急患が運び込まれたICUは、いつだって修羅場鉄火場。
「ダメです、血圧80を切りました!」
「昇圧剤を使え!側管からワンショットだ!」
「しっかりしてください、社長!」
看護師の報告、医師の指示、付き添いの悲鳴、全てが怒号のように病室内に響き渡る。
その間も、心電図モニターの心拍数を示す数字は、どんどん少なくなっていく。
“…一体、どうしたの?”
私は、その戦場にも似た光景を部屋の上から見下ろしていた。
「京吾!お嬢はどうした!」
その時、荒々しくドアを開けて入ってきた人がいる。
“龍さん、お久しぶり。私、もうお嬢って呼んでもらえるような年齢じゃないんだよ?”
私は彼に声をかけたが、ちっとも聞こえていないようだった。
「若頭、もとい龍蓮会の組長。事故です。酔っぱらいの運転する車が突っ込んできて…。運悪く、彼女の乗っていた後部座席を直撃したんです。」
「で、お嬢は助かるのか?」
言い淀む京吾の代わりに、隣にいた灰谷が口を開いた。
「…無理だな。出血多量、肺挫傷、多発肋骨骨折、それに頚髄を損傷している。たとえ万が一に助かったとしても寝たきりになって、人工呼吸器なしには生きられない。」
医者らしく淡々と説明する灰谷に、思わず龍は食ってかかる。
「それじゃ何か灰谷、お前はお嬢が死んじまってもいいっていうのか!」
「いい悪いの問題ではない。…が、その可能性は非常に高い、と言わざるを得ない。覚悟しておいた方がいい。」
沈鬱な表情で事実を告げられ、龍はその場に崩れ落ちた。
彼がいなくなって、私は組長を辞めた。
そして、一年留年して大学の経営学部に入りなおし、本格的に会社経営についての勉強を始めた。
いったい、彼がどういうことをしていたのか知りたかったから。
勉強は大変だったけど、遺志を継ぐのは私しかいない、と思うとそれも耐えられた。
そして、名ばかりの社長だった私は、大学卒業後本格的に桜コンツェルンの社長として経営に携わるようになった。
もちろん、周りからは「小娘に何ができる」って目で見られたし、侮られることも多かった。
そういうときは、彼のやり方を思い出し、それを真似てみた。
いなくなっても、いまだに辣腕経営者として人々の記憶に残っている。
私は徐々に、やり手の女社長として、名が知られるようになっていった。
そんな私に言いよる人も多かったけど、どんな素敵な男性も彼と比べると色あせて見えた。
ますます私は、仕事に集中するようになった。
そうして桜コンツェルンは、更に業績を積み重ねていった。
それから、更に年月が経って。
“ああ、私、事故にあったんだ。今日も商談に出向くはずだったのに。”
心電図モニターの機械音が鳴り響く中、私はベッドに横たわった私を見つめる。
ベッドわきには天音君、ヤスさん、スミスさん、山木さん、灰谷先生がいて、私を取り囲んでいる。
みんな、私の意識が少しでも戻るようにと、必死に呼びかけている。
“いいんだよ、私、死ぬのは怖くない。だって、あの人に会えるんだから。”
“遅かったな。いつまで待たせるつもりだ?”
その時、私の後ろから、とても懐かしい声が聞こえてきた。
“…朝生さん!”
私はためらわず、愛する人の胸元に飛び込む。
彼は優しく微笑みながら、私を固く抱きしめてくれる。
“約束しただろう。お前は、もう忘れたのか?”
“忘れてなんかない、ちゃんと覚えてるよ。”
そう、それは今際の際の誓い。
もし生まれ変わることがあったら、私だけを愛する、って。
“…約束を果たしに来た。おい、沙紀。行くぞ。”
“うん。”
私は彼に導かれるままに、白い光の中を歩きだした。
それまで弱々しく波形を描いていた心電図モニターが、けたたましい警告音を発し、赤いランプの点灯とともに水平になる。
そして、心拍数を示す数字も0になった。
灰谷は無表情のまま、ペンライトを持って沙紀の瞳を照らし、首を横に振った。
うなだれ、悲嘆にくれる一同。
その時ヤスが、沙紀の顔を見ながらすすり泣く。
「ぐすっ、お嬢…。なんでお嬢だけ笑ってるんですか…。」
「あの人が迎えに来たのかもしれませんね。彼女、本当に朝生さんだけを愛してたから。」
寂しそうに京吾がつぶやく。
「朝生も罪な野郎だ。お嬢の心をかっさらったままあの世に行って、今度はお嬢そのものまで連れて行きやがった…。俺の、俺達のお嬢を!」
やりきれなさを込めて、龍が拳を壁に叩きつける。
怒りと悲しみが支配する中、沙紀だけが幸せそうな微笑みを浮かべていた。
<終>