夏の陽光が、焦がさんばかりの強さで浜辺を熱している。  
 
 茹だるような暑気にも負けずはしゃぐ子供達や、若い女性の黄色い声が、あちこちで飛び交う。  
 日光を反射してキラキラと光る海面から顔を出す人達の表情も、この天候に相応しい笑顔だった。  
 
 ───が。  
 
「……ふう……」  
 楽しそうな風景にそぐわぬ、疲れたような溜め息をつく男が、一人。  
「なんだ神宮寺君、もうへばっとるのか」  
「だらしねぇなあ、おい。運動不足でなまっちまってんじゃねえか?」  
 笑いながら後ろから歩いて来た初老の男性と、呆れたような顔をしている厳つい男の声に、神宮寺は肩をすくめて苦笑した。  
「そんな事はないが……ただ」  
 海岸を埋め尽くす程の人の群れへと、視線を動かしながら彼は言う。  
「賑やかすぎてちょっとな……」  
「まあ、たまには良いじゃないか………しかし、こうも暑いと流石に……」  
「フッ……熊さんこそへばってるんじゃないのか?」  
「ふもっ! そ、そんな事は……」  
「かもな。最近じゃあ、見かける度に暑い暑いって呻いてやがるもんなぁ、熊さん」  
「こ、小林まで……」  
 
 軽口を交わしながらレンタルのパラソルを立てる彼らの額に、汗が滲む。  
 普段より薄着ではあるが、やはりこの暑さには敵わない。  
 捲くった袖で汗を拭いながら、神宮寺は照り付ける太陽を見上げた。  
 眩暈を覚えそうになる程の熱気を払うように、彼は二週間前の事務所での光景を思い出す。  
 ここに来るに至った、きっかけの会話を──  
 
 
  *  *  *  *  *  
 
 
 梅雨も明けてしばらく経った頃、会わなくなって久しかった少女が、神宮寺探偵事務所のドアを叩いた。  
「洋子さん、神宮寺さん。こんにちは!」  
「あら、美貴ちゃんじゃない」  
 開いたドアの先に立つ少女のはきはきとした声に、洋子はにこりと微笑む。  
 永田美貴──昨年の春頃に携わった事件の関係者であり、洋子の友人の妹である。  
 当時は彼女の姉──永田由香が危険に晒された事で暗い表情を見せていたが、今は快活な性格相応の笑みを浮かべている。  
 その様に、さしもの神宮寺も顔を綻ばせた。  
「久しぶりだな。お姉さんは元気かい?」  
「はい、今日も大学に行ってます……相変わらず口うるさいんですけど」  
 うんざりといった様子でしかめっ面をしてみせる美貴。姉妹の仲は変わらず良好らしい。  
 
「美貴ちゃんの方は、どう? 学校の勉強は……」  
「あ〜、うぅ………ちょっと、キツいかも」  
 志望校にも受かり、今の彼女は大学生としての日々を過ごしている。  
 苦い笑みを零しつつも、夏休みである今ここに来る余裕があるという事は、単位を落とさずには済んだのだろう。  
「ところでっ、最近って忙しかったりしますか?」  
 休みの間くらい勉強の話題はしたくない、という気持ちが見え見えの顔で、美貴は近況を尋ねた。  
 ふう、と一つ息をつきながら飲みかけのコーヒーに口をつける神宮寺に苦笑しつつ、洋子は答える。  
「一段落したところよ。今はまだ、新しい依頼も来ていないし」  
「じゃあ、ゆっくり出来そう?」  
「依頼人がしばらくの間来なければ……だけどね」  
「そっかぁ……」  
 美貴は俯き、黙り込んでしまった。  
 何か言おうか言うまいか、逡巡しているようだ。  
 洋子と神宮寺が不思議そうに顔を見合わせたその時、美貴はぱっと視線を上げた。  
「あの、もしよければ……なんですけど、皆で何処かに遊びに行けたらいいなぁ……なんて」  
「皆で?」  
「うん、夏だし海とか良いんじゃないかって、お姉ちゃんが」  
 
