「んっ……う………」  
 
 息が、苦しい。  
 
 重い瞼を上げると、やや肉付きの良い腹が洋子の視界を覆っている事に気付いた。  
 待ちきれなくなった男が口に男根を押し込んだらしい。  
 篭ったような臭気が鼻につく。口内に染み付く先走りもまた、吐き気を催させる。  
 髪を無造作に掴まれて頭を前後に揺すられる洋子の目は、怠そうに男の下腹部を映していた。逆らう所作も見せない。  
 
 犯しづらい為か、吊していたワイヤーは下方に下ろされ、彼女はじめじめとした床に膝を落としていた。  
 しかし腕は掲げられたままである為、やはり身動きする事は出来ない。  
 長時間持ち上げられている事と冷えとのせいで、腕はすっかり痺れてしまっていた。  
 そんな彼女の後ろから、別の男が秘所を激しく突いている。  
「ちっ……お前ら、出し過ぎだっつの。打つたんびに、溢れてきやがる……っ」  
 罵る男の表情はしかし、美しい獲物を貪る愉悦に満ちており、徐々に近付く極みを惜しむように腰をパンパンと打ち付ける。  
「おぉ……よがらねえ割には、口ン中涎でヌルヌルじゃねえか……凄えイイぜ……」  
 口を犯す男の声に、拒絶の声は出てこない。  
 首を振る事すら、今の洋子には叶わなかった。  
 
 岩辺と李がこの場を後にすると、組員達は先を争うように洋子に群がり、思うままに汚しにかかった。  
 半端に開かれていたブラウスの前を全開にし、脱げかけのショーツを捨て置き、より犯しやすいように体勢を変えさせ、辱めていく。  
 最初こそ抵抗を続けていた洋子だったが、乱暴な行為と寒さに体力を削られ、次第に動く事さえ辛くなっていった。  
 体の内と外を汚し、痛め付けんとする彼等の欲望に慣れる事は出来なかったが、無意味な抵抗に費やせるだけの力は、もう何処にも無かった。  
 ただ、声が出ぬ程に疲れきっている事は、ある意味救いでもあったのかもしれない。  
 男達を悦ばせ、猛らせるだけのものなら、いっそ失くしてしまえば、心を折られずに済むのだから。  
 
「んっ……ふうっ……ぅ……」  
 口腔の肉棒が刹那膨張し、弾ける。  
 口一杯に広がる独特の生臭みに、洋子は小さく呻き、顔を歪めた。  
 男はそれに構わず彼女の頭を強く押さえ、放ったものの全てを女の体内に収めようとする。  
「んぷっ………」  
 が、粘った汚液は飲み下すにはあまりに厳しく、緩んだ口端から漏れ出してしまう。  
 
「しょうがねえな……」  
 飲み干させる事を早々に諦めた男は、再び腰を動かし、内側に溜まった残滓を出し切る事に専念する。  
 出し入れされる度に唇から零れる精液が、滑らかな顎を伝い、汚れた床に垂れ落ちる。  
「……はっ……あぁ……」  
 しばらくして口を塞いでいたものが硬さを失い、中に溜まったままの白濁と共に抜けた。  
 髪を痛い程力を篭めて掴んでいた男の手も離れ、洋子はくたりと頭を垂れる。  
 異臭を含んで不快さばかりを与えてくる空気を、それでも彼女は深く吸い込んだ。  
 汚された口内を僅かでも清め、そして遠のきそうになる意識を保つ為に。  
 
「ううっ……」  
「……あ………」  
 洋子の背に覆い被さっていた男の呻きと共に、膣奥に熱いスペルマが放たれた。  
 解放の悦びに震える大きな体に合わせ、細い肢体が微かにひくつく。  
 それは今にも事切れてしまいそうな程、弱々しい動きだった。  
「おら、早く回せよ。後がつかえてんだからよ」  
「もう少し待てや………ふう。ほら、空いたぜ」  
 
 まるで、物のような扱いだった。  
 
 疲れ果てた様子の洋子に構う事なく、別の男が肉杭を秘所に埋め込む。  
 
 溢れる程の精液に塗れ、掻き混ぜられて開かれたそこは、た易く男を受け入れてしまう。  
 摩擦の痛みも、もう殆ど感じられない。  
 逆らう事もせず男達の律動に任せてしまっている為か、体は多少ながらも快感さえ覚えかけていた。  
 
 疲労に意識を掠われぬようにと、ここ以外の何処かを、そしてここにいない誰かの事を、洋子はぼんやりと思い浮かべた。  
 思考の中心に真っ先に描かれたのは、言うまでもなく──  
 
