「鍵が返ってないから様子を見に来てみたら……これはどういうことだ?」  
軽い侮蔑を含んだ表情で、黒川先生は深い溜息を吐いた。  
薄く開かれた切れ長の瞳を俺に向けて、低い声色で伺ってくる。  
「い、いやっ、その……」  
かなりの美貌と抜群のプロポーションを誇る黒川先生だけど、  
怒らせたらかなり恐いということは周知の事実だ。  
外村や小宮山なら『そんな先生も素敵だ』なんて思うかも知れないけど、  
この状況で俺はそこまで楽観的になれるほどお気楽な性格じゃない…。  
目の前には困惑を残したままオロオロしている東城と  
こんな時でも変わらずにぷるぷる揺れる彼女の大きな胸があり、  
そんな東城の腰に今だ手をまわしたままの俺。  
そしてそれを不穏なオーラを漂わせた黒川先生に目撃された、と。  
「………え〜と……」  
あまりにもこっちに不利な証拠が揃いすぎてる……ヤバい。  
この場を潜り抜けられるような上手い言い訳なんてまるで思いつかない!  
 
東城へチラチラ目線を投げるも、彼女も俺と同じく言葉が見つからないみたいだ。  
「と、東城、俺達何してたんだっけ?」  
うわずった声でとぼけつつ、今までの甘い空気を懸命に払おうと努める。  
彼女なら何か機転の利いた理由が思いつくんじゃないかと  
一縷の望みをかけて彼女に問いかけた俺だったが…  
「え? え、え、っと……」  
急に話を振られてわたわたと慌てる東城は俺より動揺しているように見えた。  
まるで悪戯しているところを見つかった子供みたいだ……いや、  
確かにエッチな悪戯をしているところを見られたんだけど。  
「そもそもどうしてオマエらだけなんだ。他の連中はどうした?」  
二の句を告げられない俺達にしびれを切らせたのか、  
黒川先生が訊ねてきた。  
ツカツカとハイヒールを鳴らしながら教室へ歩み入ってくる。  
先生が近づくたびに威圧感が大きくなってくる気がしたけど、  
そんな俺達のビクつきなど意に介さず黒川先生は歩み寄る。  
 
「こ、今度つくる映画の脚本の打ち合わせを…」  
すっかり肩をすぼめた東城がか細い声で答えるのを聞きながら、  
先生は俺達の方へずい、と手を伸ばしてきた。  
「いつまでくっついとるんだオマエは!」  
その手は俺の肩をやおら掴むと、硬直したままの身体を  
東城のぬくもりから強引に引き剥がしてしまった。  
「おわぁ!」  
思いのほかその力が強かったために椅子から落ちそうになった俺を、  
先生が掴んだままの肩をぐっと引き戻して支える。  
「脚本の打ち合わせの中で女の胸に顔をうずめる必要性を  
 説明してもらおうか、真中」  
「うっ…」  
美麗な顔をぐっと近づけて黒川先生が睨みつけてくる。  
目尻にある泣きボクロも先生をより綺麗に見せる要素の1つだけど、  
今の俺にはそんな先生を間近で見られることを神様に感謝する余裕はなく、  
綺麗な顔を前にしてもただ1つの感情が俺の背筋を走り抜けただけだった。  
 
「(こ、恐い……)」  
刺すような視線が俺を羽交い締めにする。  
『ヘビに睨まれたカエル』の心境をそのまま体感しているような気分だ…。  
魅力的な容姿を誇る黒川先生も、今は特定の彼氏は存在しないらしい。  
そのためかどうかは解からないけど、どうも他人の恋愛沙汰には厳しいようで  
今の俺達は先生からすれば「私をさしおいて学生がイチャイチャするな」というところか。  
「……何を考えてるのかは知らんが、下手な言い訳は通用せんぞ真中。  
 東城の腰に手をまわし、あまつさえ胸に顔を埋めて何をしようとしていたのかを  
 私に納得できるよう説明してもらおう、さあ」  
東城の心配そうな視線を受けつつ、掌に滲んでくる脂汗を握りつぶして  
俺は渇いた喉をゴクリと鳴らしながら必死に頭の中で言い逃れの言葉を繋ぎ合わせる。  
「え、え〜っとですね…」  
……無理だ!  
他に誰もいない教室で2人抱き合って何をしていたのかなんて、  
どう説明すりゃいいんだ!?  
何を考えても最初に浮かぶのはみんな同じことだよ……でもそれを口にすれば  
黒川先生が待っている答えを口にすることになる。  
「真中くん……」  
 
