ねぇ、お兄ちゃん、と妹が言った。  
 家のテラス。ブランコ式の吊り椅子。日曜日にあるミサを終え、自宅に帰っ  
て聖書を広げていると、隣に座って妹が話し掛けて来た。何だい? と問い返  
すと、神学校に行くって、本当? と目線を遠くにやりながら訊いて来た。  
 
 「本当だよ。父さんと母さんも良いって。ひょっとして、ペルラは反対なの  
かい?」  
 反対じゃあないわ、と妹は言った。お兄ちゃんならきっと素敵な神父さまに  
成れると思うし、きっと向いていると思う、と。  
 「じゃあ、何だい? 何か、気になることがあるんだろうペルラ。兄さんに  
言って御覧」  
 んー、と、妹は一寸唇を尖らせて兄に背を向けると、靴を脱ぎ、椅子の上で  
膝を抱えた。  
 
 「神学校って、お家から離れて、教会で暮らさなくちゃいけないんでしょ?  
お兄ちゃん、お家に居なくなっちゃうの……?」  
 「そりゃあ、修道者を目指すなら、ポストラン、修練期も終えて誓願を立て  
なくちゃあならないから、いずれは家は出なくちゃならないが……でも、それ  
はまだ先の話だ。暫くは通いながら一般教養を身につけるから、家に居るよ」  
 答えると、そうなんだ! と声を弾まして応え、よかったぁ! と、ぽすん  
と背を預けてきた。  
 
 「何だ、ひょっとして、僕が家を出るかも知れないのが不安だったのか?」  
 だぁってぇ! と、頬を膨らませる。背中と一緒に、頭も肩に乗せてくる。  
さらさらとした妹の髪が、くすぐったい。  
 「寂しいじゃない! そりゃあ、お兄ちゃんが望んだことだから、応援はす  
るけれど、さ!」  
 お前なぁ、と呆れ声を上げる。妹の頭がずりずりと落ちて、寝転がってこち  
らを見上げてくる。はしたないぞ、と一言言って、話をした。  
 「12年生(高校)を卒業したら、もう一緒に居られないんだぞ。そんなに甘  
えん坊でどうするんだ」  
 「でも、あと3年は一緒なんでしょ? その頃には私ももっと大人になって  
るもの! 今だけよ!」  
 べぇ! と紅い舌を見せてみせる。全く……と溜息を吐きながら、聖書に目  
を戻す。そういえばさと起き上がって、妹は再度、話を始める。  
 
 「神父さまって、結婚しちゃいけないんでしょ? 『愛することは大切』だっ  
て言うのに、何で駄目なの?」  
 結婚しちゃ駄目っていうわけじゃあ、無いな。と、返す。聖職位階である司  
教、司祭は独身とされるが、終身助祭であれば妻帯は許されているからな、と。  
 
 「愛と言っても、人間の愛には大きく三種あるんだ。男女愛、友愛、家族愛。  
でも、これらには条件が存在するんだ。男女愛は互いの価値観。友愛は生活…  
…仕事とか、学校とかいった生活の共有。家族愛は血の繋がりが必要となる。  
 けれど、神の愛はそれらを超越した、無条件の愛なんだ。罪人である僕らを  
無条件に愛する愛だ。  
 親を愛すること、友を愛すること、伴侶を愛することは、そりゃあ、大切さ。  
でも、ヒトの愛は時や境遇によって変わり行くだろ? 互いに想い合っていて  
も、不慮の事故とかで離れ離れにならなきゃいけなくなったりする。  
 『愛する』ってことは、人間の『生きがい』であり、『幸福』なんだけど、  
ヒトには限りがある。でも、神にはそれが無い。だから、神を愛し、それを伝  
えるために、伴侶は敢えて持たない……そういう事なんじゃないかな」  
 
 ふゥん。と妹は声を上げる。脚を椅子から下ろし、また、ぽて、と自分の肩  
に頭を預けてきた。  
 「……良く分かんない。あたし、お兄ちゃんのこと、好きだわ? それじゃ  
あ、駄目なの?」  
 「駄目じゃあ無い。ただ、限界がある、と言っているんだ」  
 こんな事言ったら、お兄ちゃんは怒る? と小さく前置きをして、妹は言っ  
た。  
 
 「あたし、イエス様は信じている……つもり、よ? でも、あたしたちって、  
そんなに罪深いのかしら? 生きることって、悪いこと? 何かをしたいって  
欲求を持って、努力したからこそ芽生えるものだってあるじゃない? そう思  
うのは、あたしが女で、エバの娘だから? ……だったらあたし、男の子に生  
まれて来たかったわ……」  
 溜息を吐く。ぱたんと聖書を閉じ、妹の頭をニ、三度、優しく撫ぜた。  
 「マリア様がいらっしゃらなければ、イエス様だってお生まれにならなかっ  
た。『罪深い』っていうのは、己の無力さ……謙虚さを認識するのに、必要な  
事なんだ。別にイエス様は僕らを責めているわけじゃないよ。ただ、忘れない  
為に、己の身をもって示してくれたんだ。  
 ……ほら、髪がぐちゃぐちゃだ。直してやるから、後ろを向けよ」  
 
 ん。と、妹は素直に頷いて、背中を向ける。髪留めを丁寧に外し、髪を梳い  
てやる。  
 「髪留め、使ってくれているんだな」  
 だって、お兄ちゃんがくれたものじゃない。と、声を返す。  
 「13歳の間の、お守りにって。悪い数字だから、今年がちょっと嫌だったし、  
お兄ちゃんが神学校行くって聞いて、やっぱりチョット嫌な歳だなって思った  
けど、今日、お話し出来てほっとしたわ。これってやっぱりお守りの効果かし  
らね、神父様?」  
 くすくす、と鈴を鳴らしたような小気味良い笑い声に、バカ。と髪を結わえ  
直してから、ぺん、と軽く頭を叩く。  
 「それに、13はキリスト教だからこそ悪いとされる数だが、別の宗教じゃあ、  
そうじゃないんだぞ。東洋の国では三、五、七という数は割れる事の無い聖な  
る数とされているんだ。十三だって、割り切れない聖なる数だ。そう思ってい  
れば、問題無いさ」  
 
 「ありがとう、お兄ちゃん。……でも、イエス様、そんな事を言って怒らな  
いかしら?」  
 こきゅ、と小首を傾げて訊ねて来る妹に、大丈夫だ。と笑い返す。  
 「己の運命すら、イエス様は『覚悟』されたからこそ、ゴルゴタの丘に登ら  
れたのだろうから――」  
 
 
-----------『 Mebius 』-----------  
       (上)  
 
 
△--- Chapter 1 ---△  
 
 
 北緯28度24分、西経80度36分。フロリダ半島大西洋に突き出した敷地、ケー  
プ・カナベラルを目指し、車は一路、風を切っていた。運転をしているのはま  
だ幼い少年で、どう考えても無免許であることは明白だった。だが、それを咎  
める者は居なかった。否――少年の運転する車とすれ違う車も、民家も、其処  
には存在して居なかった。  
 妙だな、と、少年は運転をしながら思った。後部座席ではDIOの息子達と戦  
闘を終え、疲労し切った徐倫やアナスイ、助手席ではエルメェスが、束の間の  
休息を取っている。  
 車の運転は、せめて自分がやれそうなことを、と少年が自ら願い出たことだ  
った。  
 
 ずっと刑務所で生きて来たこの少年は、車で外を走った事なぞあるわけが無  
かった。だが、『運転をした事』はあった。刑務所の敷地内を『幽霊の車』  
で走る。夜、車を走らせるそれは、少年にとっては貴重な『遊びの時間』だっ  
た。アナスイ曰く、怪談話になったらしいが、実際走っているのは車の幽霊な  
のだからあながち間違いではない。暗視カメラにも映らない、夜のレースは快  
適で、広い道路の上でなら、外界での運転にだって自信があった。  
 ただ、不安なのは後ろから来る車や、他の車にぶつからないようにする事だ  
った。後、睡魔に襲われないようにすること。それだけだ。  
 
 アメリカは国土の広い国だ。悠々とした道路に、対向車や後ろからの車が一  
切無いという事も、確かにある。だが、もう、走り出してかなりの時間が経つ。  
これは何だか、変だぞ、と少年は強い警戒心から眉を寄せ、取り合えず助手席  
で眠るエルメェスを起こそうと、声を掛けた。そうして次の瞬間、目の前に見  
えた物体に、ブレーキを、かけた。  
 
 「な、何だなぁ? エンポリオ。何が……?」  
 高い音が響き、車体が揺れた。皆が各々、目を覚ましてくる。あ、あれ……!  
と、エンポリオは窓ガラスの向こうに在るモノに向かって、指した。  
 「何よ……アレ……」  
 後部座席から身を起こした徐倫が、声を、上げた。  
 
 それは巨大な『繭』だった。植物の蔦や葉、花々が絡み合い、家ひとつ分は  
あろうかという楕円形を作っている。それが、道路を塞ぐかのようなかたちで、  
ぽん、とあるのだ。奇妙な事この上無い。  
 どうしよう、とエンポリオは言った。  
 「この道を進めば、順調にケープ・カナベラルには着く。幸いにも塞がって  
いるのは道路部分だけだし、……横を擦り抜けて行く? お姉ちゃん」  
 後ろで『繭』を凝視している、徐倫に声を掛ける。いや、と、徐倫は返し、  
ガチャリとドアを開き、車から降りた。  
 
 「徐倫ッ!」  
 同じく後部座席に座っていたアナスイが、慌てて降り、後に続く。徐倫はス  
タスタと『繭』に歩み寄ってゆく。隣に座っていたエルメェスも急いで降り、  
エンポリオは危ないよ! と車上から声を上げた。  
 
 「お姉ちゃん! 止めようよ!! 霧も出て来たし……こんなに車が無いだ  
なんて、変だよココッ!! 無視して先を急ごうよ!!」  
 「駄目よ、エンポリオ。それは出来ないわ。ココに来るまでにどれ程妙な物  
事を経験して来た? それらは全てDIOに……プッチに関する事だったわ。だ  
とすれば、『コレ』も、その可能性が高い……。時間はまだある筈だわ。少な  
くとも、『コレ』が何か調べてから、神父を追い駆けても間に合う筈よ。それ  
に何より、此の儘何も分からず放置だなんて、そんな事、父さんならきっとし  
ないわ。  
 エンポリオ、アンタは下がっていなさい」  
 でも、と呟く。エンポリオはきゅっと、僅かに唇を噛締めると、エンジンを  
切り、たっと、車から降り、あとに続いた。  
 
 「おいおい徐倫。まさかまた、命綱渡して潜り込んでみるとか言うなよ?  
マジであれピンチだったんだから」  
 「そうね。でも、『虎穴に入らずんば虎子を得ず』って言わない?」  
 エルメェスの言葉にそう返しながら、徐倫は『繭』に触れる。不思議ね、と  
呟いた。  
 「これ、本物だわ……ちゃんと、『植物』として『生きて』いる……。どう  
して、こうなったのかしら?」  
 言いながら、そっと手を触れていた植物から離そうとしたその瞬間、だった。  
 『繭』から伸びた黄色い『手』が、徐倫の右手を、掴んだ。  
 
 「え?」  
 徐倫が声を上げた。皆が目を丸くした。次の瞬間徐倫の身は『繭』の中に、  
吸い込まれた。  
 
△--- Chapter 2 ---△  
 
 そこは、緑の世界だった。一面に草木が茂り、並ぶ木々にはは林檎だろうか。  
果実が身を揺らしている。見上げると天井までも、まるでジャングルのように  
茂っているのに、何故か明るい。チチチチ……と、鳥達の鳴いている声が聞こ  
えた。  
 きょろきょろと辺りを見回す。自分を引っ張りこんだ『手』――恐らく、あ  
れはスタンドの『手』だ――は、見当たらない。暫く辺りを見回した後、腰に  
手をやってから、フゥ、と徐倫は溜息を吐いた。  
 
 「やれやれだわ……こちらとら、一度はカタツムリにまでなったんだから、  
今更何が起ころーと、驚かないわよ……」  
 そう呟くと、徐倫はカサカサと茂る緑の中を、歩き出した。  
 
 『繭』の中は、生命で溢れていた。囀りの方へ顔を向けると鳥が居た。草の  
間には虫が居た。宙にはフワフワと蝶が舞っていた。  
 「エンポリオも来れば良かったわ。あの子、本物見たこと無いから、きっと  
大喜びしたでしょうに……あたッ!」  
 道に迷わないように『糸』を張りながら、『繭』の中を歩む。尖った葉で、  
右手を僅かに切り、顔を顰める。滲み出た血をペロリと舐めて、それにしても、  
と、独り思う。  
 それにしても、随分とメルヘンな能力だ。未確認生命体を操る能力といい、  
キャラクターを現実化する能力といい、過去の記録を発掘する能力といい、DI  
Oの息子というのは軒並みファンタジーな能力なのだろうか。  
 「しかし、『カリスマ』って言うのには縁遠かったわよね、あいつら……」  
 繁みを掻き分け、奥へと進む。その時、「誰だ」と声が、掛かった。  
 
 手を止める。眼前の奥、繁みの持つ暗闇の方から、声がした。声は低く、同  
時に不思議な甘味があった。父の記憶の、DIOの声に似ているなと、少しだけ  
思った。最もアレはもっと、こう、いやらしい感じがしていたが。  
 
 「アンタこそ誰? あたしをココに引き込んだヒト?」  
 ……何のことだ? と、声が返って来た。掠れた。呻くような、疲労感を感  
じさせる声だった。  
 「出て行ってくれ……僕に、構うな……」  
 「……ねぇ、アンタ、ひょっとして、怪我しているの? 声、苦しそうよ?  
兎に角此処に連れて来られた以上、ハイそうですかって、帰るわけには行かな  
いの。そっち行くわよ?」  
 言い、繁みを掻き分けて行く。止せ、やめろと、声が掛かる。虫をして歩み  
を進める。  
 「ひとりに、して……ください」  
 
 繁みの奥、まるで手負いの獣のように身を縮めて、青年は居た。金髪の青年  
だ。髪は背中まであり、結わえる事無く後ろに流している。髪に、草の葉が絡  
まっている姿が、傍目から見て痛々しい。服は特注のスーツだろうか、ハート  
をあしらった風変わりなスーツを着ている。体格は、うずくまっているから良  
く分からない。リキエルと同じくらいだろうかと、ふと思った。  
 
