ブラインドが下ろされ、暗く静まった部屋。  
 小さく聞こえる彼女の呼吸と、この腕の中に息づく温もり。  
 何度もこうして互いを交わらせてきた。幾度も想いを重ねてきた。  
 
 それでも──  
 
 彼女がかつて零したたった一つの言葉に、俺の心は今更のように揺らいでいる。  
 
 
 ──『手続きしようとした事がありましたから』  
 
 ……あの時洋子は、確かにそう言った。  
 アメリカの結婚の手続きについて、幾らかの知識があるような口ぶりの彼女に、何気なく問い掛けた時の答がこれだった。だから何だと言われてしまえばそれまでなのだが。  
 恐らく、俺はその相手の男を知っている。彼女と初めて出逢った場所で銃を突き付け、この手でその命を奪った。忘れる訳がない。  
 だが、例えばその手続きが洋子自身のものだったとしても、それは彼女の事であって、俺が詮索するような事ではない。  
 ……何より俺が口を出す事で、彼女を苦しめてしまうかもしれない。  
 そう言い聞かせて、これまで追求する事は避けていた。  
 だが……  
 
「ん……」  
 俺の胸に寄せられていた顔が持ち上がり、細い指先がかさついた唇を辿った。抱き締めているだけで何もしないからだろうか、不思議そうに俺を見上げている。  
 さらりとした糸のような髪に手を伸ばし、頭を軽く撫でると、切れ長の目が心地良さそうに細められた。俺の唇をなぞる指にもう一方の手で触れ、指を絡めてしっかりと繋ぐと、俺の掌に柔らかいそれがぴたりと重なる。  
 首筋に顔を寄せると、洗いたての髪のほのかな香りと頬に触れる肌の感触とが、乱れかけた意識を安らがせてくれた。  
「……あ……」  
 白いうなじに口付け、軽く歯を立てて吸い付くと、洋子はぴくりと喉を震わせて声を漏らした。赤く痕のついた箇所を優しく舐めながら、細い髪に指を絡ませてゆっくりと梳くと、肩にかかる息が熱いものを含み出していく。  
 繋いだ方の手を離すと、自身の体を持ち上げて彼女の上に覆い被さり、纏う物のない素肌へとその手を伸ばし、豊かな膨らみにそっと押し当てた。  
 さらりとした肌の温もりは、優しく俺の掌を受け止めてくれる。いつ、どんな風に抱いても。  
 
 ……あの男に対しても、そうだったのだろうか。  
 
 彼女は以前、どんな風に抱かれ、愛されていたのだろう。  
 
 俺以外の誰かを、彼女はどんな風に受け入れていたのだろうか。  
 
 気付くと、そんな事ばかり考えている。  
 
 
 きっと彼女にとって、俺は選べる道の一つでしかないのだろう。  
 彼女は何処にでも行ける。俺といたのでは手に入らないものを、ここ以外の何処かでなら見つけられるのかもしれない。  
 
 ……俺と逢わなければ得られたかもしれないものに、今でも焦がれているのかもしれない。  
 
 
 それがあの男だったとしたら……  
 
 そう考えた時、何故か心に淀みが生じたような気がした。刺さるような、滲みるような痛みと共に。  
 
 あの時の事は、本当にどうしようもなかった。撃たなければ、彼女の"今"は途絶えていた。きっと別の形の生きる未来さえも。奪った罪の意識はあっても、後悔はしていない。  
 
 ……ならこの気持ちは何だ?今となっては過去でしかないあの男に対して抱く、この泥のような淀みは──  
 
 
 
「……先生……?」  
 呼ぶ声に気付いて見下ろすと、洋子が躊躇いがちにこちらの様子を窺っていた。  
「…………」  
「あの……」  
 問い掛けを遮るように唇を奪った。  
 
 気付かれたくなかった。  
 こんな卑屈な想いを抱いている自分を、少なくとも彼女には。  
 
 髪に絡めた手で頭を支えながら、柔らかい唇を舌で湿らせ、押し開かせて中に割り込んだ。滑る歯列をなぞり、その奥の小さな舌と重ね合わせる。  
 戸惑いながらも俺の首に腕を回し、舌を少しずつ動かし始める洋子。  
 色を帯びはじめた眼と響く水音に意識が昂ぶり、胸を覆う手に力が篭った。更に、空気を求めて顔を逸らそうとする彼女を押さえ込み、噛み付くような口付けを施す。  
「んっ……!んふっ……」  
 繋いだ唇の隙間から呻くような声が零れ、回された腕がびくりと強張る。舌裏のぬめる感触を貪りながら五指を膨らみに食い込ませると、細腕は少しずつ背中から離れていった。  
 やがて苦しげに顔を歪める彼女の掌が頬に当てられた。しかめられた表情とは裏腹な撫でるような手の動きに少し驚き、思わず唇を離す。  
 顎を伝う唾液を拭いもせず、洋子は微かに笑みを浮かべた。  
「平気、です……」  
 息を整えながら、そう言った。  
「……続けて下さい」  
 
