<注意書き>  
*エロ要素薄め、長文です。  
*「一粒の涙」ED(主人公が別の男を思いながら朝生と結ばれるED)後の設定です。  
*鬱EDを何とか救済へ持っていこうと企んだため、ストーリーの粗や超展開があります。  
*龍の扱いがひどいです。龍スキーの方は回避してください。  
*京吾と喜多川さん、例の3人が出てきます。  
*キャラ崩壊に注意してください。  
 
 
「んっ……、お、お願い……!」  
体の中心を貫かれ、腰をくねらせてねだる私を、あの男はわずかに熱を帯びた瞳で見下ろ  
している。  
「ふっ、そうか……」  
切れ長の目をわずかに細め、戯れに思いついた自分の考えが面白くてたまらない、といっ  
た風情の笑みを浮かべた。  
「ならば……、そうだ、私のことを愛している、とでも言ってみろ」  
「そ、んなっ……」  
あの男は知っている、私が誰を愛していたのかを。  
そして、私があの男を愛してはいないことも。  
「どうした、言えないのか?言えないなら、ずっとこのままだぞ」  
冷徹なあの男は、捕らえた獲物をどういたぶろうかと考えている豹のよう。私の望むもの  
は与えず、ただ焦らすばかり。  
「ぁ……」  
「聞えん」  
火のついた体は、一刻も早く快楽を与えてもらいたいと、私の理性が意図しない言葉を吐  
き出そうとする。  
「ぁ、い……、し、て……」  
「そんな、小さい声では聞えんな」  
冷たい声であの男は言い放つ。  
私は理性も羞恥もかなぐり捨て、ただ自分の望むものを与えてもらいたいばかりに、その  
言葉を口にした。  
「あそ、うさん……、あい、してる……、だから、お願い!」  
その言葉を聞くや否や、あの男は律動を再開した。  
「あんっ……、いいっ!朝生さん、もっとっ……!」  
たちまち快楽の糸に絡め取られていく私を、あの男は思う存分支配していく。  
「そう、だ……。お前は、私の下で、そうやって喘いでさえ、いればいい……」  
私は激しく奥を突き上げられながら、より快感を増幅させるべく腰を同調させて動いた。  
これこそが、私の欲しかったもの。  
背中のざらつく感触にもかまわず、私はあの男の体をきつく抱きしめ、腰を打ちつけなが  
ら欲望のままにふるまう。  
「すごく、いいっ……!あん、も、もう、ダメっ……!」  
「っ……、イけ、私も……」  
最奥を責められ、目の前に火花が散る。私は快楽の頂点に押し上げられ、意図せずあの男  
の物を絞り上げる。  
「あんっ、あ、はあ、ああぁぁぁっ!」  
「くうっ……、だ、出すぞっ!」  
あの男はきつく眉根を寄せて、私の中に欲望の結露を注ぐ。  
その間も私の中はヒクヒクと動き、それを体内のより深いところに運ぼうとしている。  
脳髄を蕩かされる絶頂を極めた後、あの男の荒い息遣いを聞きながら、私の視界はぼやけ、  
ゆっくりと意識を手放した。  
 
龍蓮会を潰すと宣言し、それを実際に行動に移したそのやり方は、実にあの男らしいもの  
だった。  
龍蓮会の資金源を断つ、という行動に出たのだ。  
大概のヤクザは非合法な物品の取引をしたり、フロント企業を通じて収益を上げたり、風  
俗産業の元締めをしていたりしているものだが、そういうところを着実に兵糧攻めにして  
いった。  
警察に密告して物品の取引を成立させないようにしたり、フロント企業のスキャンダルを  
暴いて赤字に追い込んだり、風俗営業の女性をごっそり引き抜いたり。  
ヤクザといえども人間である以上、収入がなければ生きていけない。  
また、裏で龍蓮会と関わっているとされる大物代議士のスキャンダルをネット上に流し、  
証拠隠滅を不可能にしたうえ、その代議士を引退に追い込んだのもあの男の差し金だ。  
これで、龍蓮会を庇護する者はいなくなった。  
それから、龍蓮会ナンバー2の桐生銀二の裏切りも大きかった。  
もともと銀二は自分こそが次世代の龍蓮会を仕切る存在だと自負していたから、那由多龍  
司の息子であるというだけで組長を継いだことをよく思っていなかった。  
新たに桐生組を立ち上げ、龍蓮会に不満を持つ構成員をあの手この手で大量に引き抜いた。  
ほどなくして龍蓮会は瓦解、解散に追い込まれた。  
その後、元組長の行方は杳として知れない。  
 
