電話が鳴ったが、事務所の営業時間はもう終了している。
誰だろうかといぶかしながらも、全ての事務処理を一手に担う洋子はいつものように受話器をとった。
「はい、神宮寺探偵事務所です」
『洋子くん、神宮寺だ』
「あ、先生。どうされたんですか?」
『調べものに時間がかかってね。今晩は警察に泊まることになりそうだ。君は適当に帰ってくれていい』
「はい、わかりました。鍵はいつものところへ入れておきますね」
『ああ、すまない。……では』
「先生も無理なさらないでくださいね」
『……ああ』
慌しく電話は切れた。
デスクへと戻った洋子は、ちょうど作業のキリがついたパソコン画面を眺める。
「お言葉に甘えてしまおうかしら……」
一人で呟き、内心で、そうしよう、と答えて洋子はパソコンを終了させた。とたんに事務所内が静寂に包まれる。
今日は神宮寺がほとんどいなかったせいか、事務所内に漂う煙草の匂いも薄い。
電話で聞いた神宮寺の声がよみがえる。ふらりと立ち上がった洋子は、求めるように神宮寺の私室にある黒檀の机へ向かう。豪奢とは言いがたいチェアに座ると、体が神宮寺の匂いに包まれた。
「先生……」
神宮寺を思い浮かべるだけで、洋子の体が火照っていく。彼の物ばかりが溢れる私室。
火照りに押されるように自分の胸に触れる。手は確かに洋子のものだが、頭の中でそれは神宮寺のものに置き換えられていた。
服をたくし上げて、ブラジャーの中へ手を滑らせる。もう片方の手は、急ぐように下方の下着の中へ潜り込んだ。
神宮寺の匂いが、想像の手が、洋子の胸と秘所へ刺激を与えていく。
「あっ……んんっ……」
家でする自慰などとは比較にならない快感がこみ上げる。いつもは出入りを禁じられている神宮寺の私室で行うことの背徳感ゆえか、それとも、部屋を包むこの匂いのせいか。
室内に響く喘ぎ声はまるで他人のもののようだ。
もう少し、あと少し――。
「神宮寺さん?」
神宮寺の私室のドアが突然開いた。
洋子は、音に驚きながらとっさに指は抜いたものの、服の乱れまでは直せない。
「……今泉……さん?」
「こりゃあ……失礼しました。声はかけたんですがね。神宮寺さんに直接知らせる用があったもんですから」
言いながら、今泉は洋子へ背を向ける。
「いえ、私こそ気づかなくて……先生なら今日は警察にお泊りになる、と」
服を直しながら、洋子は神宮寺とは違う広い背中へ答えた。
「そうですか。また適当に出直します。それでは、アタシはこれで」
「あ、あの……!」
「誰にも言いませんよ」
今泉の言葉で気づく。洋子は口止めのことなど忘れていた。ただ、来客をこのまま帰してはいけない、と助手としての本能が動いただけなのだ。それに、この男なら先ほどのことは誰にも言わないだろう、となぜか確信できていた。
濡れた指をハンカチで拭き取り、洋子は今泉の横から私室を出た。
「そうじゃないんです。あの……お茶淹れますからゆっくりしていってください。コーヒーもあります」
恥ずかしさを取り繕うように洋子はキッチンへ向かう。
今泉の手が、そんな洋子の肩をつかむ。
「アタシのことはおかまいなく。あんなところで止めて、洋子さんのほうが辛いでしょう」
しっかり見られていた、と告げられたようで、再び洋子の頬に朱がのぼる。
秘所も下着も濡れたままだ。辛くないといえば嘘になるが、それ以上に他人に見られたことは恥ずかしい。
「それは……言わないでください」
「女一人であんなことさせるなんざ、神宮寺さんも察しが悪い」
今泉の言葉に、洋子はおもわず振り向いた。
頬にはまだわずかに朱が残っていたが、神宮寺が誤解を受けるのを黙って聞いているわけにはいかない。
「先生は何も悪くありません。私が隠しているだけなんです」
明治組若頭の貫禄あふれる双眸が、高い位置から洋子を見下ろしている。
「……あんたが泣いてるように見えたんですよ。アタシは今まで女を何人も慰めで抱いてきましたがね、あんたは神宮寺さんの女だ」
「私は、先生の助手です」
目の前の極道の厳しい表情がわずかに揺らぐ。
「そういうことにしておきましょう。……そんな女を抱くわけにゃあいきません。ですが、アタシが帰ったらあんたはまた一人。それも見過ごせねえんですよ。だから、アタシの指だけでも受け入れちゃあもらえませんかね……」
「指って……。えっ? あの……今泉さん?」
今泉に抱え上げられ、洋子は事務所の大きなテーブルへと座らされる。