 美貴の言う"皆"の中に自分も含まれているのだと察し、何となく複雑な気分になる神宮寺。  
 洋子は興味を持ったのか、少し楽しそうな笑みを浮かべている。  
「由香の方は大丈夫なの?」  
「日にちが決まったら、予定空けられるって。体の調子ももうすっかりだし」  
 洋子が乗り気になっているのに気付いてか、やや遠慮がちになっていた美貴の声が再び弾む。  
「お姉ちゃん、色々あったし………大学の方も忙しくって、あんまり息抜き出来てないみたいだから……」  
 事件が起きた時の事を思い出したのか、彼女の声音が影を含む。  
 しかしそれも一時の事で、すぐに明るいものへと切り替わった。  
「だから、たまにはパーッと気分転換とか出来たらいいなぁ、とか……どうですか?」  
 期待に満ちた目で返答を求める美貴の言葉に、洋子の瞳に優しい色が灯る。  
 以前と変わらず……もしかしたらそれ以上に姉を思う彼女の姿が、とても微笑ましく映った。  
「先生……」  
 どうでしょう、と判断を仰ぐ洋子の顔は、断りの返事をするのが憚られる程に晴れやかだ。  
「………まあ、良いんじゃないか……」  
 二人のにこやかな表情に押され、神宮寺は曖昧な言葉で返した。  
 
 この時期大いに賑わっているであろう海へ行くのには、若干気が引けるのだが……  
 神宮寺の答に一つ頷いて振り返る洋子の笑みに、美貴は嬉しそうに目を輝かせた。  
「よかったぁ! じゃあ、お姉ちゃんにも伝えておきますね。都合の良い日とかあります?」  
「そうだな………」  
 
(……すっかり乗り気だな……)  
 美貴の言葉に答えながら、神宮寺は心中でやれやれと呟き、肩をすくめていた。  
 
 
  *  *  *  *  *  
 
 
 そうして、今に至った訳である。  
 熊野もこの場にいるのは、後に洋子がせっかくだからと言って彼を誘った為だ(小林は熊野から話を聞いて「面白そうだ」などと言ってついて来たらしい)。  
 洋子達から予定より遅れそうだと連絡が入った為、彼等は一足先にここに来て一息ついていた。  
「しかし二人とも、よく来る気になったな。この暑い中」  
 パラソルの下に腰を落としながら、神宮寺が言った。  
 多少なりとも涼める事に安堵してか、大きく息を吐いて熊野も座り込む。  
「まあ、ワシとて休息は欲しいからの。刑事課は相変わらず息が詰まるからな」  
「たまにゃあ夏らしい楽しみも欲しくなるってもんよ……つーかお前らなんだ! 水着はどうした水着は!」  
 
 シャツにズボンという、ここに着いた時と変わらない格好の神宮寺と熊野。  
 対して小林は、上に半袖のシャツを羽織り、下には海水パンツを履いている。  
 いかにも泳ぐ気満々といった様相だ。  
「いや、俺は付き添いみたいなものだから……」  
「老体に水はきついだろうからのう……」  
「お前ら何しに海に来たんだ……」  
 
 女性陣の到着を待ちながら、三人は浜辺をぐるりと見回していた。  
「……今時の若者は、随分派手な水着を着るんだのう……」  
 布地の少ない、際どい水着を着た女性を熊野はちらりと見て、恥ずかしくはないのだろうか、とぼそりと呟く。  
 神宮寺が確かに、と頷いた。  
「本人が気にしてないなら良いんだろうが……目のやり場に困るかな……」  
「そうかぁ? いいんじゃねぇか、目の保養になって」  
 少し気後れしている二人に反して、小林はからからと笑いながら立ち上がった。  
「どこか行くのか?」  
「暑くてしょうがねえや……先泳いでるぜ」  
 そう言って彼はシャツを放り、首をコキコキと鳴らす。  
 手を軽く振って海へと歩いて行く小林の背を見送ると、思い思いに楽しむ若者達の声が神宮寺達の耳をかすめた。  
 
 二人がどこか場違いな所にいるような気分になってきた頃、後ろから聞き慣れた声が近付いて来た。  
 振り返る二人を見て、美貴が声をかける。  
「あれっ、神宮寺さん達は泳がないんですか?」  
 彼女が着ているのは、セパレート型の山吹色の水着だ。  
 ビキニスタイルとはなかなか大胆ではあるが、ボトム部分に付いたひらひらとしたスカートが少女っぽい可愛らしさを引き出している。  
「せっかく海に来てるのに、勿体ないですよ」  
 そう言う美貴の肩に、隣にいた女性がぽんと手を置く。  
「美貴が無理に誘ったから、あんまり気乗りしてないんじゃないの?」  
 茶化すように笑うその人の顔色が、以前会った時よりずっと良い事に、神宮寺はほっとした。  
 
 もっとも、彼が最後に彼女と顔を合わせたのは半年以上も前……彼女が病院を退院する少し前の事だ。  
 今になって全快していないという事はない筈なのだが、それでも彼女──永田由香の健やかそうな姿に安堵せずにはいられなかった。  
「お久しぶりです、神宮寺さん」  
 
