──ここは、何処だろう。  
 
 眠っていた意識が少しずつ自身の元に戻ってくるのを、洋子は感じていた。  
 靄がかった思考が晴れてきた時、自分が何処にいて、それまで何をしていたのか、うっすらと思い出す。  
 事務所で、書類の整理をしていたのだった。  
 神宮寺が調査に出て、自分は留守を預かって……いつもと変わらぬ流れの筈だった。  
 しかし今、彼女の体は冷たく薄汚れたコンクリートの上に横たえられていた。  
 空気と共に体内に入り込んでくるのは、埃っぽく澱んだ臭いだ。明らかに、居慣れた場所の空気ではない。  
 どうして自分は、こんな所で眠ってしまっていたのだろうか。  
 
 目を開いてみると、洋子は驚かずにはいられなかった。  
 視界に見えるのは目を閉じていた時と変わらない、真っ暗闇。まばたきしてみても、何一つ瞳に映らない。  
 目がおかしくなってしまったのか。あるいはまだ夢の中にいるのか。  
 困惑しながらも、彼女は別の答を見つけ出す。  
 両の眼を覆い隠すように顔に宛われている、厚い生地の感触。おそらく、目隠しだ。  
 取り払ってしまおうにも、両手は背に回され、固く縛られてしまっている。  
 
 後ろ手ながらも掌で床を探ってみるが、手を汚すばかりで何も得られなかった。  
 
 何故、自分が。どうして、こんな事に。  
 
 洋子が混乱する頭をなんとか働かせようとしている内に、声が聞こえてきた。  
 男の声。一つや二つではなく、いくつも。  
 その内の一つ──品なく嗤う野太い声は、聞き覚えのあるものだった。  
 神宮寺の留守中に訪ねてきた客だ。  
 それに気付くと、ぼんやりとしていた記憶が鮮明に浮かび上がり、意識を失う直前の光景が、洋子の脳裏によみがえってきた。  
 
  *  *  *  *  *  
 
 依頼をしたいと言って、その男は事務所に入ってきた。  
 シワのよった背広と派手なシャツをだらしなく身につけた姿に、ふてぶてしさを隠しもしない態度。  
 見るからに堅気の人間ではないと分かった。  
 しかし客を話も聞かずに帰す訳にもいかず、普段の来客時と同様に応接室へ通した。  
 男の舐めるような視線に不快感を覚えながらも、洋子は努めて丁寧な対応を試みようとしていた。  
 だが、茶を淹れようと男に背を向けた、その時。  
 後ろから、男の両腕が伸びてきた。  
 大きな図体からは考えられない程の速さで、右手は彼女の体を抱き竦め、左手は布きれをもって口を塞いだ。  
 
 思わず息を深く吸うと、甘い香りが鼻を通り、頭の中を白く塗り潰していった。  
「……っ………、……」  
 声をあげる間もなく。  
 がくりと両膝が崩れ落ち、彼女の意識は眠りの泥沼の中に沈められていったのだ。  
 
  *  *  *  *  *  
 
 記憶は、そこまでで途切れていた。  
 数秒の回想の後、洋子の顔が色を失くし、零れる息が押し殺せぬ恐怖に震える。  
 ──何という事だろう。こんなにもた易く、見ず知らずの者達に拉致されてしまうとは。  
 自分の無力さを深く嘆きながらも、息を潜めて耳をすまし、周囲の様子をうかがいながら、平静を欠いた頭で思考を巡らせる。  
 
 自分を拉致したあの男に、面識はなかった。  
 聞こえてくる他の声も、聞き覚えのないものだ。  
 事務所を訪れた事からも、この男達は神宮寺の事を知っていると考えて良いだろう。  
 彼には物々しい知り合いも少なからずいるが、単なる知人がこんな真似をする理由など思いつかない。  
 となると、ここにいる者達は神宮寺の敵か、味方か。  
 ──考えるまでもなく、前者であろう。  
 
「……………」  
 ごくり、と息を呑む。  
 自分がこんな状態であるという事は、神宮寺にも危害が及んでいるかもしれない。  
 
 あるいはこれから、彼女を人質として彼に接触しようとしているのか。  
 いずれにせよ、このままこうしている訳にはいかない。何か手だてを──  
 
 考えながら足をそっと動かした、その時だった。  
 靴の踵に硬いものが当たる感触と共に、大きな音が響いた。  
 金属音だ。空き缶か何かが床に倒れたような、甲高い音。  
 男達の声が、止んだ。  
 
