「今泉、すまないが手を貸してもらえるか。
もし俺が出て行ったら、余計彼女を動揺させてしまうことになりかねない。
彼女が今後も何事もなくここで働けるよう、このことは俺の胸の中に収めておきたい」
「差し出がましいかとは思いましたが、では、この件預からせていただきます。
今の店を辞めさせることと、少なくとも組が関わっている店には今後彼女を採用しないようにさせます。
この件については他言はしませんし、下の連中にも口止めします。
もちろん御苑さんには、神宮寺さんに話が通っていることも伏せておきます。
それから、こんな自分が仕事をしてることを組に知られたことで、
弱みを握られたり脅されるのではないかと、御苑さんが取り乱すかもしれません。
その時は、アタシがあくまで善意で動いただけで、彼女の味方だと説得します。
場合によってはどこかに匿って2、3日落ち着いていただくかも分かりません。
それもこちらにお任せいただけますか?」
「何から何まですまないな」
俺もその方が助かるかもしれないと思った。
自分には考える時間が必要だ。これから彼女にどう接するべきなのかを。
「神宮寺さん、ただ、一つだけ保証できないことがあります」
虚脱しかけていた俺を、突然今泉の言葉が現実に引き戻した。
「・・・・・・何だ?」
「神宮寺さんと御苑さんが仕事を超えた感情をお持ちなことはなんとなく察してました。
でもお二人の間には、何かもう一歩踏み込めないような溝がある気もしています。
だから御苑さんはこんな行動に出たんじゃないでしょうか?
ああいう女性が訳あって、自分に不釣合いなところに身を落としている。
・・・・・・アタシも男です。
しかも、そんな姿をみたら、放っては置けない性質(たち)でしてね。
もし今回の件で万が一アタシが彼女に惹かれてしまったら・・・・・・その際はご容赦ください」
俺は今どんな顔をしているのだろうか。
考えもしなかった今泉の言葉。
突然横面を張られたような衝撃に呆然としていた。
「それじゃアタシはこれで・・・・・・」
何時間くらい放心していたのだろうか。
気がついたときには言い知れぬ自己嫌悪に苛まれていた。
俺は何という間抜けだ。
この狭い事務所の中が世界のすべてと勘違いして、感覚が麻痺していたのか?!
彼女のそばにいる男は俺だけではない。
そんな当たり前ののことに今さら気づかされた
通勤中、仕事中、休暇中、そして風俗の仕事。
いたるところで彼女は無数の男と顔を合わせ、そして注目を受けているのだ。
給料が安かろうと、仕事がきつかろうと、俺のよき助手たらんとしてくれている洋子。
本来ならどんな大企業だってほしがりそうな人材が、あえてここにいてくれている。
俺は「上司と部下二人きり」という、身近な立場に甘えていただけなのだ。
しかも彼女は、いつ誰かに見初められてもおかしくない女性なのに、ずっと俺のそばにいてくれる。
俺は、それを守ってやれないだの、幸せにする自信がないだのと考えて答を先延ばしにし、
彼女の気持ちに胡坐をかいていただけなのだ。
いつの間にか陽は落ちている。
俺は自室に戻りカミュの瓶に手を伸ばし、グラスに注ぎ飲み干した。
考えろ、神宮寺三郎。どうするべきなのかを。なにが最善なのかを。
自分はまだ間に合うのか? まだ彼女を取り返せるのか?
まとまりそうもない思考に疲れ、ワイシャツのままベッドに転がり込む。
――また服を着たままお休みになったんですか――
目覚めたとき、そんな言葉をかけてくれる女性(ひと)の存在があるのを期待しながら。
「まったく・・・何もかも最低な男だな、俺は」
飲みなれたはずのカミュが、今夜はやけに不味い。
そんな苦々しい味のような不快な眠りの中に俺は落ちていった。