その心細げな声を耳にして、俺はせめて東城だけでも  
この息苦しい場から解放してあげたいという気持ちが涌き上がってきた。  
「どうなんだ、真中」  
先生を相手にして言い逃れることは容易なことじゃない……  
ここは1つ、俺が責任を被れば少なくとも東城は俺ほど問い詰められたりしないだろう。  
同意の上の行為だったとしても、俺が東城に迫ったりしなければ  
こんなことにはならなかっただろうし……。  
「黙ったままだと何も解からんぞ、正直に何をしていたのか…」  
――――ピンポンパンポン――――  
『先生方、今から職員会議を始めますので至急会議室へお集まりください』  
…場にいた3人が校内スピーカーへ目を向けたのはほとんど同時だった。  
黒川先生は間が悪そうに表情をかすかに曇らせて、  
そして俺と東城は心の底から安堵した表情を浮かべる。  
そんな俺達を一瞥してから先生は重そうな息を吐き出してから、  
「……まぁいい。続きは明日じっくり聞かせてもらう」  
と残して教室のドアへと向かった。  
先生の艶やかな髪を結わえたリボンがふわふわ揺れるのを見送りながら、  
俺達はハイヒールが廊下を刻む音が遠くなっていくのを聞きつつ、  
蓄積していた緊張を吐き出した。  
 
「…はぁぁ〜〜……」  
溜息とともに身体中の力が抜けていく。  
ふと東城を見ると、彼女も心底安心したのか胸に手を当てて  
ホッと一息ついている。  
そんな東城と目が合った瞬間、照れくささと気まずさが急速にこみ上がってきた。  
久しぶりに触れる彼女の感触に夢中になってしまっていた自分が恥ずかしくなってくる。  
「そ、そろそろ帰ろうか、東城っ」  
さっきまでの自分を打ち消すようにそう言って、俺は鞄を持って立ち上がった。  
今ここでこれ以上話し合ったとしても脚本は型にならないだろう。  
それに東城と2人っきりで居続けたらまた俺は変な気分になってくるかも知れない。  
事実、さっきまで触れていた彼女の温もりと柔らかさは今だ俺の手から消えてなくて、  
もう一度触れたいという気持ちは心の中から消えてはいないんだ。  
だけどそれはできない。  
黒川先生はいなくなったけど、ここが安全な場所じゃないってことは身を持って思い知らされた。  
見つかった時はまるで生きた心地がしなかったからなぁ…。  
「東城?」  
ぽーっとしたままの東城に再び呼びかけると、  
彼女は慌てたように立ち上がってポケットを探り部室の鍵を手に取り出した。  
「あっ、う、うん。じゃあ帰ろ…」  
 
 
帰り道、俺達はろくに会話も交わさないまま黙々と歩いていた。  
さっきのこと何か話さないと…そう思うも、黒川先生のイメージが大きすぎて  
思い出すだけで冷や汗さえ滲んでくる。  
確かに心臓が飛び出るんじゃないかと思うほどビックリしたけど…。  
「ゴ、ゴメンな東城、俺、全然気づかなくて…」  
それでも沈黙を続けたままというのは嫌だったので、思いきって話を切り出してみた。  
「あ…あたしもびっくりしちゃって真中くんに伝えるのが遅れちゃったし…」  
同じように思っていたのか、俺の振りに東城は敏速に反応を返してくれる。  
さっきのことを思い浮かべたのか、その口ぶりは少し慌てているように感じた。  
「いや、と、東城は悪くないって! でも、やっぱマズかったよなぁ…」  
「ごめんね真中くん、上手にフォローできなくて……」  
気恥ずかしさからなのか、俺も東城も歯切れが悪い。  
今日は運良く先生の追求を免れることができたけど、問題は解決していないんだ。  
明日までに上手い説明を考えないと……自業自得とは言え、あの先生を納得させる理由を  
考えなければいけない身の上を思うと帰る足取りも重くなるのだった。  
 