その後私は心ならずもあの男の妻となり、表向きは組長と社長、二つの業務をこなしてい  
る。  
もちろん、実際は両方ともあの男が実権を支配していて、私はただのお飾りにすぎない。  
私は、あの男の能力に見合った地位につくべきだと説得したが、「飾りと言うのも役割の一  
つだ」などとうそぶき、そのままになっている。  
そういう場に慣れない私の居心地の悪さなど、全く気にかけるつもりはないらしい。  
無論、愛のない女と平然と結婚できるような男だから、そんな心遣いなど期待するほうが  
無駄というものなのだろう。  
ハンコ押しは退屈でもまだいい、屋敷から一歩も出ずにこなすことができる。  
でも、様々なパーティやレセプションでは、私はあの男の妻として一緒に出席することを  
義務付けられている。  
きらびやかなドレスをまとってその場を盛り上げる会話を行い、社長としての立場を取り  
繕わなければならない。  
外面のいいあの男は、そういう場では「愛する若妻を気遣う夫」として完璧に振舞ってい  
る。  
そう、本当に私は愛されているのではないか、と錯覚さえ起こしそうなほどに。  
しかしそれは、屋敷に帰ってきたときには魔法が解けたようにそっけない態度に戻り、期  
待が打ち砕かれるのが常であった。  
そして、お互いにすれ違う、空虚な言葉の応酬が繰り返される。  
それでもあの男は私を抱くことをやめないし、私も、あの男に抱かれ続けている。  
何故だかはわからない。  
こうした状況に私は、次第に慣れていかざるを得なかった。  
 
あるとき私は、亡き父の墓参りに出かけた。  
父とは幼いころに別れたきり、ついに死に目にも会えなかったが、こうして時々は参るの  
が習慣になりつつある。  
もし父が生きていたら、なぜあんな男を婚約者としたのか問いただしたい、と思いながら。  
静謐な時間の流れる墓地に着いた。  
墓前には既に誰かの手によって、新たな線香と花が手向けられている。  
「朝生さん、でしょうね。先代には、それは世話になったそうですから」  
驚きの表情を隠せない私に、運転手を務めるスミスさんが淡々と語る。  
「他に、朝生さ……、いえ、夫について知っていることはありますか?」  
息せき切って尋ねる私に、ヤスさんがのんびりした声で答えた。  
「朝生さんが俺達と話すことなんて、めったにないっすからね。朝生さんのことをよく知  
ってるのはやっぱり若頭でしょ。なんたって桜学園時代からの同級生で……、ってうわあ  
ああああああああ!」  
「おい、ヤス!てめえは地雷踏むしか芸がないのか、ちっとは成長しろ!」  
ヤスさんの答えは、山木さんのヘッドロックによって中断された。  
久々に聞いたその肩書。  
胸によみがえる、実らなかった恋の思い出。  
その感傷もさることながら、私は夫たる人のことについて何も知らないのだ、と愕然とす  
る思いが先に立った。  
私が知っているのは、組長としても社長としてもやり手なこと。  
政財界に人脈の厚いこと。  
そして、冷たい態度とは裏腹に、ベッドで激しく、熱く、残酷なまでに快楽を与えてくる  
こと。  
それだけだ。  
それだけしか夫のことを知らない妻、というのもどうなのだろう。  
父だって、娘を不幸にしたくて、やみくもに婚約者を決めたわけではないはずだ。別れる  
まではとても私のことを可愛がってくれたのだから。  
なぜ亡き父があの男を婚約者と決めたのか、その答えは自分で見出さなければならない。  
その手始めとして調査会社に依頼し、あの男、いや、夫の情報を少しずつ集めていった。  
 