 「……どうしたの? 見たところ、怪我は無いみたいだけど……。頭、痛い  
の?」  
 ゆっくりと、警戒させないように、歩み寄る。其処で、ぱっと青年は、顔を  
上げた。ヒクヒクと、鼻を動かす。  
 「君こそ、どうしたんです……手を、怪我したんですか?」  
 ああ。と言われて気づいたと、徐倫は先ほど葉で切ってしまった、己の手を  
見た。どうこうする程のものではないが、血が滴っている。  
 「さっき、其処の葉っぱで切ったのよ。大したこと無いわ」  
 「此処の草木で切ったと言うなら、僕のせいですね、傷を、見せて下さい」  
 とにかくここは大人しくしておこうと、言われるがままに血が薄く流れる手  
を、差し出した。青年はそれを己の手に、乗せる。そこで、顔を寄せ、舌を、  
伸ばした。  
 
 「何してんのよッ! てめェーーッ!」  
 
 ”――2人とも、腕から血が出てるわ”  
 
 青年に向かって蹴り上げようと思った脚を、瞬時に、自制した。そのまま、  
ゆっくりと脚を下ろす。青年はぺろり……ぺろり、と徐倫の血を舐めている。  
美味しそうに。求めるように。  
 
 ”ああ〜〜〜「水」〜〜「水」だァァァァ〜〜。「水」が必要だァァァ〜〜  
のどが乾いてきたァァァーーーーッ”  
 
 ……こきゅん、と、唾を、飲み込む。どうして、と思った。  
 どうして、こんな時に。あの子の事を、思い出しちゃうんだろう。あの子と、  
FFと、この青年とは、似ても似つかないのに。FFは、もう居ないのに。あの時  
別れを告げた彼女が全てなのに。  
 プッチから命を授けられて、勝手に命令されて、争って、友達になって、一  
緒にキャッチボールして、笑って。あたしのために助けに来てくれて、命の危  
険に晒されて、騙されて、自分の身を犠牲にして、笑顔で、逝って……。  
 
 「血が、欲しいの?……」  
 掠れた声で、呟くと、青年はぴたりと、動きを止めた。凍りついたように固  
まり、静かに、項垂れる。徐倫はそっと、青年の前に膝を下ろすと、すっと髪  
を掻き上げ、うなじを露わにして、青年の前に、屈んだ。  
 
 「あげるわ」  
 「……ッ!?」  
 
 正気か? と、蚊の鳴くような声が、響いた。  
 「僕が……吸い殺してしまうかも、知れないんだぞ……」  
 「そうしたら、抵抗するわ。全力で。それでも吸われたら、あたしが弱かっ  
たって言う、それだけのことよ。貴方が気にすることは無いわ。  
 ……ホラ、早くしなさいよ。あたし、せっかちなの。こうと決めたら、グズ  
グズするのって、嫌いなのよね」  
 
 そう告げて、にやりと笑むと、青年は一度目を丸くしてから、コクリと頷き、  
徐倫の柔肌に、牙を、立てた。  
 「ぁ……ァっ!!」  
 ぞくり、と肌が粟立つ。官能と恐怖と、酩酊とが一気に、襲って来て、くら  
くらする。腕に力が入らず、崩れ落ちまいと、きゅっと、己の首筋に牙を立て  
ている青年の背中に、縋り付く。ふわふわ、する。  
 ちぅ、ちぅと、まるでキスをするかのうな甘い音が首筋から響く。足の力が、  
抜ける。ぺたり、と、太腿が、地に、着く。  
 「は……ァあ……!!」  
 零れ出る、吐息が甘い。嫌だ、まる、で、セックスをしているかのような、  
感覚だった。まだ、経験だって、無いというのに。  
 脳が熱い。胸が、熱い。目眩がする。何だ、これ。何。血が。  
 脈打っている。相手と、自分と。一緒になって。自分のものが、彼のものに。  
彼の吐息も、熱い。一緒になる。ぁ! と声が洩れた。  
 
 「――気分は、如何ですか?」  
 目が覚めると、青色の双眸が見えた。ぱちくり、と目を瞬く。身を起こそう  
として、支えられる。どうやら気を失って、男の膝上で寝かされていたらしい。  
 「全く、無茶をするひとですね。……血は造って、補っておきました」  
 つくったって、と鸚鵡返しに応える。造れるんです。と頷かれる。ああそう  
か造れるのか、と納得して頷いた。多分そういう事が出来る能力なんだろう。  
 
 「欠片も抵抗なんて、出来なかったわね」  
 苦笑いを浮かべる。笑い事じゃあ、無いですよと、男は言った。  
 「もしも僕がそのまま殺すつもりだったらどうするんです! 警戒心が足り  
ないって良く言われませんか? ……どうして僕を、助けたんですか……」  
 「そこんところだけれど、あたしにも良く分からないわ。良いじゃない。結  
果的にお互い無事だったんだから」  
 言い、にっと笑ってみせると、青年はやや呆気に取られた顔を浮かべた。徐  
倫はひょい、と肩を竦めて、隣に座る。  
 
 「あたしは、空条 徐倫。あんたは?」  
 「僕は――ジョルノ・ジョバァーナと、言います――」  
 
 
 
 ジョルノってさ、と徐倫は言った。二十代中頃か、後半くらいだろうか?  
血を吸ったせいなのか、当初目にした時の印象よりも、青年はずっと落ち着い  
て頼もしく見えた。父さんにちょっと似ているな、と思った。  
 「もしかしなくても『DIOの息子』?」  
 「そういう君はもしかしなくても、空条承太郎のご息女ですね」  
 暫く、沈黙が落ちた。……闘う? と、徐倫がちらりと覗き込みながら、訊  
いて来る。  
 「君がそうしたいなら、お相手しますが……自ら血を差し出した相手と闘う  
なんて、ナンセンスですね」  
 「そうね、あたしもそう思うわ」  
 また、沈黙が落ちた。少し、歩きましょうか。と言うジョルノの申し出に、  
良いわよ、と徐倫は腰を浮かした。  
 
 「ねぇ、アンタもさ……神父の手下なの?」  
 それは一寸、違いますね。と歩きながら、ジョルノは答えた。宙にはふわふ  
わと多種多様な蝶が舞っている。不思議な光景だわ、と徐倫は改めて思った。  
 「エンリコ・プッチは知っています。父……ディオの親友だったようですか  
らね。ですが、会った事はありません。僕が勝手に調べた事です」  
 ふぅん、と徐倫は返す。  
 「あたし、貴方の兄弟を、殺したわ。三人居た」  
 「それを僕に言って、どうするんです?」  
 「言い訳はしないわ。あたしは、負けるわけにはいかなかった。ただ、アン  
タの兄弟だって言うなら、黙っているのもヤダなって思っただけよ」  
 君は……と、ジョルノは足を止め、徐倫の方を見つめた。暫く瞳を見た後に、  
フゥ、と溜息を吐く。  
 「『良い人』ですね。その上、正直者だ……」  
 「ねぇ、どうしてアンタはこんな所で、こんな『繭』に入っていたの?」  
 頭痛がしたんです。と、ジョルノは答えた。  
 「とりわけ酷くなったのはここ数日。あと、数週間前位から誰かに呼ばれて  
いるような感覚がしたんです。シゴトが忙しいし、ここに来るのも抑えていた  
のですけどね、同僚から行って来いと後押しされたので、行くことにしたんです。  
 そうしたらもう、今度は飢餓感まで覚えるじゃあないですか。血液を造って  
それを摂り入れても無駄。生憎まだ人間辞めるほど生きていないので、ココに  
籠もっていたら君が来た。そういう事です」  
 「ふーん。そう言えば、ジョルノ、仕事って何やってんの?」  
 「ギャング・スターです」  
 「……飛んでるわ……」  
 無表情でさらりと言われた言葉に、徐倫は感想を零す。驚きましたね、とジ  
ョルノが首を曲げて言う。  
 
 「信じるんですね、僕の話」  
 「信じるわよ。だってアンタ、嘘言っているように見えないもの。嘘なの?」  
 嘘じゃあないですけど……。言い、首を傾げる。  
 「あたし、プランクトンの友達が居たの。そう言ったら、信じる?」  
 きゅ? と小首を傾げてジョルノの方を見上げて見せる。じっと、ジョルノ  
は徐倫を見つめる。目を逸らさずに、見返す。  
 「……嘘は吐いていませんね」  
 「スゴイわ。目を見ただけで分かるのね」  
 「『目は口ほどに物を言う』と言いますからね。昔の仲間には、汗を舐めて  
嘘を見抜くという特技を持っている者もいましたよ」  
 「ウッソ! 何それ! 超飛んでるッ!!」  
 現実は空想よりも奇なり、とは良くいったものですね。と、返す。  
 
 暫く、無言で二人は歩いた。さくさく、と、二人分の足音が響く。  
 「あたしさ、神父を追ってるの。その途中でこの『繭』に差し掛かった。そ  
れで、アンタと出逢った。アンタが特に何もするつもりが無いって言うなら、  
ここを出て、神父を追うわ。そしてきっと、神父を倒す」  
 同じ事を二度言うのは嫌いなのですが、と前置きをして、ジョルノは言った。  
 「それを僕に言って、どうするんです?」  
 「ここの出口を教えて。あと、あたし達の邪魔をしないでくれると助かるわ。  
邪魔をするなら、この場で闘う」  
 
 ざ、と。風が吹いた。前を進んでいたジョルノが振り向く。金色の髪が、さ  
らさらと靡いている。見詰め合う。やっぱりコイツ、何となく父さんと似てい  
るな、と徐倫は思う。父に比べるとずっと多弁だし、取っ付き易いが。  
 すっと、ジョルノの手が伸びた。身構える事もなく見つめていると、手が徐  
倫の髪にかかる。何かと思っていると、花弁が付いていますよ、と告げられ、  
取られた花弁が、宙を舞った。  
 
 「此処から出さないと言ったら、どうします?」  
 無表情で、ジョルノが告げる。ぴくりと、徐倫が震えた。僅かに顎を上げ、  
上目で睨む。  
 「……足止めって事?」  
 まさか。と、ジョルノは打ち笑う。そんなんじゃあ、無いですよ、と。  
 「じゃあ何よ? あたしとお茶でもしようとでも言ってんの?」  
 「そうですね。アダムとイブにでもならないかと言うのはどうですか? 徐倫」  
 言ってる意味が分からないわ、と無表情に答える。  
 「……イカレてんの? この状況で」  
 悪い話では無いと思うんですけれどね。と、ジョルノは真顔で返す。  
 
 「この『世界』は広げられるし、外界の喧騒とも無縁です。しがらみも襲っ  
て来ない。悪くない話だと思いませんか?」  
 「あたしは仲間と、父を見捨てることは出来ない。……これが答えよ。フザ  
けた問答を続けるって言うなら、力づくでも此処を出るわよッ!  
 ……アンタだって、『同僚』とやらは良いの?」  
 「良くないですよ。済みません、貴方にこういった話は逆効果でしたね。  
でも僕が君を気に入ってきているのは本当ですよ。  
 ……きちんと、君は外に返してあげます。ですからもう少し僕と、話をして  
はくれませんか? 空条徐倫」  
 
 言い、徐倫の手を取りながら、ジョルノはそっと腰を下ろした。  
 
 父と、承太郎さんとの確執については、僕の仲間の、ポルナレフさんから聞  
きました。……ああ、訊くと言うよりも、僕が調べて、しつこく訊いて口を割  
らせたって方が正しいのかも知れませんね。ポルナレフさんって、知っていま  
すか? 貴女のお父さんの、戦友です。とある闘いで自分の肉体を失くし、今  
は霊となって亀の身体を乗っ取っていますが、気さくで勇敢で、とても頼りに  
なる方です。  
 ポルナレフさんは僕の事を想ってくれたのでしょう。父の事をなかなか話そ  
うとしませんでした。それはそうですよね。子供を前に、親の悪評なんてどう  
考えても良いものじゃありません。  
 本当は、僕も父の事なんて、どうでも良いかなと思っていたんです。だって、  
僕の事を見ていたわけでも、何をしたわけでもない。ただ、僕をつくった。そ  
れだけなんですから。  
 でも、ある日を境に僕の髪の色や、容姿が変わってしまった。僕の母は日本  
人だから、僕のこれは父の容姿だ。そうすると、どうあっても意識する。自分  
に何が起こったんだろうと思う。父親は何者なんだろうと思う。どんなひとな  
んだろうと、想像する。……知らないからこそ、とでも言うのですかね。父親  
に対して理想を抱いてしまう。期待を抱いてしまう。理性は「そんなウマイ話  
があるわけない」って分かりながらも、心のどこかで思ってしまうんです。  
 
 ポルナレフさんは「彼は悪人だった。だが、悪にとっては救世主だった」と  
言ってくれました。優しい人です。ご自身の妹を、父の部下から殺されている  
のに、友も父との闘いで喪っているのに、そう言ってくれました。  
 ある時、僕はポルナレフさんに訊きました。「僕が憎くないのですか?」と、  
すると、ポルナレフさんは「確かに、お前はDIOの息子らしいな。だが、俺の  
信頼する、誇り高き友人に良く似ていると、俺は思うよ。俺はそう思う自分を  
信じる。だから、お前を信じるよ」……そう言ってくれました。  
 「信頼」というのは、心地好いものですね。僕は昔、人を「能力」で見てい  
たけれど、仲間達から「信頼」と、それから生まれる「覚悟」や「希望」を教  
わりました。  
 僕はその「信頼」を改めて感じた。だから、もう、父に関してはもう良いか  
なと思った。完全に心から切り捨てようと思った。けれども、切れなかったん  
です。  
 
 そこまで語ったところで、ジョルノは同じように草原で腰を下ろす徐倫の眼  
を除きこんで、言葉を紡いだ。  
 「『誰か』が僕を呼んでいるような気がしてならなかった。不思議な感覚だ  
った。仲間に心配をかけまいと平静を装っていたのですが、ある日呼び出され  
て訊かれました。話をしたところ、仲間の……トリッシュという女性から、  
『あたしも似たような感覚を覚えたことがある。血の繋がりという、感覚だわ』  
と言われました。  
 ……その時の僕の感情が、分かりますか?  
 トリッシュは、行かなくては駄目だと言いました。それが良いものであれ、  
悪いものであれ、自分の目で見定めるべきだと。そうでなくては、先に進めな  
いとね。……彼女も似たような境遇を経験していたから、とても、説得力に満  
ちた言葉でしたよ。ねぇ、徐倫」  
 
 顔を寄せる。すぐ、唇が届くのではないかと距離まで、互いの顔が、近づい  
た。  
 「僕と君は、遠いながらも血が繋がっている。だから、こんなにも愛しさを  
感じるのでしょうか。それとも、君が僕に血を分け与え、僕を君の生命の糸で  
もって、引き上げてくれたからなのでしょうか?」  
 
