでかき回す。  
二人の唾液が混ざり合い、淫らな水音が聞こえる。  
いつの間にか合わせ目から差し込まれた手が、強い力で乳房をまさぐる。  
達彦の、男としてのあからさまな欲求・・・  
日頃の達彦からは考えられないような激しい姿は、桜子を驚かせた。  
達彦がのぞむことに応えたい・・・。  
妻なのだから・・・こんなに愛しているのだから・・・  
そうは思っていても、深く荒々しい口付けは、これから起こる行為そのものを暗示しているようで  
桜子に恐れの気持ちが湧いてくる。  
唇が離れたと思った次の瞬間、浴衣の前が強引に開かれ、首筋に痛みを感じるほど強く吸い付かれた。  
「まっ、待って・・・ちょっと待って、達彦さんっ!」  
桜子が溜まらず声をあげる。  
その声で顔を上げた達彦の視線の鋭さに、桜子はビクッと体を固くした。  
が、その表情からはみるみる険しさが消え、達彦は「ごめんっ・・」と呻くように呟くと桜子を抱きしめた・・・。  
 
「ごめん・・・俺・・お前が欲しくて・・・堪らなくて・・・ごめんな・・・」桜子に頬を寄せ謝る達彦。  
その苦しげな・・・切ない囁きが桜子の胸を締め付ける。  
『何も・・せんよ・・・』 さっきの・・・自分の欲求を抑えこもうとする姿・・・。  
そして・・・うねる荒波のように激しく自分を求める姿・・・。  
夫婦となって初めて知った達彦の男としての一面・・・。  
そのどれも決して嫌ではない。  
それどころか・・・自分への溢れるような愛情が、痛いほど伝わってくる。  
体は慣れなくて、反射的に強張ってしまっても・・・  
心は甘く疼くようにときめき、達彦を求めている。  
 (達彦さんは自分のしたことにきっと傷ついとる・・・私のせいだ・・・  
  達彦さんの全部に応えたいのに・・・しっかりせんといかんのに・・・)  
桜子は大きく深呼吸をして「達彦さん・・・」と呼びかける。  
「違うよ・・・嫌じゃないで・・・ごめんね、ちょっとビックリして・・・」  
達彦が辛そうに顔を上げると、桜子は少しぎこちなく頬を緩ませた・・・。  
 
そんな二人の部屋の外・・・廊下で耳を澄ませる人影・・・。  
笛子だった。  
心配そうな顔で息を潜め、部屋の様子を伺っている。  
と、後ろからポンッと肩を叩かれ、驚いて思わず声を上げそうになる。  
「ひっ・・・」っと息を吸い込む口をそっと塞ぐ手。  
振り向くと、寝癖頭の冬吾が立っていた。  
「もう・・・ビックリしたぁ・・・」ヘナヘナと腰が抜けそうになり、冬吾に寄りかかる笛子。  
「何すてるんだぁ?」訊ねる冬吾の口を、(しいっ!)っと慌てて今度は笛子が塞ぐ。  
 
笛子に背中を押されながら廊下を逆戻りする冬吾。  
二階へ続く階段の手前で足を止め、振り向いた。そして  
「おめぇ・・・立ち聞きなんて、趣味がわりぃなぁ〜」と言って呆れ顔で笛子を見つめる。  
「そっ、そんなっ・・・人聞きの悪い事言わんでよぉ〜  
 ちょっと喉が渇いたから水を飲もうと思ったら、話し声が聞こえたもんで・・・あんたこそ何よ」  
笛子は膨れて冬吾を睨む。  
「俺は・・・おめぇがなかなか帰って来ないはんで、気になってなぁ」少したじろぎ頭を掻く冬吾。  
笛子はハァ〜っとため息をつき階段に座り込む。  
「でもさぁ・・・」と呟くと、冬吾も隣に腰掛け「ん?」っと聞き返した。  
「正直心配なんよね・・・あの二人の事。ちゃんと・・その・・正真正銘の夫婦になれたんかなぁ・・って・・」  
冬吾の耳元でヒソヒソ話す笛子。  
「実はさぁ、さっき部屋から『待って』とか『ごめん』とか二人の声が聞こえてきて・・・  
 どうも始まっちゃったみたいなんだけど、うまくいっとらんみたいで・・・  
 達彦さん大丈夫なんかしら・・・。杏ちゃんとも心配しとったのよ・・・」  
笛子は結婚式の一週間前に杏子と交わした会話を思い出していた・・・。  
 
