「お帰りなさい、先生」  
 ドアを開けると、洋子の穏やかな声が神宮寺を出迎えた。  
「ただいま……」  
 神宮寺がそれに応えて室内に入ると、洋子は席を立ち、彼の椅子をそっと引いた。  
「あまり気を遣わなくて良いよ」  
 苦笑しながら椅子に腰を落とす神宮寺の動きはしかし、いつもより鈍い。  
 
 暫く前の事件の際に負わせられた傷は、まだ癒えていない。  
 それでも平気そうな様子で外出してしまう彼を見ていれば、心配するなと言う方が無理がある。  
「もう少し休まれてからでも、よろしかったんじゃないですか?」  
 コーヒーを淹れようとミニキッチンへ移動しながら、洋子は気遣うように問い掛けた。  
 マルボロの箱を取り出しながら、神宮寺は彼女に答える。  
「あまりのんびりしてもいられないからな……この前もタダ働き同然だったし」  
 いや、寧ろマイナスか……などと一人ごちながらジッポを手に取る神宮寺を、洋子は咎めるように一瞥した。  
 それなりの怪我をしている時に煙草を吸おうとすると、彼女はいつもこんな風に怒って見せる。  
 だがそれで自重するような彼ではないので、彼女がコーヒーを淹れ終える頃には、事務所内には紫煙の帯が幾つも漂っていた。  
 
「……………」  
 
 溜め息をつきながら、洋子は彼の前にコーヒーを差し出した。  
 彼女の眉尻が上がり、形の良い唇が僅かに突き出される。  
 見慣れた"小言の兆し"を察知した神宮寺は、先手を打つべく口を開いた。  
「今日は泊まっていかないか?洋子君」  
 
 動きかけた唇が刹那固まり、その表情は不満から驚きへ取って変えられた。ひとまず受難からは逃れられたようだと、彼は心中で息をつく。  
 しかしすぐ後、頬を赤くし、今度は少し困ったような顔をして洋子は言葉を返した。  
「……そんな怪我してらっしゃるのに」  
 神宮寺は離れていこうとする腕をそっと捕らえた。  
「つれないな」  
 苦笑いを浮かべながら、煙草の灰を灰皿に落とす。  
「……最近は、ふられてばかりだ」  
 笑みの形が、微かに歪んだように見えた。  
 
 洋子はどう答えて良いか分からず、とりあえず掴まれていない方の手に持っていたトレイをテーブルに置いた。  
 彼が思うような態度を、彼女はあからさまにとった訳ではない。  
 しかし、触れてくる掌や抱き締めんとする腕を、時折かわしていたのは事実だった。  
 彼女自身すら意識していない何かが、彼の事を避けているようにさえ、彼女には思えた。  
 
「これ以上、具合が悪くなったらどうするんですか」  
 不確かな気持ちに理由をこじつけるように、洋子は言った。出来るだけ柔らかく、拒んでいる訳ではないのだという事を伝えんとするように。  
「……あまり溜め込んでおくのも体に悪いんだがな……」  
 ぼそりと際どい言葉を零す神宮寺に、洋子は思わず耳まで真っ赤になった。  
 その言葉の意味が分からぬ程初心ではないが、自分でしろなどと言える程無粋でもない。  
 固まって何も言えずにいる洋子の肩を引き寄せ、彼は追い撃ちをかけるように耳元に囁く。  
「………ダメか?」  
 
「……………」  
 
 肩に乗せられた手をそっと離すと、洋子は自分のデスクの上に広げられていた書類をまとめだした。  
 神宮寺が答を求めて見つめる間にも、ただ黙々と机上を片付けていく。  
 彼女の頬と耳の赤みが薄れる頃にはデスク上は綺麗に片付き、そこでようやく彼女は口を開いた。  
「……着替え……取りに行ってきます」  
 
 一言だけ残して、洋子は事務所を後にした。  
 彼女の去ったドアから、手に持ったままの煙草に視線を移すと、灰が落ちかかっている事に気付いた。すっかり短くなってしまっている。  
 煙草の穂先を灰皿に押し付ける神宮寺の口端が綻んだ。  
 