      *  
 
ロクな言い訳が思いつかなくても朝はやってくるわけで、結局俺は  
理由はおろか何の対策も立てられず、睡眠も不充分なまま学校へ向かうこととなった。  
休んでしまおうかという考えも浮かんだけど、それじゃ東城に迷惑がかかっちまうしな…。  
停学処分とかになれば親に理由とかも聞かれるに違いない。  
「……どうしよう」  
うわ〜〜! マジでピンチだって!!  
もう俺の中では言い訳できなかった時の処遇を考えることしかできなくなっている。  
ゆっくり歩いたつもりでも、目的がある以上そこには到着してしまうことが今は悲しかった。  
上履きに履き替えてこれ以上ないほどブルーな気分のまま教室のドアを開けた瞬間、  
「真中ぁ〜〜っ!」  
ボフッ。  
教室の一角から小走りで駆けてくる音が聞こえてきてすぐに、  
柔かいカタマリが俺の両頬を襲った。  
「うわっ!?」  
何が起こったのかを把握できずにいる俺の首をグイッと抱きこんで、  
突然の来訪者はそのカタマリへの密着をより高めようとしてきた。  
目で確認することはできないけどこの柔らかさと大きさ、それに心地好い女の子の匂い…  
人目をはばかることなくこんな嬉しい出迎えをしてくれる女子は  
俺の知る限り一人しかいない。  
 
「さ、さつきっ!!」  
北大路さつき――東城や外村、俺と同じ映像研究部に所属する女の子。  
同じ部のよしみとして贔屓目に見なくても充分可愛いと言える外見と  
裏表のないサッパリした性格で男女問わず人気が高い……特に、男には人気がある。  
男どもが何故さつきに執心するのか、そんなことは解かりきってる。  
あの外見にあの性格だけでも目に止まるってのに、さつきはさらに……なんと言うか、  
同学年の女子と比べてすごくエッチな身体をしてるからだ。  
年頃の男には制服の上からでも手に取るように解かるさつきのメリハリの効いた身体は  
刺激的すぎるんだよなぁ……そんな彼女とは不思議な縁が重なって泉坂に来てから  
ずっとツルんでいるけど、いつの頃からかさつきは俺に積極的にアプローチしてくるようになった。  
今までモテたことなんてなかった俺だから、女の子に…しかも可愛くてセクシーな子に  
面と向かって『好き』って言われたら悪い気はしない。  
だけど、俺とさつきは今でも”友達”の関係が続いている―――もちろん、  
さつきは俺には勿体無いくらい可愛い女の子だと思う。  
でも俺が彼女と付き合うことができないのは、少なくとも今俺の中では  
さつきと同じくらい気になる女の子が他にいるからだ。  
彼女に俺の”好き”という気持ちを全部あげることができないから……  
だから今でも俺はさつきに返事が出来ずにいる。  
さつきのことが好きか嫌いか、そう聞かれたら俺は迷わず好きだと答えるだろう。  
でもそれは彼女が聞きたい”好き”という言葉の意味ほど重くないと思うから、  
そう伝えることはできない。俺の中に居る女の子達……彼女達に対する答えを、  
俺は一刻も早く見つけないといけない。東城、さつき、それに――  
 
「ちょ、ちょっと真中、大丈夫?」  
……黙りこんだままだった俺を心配するようにさつきが声をかけてきた。  
確かにさつきの胸はヘタすりゃ人を窒息死に追いこめるほどのボリュームがある。  
まぁそれも男にとっては幸せな死に方かも知れないけど、俺はまだ死にたくない。  
「お前なぁ、自分からやっといて心配すんなよ!」  
彼女の拘束する手が緩んだ隙に、顔を上げてさつきを見る。  
随分久しぶりに見る気がする彼女はご機嫌な笑顔で俺を見つめ返してきた。  
「えへへ、久しぶりだったから今日は通常よりサービスしました♪」  
「……ま、毎朝やられる身にもなってくれ…」  
そう愚痴ってみるものの、久しぶりに喰らったさつきの”目覚まし”に  
いつもの調子を取り戻せそうな自分がいる。  
ウジウジ悩んでてもしょうがないよな……なるようにしかならないだろう。  
「だって昨日会えなかったし、真中があたしの身体を恋しがってるんじゃないかと思って」  
「誤解されるような言い方するな!」  
「またまた、嬉しいクセにっ♪」  
そう言って、またべたーっと身体をくっつけてくるさつき。  
正直に言うとこの感触は離れ難いものがあるけど、  
人前ではさすがに俺も…これほどまでに積極的に来られると、  
対応の仕方に困るんだよなぁ。  
 