 その表情は、俺がよく知るものだった。愛おしむような優しさを秘めた瞳。  
 
 苛立ちや鬱々とした感情に任せて抱く度に、彼女はこんな風に笑ってみせた。何を聞くでもなく、ただ受け入れて抱きとめてくれる。  
 
 あの男にも、そんな顔をしてみせたのか──  
 
 口を突いて出そうになった言葉は、自分でも信じられない程悋気に満ちていた。  
「…………」  
 何を苛立っているのだろう……どうかしている。  
 胸を掴んだままだった手で肩を寄せ、優しく笑う洋子を緩く抱いた。  
 躊躇う事なくその白い腕で俺を受け入れる彼女の匂いと温もりに触れていると、頭の中だけで勝手に動揺していた自分が馬鹿らしく思えてくる。  
 ──そんなに気になるのなら、彼女に直接聞けば良いじゃないか。  
 落ち着いてみるとそんな考えに至る。  
 辛い事を思い出させるかもしれないと思うと躊躇いもあるが、こんな不快な感覚のまま彼女と接するよりはずっと良い。  
 
「……洋子は……」  
 思い切って口に出してみた。心の内の淀みを悟られぬように、出来るだけ平静を装って。  
「俺が"初めて"って訳じゃないんだよな……?」  
 
「え……」  
 
 困惑した様子で俺を見つめる彼女。言葉が少なかったか、その意図がわからず戸惑っているようだ。  
「………その──」  
「あ………はい……えっと………そう、です」  
 更に言葉を選ぼうとしていると、俺の問わんとする事に気付いたのだろう、少しばつが悪そうにしながら答えた。  
 
 ……だろうな。  
 それは初めて体を重ねた時から気付いていた事だった。何度も共に寝たにもかかわらず、今更こんな事を問う俺を、洋子は不思議に思っているに違いない。  
「彼か……?あの、アメリカの……」  
 解釈次第では詰問しているようになってしまいそうな気がして、そうと思われないように彼女の頬をそっと撫でた。触れている箇所が赤みを帯び、長い睫が僅かに伏せられる。  
 開かれた唇は、紡ぐべき答を探しているかのように震えていた。言葉はないが、その表情が語っていた。俺の思っている通りだと。  
「…………」  
 意識の内の濁りが増していくのがわかる。気取られないように顔を黒髪に埋めて更に問い掛けた。  
「……どうだった?その………どんな風に──」  
「先生」  
 言葉を遠慮がちに遮る呼び声は、どこか哀しげだった。  
「もう………いいです」  
 小さく呟くような声が耳に届く。  
 
 ………やはり言わなければよかっただろうか。  
 
 身勝手な感情から口にした言葉に後悔を抱いた。  
 いつまで時が経とうと、彼女にとってあの時の事は癒えぬ傷でしかない。それを他人が……ましてや俺がとやかく口出しして良い筈がない。  
 そう思い、今言った事は忘れてくれと告げようとしたその時、彼女が再び口を開いた。  
 
「もし先生が……今でもあの時の事を気に病んでいるのなら………」  
 
「…………?」  
 ……どういう意味だ?  
 言っている事の意味が掴めず、思わず顔を上げ、その表情を窺った。  
 俺を見つめる洋子の眼は、寂しそうでありながらも、慈しむような光を帯びている。  
「だからそんな風に……彼との事を気にしてらっしゃるのなら……」  
「………──」  
 続く言葉が耳に染み入り、漸く彼女の思うところが見えてきた。  
 
 彼女は気付いているのだ。今も尚、俺があの時の事を枷として抱えている事に。恐らく彼女は、それ故に俺があの男の事を問うているのだと、そう思っているのだろう。  
 本当に、何でも見透かしてしまうんだな……確かに、そう思うところも少なからずある。だが………  
 