「元気そうで何よりです」  
「刑事さんも……その節はどうも」  
 事件当時の事がよぎったのか、微笑する由香の目に僅かな影が宿る。  
「あの………先生は、今は……」  
 躊躇いながらも問う由香に、熊野は髭に触れながら頷いた。  
「うむ………罪が罪だけに、暫くは出て来れんだろうな……」  
「そうですか……」  
「……だが、いつか必ず前に進める筈だよ。その為に償っておるのだから」  
 ……きっと、アイツも。  
 熊野はそう一言胸中で付け加えた。  
「……はい……」  
 熊野の言葉を受け、再び笑顔を作る由香。  
「なーんか暗いよ、そこ!」  
 殊更明るい声で沈んだ空気を払いながら、姉の腕に絡む美貴。  
 口を尖らせて怒ってみせる妹なりの気遣いが、由香にはありがたかった。  
「今日は思いっきり遊ぶんだから! ね、洋子さん」  
「フフッ、そうね」  
 応じる洋子の笑う声を聞き、姉妹の後ろにいた彼女の姿を、神宮寺は捉らえた。  
 
 ワンピースタイプの、大して飾りけのない水着を洋子は身につけている。  
 布地のクリーム色も淡く落ち着いた色合いで、素材が良い分よく映えていた。  
「遅くなってすみません」  
 そう言う洋子のはにかんだ表情がどこか新鮮で、神宮寺は眩しげに彼女を見つめた。  
 
「あら? 小林さんは……」  
 呟きながら辺りを見回す洋子。  
 視線を海の方へと向けると、その唇がふっと笑みを作った。  
「一番乗り、ですね」  
 遠くの方に、彼らしき頭が見える。  
「早く行こうよー」  
 辛抱出来なくなったのか、美貴が由香の腕を引っ張って訴える。  
 はいはい、と苦笑しながら由香は神宮寺達に目配せして、美貴と波打ち際へと歩いて行った。  
 二人の背を穏やかな眼差しで見送ると、洋子は神宮寺の方を振り返った。  
「じゃあ、私も……」  
「ああ……楽しんでくるといい」  
 洋子は頷いてから、持っていたバッグを降ろし、中に入れてある水筒を指す。  
「冷やしてあるので、よろしければ」  
「ありがとう」  
 洋子は軽く微笑むと、美貴達の後を早足で追い掛けていく。  
 その後ろ姿が、神宮寺の目に焼き付いた。  
 
 露わになった太股。すらりと伸びた腕。  
 真後ろから眺める身体の滑らかなラインは、美しいと形容する以外、言葉が浮かばない。  
 
 ぼんやりと洋子を見ていると、隣からの意味深な視線に気付き、神宮寺は気配の方に顔を向けた。  
 見ると、熊野がニヤニヤと笑っている。  
「……何だ?」  
「いやいや、君にもそういう所があるんだのうと……」  
 
「……………」  
 
(……変な所を見られてしまった)  
 
 気恥ずかしさを隠すように、神宮寺は水筒に手をかける。どうやら複数用意してくれたらしい。  
「コーヒーと麦茶があるが……」  
 水筒を示して問うと、熊野は麦茶入りの方を受け取った。  
「さすが洋子君、気が利いとるの」  
 冷茶を飲んでほうっと息をつく彼を横目に、とりあえずはごまかせたようだと安堵しながら、神宮寺もアイスコーヒーを口に含む。  
「ああいう娘を嫁にすると良いぞ、神宮寺君」  
 
 見事に不意を突いた熊野の一言に、吹き出しそうになった。  
 
  *  *  *  *  *  
 
「もうちょっと派手なのでも良かったんじゃない?」  
 先に水中に身を浸らせていた由香が、追いついた洋子に声をかけた。  
 水着の事を言われているのだと気付き、そうかしら、と呟きながら洋子は自身を見下ろす。  
「ビキニとかさ。せっかく神宮寺さんも来てるんだし」  
 笑いを含んだ目で浜の方を見る由香に、洋子は顔をほのかに朱に染めた。  
「なんでそこで先生が出てくるのよ……」  
「たまには積極的にアピールしなきゃ。多分神宮寺さんって、あまり自分から手を出さない方だと思うわよ」  
 
「……………」  
 
 由香の言葉を受け、洋子は神宮寺の事を思い返してみた。  
 確かに、関係を持つ以前はそのような素振りは見せなかったし、何を考えているのかいまいち掴めないところも少なからずあった。  
 だが……  
 
「……そんな事はないけど……」  
 きっかけさえ生じてしまえば、あっという間だった。  
 今でも言葉にして告げてくれる事こそ滅多にないが、行為の合間に想いを示してくれている。  
 
