彼女が教戒師としてG・D・S刑務所に来て、もう何年になるだろうか?  
シスター・プッチの過去や私生活は誰も知らないが、この刑務所では新入りの囚人でさえ彼女を知らない者はいなかった。  
罪人を救おうと教えを説く真摯な横顔は、まさしく汚れ無き聖女と呼ぶに相応しいが  
しかし彼女の謎めいた一面こそが、囚人たちの好奇心を惹きつけていた。  
例えば、修道女のヴェールから覗くその顔はまるで十代の少女のように若々しい。  
とある古株の囚人が入所して来た時、彼女はすでにここに勤めており  
今も当時とまったく変わらぬ若さを保ち続けている――という与太話もあった。  
奇跡だ神の御業だと囁き交わす囚人たちに、彼女は穏やかに微笑む。  
シスター・プッチの本当の心は誰も知らない。  
 
 
タイル張りの浴室にシャワーの音と混じって小さく歌声が響く。  
肉感的な唇が口ずさむその聖歌は『メサイヤ』だ。  
褐色の肌がシャワーの雫を弾いて細かい粒がきらめいた。  
白い泡が洗い流されたプッチの身体がバスルームの鏡に映る。  
禁欲的な修道服の上からでも分かる丸いふくらみとくびれた腰。  
20年以上も前、DIOに出会った時とまるで変わらない姿だった。  
あれから月日が流れて幾年も経つにつれ、若いままの肉体に驚きもしたが、今では別に不自然にも思っていなかった。  
いつか天国で出会う時、最後に会った姿のままでいられるように彼が時を止めてくれたのだわ。  
プッチはそう思っていた。  
 
(『天国』…… どんな犠牲を払ってでもわたしはそこに辿り着きたい  
 DIO、あなたが目指した新しい世界に……)  
 
・  
・  
・  
(『紫陽花』……『カブト虫』…… 『特異点』………… 『秘密の皇帝』)  
(興味を示してくれたの? あなたの方からわたしの方へ来てくれるの?)  
(これで)  
(これで あなたの世界へ共に旅立てるわ)  
( DIO!! )  
 
オーランド州立病院のベッドで高熱に苦しみながら、プッチは夢を見ていた。  
『緑色の赤ん坊』をスタンドに取り込んだことが肉体に影響を及ぼしたのか、  
あまりに強いエネルギーを制御しきれず彼女は昏睡状態にあった。  
 
(熱い……頭が……灼けるよう)  
 
きつくつぶった瞼の裏に金色の光が何度も瞬く。  
暗闇の中で陽の光のように輝く金髪――プッチには見覚えがあった。  
 
(DIO)  
(プッチ、ごらん、もう夜が明けてしまう)  
 
その言葉に、古い懐かしい記憶が甦る。  
プッチがエジプトから帰る前日、眠る間も惜しくて一晩中二人で星を見ていたのだ。  
それが彼の姿を見た最後になるとは、あの夜は思ってもいなかった。  
窓の外には濃紺の天蓋のような夜空が広がり、地平の彼方がかすかに白く染まっていた。  
空に一際輝く明星を指差し、DIOが呟く。  
 
(わたしは見たことはないが……あの星は夜明けが来ても最後まで輝くそうだ)  
 
神に反逆した堕天使の謂れを持つ星、その事をDIOは知っているのか。  
プッチは何も言わず、DIOの肩に刻まれた星に唇を寄せた。  
自分の肩にも聖痕のように現れた、彼と同じ運命のしるし。  
 
(君のスタンドは目覚め わたしの息子たちが君を天国へ押し上げ  
 夜明けと共に新しい世界が始まるだろう わたしはそこで待っている)  
 
短い夢から目覚める間際、彼女は神を愛するように愛した男の声を確かに聞いた。  
 
 
邪悪の化身DIOに対する人間たちの態度は恐れるか媚びるか、さもなくば何が何でも刃向かおうとするかだが、  
目の前にいるプッチという女はそのどれとも違っていた。  
ごく自然に、普通の人間に接するように話しかけてきた。 その態度にまず興味を持った。  
スタンド能力に目覚めたプッチと再会し、DIOはますます彼女に惹かれていった。  
ただ容姿が美しいというだけなら他にもごまんといるが、DIOが気に入ったのは彼女の『純粋さ』だった。  
その高潔な魂と強い意志は、まさしく神に仕える者に相応しい。  
しかし、彼女が目的のためなら良心のブレーキがかからないタイプの人間だという事も、DIOは見抜いていた。  
彼女はこの世界を、人々を支配する『運命』を知りたいと純粋に思っている。  
数奇な因縁――弟との再会と、妹の死を経てその思いはより強くなった。  
彼女がどこへ行き着くのか? DIOはそれを見届けたいと思う。  
『天国へ行く方法』の共犯者であるプッチの運命を……  
 