 すっと、ジョルノの手が徐倫の身を倒した。抵抗も無く、徐倫はあっさりと  
背を地に着ける。草のさわさわという音が流れる。ゆっくりとジョルノが、覆  
い被さる。あたしには、と徐倫が言った。  
 「ご飯をあげたら懐かれた獣、って感じだわ」  
 「獣ですか? 僕が?」  
 そうよ。と、覆い被さっているジョルノに、臆する事無く徐倫は応えた。す、  
と手を伸ばし、頬に触れる。  
 「ひもじくて、苦しくて、仕方が無いって感じだったわ」  
 ぱちぱち、とジョルノはニ三、瞬きをした。ざ、と、風が鳴き、花が舞った。  
そうですね。と、応えて徐倫の手を、そっと取る。  
 「そうなのかも、知れません。  
 徐倫、君の血と、魂で、僕の魂を結び、繋ぎ止めていてはくれませんか……?」  
 「なに、それ? 愛の告白?」  
 ふっと、言葉に軽く吹き出した徐倫に、そう受け止めてくれて構いません。  
とジョルノは答えた。  
 「事実、僕には君が必要だ。僕が僕であるためにも」  
 言い、ゆっくりと唇を徐倫へと降ろしてゆく。互いの唇が触れ合うのではい  
う直前で、すっと徐倫の人差し指が、ジョルノの唇を、遮った。  
 「悪いけれど、あたしはそういう事をしている暇は無いの。あたしのことを  
求めてくれて有難う。でも、あたしは神父を追わなくちゃいけないの。このお  
話はまたにしましょう?」  
 にっこりと笑んで軽くジョルノの胸を押すと、徐倫は身を起こした。立ち上  
がり、ぴん、と背筋を伸ばす。  
 「徐倫。僕も行きますよ。いえ、行かせて貰います」  
 「……何故? 神父に協力するため? それとも、本気で愛の告白をするた  
め? 言っておくけれど、どちらにせよ、あたしの邪魔をするなら容赦しない  
わよ?」  
 構いません。とジョルノは答えた。  
 「僕の事が気に入らないなら、殺してくれて結構です。どうせ、君がさっき  
僕に血を与えてくれていなかったら、僕は僕では無くなっていたかも知れない。  
僕は、『良いものであれ、悪いものであれ、自分の目で見定め』たいんです。  
僕が僕であり、先に進むためにも。どうか同行を許して下さい、徐倫……」  
 沈黙が落ちた。互いの目が絡み合った。やがて徐倫はくるりとジョルノに背  
を向けると一言、好きにすると良いわと告げた。そうしてポケットの中を弄っ  
て、ヘアゴムを一本取り出すと、コレあげるから髪結わえなさい。鬱陶しいわ。  
と、そう言った。  
 
△--- Chapter 3 ---△  
 
 結わえられた金色の髪が、風に靡く。ナルシソ・アナスイは運転席でハンド  
ルを握る男を見、チッ、と舌打ちする。  
 「眠っていてくれても構いませんよ、アナスイさん」  
 「誰が寝るかよ。オメーが妙な事をしねェか、見張ってねェとな」  
 言って、横目で睨んだ。  
 金髪の、妙な三連コロネのこの男……ジョルノ・ジョバァーナを連れて徐倫が  
出て来た時、皆は驚き、そしてDIOの息子と言う紹介から警戒した。それまでの  
相手が相手で、散々な目に遭っているのだから当然だ。だが、徐倫は彼を連れ  
て行くと言う。怪しい動きをしたら殺してくれても良いそうよ、と言う割に、  
徐倫の態度は柔らかかった。アナスイからしてみれば、DIOの息子云々以前に、  
先ずその点からして気に食わない。そして何よりも、先程から風を受けて流れ  
ている、男の三つ編みを括った、ヘアゴム。  
 
 (徐倫と『御揃い』ったァ、どう言う了見だコノ野郎……)  
 『繭』の中で何があったかを、徐倫は語らない。だが、徐倫の優しさが、彼  
女の父親を除き、自分以外の異性に向けられるのは不愉快だ。どういった理由  
があるにしろ、彼女と同一のものを身に纏う辺りも許せない。  
 ナルシソ・アナスイにとって、ジョルノ・ジョバァーナという人物は、会って  
正しく数分足らずで「目の敵」に決定した。  
 
 アナスイさんは、と、ジョルノが言った。  
 「どうして徐倫と一緒に?」  
 運転席からの言葉に、アナスイはちらっと助手席からミラーを見、徐倫たち  
が寝入っているのを確認した。後部座席には徐倫・エンポリオ・エルメェスが  
居るが、皆、走り出して数時間が経過して、休み始めていた。  
 「彼女を愛しているからだ」  
 さらり、とジョルノに対して、アナスイは答えた。そうですか、と、ジョル  
ノはほんの少しだけ唇を綻ばして、応えた。笑みがムカつくと、アナスイは思  
った。  
 
 「何故、彼女を?」  
 アァ? と声を上げる。ちらり、とミラーで徐倫を見る。眠っている。無視  
しようかと思ったが、自分に眠気が訪れるのも癪なので、応える。  
 「気に入ったからさ、彼女のルックスも、魂も。何よりも物を真っ直ぐに見  
つめるあの眼差しが良い。俺を、あるべき道に『引き戻してくれる』感覚がす  
る……」  
 ジョルノは、『引き戻してくれる』と言った瞬間、僅かに手を震わせたよう  
だった。沈黙が下り、お前には、俺がどう見える? と問いかける。  
 「グリーン・ドルフィン・ストリート刑務所脱獄囚に見えます」  
 「お前それは知ってる情報を言ってるだけだろ。……俺は殺人犯だ。昔付き  
合ってた女が浮気したから、男と共にバラしてやった。精神鑑定は異常なし。  
……こう言えば、お前はどう思う?」  
 「嫉妬の上で計画的に犯行。再犯を防ぐため、それ相応の罰が適当。異常が  
無かったという点と、殺人がそれ一度きりだというなら、刑期は12年くらいな  
んじゃないですかね」  
 「オメーは裁判官か。まぁいい。俺は相手と女をバラした。目撃した時点で  
愛は冷めたし、正直言って女が誰とヤろうがどうでも良かった。ただ、その時、  
『この女の中味はどうなってんだろう』って思っただけさ」  
 
 ちらり、とジョルノを見た。金髪の青年は、黙って車を進めている。  
 「分かるか? あのアマは、俺の事を愛していると言いながら、別の男にも  
同じ事を言っていた。どういう神経をしてやがるのかと思った。その中味を見  
てみたいとね。男も同様だ。人の女に手を出す神経を見てみたかったんだ」  
 「……それで、何か、見えましたか?」  
 いいや。と、ジョルノの言葉にアナスイは答えた。  
 
 「何も分からなかったさ。ただ、人間の身体はこういう仕組みをしているん  
だなって事だけが分かった。それからは、俺にとって人間は単なる部品の組み  
合わせに感じられた。螺子やら、歯車の代わりに骨やら筋肉やらがついている  
モノ。俺にとってはそれがヒトだ。俺は『人間』って生き物に対して、一気に  
冷めたね。  
 徐倫が無実の罪で……男を庇って収監され、父を助けるために逃げずに向か  
って行く女が居るって事を後ろのガキ……エンポリオから聞いて、興味を惹か  
れた。俺とは正反対のヤツが居るってね。静観していたら徐倫はどんどん強く  
なり、俺を抑えていたウェザーまで手を貸すようになった。気を惹かれるなっ  
て方が無理な話だ。実際彼女に逢ってみて、確信した。俺は彼女と出逢う為に  
此処に入ったんだってな」  
 「何故、彼女を『バラそう』とは思わなかったんです?」  
 目だよ、と、アナスイは答えた。  
 
 「彼女の眼は美しい。強い意志が其処に見られる。『中味』がどうという問  
題じゃない。その目をずっと見ていたい。その目で俺を見て欲しい。だから、  
彼女には生きて欲しい。彼女の力になりたい。そういうことだ」  
 
 成る程。と、ジョルノは応えた。事情は異なりますが、共通点はありますね、  
と。  
 「共通点……?」  
 「僕も彼女が好きだと、そういう事です」  
 
 言った瞬間に、シートに潜行していたダイバー・ダウンが手をひらめかせ、  
手刀としてジョルノの首筋につきつけた。ジョルノは表情も変えずに、運転を  
続けている。どういう意味だ、とアナスイが低い声で、問う。  
 
 「其の儘の意味です。僕は彼女を手放すわけにはいかない。貴方とは違う理  
由で、僕も彼女を愛している」  
 「神父の為か?」  
 「まさか、僕自身の、僕が僕であるために、です。  
 ……では、今度は僕が、お話しましょう。僕が、DIOの息子だという話は、  
既にしたと思います」  
 アナスイは手を動かす事無く、聞いている。恐らく少しでも不穏な動きをし  
たら切り裂くのだろう。そうした空気をアナスイは放っていた。  
 
 「どうやら今まで聞いた話を纏めると、精神面は置いておいて、僕は最も父  
であるDIOの血を継いでいるそうです。ここに来てから、僕が血液に対する飢  
餓感を覚えたのも、恐らくはそういう事なんでしょう。  
 狂おしいまでの飢餓感、自分が自分では無くなる感覚というのを、アナスイ  
さんは分かりますか?」  
 
 沈黙が流れた。本当に、あの『繭』の中で、僕はもう駄目かと思ったんです、  
とジョルノは言った。  
 
 「僕は死ぬのが嫌だった。けれども、誰かを襲うのはもっと嫌だった。僕は  
人間で在りたかったですからね。あの時、徐倫が僕の前に現れ、血を分け与え  
てくれた時、僕は『運命』というものを信じても良いとすら思いました。  
 ――僕の身体には、父であるDIOの血と、肉体を奪い取られた、ジョースタ  
ーの血が流れている。同じ、ジョースターの血が流れている徐倫の血が、僕を  
ヒトとして引き戻してくれたのだと、そう、確信しました。  
 けれども何よりも、僕が感動したのは彼女の『優しさ』です。僕はあの時飢  
えていた。どう贔屓目に見ても、ヤバい状態でした。そんな状態の僕に歩み寄  
り、血を与える。並大抵のことじゃありません。彼女は強い。僕は共に歩むの  
ならば彼女のような女性がいい。僕は、彼女を手放すわけにはいかない」  
 
 「……なら、どうするってんだ? 此処でやり合うとでも? 俺は構わない  
ぜ?」  
 「神父が居なければ、それも構わないでしょう。どんな生き物だって、異性  
を巡る争いには命を賭けるものですからね。だが、今は状況が違う。僕らは神  
父を追っていて、神父の野望を砕くことが徐倫の願いです。  
 全ては神父を倒してから……そうは思いませんか?」  
 
 フン! とアナスイは息を吐いた。良いだろう、と、ダイバー・ダウンの手  
を下ろす。  
 
 「だが、俺はお前を信用したわけじゃないぜ? お前を倒さないのは『怪し  
い動きをするまでは殺すな』という徐倫の言葉があるからに他ならない。そし  
て、その時が来たら俺は本当にお前を殺す」  
 それで良いです、というジョルノの言葉に、いやにあっさりしているんだな、  
とアナスイが言った。無表情のまま、ジョルノは答えた。  
 
 「貴方が徐倫を好いているのが良く分かったからです。……出来れば何か言  
いがかりでも付けて、僕を討ちたいくらいでしょう? 僕も彼女を好いている  
ので、譲ることは出来ませんが、気持ちは分かります。だから、その条件で構  
いません。  
 ……そろそろ、ケープ・カナベラルに近づきます。アナスイ、皆を起こして  
くれませんか?」  
 
 淡々と告げられた言葉に、アナスイは言葉に詰まりながらも、後ろを振り返  
り、徐倫にそっと触れて、起こした。二人の男達の心を惹きつけてやまない娘  
は、子供のようなあどけない表情で、友と寄り掛かり合い、寝入っていた。  
 
△--- Chapter 4 ---△  
 
               ☆-1  
 
 <神は、この光を昼と名づけ、このやみを夜と名づけられた。こうして夕が  
あり、朝があった。第一日。 >  
 
 ジョースターの感覚がした。それ自体には驚かなかった。ただ、その気配の  
数に眉を顰めた。数はどうやら二つである。ひとつが徐倫であることは間違い  
無いのだが、もう一つが分からない。承太郎では無い気がする。何故と言われ  
ても困るが、そう感じるのだから仕方ない。  
 『C-MOON』は未完ながらも発動した。  
 自分の立つ場所が地となった。頭上が全ての天となった。<初めに、神は天  
地を創造された。>旧約聖書第一節を覆す己のスタンドは、間違いなく人類を  
幸福へと導くための存在に思えた。発動したその時に特徴は掴めた。迫ってく  
るジョースターを相手に、『C-MOON』を闘わせ、完成させる。そう思い、ビジ  
ター・センターから奴らを確認できる位置まで移動する。  
 
 『壁』に立つ。窓が引き戸のように見えている。必死に掴まる人々の姿が見  
える。横になった『道路』には、何故か糸と多くの蔦植物が這い、周りの建物  
と絡み合い、足場を作っていた。その状態に目を瞬かせた。まさかと思った。  
DIOの息子達は三人。だが、もう一人居ることは知っていた。だが、彼は来なか  
った。それならばそれで構うまい。『C-MOON』を引き上げる存在ではなかった。  
それだけの事だ。  
 しかし、もし、彼が今、此処に居るのだとしたら……。  
 ちっと、プッチ神父は舌打ちした。  
 
 「どういうつもりだ……人類の救世主となる『C-MOON』にとって、『遅れて  
来た賢者』となるのか、それとも『ユダ』か……。  
 人類に幸福をもたらす『光』である存在が、敗北するような事は、決してあ  
ってはならないッ!」  
 
               ☆-2  
 
 <神は、その大空を天と名づけられた。こうして夕があり、朝があった。第  
二日。 >  
 
 背中の痛みに眉を顰めた。葉が、ちくちくする。痛む背中に手を伸ばすと、  
血に触れた。出血は酷くないものの、皮膚を切ってしまったらしい。まぁ、あ  
のまま地面に叩き付けられるよりはマシか、とエルメェスは天を仰いだ。  
 否、天と言って良いのか……かつては地面であり、道路であった場所が、今  
は壁となっていた。冗談じゃあない、とコロンブスの新大陸発見の年号と世界  
で一番有名なネズミの誕生日を呟いていてみる。絶対正しい。つまり、目の前  
の光景も現実と言うことだ。  
 