 
朝生義之氏に関する報告書  
朝生義之氏(28歳)  
19××年7月8日生まれ。  
かに座、A型。  
身長178cm、体重68kg。  
桜学園フェンシング部OB。  
国立○○大学法学部××学科卒。  
政治家秘書の一人息子として生まれ、何不自由ない幼少時代を過ごす。  
11年前、自宅の火事で両親を失う。  
その時自身も大火傷を負うが、九死に一生を得る。  
以来、虎桜組の組長に引き取られて育つ。  
桜学園在学中はフェンシング部の部長として活躍。  
桜学園卒業後は、○○大学に進学。  
○○大学を優秀な成績で卒業し、ビジネス感覚に優れ、先代組長の信任を得る。  
虎桜組の構成員として桜コンツェルンの業務を任されるようになり、現在専務の肩書を得  
ている。  
そして組員としても頭角を現し、組長亡きあとは組長代行を任されるまでになる。  
○ヶ月前先代の組長令嬢である、沙紀夫人と結婚。  
意外な一面として、実は無類の甘いもの好き。  
今後の活躍が期待される人物である……等々。  
 
 
「意外だな、朝生さんって、甘いものが好きなんだ……」  
私はリビングで、調査会社の報告書を読んでいた。  
その後、書類を手にしたままいろいろと考えにふけり、誰かが後ろから近づいてきたのに  
も気がつかなかった。  
「何してるの?」  
「あ、天音君!?」  
声を掛けられて、私は思わず報告書を取り落とした。天音君はおもむろに、散らばったそ  
れを拾って手渡してくれる。  
天音君は桜学園を卒業した後もずっと屋敷に住んでいて、大学に通いながら虎桜組の準構  
成員を続けている。  
大学卒業後は、正式な構成員になる予定だそうだ。  
「これ、朝生さんについてのことだよね。こういうのは、本人に聞いた方がいいんじゃな  
いかな」  
「そうだけど、聞いても『そんな無駄話をするほど、私は暇な身分ではない』って、言わ  
れそうじゃない?」  
「あ、あはは、それもそうだよね」  
天音君は乾いた笑いを浮かべる。彼も夫の本性を知る、数少ない人物の一人だから。  
「そういえば、初めて君が朝生さんと会った時のことを覚えてる?」  
唐突に天音君が振った話題に、私は過去の記憶を呼び覚ます。  
そうそう、私が強引に組へ連れてこられた時、屋敷の前で初めて対面したんだっけ。  
あの時の夫は、今もそうだけれども、三つ揃いのスーツをきっちり着こなし、エリートと  
呼ばれる男だけが持つ、自信と色香を放っていた。  
でも、あの時の私には「気が滅入りそう」としか思えなくて。  
「朝生さんは、柄にもなく優しく振舞って、本当に君に気に入られようと努力してたよ。  
先代の遺言を守って、組長になった君と結婚してこの組を盛りたてていくつもりだったん  
だと思う」  
「そうね、あの人が大事なのは組と会社だから」  
「いや、そうじゃなくて……」  
天音君は一瞬ためらい、もどかしそうに口を開いた。  
「ヤクザの組長の後継者って、基本的に実力本位で血縁関係は重視されないんだ」  
「どういう意味?」  
「関西にある、濱口組って知ってる?」  
もちろん知っている。東の虎桜組、西の濱口組と謳われ、全国でも三本指に入る組織力を  
誇る組だ。  
天音君は、私にわかりやすく説明してくれた。  
「あそこの組長は現在六代目なんだけど、直接血縁関係があるのは初代と二代目のみで、  
三代目以降に血縁関係は全くないんだ。つまり、その地位に見合う実力がなければ、組長  
を継ぐことはできないってこと。他の組織も例外じゃないよ」  
「じゃあ、私は……?」  
「確かに、組の実務は朝生さんがすべて取り仕切ってる。でも、名ばかりでも君が組長に  
は違いない。そして、これがすごく大事なことなんだけど、あのときの朝生さんには、組  
長を継ぐ実力が十分にあった。でも、そうしなかったのはなぜだと思う?」  
「どうして……?」  
理解できない問題に頭を抱えた私を見て、天音君は薄く笑った。気のせいか、声が低く、  
目が細くなってるような?  
「じゃあ、これは俺からの宿題。たまには、自分の旦那のことをじっくり考えてみるのも  
悪くないだろ?」  
そう言って、私の答えを待たずに居間を出ていく。去り際、「この二人には、本当に世話を  
焼かされる……」って天音君のつぶやきを聞いたのは空耳だったのだろうか?  
 