「ねえ好奇心で聞くんだけど、DIO……」  
 
プッチは読んでいた本から顔を上げて、人間の血は美味いのか?と訊ねた。  
彼女はDIOが吸血鬼だという事も、太陽の光に弱いという事も知っている。  
他愛ない質問にDIOはしごく真面目に答えた。  
 
「わたしは……正確には血液自体ではなく、血が運ぶエネルギーによって生気を得ている  
どんな人間だろうと血は流れているが、男でも女でも美味い不味いの概念はない」  
「でも、この小説では……」  
 
プッチの膝の上に開かれたままの本に視線を落とす。 吸血鬼が登場する怪奇小説だった。  
ああ、とDIOは唇の端で笑った。  
 
「吸血鬼は処女の血を吸うものだと、そう言いたいのか」  
 
あからさまな言い方に、プッチはかすかに眉をひそめた。  
自分が読んでいた本を閉じ、DIOはベッドに手をついて上半身を起こした。  
そのまま寝ているプッチに近付く。 二人の視線が交わった。  
 
「たとえばだ……病気になると身体は弱り生気は衰えるが、その逆の場合もある。  
官能が高められる事で生命は燃え、生気は純度を増す」  
 
猛獣を絞め殺せる力を秘めた手が、驚くほどの繊細さで頬に触れた。  
そのまま指先が首筋へと静かに下降し、ちょうど頚動脈のあたりで止まる。  
 
「必ずしも処女である必要はないが……他人のものと交わらない、純度の高い生気のほうがより身体になじむ」  
 
DIOの眼に妖しい光が宿ったのに気付き、身を引こうとしたが体重をかけられていて逃げられない。  
それでもプッチは彼が悪ふざけをしているのだと信じ込んでいた。  
自分の置かれた状況がこれから情事を行う男女のそれだと理解していなかった。  
耳のすぐ近くまで唇が寄せられ、お互いにしか聞こえないほどの声で囁かれた。  
 
「限界まで昂ぶらせて気をやる寸前で血を吸うと、それこそ生き返るような気分になる」  
 
プッチは一瞬覚悟して眼を閉じたが、意外にもその唇はすっと離れてしまった。  
DIOはプッチの拍子抜けしたような顔を見下ろしているが、彼女からは逆光でDIOの表情はよく見えない。  
おさまらない動悸が何なのか分からないまま、彼女はまた新たな疑問を口にした。  
 
「あなたはわたしの血をいつか吸うの? なぜわたしを襲わないの?」  
「そんな事は考えたこともない……わたしは大事な友を失いたくない  
君が神を愛するように君のことを愛している」  
「……ごめんなさい あなたを侮辱してしまったわ」  
 
DIOの言葉は本心から出たものだった。 プッチを『食料』として見た事はただの一度もない。  
あらゆる悪徳を重ねてきたDIOだったが、一瞬でも親友を疑った自分を責め、  
濃い睫毛を伏せている彼女の顔を見てほんの少しだけ後悔した。  
 
「わたしも悪ふざけが過ぎたようだ 許してくれ」  
 
DIOは執事を呼び、柘榴(ざくろ)の実が入った籠を持ってこさせた。  
熟れて裂けた実の中には、宝石か何かのような紅い透明な粒が詰まっており  
その真っ赤な果実は血によく似た味がするとプッチは聞いた事があった。  
吸血鬼の気分だけでも味わってみるといい、とDIOの指先が粒を摘み上げ、プッチの口元に運ぶ。  
言われるままに唇を開き、DIOの冷たい指と柘榴の粒を迎え入れた。  
口の中で紅い粒が弾け、甘酸っぱい味と香りが広がる。  
 
「おいしい」  
「血の味はするか?」  
「……よく分からない」  
 
赤く染まった指先を舐めるDIOを見つめながら、彼はこんな風に『食事』をするのだろうかとプッチは思った。  
 
「でも……もしあなたが本当に食べるのに困ったら、わたしの血を吸うといいわ」  
 
真面目な表情のまま紅い粒を摘み、仲直りのつもりなのか今度は彼女がDIOに食べさせようとする。  
吸血鬼は苦笑しながら口を開き、プッチの指を牙で傷つけないよう用心しながら偽物の血を味わった。  
 
(END)  
 
 

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