 「おいおいおいおいおい。フツー大空が『天』なんだぜ? これじゃあ太陽  
昇ったらどうすんだ? 『お天道様』なんて言葉も変わっちまう……」  
 
 攻撃の相手は分かっている。神父だ。間違いない。ギシ、と、ジョルノが落  
ちきる直前で伸ばしてくれた『蔦』を持つ。徐倫達は神父を追っているのだろ  
う。自分もどうにかして、それに追いつかねばならない。  
 『前』を見上げる。様々なものが落下して来ている。中には人の姿も見えた。  
畜生め、と舌打ちする。月齢だか知らねぇけどよ、と呟く。  
 
 「I see the moon,And the moon sees me.God bless the moon,And God ble  
ss me!(月がアタシを見つめりャあ、アタシも月を見上げるよ。カミサマ月を  
護り給え、アタシの身も護り給え!)」  
 
 夜道は危ないからと、『おまじない』として姉から教わった文句を思い出す。  
『運命』なんて信じない。姉が神父のいう『運命』なんぞのために、犠牲にな  
っただなんて思いたくない。そんなものの為なら、どんなに罪悪感を抱えてし  
まっても良い、家族である自分の至らなさが姉の死を招いた。そう思った方が  
ずっと良い。  
 『運命』だなんて、そんな物の為には命は賭けられない。けれども姉と、自  
分の復讐に手を貸し、痛みを分かち合ってくれた友の為になら、命を賭けられ  
る。  
 あたしの思うカミサマは、と、蔦を引き寄せながら、ひとり、思う。  
 
 「進んで手を貸してもくれないけれど、罰したりもしない。ごく気紛れで、  
たまに助ける。あたしの行いをどっか遠くで見守ってる。そーいう神だ。  
 待ってろよ徐倫! きっと、『天』はあたしらを見捨てたりはしない!   
なんたって、空で見守っているのは太陽だけでも、月だけでも、無いんだから  
な!」  
 
 友人の首の後ろにある痣を思い浮かべながら、エルメェスは空を仰ぎ、蔦を、  
握り締めた。  
 
               ☆-3  
 
 <それで、地は植物、おのおのその種類にしたがって種を生じる草、おのお  
のその種類にしたがって、その中に種のある実を結ぶ木を生じた。神は見て、  
それをよしとされた。 こうして夕があり、朝があった。第三日。 >  
 
 エルメェスは無事です。徐倫。僕らは神父を追いましょう。『ゴールド・エ  
クスペリエンス』によって誕生させた木と蔦で、落下していたエルメェスを支  
えると、ジョルノは自分達の足元にも足場として草木を生やし、そう告げた。  
 
 こいつの言葉に従うのは不本意だが、とアナスイもジョルノに同意する。ヤ  
ツは怪我をしている。追い詰められているのはヤツの方だ、と。二人の言葉に  
僅かに躊躇した後、徐倫は頷き、遠くを見る目で、『上』を見つめた。  
 
 命綱を持つ徐倫。潜行させることが出来るアナスイ。そうして、生命を生み  
出し足場を創れるジョルノにとって、『上』を目指すことはさしたる苦労はい  
らなかった。途中、女子トイレの近くで助けを呼んでいる女性達もいたが、大  
した事でも無いので素通りした。  
 『感覚』による、神父の位置は、かなり近くまで感じていた。アナスイが徐  
倫に神父の位置を確認したその時だった。スタンドが背後から、彼女を襲った。  
 
 「徐倫ッツ!!」  
 徐倫の腕が歪んでいた。アナスイが慌てて徐倫の元へと駆け寄る。触れさせ  
るのは危険だと、咄嗟に髪に結わえていた髪留めを解き、生命を与えて空へ放  
った。元は徐倫の髪留めであったそれは、椰子の実となり、盾となり、徐倫の  
身を守った。徐倫を守った椰子の実は、スタンドの攻撃を受けた。だが、『割  
れる』という事は無く、奇妙な形に歪み、中の果汁を、溢れ出した。  
 
 「――『重力』だッ!!」  
 眼前で起こった奇妙な事象に、ジョルノは叫んだ。そうかッ! と、エンポ  
リオの少年特有の高い声が、それに続く。  
 「地球もリンゴも、万物には重力が働いていて……それは全ての『重力』の  
方向に引っ張られている……!!」  
 睨み合う徐倫に、エンポリオをこっちへ! とジョルノは手を伸ばす。徐倫  
は少年を掴み、ジョルノの方へと放り投げると、自身はスタンドと立ち向かっ  
た。眼を見開き、繰り出される拳を避け、攻撃を仕掛ける。神父のスタンドは  
蹴りを受け、大きく仰け反った。瞬間、徐倫の足を、捉えた。  
 
 悲鳴が上がった。腕の中にいるエンポリオが徐倫に駆け寄ろうと身を動かし  
た。強く抱き留め、それを阻む。少年が彼女の元に行ったところで、足手纏い  
にしかならないのは明白だった。  
 周りの動揺をよそに、徐倫は冷静だった。慌てずに、再度わざと攻撃させて、  
再度部位を反転、正常へと戻すと糸でもって傷口を縫合する。眼差しは逸らさ  
ず、臆さず、見据えたままで。  
 
 「物を『裏返し』にする、さらにの『裏返し』でッ!」  
 凄い、と内心感嘆の声を上げる。素晴らしい集中力と発想、行動力に判断力  
だと感心する。同時に、彼女を援護しなければ、とエンポリオを上へと逃がす。  
 近くまで潜行していたアナスイがスタンドを急襲する。だが、それを読んで  
いたのか、『裏返し』にした石畳がアナスイを打ち据える。徐倫は慌てて彼へ  
と糸を伸ばす。背を向け、無防備となった徐倫の元へと駆け寄り、生命を生み  
出しながら攻撃をかわし、徐倫を守る。攻撃の正確さに舌を巻く。自動追跡に  
しては正確すぎる。徐倫ッ! とスタンドを見据えたまま、声を上げた。  
 
 「攻撃が正確である点から推測して、コイツは『遠隔操作型』ですッ! つ  
まり、この直ぐ近くに神父が――」  
 「まさか君が来ていたとはね。DIOの息子、ジョルノ・ジョバァーナ……」  
 
 声は、直ぐ側で、した。  
 
 「どうしたんです神父? 己のスタンドを救うために、わざわざ御身を晒し  
に来たのですか?」  
 警戒心を露わに、神父を見据える。プッチ神父は大地に立っていた。彼の周  
りだけが異常だった。ジョルノの背中に居た徐倫が、怒りで目の色を染め、声  
と共に殴りかかった。徐倫の身が浮いた。動揺する徐倫の腕を掴み、己の下へ  
と引き寄せる。貴方が『基本』ですか、と声を掛けた。  
 
 「そんなところだ。ところでジョルノ。君は人間の幸福において、『克服』  
しなければならないのは何だと思う?」  
 「……『さだめ』、『宿業』……『運命』ですか?……」  
 「そうッ! その通りだ!! そして『覚悟』した者こそ『幸福』なのだッ!!   
『覚悟』は『絶望』を吹き飛ばすッ!! ジョルノ……DIOの息子よ。我がス  
タンドの能力は間もなく完成するだろう。それには其処のリリスが邪魔だ……。  
此方に彼女を渡してくれ……」  
 
 神父の手が、するりと伸びた。ジョルノは沈黙し、徐倫はやや身を強張らせ  
て、青年を見た。僕も貴方に、聞きたいと思ったことがあります、神父。と、  
小さく彼は、語りかけた。  
 「ひとの、進むべき道とは、何ですか……?」  
 掠れるような問いかけに、神父は僅かに眼を開き、怪訝そうにジョルノを見  
つめた。  
 「ひとは『幸福』を求めるものだ。そして、『幸福』とは『覚悟』だ」  
 「そうですか。それでは、『運命』とは? 『覚悟』は暗闇の荒野に進むべ  
き道を切り開く……。その点においては、確かに僕も貴方と同意です」  
 
 妙な、違和感が、其処には在った。互いの言っている事は良く似ている。似  
ているが、どことなく違う。そう感じながら、口を開いた。  
 
 「『運命』とは、何ですか? 僕が今、こうして貴方に問いかけていること  
もまた、『運命』だと? それではつまり、神父。貴方が言っている『運命』  
とは、『覚悟』を持ち、『絶望』を抱かないことにより、『幸福』に、『運命』  
を受け入れる事……そういう事だ。  
 それは果たして、『運命を克服した』と言えるのですか?」  
 
 「……それは君の持論かい? それとも、其処のリリスに吹き込まれたのか?  
DIOの子よ……」  
 アンタは自分で自分が分かっていないんだ、と、ジョルノは呟いた。  
 「神父、貴方は『異端』なんだ。そして、自分でその歪みに気づいていない。  
成る程、確かにアンタの言うことは、一理、あるのだろう。  
 だが、全てを淡々と飲み込めるほど、ひとは単純に出来てはいないんだ……」  
 「……ちっぽけな安い感情で動かされてんじゃないぞ。お前の言動は木を見て  
山を見ていないのと同じだ」  
 山を見ただけ安心し、木々ひとつひとつの美しさに気づかないのも愚かだ。と  
ジョルノは返した。  
 
 「僕は自分の仲間たちと知り合うまで、ひとを『能力』で見ていた。その人  
間が『使えるか』、『使えないか』で。今のアンタはその時の僕と同じだ。僕  
らを己のための『材料』としか見ていない。  
 僕は仲間と苦楽を共にして、己の未熟さに気付かされた。彼らの生と死は、  
僕に勇気や確信、友情の確かさや信頼を。ひとは、成すべきことを成すもので  
ある事を教えられた。  
 僕は彼らと共に過ごした時を、『運命』という一言で納得できるほど、淡白  
な性格はしていないんだ……」  
 
 「――小僧がッ!! 知った風な口をきくんじゃないッ!」  
 「僕は切り開くッ! お前の言う『運命』を、『DIOの息子』という『運命  
(業)』を、『克服』してみせるッ!!」  
 
 強い風が、吹き抜けた。  
 
              ☆-4  
 
 <神はそれらを天の大空に置き、地上を照らさせ、また昼と夜とをつかさどり、  
光とやみとを区別するようにされた。神は見て、それをよしとされた。 こう  
して夕があり、朝があった。第四日>  
 
 二人の声と同時に、互いのスタンドが動いた。ジョルノのゴールド・エクス  
ペリエンスが神父に殴りかかり、神父のスタンドがジョルノに殴りかかる。ジョ  
ルノは樹木によってそれを避けると、蹴り上げた小石の一つを鷹に変えた。ひゅん!  
と鷹は空を舞い、爪を伸ばして、神父の肩を裂いた。  
 成る程、と徐倫は感心する。重力があっても、空を飛ぶものの、『飛ぶ』と  
いう行為は変わらない。フン! と、神父が睨んだ。  
 
 「残念だよ、ジョルノ・ジョバァーナ……君ならば、私の志すものを理解して  
くれると思ったのだがね……」  
 呟き、神父はジョルノへと駆けた。重力が逆転する。ジョルノの身が浮く。  
蔦を伸ばす。浮く己の身を支えて踏みとどまったところに、神父のスタンドが  
襲い掛かった。  
 「――オラァッ!!」  
 気合と共にストーン・フリーで殴りかかる。神父のスタンドは拳を受けてよ  
ろめき、神父もその身を動かした。『糸』でもってジョルノを引き寄せ、踏み  
止まる。  
 
 「やはりお前だけは全力で始末しとくべきだった……刑務所で……初めの時  
点で」  
 そうね。と、徐倫は答えた。  
 「これで一体何度目かしら? 父さんが面会に来た時、サウェッジ・ガーデ  
ンにDISCを渡した時、アンタがFFの命を奪った時、ヴェルサスと闘った時……  
妙なものね。これだけ争っているのに、まだ、決着がつかない」  
 だが、これで最後だ。と神父が言った。  
 「私は私の道を譲ることは出来ないッ! それが、人類の『夜明け』だからだッ!」  
 「そうね。だから、あたしも譲る事が出来ないんだわ」  
 
 ジョルノのゴールド・エクスペリエンスが草木を創る。そこを土台として、  
徐倫たちは間合いを取る。貴方は、と、ジョルノは徐倫と、互いの身体を支え  
ながら、神父に言った。  
 
 「分かっていないんだ。光があるから闇もあるのだと。闇があるから、光も  
また輝くのだと。光だけでも、闇だけでも、どちらもその概念は成り立たず、  
二つは対であり、円を描くかのように繋がっているのだと。  
 僕は僕の『業』から逃れられないのかも知れない。けれども、僕は徐倫とな  
ら僕に科せられた『業』を背負いながらでも、生きてゆける。そう思うんだッ!」  
 
 髪留めを解いているジョルノの髪が風で煽られ、徐倫の頬に触れた。青年の  
腕が、熱い。脈拍が強く、波打っている。流れているのは、徐倫が彼に与えた  
徐倫の、彼の、血だ。  
 
 「それは『男女愛』というヤツか? それとも『友愛』か? 同じ血を引く  
という『家族愛』か? どちらにせよ、些細なものだ。『神の愛』に比べれば  
なッ!」  
 アンタはッ! と徐倫は声を上げた。  
 「アンタの血と、肉は、誰から分け与えられた物なのッ? まさか神から給  
わったとでも言うつもり? アンタに血と肉を分けた親は、兄弟はどうしたの?  
 ……どうして、ウェザー(弟)を憎んだの?」  
 
 ――おかえりなさい、と、記憶の底で、声がした。――  
 ”おかえりなさい、お兄ちゃん。  
 ――ボーイフレンドが出来たの……知り合って2週間。すごく好き……  
 心が通じているの……”  
 
 黙れ、と、掠れるような声が響いた。ウェザーは、と徐倫はさらに言葉を繋  
いだ。  
 「記憶が無い間、彼には良く分からないところもあったけれど、彼は決して  
悪人では無かったわ。記憶を取り戻してから混乱した。貴方に対し確執した。  
つまりそれは、それほど悲しいことが、あんたたち兄弟の間であったって事だわッ!  
神父、あんたは彼に何をしたのッ? 何を理由に、兄弟で殺しあう……アベルと  
カインの道を行くことになったンだッ!?」  
 「黙れッツ!! わたしは、ただッ! 妹を傷つけたくなかっただけだッツ!!」  
 
