まことに奇妙なことだが。
不愉快なタイミングとは一致するものだ。
「アバッキオさん……恐そうな女(ひと)ですけれど、その、紅い唇と瞳の色が素敵な美人ですね」
まず、このジョルノの一言から。底辺から渦を巻き、己の胸中に沸き上がってくる、不快な何かにブチャラティは眉を顰めた。
次にはアバッキオの、あの、ジョルノへの挨拶だ。理由も無しにアバッキオがあんなことをする筈がない。
しかし、どんなに理由を訊いてもアバッキオはブチャラティにそっぽを向くばかり。頬を膨らまし、押し黙ったまま。
胸中に蟠っていた渦巻く何かが黒い色を持ち、更にブチャラティを不快にさせた。
今まではこんなこと、無かった。
性別は違えども、ブチャラティとアバッキオは年齢が近しいせいかチームのなかでは一番仲が良かった。
どんな時でもアバッキオはブチャラティへの助力を惜しまず、何でも話してくれた。
アバッキオはブチャラティの大切な片腕だ。昔も今も。
何かあったのだろうか?いや、あるからこそ、あんな態度をとったんだ。
アバッキオとジョルノとの確執も放ってはおけない。
ブチャラティはアバッキオの住む部屋へと足を運んだ。
「言えよアバッキオ。何故、ナランチャに指示して小便を茶と偽って新入りに出した?」
「…人の部屋に訪ねてきてまで訊くことかよ」
ブチャラティと向かい合ってソファに座っているアバッキオは、やはり、昼間と同じようにそっぽを向いた。本物の紅茶を飲みながら。
ブチャラティはそんな彼女の態度にうろたえ、狼狽するばかりだ。
……アバッキオとてチームリーダーのブチャラティにこれ以上頑なな態度をとり続けたくはなかった。
ただ、どうしようもなくくだらない理由でジョルノに悪さをしたことなんて言えなかった。言いたくもない。
すました顔でブチャラティと話していた生意気なガキが気に入らなかった。だから!言外に気に食わない奴だとナラ茶を煎れてやった。
「互いにガキじゃねえんだ。な、誰にも言わない。だから言えよ。なにか困っていることがあるんだったら力になってやる」
「ブチャラティ……」
本当に心配して、ブチャラティはアバッキオの瞳を見据えてくる。真摯的な黒の瞳。
ブチャラティは闇のなかでひっそりと輝く小さな光だ。薄汚れたアバッキオ達を照らしてくれる光。
闇が光に逆らえるわけもなく、アバッキオはとうとう躊躇いがちに口をひらいた。
「だから…よぉ。新入りのジョルノっつー小僧が生意気なツラをしているから!
……あ、あいつ新入りのくせして…」
「……くせして?」
「………やけにリーダーであるあんたに気安かったから、生意気だぞって警告をしてやったんだ」
とてもブチャラティと視線をあわせていられず。たまらなくなって自分の足下へ目を伏せ、言葉の最後の語尾を窄め、アバッキオは喉奥から声を絞り出した。
(馬鹿だ。ガキ以下だ。ああそうさ、おれはくだらない女さ…)
伏せた銀色の睫が震えている。己の情けなさに、恥ずかしさに身を縮めたアバッキオを見、ブチャラティはある意味胸を撫でおろした。
部屋を訪ねてまでだんまりのままだったら、どうしようかと思っていたところだ。
荒くれだったふうを見せてはいるが、アバッキオは涙脆くか弱い、折れやすい女だ。
「なんだ、そうだったのか。別に悩みを抱えているわけじゃあなかったんだな。良かった。
とにかく。ジョルノはこれからオレ達の仲間なんだ。きっと頼りになってくる。
相手は年下の子供なんだ。大目に見てやって、諍いやもめ事はするなよ。リーダーからのお願いだ」
ソファを立ち、隣に移動して、身を縮めているアバッキオを優しく諭すようにブチャラティは語りかける。
肩に手をかけてやると、一瞬びくりと身体が硬直する。
そして。アバッキオはやっと顔をあげて、泣き出しそうな表情で、うんと頷いた。
潤んだ碧の瞳、先程彼女(アバッキオ)の飲んでいた紅茶のせいで濡れている唇の赤。
それだけでなく、よく見ればプラチナブロンドに艶めく長髪や、イタリア人にしては色素の薄すぎる膚だって何もかもが輝いて見えた。
どんな女よりも美しく、温かな光に包まれているかのようきらきらと輝いて見える。
昼間。ジョルノがアバッキオに向けて言った言葉をブチャラティは思い出す。思い出して、苦笑した。
(そうか。だからオレは苛立っていたんだな)
「ブチャラティ…?」
自分を見つめ、苦笑するブチャラティに。アバッキオは不安そうに呼びかけた。ブチャラティは優しいから、きっと怒っているのを隠しているんだ。そう思った。
「アバッキオ。おい、そんな顔するんじゃねえ。怒ってねえよ。……それともまだ、何かあるのか?」
「ねえよっ!」
己(ブチャラティ)の為にあんなコトをした。その事実が今となっては奇妙に嬉しい。新入りには悪いことをしたが。
ブチャラティの胸中に渦巻いていた不快感は、もう綺麗さっぱりと消えていた。
薄い肩に置いていた手に僅かに力をこめる。そして不意打ちとばかりに、顔を近づけて、ゆっくりと舌先でなぞる。
輪郭をたどり、質感を確かめ、味わうように魅惑的な紅の唇を。
「ブ、ブチャラティ?!」
予測していない事態に驚愕し、声を裏返させ、アバッキオが叫んだ。濡れた唇で。
時間をかけ、名残惜しげに唇から舌先を離す。視線と視線がぶつかる。
ブチャラティは普段の彼には到底似合わない、少々凶めいた悪戯の笑みを浮かべて、アバッキオの耳元に唇を寄せ、そっと囁いた。
「嘘をついていない味だ」
糸冬