 ぽつりと呟いた声を聞き、由香はにやりと笑った。  
「……もういくトコまでいっちゃってる訳?」  
「ちょっと、何言って……」  
「えっ……洋子さん達ってそういう関係なんですか!?」  
「美貴ちゃんまで……」  
 事実だけに否定出来ないのがもどかしい。  
 どうしたものかと頭を押さえる洋子を面白がり、由香はますます笑みを深める。  
「じゃあさ、もしかしてワンピースにしたのって………」  
 内緒話のように、洋子の耳元に由香が囁く。  
「…………!」  
 ばっと由香から退いた洋子の顔は、先程よりも赤い。  
「え、まさか図星?」  
「ね、何? 何て言ったの、お姉ちゃん」  
「あのね……」  
「由香っ!」  
 
 いつになくうろたえた様子の洋子を見るのが余程楽しいのか、姉妹の笑みには悪戯っぽいものが宿っている。  
 どうやって反論しようかと頭を捻っていると、いつの間にか二人の顔からさっきの表情が消えていた。  
 何だろう、と洋子の後ろの方を見ている。  
 彼女が振り向く前に、背後から声が届いた。  
 
  *  *  *  *  *  
 
「…………?」  
 退屈そうに細められていた神宮寺の目が開き、一点を怪訝そうに見つめた。  
 視線の先にいるのは、洋子達の他に、見覚えのない男が数人。どの男もいかにも軟派そうな風体だ。  
 遠目からでよくは分からないが、愛想よく話し掛けている男達に対し、彼女らは戸惑っているように見える。  
「……悪い虫がついたかの」  
 熊野も気付いたのか、彼等を見ながら言う。  
 苦笑混じりのその声に応える気にならなくて、神宮寺は眉間に皴を寄せる。  
 様子をうかがっていると、男の一人が洋子に顔を近付け、何やら耳打ちし始めた。  
 由香が横から口を出すとすぐに身を引いたが、何となく不愉快な気分になる神宮寺。  
 なかなか離れて行かない彼等にしびれをきらしたのか、溜め息を吐きながら立ち上がった。  
 
 だが、歩を進めるその先に小林の姿を認め、思わず立ち止まった。  
 いつの間にか洋子達の側に来ていた彼は、男達に声をかけている。  
 不機嫌そうに二言三言言うと、男達はすごすごと引き下がっていく。  
 小林はそれを手で追い払う仕草で見送った。  
「……いらぬ心配だったようじゃの」  
 ニマニマと笑う熊野の視線に、神宮寺は苦い表情を浮かべ、あさっての方向へと歩き出す。  
「……適当にその辺を歩いてるよ。何かあったら、携帯に」  
 うむ、と一つ応え、軽く手を振る熊野。  
 神宮寺の背がだいぶ遠くなると、髭をひと撫でして呟いた。  
「……若いのう……」  
 
  *  *  *  *  *  
 
「助かりました、小林さん」  
 礼を言う洋子の方を振り返りながら、小林が応える。  
「いいって事よ。しかしあれだ」  
 男達が去った方向をちらっと見た。  
「ああいうのははっきり断った方が良いんだぜ。しつこい奴もいるからな」  
「気をつけます」  
 頷く洋子に、由香が物言いたげな視線を送る。  
 察した洋子が由香に小さく笑いかけた。  
「こちら、淀橋署の小林さん。着く前に話してた……」  
 ああ、と口元を緩ませ、由香は会釈する。  
「永田由香です。はじめまして」  
 
「おう、よろしく。んで……」  
 由香の横に立つ美貴に顔を向ける小林。  
「ちゃんと勉強してっか? 浪人生」  
「浪人じゃないですっ!! もう立派に大学生ですもん!」  
 例の事件の折、美貴が何度か警察に出向いた際、小林と知り合ったらしい。  
 こうして話をしている所を見るに、それなりに仲が良い……のだろうか。  
「悪かった悪かった。じゃあ、"元"浪人生。これで良いか?」  
 顔を真っ赤にして怒り、バシャバシャと水をかけて反撃する美貴。  
 小林はニヤニヤしながらそれを防いでいる。  
 
 クスクス笑いながら見守っていた洋子の肩を、由香がつんつんとつついた。  
「…………?」  
「ね、神宮寺さん、どこか行くみたいだけど」  
 由香が示す方を見てみると、パラソルの元を離れていく神宮寺と、それを見送る熊野の姿が目に留まった。  
 ゆったりとした歩みからして、特に用事があるというようにも見えないが……  
「行ったら?」  
 由香に促され、少し様子を見て来ようと彼の元へと向かう洋子。  
 彼女を見送る由香は、実に楽しそうな笑みを作っていた。  
「どうしたの?」  
 離れていく洋子の背中を見ながら、美貴が問う。  
「何でもないよ。さ、泳ごうっ」  
「?」  
 
