PART.6
美しい夕焼けの広がる空を公園の広場から見上げながら真中はデジタルカメラを片手にその光景を収めていた。
真中は何よりも太陽が西の彼方へと消え行こうとする一日のその僅かな時間帯の晴れ渡った夕陽の空が好きであった。
それは中学3年のあの日、町で一番美しい夕焼けが見える学校の屋上で彼はある人と運命的な出会いをした事と
無関係ではないのかもしれない。
その空の向こう側にはもうすっかり満月のシルエットがくっきり顔を表している。
星ひとつの輝きだけをとればこの地球では何よりもお月さまの輝きには適わないが、それでも陽が完全に暮れ渡り
暗闇のカーテンが空に広がった時に表す無数の星々の海を醸し出す天空の彼方は何と雄大なものだろうか。
昔モンゴルの大草原の下でそれを仰ぎ見た時、彼に鮮烈なる感動を与えてくれたものだった。
(世界の至るとこで夜空を眺めたけどやっぱりモンゴルでの光景が一番だったかな・・・)
そう考えながら暫くカメラを動かしていた真中だがやがてバインダーを閉じそれをケースの中へと仕舞い込んだ。
もう暦の上では秋なのだろうが東京はまだまだ暑い日々が続いていた。
特にアスファルトとビルディングがひしめく東京都心の暑さは一際だっだ。
それでも夜になれば随分和らいでくるだろう。
それに今日はまだ風が吹いていたからかなり過ごしやすい一日だったといえる。
かなり強めの風だが気温と絡んで涼しい程度に顔や体に吹きかけられる。
そしてやや不精ぎみの後ろ髪と共に前ボタンとピンをしていないせいか首から下のネクタイが風に揺られ宙を舞っている。
両手はズボンのポケットの中に入れていた。
(もし白のトレンチコートでも羽織っていたらこの風にもっと揺られながら俺も映画の主人公みたいに見えたりしてな・・・)
真中の大好きなアメリカの映画監督で風でたなびくコートの姿を効果的に描く監督がいる。
あんな風に俺も撮って見たいものだ、と真中は考える。
そろそろ時間が気になったが時計台が見当たらないので左手の腕時計で確かめる。
腕時計の針は午後の6時を過ぎた部分を指していた。
もうすぐ来るかな・・・、何となく緊張感を漂わせながら公園広場の大きな外灯の下で真中は来るべき人を待っていた。
「真中くん・・・」
真中が振り向いた声の先からは急いで来たからか、息を切らしながら駆け寄ってくる東城綾の姿があった。
その大きな胸をやや上下に揺らしながらだからか、真中は反射的に視線を下の方に逸らしてしまう。
「ごめんなさい、もう少し早く来たかったんだけど・・・待った?」
申し訳なさそうに尋ねてくる綾だが黙って首を横に振る真中。
「ここの公園は実に空の眺めがいい、おかげでいい景色が撮れた。なかなかいい場所を教えて貰えて良かったよ」
そう答えながら傍らの小型ビデオを見せる。
相変わらず気遣い方が律儀なんだな、と真中は思う。
綾は少し安堵した表情を浮かべそしてそのまま綾はジーッと真中の服を見つめはじめた。
真中は今日綾と会うにあたり黒のサマースーツによる正装スタイルで着込んできて、またその首から下には
綾からプレゼントされたあのブルーのネクタイがぶら下がっていた。
「真中君、それしてきてくれたんだ・・・」
「う、うん。折角なんで・・・この柄、確かに自分でもよく似合うと思うよ。本当にいい物を貰えたよ」
綾は微笑みながら頭をこくりとする。
彼女も長い時間をかけて選んだ甲斐があったというものだろう。
真中もまた綾の服装を見つめている。
彼女は黒のやや胸元の開いたフリルに白の薄い花柄のブラウスと同じ白のスカートを身に着けていた。
美人の役得だろうか、きっとどんな服を着込んでも似合うのであろう。
(可愛らしい服だけどなんだか色っぽいな・・・)