 叫び、神父のスタンドが、音高く徐倫の立つ足場を打った。  
 ぐにゃり、と草木は歪み、空へと浮き上がり、落ちて行く。足場を失った徐  
倫を捉まえようと、神父のスタンドが手を伸ばす。空中で身動き出来ない徐倫  
を、潜行していたアナスイが掴み、徐倫の身を避けさせる。  
 ジョルノは足場を失った瞬間に高く跳躍し、スタンドに向かいゴールド・エ  
クスペリエンスの拳を伸ばす。巻き上げられた小石を猛毒の蜂に変え、気を逸  
らさせて叩き込む。神父のスタンドは蜂ごと叩き潰そうと両腕を大きく広げる。  
無駄ァ! というジョルノの掛け声と共に、蹴りでもって両腕を弾き、胴体へ  
とラッシュを見舞いする。スタンドの体が、揺らいだ。  
 
 貴様らに、と、神父の口が、戦慄いた。  
 「貴様らにッツ!! このわたしの心など、分かるものかッ!! ひとの愛  
では、限界なんだッ!!」  
 
 神父はそう吼えると、自ら地を駆け、『重力』で浮いたジョルノの腕を、投  
げ縄でもするように、十字架の首飾りでもって捕らえると、固定させた彼の身  
体を、己のスタンドに殴らせた。  
 「ぐァアッ!!」  
 「ジョルノォオオオオオッツ!!?」  
 青年の身が落ちる。徐倫はアナスイの身から飛び立ち、片腕をジョルノに、  
もう片腕を神父のスタンドの首へと、巻きつける。二人は宙に投げ出され、二  
人分の重さに神父のスタンドの身は傾いだ。  
 
 「成る程……『C-MOON』の拳を食らう位ならばと、自分で自分の腕を切断し  
たか。だが、大ダメージであることは変わりない……いや、それどころか、  
却って状況は悪くなったと思わないか?」  
 
 静かに、仰向けになって必死に徐倫の糸を外そうとしている己のスタンドを  
見ながら、神父は言った。  
 
 「『C-MOON』がこの『糸』を掴んだ瞬間……徐倫の腕はバラバラになり、そ  
して君達は『下』へと墜ちて行くのだから……。  
 分かったろう? エロス(男女愛)も、フェリア(友愛)も、ストルゲー  
(親子愛)も、所詮は無力なものなのだ……」  
 
 抑揚のない口調で、神父はそう告げると、己のスタンドへと、歩み寄った。  
 
               ☆-5  
 
 <神はまた、それらを祝福して仰せられた。「生めよ。ふえよ。海の水に満ち  
よ。また鳥は、地にふえよ。」  
 こうして、夕があり、朝があった。第五日。>  
 
 徐倫! そいつの手を離せ!! こっちに掴まれと、アナスイは叫んだ。徐  
倫はジョルノの身を引き寄せ、しっかりと彼の腕を己の糸で繋いでいる。ジョ  
ルノの出血は多量だった。彼が自分で切り裂いた腕からは、どくどくと血が滴っ  
ていた。このままでは、どちらにせよ、彼が出血多量で死亡することは明白だった。  
 
 駄目よ、と徐倫は答えた。  
 「お願い。アナスイ、彼の身を安全な所へッ!!」  
 アナスイの言うとおりです。と、下から声が響いた。  
 「徐倫、早く僕の『糸』を離して、別の場所に飛び移ってください。僕は大  
丈夫ですッ!」  
 「何言ってんのよッ!? アンタ、その出血量でッツ!! アンタが自分の  
スタンドで失った部位を創れることは知っているッ! でも、こうも出血しな  
がら何を創れるって言うの!? よしんば創れたとしても、アンタはそれと同  
時に出血死よッツ!!」  
 徐倫ッ! と、男二人の声が重なった。うるさいッ!! と、徐倫の声が、  
一喝した。  
 
 「あたしはッ! もう、これ以上ッ!! 自分が助けた命を、喪いたくなん  
て――無いのよッツ!!」  
 叫びだった。咆哮だった。声と共に徐倫はジョルノをアナスイの方へと放り  
渡すと、自身は神父の下へと向かう。アナスイは咄嗟に放り投げられたジョ  
ルノの身を掴み、顔を上げ、次の瞬間に、悲鳴を、上げた。  
 
 「徐倫の糸がぁあああああああああああああ」  
 ジョルノの腕に絡まっていた徐倫の糸が、バラバラと、まるで『重み』に耐  
え切れなくなったかのように、千切れ始めていた。宙には血を吐き出し、身体  
を歪ませた徐倫が居た。  
 神父は身を翻した。『C-MOON』とやらも姿を消した。傍らに居るジョルノも  
眼を見開き固まっていた。アナスイはジョルノの身を支えとなりそうな手頃な  
鉄柵に寄り掛からせると、さっさと、と、唾を吐くようにして言った。  
 
 「……治せよッ! テメーの身をッツ!! 早くしろッツ!!」  
 鬼気迫る様子に、状況に、ジョルノも普段の悪舌を仕舞い、急ぎ己の身を癒  
す。アナスイはじっと、徐倫が墜ち行った方を見つめる。拳を強く握り締める。  
本当は、こんな男など、ましてや、恋敵など、捨て置いていってしまいたかった。  
 歯噛みした。徐倫の性格だ。見捨てられよう筈など、無かったのだ。懲罰房、  
瀕死の重傷を負いながらも、人でさえない生き物の為に階段から飛び降り、た  
だ、相手を『救う』ために行動した娘だ。  
 分かってなかったのだ、自分は、それを。  
 『神父を倒す』ことよりも、『仲間を救う』ことを選択する娘であることを。  
 『自己犠牲』だとか、『覚悟』だとか、そんなものの範疇を超え、ただ、在  
るものを助けるために身を動かしてしまう、そうした娘であることを。  
 分かってなかったのだ。  
 
 「……オメーは落ち着いたら徐倫を探せ。俺は、神父を殺す……」  
 ジョルノが腕を創り、治したのを確認すると、アナスイはそう告げ、『上』  
を見た。勘違いするなよ、と、顔を上げたジョルノに、言葉を付け足す。  
 「徐倫の願いだ、お前が命を絶つことは俺が許さねぇ……。徐倫を探してく  
れ、そして、彼女の身を、出来得る限り、治してやってくれ……」  
 
 言い、立ち上がる。背を向けたアナスイに、彼女は、と、ジョルノが口を開  
いた。それと同時に、場違いな携帯電話の着信音が、その場に響いた。  
 
               ☆-6  
 
 <そのようにして神はお造りになったすべてのものをご覧になった。見よ。  
それは非常によかった。こうして夕があり、朝があった。第六日。 >  
 
 涙が止まらなかった。絶望感が胸を押した。頭の中がいっぱいで、電話の音  
にも始め気付かなかった。ぐるぐると混乱する頭で、ごちゃごちゃしながら携  
帯電話をポケットの中から引っ張り出して、画面を見る。メールの着信だ。  
 メールを読む。一瞬思考を停止する。出た声は、歓喜だったか、悲鳴だった  
か、分からなかった。ただ、二人に届くよう、エンポリオは精一杯声を張り上  
げて、二人に伝えた。  
 
 「おねえちゃんはまだ死んじゃあいないッ! でも、それって、つまりッ!  
神父のヤツもッ――!!」  
 声と共に、男達は『上』へと、駆け出した。  
 
 二人が徐倫を探すのではなく、神父の下へと向かったのを見て、エンポリオ  
は今度こそ、悲鳴を上げた。徐倫は生きているのだ。ならば、彼女の身の安全  
が第一の筈だ。それだというのに、彼等は神父の元へと向かっている。この大  
人たちは何を考えているんだ? と唖然とした。  
 
 「徐倫を守るには……神父をブッ殺すんだぜッ!」  
 同感です。とジョルノが続く。オメー、徐倫を探せって言っただろッ!?  
とアナスイが噛み付く。攻撃は最大の防御だって言いませんか? とジョル  
ノは『上』へと上がるスピードを緩めないまま、アナスイに答える。  
 
 「それに、男として、彼女に守られっ放しなど、断じて出来ないッツ!」  
 駆け上がってゆく二人に、エンポリオは口をぽかんと開いた。  
 何を言っているんだこの男どもは。状況が状況なのだ。男とか女だとか、  
それ以前に人類の危機なのだ。それなのに男の沽券だとか、何だとか、馬鹿  
じゃないか、と心から呆れた。  
 だが、何なのだ、彼等は。ほんの一瞬前まで、死神にでも憑かれたような顔  
をしていたというのに。絶望に満ちた表情だったというのに、何故、今はああ  
も力を持って、振舞えるというのだ。  
 
 「……ひょっとして、それが、『男』と『男の子』との差、なのかなァ……」  
 だとしたら、大人の男って、とても愚かだ。だが、何故だか少し、格好良い  
なと、エンポリオは二人が登っていった方向を見据えながら、手すりに掴まる  
己の小さな手を、強くした。  
 
△--- Chapter 5 ---△  
 
               ☆-7  
 
 <こうして、天と地とそのすべての万象が完成された。それで神は、第七日目  
に、なさっていたわざの完成を告げられた。すなわち、第七日目に、なさって  
いたすべてのわざを休まれた。>  
 
 
 娘が此処に居る。生きている。傷つきながらも、血を流しながらも、生きて  
いる。辿り着いたその瞬間に、それが分かった。自分を此処まで運んでくれた  
スピードワゴン財団に礼を告げ、「感覚」の方へと顔を向ける。  
 「血族」の感覚は三つ。一つは紛れも無く、徐倫の。残りの二つは良く分か  
らない。うちひとつは、どことなくDIOに似ているが、それにしては「毒」と  
いうものを感じない。もしやこの気配は、DIOの息子のものなのだろうか。  
 すぅっと、呼吸をする。「オラァ!」と気合を入れて、「壁」となっている  
「地面」にスタープラチナの拳をめり込ませ、地面に掴み、攀じ登る。  
 この先に娘が居る。守らねばならない存在が居る。そう思うと、辛苦など、  
欠片も感じはしなかった。  
 
 ガスリッ! と地面に足の爪先を掛ける。もう片腕を地面に減り込ませる。  
徐倫は、と、登りながら、思う。  
 
 自分の記憶を取り戻すまで、どれ程の苦しみと、悲しみと、怒りとを娘は越  
えて行っただろうか。自分がDIOを葬り、娘はただ、自分の娘だと言うただそれ  
だけで、スタンド能力も、何も無い存在であったのに。普通に成長し、友人を、  
恋人をつくり、健やかに生きることが出来た筈なのに、なのに、このような運  
命に、娘は巻き込まれてしまった。  
 
 それは何故か。承太郎には、分かっていた。  
 『自分(ジョースター)の血を引いている』――ただ、それだけなのだ。  
 
 ギリッと奥歯を、噛締める。  
 妻のことを、愛している。初めて異性で、守りたいと思った存在だ。娘が生  
まれたときは戸惑いながらも喜んだ。まだ父親だとも何だとも分かっていない  
小さな小さな手で、自分が差し出した手の指を、手の平いっぱいでぎゅっと掴  
んだ。こんな、触れたら潰れてしまいそうな生き物が、それでも確かに生きて  
いるのだと、自分の娘なのだと感じたあの喜びと感動は、きっと一生忘れない。  
 
 子育てと論文に追われながら、ジョセフの隠し子である仗助の事が明らかに  
なった時は唖然としながらも、母ホリィの頼みと、祖父の願いを聞き遂げるた  
めに代役として杜王町に発った。仗助がどんな状態であろうと、それは、ジョ  
セフの子供だ。殴られてでも、相手の満足が行くようにしようと、固く誓った。  
自分に子供が出来たからこその、誓いだった。  
 
 行かねばならない理由は他にもあった。当時、まだ六つの徐倫が高熱を出し  
た。原因は分かっている。自分と共に財団を訪れた徐倫。手に掠った、「矢」。  
症状は嫌なくらい覚えがあった。信じられない高熱。昏睡。……かつての母と、  
同じ症状だった。まだ六つの、幼い徐倫にスタンドなど、使えよう筈が無い。  
 
 DIOは居ない。以前のように、誰かを倒してどうにかすることなど、出来ない。  
絶望感が襲った。己の平和ボケに腹が立った。財団の者には罪など無いのに、掴  
みかかって問い詰めた。  
 ”ひとつだけ、あります。  
 ――ウィルスは、再度投入する事によって、抗体が作られることが、あります。  
ですが、その為には財団にある「矢」だけではデーターが足りません。「矢」  
に関するデーターを、集めることです。ミスター空条……”  
 
 杜王町に生まれながらでないスタンド使いが居る。時期と情報が重なったのは、  
「運命」と呼ぶには、余りにも癪な話だった。  
 
 帰って来たとき、娘と妻の目は冷たかった。当然だろう、理由も告げず、娘  
の危機に顔も見せなかったのだ。憎まれて、当然だと思った。ただ、娘が生き  
ていてくれた。それだけで、幸いだった。  
 高校を卒業し、子供を得るようになってから、時々、先立った友の事を考え  
るのだ。もし、彼らが生きていれば、どうしただろうか、と。アヴドゥルや花  
京院、イギー……中には、誰かと結ばれ、子供をつくった者も居ただろうか。  
その子供は、どんな感じだろうか。子供が慕ってくれないと、お互いに愚痴を  
零すことはあっただろうか。生まれた子供と、自分の子供は、ひょっとしたら、  
良い友人になれただろうか……。  
 そんな、ありもしない想像を、した。  
 失うのは、もう、たくさんだった。生きていて欲しい。憎まれても、恨まれ  
ても、別に良い。この世界で、どこかで、生きている。それだけで、希望が持  
てた。だから、DIOの残党がいると知れたその時に――妻と、離縁した。  
 
 自分が居れば、スタンド使いを引き付ける。妻や、娘を、巻き込んでしまう。  
それだけは避けたかった。取り分け娘は、この世を去って行く自分とは異なり、  
次代を紡ぐ立場にある。愛しく想うその分だけ、離れることしか出来ない、こ  
の身が恨めしかった。  
 
 (――だが!!)  
 ガスッと、拳を打ち付ける。登る。己の手で、足で、娘のもとへと。  
 
 離してはならなかったのだ。娘と、妻を。結局娘を巻き込んでしまった。妻  
をこれ以上ない程悲しませてしまった。娘は耐えた。そして越え、逆に、父親  
である自分を救ってくれた。  
 ずっと側にいて、守ってやれば良かったのだ。当初誓った、その通りに。今  
はもう、生まれたままの赤子ではなく、想えば応える、存在なのだから。  
 