天音君の宿題は全然解けないまま、時間だけが淡々と流れる。  
夫に聞きたい誘惑にも駆られたが、尋ねたところですげなくあしらわれると思うと、その  
気にもなれなかった。  
そういえば、間もなく夫の誕生日。  
甘いもの好きだということだったから、ケーキを差し入れてみよう。  
私は天音君に頼んで、おいしいと評判のケーキ屋さんのバースデーケーキを手配してもら  
った。  
……本当は手づくりできたらよかったんだけど、お飾りでも社長業ともなればなかなか忙  
しく、時間が取れない。  
届いたケーキを手に、私は夫の執務室をノックした。  
「入れ」  
返事を待ってから、そっと部屋に入る。  
夫は入ってきた私などいないかのように、パソコンのモニター画面を注視して顔を上げな  
い。  
「あの……」  
「何だ。私は忙しい。用がないなら帰れ」  
こんなあしらいをうけたぐらいで、いちいちくじけてはいけない。  
私はケーキの箱を差し出し、お祝いの言葉を口にした。  
「朝生さん、今日はお誕生日おめでとうございます。ささやかですがお祝いに、ケーキを  
用意しましたから、どうぞ」  
そこでやっと夫は顔を上げたが、眼鏡の下の切れ長の目をさらに細めて言い放った。  
「誕生日、だと?……くだらん。子供でもあるまいし。」  
自分の好意をくだらないと切って捨てた夫に対し怒りが湧いたが、何とか思いとどまった。  
ここで言い返せば、元の木阿弥になってしまう。感情を抑えて対応しなければ。  
「ま、まあそう言わずに、よかったら食べませんか?」  
「ふん……」  
夫はさも馬鹿にしたかのように鼻を鳴らしたが、持って帰れとは言わない。  
私はケーキを箱から取り出し、机の上において箱に入っていたキャンドルを立て、ライタ  
ーで火をつけようとした。  
その時。  
「……や、やめろ!私の前で火をつけるな!!」  
突然夫の怒号が響きわたり、鋭い剣幕に驚いた私はライターを取り落とした。  
夫はいつもの冷静さを欠いて、初めて見る戸惑いにも怒りにも似た表情を浮かべている。  
「ご、ごめんなさい!」  
その時ふと、あの報告書の一節を思い出した。  
夫は家事で両親を亡くした。そして、自身もひどい火傷を負いながら、命だけは辛うじて  
取り留めた、と。  
だったら、火は苦手に違いない。  
図らずも夫のトラウマに触れてしまった私は、自分から夫への歩み寄りが失敗したことを  
悟った。  
「あ、あの、いらなければ処分してくださって構いませんから!」  
それだけ言うのが精いっぱいで、いたたまれず執務室の外に飛び出した。  
「おい……!」  
夫が何か言いかけたようだったけど、それを受け止める余裕が今の私にはなかった。  
息せき切って走り、自室前の廊下で一息ついたのもつかの間、自分のやり方のまずさにし  
ょげ返る。  
……本当は、夫と二人でケーキを分け合って食べられたらいい、と思ってたのに。  
それから、自分の部屋に入って、落ち込んだ気持ちを引きずったまま、ずっとベッドにも  
ぐりこんでいた。  
次の日、天音君が教えたくれたところによると、夫はぶつぶつ文句を言いながらも一人で  
ケーキを全部たいらげていたそうで。  
『全く。私一人に、5号のケーキは大きすぎる。あいつも、少しは物を考えて行動する癖  
をつけろ』と、言っていたそうだ。  
これって、喜んでくれたのだろうか、それとも……?  
 