「そうじゃない」  
「え………?」  
 
 ──それだけじゃない。  
 
 洋子の頬に顔を近付け、優しく唇を寄せた。柔らかな頬に口付けると、耳元に小さく息がかかった。  
「……違うんだ。ただ少し……聞いてみたいと思っただけで」  
 聞いたところで、この濁った感情を打ち消せるとは限らない。寧ろ増していくんじゃないかとさえ思う。  
 ……それでも知っておきたい。俺の知らない彼女がいるのだとしたら、少しでも多く、深く。  
「先生……」  
 洋子の顔がこちらに向けられ、戸惑いがちな視線とぶつかった。  
「知りたいんですか?その、彼と……"した"時の事……」  
 言葉が途切れ、彼女の顔が耳まで赤く染まった。伏せがちなその目から気まずさが伺える。  
「君さえ良ければ……な」  
 まるで彼女を気遣っているかのような台詞が自然と滑り出た。我ながら、何とも白々しいものに思える。  
「……………」  
 覆い被さったままだった体を退かし、彼女の横に寝転んだ。  
 切り出す言葉を探している為か、随分逡巡している様子の彼女。じっと見つめているのもどうかと思い、サイドテーブルの上のジッポとマルボロを手に取った。  
 一本口にくわえ、火を点けようと指に軽く力を込めたところで、漸く彼女は口を開き、俺の知らぬ過去を語り始めた。  
 
  *  *  *  *  *  
 
 
 
 『彼』に惹かれ出したのがいつ頃だったかなんて、よくわからない。  
 いつの間にか一緒にいる事が多くなって、親しくなっていって、愛しいと思うようになっていた。  
 その頃にも悪い噂がなかった訳ではないけれど、『彼』は私に優しくしてくれた……想い合えていた。  
 だから、初めてあの人の所に泊まらせてもらったあの日、私はそれまでに感じた事のない幸せを『彼』に与えてもらった。  
 
 
 
  *    *     *  
 
 
「ごめんな、散らかってるけど……」  
 部屋に入ると、『彼』はそう言いながら気まずそうに笑った。  
 
 確かに『彼』の言うように、お世辞にも片付いているとは言い難い部屋だ。テーブルは薄汚れていて、その上には無造作に物が放り出されている。  
 さっきちらっとキッチンを見たけれど、使ったまま洗っていない食器が幾つかあった。明日にでも、『彼』さえ良ければ片付けさせてもらった方が良いかもしれない。  
 
 そして今、私が腰を落ち着けているベッド。  
 少し湿っぽいシーツに、薄い毛布。そこから伝わる、男の人の匂い……  
 隣には同じように腰を据え、『彼』が私をじっと見つめている。明かりを落とした部屋に二人きり。話すような事も見つからず、ただお互いの呼吸の微かな音だけを聴いている。  
 いつものように口付けを交わす時とはどこか違う、熱に満ちた視線がこちらに向けられている。どんな風に受け止めたら良いかわからなくて、私は俯いて自分の指先を見ていた。  
 
 最初に手を繋いでくれたのは、『彼』の方から。キスをしてくれたのも、『彼』からだった。  
 ……『彼』は待っているのだろうか。私からこの人を望むのを。  
 "して"欲しくない訳じゃないけど、やっぱり自分から……っていうのは抵抗がある。それに何より……  
 
 ───怖い  
 
 初めてだし、どうしたら良いのかわからない。どんな風にしたら、『彼』を喜ばせてあげられるのだろう……  
 
「洋子」  
 急に呼ばれて慌てて顔を上げると、『彼』はまだ私を見つめ続けている。私の言葉を促すように。  
 
「あ……の……」  
 自分の声が、随分小さく掠れて聞こえる。  
「ごめんなさい……私、上手く出来ないかもしれないけど……その……」  
 言葉を紡ぐにつれて、鼓動がなんだか激しくなってきてるような気がする。掠れる声を励ますように、『彼』を見つめ返した。  
「よろしく……ね……?」  
「…………」  
 黙ったままの『彼』。さっきより表情が険しく見えるのは、気のせい?  
 奇妙な沈黙に不安になり始めた頃、シーツの上に置かれていた『彼』の手が持ち上がり、私の肩を強く抱いた。  
「……あんまりそういう顔すんなよ」  
「えっ……?」  
 不機嫌そうに呟く『彼』。  
 ……どうしたんだろう。私、怒らせるような事を言ってしまったのだろうか。  
 訳がわからず戸惑っていると、『彼』は私の肩の辺りに乗せるように顔を寄せ、ぼそりと言った。  
「………抑えられなくなっちまうだろ」  
「え?あっ……んん……」  
 言っている事の意味を聞く暇もなかった。いきなり首元に口付けられ、そこにぬめった感触を擦り付けられてぞくりとする……もしかして、舐められてる?  
 