 ──軽く揺さぶっただけで、随分可愛らしい反応をしてくれるな。  
 
 神宮寺は少し冷めたコーヒーに口をつけ、その程良い甘さを味わった。  
 お預けをくらっていた分を堪能したくて逸る自身を、押さえ込みながら。  
 
 
  *  *  *  *  *  
 
 
「あまり激しくしすぎるのは、ダメですからね」  
 
 お互いそれなりの準備をして寝室に入ると、洋子はすぐにそう言って神宮寺に釘をさした。  
 神宮寺はベッドに腰を落ち着けながら、少しの間彼女の顔を見つめていたが、次に吹き出すように苦笑した。  
「久しぶりにするのに、それか」  
 洋子は下層への階段の側に佇んだままで、神宮寺の所まで行こうとはしない。  
 まだ、その気になった訳ではないようだ。  
「先に言っておかないと、加減してくださらないじゃないですか」  
「……………」  
 神宮寺の沈黙と視線に、洋子は眉間に皴を寄せて答える。  
 彼の応答が得られねば、この先には進むまい。そんな意思を込めた目をしていた。  
 
 ふ、と息をつき、神宮寺は肩をすくめた。お手上げだとでも言うように。  
 それを確認して、彼女はようやくベッドの方へと歩を進める。  
 
 何度か行為を重ねた身とはいえ、こうしてこの場で向き合う事はまだ、彼女には照れがあった。  
 故に今もまた、神宮寺の前まで来たところで立ち止まり、彼から動いてくれるのを待っていた。  
 
「……洋子君」  
 しばらくすると、神宮寺は少し怪訝そうに呼び掛けてきた。  
「どうかしたか?」  
「え……」  
 それはこちらの台詞だ、と洋子は思った。  
 いつもならとっくに押し倒されているのだろうに、手すら出してこない。  
 その意図を見通しかねていると、彼はもう一つ問い掛けてきた。  
「してくれるんじゃないのか……?」  
 
 そこでやっと洋子は、神宮寺が彼女から動くのを待っていたのだと分かった。  
 彼女の躊躇に気付いたのか、彼は口の端を僅かに緩ませた。  
「俺がしたら、加減がきかないんだろう?」  
 そう言ったのは君だと笑う神宮寺を、洋子は少し不満げに見つめたが、やがて彼のシャツへと手を伸ばした。  
 風呂上がりである為、ネクタイとサスペンダーは身に付けていない。  
 その為脱がせやすくはあるのだが、どうせ着替えるのなら寝着を着れば良いものを、と思いながら、洋子は襟元に手をかける。  
 
 間近でただじっと向けられている神宮寺の視線に緊張と気恥ずかしさを覚えるせいか、彼女の指の動きはぎこちない。  
 ひとつひとつ、ゆっくりとボタンをはずしていく洋子に焦れたのか、神宮寺は彼女の顔を自分の顔へと向けさせ、互いの唇を触れ合わせた。  
 思わず手を止める洋子に気付いて、神宮寺は顔を僅かに離し、軽く目配せした。続けてくれ、と言うように。  
 洋子は乱れかけた息を整えると、再びボタンをはずしにかかった。  
 しかし重なる唇の少しかさついた感触に、吹きかかる吐息の温かさに、だんだん心を奪われ、指先が震える。  
 全てはずし終えて神宮寺を見つめると、彼は唇を離して洋子を促した。  
 察して彼女は前を開き、シャツの内側の温もりに顔を寄せる。  
 引き締まった肌に浮かぶいくつかの黒い痣に目が行き、洋子は眉をひそめた。  
 前に手当てした時より少しは薄くなっているものの、痛々しい事に変わりはない。  
 躊躇いがちにそこを撫でながら、洋子は呟いた。  
「……先生。薬、ちゃんと塗ってませんね」  
 あまり良くなっていないみたい、と後に付け加える。  
「……後でつけておく」  
 洋子の表情から咎めの色を読み取ったのか、神宮寺はそう言って苦笑いした。  
 
 多少の手当てで十分な状態になれば、彼女の手を借りる必要もない。  
 だが、いざ自分でするとなると、面倒になってつい疎かにしてしまうのは、彼の悪い癖だった。  
 洋子は呆れたような溜め息をつきながらも、神宮寺のシャツを脱がせ、まだいくらか腫れている箇所や傷にそっと指を這わせた。  
「痛くないですか……?」  
「いや」  
 神宮寺を気遣いながら肩や胸に手を伸ばし、優しく摩っていく。  
 頬を擦りつけながら彼の身体の端々に目を向け、そこに刻まれた生々しい暴力の痕を慰めるように口付けていった。  
 