ケーキの件があってからしばらく後、屋敷に珍しい来客があった。  
「よう、沙紀ちゃん、久しぶりだな」  
警視庁捜査四課の刑事である喜多川さんだ。昔バイトしていたお花屋さんで、私を娘のよ  
うに可愛がってくれ、とてもお世話になった人。  
母子家庭で育った私からすれば、こんな温かくて優しく、頼りがいのある人がお父さんだ  
ったらいいな、って思っていた。  
結婚後は、こんな人が旦那さんだったら、とも。  
「喜多川さん!」  
懐かしさのあまり、思わず私は喜多川さんに駆け寄って抱きついた。  
「おいおい、人妻がそれはマズイんじゃねえか?」  
「ごめんなさい。うれしくて、つい」  
「い、いや、何も、謝るこたあねえよ。ただ、もう沙紀ちゃんも若奥さんだ。自重しねえ  
と、俺が朝生に殺されちまう」  
「そんなことないですよ。……お互い、好きで結婚したわけじゃないし」  
「沙紀ちゃん……」  
喜多川さんは一連の事情を知っている。だから、他では言えないこんなことも私は言うこ  
とができる。  
でも、私の言葉を聞くと、喜多川さんは悲しそうな顔になった。  
娘のような存在だった私が、意に染まない結婚をしたことを気の毒に思っているのだろう  
か。  
それはともかく、私は喜多川さんを居間に通した。こうしてわざわざ訪ねてきた、という  
ことは、きっと何かの話があるからに違いない。  
テーブルに着き、運ばせたお茶を一口飲む。  
喜多川さんはと言うと、話をしようとするも、どう切り出したらいいものか躊躇している  
ようだ。  
以前の私だったら、息せき切って何の話か詰め寄っていたところだが、こういうときは静  
かに待つことが肝要だ、と知っている。いささかは、私も成長したと言えるかもしれない。  
しばらくの間、居間には茶器の音と、お茶をすする音だけが響く。  
やがて、喜多川さんの表情から迷いが消え、口を開いた。  
「沙紀ちゃん、もうあいつのことは諦めな」  
「あいつ?」  
「俺相手にしらばっくれる必要はねえだろう。朝生の恋敵だった野郎だ」  
私の手は、茶器を持ち上げようとして止まる。そして、無慈悲な宣告は続く。  
「こないだ、埠頭で一体の水死体が発見された。身元を示すようなものは何もなく、また  
外見から判断できる状態じゃなかったため、遺体の身元判定はDNA検査でおこなうこと  
になった。それでようやくわかった。だが……」  
今の私は、おそらく顔面蒼白で喜多川さんの話を聞いているのだろう。その遺体とはきっ  
と、私がかつて愛した人。  
今となっては名前しか偲ぶよすがのない、身を焦がした恋の思い出。  
 