 『彼』の舌と思われるそれは首筋をゆっくりと這い回り、耳朶の側まで上ってきた。  
 なぞられた部分がじっとりと湿ってひんやりする。  
「柔らかいな……」  
 『彼』は言いながら肩を離し、その手を私の胸元に伸ばした。  
 衣服の外から膨らみに触れられ、やんわりと撫でられる。あまり力の篭らない掌の温もりが心地良い。  
 頬が熱くなってくる。恥ずかしいのに嫌じゃない。もっと触って欲しいような気持ちになってきてる。  
 ああ、でもこういう時は少しは嫌がったりした方が良いんじゃないだろうか。初めてで、しかもまだ始めたばかりなのにこんな気持ちになるなんて……いやらしいとか思われたりしないだろうか。  
「あ……」  
 私の思考を余所に、『彼』の手はブラウスのボタンを外しにかかった。  
 舌で耳の縁を濡らしたり、唇で耳たぶを挟んだりしながら手探りでするすると外していってしまう『彼』。なんだか手慣れているような気がする……  
「や、んん……」  
 ブラウスが肌蹴て中の肌着がたくし上げられる。大きくてがさがさした『彼』の掌が、胸を包み込むように持ち上げ、捏ね回し始めた。形を確かめるように指を折り曲げながら、胸に手の温もりを刻み込んでくる。  
 
 耳朶は『彼』の唾液ですっかり湿りきっていて、そこに熱い息が当たる度に体が震える。  
 普通なら不快なんじゃないかと思うような感覚なのに、なんでこんなに胸が高鳴るんだろう。  
 ……どうして嬉しいなんて思うんだろう。  
「あ……んふ……」  
 吐息が耳元から離れ、『彼』の顔が真正面に動いた。片手で私の頬を押さえると、少しずつ間を詰め、唇を重ねてきた。  
 今までは触れるだけのキスしかした事がなかった。なのに今、私の口の中に『彼』の舌が入り込んできている。ざらざらしてそれでいてぬめっているそれが、歯を舐め回し、頬裏に押し付けられ、私の舌に絡んでくる。  
「ふっ……んんん……んぅ……」  
 舌を捕らえられると息苦しさが増してきて、口内に唾液が溢れてきた。『彼』はそれを啜りながら私の様子をじっと見ている。  
 胸に押し当てられていた指は膨らみの先端を弄り出していた。だんだん硬くなってきているそこが、親指と人差し指で摘まれて擦られる。力を込められると小さな刺激が小刻みに私を震えさせた。  
「………ふ、あっ」  
 唇を離され、『彼』の両手が私の体を軽く押した。簡単にベッドに沈み込んでしまう体は、本当に自分の体なのかと思う程に力が抜けきっていた。  
 
 解放された口を開かせて息をついていると、視界に見下ろす『彼』の姿が映った。  
 『彼』は着ていたシャツを放ると、ずり下がっていた下着を再びたくし上げる。  
 さっきとは打って変わって、その動作は荒々しい。  
「あっ……!」  
 露わになった胸を掴む掌は汗ばんでいて熱い。ぐにぐにと押し潰すように動く手に篭る力の大きさに、少し戸惑いを覚えている自分がいた。  
 
 痛くて、苦しい。  
 
 でもそれだけじゃなくて。『彼』の体温に直に触れている事への安心感や、包まれている事への嬉しさがある事も確かで。  
 
 "抱き締められる"って、こういう事……なんだろうか。  
 
「はぁ……や、ん……」  
 ぬるついた感触が肌に落とされた。首や耳元に感じていたのと同じ……  
 目を向けると、『彼』が胸に舌を這わせていた。ぺちゃぺちゃと、恥ずかしい音を立てながら。  
 時折歯を立てては、そこに『彼』が触れた痕をつける。痛みを与えられつつも、まるで『彼』の所有物になったような気がして胸が高鳴る。  
「……どうした?」  
 不意に『彼』が顔を上げ、私を見てにっと笑った。  
「感じてる?」  
 
 頬が、かっと熱くなった。  
 
 鼓動を聞かれてしまっていたんだろう、この状態じゃ仕方ないけど……  
「よ、よくわからない……」  
 気恥ずかしくて、目を逸らした。すると『彼』はちょっと不服そうに口を尖らせた。  
「そうか……」  
 そう言うと、また膨らみに顔を落とした。なんだか意地悪そうな顔をしながら。そして──  
 
