『真中、くん……』  
 
もやもやして眠れない。  
姉のあんな声を聞くのは初めてだった。  
弾んだ、それでいて少しの憂いを含んだ声。  
誰よりもずっと傍にいたからわかる。  
 
姉は恋をしている。あの男がすきなのだ。  
 
「くっそー……」  
寝返りをうちながら、悶々とした感情を持て余す。  
どうしても眠れなかった。  
目に浮かぶのは姉のはにかむ笑顔。  
耳に残るのは姉の恋する声。  
 
ずっと守ってきたのに。俺が誰よりも。あんな男よりも。  
一体姉はあんな男のどこがいいのだろう。わからない。  
だってそうだろ?あの男には彼女がいるんだぞ?  
それなのに。  
 
コンコン、と扉を叩く音が聞こえた。  
このか細いノック。間違いない。姉がいる。扉の向こうに。  
 
「正太郎?起きてる?」  
「どーぞ。」  
 
カチャリと音がして、明かりもついていないこの部屋に綾が入ってきた。  
 
「なによ、起きてるなら電気くらいつけたら?」  
「いんだよこのままで。」  
「そう?」  
正太郎は起き上がり、ベッドに腰掛けた。  
 
「なんか用?ねーちゃん。」  
「ん、んっと、別にたいしたことじゃないの。」  
妙に含んだ声だ。俺は考える。……なるほど。あの男のことか。  
「もしかして、あの男のこと?」  
「まっ真中くんのこと?」  
「……ふ〜ん、真中ってゆーんだ。あいつ。」  
 
知りたくもない情報をまたひとつ知った。面白くない。  
俺は暗闇に感謝した。今のこのぶすくれているであろう顔を見られたくなかった。  
 
「なになに、恋の相談?」  
「そっそんなんじゃないんだけ、ど、っ……」  
「いーじゃん。聞かせてよ。」  
「……ダメだよ。だって、真中くんには……」  
「彼女がいんだろ?」  
「…………」  
 
姉は苦しい恋をしている。他に彼女がいる男にホレている。  
それがこんなにももどかしい。吐き気がするほど、やるせない。  
『……俺なら、ねーちゃんにそんな想いさせねーのに。』  
 
「……いいこと教えてやろっか。」  
「いいこと?」  
「そ、男を簡単に振り向かせる方法。」  
「振り向かせる、方法……?」  
「……実践、してみる?」  
 
声が少し震えたのがわかった。  
 
「実践?」  
「ちょ、ねーちゃん。こっちきて、そこ座って。」  
俺は薄明かりをつけた。姉の顔をみたかった。  
「こ、こう?……」  
 
正太郎に言われるまま、部屋の床に座る綾。  
寝台に腰掛ける正太郎を自然と見上げる形になる。  
上目遣いで見つめる綾。その視線を前に、正太郎の理性は吹っ飛んでいった。  
 
「……なぁ、ねーちゃん。男をオトす一番いい方法ってなんだか知ってるか?」  
「お、オトす?!」  
「そう。ねーちゃんなら簡単だよ。」  
綾の顎をもち、視線をはずさせないようにする。  
「……カラダでオトせばいいんだよ。」  
「カ、ラダ……?」  
 
正太郎は少し口唇を開いたまま、綾の形のよい口唇にそれを重ねた。  
「んんっ………?!!」  
口唇を吸うように、舐めるように、わざと音をたてて何度も口付ける。  
「ふ、んっ、んん……、」  
拒絶するように顔をふる綾だが、正太郎に顎を?まえられているため、逃れられない。  
真中との“偶然のキス”の経験しかない綾には、息をすることすら難しい。  
何度も正太郎の胸を叩く。しかし、今度はその細い腕首を正太郎に?まれた。  
「やっ、しょ、たろ、……んん、……!!」  
 
ようやく口唇を離すと正太郎は、口唇の周りの唾液をすすった。  
「……な、にするの?!!」  
「なにって……、練習だよ練習。」  
「練習?!」  
「ねーちゃんが男をオトせるようになるよう教えてやってんじゃん。」  
「なっ……?!」  
「その様子じゃディープの経験なんてなかったんだろ?」  
正太郎はわざとへらへらと笑いながら言った。徐々に罠を仕掛ける。綾が逃れられなくなるように。  
 
「だっからーあの男をモノにするにゃ力量不足ってワケよ。」  
「そんなワケありません!」  
「教えてやるよ。俺が。」  
「なに言ってるのよバカなこと言わないで」「それとも。」  
綾の言葉を遮って、続ける。  
「それとも……、俺のこと意識しちゃってるとか?」  
「は、はあっ?!」  
「俺ら姉弟なんだぜ?練習相手にゃちょうどいいだろ?」  
「れ、練習って正太郎、あなた……」  
「そんなに意識することねーだろ?  
あ、それとも俺のこと男としてみちゃってるとか?だからできねーの?」  
「そっそんなことないっ!」  
「だったら。」  
「…………」  
「だったらいーじゃん。教えは素直に乞うモンだぜ?」  
 
「ほっホントに……」  
「ん?」  
「ホントに、真中くんも、……」  
「おう。ゼッタイこの方法でオトせるって!」  
「……そんなにわたしって経験不足、なのかな……」  
「んー、まぁ俺はそっちの方がすきだけどな。」  
「正太郎の好みは聞いてない。」  
「いざって時に相手を幻滅させたくないだろ?」  
「…………」  
 

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