(……先生……)  
 
 紫煙と共に、窓際に佇む男の姿。  
 毎日のように目にしてきた筈の彼の面影が、今は、とても遠い。  
 
 神宮寺と離れてから、どれ位の時間が過ぎたのだろう。  
 ここに連れて来られてから随分経っていると思われるが、知る術もない。  
 何より彼女が気にかけているのは、やはり彼の安否だ。  
 岩辺と李がここを出て組事務所に戻ったのだとしたら、鉢合わせしてしまったかもしれない。  
 せめて、時間稼ぎにだけでもなれたら良いと思った。  
 だが、足止めすら出来ていなかったとしたら……  
 
(私……)  
 かじかんだ指先が、微かに震える。  
(何の為に、ここにいるんだろう……)  
 
 こんな思いをしてまで。  
 大切な人一人守れないまま、終わってしまうのか──  
 
「うっ……」  
 更なる白濁が、膣内を汚した。  
 満ち足りた事を示すように、腰を何度か強く叩きつけられる。  
 途切れ途切れの洋子の息は、浅く弱い。  
 意識が途絶えるのも、時間の問題かもしれない。  
 
 組員の一人の携帯電話が着信を告げたのは、その時だった。  
 
 
  *  *  *  *  *  
 
 
「……………」  
 
 男達の体が、離れた。  
 望まない温もりが失せてしまうと、凍てつくような冷気が洋子の肌を蝕んだ。  
 五体の感覚が多少戻ってきて、震えが止まらなくなる。  
 急に行為が収まった事に戸惑い、様子を伺おうとするが、頭をもたげる事も叶わない。  
「で……何だって?」  
「吉井と原が伸されたらしい。チャカ盗られて逃げられたとか」  
「使えねえ……二階の奴らは何してたんだよ」  
 組員らの声が、耳に入る。  
「んで、俺らも戻れってか? 勿体ねえ!」  
「しょうがねえだろ、オヤジの指示なんだから」  
 未練がましく文句を垂れる数名を余所に、別の何人かが重機をいじり、洋子の体を上へと吊していく。  
 今度は床に爪先も付かぬ程、高い位置へ。  
「こうしときゃ、万一にも逃げられないだろ」  
 
「殺らないで置いとくのか?」  
「後で戻って来りゃいいさ。ヤリ足りない奴もいるだろ?」  
 どうせ誰も来やしない、と付け加えると、不満げだった者達も渋々ながら承知し、倉庫を出る準備を始めた。  
 もっとも、この寒さの中衰弱した状態で放っておかれて、どうにかならないかどうか怪しいものではあったのだが……  
 
「んじゃあ、また……生きてたら、な」  
 男の含み笑いと共に、扉は閉ざされる。  
 
 
「……………」  
 静寂だけが、そこに残った。  
 
 一つ溜め息をつくと、体は男達から与えられたものを思い出し、限界を訴えかけてきた。  
 少し身じろぎすれば全身が痛みを覚え、呼吸をすれば嫌な臭いが鼻をつく。  
 心身が安らぎを求めて睡魔を呼び起こさんとするが、洋子は懸命に思考を巡らせた。  
 
 ……何故彼等は、突然いなくなってしまったのか?  
 オヤジ……組長の指示で、"戻る"と言っていた……組事務所へだろうか。  
 それに"逃げられた"とは──  
 
「…………!」  
 
 神宮寺の事、だろうか。  
 逃げ果せたのだろうか。李や岩辺達に、捕われる事なく。  
 
「───……」  
 洋子の顔に微かながら、笑みが灯る。  
 
 生きていてくれた。  
 岩辺達がここにいた事で、自分がここに来た事で、彼の為の時間を稼げた。  
 それが堪らなく、嬉しかった。  
 
(……先生)  
 安堵が気を緩ませた為か、意識がだんだん遠のいていく。  
 再び組員達が戻って来た時の事を考えれば、彼女の身の危険が去った訳ではない事位、分からなくはない。  
(……私……)  
 それでも洋子はもう、この睡魔に逆らいはしなかった。  
 
 
  *  *  *  *  *  
 
 
 体が落ちる衝撃に揺さぶられ、意識が眠りの中から引き上げられた。  
 長時間同じ体勢でいた上に、腕や足が固い床にぶつかった為、体がひどく痛む。  
 しかし疲れきった体は休息を求め、再び眠りにつこうとする。  
 それを遮ったのは、見知った誰かの、聞き慣れない叫ぶような声だった。  
 