「んんっ!」  
 胸の先端に刺激が走った。  
 指で擦られて硬くなった突起を舌先で突かれたらしい。更に上下の歯に挟まれ、何度も甘噛みされる。  
 胸に顔を埋められ、『彼』の髪が肌に触れてくすぐったい。自分の体を音を立てて貪られて……喜んでいるなんて、私……なんてはしたないんだろう。  
 先端を口に含まれ吸い立てられている内に、声を抑えきれなくなってくる。  
「んっ……やっ、あぁ……ん……」  
「随分可愛い声出すんだな」  
 口を離して笑う『彼』。それでも胸を捏ね回す手の力は緩まない。まともな言葉を返そうにも、変な声ばかり出てくる。  
 そんな私を見て、『彼』はますます笑みを深めた。ああ、見ないで欲しい。  
 恥ずかしさに思わず両手で顔を隠そうとすると、すかさず『彼』がそれを遮る。  
 
「……っ………」  
「隠すなよ、勿体ない」  
 何が勿体ないのか、よくわからない。  
 でも、『彼』は私の反応に気を良くしたらしく、笑みを絶やさぬまま、私のズボンを手際良く脱がせていく。  
 ……さっきも思ったけど、やっぱりなんだか手慣れているような気がする。  
「…………」  
「……?どうかしたか」  
 怪訝そうに見つめる『彼』。下着にかけた手が束の間止まった。  
「………ううん、なんでもない」  
「そうか」  
 手が再び動き出し、ショーツを抜き取った。足を拡げさせられ、何一つ纏わぬそこを覗き込まれる。  
「やだ……」  
 その色濃い熱を帯びている視線に先程以上の羞恥を覚え、つい足を閉じようとしてしまう……もちろんそれが許される訳もなく、『彼』の腕によって更に大きく開かれてしまったのだけれど。  
「ん……」  
 茂みの内側、未だ閉じられたままの"そこ"に、太い指がそっと触れた。指先で筋を何度もなぞられ、そして周囲のやや膨らんだ箇所を撫でられ、くすぐったいような感触に声が漏れそうになる。  
 けれど指が入口を開いて中に入り込んだその時、"そこ"から鋭い痛みが感じられた。  
「いっ……!んっ……」  
 それに気付いた『彼』は慌てて指を抜き出す。  
 
「っ……大丈夫か?」  
「……え、ええ………続けて」  
 
 先を促してはみたけれど……正直、怖い。指だけでもこれじゃ、最後までなんてしたらどうなるのだろう。  
 『彼』は動きを止めたまま、心配そうに私を見ている。  
「もしかして洋子……した事、ないのか……?」  
「えっ……あ……」  
 きっと責めている訳ではないのだろう。でも慣れてないなら、『彼』にとっては煩わしかったりするのかもしれない。そう思うと、少し申し訳ないような気持ちになった。  
「………ごめんなさい」  
「なんで謝るんだよ」  
 言いながら『彼』は顔を"そこ"に近付けてきた。何をするのかと不安になりながらも、間近で見られているのが堪らなく恥ずかしく、真下にある頭を退けてしまいたいと思った。  
 やがて『彼』の口が開いて、中から赤くぬめったものが出てきて──  
 
「え……えっ、や、やだ……!何──」  
「落ち着けよ。濡らさないと、痛くて挿れられないだろ」  
 舌で"そこ"を湿らせ始めた事に驚き、思わず『彼』の頭を退けようと手を伸ばしたが、軽く払われてしまった。  
 その間にも『彼』の舌は外側の筋を濡らし、ほぐしていく。口を大きく広げて茂みを包み込み、唾液を擦りつけては卑猥な水音を立てている。  
 
「んっ……や、やあぁ……!」  
 知らず知らずの内に、拒絶の言葉が零れ出す。  
 
 けど自分でも、何が嫌なのかわからない。こんなにも近くで隠すべき場所を見られている事か。あるいは"そこ"に口全体で触れられている事か。  
 
 それとも、触れられる事で痺れるような心地よさを感じている、自分自身に対してか……  
 
「だいぶ濡れたか……」  
 そう言うと『彼』は再度筋を拡げ、指を押し込んだ。  
「……くっ……」  
 さっきよりは痛みは少ない。でもやっぱりまだ辛い。きっとこのまま指を動かされたりしたら、またあの苦痛に苛まれるのだろう。そう思うと先を続ける事に抵抗がない訳ではない。  
 『彼』はそのまま指を動かそうか迷っているようだったが、ふと何かを思いついた時の顔をした。そう、それはまるで、悪戯を考えた子供みたいな──  
 