 何だか嬉しそうな姉の様子に、美貴は首を傾げた。  
 
  *  *  *  *  *  
 
 しばらく歩いていると、神宮寺は人気のない岩場に行き着いた。  
 すぐ側にある防波堤のお陰か、強い陽射しは当たらない。  
 なるべく平らな岩に背をもたれかからせ、神宮寺はポケットからジッポと煙草を取り出す。  
 煙を深く吸い込み口内で味わっていると、来た時以上に疲れたような溜め息が漏れた。  
 
「……………」  
 時折遠くから聞こえる歓声が、彼の耳を掠めていく。  
 波音ばかりが目立つこの場所では、やけに響くような気がした。  
 ──この中に、彼女らの声も混ざっているのだろうか。  
 
 そんな事を思いつつ目を閉じ、耳を澄ませたその時……  
 
「……先生?」  
 
 近くから届いたその声に、正直かなり驚いた。  
 目を開け辺りを見ると、歩み寄ってくる洋子の姿をた易く見つけ出せた。  
 泳いでここまで来たのだろう、艶やかな黒髪が揺れる度に、雫がぽたぽたと零れ落ちていく。  
 腕や腿を伝う水が、彼女の肢体をより一層艶めかしく見せる。  
 これまで暗がりの中でしか見られなかった素肌が、こうして惜し気もなく日の下に晒されている事に、神宮寺は昂ぶるものを感じていた。  
 
「こちらの方に歩いているのが見えたので……」  
 そう言ってから、洋子は控えめに尋ねた。  
「……退屈でした?」  
「いや……」  
 申し訳なさそうな声に、神宮寺は言葉を濁してしまう。  
 上目遣いに問い掛ける表情も髪をかき上げる仕草も、見慣れたものだというのに、彼の胸の内のどこかを疼かせた。  
 いつもと違うこの光景がそうさせるのだろうか。  
「煙草が吸いたくなったから、それで……」  
 本音とこじつけが半々の返答に、洋子は薄く微笑む。どうやらお見通しのようだ。  
「良いのか? 彼女らの方は」  
 煙草を携帯灰皿の中に押し込みながら、神宮寺が問う。  
「小林さんもいますし……」  
 そこまで言いかけて、洋子は悪戯っぽく笑った。  
「私はお邪魔でしたか?」  
 思わず口端を綻ばせ、神宮寺は洋子の肩を抱き寄せた。  
「そんな訳ないだろう」  
 言いながらひんやりとした頬を撫で、口付ける。ほんのりと塩の味がした。  
「先生、あの……」  
 人目を気にして身を引こうとする洋子に構わず、神宮寺はしっとり湿った髪を梳く。  
「さっき、何だって?」  
 唐突で掴めない問いに不思議そうな顔をする彼女に、神宮寺は少し焦れる。  
「からまれていたみたいだが……」  
 
 先の男達の事を尋ねているのだろう。  
 言わんとしている事が見えてきて、洋子は面白そうに笑った。  
「……気になりますか?」  
 試すような言葉に簡単に乗ってやるのが嫌なのか、神宮寺は彼女の唇を塞ぎ、零れる小さな笑いを阻む。  
 咄嗟の事に驚きつつも周囲に視線を走らせ、人がいないかどうかを確かめる洋子。  
 視界に誰も映らないものの、不安は拭えないようだ。  
「……誰も気付かないさ」  
 神宮寺は唇を離してそう告げ、腰の辺りをつと撫でた。  
「でも……」  
 彼の手の動きに、キスより先にまで及ぼうとしているのだと察し、洋子は抵抗を試みる。  
 誰かに見られるかもしれないし、そもそも外でするのは恥ずかしかった。  
「最近あまりさせてくれなかったろう?」  
 不満げな洋子に構わず、肩紐をずらして内側の柔肌を撫で回す。  
「だって、それは……」  
「ん?」  
 じっと見つめる神宮寺に、真っ赤になって洋子は言葉を続ける。  
「痕がついてしまうから……」  
 ああ、と納得したように息をつく神宮寺。  
「じゃあ、見えない所になら良いか?」  
「え……」  
 戸惑う彼女の隙をつき、神宮寺は水着の上半分をずるずると脱がせてしまう。  
「え……えっ、やだ、先生っ」  
 
