PART.2
「やっぱ東城先輩ってば凄い!作家だけでなく脚本家としてもやっていけますよ!」
東城が新たに仕上げてきたシナリオの原稿を片手に美鈴が歓喜の声を上げる。
確かにこの東城の担当してくれたパートのおかげで主人公とヒロインの描写が寄り一層引き立つ物になった。
会社側としてはいっその事全部分を彼女に任せてはどうか、という意見も出された。
そもそも売れっ子作家さんにわざわざ参加してもらうのだから本来全部手掛けてもらわないと失礼にあたるだろう、と。
しかし当の東城自身はそんな事全く気にも留めない風であった。
なるほど、そういうところが彼女の持って生まれた人の良さというところだろう。
そして俺自身はというとあれ以来混乱している・・・・。
真中はこれから先の事に一抹以上の不安を抱えてしまっていた・・・・。
あの日真中は綾と別れてからすぐに家には戻らず当てもなく深夜の街路樹をトボトボと歩きながら思案に暮れていた。
自分と東城の今までの関係、自分と妻つかさの関係、東城と天地の関係、そしてこれからの自分と東城の関係・・・・。
考えても混乱するばかりだ、余計な事はもう考えるな!
そう言い聞かせながら家路に着いた真中は夫の帰りを待ち疲れてもう横になっていた妻のベッドの中に潜り込んだ。
そして眠りについた真中はその夜に夢を見た。
それは自分が東城綾と激しく愛し合う夢だった・・・・・・何度も何度も激しく求め合う夢を見たのだった・・・・・・ 。
「なんだかすごくうなされてるって感じだったけど、嫌な夢でも見てたの?」
朝起きて妻つかさからのいきなりの質問であった。
ぎくり!と驚きながらも真中は、ああちょっと疲れてるのかもな、ととっさに嘘で誤魔化した。
つかさもそれ以上は追及するわけでもなく黙って朝食の支度を始めていた。
真中はつかさに対して何ともいえぬ罪悪感を抱かずにはいられなかった。
なりゆきとはいえよりによって東城綾との映画制作、あのエッセイ本に昨晩の衝撃的な告白、そしてあの夢・・・・。
つかさは内心ではどう思ってるんだろう?俺と東城が共に仕事に携わることを?・・・・。
会社側からの企画で今度の仕事が綾とのコラボレーションになるとつかさに報告した時随分驚いた顔をしていた。
それはそうだ、でも昔の気心の知れた仲間だし俺なによりもつかさの為に頑張るからさ!応援してくれよな?
真中は自然と力を込めながらそう力説した。
「うん、・・・分かった。何も言わない。あたし信じてるよ。淳平の事、映画が成功する事。それとあたしも東城さんとまた会いたいな」
ああ、ありがとう。頑張るよ。そしてまた3人で会って朝までいっぱい語り合おう。
つかさが真中の為に、そして真中がつかさの為にお互いがそう答えたのであった。
実際の撮影が遂にクランクアップした。
過去のアマチュア時代のフィルムと4年間の世界放浪時代と角倉の下でのメジャー作品の助手・助監督の経験から
今回一気に監督への昇進であった。
ヒットさせるとかそんなことは二の次でいい、今は与えられた予算と期間で確実に作品を仕上げるんだ!