「新学期が始まってもお熱いなぁ、オマエらは」  
遠巻きに俺達を見るクラスメイトの中から1人歩み寄ってきたそいつに  
俺は懸命に助けを乞う。  
「そ、外村……助けてくれぇ…」  
「北大路ぃ、俺のカメラの前でもやってくれ」  
俺の言葉を無視して、外村は愛用のデジカメをさつきに向けて構えて見せた。  
コイツには聞こえないのか? 俺の命乞いが!  
「イヤよ、あたしは真中だけのものなんだから!」  
「そこを何とか、1つ頼むよ」  
「ダメ! べーっ」  
俺にもたれかかりながら悪態をつくのは止めてくれ、さつき。  
お前の身体を支えるのは結構骨が折れるんだぞ……。  
「先生来たぞー」  
その誰かの言葉を合図に、ようやく俺はさつきから解放されることができた。  
一時限目の科目担当の先生が教室に入ってくるのを見て、クラスが動き出す。  
それに倣うようにして席へついてからやっと、俺は今日初めて  
身体が軽くなったと感じることができた。  
 
俺が窮地に立たされることになったのは、4時限目の授業だった。  
「……わかりません」  
この授業3回目の台詞を吐くと、教壇の黒川先生がフッと笑ったように見えた。  
「何だ、解からんのか真中?」  
「は、はい、すみません」  
と言うか、そんなの習った覚えないんですけど……。  
俺が納得できないような顔に見えたのか、先生はどこか嬉しそうな表情を浮かべている。  
周りのヤツらもそろそろおかしいと思い始めたのか、ザワザワし出した。  
「こら、私語は慎め!」  
先生はそんな雰囲気を一蹴してまた授業を進め出した。  
無言の視線がチクチクと刺さる……これは『昨日のことを忘れてないだろうな』という  
先生の忠告か? それにしては悪質だと思うんだけど……  
「ではここを……」  
また新しい問いにさしかかり、黒川先生は生徒の顔を見まわしながら獲物を探し始めた。  
俺、また当てられるかも……あからさまに目をつけられてるからなぁ……。  
解からない答えを考える余裕もなく、俺はただ先生と目が合わないように  
下を向いて自分以外の誰かを指してくれるように祈った。  
 
「小宮山。答えてみろ」  
「は、お、俺ですか?」  
ホッ……。  
安堵しながら俺が顔を上げると、黒川先生がチラッと俺に目線を向けたように見えた。  
災難を逃れたことに安堵していた俺だったけど、先生の視線に一瞬怯んでしまう。  
「わ、わかりません」  
小宮山がそう答えるのを待っていたかのように、黒川先生は俺を真っ直ぐ見た。  
『え?』と俺が目で聞くと、先生は小さく頷いてから細い人差し指を俺へ向ける。  
「では代わりに真中。同じクラブのよしみだ、小宮山を助けてやれ」  
「げっ……!」  
ま、また俺!?  
クラスの女子らしきクスクス声が聞こえてくる。  
俺を笑うその声に黒川先生はすこぶる気分が良さそうに笑みを浮かべていた。  
(さ、晒し者だよ、これじゃ!)  
もちろん俺はその問いに答えられず、再び先生の勝ち誇ったような表情を見せつけられる。  
この後も攻撃は続き、一時間ずっと俺は黒川先生によってクラスの笑い者にされたのだった。  
 
キ――ンコ――ン………  
重く低いベルが鳴って、ようやく授業が終わりを告げる。  
肩の力を抜いて心底ホッとする俺とは裏腹に、教壇の先生は  
「チッ」と口惜しげに顔を歪めたように見えた。  
あれだけやっておいて、この人はまだ俺をいじめ足りないのか……?  
名簿や教科書もろもろをまとめながら、先生は教室を出る準備を始める。  
もしかしたら、昨日のことはこれで不問にしてくれたりするかも……  
これだけさらし者にされれば充分罰を受けたとも思うんだけど。  
「真中!」  
「は…」  
そんな甘い考えを打ち消すように、黒川先生が俺を呼んだ。  
いつものクールな笑みを見せて、固まったままの俺へ続ける。  
「昼休み、職員室へ来い。用件は解かってるだろう」  
 