 首元に顔を近付けたところで赤みを帯びた箇所を見つけると、洋子の動きが止まった。  
 先程までのいたわるような触れ方とはやや違う、恐る恐るといった様子でそこに触れ、確かめようとする。  
 その動作に戸惑いを覚えたのか、神宮寺が様子を窺うように彼女を見下ろしてきた。  
 問い掛ける視線を感じると、洋子は少しばつが悪そうにそこから顔を離した。  
 
 首筋の辺りに残されていた、小さな痕。  
 よく見る事は出来なかったが、それは情事の際にお互いに刻み合うものと似ているように思えた。  
 だが、ここ数日夜を共にする事のなかった彼女に、それをつける事など出来ようもない。  
 
 洋子の心の内に、最近よく胸をよぎる不可解な感情が込み上げてきた。  
 同時に思い返されるのは、先の事件の時、連絡が途絶える前にかかってきた電話の内容──  
 
 
  *  *  *  *  *  
 
 
「……実は、アクシデントで、綾香と酒を飲む事になったんだ」  
「お酒を?」  
「あぁ……もちろん、俺は身分を隠していたがな…………その後、酔い潰れた綾香をホテルに運んだんだが……」  
「ホテルにですか………?」  
「あぁ……彼女が今、どこに住んでいるか分からなかったし、事務所に連れて帰る訳にもいかなかったからな」  
「そうですか……」  
 
 
  *  *  *  *  *  
 
 
「……………」  
 自分が危惧しているような事は、彼に限って有り得ないと思ってはいる。  
 ただ、端からみると彼の行動は少々危ういものだったと思えなくもなかった。  
 初対面の、しかも泥酔している女性をホテルに連れて行くというのは、流石に洋子も素直に認める事は出来ない。  
 それに、やむを得ぬ状況であったとはいえども、懐に踏み込み過ぎてはいなかっただろうか。  
 
 相手は何人もの男性を謀り続けてきた詐欺師だ。  
 そんな女性の唐突な誘いに乗った上に、薬を盛られて逃げられるというのは、彼にしてはあまりに油断が過ぎる──  
 
「……ん……」  
 あれこれと思考する洋子の体が、ぴくりと震えた。  
 慰撫の手を止めたまま動かない彼女の寝着を脱がせながら、その内の素肌を神宮寺の掌が撫で回している。  
 その動きはささやかなもので、やはり彼女の方を窺うような愛撫だったのだが、洋子はそれに応えるでもなく、彼の胸に体を寄り掛からせたまま、ぼんやりとして動かない。  
 
「……………」  
 行為の最中に、余所見をされて気分の良い男などいない。  
 神宮寺は寝着の下から腕を背に回し、もう一方の手で前を大きく広げ、やや強引に衣服を剥ぎ取った。  
「あっ」  
 急な動作に戸惑って、洋子は小さく驚きの声を漏らす。  
 ぐらりと傾きそうになる細い体を横に倒し、ベッドに沈み込ませると、神宮寺は押さえ付けるようにその上に覆い被さった。  
 思考の淵からいきなり引き戻されて目を瞬かせる洋子に、低い声で問い掛ける。  
「……何を考えてた?」  
 
「え──あっ……」  
 神宮寺に正面から見つめられ、胸中の苦い感情を殊更に意識してしまい、言葉が出てこなかった。  
 それでも脳内はいかにもまともな返答をすぐに弾き出し、彼女の口を開かせた。  
「あの………やっぱり、やめませんか?ひどい怪我ですし……」  
 疑念を抱いたままで抱かれる事に、どこか後ろめたさを感じた洋子はそう言った。  
 自分を捕らえて離さない彼の視線から顔を背けながら身を捩じらせるが、重みと力は揺るがない。  
「今更それはないだろう……」  
 溜め息混じりの言葉と共に、彼女への愛撫が再開される。  
 先程までとは違い、荒っぽさが含まれる手の動きに、洋子は官能を覚え震える心身を抑えようと試みた。  
 しかし何度も事を重ねれば、相手の感じやすい場所にも自ずと気付く。  
 大抵攻めに徹してきた彼の愛撫は、それ故彼女の意識をた易く快感の内に誘い込んだ。  
「あ……ぅん、っ……」  
 首筋に舌を這わせられ、背中を指でつと撫でられ、洋子はぞくっと身震いする。  
 脱力した体は押さえ付ける必要がなくなり、神宮寺は空いた手を夜着のズボンの中に入れた。  
 下着の内側の秘裂をなぞり、開かせる指に篭りそうになる力を抑えて、彼は膣を解しにかかった。  
 