 こつ、こつ、と低い靴音がいくつか近付いてくる。ゆっくりと、瞬きさえ出来ない程の恐れを、煽るように。  
 逃げるどころか、体は少しも動かぬのに、心臓は早鐘のように激しく音を立てる。  
 焦ってはいけない──言い聞かせる言葉も、気休めにすらなりはしない。  
 やがてまばらな足音は失せた。  
 背中に気配を感じる。無数の視線が、自分に向けられている。  
「っ──!」  
 いきなり、縮こまっていた肩をぐいっと引かれ、仰向けにされた。  
 驚きと怯えに漏れてしまった細い声に、嘲笑の声が応える。  
 
 いけない。このままでは、いけない。  
 逃げなければ──  
 
 洋子が何かに弾かれたようにその身を捩じらせたのと同時に、男達の気配が一斉に動き出した。  
 
 勢い任せに両足を振るってじたばたと体を転がすが、複数の硬い腕に押さえ込まれ、身を持ち上げる事すら叶わなくなる。  
 髪を振り乱さんばかりに首を振って抗ったが、頭を掴まれしたたか床に叩きつけられる。ぐらりと意識が揺らぎ、眩暈を覚えた。  
「くっ……うぅ……」  
 男の内の一人にのしかかられ、もう身動きがとれない。  
 荒く生温い息がうなじにかかり、洋子はぞくりと身震いする。  
 スカートの中にいくつかの手が伸びてきて、柔らかな腿を掌で撫で回してきた。  
 衣服の上や隙間から胸の膨らみや肌を滑る見えない掌達の感触は、不快を通り越したおぞましさを覚えさせるばかりだ。  
 暗闇の中にいる女に男達は囁き、笑いかける。  
 
 ──無駄だ。  
 ──逆らうな。  
 ──たっぷり鳴いてくれよ。  
 
 身を取り巻く異様さに満ちた熱気と、それをもたらす獣のような荒々しい吐息。  
 全身を這いずるいくつもの手、震える喉をべろりと舐める生臭い舌、馬乗りになった男が動くたびにぐりぐりと腹に押し付けられる、硬く滾ったもの。  
 
 ──い、や……いや……いやぁっ……!  
 
 心はそれだけを叫ぶのに、言葉にならない。  
 
 がたがたと身をわななかせて怯えるばかりの獲物を見下ろす男達の顔に、僅かな哀れみも存在しない。獣欲にぎらついた眼と、嗜虐を待ち望む下卑た笑みばかりだ。  
 彼女の視界にそれは入らないが、気配で分かる。避けられない恐怖が、抗えない暴虐が、闇から迫ってくるのだ。  
「ひ……っ……!」  
 いきなり胸に押し付けられた手が強く服を引っ張り、がばっと大きく前を開かれた。  
 慌ただしい動きで腕は肌着の中を這い回り、薄汚れた掌でべたべたと柔肌を揉む。  
 腕の数は徐々に増え、間もなく服は前を全開にされ、スカートも剥ぎ取られてしまった。  
 白磁の肌はこもった外気に晒され、臭いさえ嗅ぎ取れそうな程の淫欲に満ちた熱を感じて震えている。  
 着衣を乱される最中に腕の拘束は解かれたが、恐慌に判断力を奪われ、逃げようと思う事すら出来なかった。  
「ん……っ!!」  
 呼吸もまともに落ち着かせられぬ内に、唇を生温かいものに塞がれた。  
 表面はがさついているが、肉の弾力がある。べちゃりと濡れた音を立てて口内に入り込もうとするぬめった感触は、まるでナメクジか何かのようだ。  
 
 両頬をしっかりと固定され、首を振って拒む事も出来ずに、洋子は顔も分からない男の口吻を受けていた。  
 それを彼女が理解した瞬間、頭の芯が、かっと熱くなった。  
 唇を奪われた事実がただただ悲しくて、目隠しの下で一筋涙が伝う。  
 この先、それ以上の行為が自分を待ち受けているのだと分かっていても、動揺は抑えられはしなかった。  
 きゅっと歯を噛み締めた女の唇を、男の汚れた舌がつうっとなぞる。  
 おぞましさに全身が鳥肌を立て、今度こそ悲鳴を上げてしまいそうだ。  
 彼女を脅かすものは、当然それだけではない。  
 残りの男の手や舌が、剥きだしの肌を掴み、捏ね、舐め回している。  
 内腿に熱く生臭い息が吐きかけられ、やがてそれが秘所を覆うショーツにたどり着く。  
 はぁ、はぁ、とわざと強く息を吹き掛けて布越しにむしゃぶりつかれ、洋子はとうとう声を張り上げた。  
「やっ……いやぁっ!! やめてっ……やめ──んっ」  
 口付けをしていた男はこれを逃さなかった。  
 大きく開いた唇に指を挟み込んで閉ざせなくし、強引に舌を突っ込んで口内を掻き回す。  
 