「…………っ!!」  
 
 すぐ傍で聞こえる声なのに、何を言っているのか、分からない。  
 頭を少し動かすと、何故か息苦しくなって小さな咳が漏れた。  
 戒められていた筈の両手が離れ、しかし体がきつく押さえ込まれている事から、縄を解かれ、誰かに抱き締められていたのだと洋子は気付く。  
 誰か──  
 
 一体、誰に……  
 
「せん……せ………?」  
 
 嗅ぎ慣れた、煙草の匂い。懐かしささえ覚える声。  
 分からぬ訳がない──  
 
「洋子っ………」  
 はっとして顔を上げ、腕の力を緩める神宮寺。  
 薄暗い倉庫であるが、目をうっすらと開けると、僅かながら彼の強張った表情が見えた。  
 怪我はしているが、事務所で最後に会ってから、更に負ったものは見られない。  
 それだけでも……こうして目の前にいてくれるだけでも、洋子の心は安らいだ。  
 だが──  
 
「……っ……」  
 思い出したように顔を引きつらせ、洋子は神宮寺から顔を背けた。  
「洋子……?」  
「……ない…で……」  
 零れた声は聞き取るにはあまりに小さく、ひどく掠れていた。  
「見ない、で……下さい……」  
 支えるように抱いている腕から逃れようと、僅かに残る力を振り絞るようにもがき出す。  
 ブラウスは半ば破れたように乱れ、口元には欲望の残滓がこびりついている。  
 服の隙間から見える白い肌に残る幾つかの痣も、神宮寺の目に留まらぬ筈はない。  
 それでも体を放そうとしない彼の胸を押し退けるようにして離れると、端の方に落ちていたコートに身を収める。  
 
 震えるその背に神宮寺は手を伸ばし、もう一度抱き竦めようとしたが、洋子は応えなかった。  
 こんな姿を、見られたくなかった。  
 一番見せたくない人に、見られてしまった。  
 
 黙ったままの神宮寺。  
 どんな顔をしているのか、確かめるのが怖い。振り向けない。  
 
 しばらくして神宮寺は立ち上がり、背を向けたままの洋子の肩にそっと手を置いた。  
「……とにかく、ここを出よう」  
 それだけ言って扉の方へ歩き出す。  
「……………」  
 このままここにいれば、いずれ組員達が戻って来る。  
 逃げるなら、今しかない。  
 コートの前をしっかり閉じ、バッグの中のハンカチで顔だけでも拭い、可能な限り身辺を整え、彼の後に続いた。  
 
 
 車中においても、二人は言葉を交わす事はなかった。  
 冷え切っていた身を両腕で庇いながら、顔を窓側に向けて動かない洋子。  
 進行方向だけをじっと見据えたまま、相変わらず顔に感情を示さない神宮寺。  
 
 だから、気付かなかった。  
 
 窓に向けられた彼女の目が、彼だけを見つめている事に。  
 ハンドルを握る彼の手に、痛くなる程の力が篭っている事に。  
 
 
  *  *  *  *  *  
 
 
 それから二人は手近なホテルを見つけ、中に入った。  
 
 大分衰弱している洋子を病院に連れて行く必要があるとは思ったが、まずは汚れを落とさせてやりたいという神宮寺の配慮によるものだ。  
 なるべく洋子を背に隠れる位置に立たせ、神宮寺がフロントと応対する。  
 運良く空いていた向かい合わせの二部屋を取り、指定された部屋へと歩を進める二人。  
 部屋の前に辿り着くと、神宮寺はやっと洋子の方を振り返った。  
「……何かあったら、呼んでくれ」  
 宛われた部屋の扉を開けながら告げる彼の声は、静かだった。  
 すみません、と一言詫びて部屋の中に入っていく洋子。  
 コートをハンガーにかけ、備え付けのナイトウェアを抱え、すぐにバスルームに足を踏み入れた。  
 衣服を早々に脱ぎ終え、シャワーのコックを捻る。  
 打ち付ける湯を浴びて全身がだんだんと温まり出すと、洋子は深く息をついた。  
 それをきっかけにしてか、体から力が抜け、その場にへたりこんでしまった。  
 途端に収まった筈の感情の波が押し寄せ、その身がかたかたと震え出す。  
 