 そう思いながら目標地点まで登って行くと、女が銛を手に、投げている姿が  
眼に映った。眺めていると驚いた。女の手には銛が二本ある。それを片方上へ  
と投げて突き刺すと、もう片方、手にした銛のシールを剥がす。すると、瞬時  
に投げた方向の銛へと移動する。ぱっと、財団から聞いていたデーターとが、  
結びついた。  
 
 「エルメェス・コステロ!!」  
 呼ばれた人物は直ぐに、こちらを振り向いた。始めは怪訝そうな顔をしてい  
たものの、近寄るにつれ、表情が和らいでいった。  
 
 「ひょっとして、アンタが徐倫のオヤジ……っと、『承太郎』さん?」  
 エルメェスの言葉に、そうだと頷く。やっぱり! とエルメェスは破顔する。  
 
 「アンタたち、そっくりだもの! そうだと思ったぜ! 徐倫は今、上に居  
る。アナスイとエンポリオ、ジョルノも一緒だッ!」  
 エルメェスの言葉に承太郎は頷き、ああ、分かって……と言ったところで、  
エルメェスの顔を見た。  
 
 「――ジョルノ?」  
 「そッ! ジョルノ・ジョバァーナ。あたしらも知り合ったのはついさっきだ  
けどよ。DIOの息子なんだけど、徐倫の事気に入っちまって、一緒に着いて来  
てんだ。アナスイはまだ疑っているみてーだけどな!」  
 あたしはこうなった以上、腹括るだけだと思うけどねッ! と、笑ってみせ  
た。エルメェスの言葉に、やや、眼を見開き、一呼吸置いてから、やれやれだ、  
と帽子を目深に被り直した。  
 
 「色々と話を聞きたいところだが、そうしている暇はなさそうだな。……この  
銛の近くに君が居て、君が拾っていたことは、運命か何なのかは知らないが、  
幸いだったな。  
 エルメェス、君のスタンド能力『キッス』について、話は聞いている。その  
銛を投げるのは私がやろう。徐倫の所まで、急ぐぞッ!」  
 
 言うと、シールを貼らせて銛を『壁』に投げつける。娘が傷ついているのが  
分かった。必死に闘っているのが分かった。もう二度と手を離すものかと思っ  
た。銛を刻み込む。空を上がる。気配が近づく。娘の。神父の。  
 ――銃声と同時に、時を、止めた。  
 
 娘の身体を受け止めた。手放さぬようにと手を掴んだ。流血が酷いもの  
の、身体はまだ、温かい。良かったと安堵し、同時に娘の成長に誇らしさを感  
じた。  
 神父に止めを刺すために、徐倫の身を離し、エルメェスに支持し、時を止め、  
銛を投げた。これで終わりだと、そう思った。これで、滅茶苦茶になった引力  
も、元に戻る。皆、きっと、あるべき姿に戻るのだと、そう、思っていた。  
 
 ――感じたぞ、と、神父が、叫んだ。  
 「『位置』が来るッ!!  
 今、承太郎が銛を打ち込んで来た、あの位置で感じたッ!  
 わたしを押し上げてくれたのはジョースターの血統だったッ!  
 ――完成だッ! 重力のパワーがッ!」  
 
 光が、破裂した。  
 
△--- Chapter 6 ---△  
 
 祈りが通じた。神は自分を見捨てなかった。自分の道が正しいことを認めて  
くれた。神よ、あなたの導(しるべ)の通り、魂を捧げましょう。承太郎たち  
を、ひれ伏せさせましょう。  
 歓喜で胸を打ち震えさせる。徐倫たちは能力の前に混乱しているようだった。  
『メイド・イン・ヘブン』と名を与えた己のスタンドは、『時を加速』させる  
力を持った。巨大な力だ。だが、相手はジョースターだ。神の試練は終わって  
いない。自分が彼らの位置を感覚で掴み取れるように、彼らもまた、自分の位  
置を感覚で分かる筈だった。  
 
 徐倫たちは状況を飲み込み。屋上へと出た。離れぬようにと互いの身を、ま  
るで寒さに震える猿のように近づかせている。その中にはジョルノの姿もあっ  
た。異端が。と、舌打ちする。  
 
 結局、あの青年はDIOの血を引きながらもDIOよりもジョースターに引かれた  
異端だったのだ。だが、それも、我が『メイド・イン・ヘブン』を呼び起こす  
ための存在だったのだと納得する。  
 スタンドが完成した以上は、もう、いらない。自分の世界はもうじき完成す  
る。それは、人類の幸いが約束された未来だ。完璧な世界に、異端はいらない。  
 
 猿たちはこそこそと無い知恵を集めあっているようだった。愚かなことだ。  
憐憫の情が湧き上がって来るが、これも人類のためだ、と唇を引き締める。  
彼等は尊い、未来のための、犠牲なのだ。丁重に、だが、全力で葬ってやらね  
ばならない。  
 頭の中で、全員のスタンドの能力を整理する。  
 時を止めるスター・プラチナ。身体を糸に出来「メビウスの環」を象れるス  
トーン・フリー。物に潜行し、形を変えることが出来るダイバー・ダウン。物  
を二つにし、シールを剥がすことによって二つにした物を引き寄せるキッス。  
生命や身体の部品が創れるゴールド・エクスペリエンス。そして物の幽霊を扱  
える、バーニング・ダウン・ザ・ハウス。  
 これで全てだ。他にも、徐倫たちはウェザー・リポートのDISCを持っている  
が、あれはウェザーだからこそ使いこなせる能力だ。  
 気をつけなければならない。徐倫が土壇場で「メビウスの環」を編み出した  
ように、他の者達も何かを生み出すかもしれない。  
 と、すると、危険度も高い承太郎を初めに殺すのが最も良いだろう。彼を潰  
せば少なくとも「時」に干渉するものは無くなる。「時」の支配が出来るもの  
が、他には居なくなる。  
 
 「時」とは絶対なものだ。どんな物質も、生命も、時の加速には無縁で居ら  
れない。無縁で居られるのはただ一つ、死者である幽霊、それくらいだろう。  
 
 「聴けッ!! 天使がラッパを吹き鳴らすッ! 今こそ『審判』の時なのだッツ!!」  
 高らかに叫び、神父は時を加速して、屋上へと高く跳躍した。  
 そして、世界が、変わった。  
 
△--- Chapter 7 ---△  
 
 瞬きを、した。其処は今までは異なる世界だった。空は薄暗く、足元には茫  
々とした枯れ草と、朽ち果てた物が敷き詰められている。壁に縦横走っている  
のは植物の蔦だろうか。既に朽ちているのか、変色して色褪せた黄土色をして  
いた。だが、しっかりと編みこまれているのか、噛み合った蔦たちは時の経過  
さえもものともせず、編みあって、壁を作っていた。蔦の間には、風が運んだ  
らしい土が埋まり、そこから、また新たな草が生え、その草が、枯れていた。  
 
 「何だ……これは……。此処、はッ」  
 呟く。唇がからからに乾いていた。嫌な汗が、背中を伝った。どういうことだ、  
と声が掠れる。  
 
 「私が、創った『世界』じゃあないッ! 何なのだ、此処はッ!!」  
 ちらちらと、空からは朽ちた蔓が塵となって、少しずつ落ちていた。今まで  
とは異なる『世界』の中で神父は叫び、自分を取り囲む状況を確認しようと、  
『世界』を駆けた。  
 
 其処は、時々響く、塵が落ちる音さえ除くと、静寂に支配された空間だった。  
音を立てているのは、枯れ草を踏みしめている自分のみで、どこかしら、持つ  
空気が教会の納骨堂に似ていた。踏みしめる床は石造りではなく、朽ちた草だっ  
たが、ともに、生きてはいないと言うことは、共通だった。  
 
 「ジョースター! お前かッ!? 承太郎ッ! 徐倫ッ! いや、それとも……  
ジョルノッ! お前かッ!? お前が、この『世界』を創ったのかッ!!?」  
 
 長い裾を引きずり、駆ける。と、その時、裾が蔦の何処かに絡まったらしい。  
足を取られ、体制が、崩れた。妙なことに、身体が鈍く、躓き、転ぶことを、  
堪えることは出来なかった。ドッサァアァアアアと身体が滑り、その衝動で倒  
れて来た「蔦壁」の一部を、手で支える。  
 
 ――どこかで、と、神父は、思った。  
 自分は、どこかで、これと似たようなことを、したことが、あると、そう思  
った。  
 
 「ジョルノッ!! ジョルノ・ジョバァーナッ!! お前だッ!! お前だろ  
うッ!? この、『世界』の主はッ!!」  
 
 叫んだ。返事は無かった。ぜぇぜぇと、肩から呼吸が零れた。疲労感があった。  
おかしい、と思った。  
 目眩がする。この程度駆けただけでは、呼吸など上がらない筈なのに、息が  
荒い。手足が重い。身体が、まるで、何者かに取り憑かれたかのように、だる  
く、重い。頭痛がする。息が上手く出来ない。これ、は。この、状態、は――  
 
 「高山病にかかったみたいだね、神父」  
 子供特有の高い声が、積み重なった幽霊の物陰から、響いた。  
 
 「エン……ポリオッ……!!」  
 少年の傍らには、ウェザーのスタンドが浮かんでた。コントロールは出来て  
いないらしい。ふわふわ、と幽霊のように浮かび、少年の傍らに佇んでいる。  
 
 「どういう、ことだッ! この世界、はッ……!!」  
 ジョルノお兄ちゃんが言ったんだ。と、エンポリオは倒れ付す神父に、話を  
した。  
 
 「全てが加速する世界で、束縛されないのは『幽霊』それだけだって。だか  
ら、僕に全てを託すって。どんな結果になっても、後悔はしないから、僕さえ  
良ければやって欲しいって、そう言ったんだ」  
 貴方がこの『世界』に飛び込んだ時、と、エンポリオは言った。  
 
 「一瞬だったでしょう? 貴方が屋上に飛び上がった時に、『罠』は既に張  
られていたんだ。ジョルノお兄ちゃんが屋上それ自体を蔦に変え、徐倫お姉ちゃ  
んが糸となってそれを受け取り、蔦どうしを結わえあった。『入り口』となる  
場所にはエルメェスのシールを貼った。承太郎さんが時を止めて貴方をこの中  
に放り込み、潜伏していたアナスイがシールを剥がして貴方をこの中に閉じ込  
めた。  
 ……この、『朽ちた繭』の中にね……。  
 ジョルノお兄ちゃんと、徐倫お姉ちゃんは、もう二つ、貴方の影響を受けな  
いものを、僕に渡してくれた。  
 そのひとつが、この、ウェザーのDISCだ。僕に全ては使いこなせないけれど、  
酸素を薄くすることは出来たよ。  
 ……『高山病』にかかると、呼吸困難、目眩、脱力、頭痛に襲われるんだ。  
子供の僕であればともかく、大人である貴方があれだけ叫んで、動き回ったん  
だ。身体を補うだけの酸素が足りなくて、当分、動けないと思うよ……。  
 そして、もうひとつは、既に発動している……」  
 
 そう言って、エンポリオは神父を見た。言葉を受けて神父は首だけで辺りを  
見回した。奇妙な空間だが、スタンドの気配は少年と、ウェザーのもの以外、  
他には何も感じなかった。  
 
 「分からない? 貴方自身が『重力』を扱えていて、『加速』もスタンドと  
共に行っていたから、ひょっとして『スタンドと本体は別』という概念からし  
て忘れてしまった?  
 ――貴方のスタンド、『メイド・イン・ヘブン』は一体、何処に行った?」  
 
 言われて、はっと神父は眼を瞬いた。この『世界』に来てから、己のスタン  
ドをずっと、目にしていなかった。  
 
 「貴方を此処に呼び込んでも、それでもやっぱり、時の加速は何か、影響を  
与えるかもしれない。だから、『メイド・イン・ヘブン』は抑えさせて貰ったよ。  
ジョルノお兄ちゃんの、もうひとつの能力で……」  
 
 ぽろん、と音が流れた。ピアノだ。ピアノの、鍵盤の音だ。見ると、少年の  
向こう側で、ピアノが鳴っている。演奏者は誰も居ない。なのに、ひとりでに  
ピアノが鳴っていた。古いピアノだ。古びて、くすみ、年代を感じる、黒いピ  
アノ。それがひとりでに演奏をしていた。  
 この、どこか物悲しい旋律は聴き覚えがあった。  
 ……モォツァルトの、「レクイエム」だ……  
 
 「『ゴールド・エクスペリエンス・レクイエム』……そう、ジョルノお兄ちゃ  
んは言っていた。これは、完全にお兄ちゃんが支配し切れるモードでは無いから、  
本当に奥の手だと言っていたよ。  
 これは想像だけど、ジョルノお兄ちゃんから聞いた能力からするに、『世界』  
は今、僕とあなた、二人だけだ。  
 この『朽ちた繭』の外に居る人々は、きっと何が起こっているのかも知らず、  
『世界』はきっと、『何も起こっていない』状態にある」  
 
 ぼくは、と、少年は呟いた。  
 「ずっと、貴方に訊きたかった。  
 教えてよ、神父。……何故貴方は、ぼくのお母さんを、殺したの……?」  
 
 曲調が変わった。不安を掻き立てる迫り来る音の波。高く、低い……  
"Confutatis"(呪われし者)に。  
 
 「ぼくのお母さんの能力が必要だった? 母さんは貴方の言う事に逆らった?  
……スポーツ・マックスの能力のように、僕のお母さんが、人の魂も扱えると、  
そう思った?」  
 
 凡そ、と、神父は掠れた声で、応えた。荒い呼吸で。這いつくばりながら。  
 「……凡そ、そんなところだ……。  
 私は彼女に訊いた。『魂は何処に行くのか』と、幽霊を扱える君ならば、そ  
れが分かるのではないかと、彼女は答えた。  
 『お言葉ですが、神父様。生物の魂は一定です。増え続けることも、減り続  
けることも、ありません。わたくしは、人の魂は扱えませんが、それだけは言  
えます。魂が何処に行くのかは、分かりません。天国に行くのか、地獄に行く  
のか。ただ、一定である。それだけは、分かります』  
 では、と、私は言った。『では、その魂を所有することは可能か?』と。  
『たったひとりの人間が、何個も、何万個も、所有する方法があるとすれば、  
何か、世界が変わるのではないか?』とね……」  
 
 ピアノは神父の言葉を消さないように、小さな音で流れている。隔離された  
空間の中で、殺害者である神父と、母を殺された少年と、少年の扱う「物の幽  
霊」たちだけが、二人の言葉を聞いていた。  
 