「んっ、あ……あぁっ……」  
 肉壁に指先を擦りつけて抜き差しを繰り返す度に、彼女の声色に甘さが混じる。  
 片手の愛撫を止めぬままになだらかに括れた腰を撫でると、洋子は背筋をぴんと反らせ、息を詰まらせた。  
「……どれだけ我慢したと思ってるんだ」  
 愚痴るように零す神宮寺の指が、秘所で湿った音をたてて動く。  
 少し苦しげな彼の声から、本音を語っているのだという事が分かる。  
 盛んに求めるような歳でもないだろうから、暫く前に洋子と寝て以来、誰にも手を出していないのかもしれない。  
 そんな風に思ったら、洋子はほんの少しほっとした。  
「怪我が気になるなら、君が動いてくれればいい」  
 気の緩んだ所を突いたかのように、神宮寺は言った。  
 とろりとした蜜を指に纏わせる程に秘部が解れたのを確認すると、彼は手をそこから離し、体を起こす。  
 快感の余韻から、なかなか起き上がれずにいた洋子だったが、神宮寺からの動きがなくなった事を訝しんで、視線だけを向けてみた。  
 避妊具をつけていた彼は、準備を終えると洋子のズボンとショーツを膝までずらしてからその体を抱き上げ、自分の下半身に跨がらせた。  
 
 そして彼の胸に彼女の体を預けさせるようにして、互いの姿勢を安定させる。  
「あ……」  
 ヒップを抱え上げられ、恥ずかしそうに頬を染める洋子に、彼は囁いた。  
「そのまま、ゆっくり腰を降ろしてくれ……」  
 いよいよ欲求を御し難くなったのか、詰まるような声で神宮寺が請う。  
 その声に、胸の辺りに吹きかかる吐息に、堪えられなくなった洋子は少しずつ腰を降ろしはじめた。  
 震えながら下降する彼女の下半身を支えながら、神宮寺は自身と秘部が重なるように調節する。  
 ともすれば、一気に挿し貫いてしまいたくなる衝動にブレーキをかけながら、まず先端で秘唇を軽く撫でて、洋子に合図を送る。  
 彼の願いを察して小さく頷くと、彼女は下降の速さを少し上げ、亀頭を入口に埋め込ませた。  
 ぬぷっ……という音と共に、濃密な温もりに男根が包まれていく。  
 久方ぶりの圧迫感に、神宮寺が小さく呻いた。  
 苦しさと心地よさが吐き出させる声音に強い昂ぶりを覚え、洋子は思わず膣洞をきゅっと締めてしまう。  
「っく、う………」  
 まだ半ばほどしか入っていない所で狭めてしまった為か、辛そうに目を細める神宮寺。  
 
 慌てて力を抜こうと洋子は息を吐くのだが、自身はなかなか思うように動いてはくれない。  
 
「あぁっ!!」  
 膣を思いきり押し開かれるような感覚に、洋子は喉を反らして悶えた。  
 神宮寺が支えていた彼女の双丘に腰を打ち付け、ペニスを嵌め込んだのだ。  
「……ぁっ……はあぁ、あふっ……」  
 殆ど根元まで埋没させたままで腰を使い、棹を膣壁に擦りつけてぐるぐると掻き混ぜる。  
 感じやすい場所が擦れる度に洋子はどこか気怠そうな声を漏らし、神宮寺の体にもたれかかって彼の動きに身を委ねていた。  
「……あ………」  
 しかし急に中からの刺激が止み、彼の体の揺れがおさまった。  
 続きをせがむように腰を揺らしても反応を返さない神宮寺と目を合わせると、やはり何かを促すように見つめ返してくる。  
 ……後は任せる、という事らしい。  
 洋子は恥じらいの表情を浮かべながらも、おずおずと腰を持ち上げた。  
 拡げられていた場所から肉杭が抜けていく感触が、洋子に艶めいた溜め息を零させる。  
 先端まで抜け出てしまうと、ぴったり嵌まっていた栓がなくなってしまったような喪失感を彼女は覚えた。  
 