 ──怖かった。  
 
 肌に刻まれたものも、先程までの寒さで固まっていた汚液も、あの倉庫での出来事が変えようのない現実なのだという事を示している。  
 体中を撫で回していた掌の嫌な感触が、忘れられない。  
 欲望を剥き出しにした男達のぎらぎらとした眼が、脳裏に焼き付いて離れない。  
 指を秘所に入れて溜まったものを掻き出していると、あまりの多さに泣きたくなった。  
 無数の水滴を頭から受けながら、洋子はただひたすら汚辱の痕を消す事に専念する。  
 なかった事にはならなくても。  
 せめて少しだけでも、薄れはしたのだと思いたかった。  
 
 ──思わせて欲しかった。  
 
 
 ひとしきり湯に打たれ、体を洗い終えると、洋子はまだ辛そうでありながらも立ち上がった。  
 もうあのべたつく感触も、不快な臭いも失せている。  
 それでもやはり不安になって、タオルで水気を拭き取りながら、まだかなり痛む手を這わせて確かめる。  
 手首になるべく負担をかけないようにして夜着を纏いながら、神宮寺の怪我の事を思い出した。  
 明日はまず、病院に行かなければならないと思った。  
 追われている以上余裕はないが、無理を重ねるのは良くない。  
 
「……………」  
 神宮寺の事を考えた時、ふと疑問が芽生えた。  
 彼はどのようにして、埠頭の倉庫の事を知ったのだろう。  
 岩辺組の関係者なら場所を知っていてもおかしくはないが……組員と接触したのだろうか?  
 狙われているのが、自分だと分かっていながら──  
 
 落ち着かせた心が、またざわめき出す。  
 神宮寺を助ける為に人質になる事を買って出たというのに、彼を危険な目に遭わせてしまった。  
 どうしようもなかった事とはいえ、慨嘆の念は消えない。  
 
 ……それに。  
 神宮寺が助けに来てくれたあの時、自分は何一つ、彼に応える言葉を伝える事が出来なかった。  
 心配させてしまったかもしれないのに、それを詫びる言葉さえも。  
 嫌な思いを、させてしまったかもしれない。  
 
 ……まだ、彼は起きているだろうか。  
 扉の方を、洋子は何とはなしに見つめた。  
 
 
  *  *  *  *  *  
 
 
「……どうした?」  
 遠慮がちにノックすると、そう時を待たずにドアが開いた。まだ寝てはいなかったようだ。  
 上着やネクタイは身につけておらず、シャツの襟元をくつろがせている。  
 汗だけ流したといった様子だ。  
 
「あの………」  
 決まり悪さからか、俯きがちな洋子の次の言葉を待っていた神宮寺。  
 だが、寝巻姿の彼女を見て、とりあえず中へと告げる。  
 
 室内に入ってから、洋子は少し後悔した。  
 謝るだけなら、夜が明けてからでも良かったのだ。  
 こんな夜更けに、しかも疲れているところに邪魔をするなど、きっと迷惑に違いない。  
 ……結局、一人でいるのが不安だっただけだ。  
 また自分は、彼の重荷になってしまっている──  
 
「ごめんなさい……」  
 椅子を促されても座る気になれず、佇んだまま洋子は呟いた。  
「……どうして謝る」  
 低く問う神宮寺の声に苛立ちのようなものが感じられ、洋子は言葉を飲み込んでしまう。  
 問いに答えられず目をさまよわせる彼女の髪に、神宮寺がそっと触れた。  
「俺の方だろう」  
 
「…………?」  
 洋子が言葉の意味を計りかねていると、彼の手が髪を下まで辿り、首筋をなぞった。  
 痕をつけられた箇所に触れられているのだと気付き、肩をぴくりと震わせる。  
「……酷い目に合わせた」  
 その声に伏せがちだった顔をぱっと上げ、洋子は首を振った。  
 そんな風には思っていない。この人のせいである訳がない。  
 
 否定する洋子の肩を掴み、細い首筋に顔を近付け、神宮寺は赤黒い痕に口付けた。少し躊躇いながら、優しく。  
 望まぬ事だったとはいえ、他の男に刻まれたものだ。  
 触れられる事に抵抗を感じ、離れようとする洋子だが、彼の腕の力は揺るがない。  
「あ………」  
 夜着のボタンを外しながら、他にもつけられた痕を認め、指で撫でる神宮寺。  
 白い膨らみや腹部に残された痣に、摩るように掌を這わせる。  
 その動きはとても穏やかで、強張っていた洋子の体は次第に落ち着きを取り戻していった。  
 