 いきなりさらけ出された胸を隠そうと上げた腕を、神宮寺がぐっと掴む。  
 そのまま乳房に軽く歯をたて、赤みがついた所を舌でなぞった。  
「……っ……」  
「ここなら、誰にも見られない」  
「そういう問題じゃ……」  
 洋子は慌てて再び周りを確認する。  
 彼女がまだ余所見してばかりいる事にやや憮然として、神宮寺は胸の先端をきゅっと摘んだ。  
「あっ……」  
 小さく声を上げる洋子。  
 指で擦られ、膨らみを掴まれている内に、乳頭は次第に硬くなる。  
 白い肌がほのかに赤く染まるまで胸を揉み解すと、彼女の息に甘いものが含まれつつある事に気付いた。  
 顔を覗き込むと、羞恥と心地よさに潤んだ瞳が神宮寺を見つめ返す。  
「帰ってからじゃ……ダメなんですか」  
「今更、だな」  
 遠慮がちに頼み込む洋子の言葉を、神宮寺は否定した。  
 おそらく何を言っても聞きはしないだろうと分かっていたが、こうもあっさり即答されてしまうとやはり困ってしまう。  
 洋子は快感と呆れのこもった溜め息をつきながら、誰にも見られませんようにと心中で祈った。  
 
  *  *  *  *  *  
 
「あれ?」  
 時を同じくして、少し休もうと波打ち際まで戻って来た美貴が、いつの間にか着替えて来ていた熊野を見て声を上げた。  
「やっぱり、泳ぐんですか?」  
「見ているだけにしようと思ったんだが、やはり暑いからの。話し相手もいなくなった事だし」  
 それを聞いてようやく、美貴は神宮寺がいない事に気付いた。  
「神宮寺さんも? 洋子さんも帰って来なくて……」  
「もう結構経ってるわよね……」  
 由香は呟き、ひとつ頷いた。  
「ちょっと様子見てくる。適当に泳いでて」  
「あっ、お姉ちゃん……」  
 何か言う間もなく、由香は洋子が向かって行った方へと行ってしまった。  
「……行っちゃった」  
 やはりどこかウキウキした様子の姉を見つめて立ち尽くす美貴の後ろから、小林が寄ってくる。  
「なんだ熊さん。水着持ってきてんじゃねえか」  
 ごまかしようのない腹まわりをじろじろと見て問う。  
「……泳げんのか?」  
「失敬な……」  
 むっとしつつも、熊野は心の中で同じ不安を抱いていた。  
 泳がずにいようと思っていた本当の要因は、そもそもそこにあったのだ。  
 
 しかしこの熱気の中において水の誘惑に勝てる筈もなく、熊野は抜かりのない準備運動の後に、再び海に入った小林達を追うのだった。  
 
  *  *  *  *  *  
 
 一方その頃──  
 岩場の影の男女は夏の暑気にも勝る熱に心身を浸していた。  
 
 神宮寺はますます熱を帯びてきた体を涼ませようと自身のシャツのボタンを全て外し、洋子の体を更に引き寄せる。  
 厚い胸板に膨らみが直接押し付けられて歪むさまに、互いの鼓動が少なからず速まる。  
 神宮寺は背に腕を回しうなじに触れると、そのまま指をつつと下へ撫で下ろした。  
「あぁっ………」  
 ぞくりと身をわななかせる洋子の首筋に軽く口付け、神宮寺は改めて彼女の肌を見つめ、ほう、と息をついた。  
「……やっぱり、白いな」  
 肩から腕にかけてをそっと摩り、柔らかな感触を味わいながら呟く。  
「いつもは、暗くてあまり見えないからな」  
「……やっぱり、落ち着かないです。ここじゃ……」  
 照る陽光の下、隠すものも無く直視される身を恥じらう洋子に、神宮寺はかえってそそられてしまう。  
 腕の中でもがく彼女を壁際に追い込み、水着の下半分の中に手を伸ばし、臀部を撫で回す神宮寺。  
 
 双丘の更に下へと指を這わせていき、秘部に至ったところで、ぴたりと止めた。  
「……洋子君……」  
「……っ……」  
 潜めたような呼び声に、洋子はびくりと固まった。  
 何かを確かめるように動き出した指を妨げようとしてか、あるいは快感に耐えかねてか、もどかしそうに腿を擦り合わせる。  
「……本当に、嫌なのか?」  
 その言葉に、ますます彼女の頬の赤みが増す。  
「やっ……ぁ……」  
 割れ目の外に触れていただけの指が、僅かながら内部に入り込んできた。  
 海水によるものとは明らかに異なるとろみを帯びた湿りが、硬い指先に絡み付いてくる。  
 外側にまで染み出してきたそれは、彼女の欲求を示していると言って良いだろう。  
「開いてくれないか?」  
 足を閉じられたままでは、奥まで触れられない。  
 神宮寺は洋子に小さく言いながら、細い腰と秘所とを優しく撫でた。  
 耳元に低く響くその声と彼の指の感触が、洋子の思考を霞ませていく。  
「あんっ………」  
 駄目押しとばかりに耳に息を吹き掛けられ、体を震わせる洋子。  
 脱力したその隙に足を開かせ、神宮寺は中に指を沈み込ませる。  
 