 早く、欲しい。  
 
 腹部の奥の奥から湧き出す思いを満たしたくて、洋子は今一度腰を落とし出した。  
「ん、くっ……」  
 ゆっくり降ろしていくと、彼自身の温かさと大きさがよく伝わってくる。  
 ゴムを纏って曖昧になりながらも、己を主張するように張り出したカリ首に中を再び押し開かれ、肢体が悦びにわなないた。  
「あぁ……っ!んうぅ……」  
 一番奥まで押し込むと、亀頭が彼女の行き止まりにぶつかった。  
 その瞬間、言い知れぬ快感が洋子の体内を駆け抜けた。  
 それは神宮寺も同じだったらしく、彼女の腰を掴んだままの五指に力が篭る。  
 もう一度感じたくて腰を動かした。今度は少し速く、勢いをつけて。何度も、何度も。  
「あぁんっ………!」  
 より強い衝撃に全身が震え、嬌声が零れた。  
 上体が後ろに倒れそうになる所を、神宮寺の両腕がしっかり支える。  
「……大丈夫か?」  
 笑いを含んだ声が洋子の耳に届く。  
 余裕を感じさせる問い掛けではあったが、息はかなり荒い。  
「大丈夫……です………」  
 快楽に蕩けた表情のまま、洋子は掠れた声で応えた。  
 
 彼女のあまりに扇情的な様子に、湧き上がる衝動を抑えようとする神宮寺だが、本能の塊は彼の欲求に忠実に従い、その太さを増していく。  
「あ、ん……すごい……」  
「動いてくれ……」  
 うっとりとした声に辛抱出来なくなった神宮寺に促され、体を上下しながら彼の首に縋り付く洋子。  
 霞んだその目に、先程ちらりと見えた赤い痕が映り込む。  
 他の誰かがつけたものかもしれない、口付けの痕跡──  
「……………」  
 
 ………違う。  
 
 側でよくよく見てみると、全く別のものである事が分かる。  
 軽く擦りむけたような、小さな傷だ。  
「どこかでひっかけたらしい」  
 まじまじと擦り傷を見つめる洋子に気付いて、少し戸惑いながら神宮寺が言う。  
 それが何か、と問うような彼の視線に応える余地すら、今の彼女にはなかった。  
 何故自分はこんな勘違いをしてしまったのだろうと、赤らんだ顔を俯かせてしまう。  
「あうっ………」  
 腰を動かす事すら忘れてひたすら羞恥に胸の内を乱す洋子の膣内を、男根が深く突く。  
 様子のおかしい彼女に困惑していた神宮寺だが、ふと気付いた。  
 
 繋がる前も、どこか上の空だった時があった。やはり今のように、首筋の傷を気にしていて──  
 
「さっきの質問に、まだ答えてなかったな」  
 急かす下半身を少し落ち着かせながら、彼が呟く。  
「……何を考えてたんだ?」  
「え……っ……」  
 快感による痺れと動揺の為か、彼の言葉の意味するところに気付いていないらしい。  
「さっきから、これの事ばかり気にしているようだが」  
 言いながら、擦り傷が彼女によく見えるように首を曲げる。  
「そ、そんな事は………」  
 否定の言葉を口にする洋子だが、その表情からは焦りのようなものが見受けられる。  
 
 全く気付いていない訳ではなかった。  
 "彼女"とホテルに泊まった事を報告した時、電話越しに聞こえた、どこか訝しむような声。  
 全てを終えて事務所に戻ってからの、心配してくれながらも距離をおくという、ぎこちなさを感じる態度。  
 だが、確証がない。今もなお。  
 ならば、ボロを出させてしまえば良い──  
 
「もしかして……」  
 言葉を切って、神宮寺は洋子の胸元に顔を寄せ、柔らかな膨らみに口付けた。  
 びくっと体を震わせる彼女に構わず、音を立てて吸い付くと、鬱血の痕が刻まれる。  
 
「これに見えたのか?」  
 
「……………」  
 
 固まった表情のまま、顔を殊更赤くする洋子。  
 首を振る事さえ出来ずにいるそのさまこそ、図星である事の証明だった。  
 神宮寺の口元が苦笑に歪んだ。  
「………成程。そうか……」  
「ぁ……ち、ちが………」  
 洋子の声を遮って、神宮寺が腰を激しく動かしはじめる。  
 一旦動き出すと、もう自身を抑制する事が出来なくなり、これ以上何か言ってやる事すら叶わなくなる。  
 今は、それでも良いと彼は思った。  
 余計な事など、考えなくて良い。  
 そんな余裕がないのは、彼女も同じなのだから──  
 