「ひっ……」  
 
 いきなり、周りを舐められている時以上の刺激が生じた。中に挿れたままの指のせいじゃない。割れ目の上の辺りからくる、異常とも言える快感。  
「あっ……や、んうぅ!」  
 その部分を、爪で擦られたり舌先で転がすように舐め回されたりしている間にも、秘部に指は入り込んでくる。  
 
 なのに何故だろう、先程のような痛みは殆どない。  
 体の感覚自体がどうにかなってしまったかのように、痺れるような気持ち良さだけが秘所を占めている。  
「痛くなくなったろ……?」  
 弄る手を止めずに問い掛けてくる『彼』。その生暖かい吐息が濡れた箇所に当たって、ますます頭の中がおかしくなってしまいそうになる。  
「う……ん。でも、なんか、ぁっ……変……!」  
 言葉もまともに出せなくなる程、私の意識は『彼』の行為によって溶かされかけていた。  
 既に中にある指は二本に増え、それぞれが別の方向に動いては奥の方まで拡げようとしている。  
「ほら、中からお前のが出てきたみたいだぜ……わかるか?」  
 口端から垂れる液を拭い取る事もせず、意地悪く笑って『彼』は私の顔を見つめた。熱を含んだ目付きで覗き込まれ、頭の中まで熱くなる。  
 『彼』の言うように、内側は何度も掻き混ぜられたせいかじんわりと熱く、『彼』の唾液とは違うものによってぬるついていた。自分の淫らさを笑われているようで、凄く恥ずかしい。  
「……そろそろ、いいよな?」  
 急に真剣味を帯びた『彼』の声。少し驚いて見上げると、ズボンや下着を全て脱ぎ去った『彼』がいて──  
 
「あ………」  
 慌てて目を逸らそうとしたけど、『彼』は私の両頬を押さえて離さない。  
「………洋子」  
 思いつめたような瞳で私を捕らえる『彼』。  
 
 ……怖くない訳じゃない。  
 
 けど──  
 
「平気よ………して?」  
 
 『彼』が私を望んでくれるのなら。  
 あげられるものは、何だって差し出してしまいたい。本気でそう思った。  
 やがて『彼』はやや緊張した面持ちで熱く滾ったものを宛った。  
 けれど貫かれる直前、私は『彼』を止めずにはいられなかった。  
「ん………どうした?やっぱり、怖いか?」  
「そうじゃなくて……そのまま、するの……?」  
 
 そう、私自身の入口に当てられたのは、紛れもなく『彼』自身。それも何一つ纏わぬままの。  
 このままされたら、子供ができちゃう……  
 なのに『彼』は気にした様子もなく、焦れったそうにしている……何を考えているんだろう。こんなに考えなしな人だっただろうか?  
「ちゃ、ちゃんと避妊……してくれないと」  
「いいだろ、別に」  
 『彼』はそう言うと、急に囁くような声で言葉を投げ掛けてきた。  
 
「もし、子供ができたりしたらさ……その時は………結婚しようぜ」  
 
「……え……」  
 
 耳を、疑った。  
 
 『彼』がそこまで考えてくれているなんて、思っていなかったから……嬉しかった。  
 
「………っ!!ぃっ、んんん!」  
 不意を突いて生じた、言葉にならない、苦痛。  
 指で拡げられた場所の更に奥まで入ってくる『彼』自身。閉じた所を無理矢理こじ開けられ、堪え難い痛みに涙が零れた。  
「い……痛むか?悪い、もう少し……っ」  
「くっ……!ううぅ………」  
 『彼』はすまなそうにしながら一度腰を戻し、しかしもう一度打ち付ける。裂けてしまいそうな程の痛みはなかなか治まらない。  
 かなり奥まで押し込んだ後、何故か『彼』は動きを止めたままじっとそこに留まっていた。まるで何かを押さえ込もうとするかのように。  
「…………?」  
 問い掛けの意思を込めて見上げると、辛そうにしながらも『彼』は微笑んだ。  
「きついな……やっぱ。喰われちまいそう……」  
「あっ……ご、ごめんなさい。痛い?」  
 『彼』も辛いんだ……やめておいた方が良かったんだろうか。  
 そう思い体を離そうと腰の位置をずらし始めたのだが、  
 