【回想】  
桜子の結婚式に出席するため東京から戻った笛子が、縁側で杏子と洗濯物を畳んでいる。  
 笛子「あと一週間かぁ・・・桜ちゃんの花嫁姿、楽しみだねぇ」  
 杏子「ほうだねぇ。桜ちゃんも達彦さんも嬉しそうで・・・ほんとに良かった」  
 笛子「そうそう!なんだか初々しいっちゅうか・・・お互い恋してますって感じだもんね。  
     達彦さん、戦地から帰って暫くは元気が無かったっていうけど、もう大丈夫だね〜!」  
二人は安堵の表情を浮かべながら微笑み合う。  
 杏子「・・・そういえばさぁ・・・」  
急に真面目な顔をする杏子。  
 笛子「何?なんか気になることでもあるの?」  
 杏子「うん・・・実は昨日桜ちゃんに聞かれたんよ。あの・・・夫婦の夜のこと・・・」  
居間で昼寝をしている冬吾に聞こえないように声を潜める。  
 笛子「え!?何?なんて聞かれたの?」  
 杏子「ううん。たいしたことじゃないけど・・・なんか心得みたいなもんはあるのかって・・・  
     ちょっと不安そうだった。そりゃぁ初めてだもんねぇ〜しかたないわ・・・」  
 笛子「ほうなん・・・心得って言ってもねぇ・・・私もほとんどなんも解らんで結婚したけど  
     冬吾はそっち方面、えらく手馴れとったから(怒)任せとれば良かったもんね。  
     ・・・そう言えばあの二人の関係って・・・そっちはどんな感じなん?」  
 杏子「私も気になってチラッと聴いてみたんよ。ほしたら達彦さんの入営前と、復員してからは  
     2回くらい・・・キスはしたって言っとったよ」  
 笛子「へぇ〜!達彦さんもそんなことするんだぁ〜!」  
 杏子「そんなことって・・・ほりゃぁ達彦さんだって男ん人だし、好き合っとるんだで、するでしょう?」  
 笛子「だってさぁ、達彦さんって若い時から物静かで、純情一直線って感じで・・・  
     なんか男の色気?・・・みたいなもんは感じなかったもん・・・。  
     復員してからも、あんまり印象変わらんし・・・」   
 杏子「ほうかなぁ。私は達彦さん男らしいって思うよ。  
     包容力もあるし、なによりあんなに桜ちゃんを大事に思ってくれとる人は他におらんよ」  
 笛子「そうだけど・・・ほいでも夫婦の夜のことは大事じゃん。  
     あんただって・・・その事は身に沁みて思うだら?」  
 杏子「・・・ああ・・・うん・・・河原とはその辺もしっくりいかんかったもんね。  
     それで気持ちまでギクシャクして・・・。ほうだねぇ・・・ちょっと心配になってきた・・・」  
 笛子「で?桜ちゃんになんて言ってあげたの?」   
 杏子「とにかく達彦さんに任せとればいいってくらいしか、言えんかった。  
     好きな人と肌を合わせるのは、それだけで幸せなもんだよって・・・」  
 笛子「任せとって大丈夫かなぁ・・・。達彦さんには兄弟もおらんし、お父さんも亡くなってて  
     そういうこと助言してくれる人が周りにおらんのじゃない?」  
 杏子「どうなんだろうね。ほいでも私たちがとやかく言えることじゃないで・・・  
     二人で乗り越えてもらうしか無いじゃんね。あの二人だもん、きっと大丈夫だって!」  
 笛子「そうだけど・・・二人には幸せになってもらわんと・・・」  
杏子は気を取り直し明るく笑ったが、笛子は不安げにため息をついた・・・。  
 
「・・・とまぁそんな訳で、桜ちゃんも不安そうだったから心配なんよ・・・」  
冬吾に眉をしかめ話す笛子。  
「なんだぁ、おめぇ。そったなことなら心配いらねぇよ。あの二人だば、もう大丈夫だぁ」  
平然と答える冬吾。「何でそんな事わかるん?」不思議そうな笛子。  
「二人の顔に書いてあるべさ。  
 達彦君が今晩ここさ泊まるって喋った時、桜ちゃん心底嬉しそうな顔すてた。  
 初夜の晩になんかまずい事があったなら、あんな顔はできねぇよ。  
 それになぁ、達彦君はおめぇが思ってるような男ではないよぉ」  
確信しているように話す冬吾もまた、婚礼前の達彦とのやり取りを思い返していた。  
「実はな・・・俺、おめぇ達姉二人の話、眠ったふりすて聞いてたんだぁ。  
 んで、義理の兄として、ちょこっと達彦君とこで話さすてきたんだな」  
「え〜!?あんた、あん時寝とったじゃないの!?・・・で?何?達彦さんに何の話したの?」  
呆れたように驚く笛子だったが、興味深々とばかりに冬吾に詰め寄った・・・。  
 