来た。  
やっぱり黒川先生は甘くない。  
あぁ〜〜……覚悟はしていたけど、やっぱ行きたくねぇぇ……。  
そんな俺の思いなど知らずに、先生は平然と教室を出ていった。  
それに代わるようにして外村が寄ってくる。  
「おいおいおい、お前何やったんだ?」  
興味津々と言った感じで外村が訊いてきたが、もちろん話せる内容じゃない…。  
「ねぇねぇ、黒川センセさっき真中をあからさまに狙ってたよねぇ」  
「真中、何やったんだよ?」  
外村と同じように目を輝かせて、さつきと小宮山も話に食いこんできた。  
「それだけでもおかしいってのに、今度は呼び出しかよ。怪しいな」  
「真中、何で呼び出されたの? 教えてよ!」  
「俺にも教えろ!」  
人も気も知らないで、3人はズンズン迫ってくる。  
でも、いつまでもここで愚図ってる訳にもいかない……先生を待たせるのもヤバイ気がする。  
「……行ってくる……」  
質問に答える意志を示すことなく、俺は重い腰を上げて職員室へ足を向けた。  
「真中ってば!」  
「後で教えろよ!」  
背中から聞こえる声には、他人事だという軽い気持ちがこもっているようにさえ感じた。  
 
職員室に入った俺が黒川先生の机を見やると、  
先生もちょうど俺を見つけたのか、ばっちり目が合ってしまった。  
「来たか真中……何だ、随分と浮かない顔をしてるな」  
「はぁ…」  
黒川先生は近づいた俺を見て、開口一番そんなことを言う。  
そりゃそうですよ、これから説教されるってのにウキウキ気分でこれるほど  
俺は能天気じゃない。  
「じゃあ、指導室に行くか」  
黒川先生の口から出た台詞に俺は少なからず驚いてしまった。  
「し、指導室?」  
……ほ、本格的だな……。  
いよいよ雲行きが怪しくなってきたのを肌で感じながらも、  
席を立った先生に俺は黙ってついていくしかなかった。  
 
指導室の鍵を開けて黒川先生が部屋へ入るのを見て、  
俺はふと思ったことを口にした。  
「黒川先生、生活指導の先生は?」  
いつもなら誰かが常駐しているはず。  
大抵それは生活指導の先生だったりするんだけど…  
「席を外してもらった。第3者がいるとお前が萎縮して話し辛くなると思ってな」  
この場所に連れてこられただけで充分萎縮してしまうんですけど……。  
先生は自分のものでもないのに常備されていた椅子にどかっと無遠慮に腰を下ろし、  
ついで俺に向かい側の椅子へ座るよう促した。  
「じゃあ訊かせてもらおうか、昨日のことを」  
俺が腰を落ちつけるのを確かめてから、まるで取り調べでもするように  
先生は俺と向かい合って話し始める。  
が、ちょっと気になったことがあったので先に切り出してみた。  
「……あの、東城は……?」  
東城がいないまま始めようとした先生に恐る恐る訊いてみる。  
一応彼女もあの場にいたし、何かしら訊かれると思ってたんだけど…  
「あぁ、東城か。あいつに訊くよりお前の方が訊きやすいと思ったから呼んでない。  
 もし私が想像した通りの答えならば、引込み思案な東城から聞き出すには  
 時間がかかりそうだからな」  
 
……確かにそうかも知れない。  
東城、性格は内気な方だと思うし嘘吐くのもあまり上手くないよな。  
実際彼女が嘘吐いてるところはほとんど見かけないし…。  
黒川先生に厳しく問い詰められたら俺達のこと喋っちゃうかも知れない。  
それはそれでヤバい。  
「で? 昨日のアレは何をしてたんだ、真中」  
ふくよかな胸の前で腕組みをして、先生が核心に迫ってきた。  
昨日と変わらない迫力ある瞳が俺を捕らえる。  
「え、え〜〜と、ですねぇ……」  
「私に気づかないほど東城の胸は気持ち良かったのか?」  
「うっ……」  
ダメだ、完全にお見通しだ。  
やっぱり下手な言い訳は通用しそうにないぞ…。  
退路も塞がれた今俺が取れる行動は2つ――  
本当のことを喋るか、あくまでしらばっくれるか。  
『はい、先生が来なければきっと最後までヤッてました。すみません』  
……言えねぇって!  
こうなりゃもうトボけ通すしかないな。  
自分の取るべき行動が決まったからか、いくらか気分が落ち着いてきた。  
最後までシラを切り通せるか……黒川先生と勝負だ。  
 