「今更抑えられるかよ」  
 
 そう言ってまた腰を引き、ゆっくりと抜き差しを始めた。  
 
「んっ……く、ふっ……うぅん」  
 『彼』が動く度に、私自身は元の形を取り戻そうと収縮を繰り返す。  
 その為中にある『彼』の感触が、そしてその体温が、より強く刻み込まれる。  
 
 熱くて、大きい。  
 
 柔らかくも硬い、何とも不思議な感触のそれは、時折ぴくぴく震えては私の奥に小さな刺激をもたらす。痛みを覚える程大きくもない脈動が、とても愛おしく思えた。  
 
 『彼』の一部が私の中に息づいている……  
 
 『彼』が、私の中にいる──  
 
「んっ、く……はっ……はぁっ……」  
 中を滑る『彼』自身の動きから、だんだんぎこちなさがなくなっていく……先に濡らしておいてくれたからかもしれない。まだ苦しい事には変わりないけど、さっきのような鋭い痛みはもう殆どない。  
 代わりに"そこ"にあるのは、圧迫される鈍痛と……ぼんやりとした、不思議な感じ。  
 摩擦による痛みがあったのは最初の方だけで、今は……どうしたんだろう。何故かとても……気持ちいい。  
 擦れた所からじんわりと痺れるような熱さが滲み出し、それが思考を霞ませていく……  
 
「あぁっ……」  
 『彼』の手が再び胸を覆い、強く捏ね出した。硬く張った先端を引っ張り上げ、さっきみたいに指で擦ってくる。  
 
「まだ、痛いか……?」  
 息を荒げさせながら『彼』が問い掛けてきた。  
 気を遣わせたくなくて大丈夫だと言おうとしたけど、感じた事のない感覚に頭の中がおかしくなっていて、ただ頷く事しか出来ない。  
 それを見た『彼』の口元が上がったのが見えた気がした。一度腰が引かれ、圧迫感が和らぐ。でも次の瞬間……  
 
「あぁっ!!」  
 いきなり体全体が押され、さっきよりも奥に『彼』のものがはまり込んだ。『彼』の広い胸に私の胸が押し潰され、互いが繋がりあった箇所を更に拡げられ、息が詰まる。  
「幾らか……くっ、慣れて……きたか……?」  
 ただ抜き差しするだけでなく、掻き混ぜるようにして中にごりごりと擦りつけながら、耳元に『彼』が囁く。  
「……もう駄目だと思ったら、ちゃんとイクって……っ、言えよ?」  
 そう言いながら、『彼』は腰を大きく打ち付けてきた。繋がった場所の疼きがますます強くなっていく……  
「んん……あっ、あっ、はあぁ……」  
 『彼』の言う事の意味はよくわからなかったが、"もう駄目"な状態になりつつある事だけは、なんとなくわかった。  
 
 目に映る『彼』の姿もおぼろげで、意識を整える事さえままならない……今まで出した事のないような声をあげて、厚い胸にしがみつくので精一杯。  
 
 私……どうしちゃったんだろう。  
 
「ひっ……く……!」  
 
 突き上げる動作が緩んだ直後、不意を突いて生じた小さくも鋭い痺れに体がしなった。  
 指を挿れられていた時に弄られていた場所、繋がった所の上の突起を『彼』が摘み出したのだ。  
 さっきより硬くなったそれを爪で擦られる度に、体ががくがくと揺れる。息が出来なくなる。気が狂いそうになる。そして──  
 
「───っ〜〜!!」  
 
 
 意識が、弾けた。  
 
 感覚のなくなった体が、びくびくと震えているのがわかる。  
 
 それでも、実感がない。自分の体であるのかさえ、わからない。  
 
「ぐ……っ……あんまり、締め付けるなよ………洋子?」  
「ぁっ……あぁっ………」  
 『彼』がまた何か言っている。  
 でも、応えるだけの思考さえ働かない。私が私じゃなくなったような……変な、感じ。  
「……なぁ……もうイッちまったのか?」  
 戸惑ったような声が、私の耳を素通りしていく。  
 
「………しょうがないな」  
 笑いを含んだ声が届いたその後、中にはまったままの『彼』自身の先端が私自身の入口まで引き抜かれ、そしてまた……  
 
「ひぁっ!!」  
 
 中を掻き分け、一番奥まで突き込まれた。途端に朦朧としていた意識を引き戻される。  
「ひんっ……やっ、あっ、あぁ……んん……!」  
「勝手にっ……一人でイクなよ、なっ……」  
 少し怒ったように『彼』が言う。その間にも腰の動きは止まらない。  
「イク時は言えって……言ったろ?」  
 胸を鷲掴みにして責める『彼』の声が、遠く近く響く。言葉を返そうにも、まともな声さえ殆ど出てこない。  
「んっ……くうぅ、ん………あっ……!」  
 再びさっきの場所に手が伸ばされ、指で擦られた。けれど今度はゆっくりと、探るような動き。おかげで呼吸も快感も全く鎮まってはくれない。  
「や………ぁ……」  
 