大丈夫、俺は必ず出来る。必ず成功させる。
自分を奮い立たせるように真中はそう固く決意をする。
撮影スタートである。
映画のストーリーはある二組の男女の出会いから別れまでを描いた女性向けロマンス作品だった。
東城綾によって彩られた男女の愛と葛藤の姿と哀しい人間同志の観念の性を真中同様新進気鋭の役者が
それを見事に演じ監督・真中も良くそれを演出していった。
「なんだかんだでうちのアニキ、女見る目だけは一級品だわ。特にあの娘すごくいい演技してるじゃないですか!」
製作スタッフの一人・外村美鈴も感心しきりだ。
「ああ全くだ。ところで俺も演出だって悪くないだろ?」
こんな軽口を叩くほど真中にも精神的余裕があった。
決して最後まで気が抜けない緊張した現場が続くだろうが望むところだ、むしろ心地のいい空気だ。
これならばやれる、そしていい映画になるはず。
既に真中は成功を確信してるかのようだった。
「でもあの主演の女性役、東城先輩が演じたらもっと凄いだろうな、って思えちゃうんですよ。何でかな?きっと
先輩が脚本書いてあるからだと思うんだけどまるで自分の事を描いているみたいで・・・」
美鈴からのその問いに真中は何も答えられなかった。
映画のクランクインから約5ヶ月後真中の処女監督作品の記者会見及び記念パーティーが開かれた。
記者会見では真中や主演の男優女優以上に脚本家・東城綾への質問が集中する事になった。
やはり宣伝効果は充分な訳か、真中は内心苦笑するもののこの映画の一番の功労者はやはり東城だな、と
認識せずにはいられなかった。
綾は記者からの質問攻めに簡潔にかつ律儀に丁寧に答えていたがある記者からの質問で一瞬場の空気が
変わりそうになった。
曰く、あなたと真中監督は高校時代からの部活を通じてのお知り合いですが先日あなたが発表されたエッセイの
中で出てくる初恋の想い人というのが真中さんだという噂がありますがどうなんでしょうか?
すぐさま会社側が関係のない質問はお控えくださいと割って入りああだこうだで質問時間を終えてのお開きとなった。
その質問時の際一瞬だが彼女の顔色が変わったことを会見に立ち会った外村美鈴は見逃さなかった。
・・・・そういえばあたしの提案で高校3年の時のラブサン前夜での先輩二人だけの新作フィルムの上映後、東城先輩は
泣きながらあたしの胸に飛び込んできてずっと泣きじゃくった。美鈴ちゃん、あたし、あたしって・・・。そしてラブサン当日に
あたし真中先輩に東城先輩は真中先輩の事好きなんですよ!って言ったんだったっけ・・・。でも東城先輩、真中先輩には
もう既に西野さんがいるんですよ・・・・。
そう美鈴は独白するのだった・・・・。
打ち上げパーティーの席上真中は様々な人々からの挨拶を受けながら今回の作品の完成に他の誰よりも安堵していた。
「どうもお疲れ様でした、監督」
少しほろ酔い気分で一人ロビーに抜け出していた真中の元に水の入ったコップを持った綾が訪れた。
有難う、と礼を言いながら水を頂き更に今回の映画の為に東城がどれだけ貢献してくれたことか、と頭を下げた。
綾はなんだかそわそわし落ち着かない素振りだったがやがて小声でだがはっきりとこう懇願した。
「ねえ、真中君・・・今回の事であたしから真中君へ完成のお祝いをしたいの。・・・だから、その今夜、つきあってくれませんか?」
綾からの突然の申し出に真中は即答できなかった。
ただただマジマジと綾の顔を見つめる他なかった・・・・。
ホテルから抜け出した真中と綾の二人は綾の知り合いの実家が経営しているという小さいな小料理屋にいた。
60前後の気の良さそうな夫婦が二人で切り盛りしているのだという。
夫婦には真中たちと同じ年頃の娘がいて彼女は綾とは同じ大学のセミナーで一番仲の良かった女友達だったという。
現在は大手出版社に勤務している関係上からか公的な面でも今も綾とは繋がりがあるのだという。
「ここのお店なら静かで誰にも見られなく過ごせると思う。今日はちょっと無理を言って貸切に近い状態にしてもらったの。
だから真中君が来てくれて本当に良かった」
少し申し訳なさそうにしながらも照れながら実に嬉しそうな笑みを綾は浮かべた。
今夜つきあってくれませんか?