一瞬喜多川さんは言い淀むが、話を続ける。  
「遺体の身元は判明したものの、上からそれを公表するのを避けろ、と圧力がかかった。  
詳しい死因も解明されることなく、事件性のない身元不明の遺体として処理された。俺は  
納得できなかったが、上からの命令には逆らえない。所詮、一介の公務員にすぎないから  
な」  
「ま、まさか、夫が殺したとか?」  
思わず気色ばむ私に、喜多川さんはやんわりと否定する。  
「解散した組の組長を手にかけるほど、朝生は暇じゃねえだろうよ。むしろ、手を下す理  
由があるのは、新しい組を立ち上げた銀二の方だ。あいつを生かしておいたら、いつ龍蓮  
会を復活させるかわからない。そうしないためには、ってな」  
確かにそれもそうだ。龍蓮会の創始者那由多龍司の一人息子は、龍蓮会復活の絶好の切り  
札となる。それくらいは、私にもわかる。  
「朝生は、あいつを殺しちゃいない。だが、公表を避けろと圧力をかけたのは、奴だ」  
「なぜ、なぜですか?」  
「妻が悲しむから、だとさ」  
「う、嘘……!」  
私は耳を疑った。いつも冷たい態度ばかりとっている夫が、演技ではなく、私のことを本  
当に気遣ってるなんて。天と地がひっくり返ってもありえない。  
「今までの朝生の態度を見りゃ、信じられねえのも無理はねえよ。だけどな沙紀ちゃん、  
ちょっと考えりゃわかることだが、朝生は冷たいように見えて、決して義理のない男じゃ  
ねえ。もしそうなら、とっくの昔に組や会社を私物化して、自分がそのトップにおさまっ  
ているだろうよ。奴ならそうできる手段はいくらでもあるし、またそうなっても周りが異  
論を唱えないだけの実力がある。でも、今の立場におさまってるってことは、先代の遺志  
とその娘である沙紀ちゃんをの立場を尊重しているからだろう」  
喜多川さんの言葉は、天音君から出された宿題の、ほぼ満点に近い答えなのだろう。  
なおも、喜多川さんは淡々と続ける。  
「沙紀ちゃんなら、朝生が誇り高い男だっていうのは知ってるだろう?先代の娘と結婚し  
て組を盛りたてていくつもりが、トンビに油揚げ攫われて、奴のプライドはズタズタだ。  
そりゃあ、冷たくもなるし意地も悪くなるだろうさ。でも、トンビの野郎はもういない。  
沙紀ちゃん、朝生と和解するなら今のうちだぜ?」  
「でも……」  
ためらった私を力づけるように、喜多川さんが温かい言葉をかけてくれる。  
「朝生は、ああ見えて自分から歩み寄ったりできない不器用な人間だ。ここはひとつ、沙  
紀ちゃんの方から折れてみちゃどうだ?そうでないと、朝生は一生頑なな態度のままだろ  
うよ」  
喜多川さんは、本当に私たちを心配してくれて、わざわざ忠告しに来てくれたんだ。その  
言葉の一つ一つが、素直に胸に沁みこんでいく。  
「ありがとうございます、喜多川さん」  
「なあに、俺は礼を言われるようなことは何一つしちゃいねえ。余計なおせっかい焼きの  
おっさんで悪いな」  
そう言って、喜多川さんは帰っていった。  
 
喜多川さんの見送りを終えた私は、突然激しい吐き気に襲われた。あわててトイレに駆け  
込み、洗面台にこみあげてくる吐瀉物を吐き出した。  
黄色い胃液が食道を逆流し、嘔吐する苦痛。それがおさまった後、私は生理がしばらく来  
ていないことに思い当った。  
それが何を意味するものか、わからない訳はない。  
今までずっと状況に流されるままで、ついぞ自分で決断をしたことがなかった。でも、こ  
れは私に「自分で考え、決めて生きろ」という選択を迫るきっかけとなるだろう。  
そして、どんな困難に見舞われようとも、必ずそうしなければならない、  
私は、心に決めた。  
思い立ってすぐ灰谷先生の診療所を訪れたが、「それは俺の専門外だ」といって、他の病院  
を紹介してくれた。  
そこで診察を受け、推定は確信に変わる。  
話をしようと私は執務室に向かったが、あいにく夫は留守だった。  
しかも、留守番の組員によると、出張で今日は戻ってこないらしい。  
正直に言って出鼻をくじかれた思いだったが、こんなことでへこたれていてはいけない。  
むしろ時間を与えられたと思って、自分のするべきことを片付けていかなければ。  
 