「んはっ……あ、あぁっ、あうぅっ……!!」  
 小休止に落ち着きかけていた洋子の体が、驚き跳ね上がった。  
 折り曲げた膝をがくがく震わせながら、膣内を埋めるものをぎゅっと締め付ける。  
 神宮寺は、その勢いに任せて自身の堰を解き放し、心地よい脱力感にしばし心身を浸らせた。  
 
 
  *  *  *  *  *  
 
 
 溜まっていたものを吐き出してしまうと、神宮寺は秘所とゴムから自身を抜き取り、手早く処理をし始めた。  
 彼の体にもたれて、くたりとして動けない洋子をそのままに、新しく避妊具を取り出す。  
 
「………ん」  
 その動作に反応し、もぞもぞと動き始めた彼女に、そっと耳打ちした。  
「初対面を相手にする程、俺は節操なくはないよ」  
「……ッ……」  
 
 弛緩していた体が強張り、細い肩が震えた。  
 無性に自分の事が恥ずかしくもみっともなく思えて、洋子はぱっと彼の体から離れ、赤面しているのであろう顔を背ける。  
「……随分信用されていなかったんだな、俺は」  
 いつもと変わらぬ、感情を伴わない声音が背に届く。  
 今なお向けられているのであろう彼の視線が、彼女にはこの上なく痛かった。  
 
 ぎし、とベッドが軋む音に、洋子の肩がびくりと動いた。  
 だがどうしても振り向く事は出来ず、熱を帯びた顔をますます俯かせる。  
 彼女の胸中を知ってか知らずか、神宮寺の腕が彼女の前へ回され、細い体を抱き竦めた。  
 同時に丸みを帯びた肩に彼の顎が乗せられ、首元に暖かい息が吹きかかる。  
「どうしたら信じてくれる」  
「え……」  
 大きな掌が膨らみを包み、捏ねるように揉み出した。  
「……あ……んむ……」  
 小さく漏れる声を奪うように横から唇を塞ぎながら、もう一方の手で太股を撫で上げる。  
 
 神宮寺が舌を滑り込ませて内側をなぞり、胸の先端を再び硬く張り詰めるまで指先で弄ると、彼女は戸惑った様子で彼の顔を見つめた。  
 長い口付けの後、ほんの少しだけ顔を離して神宮寺は言った。  
「もう少し、しよう」  
 
 思わぬ言葉に目を瞬かせる洋子だったが、先の誤解があるだけに抗う事が出来ない。  
 もっとも、誤解だという事が確実に証明された訳ではないのだが……  
 そんな彼女のいまだに残っている疑念を察したように、神宮寺は言葉を続けた。  
「ちゃんと信じてもらえるまで……」  
「んっ………」  
 腿から秘部へと手を伸ばす。  
 達してさほど間を経ていないそこはまだ柔らかく、指を差し込むととろりとした蜜が零れてきた。  
「せ、先生。もう──」  
「足を広げてくれないか」  
 洋子の言葉を妨げて、更に奥へと神宮寺は指を動かそうとしている。  
 なかなか足を動かそうとしない彼女に業を煮やし、彼は指を一旦引き抜き、割れ目の上の小さな突起を弄りだした。  
「は……ぅあっ………」  
 愛液に濡れた指で薄皮と陰核を撫で回すと、洋子の体がふるふると震え出した。  
 力の抜けたところで彼女の体を前に押し倒し、今度は後ろから秘所に指を当て、中へと沈めていく。  
 
 シーツに俯せに横たわったまま、だんだん頭の中を覆っていく快感に耐えかねて、洋子は抵抗の声を上げた。  
「っ……もう、本当に充分ですから……」  
 その言葉に顔を上げる神宮寺だったが、愛撫の手は休めない。  
「俺の気が済まない……」  
「せんせ……ぇ……けがっ、怪我が───ぁっ」  
「それはもう通じない」  
 男根を幾らか扱いてすぐに二回戦に挑まんとする彼をなんとか止めようと抗う洋子だが、秘部を弄られると言葉を続けられなくなってしまう。  
「大分待たされたんだ。一度で済むものか」  
「ぃっ……!」  
 肉芽を擦り上げて軽くイカせてから、神宮寺は再び自身の態勢を整えた。  
 充分に硬くしてゴムの中に押し込め、周りに彼女の愛液を塗り付け、滑りを良くする。  
 細い腰が押さえ込まれ、ペニスが膣に分け入る間際、蕩けた洋子の頭の中に確かに一言、響いたような気がした。  
 
 
「他の誰かを抱く余裕なんて、ある訳がないだろう」  
 
 
 そんな、声が。  
 

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