そう問われたときの事を真中はうまく思い出せなかった。
しばらく呆然としたのかもしれない、そのまま東城の目を見つめ続けていたと思う・・・。
彼女の瞳はとても綺麗に透き通っていて、そして何かはっきりとした確かな意思の様な物が伝わってきて・・・。
うまく言えないが、抗えない何かを感じたんた・・・。
そうだ、俺から話そう。
映画の事、今回の撮影の事、東城の力がどれだけ大きかったかという事、そして今までの俺の事、つかさとの事・・・。
座敷のテーブルの上には丁度いいくらいの量の軽いあっさりした料理が少し並び一緒にビール瓶とコップが置かれてあり
綾は黙って真中の為にコップにビールを注ぎ込んでいた。
真中は考えていた事柄を一つ一つ語りだした。
前の時の二人だけの夜道の時とは対照的に真中は良く喋り綾はそれを黙って拝聴しながら時々相槌や返事をしたりつつ
その度真中へ酒を注いだりした。
真中も今までの人生の中でも最高の晴れ舞台の日といっていい今日、普段にも増してよく喋りよく飲んだ。
そして今自分の眼前では東城綾が共に自分の前途を祝ってくれている・・・・・・東城綾?
本来この事で一番自分を祝福してくれるべき人は東城綾よりも妻である真中つかさではないだろうか?
よりによって俺は妻の知らないところでこうやって東城綾とまるで密会のような形で彼女と二人だけの時間を共有している・・・。
突然現実に突き戻された気分になった。
えーと、どこまで喋ったんだ?そうだ、俺とつかさが再び再会したところまでだ。
あの日俺は彼女に再び付き合ってくれますか?と問い彼女はまたあたしをワクワクさせてくれる?と答えたんだ・・・。
そうだ、忘れない、忘れるはずがない、あの日の事・・・。
真中が再び口を開きかけた途端綾がそれを遮った。
「これ・・・・・。」
彼女は綺麗に包装された商品の様な品をそっと真中に差し出した。
「これ・・・・一体?」
いぶかしげる真中。
「長い時間かけて選んだの・・・。これが一番真中君に似合うんじゃないのかな、と思って選んだんだ・・・。
凄く迷惑かな?って考えたりもしたけどどうしても何かを・・・・」
力のない呟くような声でそう言って綾は口を閉じてうつむいた。
東城が俺にこれを・・・これは一体なんだ?・・・第一これは受け取っていいようなものなのか?・・・。
心の中で自問自答しながらも意を決したかのように真中は恐る恐るその品を手に取り包装紙を破り始めた。
包装紙からは大手高級百貨店で買われた品だと分かった。
綾からプレゼントされたその品の正体はネクタイと付属ネクタイピンだった。
それがどんな銘柄かどのくらいの値段の物かは真中には分からないがただそれが素人目にもかなりの高級品だと
判断できる一品だった。
淡いブルーの色に金銀散りばめた模様デザインが品良く合わせられた地味ながらも静かに個性を感じさせる物だった。
「東城、これを俺に?・・・」
「・・・初めての記念すべき会社資本での映画作品を取り上げた泉坂時代の同志・真中淳平監督へのあたし東城綾からの
ささやかなお祝い、ってなんか偉そうだね。いろいろ考えたんだけどネクタイが一番いいんじゃないかなって思って・・・。
以前真中君が会社で着ていたあのスーツにこれが一番似合うかなって考えたんだ」
真中はそれを手に取りながら言葉を出せずにいた。
これを受け取っていいのか?・・・これが東城からのただの祝いとしてのプレゼントなら別に問題はないか・・・。
いや、しかしネクタイだぞ。それに俺にはもう妻がいて・・・・でも東城は俺の為にこれを選んでくれて・・・・・。
暫く思案の底で埋没していた真中だが静かに、だがはっきりと答えた。