「せ、先生はちょっと勘違いしてると思います」  
俺の言葉に黒川先生はわずかに眉をしかめた。  
予期しなかった答えだったのか、続きを促すようにじっと俺を見つめてくる。  
逸る心臓を気持ちで押さえつけて、俺は余裕を見せるように微笑んだ。  
「あれはほら、つ、次の作品のストーリーについて話し合ってたんですよ!」  
……嘘じゃないぞ。  
最初は本当に話し合ってたもんな。  
「それは昨日も訊いた」  
と、先生は冷ややかな口調。どうやら納得してくれないらしい。  
もっと信憑性を持たせないと……あれは次に撮る映画に必要なことだったってことを。  
「つ、次はラブストーリーで行こうかって話になって、やっぱそういう話って  
 ”気持ちを伝えるシーン”が肝になるじゃないですか? それでどんな映像にしようかって…」  
いざ説明し出すと結構出てくるもんだな、と俺は内心驚いていた。  
100パーセント嘘って訳じゃないから良心も痛まない。  
俺の弁明を先生は黙って訊いている。  
何か考えているようだけど、全てを否定するような気配はない。  
この調子なら、上手く言いくるめることができるかも知れない…!  
 
「昨日のアレはそのシーンだと言うのか?」  
「そうです、先生が見たのはその場面だったんですよ!」  
俺の力説に黒川先生は複雑な顔を見せる。  
しらじらしいと言いたげに目を細めて俺を見ながら、先生はフッと短い息を吐いた。  
「女子の身体にベタベタ触るシーンを撮るのか?」  
「ほ、本番ではやりませんよ!フリだけです!  
  き、昨日のは……ちょっとふざけてただけなんです!」  
これ以上は言い訳できないぞ……もう俺の方から言う言葉はない。  
後は先生が納得してくれるのを祈るだけだ。  
「……まぁ言ってることは解かった。随分気の早い話だが、  
 文化祭にかける意気込みが強いのは私にとっても望むことだからな」  
集客力が強いクラブは、部並びに顧問にも特権が与えられるのが泉坂高校の文化祭だ。  
ギャラリーを集めるためにアイディアを練ることは、先生にとってもプラスになるに違いない。  
「そ、そうですよね! 俺達次が最後の文化祭だから良いもの作りたいんですよ!」  
思わず俺も力が入る。  
話の流れは確実にいい方向へ向いている。  
先生の興味も昨日の俺と東城のことよりも映画のことに向いているみたいだ。  
「ふむ。客を集めるためなら少々過激なシーンにも目を瞑るか……まぁ限度はあるがな」  
 
(や……やった!)  
先生を納得させられたことに俺は心の中で拳を握り締めた。  
土壇場でVゴールを決めた気分……朝からずっと俺の中に溜まっていた  
停学だの何だのというブルーな思考もあっという間に吹き飛んだ。  
ここに入ってきた時とはまるで対極な気持ちの俺に、先生は再び口を開いた。  
「よし、じゃあお前が昨日東城と考えたシーンをここで見せてくれ。  
 私がチェックしてやる」  
「……はい?」  
一瞬、先生の言ってることが理解できなかった。  
ここで見せてくれって……  
「え? 誰と誰がやるんですか……?」  
「お前と私以外に誰がいる?」  
じっと黒川先生の目を見る……先生はいたって真剣だ。  
呆気に取られたままの俺の横に、先生は自分の椅子を寄せてきた。  
「高校生如きが人を興奮させる演技ができると思ってるのか?取りあえず、  
 今お前の頭にあるシーンを再現して見せてみろ。大人の私がダメ出ししてやる」  
「え、え〜〜〜ッ!!?」  
 

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