 少し屈んで胸の先端を口に含み、指の動きを速めると、堪らなくなった洋子が神宮寺の肩に縋り付いた。  
 膣壁に押し付けた指を上下させ、掻き回す合間に聞こえる声は小さいが、呼吸の間隔は短くなってきている。  
 視線だけ彼女の顔に向けると、息を乱しながらも小さく首を振り、懇願する。  
「ダメ……せんせ……もう……」  
 彼女の言う"ダメ"はやめてほしいという意味か。あるいは焦らさないでほしいという事か。  
 せっかくなので、神宮寺は後者にとる事にした。  
「んく……ぅ、あっ」  
 乳頭を吸いながら軽く陰核を摩ると、びくっと腰を強張らせ、洋子は声を詰まらせた。  
 漏れ出す愛液を指に塗り付けるように中を擦り、掻き混ぜられる内に、零れる声はよりか細いものになっていく。  
 さすがに堪えきれなくなった神宮寺は、荒くなる呼吸を抑えながらベルトに手をかけた。  
「……あ……」  
 彼が愛撫の手を止め一旦身を離した事に、洋子は戸惑った。  
 同時に疼きが収まらなくなっている自身に気付き、恥ずかしげに顔を伏せる。  
「洋子君。そこに……」  
 岩壁を指し、手をつくようにと神宮寺が促すと、洋子は高鳴る鼓動を抑えるように息を吐いた。  
 
 白昼に屋外で、後ろから貫かれようとしているというのに、嫌悪や羞恥よりも情欲が勝ったのか。  
 ふらふらしながらも抗う事なく、洋子は神宮寺に背を向ける。  
 壁に手をついて彼の動きを待っていると、少しして大きな手が洋子の腰を持ち上げた。  
 そして水着の股部分をずらし、彼自身を押し当ててくる。昂ぶったものの、先端を──  
 
「え………」  
 
 肌に触れたものの感触に、洋子は戸惑った。  
 急な事であるのだから、何の準備も無くても仕方がないと思っていた。  
 だが押し付けられたものはそのままの肉の感触ではなく、弾力のあるゴムの膜を纏っている。  
 振り向く洋子の問うような目に、神宮寺は口を開いた。ややばつが悪そうに目を逸らしながら。  
「……実は、少し期待していた」  
 意外な返答に驚きながらも、洋子は少ない言葉からその意を汲み取ろうとする。  
「こうなる事を……?」  
「………呆れたか?」  
 洋子は再び顔を前に向けた。後ろから見ても分かる程、彼女の頬は赤い。  
「嬉しいって言ったら、呆れますか?」  
 触れている彼のものが、僅かに動いた。  
「でも、これからは場所を──っ!」  
 
 照れを隠すように言いかけた小言を最後まで聞かずに、神宮寺は洋子の胎内に男根を埋め込んだ。  
「ああっ……!」  
 体が前へと押しやられ、壁に押し付けた腕が震える。  
 ごつごつした岩壁は汗で滑る事もなく彼女を支えているが、やはり勢いに押されてしまいそうになるのが不安で、洋子は懸命に身に力を入れた。  
 それと共にきつくなる膣の締め付けに、神宮寺は低い声を漏らす。  
 受け入れる事に慣れたそこは、感じやすい箇所を多少擦ってやるだけですんなりと男根になじむ。  
 勢いをつけて突いていると簡単に達してしまいそうな気がして、神宮寺は一旦腰の動きを抑えた。  
「はぁっ……く、ふっ……んん……」  
 緩い律動に合わせて零れる洋子の声は、とても柔らかい。  
 このままでも十分感じている様子の彼女に満ち足りながらも、更なる攻めを与えんとして、神宮寺は片手を腰から離した。  
 彼女が自身を飲み込む様を楽しむようにゆっくりと抜き差ししながら、神宮寺は打ち込みに合わせて動く乳房を持ち上げた。  
 真下へ向けられている胸は程良い大きさではあるが、広げられた掌の上でたぷたぷと揺れている。  
 
 汗と海水とで湿った胸は、乾いている時のそれとはまた違った触り心地で神宮寺の手に吸い付く。  
 柔らかいそれを捏ねて形を歪ませると、彼女の声に生温さが増していくようだった。  
 