 「彼女は、私の言葉に蒼白になった。『そのようなことはしてはなりません』  
と。『何という事を仰るのですかッ!』と。  
 『失われた人の魂は、けして現世には戻らない。彼等は神の御許で、安息な  
る眠りにあるはずです。それを目覚めさせるのは、罪深き行為です。神父様、  
そのような事をしても、喪われた魂は、決して喜びはしませんでしょうッ!』  
とね……。  
 彼女は私に逆らった……。だから、殺した……。  
 君の母親は、実に、敬虔なクリスチャンだったよ……。生まれながらにスタ  
ンド能力を持ち、その故に迫害された……。記憶を抜き取り、意のままにしよ  
うとしたが、最期まで拒み、溶け行く中、能力をDISCにして、幼い君に託した。  
スタンドはその人間特有の才能。その様子だと、完全に母親の力を受け継いだ  
ようだな……」  
 
 僕は、と、少年は、呟いた。  
 「見ていたんだ。ママが貴方に『溶かされて』行くところを……。ママは最  
期に僕を呼んだよ。唇だけの動きだったけど、それが分かった。ママは僕に能  
力と、骨とを、『幽霊の音楽室』に滑り落とした。僕はそれを受け取った。そ  
れがママから僕に遺された、唯一のものだったんだ……」  
 
 かわいそうとは、と、神父は言った。  
 「可哀想とは思わないし、詫びるつもりもない。私にとって、それは必要な  
事だったッ! 人類の、幸いのためにッ!!」  
 「神父、あんたは何も、分かっていないッ!!」  
 
 互いの咆哮と同時に、エンポリオの方から風が吹いた。ウェザーの能力だ。  
「物の幽霊」が飛んで来た。テレビや野球ボール、ゴミ箱が神父の方へと飛ん  
で行き、それらがぶつかる事無く素通りする。幾つもの「物の幽霊」が飛来す  
る中、神父の眼にキラリと光って飛び込んで来る物があった。思わず、それが  
何か分からないまま、眼を庇おうと、手を伸ばした。  
 パチっと、小さな、冷たい感触が、手の平からした。  
 
 「……?」  
 幽霊ではない「物」の存在に、怪訝に思う。掴んだ手を、ゆっくりと開いた。  
 
 ”これってやっぱりお守りの効果かしらね、神父様?”  
 くすくす、と鈴を鳴らしたような小気味良い笑い声が、耳の中に、甦った。  
 
 ”だって、お兄ちゃんがくれたものじゃない。”  
 髪留めだ。見覚えがある。昔、妹に買ってやった、髪留めだ。13歳という数  
字を気にしていた妹に、不安を無くしてやろうと買ってやった物だ。  
 
 ”お帰りなさいお兄ちゃん……ボーイフレンドが出来たの……”  
 冷たい水から引き上げられる。レスキュー隊の、報道陣の、車の音。人々の  
ざわめき。祈りの声。十字を切る救出隊員。  
 妹を奪い返す。薄紅色の血色良い両頬からは、血の気が抜け、身体は酷く冷  
たかった。両の瞼は重く閉じられ、細い首筋が、上下する気配は無かった。  
 髪留めが、しっかりとあった。自分の与えたものだ。  
 
 そういえば、と、神父は思った。  
 あれは一体どうなったのだろうか。妹と一緒に埋められたのだろうか。それ  
とも、誰か他の人の手に渡ったのだろうか。だとすればこの手にあるのは何な  
のだろうか。全く同じ種類の物が、偶然、此処に、あるのだろうか。  
 物とは何なのだろうか、「物の幽霊」とは。  
 初めから命があり、意志を持つ生命体ならば、分かる。だが、物の魂とは何  
なのだろうか。今、この場で、響いているピアノの音色は。  
 一体、何なのだろうか……。  
 
 教えてくれ、と、神父は言った。  
 「教えてくれ、エンポリオ……『魂』とは何だ。『物の魂』とは。  
 何故、そのピアノは、音を鳴らしている……」  
 
 ピアノの奏でる音は、"Lacrimosa"(涙の日)に変わっていた。  
 物は、と、少年は言った。  
 「記憶なんだ。人々の。彼ら自身に自分の意志は無い。ただ、『かつてあっ  
たそのままに、在ろう』とする。それが、彼らの宿命と言うか、『業』なんだ。  
このピアノだって、そうだよ。この子はピアノであろうとしている。刑務所で  
は音を出せなかったけれど、此処では出せる。それまでは僕が音を出せないよ  
うにしていたけれど、外に出る時に戻したんだ。だから、こんなにも喜んで歌っ  
てる。  
 曲はこの子の自由だよ。でも、多分、僕らは今、相応しいと言うものを思い  
浮かべている。それを感じて、弾いてくれているんだ。弾いて、聴いて貰う。  
その為に、生まれた存在だから……」  
 
 物においては、僕ら人間が創造主なんだ、と少年は言った。  
 「ピアノは弾くために、絵は見るために、本は、おはなしは、読んで貰うた  
めに、生まれたんだ。僕らは聴き、見、或いは触れて、感動したり、怒ったり  
する。そうして、色々な感情を覚える。それを、彼等は少しずつ蓄積してゆく。  
そうやって『想い』が注がれた物は、魂を持つ。魂を得た物は、自分を扱って  
くれる人に、場所に、呼び寄せられる。  
 ……『想い』が近いと、僕みたいに『物の幽霊』を扱えなくとも、触れたり  
する。今の、貴方みたいにね。それは、髪留め……?」  
 
 ぎゅっと、神父はペルラの髪留めを握り締めた。私は、と、呟いた。  
 「私は間違っていたのか……? 何故私は、妹にこんな髪留めを与えてしま  
ったんだ? なんで私は神父になんてなろうとしたのだッ!? なぜ人と人は  
出会うのだ!? 出会わなければ、こんな事にならなかったのに……!!」  
 
 子供の様に、神父は身を丸め、握った髪留めを己の胸に押し当てた。僕は、  
と、少年の声がした。  
 
 「お姉ちゃんと出逢えて、良かったよ。それは、僕が刑務所で生まれたから  
だ。そうして、スタンド能力を持っていたからだ。そうでなければ出逢えなか  
ったよ。  
 お母さんを喪ったのはとても悲しいよ。刑務所の中だって、とても、良いも  
のじゃなかった。僕はずっと一人きりだったし、生きるので毎日精一杯だった  
し、ネットや図書室にある本で、知識を得ることが僕に出来ることだったよ。  
 でもね、良かったこともあるんだ。僕、お姉ちゃんと一緒に外に出て、初め  
て太陽が昇って、沈むところを見たよ。本物の空はとても綺麗だった。貴方の  
刺客で、怖い思いも沢山したけれど、その、どれもが僕には新鮮だったよ。  
 あの、灰色の建物の中じゃあ、味わえないことだって、貴方は、分かる?  
 僕は、お姉ちゃんと出逢えて、幸せだったんだ」  
 
 ならば、と、神父は吐き出した。告白しよう、と、前置きして。  
 曲が変わった。"Dies irae"(怒りの日)へ。  
 
 「妹であるペルラは弟であるウェザーと恋に落ちた。弟は生まれたその日に、  
同じ病院で命を落とした赤子とすり替えられ、育てられた。二人はその事を知  
らなかった。私は礼拝堂で、その母親から告白を受けた。その頃私は神父では  
なかった。彼女は礼拝堂で掃除をしていた私を、神父と勘違いした。  
 聖職に携わる者として、彼女の告白を守秘することは当然だった。私は二人  
が傷つき合うその前に別れさせようと思った。近親者どうしが結ばれることは  
禁忌だ。宗教的理由でなくとも、近親婚は生まれる子に影響を及ぼす……。  
 私は『なんでも屋』をやっている私立探偵に、二人を別れさすように頼んだ。  
これなら、妹が覚えるのは誰もが経験するであろう失恋で済むと、そう思った。  
 まさか、Ku Klux Klan(クー・クラックス・クラン)のメンバーだとは、思  
わなかった……。彼等はウェザーの育ての親が、黒人であることに憤った。  
 ウェザーは私刑にあった。妹は木に吊るされたウェザーを見、絶望から身を  
投げた。まだ、ほんの少し脈があることに気付かずにな……。  
 あとは、お前らも知る通りだッ!! 教えてくれッ! 私の何がいけなかっ  
たッ!? 私はどうすれば良かったんだッ!? どうすれば、ペルラを、妹を  
傷つけずに済んだ!? どうすれば、妹を救えたんだッ!!?」  
 
 神父の告白に、洗礼さえ受けていない少年は、言った。  
 「神父、あなたは、臆病だったんだ。傷つける事も、傷つけられる事にも。  
信者の告白を守ること、そうだね、聖職者からしてみれば、それは必須なんだ  
ろう。でも、貴方は一体『何のため』に、聖職者になろうと思ったの? それ  
は、秘密を守り、守るかわりに誰かを傷つけるため? 違うでしょう?  
 僕には、『宗教』ってヤツが、良く分からない。貴方や、徐倫お姉ちゃんが  
十字架に向かって頭を下げる意味も、ピンと来ない。  
 貴方が何で『人類の幸福』に拘るのかも、その、KKKもさっぱり分からないん  
だ。ヒトは生き物だよ。生まれて、そして、死んでいく。  
 そうだね、ヒトは他の生き物と異なり、言語を解すかもしれない。物を創り、  
音楽を創り、文明を創った。でも、それはどこのヒトだって、皆やっているこ  
とだ。どんな細工だって、歌だって、どんな文明でも素敵だし、貴賎なんて、  
本当は無いんだ」  
 
 エゴイズムって、何だろう。と、少年は呟いた。  
 「『個性』って、何だろう。それは、誰かを否定して、自己を高めるコト?  
でもそれって、同時に他者の肯定することに他ならないんだ。黒を否定するた  
めに白を強調したところで、黒が無ければ白だって存在しないんだ。  
 貴方は『大事なもの』が多すぎて、『本当に大事なもの』を見失ってたんだ。  
 聖職者になる道なんて、諦めちゃえば良かったんだ。そうして真実を告白し  
て、二人を説得すれば良かった。二人は傷ついたかもしれない。でも、ひょっ  
としたら、あなた達は本当の兄弟になれたかもしれない。  
 それとも、そのまま黙っていれば良かった。確かに、近親者どうしの性交渉  
は血族特有の症状を持つ確立の子は増えるよ。でも、全く異常だって出ないか  
もしれない。不愉快なのは、真実を知る貴方だけだ。  
 貴方は、『貴方にとって良い最善』を選んだんだ。そうして、最悪のケース  
になってしまった……」  
 
 時間が無いと、貴方は思ったのかも知れない、と少年は言った。  
 「妹が弟と結ばれてしまうかも知れないと。そうなってからは遅いと。  
 ……でも、やっぱり貴方は臆病だったんだよ。不安だったんだ。妹を盲目的  
にでもいい、信じてやれば良かったんだ。大抵の人間は、自分が心を開いてい  
れば、相手も心を開いてくれる。そんなものだよ。運命だって、そうだ。想え  
ばきっと、応えてくれる……」  
 
 ハッと、神父が笑った。何時もと違って、その笑いには力が無く、殆ど、自  
嘲に近かった。  
 
 「『運命』だと? 無神論者のお前が、そう言うのかエンポリオ。そして、  
私の今のこの状況は、『想い』で負けた、そのせいだと?」  
 
 「思うのは僕の自由だよ。それを証明しようとも、押し付けようとも、そう  
は思っていない。ただ、『そう想っている』……それだけさ。  
 でも、そう言うのなら、試してみようか、神父」  
 
 言うと、ゆっくりと『朽ちた繭』の中は暗くなっていった。曲が変わる。  
"Agnus Dei"(神の子羊)の曲調と同じく、繭の中は暗く、そうして、天から  
光の緞帳が……オーロラが、降りた。  
 これは、と、少年は呟いた。  
 
 「『痛み分け』って言うのかな? 少なくとも貴方の話を聴いて、僕は前ほ  
ど貴方を恨んではないんだ。変だね、貴方は僕のママの仇なのに……。  
 ウェザーが虹を出したことで、周りの人々をカタツムリに変えた。じゃあ、  
オーロラは、どうなんだろうね? 僕達はカタツムリになるのかな? それと  
も、別の何かに、なるのかな?」  
 
 やってどうする、と神父が言った。  
 「お前も、『何か』になるのかも知れないんだぞ……?」  
 「言ったでしょ? 僕はもう、あなたをそれ程恨んではいないんだって。でも、  
幕は引かなくちゃならないんだ。どんな形でも。  
 ウェザーの能力はウェザーのものだから、ひょっとしたら、僕には使いこな  
せないで何も起こらないかも知れない。ひょっとしたら、僕もあなたも何かに  
なるのかも知れない。あるいは、あなたの体力が回復して、僕のコトを殺すか  
もしれない。  
 でも、それで、良いんだ。お姉ちゃんは僕の望むように、して良いって言った。  
だから、ぼく、そうするよ」  
 
 真っ暗な世界を、緑の、赤の、青の、光の緞帳が揺らめき、流れる。  
 オーロラは太陽のプラズマ粒子の流れが地球磁場と相互作用し、大気中の粒  
子と衝突。最低エネルギーである基底状態から、励起状態となり、元に戻る際  
に発光する存在だ。色は、電子の降り込む高度によって変わる。  
 それがゆらゆらと、波のように、寄せては、返していた。  
 
 ――波。妹が、引き上げられる、水、の。  
 ”あたし、お兄ちゃんのこと、好きだわ? それじゃあ、駄目なの?”  
 
