「三日月くん知ってる?馬って、公道を走るときは車両扱いなんだよ」  
「えっ、そうなの!?」  
やれやれと、霧山は首と腕を外人のようにわざとらしく振る。いつか、三日月に「やめてよ〜」と言われた、あの仕草。  
そんな些細な思い出が、彼女との間にはごまんとあって、ふとした瞬間に、それを一々全て思い出してしまうのだから困ってしまう。  
何だかしんみりする自分を隠すように、霧山はわざと揶揄するように続けた。  
 
「三日月くーん、君、交通課の人でしょ?これぐらい知ってないと」  
「むーっ!でも、馬の駐禁取ったりしたこと、今までないもん。総武市にも馬なんて走ってないわよ」  
「でも君、今現実に馬で走ってるじゃん」  
「むむーっ!ここは公道じゃなくて、海岸だから良いの!」  
膨らんだ頬のラインを後ろから見ながら、そうだねぇと霧山は笑った。  
馬上で。  
 
そう、かなり現実離れした光景ではあるが、二人は今、波打ち際を馬に乗って走っている。  
手綱を握るのは、三日月しずか。  
その後ろにピッタリとくっついて揺られているのは、霧山修一郎。  
紅い夕日が視界を染める。  
捜査に行くまでに感じていた胸の空洞は、今は跡形もなくなっていた。それは、空白に埋まっていたピースが、こうして自分の手元に戻ってきてくれたからだ。  
なぜか馬で駆けつけた、三日月しずか。  
彼女のいない捜査が、こんなにつまらないものだとは思ってもみなかった。  
いつも隣で余計なことを言ってくれるだけの、眼鏡を持ってもらうだけの助手じゃなく、いつのまにか自分の中で、彼女の存在がこんなに大きくなっていたなんて。  
「時効捜査」が趣味なのではなくて、  
「三日月くんとする時効捜査」が趣味なのかもしれない、と霧山は苦笑する。  
彼女がいつもついて来てくれると思っていたこと自体、その良い証拠だろう。  
 
前を見やれば、紅く染まる視界の中に、ふわふわと柔らかそうな彼女の髪。  
何の香りか、甘い匂いが鼻孔をくすぐる。  
今日は髪をアップにしているせいで、綺麗なうなじが目に入った。  
子犬のような、純粋に愛情にあふれた目をして懐いてくるくせに、こういうところは無防備なんだからなあ。  
全く困ってしまう。  
しかし、そういうところも彼女の可愛いところなわけで。  
 
「あのさあ三日月くん」  
「なあにー?」  
霧山の腕が、それは自然に、三日月の腰に伸びた。そして、そっと抱き寄せる。  
馬上で、二人の体がぴったりとくっついた。  
「なっ、なっ、なっ…!」  
突然のことに、三日月は体をこわばらせる。  
髪に顔をうずめて、ちらりと目の端で三日月を見ると、この夕日の中でもはっきりそうと分かるくらい彼女の頬は赤かった。  
もちろん、耳も、首筋も、夕日より美しい赤に染まっている。  
「…ありがとね、戻ってきてくれて」  
「そっ…へ?え?」  
まだ頭の中が再起動中らしい三日月に、霧山は至近距離でへらっと笑いかける。  
「助かった、って言ってんの」  
「え、え、だだだだだって、やっぱ、霧山くんにはあたしがついてないとって言うか、っていうか」  
あの、その、…近いよ。  
三日月は、消え入りそうな声で言う。  
それを無視して、霧山は三日月の髪をくんくんと匂った。  
「な、何してんの?」  
「ん、これは…三日月くん、お昼はイタリアンだったね!?」  
「は、はぁ?」  
「そうだろ、自白しなさい」  
「そ、そうだった…かな?そうだったような…食べてないし良く覚えてないけど」  
「く――――ッ!羨ましいっ!僕、今日、イタリアン食べたかったんだなー。今晩はイタリアンにしてよ」  
「な、なぁんだ…」  
三日月の脳裏に、ずいぶん昔の事件がよぎる。そう、本郷高志変死事件――殺しのキス事件だ。  
あの時も、あわやキスしちゃう!?しちゃうの!?されちゃうのー!?  
…というところで、匂いの話で強制終了、ということがあった。  
がっかりしたような、ほっとしたような、三日月は強張らせた体を弛緩させると、とんと霧山の胸に背中を預けた。  
もちろん霧山の腕は腰に回されたままなのだが、そんなことはもう忘れてしまったかのように。  
「…じゃあ、買い物して帰ろっか」  
「よろしくお願いしまーす!」  
「その前に、馬返すから付き合ってよね〜」  
「えぇぇえええ〜」  
「コラッ!」  
 
上手く誤魔化せていただろうか。  
霧山は自分に向けられたこぶしを避けながら、そっと三日月の顔をうかがう。  
いつもと変わらない、彼女の少し膨れた横顔。  
時々いたずらしたくなるほど可愛いと思っていることは、まだ言わないでおく。  
笑顔から急にむくれたり、その後にすぐ照れてみたり、そんな彼女に手を触れるのは、まだ少し恐いのだ。  
 
馬は穏やかに歩を進める。  
その上でゆらゆらと幸せそうに揺られながら、二人は海岸線を行くのだった。  
 

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