その夜自室で寝ていた私は、熱さと焦げ臭いにおいと何かがはじける音で目を覚ました。  
気がつくと部屋の中は煙が充満し、カーテンから火の手が上がっている。  
あわててとび起き、逃げようとする。  
何とかベッドから立ち上がったものの、体が思うように動かず、その場にうずくまってし  
まった。  
どうやら、煙を吸いすぎたらしい。  
逃げなければいけないと思って必死にあがくが、少し這っただけで頭がくらくらする。  
このまま私、煙に巻かれて焼け死ぬのかな……。  
せっかく私のところに来てくれたのに、あなたを生んであげられなくてごめんね。  
そして、朝生さん、こんな妻でごめんなさい。  
薄れゆく意識の中、私は夫と子供に詫びた。  
そのとき、誰かが駆けよってきて、しっかりと私の肩を抱き抱えて助け起こしてくれた。  
「おい!大丈夫か?沙紀、しっかりしろ!」  
「……朝生、さん?」  
普段は一分の隙もない身なりなのに、今は皺が目立つスーツのあちこちにススがつき、髪  
も少し焼け焦げ、呼吸も激しく乱れている。  
心なしか顔色も悪く、体も小刻みに震えていたが、それでも、夫に間違いなかった。  
いろいろと聞きたいことはあるが、上手く頭が働かない。  
夫の肩につかまり、もつれる足を懸命に動かしながら、何とか部屋の外に出た。  
「どうして、来た、の……?」  
「ば、馬鹿を言え!身重の妻を見殺しにする夫がどこにいる!」  
「え……?」  
「話は後だ!逃げるぞ!」  
夫は私を、ほとんど引きずるように外へ連れ出した。  
庭では、天音君や他の組員が消火活動に当たっている。  
「大丈夫ですか、朝生さん?」  
「京吾、早く救急車を呼べ!こいつを、医者、に……」  
「朝生さん!」  
庭まで出てきて安心したのか、私を抱きしめたまま、夫はその場に崩れ落ちた。  
私も、緊張の糸が切れ、意識を失い何もわからなくなった。  
 
あの後、火事はすぐに消し止められ、小規模の被害で済んだ。  
原因は、配電盤の故障による漏電だった。  
本当は専門の業者を呼んで直してもらわないといけないのに、ヤスさんがいろいろと修理  
を試したそうだ。  
それがかえって、火災を招く結果になったということだった。  
私の命を危険にさらしたということで、ヤスさんは厳しく叱責され、一時は破門の危機に  
あったが、何とか謹慎処分で落ち着いたそうだ。  
あれから私は、直ちに救急搬送されて入院した。  
倒れた夫も、大事をとって一緒の病室に入院することになった。  
本当は、これぐらいのことでいちいち入院していられるか、とごねたそうだけど、天音君  
に説得されて渋々そうしたらしい。  
病室にパソコンを持ち込み、点滴や検査などがない時は忙しそうに仕事をしている。  
私は、というと、今のところの検査では異常がなく、医師の指示通りに安静を守って、点  
滴を受けている。  
夫とは結婚してからも部屋が別々だったから、一緒の部屋にいることには少し違和感があ  
る。でも、決して嫌ではない。  
検査を終えて部屋に戻ってきた。部屋に入るとき少し緊張するけど、すぐに解ける。  
水玉のパジャマを着た夫は、ベッドに座りオーバーテーブル上のパソコンを操作していた。  
顔を上げ、視線を私に合わせる。  
「ただいま」  
「帰ったのか」  
「はい」  
私は、自分のベッドサイドに腰掛ける。  
夫のベッドと距離が思ったより近い。  
「で、どうなんだ?」  
「はい。出血もないし、発育も順調だから、全ての検査に異常がなければ帰れるでしょう  
って」  
「そう、か。よかったな」  
夫は、かすかにほほ笑んだ。  
皮肉のかけらもない夫の笑み。こんな笑い方もできるって、知らなかった。  
私は、あの火事の日に助けてもらった礼を言った。  
「あのとき、助けてくれてありがとうございました」  
「妻の窮地を、夫が助けるのは当たり前だ。まして、妊娠しているのならなおのこと」  
「……どうして、子供のことを?」  
「灰谷が知らせてきた。『お腹の子と、その母親をいたわってやれ』とな」  
「それで、予定を変更して帰ってきたんですか。でも、朝生さん、火が、苦手なのに……」  
「……なぜ、そう思う?」  
「ケーキを持って行った時、ライターをつけるなって言いましたよね。それに、その背中  
の火傷の痕」  
「っ……」  
夫は不安げな表情を浮かべ、あらぬ方向に視線を泳がせた。  
こんなにも自信のない表情は珍しい。  
長い沈黙の後、夫は私から顔をそむけたままようやく言葉を発した。注意してないと聞き  
そびれてしまいそうな、小さな声だった。  
「……あいつがいなくなって、お前まで失うかと思うと、俺は……!」  
「朝生、さん……」  
表情はうかがえないけど、学園時代からの好敵手を失って、夫はやり場のない感情を抱え  
ている。  
普段から決して仲がいいと言える関係ではなかったけど、何らかの哀惜の念を抱いている  
ことは確かだった。  
 