 ぎゅっと、妹の髪留めを握り締める。もしも、と、強く願った。  
 もしも、魂の量が一定で、妹の魂が何処かに行ったというのなら。ウェザー  
の魂が、何処かに行ったというのなら。天国でも、地獄でも良い。今度は、  
今度こそ、告白しようと、そう思った。そうして今度こそ、大事なものを間違  
えないように、本物だけを、掴み取れるようにと、そう、誓った。  
 ――神様……と、祈りの言葉が、自然に口から、ついて来た。  
 
 「ぼくは、あなたを、許すよ、神父――。  
 ……知ってる? オーロラって、霊の通り道なんだって。だから、あんなに  
幻想的で、不思議な色をしているんだって。嘘か本当かは分からないけれど……。  
 でも、見ていると何だか、どこか別の世界に、吸い込まれそうな美しさをし  
ているよね。  
 ……神父?」  
 
 エンポリオは見上げていた顔を下げて、神父の方を見た。最終章を奏でてい  
た幽霊のピアノは、最後の一音を静かに響かせ、緞帳の光がゆっくりと消えて  
いくのと同時に、響いていた音も、静かに、空間のうちへと消えていった……。  
 
                ・  
                ・  
                ・  
 
 う、と、エンポリオは目に入ってきた砂埃に手を覆った。バスの発車音が響  
く。慌てて駆けるが、間に合わず、バスは発車した。  
 しまったな、と思っていると。何やら停止したようだった。だから、さァ!  
と、声が響いた。  
 
 「だからさぁー、50ドル紙幣しか持ってないんだってばぁー。  
 なんで釣り銭がないのさ、このバスー。なにさ、客に対してどぉしてそぉい  
うこと言うかなーッ!  
 わかった! わかったよッ! ちょっと待って! 今、そこのガスステーシ  
ョンでくずして来るからッ!!」  
 
 慌てて駆ける。やった。と、バスに追いついたところで、言い争っていたら  
しい人物がひょいと顔を出した。  
 
 「あっ! キミっ! このバスに乗るの? 良いところに来たね! お金ク  
ズれる? この50ドル札。  
 ね? 良いでしょ? これ偽札じゃないよ。このバス、小さいお金じゃない  
と絶対にダメだって言うんだッ!!」  
 
 そう言ったところで、ドサァと音が響いた。見ると、男の荷がドアから放り  
出されていた。突き落とされたらしい。少年も、あたたたた、と、地面に打っ  
た腰を擦っていた。次の瞬間、バスが発車した。  
 
 「ひッどぉいなーッ!! 次のバスまで二時間じゃないかッ!! ……うう、  
こんな事なら招待客が多いからって遠慮しないで、承太郎さんのご好意に甘え  
て式場に近いホテルを取っておくんだった……」  
 呟きながら、少年はポンポン、とズボンに付いてしまった埃を払った。日本  
人の、中学生か、高校生だろうか。あちらの人間は童顔だから良く分からない  
が、その位の歳に見える。  
 なぁ、とそこで、声が掛かった。  
 
 「なぁ! オレの車ガス欠なんだけれどもよ、ガソリン代とメシ代おごって  
くれねェ? そぉ〜したらよ、好きなトコまで乗っけてやっていいゼ?」  
 
 どちらともなく、少年とエンポリオは、目を見合わせた。そうして示し合わ  
したように、二人とも同時に首を横に振った。  
 
 「いや……いいです。僕、本持って来ているし。時間潰すの、苦じゃないし、  
なんて……」  
 言いながら、少年はバックから漫画本を取り出した。それを見て、おッ! と、  
男は目を輝かせた。  
 
 「俺知ってるぜッ!! それ、ロハン・キシベの漫画だろッ!? それ、ひ  
ょっとしてニホンでの最新刊!?」  
 目をキラキラさせての男の言葉に、少年はびくりと肩を震わせる。ええっと、  
そうですけれど、日本語ですよ、と。  
 
 男はぱちりとした眼を見開いて、"Niente problema!(問題無ェッ!!)"と  
喝采を上げた。男の言葉を聞き、ひょっとして、イタリア人? と、少年はす  
らすらとした綺麗なイタリア語で、男に返した。男の目が、丸くなる。  
 
 「すッげェな、長いことイタリアにでも居たのかよ? 英語より上手くねェ?」  
 「まァ英語は自力ですから……じゃ、なくてッ! あの、その、結構ですから!」  
 「まァまァ、そう、遠慮すんなよッ! 俺、ロハン・キシベのファンなんだよッ!  
何も運転中に読ませろって言ってんじゃねェッ! ちょっとした休憩中に読ま  
せてくれりゃあ良いんだからさッ! ……読ませろって言ってんだーッ!!」  
 
 「ちょっとミスタッ!!」  
 助手席が、キィと開いた。二十四、五、くらいだろうか。茶髪でくるくると  
パーマをかけた女性が車から降りた。きらり、と指に銀色の指輪をしているの  
が目に付く。よく見れば男の方も同じ指輪をしている。どうやら夫婦らしい。  
 もうッ! と、女は腰に手を当て、ぎろり、と男を睨んだ。  
 
 「脅さないのッ!! アンタ、ぱっと見ギャングなんだからッ! この子達  
が怯えているでしょ!? ケチくさい事言わずに、乗せてやりゃ良いじゃない。  
 ほら、アンタたちも乗りなさいよ。大丈夫よ、この男はちょっとガラ悪いけ  
れど汗臭い以外は無害だから」  
 「オメー、トリッシュッ! 初対面の人間の前でそれはねェだろッ!」  
 「うるさいわねッ! アンタの為に用意してやったスーツを、あっさりと荷  
に入れ忘れた罰よッ!! お陰でワザワザ現地調達しなくちゃいけない羽目に  
陥ったじゃないッ!! あたしが日数にゆとりを持ってこっちに来ようとした  
から良いものの、そうじゃなかったらどうなっていたと思うのよッ!!」  
 
 日数にゆとりをって、オメーが折角だし、ショッピングと観光を楽しみたい  
って強引に急かすから、俺の荷造りも大急ぎでやる羽目に……という男の呟き  
を、何のことかしら? と不敵に笑って女は封じた。何時もの事なのか、ふぅ、  
と男は溜息を吐き、あの、とエンポリオは声を掛けた。  
 
 「ジョルノって……ジョルノ・ジョバァーナ?」  
 呟きを耳にして、さっと二人は表情を引き締めた。ざざ、と臨戦態勢を取る  
二人に、マズい。とエンポリオは慌てて両手を振る。ジョルノがギャングで、  
多くの敵が居ることも徐倫から聞かされていた。勘違いされないように、エン  
ポリオは言葉を急いで付け加える。  
 
 「ぼくッ! エンポリオです。ジョルノさんの花嫁である、徐倫お姉ちゃん  
の招待客ッ! 招待状も、ありますッ!!」  
 言って、ポケットから取り出した招待状を二人に見せる。二人はぽかん、と  
した後、代わる代わる、招待状を見比べ、歓声を上げてエンポリオの肩を叩いた。  
 すッげェッ! こんな事って、あるんだなッ! そう興奮しているミスタに、  
不思議な縁って、あるんですね……と、何故か少年が、呟いた。  
 
 振り返ると、少年も招待状を、見せ付けるように持っていた。差出人は「空  
条承太郎」とある。ぽかん、と今度は三人が、呆気に取られた。そうして皆が  
皆、笑いあい、車の中へと乗り込んだ。  
 ガソリン代は出しますよ。と言った少年に、漫画読ましてくれれば良いよ、  
とミスタは笑って応えた。この人、大のロハンファンなの、と、トリッシュが  
苦笑して言う。  
 
 「それにしても、不思議な縁だよな〜。いやー、しかし、暗くなる前で、良  
かった良かった」  
 
 ミスタの言葉に、そうですね、と応えながらエンポリオは空を見た。空はゆっ  
くりと、茜色を帯びてきている。空が昼から夜へと、切り替わろうとする、  
「境目」の時間だった。  
 そォ言えばよ、と、ミスタが言う。  
 
 「コーイチはともかく、エンポリオは何でこんなトコに居たんだ? どーみ  
てもお前、十歳かそこらだろ?」  
 「グリーン・ドルフィンに用事があったんです。その、帰りだったんです」  
 あら、と、トリッシュが声を上げた。やや、トーンを落として、訊ねてくる。  
 
 「ごめんなさい。ひょっとして、ご面会……?」  
 まぁ、そんなところです。と、曖昧な言葉でエンポリオは濁した。まさか、  
自分が生まれた場所を訪ねておきたかったとは、言えない。  
 しかし、そんなエンポリオの濁し方を、ミスタたちは触れて欲しくない話題  
だと察したらしい。それにしてもよォ〜と、声を上げる。  
 
 「ジョルノにもびっくりだぜ、暫く留守にしたと思ったら、女をつくって帰っ  
て来るんだもな。しかもその後、事務処理して直ぐに入籍。聞いたぜ、何でも  
花嫁の徐倫ってモテてて、他にもアプローチかけてた男が居たんだろ? あと、  
彼女の親父さんもカンカンだったとかッ!」  
 
 「まぁ……確かにアナスイはお姉ちゃんにアプローチかけていたけれど、  
お姉ちゃんの天然さを砕けなかったって言うか、ジョルノお兄ちゃんを選んじ  
ゃったって言うか……」  
 あの、『繭』を調べてみようとした時点で、恐らく二人のその後は決まって  
しまっていたのだろう。アナスイは今、承太郎さんのスカウトでスピードワゴ  
ン財団の分析・解析部門に入っている。エンポリオ自身も、財団の援助を受け  
ているため、先日会った時に式について訊ねたところ、出席する。と頷いてい  
た。  
 (徐倫は俺の惚れた女だ。誰が何と言っても、俺のものにならなくっても、  
俺はその事に誇りを持っている。祝福するさ。……上手く、笑えるかどうかは、  
分からねぇけどな……)  
 そう言って、にっと笑った。その笑顔を見て、アナスイ、ちょっと格好良い  
なぁとエンポリオは思った。多分、アナスイは数年後、すっごい名のある女性  
を射止めるんじゃないかな、とも。  
 
 「承太郎さんは……複雑そうでしたけれど、賛同してくれているみたいですよ。  
こうして招待状も送ってくれているみたいですし」  
 コーイチが、承太郎について話をする。  
 「そォかぁ……? なんか、この間ジョルノが零してたぜ? 『一番の難敵』  
だってなッ!!」  
 「あー、まぁ、うん。一人娘ですしねェ……承太郎さんとしては、嫁に出す  
よりも婿として入れたかったんじゃないですかね……」  
 
 婿ォ!? と、ミスタとトリッシュが声を上げた。そして二人で目を見合わ  
せた後、盛大に、笑った。  
 「あー、うんうん。そりゃ良いわ。あいつ似合う。すっげぇー似合う。そん  
で入り婿なのにすンげェーふてぶてしいのな。で、内側から自分色に家を染め  
て行くのな」  
 「段々自分がルールブックになって行くのよね。で、それを周りも疑問に思  
わなくなって行くのよね。……ああ、でも、結局ジョリンちゃん? が、お嫁  
に行くんだっけ? 残念だけど、それが正解だわ。ジョウタロウさんって人を  
見る目がある人ね。英断だわ」  
 
 二人の評を受け、コーイチは、ははは……と力無く笑った。どうやら彼も苦  
労人のようだ。二人で笑みを浮かべると、エンポリオは再度、窓の光景に目を  
やった。エルメェスは一度帰省してから此処に来ると言っていた。きっと、承  
太郎さんから式場のあるホテルに送って貰っていることだろう。  
 
 ウェザーは、と、エンポリオは、ぼうっと思った。  
 式に参列出来ないのは、ウェザーと、FF。この二人だ。もう、居ないのだか  
ら、仕方が無い。そういえば、と、エンポリオは思う。  
 神父は、あの後、どうなったのだろう。  
 ピアノの音が止んで、オーロラが消えた時、其処に神父の姿は無かった。  
『朽ちた繭』の中を探したが、見つからなかった。それと同時に、『繭』が  
崩壊し始め、気付くとエンポリオは、徐倫の腕の中に居た。神父は? と問う  
エルメェスに、首を振って、居なくなった。とだけ答えた。徐倫はそう、とだ  
け応え、ジョルノはまるで全てを理解しているように、もう、大丈夫です。よ  
くやって、くれましたね……と、少年の頭を、撫ぜた。  
 
 本当に、神父は、何処に行ったのだろう? あの後、エンポリオは「物の幽霊」  
を整理してみたが、神父が手にした、髪留めらしきものは無かった。どうやら、  
神父と共に姿を消したらしい。  
 不思議に思ったが、物の幽霊を現世に呼び戻す方法など、当然知らない。ただ、  
もし、と、エンポリオは思った。  
 
 もしも、どこかの世界で、彼が居て。そうして、そこに、ウェザーと、ペル  
ラという妹が居るのなら……どうか次こそは、三人とも幸いになって欲しいと、  
誰にともなく、エンポリオは祈った。  
 
 「それにしても、砂嵐がひでーな。ったく、砂漠を渡ってるわけでもねーっ  
て言うのに……」  
 ミスタがそうぼやきながら、ワイパーを動かしている。黄昏色に染まる空を  
見ながら、そうですね、とエンポリオは相槌を打ち。窓から見えた風景に、凍り、  
ついた。  
 
 馬だった。砂嵐の向こう側、車と擦れ違うように、何十頭とも言える馬達が、  
夕日を背負って駆けていた。鬣を靡かせ、尾を、棚引かせ、駆けていた。  
 乗っている者たちはマントを付けていたり、一流のジョッキーのような者も  
見えたり、とにかく多種多様だった。中には自力で、信じられないスピードで、  
馬と共に駆けている者も居た。  
 
 ……エンポリオ? と、隣に居たコーイチが、窓辺に食いついている少年を  
怪訝に思ったのか、気遣わしそうに声を掛けた。はっと、エンポリオは振り返  
り、どうしたのかい? というコーイチの問い掛けに、何でもないですッ!  
と応えた。再度、窓を見つめると、そこにはただ、風で巻き上げられる砂が映  
るだけだった。  
 
 「何か、面白いものでも見えたの? 僕らの国では、黄昏のことを『逢魔が  
時』って言うから、何か見えたのかと心配しちゃった」  
 「オイオイ、コェーこと言うなよ、コーイチィッ!! 俺、ユーレイとかそ  
ういうの、苦手なんだよッ!!」  
 
 あはははは、と、コーイチはミスタの言葉を受けて、無邪気に笑った。  
 「でも、意外と良い幽霊も居るかも知れませんよ? 町の人たちを守るため  
にこの世に残り続ける、正義感ある美少女の幽霊とか」  
 あーうん。美少女だったら、まぁ……というミスタが、次の瞬間悲鳴を上げ  
た。どうやらトリッシュが足を抓ったらしい。  
 
 今のは「幽霊」だったのかと、エンポリオは思った。ヒトの幽霊は、支配出  
来ない。自分にはあれが幽霊なのか、それとも、ひょっとしたら、過去なのか、  
全くの別の世界なのか、分からなかった。ただ、頭に閃いたのは、「魂の量は  
一定」だという、その事実だった。  
 
 ”どうか、かみさま……彼らをお守り下さい。悲しみの道を、越えられるよ  
う、彼らに困難に打ち勝つ勇気と、あと、今度は本当に大事なものを選べるよ  
う、彼らの眼に光をお与え下さい……。”  
 エンポリオはそっと、口の中で、祈りの言葉を唱えた。  
 そうして、姿を消した神父の姿を思い浮かべ、彼が救われることを、願った。  
 
 
 
-----------『 Mebius 』---------FIN  
       (上)  
 

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