 だが温もりを与えられていく内に安らぎを覚え、抑えていたものが滲み出す。  
「ぅ……っ………」  
 
 溢れて、止まらなくなる。  
 
 彼女の様子の変化に気付き、神宮寺は愛撫の手を止めた。  
 肌蹴た素肌に近付けていた顔を離し、柔らかい頬を滑る涙ごと、両手で彼女の顔を包み込む。  
「先、生………」  
 気遣うような彼の眼差しに、応える言葉が出てこない。  
 口を突いて出てくるのは、悲しみに任せて啜り泣く声ばかりだ。  
 
 困らせたくないのに。  
 
 鳴咽を漏らし続ける洋子を慰めるように、神宮寺は彼女の背をゆっくりと撫で始めた。  
 
 まともに立っている事すら辛いのか、細い体は彼の胸にもたれかかってくる。  
 彼は今にも崩れ落ちてしまいそうな彼女を支え、ベッドの端に座らせた。  
 申し訳なさそうに、しかし縋るように見上げる洋子の唇を塞ぎ、背中を押さえて抱き寄せる。  
 
 彼女がひどく疲れきっているのは、分かっていた。  
 それでも負わせられた傷を、そのままにしておきたくはなかった。  
 
 せめて、忘れさせてやりたかった。  
 
「んっ、ふ………」  
 まだ苦しげに息を漏らす彼女を気遣い、時折離れて、息を継がせては重ねを繰り返す。  
 舌は奥まで入れはせず、歯列の辺りで動きを留めていた。  
「うんっ……ん……」  
 さほど深くない口吻を続ける神宮寺を、どこか戸惑っているような目で見つめる洋子。  
 力の入らない手を彼の腕に懸命に押し付けている。  
 何度も濯ぎはしたが、男性自身とその欲望を押し込まれた場所だ。  
 少なくとも今はまだ、彼を受け入れたくはなかった。  
 
 ややあって、彼女が離れたがっているのだと気付き、神宮寺は顔を引き、喘ぐ濡れた唇を指でなぞった。  
「……嫌だったか?」  
 小さく問い掛ける彼の言葉に驚いて、すぐに洋子は首を振る。  
 
 その動きは緩慢で、疲弊しきっているのがよく分かった。  
 これ以上無理をさせるのは憚られて、神宮寺は洋子の体を腕に収めるだけに留める事にする。  
 まだ少し呼吸は乱れてはいるものの、疲労が勝ってか震えは止まったらしい。  
 泣き腫らした目は開けているのが辛そうに細められ、すぐにでも眠りに引き込まれてしまいそうだ。  
 意識が霞んで行くのを感じ、洋子はぼんやりと神宮寺の顔を見上げた。  
 せっかく求めてもらえたのに、応える事も叶わない。  
 それが堪らなく哀しかった。  
「……ごめんなさい……」  
「だから……」  
 どうして謝る、と続く彼の声も、曖昧にしか聞こえない。  
 
 ……それでも。  
「先生」  
 頭を覆う睡魔に逆らってでも、尋ねずにはいられなかった。  
「私………」  
 
 ──お役に立てましたか、と。  
 
 最後まで言葉に出来たか分からない想いを抱いたまま、洋子の意識は闇に飲まれた。  
 
 
  *  *  *  *  *  
 
 
 静かな寝息を立て始めた洋子をひとまずベッドに横たえ、神宮寺は深く息をついた。  
 白い頬には未だ乾かぬ涙の跡が筋を作っている。  
 譫言のように呟いた最後の言葉はよく聞こえなかったが、ひどく憔悴しきった声だった。  
 
 どれほどの痛みを受けたのか。  
 どれだけ辛い思いをしたのか。  
 
 李に連れて行かれてからの彼女が被った苦しみを、神宮寺は改めて思った。  
 起こしてしまわない程度に彼女の肩を袖越しに撫でる。  
 徐々に動かしていき、細い腕へと伸ばし、手首の辺りまで触れた所で、ぴたりと止まった。  
「……………」  
 
 戒めの痕。  
 
 ここに来る途中で買った包帯に巻かれてはいるが、微かに血が滲んでしまっている。  
 いずれはこの傷も癒えるのかもしれない。  
 だが、心に受けた痛みは、完全に消える事はないのだろう。  
 傍にいた事で、彼女の心に取り返しのつかない傷を負わせてしまった。  
 何としても、守ってやらねばならなかったのに。  
 
「………終わらせるか」  
 
 何もかも。  
 近しい者で無くなれば、自分の為に傷つく事などないのだから。  
 
 たとえそれが、彼女を奪われる恐怖からの逃避でしかないと分かっていても。  
 今の彼には、そんな形しか見出だせなかった。  
 
「すまないな……」  
 
 低く呟く彼の声は、力なかった。  
 

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