子供ができたとわかった時、夫には別れて欲しい、というつもりでいた。組や会社の  
権利を全て譲って、屋敷を出よう、と。  
もともと私も母子家庭育ちだし、仕事を見つけて子供と二人で暮らしていくことに何の不  
安もなかった。  
でも、いつもの傲岸不遜な態度ならともかく、傷つき疲れた様子の夫を放ってはおけない。  
私は、思い切って夫に声をかけた。  
「あの、隣に行ってもいいですか?」  
「……好きにしろ」  
まだ顔はそむけたままだったが、夫はそう答えを返してきた。  
私は夫の横に座り、体を密着させた。服の上から伝わる温かさが嬉しい。  
驚いた夫は目を見開いて私を見つめたが、何も言わなかった。いや、言えなかった、と言  
うべきだろうか。  
私たちは身じろぎもせず、部屋の中を沈黙が支配する。お互いに言いたいことは数あれど、  
どう言葉にしていいかわからない、そんな空気だった。  
勇気を出して、私は言いたかったことを言葉にしてみる。  
「朝生さん、今までごめんなさい。私、自分の気持ちにばかり囚われていて、あなたの気  
持ちについてなんて全然考えてなかった。たくさん傷つけて、本当にごめんなさい」  
「それについては、私も同罪だ。私の態度はお前に優しい夫だとは、到底言えるものでは  
なかったからな」  
「それは、もういいんです。あの、よかったら、私とやり直してみてもらえませんか?」  
「そう、だな。……お互い、遠回りをしたな」  
初めて会った時、私が夫を素直に愛していれば、お互いにここまで苦しみ、傷つけあい、  
回り道をすることもなかっただろう。  
でも、そうすることで初めて得られるものもある。  
これからの再構築には、きっとお腹の子供も力を貸してくれるだろう。  
突然、夫が私のことを見つめてきた。決意に満ちた視線に、私はドギマギする。  
「おい、沙紀」  
「はい」  
夫は顔を赤らめ、わずかに視線をそらしながら言葉を発した。  
「私には、自分の子を無条件に愛する義務がある。無論、その母親も同様に、だ。だから、  
お前もそうしろ、いや、そうしてくれ」  
「……はい」  
夫の回りくどい告白を受け、私はいまさらながら夫の不器用さに呆れるとともに、これから  
もこの人の側にいようと思った。  
私に、そっと夫の唇が重ねられた。今まで経験したことのない、優しい口づけ。  
やっと、私たちは本当の夫婦になれる。  
それが、再構築の合図だった。  
 
時が満ちて、私は男の子を出産した。  
夫は後継ぎができたと喜び、大きくなったらフェンシングを教えてやると張り切っている。  
相変わらず忙しくて顔を合わすのがままならないのもしょっちゅうだが、それでも心は通  
じていると実感できる。  
出産して病院を退院する時、夫は時間の都合をつけて迎えに来てくれた。  
真っ先に向かったところは、亡き父の墓だった。  
墓前に香華を手向け、息子を抱いて、父に孫が生まれたことを報告する。  
「本当は、生きているときに見せたかったが……」  
誰に聞かせるともなく、夫がそうつぶやく。  
その時私は、父の墓の隣に新しく、こじんまりとしたお堂が作られていることに気がついた。  
夫はそちらにも香華を手向け、お堂に安置されている仏像に手を合わせた。  
息子を抱きながらそれにならったが、その像を見て、私は愕然とする。  
仏像はいわゆる不動明王だったのだが、その、顔立ちがあの人に非常に似ていたのだ。そ  
して、背部の炎には無数の龍の浮き彫りが施されている。  
私の様子に気がついた夫が、淡々と説明した。  
「あいつはにぎやかなのが好きだったからな。ここなら先代もいるし、寂しいことはないだろう。」  
その言葉に、私は無言でうなずいた。  
二人とも、これからもきっと見守ってくれることだろう。  
また来るよ、と胸に誓って、私たちは墓地を後にした。  
<終>  
 
 

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