洋子の頬を今泉の手が撫でた。
「うちの事務所にこんな美人さんがいたら、とっととアタシのものにしますがね。神宮寺さんの忍耐力はたいしたもんだ」
今泉の表情と似合わぬ声音の優しさに、こわばっていた洋子の体が少しほぐれていく。彼の無骨な指は、どこか神宮寺を思い出させた。
洋子の内腿を滑っていく今泉の指は、やはり神宮寺と同じように荒れていた。
今泉が何をしようとしているのか、洋子にはわかっている。先ほどまでの洋子の指が、今泉のものと入れ替わるだけだ。だが、神宮寺でさえも触れていない箇所に今泉の指が入るのは抵抗があった。
洋子の下着へとかかった今泉の手をつかんで制する。
「今泉さん、お気持ちは嬉しいんですけど、私はやはり先生が……」
洋子よりもさらに強い力で、今泉の指が秘所へと触れた。
「他の男の指と思うからいけないんです。アタシの指を神宮寺さんのだと思っていればすぐ済みます」
「でも……」
「神宮寺さんにやましいと思うからためらっちまうんでしょう? ですがね、アタシはあんたを想っちゃいないんです。何もやましいことはない」
緩んだ洋子の手の隙をついて、今泉の指が下着をよけて秘所へともぐりこむ。
半ば強引に割り込んできた指は、具合を確かめるようにゆるゆると洋子の中を撫でる。
「はぁ……あっ……」
神宮寺の私室で絶頂寸前まで煽られていた洋子の秘所は、軽く触れられるだけでも震えるほど敏感になっていく。
「いい声です……。アタシ一人が聞くにはもったいないくらいに」
普段は組員を従えるであろう低く響く声は、洋子の耳をくすぐって背徳感を煽る。
中をかき回す指の動きがわずかに強くなる。
事務所でこのようなことをしている、と思いたくなくて、洋子は視線を下へと移す。だが、そうすれば、腿の間で蠢く今泉の腕が視界へと入ってくる。
視線のやり場に困った洋子は、目を瞑ってただ下半身の快感に集中することにした。
中で蠢く今泉の指がさらに激しくなる。
洋子の喘ぎ声と吐息、秘所から漏れる水音だけが耳に響いてくる。
もう、中の指は今泉のものではなくなっていた。神宮寺にかき回されているような心地が、洋子をさらに絶頂へと近づけていく。
「せ、先生……!」
虚空をさまよう腕をとらえ、今泉が洋子を抱きしめる。
目を閉じ、現実から離れていた洋子は夢中でその体にしがみつき、体を快感の流れの中へ放出した。
痙攣がゆるくなった秘所から、今泉は指を引き抜いた。
手首のブレスレットにまで流れる液を見て、内心で今泉は苦笑をもらす。
今泉にしがみついている女の髪からは、ほどよく鼻をくすぐる匂いが漂っている。この事務所の主に代わって彼女を抱きつくしたい。そんな思いさえ浮かびそうになる自身に嘲笑をあびせ、今泉は女の体を引き剥がした。
「もっと抱きつかせてやりたいんですが、こちらもいろいろとやばいんですよ」
「えっ?……い、今泉さん!」
自身の理性のたがが外れぬうちに、と呼びかけた今泉の声は、女の夢心地を醒ましてしまったようだ。
服の乱れもそのままに、女がハンカチで今泉の指を拭う。
「……ありがとうございます」
「余計なことやっちまいましたかね」
女のハンカチから自身の指を離し、今泉は乱れたスカートや下着を直す。
「いえ、助かりました。……お茶いれますね」
テーブルからおりて、奥へ歩き出そうとする女の手をつかむ。
「美人さんを前にのんびり茶を飲めるほど、アタシもできた男じゃないんです」
細い女の手と、じっと見上げる目、振り向いた髪から漂う香りが、先ほど押し込めたはずの今泉の理性を崩そうとしている。今泉の指を締め付けていた、あの感触がよみがえってくる。
それらを振り払うように今泉は女から手を離した。
「もう帰りますよ。神宮寺さんに、帰ったら連絡するよう伝えて……いや、また伺います、と」
また来る、ととっさに言い換えてしまった自身の言葉に今泉は驚いた。
「はい、先生にお伝えしておきます。今泉さん、あの……ありがとうございました」
「礼を言われるようなことしちゃいません。では、また……」
「はい。お気をつけて」
女に見送られて今泉は神宮寺探偵事務所を出た。
暗く細い階段をおりる今泉の脳裏に、明るい部屋と見送る女の笑顔がよみがえる。
「ここは眩しすぎていけねえな……。だが」
たまにはこういうのも悪くはない。
ふっ、と今泉の口から穏やかな笑いが漏れる。
だが、路上で待機している組員の前に出た今泉の顔には、もう笑みは残っていなかった。
◇終◇