確かにその開き具合から少し屈んだだけでも彼女のその大きな胸の谷間が見えてしまうことだろう。
そう考えるとなんだか目のやり場に困ってしまうのだった。
(それに今日は風が強いからスカートだとめくれてしまうかも・・・)
何故だか昔から風でめくれる東城綾らのスカートの中を幾度も目にした事を不意に思い出し余計にドキドキしてしまう。
東城ってどんな下着履いてるんだろう・・・、そんな邪な思いまでもがよぎってしまう・・・。
二人はそのまま肩を並べて公園内を散策する事にした。
ここは都心からやや離れた緑豊かな公園で彼女は考え事やリラックスしたい時に時々訪れたりするのだという。
なかなかの広さを持つ公園なのだが時間帯からかあまり人の数はいないようだった。
きっと紅葉が広がる時期は沢山の人が訪れる事だろう。
(しかしこんなところを知り合いなんかに見られたらどうしよう、大変かもな・・・)
真中は綾と二人だけで会うにあたりその事を最も心配した。
彼女の携帯に電話を掛けたのはもう10日以上前のことである。
随分抵抗感を覚えながらもそれでも真中は綾に電話したのだ。
最初綾は真中からだと分からず電話を取るのを少し躊躇したようだったがそれが真中からだと分かったら
大変な喜びようだった。
あれからいつも連絡が来ないかな?、などとついつい考えてしまっていたらしい。
真中は突然の電話を詫びながらその後の近況などを手短に話した後に悩みながらも綾に今度暇があれば
会ってみないか、と誘ってみた。
流石に綾は暫く考えて、でも奥さんが誤解されたら・・・と尋ねたが真中が、大丈夫、何の心配もしないでくれ!と
答えた為結局は真中の誘いに同意した。
互いのスケジュールもあるので10日以上先の綾の指定する公園の広場で待ち合わせする約束を交わしてから
電話を置いた。
暫くすると妻のつかさが帰宅したが真中は後ろめたい気分を抱いていた為だろうか何だかマトモにつかさの顔を
見られなかった。
やがて真中の変な態度に気付くとつかさはワザと叱る様な口調で、コラどうした?淳平!と顔を覗いてくる。
トモコたちが遊びに来て以来からか特に最近のつかさは何だか普段以上に明るくて機嫌も良さそうであった。
彼女が時々翳りのある顔を無意識に見せる事があったからそんなつかさを見るのが何だか辛かった。
だから今の真中は余計に罪悪感を抱きながらもそれでもどこか東城綾に早く会いたい、と思ってしまうのであった。
その日の夜、真中は再び東城綾の夢を見た。
激しく互いが求め合う夢を・・・。
もうすっかり陽が暮れて一面夜空になっていた。
歩きながら、或いは外灯の下のベンチに腰掛けながら二人は語り合う。
真中は再び映画会社から新作映画の監督を依頼された事を綾に報告する。
おめでとう!とまるで自分ごとのように喜んでくれる綾に真中は照れまくってしまう。
「それがさあ、今度の映画コメディなんだって。つまりお笑い。いや、まだあくまで企画途上だから最終的にどうなるかは
わからないけどね。でもとりあえず企画が通れば真中にやらせてやれ、って言ってくれてるみたいなんだ・・・」
「あたし絶対見たい!どんな種類の映画でも真中君の映画ならきっと面白いもの!本当に企画が通ればいいのにね。
その時は勿論引き受けるんでしょう?」
「うーん、そうだな・・・正直さあ、あんまりお笑い物って考えた事ないんだよね。だからイマイチ実感がこう、沸いてこない
んだよなあ。テレビとかでお笑い番組見るのは昔から好きだし映画だってそれなりに見てるんだけどね・・・。あ、そうだ
東城さあ、何かいいネタみたいなのないかな?東城は作家先生なんだからこういうネタやフレーズなんかもやっぱり
考えたりしてるでしょう?」
話しながらなんだかすっかりその気になってしまい都合よく綾に他力本願でアイデアを頂こうとする真中。