 しばらく膨らみの感触を堪能すると、今度は胸の辺りからくびれにかけてを撫で始めた。  
 真っ白い肌──そこは染み一つ見受けられない。最後に刻んだ彼の痕跡さえも。  
「あ、の……」  
 背を指でなぞる神宮寺に、洋子が躊躇いがちに声をかけた。  
「残って……ますか?」  
「ん?」  
「こ、この前の……」  
 彼女も同じ事を考えていたようだ。  
「ああ……見当たらないな」  
「そう、ですか……」  
 その声は安堵を含んでいるようだった。  
 それが何となく気になり、神宮寺は洋子に尋ねる。  
「……消えている方が良かったのか?」  
「誰かに、気付かれてしまうかもしれませんし……」  
「この水着なら、見られる事もないだろう」  
 神宮寺の言う通りだった。  
 何より洋子自身が、万一自分の見えない所に痕跡が残っていた時の為にと、このワンピース型の水着を選んだのだ。  
 それを見通した由香の言葉を思い出し、洋子は赤い顔を俯かせてしまう。  
 こんな所を彼女に見られたら、何を言われるか分かったものではない。  
 
 早々に終わらせてしまいたい、という理性の下に、洋子は彼自身をきつく圧迫し始めた。  
「ぃ……あっ……」  
 だがむしろそれは、彼女自身を追い詰める行為だったのかもしれない。  
 洋子の攻めに屈してしまわぬようにと速さを調節しながら、神宮寺は彼女が悦ぶ箇所を何度も擦っている。  
 彼自身を強く締め上げる程、その感触に快感を刻み込まれていくのだから。  
「あぁ……んんっ……! ダメ、そんな……っ……」  
 突かれる度に沸き立つ身を抑えられなくなっていく事に、洋子は惑いの声を上げる。  
 上擦った声に、確かな熱を含んだ吐息。  
 神宮寺が背を少し屈めて顔を近付けると、それらは耳に甘く響いてきた。  
 それらが、彼の心身を覆う熱をより濃いものへ変えていく。  
 再び上半身を持ち上げて彼女から顔を離すと、今度こそ昇り詰める為にと腰を打ち付け出す。  
「あ……っ……!?」  
 律動のペースが次第に速まってきている事に気付き、洋子は背を反らした。  
 息は小刻みに吐き出され、その身は勢いに押されて前後する以外の動きが叶わなくなる。  
 体を支える両の細腕はわなわなと震え、じきに倒れ込んでしまいそうだ。  
 
 神宮寺はもう少し耐えてくれ、と囁いて激しく秘所を突き、掻き回した。  
「せん、せ……っ、あっ……ぃあっ、ぁ………」  
 漏れ続けていた嬌声が不意に途切れ、膣肉が絞るように男根を締め上げた。  
 両足をがくがくさせ、唇を僅かに開いたままで洋子は体を小さく震わせている。  
 彼女が行き着いたのを確かめると、神宮寺は何度か腰を動かし、自身の内側で息づいていた熱を外に逃がした。  
「はあぁ………」  
 そこで遂に力が抜けきってしまったのだろう、洋子の膝ががくりと折れ、体がのろのろと崩れ落ちていく。  
 それを支えてやるだけの余裕もなく、荒く息をついている神宮寺のものが、彼女の中からずるりと抜け出した。  
 最後まで出し切って満たされた自身の処理を怠そうに済ませると、神宮寺は背を向けたままの洋子の肩を引き寄せる。  
「きつかったか……?」  
 気遣い問う神宮寺に向けられる洋子の表情は、彼以上に気怠そうであった。  
「……平気です」  
 微笑みながら乱れた髪を整える彼女の腕は、少し震えている。  
 あの体勢で耐えるのは、辛かったのかもしれない。  
「でも、外で……っていうのは……なるべく控えて頂けると……」  
「時々なら良いのか?」  
 
 恥ずかしげに目を伏せる洋子に、少しはその気があるものと踏んで、神宮寺はそう聞いてみる。  
「……………」  
 そういう問題ではない、と言うべきだったのだろうが、余韻の尽きない今はそんな気力も湧かない洋子なのであった。  
 
 
(……何か起こるかと期待はしてたけど)  
 やや呆れた様子でありながらも、なかなか満更でもなさそうな表情で神宮寺に身を寄せている洋子は、気付かなかった。  
 岩場の側から自分達を覗いている友人の視線があった事に。  
(ちゃんとやる事やってるじゃないの。後でからかっちゃおうかな)  
 相当うろたえるのであろう洋子の顔を思い浮かべながら、由香は込み上げてくる笑いを堪えていた。  
 
  *  *  *  *  *  
 
 同じ頃、美貴達は……  
 
「随分遅えなあ、神宮寺の野郎。迷子にでもなってんじゃねえだろうな」  
「お姉ちゃんまで帰って来ないし……探しに行った方が良いですかね、熊野さ──って小林さん、熊野さん溺れてますよっ!!」  
「ふもーっ! ふもーーーっっ!! 腹が、腹が浮いて泳げーんっ!」  
 

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