「・・・・有難う、東城。折角の品だしこれ有難く頂きます」
「・・・・・嬉しい・・・・・良かった・・・・・受け取ってもらえないと思っていたから・・・・・」
少し涙ぐんだような声で綾は安堵したかのようだった。
「お二人さん。お話が随分盛り上がってるようで結構なんですがもうそろそろ店じまいの時間でして、ご免なさいね」
奥から店のご主人の掛け声がきた。
時計を見るともう深夜1時を指していた。
ここで随分話したんだなあ、あ、でもつかさの事喋れずじまいか・・・。
真中は少し残念そうに思う。
二人は両夫婦に丁寧に礼を言いながら店を後にした。
「綾ちゃんに彼氏さん。いつでもまた来て頂戴ね」
勘違いした奥さんの別れの挨拶に綾は笑顔で答えながらもその誤った箇所は何故か指摘しようとはしなかった。
真中は何かいうべきかと思いつつも結局彼もまた何も言わなかった。
「今日は本当にいろいろ有難う。一席設けてくれてこんなプレゼントまで頂いて・・・それに奢りだったなんて」
「全然気にしないで。あたしも今日は真中君に付き合ってもらえていろんなお話聞かせてもらえて楽しかった。
こんなに気持ちがうきうきと弾んだのって凄く久しぶりだな・・・・」
夜道を並んで歩く二人の姿は紛れもない恋人同士のようであった。
「ああ、そうだ。つかさも事とか喋りたかったんだけどね・・・今度機会があればあいつとも会ってやって欲しいんだ。
つかさも東城の結構熱心な読者なんだぜ。懐かしがって会いたがってたよ」
真中にとって別に深い意味はない発言だったが綾はつかさの名を聞いた途端足を止め表情を曇らせた。
「・・・・う、うん。そうだね。機会があればね・・・・」
「え?どうしたの東城?ああ、そうだあいつさあ、この前なんかね」
歩きながら真中が何か思い出してそれを語ろうとした途端思いもかけない事が起こった。
真中の後姿に綾が抱きついてきたのだ。
一瞬真中は何が起こったのか理解できなかった。
ただ彼の顔の頬には綾の滑らかな黒髪が触れ背中には彼女の豊かな胸の感触が伝わってきた。
「お願い・・・・・西野さん、いえ奥さんの事は今は言わないでください・・・・・」
それは懇願するような声だった。
真中の体に電流が流れるような衝動が走りそして二人は暫くその姿勢のままでいた・・・。
・・・どのくらいの時間が経過しただろう、やがて綾が真中から離れて答えた。
「ごめんなさい、バカな真似しちゃって。真中君の前では舞い上がっちゃってかっこ悪いとこばっかり・・・。
それじゃあもう帰ります・・・・。真中君また一緒にお仕事出来たらいいね。今夜は本当にどうも有難う。
・・・それじゃあ、さようなら」
そういいながら去り行く綾の後姿に真中は自分でも分からないような感情に襲われそしてとっさに叫んだ。
「東城!」
静かに真中に振り向く綾。
真中はそのまま続ける。
「今度、また今度、会おう。俺、東城ともっと語り合いたいし、それに本当にまた君と一緒に仕事がしたい。
俺の力になってほしい。また連絡するから、東城」
「・・・・はい、あたしで良ければ喜んで」
そう答えながら綾はバッグから一枚の名刺を渡した。
そこには携帯の電話番号が記されていた。
「あたしの携帯番号。いつでもいいから真中君の都合のいい時に連絡して・・・・。それじゃあ今夜はこれで・・・」
帰りのタクシーの中で真中は深い混沌の渦の中を漂ってる気分だった。
何か、何か取り返しのつかないことが起ころうとしているのかもしれない。
何かが音を立てて崩れていこうとしていくみたいだった。
手には綾から貰った高級ネクタイの箱が握られていた。
つかさ・・・・・・・・・・東城・・・・・・・・・・・そう呟いたかもしれない。