【回想】  
夜。山長の帳場に座る達彦。ドンドンと戸を叩く音に不思議そうな顔をして立ち上がる。  
カーテンを開けると、冬吾が立っていて、達彦は少し驚きつつ引き戸を開けた。  
 達彦「どうしたんですか?こんな時間に・・・」  
 冬吾「うん・・・ちょっこっと・・・おめぇに聞きたい事があってな」  
 達彦「はぁ・・・なんですか?」  
 冬吾「達彦君・・・おなごさ・・抱いたことあるが?」  
 達彦「!ふぇ!?・・いっ、今何て言いました!?」  
 冬吾「んだから、おなごとしたことあるのがって聞いたんだ」  
冬吾に真っ直ぐ見つめられて、達彦はあっけにとられながらも思わず正直に首を振る。  
ニッと笑う冬吾。  
 冬吾「んだか。んだばちょこっと・・・勉強だぁ〜」  
ズカズカと店の中に上がりこみ、帳場の奥の部屋に腰を下ろすと机にスケッチブックを広げる。  
達彦も困惑しつつ冬吾に向き合って座った。  
 冬吾「だいたい、どうするかは解るが?」  
 達彦「え?・・・はぁ・・・まぁ・・・(汗)」  
 冬吾「誰かに聞いたのが?」  
スケッチブックにサラサラと筆を走らせる冬吾。  
 達彦「はっ、はい・・・戦地ではそういう話の好きな戦友もいましたし・・・(汗)」  
 冬吾「んだば、話がはえぇなぁ〜・・・」  
達彦が冬吾のスケッチブックを覗くと、女性のその部分や、男女の絡み合う姿が描かれていた。  
達彦は恥ずかしそうに引きつった顔をして、何度も瞬きをする。  
 達彦「あ、あの・・・僕大丈夫です・・・自分でなんとかしますから・・・(汗)」  
 冬吾「まぁいいがら聞けって。ここが××・・・んでここを××してやるとおなごが悦ぶんだ」  
冬吾はお構い無しに女を悦ばせる愛撫の仕方、おすすめの体位などを淡々と話した。  
初めは恥ずかしがっていた達彦も、次第に真剣に聞き入る。  
 達彦(確かに大事な事だもんな・・・桜子の心も体もちゃんと愛してやりたい・・・)  
達彦は気になっていたことを冬吾に訊ねた。  
 達彦「あの・・・女の人は初めて時・・・やっぱり・・・えらく痛がるんですかねぇ・・?」  
 冬吾「んだなぁ。個人差はあるが、たいていは辛そうだ。んでもそこで男がひるんでちゃまいね。  
     おなごにはおなごの、越えねばならねぇ道があるんだよん」  
桜子を想い、不安そうな顔をする達彦。  
 冬吾「初めはうまくいかねぇ事もあるかもしれねぇ。  
     んでもお互いの気持ちがしっかりしてれば乗り越えられるべさ。  
     肌を合わせながら、お互いがどんなに相手に与えられるか、相手を受け入れ、赦せるか・・・  
     体で会話するようにやってみるんだな・・・。  
     大丈夫だぁ。おめはしぶとい男だはんで、きっとうまくいぐ」  
優しく励ます冬吾。達彦は頷きながら真っ直ぐに冬吾を見つめ返した・・・。  
 
冬吾はその時の、達彦の澄んだ瞳を思い返していた。  
「ねぇ、教えてよ。達彦さんとどんな話したの?」冬吾の体を揺する笛子。  
「それは言えねえなぁ。男と男の話だはんで」きっぱり言い切る冬吾。  
(けち・・・)と呟いて拗ねる笛子。冬吾は微笑みながら語りかける。  
「俺なぁ、昔東京で・・・夢中になってピアノさ弾く達彦君を見たことがある。  
 体中からピアノが好ぎだって気持ちが溢れててな・・・いい演奏だった。  
 情熱的で、力強くて、繊細で・・・んでも独りよがりに弾いてるんではねぇ。  
 曲を読み取ろう、聞くものに伝えようって気持ちが籠もってて・・音に艶があるんだな。  
 あいつはそんな風に桜ちゃんを愛せる。大丈夫だぁ」  
笛子は解ったような解らないような顔をしていたが、仕方なく納得したようにため息をつき  
「どうせ私は、男の人の気持ちも、芸術のことも、解らん女ですから」  
と憎まれ口を言って冬吾を睨む。  
冬吾は話の雲行きが怪しくなりそうな気配を感じ「あ〜あ・・・眠くなってきたぁ・・・」  
と呟きながら逃げるように階段を上っていった・・・。  
 
笛子は笑いながら冬吾の後姿を見つめた。  
 (あんたは・・・なんでも解ってるんだね・・・)  
達彦の事・・・桜子の事・・・そして自分の気持ち・・・  
冬吾が家族として、達彦や桜子の幸せを願う気持ちが、笛子にはなにより嬉しかった。  
そして、その気持ちを自分にちゃんと伝えてくれたことも・・・。  
冬吾と桜子の間にあったことを、今更どうこう言うつもりはなくても・・・  
笛子の胸には、いつもどこかその事が重くつかえていた。  
それが解っていて・・・冬吾はこんな話を自分にしてくれたのだろう・・・  
どこまでいっても追いつけない気がする・・・でも自分には冬吾しかいない・・・  
笛子は冬吾の布団に潜り込み、ぴったりと体を寄せた。  
額を背中に擦り付けると、冬吾は寝返り、黙って笛子を抱きしめた。  
『姉ちゃんは、冬吾さんの誰にも負けやへん奥さんになったらいいんじゃない?・・ね?』  
杏子の言葉が聞こえてきて・・・笛子は涙ぐんだ・・・。  
 

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