「ふ、んんぅっ……」  
 流れ込む他人の唾液に嘔吐き、ついには下着を剥がされて秘部や胸ををいじくり回されながら、洋子は眼からぽろぽろと熱い雫を落とす。  
 
 ──どうして、こんな事をするの──  
 ──どうして、こんな事になるの──  
 
 幾度言葉を頭に浮かべても、理不尽な暴力は止まらない。  
 茫然自失となった女にかまわず、男達は思うがままにみずみずしい肉体に群がっていった。  
 
「んっ……く、ぅ……あぁ……」  
 男らが、愛撫と呼ぶにはあまりに身勝手な行為を重ね続ける内に、彼女の様子に明らかな変化が生じ始めていた。  
 荒い呼吸はそのままだが、時折零れる溜め息に気怠さがうかがえる。  
 疲労ゆえのものではないと分かるのは、吐息に多少ながら甘い声が混じっているからだ。  
 決して嫌悪が薄れた訳ではない。べたついた掌や舌で触れられ続ける間、喉の奥から込み上げてくる吐き気を必死で抑えこんでいるのだから。  
 しかし無為に抵抗をしないせいか、極端な痛みを伴うような乱暴をされる事はなく、いくらか緊張はやわらいでいる。  
 心でかたくなに拒んでいながらも、彼女の体は徐々に与えられ続ける仕打ちに慣れ始めてきていたのだ。  
 
「こいつ、感じてやがる」  
「いやらしい女だ……」  
 硬く張った乳首や潤い出した陰部を弄っている男らが、品なく笑いながら言う。  
「っ……ぅ」  
 女体の本能的な反応にすぎなくとも、己の体がひどく淫らなものに思えて、洋子は悲しげに顔を背ける。  
 目隠しのおかげで男達の様子は分からないのだが、女の反応を見せるたびに胸を抉るような言葉ばかり投げつけられ、泣き叫んでしまいそうだった。  
 言葉と行為で執拗にいたぶられ、彼女自身限界を感じ始めていた頃。  
 
「っ……!?」  
 室内に重苦しい音が響いた。数人の男の手が止まる。  
 重い金属を引きずったような低い音の後に、洋子を取り巻いている者とはまた別の複数の足音が立つ。  
 それから間もなく、同じく大きな金属音と共に、がしゃりと何かが閉じる音がした。  
 
 誰かが、この部屋に入ってきたのだろう。少ししてから彼女はそう理解した。  
 この状況から抜け出せるのではないか──そんな淡い期待は一瞬で打ち消された。  
「上手くいったみたいだな」  
「あぁ。運んで来るのは骨が折れたぜ」  
 迎え入れる男達に応える男の声が、打ち解けている者同士のそれだと分かったからだ。  
 その何者かが歩みを進める都度、ずりずりと何か重たいものを引きずるような音が聞こえる。  
 一体、何を運んで来たのだろう。  
 どさりと何かを放る音と共に、引きずる音は聞こえなくなった。  
 代わりに足音が、彼女の元へと近付いてくる。  
「じゃあ、お楽しみといこうかね」  
「おお、待ってたぜ……!」  
 四方から降ってくる、野卑な笑いと我先にと主張する声。  
 再びこの場の男達の視線が自分に向けられた気配を察し、洋子は身を竦ませた。  
 
「あ、っ……!」  
 両足をぐいっと大きく開かれ、その間に男が一人体を割り込ませてきた。  
 開かせられた股間を真正面から見られてしまう体勢に、改めて羞恥心を濃くする洋子。だが、それ以上に恐怖の方が強い。  
 これまでは外側を弄り回されるだけだったが、その先まで行為が及ぼうとしている。  
 どんなに腕や足に力をこめても、何の助けにもならない。  
 何も、出来ない──  
 
「いや………」  
 洋子が蚊の鳴くような声で拒絶の言葉を零すと、男が嗤ったような気がした。  
 微かに頭に届いたその声が、男の表情を連想させる。一片の慈悲もない、残酷な笑みだった。  
 秘唇に欲望の猛りの先端を押し付けられたその瞬間、洋子は無意識に誰かを呼んで助けを乞うていた。  
 それが誰だったかも分からぬ内に、彼女は見知らぬ男を受け入れ、何度目かの涙を流した。  
 

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