いきなりそんなことを言われても困惑してしまう綾だったが真中は更に追い討ちのように
「だってさあ、昔の俺がつかさに初めて告白した時の事憶えてる?あの時鉄棒で懸垂しながらの捨て身の告白を勧めて
くれたの東城だったんだぜ?あの時の東城の助言が全てのきっかけだったんだから・・・」
勢いでそこまで語ってしまいながら真中は既に後悔してしまった。
綾はうつむきながら黙り込んでしまったのだ。
ど、どうしよう・・・今更何でこんな事言っちゃったんだ・・・、自分の軽はずみさを悔やむ真中。
夜の公園内の静かな静寂に包まれながらやがて綾は口を開く。
「・・・真中君・・・あの映画だけどね、美鈴ちゃんと一緒に観せてもらったんだ・・・。もうあたし大泣きしてね、結構それで
大変だったんだ、周りにもお客さんがいたから・・・。自分の考えたセリフを役者の人たちが喋って演技する、それを繰り返し
やがて一つの作品へと仕上がっていく・・・。口で語るのは簡単だけど現場を統括して周りの人も指導して現場以外でも
様々な人たちと接触しながらこの映画を撮り上げたのが真中君なんだ・・・。そう考えたらなんだか涙が止まらなくて・・・」
東城・・・、真中が心の中で呟く。
「その後美鈴ちゃんと夕食を共にしていっぱいお話したわ・・・。でも何だか自然に真中君の話題ばかり」
「その話、実は美鈴から聞かされたよ・・・。東城先輩感動して凄く泣いてくれてたんですよ、って。俺もそう聞かされて
すげー嬉しかった。東城に感動して喜んでもらえたんならこんな光栄な事ないよ・・・」
綾は美鈴に対して口止めをお願いした話を自分から語りはじめるがその間で真中が口を挿んだ。
「随分暗くなってきたからさ、どこか違う場所に移ろうか?まだまだ語り合いたいんだ、俺」
「うん・・・そうだね」
そう言いながら二人はベンチから立ち上がる。
暗闇から相変わらず風が強く吹きつけてくる。
ううーん、と唸りながら真中は手を重ね合わせ上に突き上げながらピンと背筋を伸ばしてリラックスする。
「真中君、なんだかネクタイが歪んじゃってるよ」
綾の指摘通りいつのまにかネクタイの紐の結び目が緩んで崩れた形で随分結びの位置から外れてしまっていた。
こりゃあ駄目だ、と自分で直そうとする真中よりも先に綾の手が伸びてくる。
彼女は両手でゆっくりとネクタイの紐を解いて一から綺麗に結び始めた・・・。
外灯の光が照らす綾の顔は眩い程に美しかった。
そして少し開いたフリルの胸元からはくっきりと大きな胸の谷間が見える。
真中はそんな綾に完全に見とれながら立ちつくんでいた・・・。
昔、これに似た事があった・・・。
高校1年の冬だったっけ、東城は俺の前髪についたものをそっと取ってくれた・・・。
そして俺は彼女の腕を取りいろんな事を考えながら思いっきり抱きしめたんだ・・・。
そうだ、抱きしめてあげたかったからなんだ、あの頃から・・・。
「・・・ハイ、終わったよ、真中君」
照れた様子で綾が報告する。
やがて真中は我に帰りながら内側のポケットからピンを取り出した。
「あ、有難う・・・ちゃんと止めとかないとね・・・それじゃあ、行こうか」
頷きながら綾は真中より先に歩き始めたが突然物凄い突風が吹きつける。
そして綾の白のスカートが真中の目の前で思いっきりめくられたのだ。
・・・真中は目が点になった。
東城綾の履いていた下着のパンツはあの頃と同じいちご柄のパンツであった・・・。
綾は慌てて片手でスカートを押さえたものの時既に遅し、であった。
二人の間に何となく気まずそうな沈黙が流れる。
「真中君、・・・・今の、見ちゃった?・・・・」
綾は恥ずかしそうにうつむきながらそう尋ねてくる。
「あ、ああ・・・ちょっと見えたかも・・・」
真中も下を向いて答える。
「そう・・・」