 ───怖い。  
 
 "私"が飲み込まれて、いなくなってしまいそうで……怖い。  
 でも、別の"私"が訴えている。飲まれてしまえば良いと。このまま悦楽の波に流されてしまいたいと。  
 
 これまでに得た事のない感覚に全身が犯されて、意識がついていけていなかった。  
 
「ね……ねぇ……もっ……もう、無理……ぃ……」  
 やっとの思いで紡いだ言葉。掠れて小さかったけど……ちゃんと聞いてくれていただろうか。  
 おずおずと見上げると、『彼』は心底嬉しそうな、それでいてこの上なく意地悪そうな顔をした。  
 
「言う事が違うだろ?」  
 
 言うが早いか、指の力が強まった。突起を更に擦り上げられ、またあの刺激に体を痺れさせられてしまう。  
「あっ!!やだ、やぁっ、イクっ!イクからっ……それ、もう……っ!」  
 "イク"という事の意味をよくは知らなかったが、口にするには恥ずかしい言葉だという事は、なんとなくわかった。  
 まるで脅されて言わされたようなものだ……なんて意地が悪いんだろう。それでも『彼』は満足そうに微笑んでいる。  
「くっ……じゃあ………一緒にイこうぜ、洋子っ……!」  
 言い終えるやいなや、『彼』の律動の勢いが増し、それによる刺激が奥の奥で湧き出してきた。深い所で『彼』自身が膨れ上がるのがわかる。  
「ぐっ、くうっ!出すぞ、洋子……洋子っ……!!」  
「あっ、ひぁんっ!やっ、駄目っ、駄目ぇっ……!!」  
 
 
 首を振って抗っている内に、それは訪れた。  
 
 『彼』の先端から熱くて粘った液が勢いよく吹き出し、私の中を濡らしていく……  
 
「あぁっ………」  
 
 溢れてしまいそう。  
 
 やがて『彼』自身がそこから引き抜かれ、『彼』が中にいたその名残りが僅かに零れた。けれどそれはまだ熱を失う事なく、私の中で拡がっている。  
 
 ひとつになるって……こういう感じなんだ……  
 
 そのまま出されてしまった事に対する不安はあるけれど、それよりも嬉しい気持ちの方が濃い。  
 ……なんだか、想像していたのと全然違う。  
 初めはとても痛くて気持ち良いなんて到底思えないって聞いていたのに。  
 
 ぼんやりとした頭でそんな事を考えていると、『彼』の顔がすぐ傍まで近付き、何か話し掛けてきている事に気付いた。  
 
 ……何を言っているのかまでは……わからない。全ての感覚が、あまりにもぼやけすぎていて。  
 
 
 ただ、囁かれて耳朶に触れる吐息が心地よく、その声の響きを愛おしく思いながら、『彼』の腕に抱かれて眠りの淵に落ちていった。  
 
 
 
 *  *  *  *  *  
 
 
 
「………………」  
 
 洋子は語り終えると、小さく息をついた。そして、やはりまだ気まずそうな様子で俺を見つめている。  
 言葉に詰まったり、ぼかしたりしながらも、彼女が語ったあの男との記憶の断片。そこには確実に、求め合うが故に宿る温もりがあった。  
 顔を赤らめ、恥じらいながら過去を紡ぐ彼女の瞳に映っていたのは、寂しさや愛しさを含んだ光。そしてそれは他ならぬ『彼』に向けられたもの……  
 自分の立場をわきまえているのなら、後ろめたさに心を沈めるばかりだったろう。  
 
 だが……  
 
「先生………?」  
 
 洋子の背に腕を回し、やや強引に抱き寄せた。ふわりと香る髪に顔を寄せ、柔肌に掌を押し付ける。  
 痛みに彼女が顔を歪めるのが見えたが、もうこれ以上この淀んだ熱を押し留める事は出来そうになかった。  
 
 
 せめて今だけは、黙ってこの腕に抱かれていて欲しい。  
 
 
 
 君の男として苛立ちを覚える俺を、どうか許して欲しい───  
 

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