綾はもう穴があれば入りたい気持ちであった。
「いい年して未だにこんな子供みたいなの履いちゃって・・・真中君もそう思うでしょう?」
そう問われる真中だがその思いは逆であった。
それどころか真中は綾の大きな胸元と今のいちごパンツによって彼の股間はけたたましく滾っていたのだ・・・。
真中は綾に勃起した事を悟られない為に体の向きを変えながら言った。
「気にすんなよ、東城・・・その、俺、そういう柄のパンツ大好きだから。お、おれに限らず男はそういうの好きだから・・・」
綾を慰めるのに何だか要領を得ない事を言うがでも実際のところそれが真中の偽りざる本心であった。
1時間ほど公園で過ごした彼らは近くの町まで出向いて真中が事前調査していた有名西洋料理店へと入った。
真中はともかく綾はある程度は著名人であったから誰か顔を知る人間にでもこんなところを見られたら大変だぞ、と
警戒を怠らず・・・。
それから二人は食事をしながらたっぷりと話をした。
昔は綾の前では何となく緊張して会話しづらい雰囲気があったがもうそんな事もなかった。
特に映画全般に関する真中の喋りは饒舌なものだったし昔の放浪時代の話もネタが尽きなかった。
饒舌に語る今の真中の表情は過去に培われた経験と未来への飽くなき夢への情熱からか実に眩しく輝いていた。
綾は黙ってそしてうっとりしながら真中の話に黙って耳を傾けていた・・・。
前回はすっかり綾に世話になったので今回ははなっから真中が金を出す気でいた。
綾は遠慮するものの結局は素直に真中に支払ってもらった。
こういう場合はヘタに遠慮すれば相手に失礼だと分かった上での対応である。
本当はなにかプレゼントの品も考えたのだが結局それはやめる事にした。
店を出てから二人は以前のように夜道を並んで歩いた。
道先からさっきとは違う公園を見つけて二人は何となくそのまま中へと入った。
公園の中は静かで他に誰もいないようであった。
歩きながら真中は月の光の下、広場の真ん中で宣言をする。
「俺、東城に比べたら全然才能もないし、地位もないけど、でもいよいよこれからって感じなんだ。本当にいつになるか
わからないけど俺は絶対にやるよ。東城のあの小説は絶対映像化するんだ。その時はさあ、東城も力貸してくれよ!」
「・・・真中君」
綾が真中を呼び止めそして静かに語る。
「真中君には西野さんという奥さんがいて当然二人は幸せな家庭を持っていて、あたしという女はそれが分かってながら
こうやって浮かれた気分で、人の道に外れたような真似をして・・・」
「東城・・・」
二人は立ち止まり真中は綾の顔をじっと見つめた。
(でも、でも、それを言うなら俺だって同じだ、同罪だ、いやそれ以上に重罪だ・・・。もう俺はきっと東城の事を・・・)
「あたし、今のままで満足・・・こうやって真中君が会ってくれてお話してくれるだけで満足・・・。だからこれ以上のこと」
綾がそこまで想いのほどを語った途端真中は綾を思いっきり抱きしめた。
その逞しくてがっしりとした真中の大きな体が綾の細くグラマラスな体を抱きしめたのだ。
「東城!」
「は、はい・・・」
綾は突然のことに戸惑ってしまっている。
「俺、東城に見惚れちゃったよ・・・。あのパンツだって大好きだから・・・初めて出合った時からね・・・」
「真中君・・・」
綾は耳元でそっと呟いた・・・。
「お帰り、淳平。スーツ姿で忙しかったでしょ。ご飯は?」
家ではエプロン姿のつかさが出迎えてくれた。
「・・・いや、もう外で食べてきたんだ、ごめん・・・」
「ふーん、じゃあお風呂沸かすね。実は今まで新しいお菓子を考案中でしたー!」
明るい口調でいそいそとつかさはバスルームに入っていく。
真中のネクタイは別の物に代えられていた。
(つかさ・・・・本当にごめん・・・・俺は・・・・)